あいりすペドフィリア   作:サッドライプ

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 この世界には、地上と天上の国、そして冥界と闇の国に根を張り枝を伸ばす二本の巨大な世界樹があります。

 一つは生命の世界樹。冥王ハデスさまの御力のもと、一生を終えた命たちがその傷を癒し、また次の一生を過ごせるよう旅立つ魂の宿り木です。

 そしてもう一つは、影の世界樹。

 かつてこの世界を作った神さまは、世界の管理を天上人に任せました。
 けれどその時の世界は、全ての命が人形のように置かれただけの箱庭のようなものでした。天上人の命令したとおりに動くオモチャがたくさん並んでいる、とてもきれいでとても退屈な世界でした。

 ある日天上人のハデスさまは、これはつまらないと全ての命に『たましい』をあげました。
 わたしたちは、喜びを知りました。悲しみを知りました。笑顔を知りました。涙を知りました。わたしたちが生きることの意味は、この時生まれました。

 けれど、よくも勝手なことをしたなと怒った仲間の天上人から、ハデスさまは冥界に追い出されました。それでもハデスさまは、冥王として今でもわたしたちの誕生と死を見守ってくれています。

 面白くないのは他の天上人です。せっかく神様からもらったオモチャが、言うことを聞かずに好き勝手に動くようになってしまったのです。彼らはかんしゃくを起こしました。
 もういい、そんなオモチャは全部壊して、新しいオモチャを並べなおしてやる!そう言って、天使に命じて人間をだましたり、戦争を起こしたりしてたくさんの人を殺し始めました。

 それが許せなかったある女の子がいました。その子は地下深く、魂の力の源である《深淵》の園にたった一人飛び込み、『闇の女王(ダークアイリス)』として天上人に反旗を翻します。

 彼女が戦う戦場が、影の世界樹です。

 戦いの激しさで真っ赤に燃えて、黒く染まった『旧き生命の世界樹』。
 あの場所で、今も彼女は天上人や天使達に抗い続けていることでしょう―――。





 回り回った未来、全てがただの歴史に変わった頃。
 『闇の女王』と友であったハイエルフィンの女王すら、その長命を以てしても再会叶わず輪廻の彼方に旅立ち、ただ言い伝えだけが残る世界で。

 ある日、突如として空が紫紺に染まる。黎明と似て非なる暖かくもどこか悲しいその暗い色は、ある双子の永い永い戦いの終局だったことを悟る者もあまりに少なかった。

 そんな中、大騒ぎになった地上で放浪を続けていた幼女の前に、一人の青年が迎えに来て。

―――おかえり、ジェニファー。

「あなたは……?すまない、思い出せない。誰も。笑ってくれた人も、手を繋いでくれた人も、頭を撫でてくれた人も」

―――それでもいい。帰ろう?俺達の学園に。すっかり寂しくなったけど、まだ何人かは居てくれているから。

「分からない。分からない。けれど……あなたに、言わなければいけないことがあったのは確かなんだ」

………。

「ごめんなさい……。ごめん、なさい……!!ぁぁ、ぁぁぁぁ~~~~ッッ!!!」

 幾千の時を経て、たった二人きりでは全てが擦り切れる程の孤独を超え、やっと涙を流した小さな女の子。それを優しく受け止めるかつての主。
 願った罰は時の移ろいの中で消え去って、それでも罪が許された瞬間だった―――。




…………っていう夢を見たんだけど。
「それはそれは―――随分性質の悪い悪夢ですね」

 魘されていた冥王を心配して揺り起こした従者にその原因を告げると、彼女もまた鉄面皮を主にしか分からない範囲で小さくしかめて吐き捨てる。
 現実にする気は無い。主従揃ってその意見は一致している。―――俺の騎士だと言った瞬間真っ赤になって照れながらも確かに嬉しそうに笑っていたあの幼女に対して、裏切ったなどと言って愛想を尽かした覚えもない。

 だから、文机に置いていた彼女の“退学届”を、冥王はびりびりに破いて捨てる。念入りに、舞い散る全ての紙片を白い炎で燃やし跡形もなくする。

―――悪いけどうちの学園、中途退学は認めてないから。
「おお、なんというブラック学園。ですが……ふふ。ご主人様の意思が絶対ですから。
 あの英雄気取りの幼女には、本懐は諦めてもらうしかないですね」

 支度を整え、ハデスとベアトリーチェは自室を後にする。


 今日の冥界の天気はいつも通り晴れ。絶好の旅立ち日和。
 今回の冥王一行の旅先は―――遥か地底、深淵の園。

 目的は勝手に人生の迷子になった幼女を連れ戻すのと、ついでにいつも通り奴が持って行った世界樹の種子の回収だ。



※フィクションの辞表なんて所詮破り捨てられるためのものですよね!
※一部感想でIFエンドのエピローグも見たいとか書いてたので夢オチ回収。
※冒頭のおとぎ話、原作設定知ってるとところどころ「ん?」ってなる箇所がありますが仕様です。戯言幼女の影響を受けたどこぞの妹姫様とかがなんかやらかした説。
※幼稚園児パトリシア可愛い。うん、でもあのイベントを見た後に闇深幼女の過去(注:原因は聖樹教会です)に触れた時のパトリシアの心境を想像すると、……。一面曇り空かな?

※それでは最終章。出発前夜のアイリス達の様子を描くので、時間は一日巻き戻ります↓




冥き茨の簒奪者

 

「ふっ!!せいっ!!」

 

 紫髪の女騎士アシュリーは一人鍛錬場で模造剣を素振りしていた。

 物心付いた頃からの習慣だ。回数は一日三桁を優に数え、最早剣腕の練達や維持といった域を飛び越え儀式に近いものとなっている。

 

 ただ、慣れているとはいえ両手で扱う重い騎士剣だ。“疾風”を冠する鋭い剣捌きは僅かにもぶれない精緻な制御力に支えられているもので、土台となる少女騎士の肉体にも相応の負荷が掛かる。

 過ごしやすい冥界の気候に拘らず、終わったすぐ後は汗だくになってベンチに腰を下ろすのがルーティーンだった。

 

『冷たっ!?』

『ほら、氷水。食堂からパシって来たぞアシュリー先輩、どうだこの溢れる後輩力』

『……私に悪戯しなきゃ満点だよジェニファー。まったく』

 

 鍛錬に付き合ってくれる幼女は、そんな休憩中のアシュリーの首筋に冷たい容器をあてて来るのがいつもだった。主の騎士として不意打ちに弱いのは全く良くないのだが、どうもあの幼女に警戒心が湧かないのでつい大きなリアクションを返してしまい、そのせいで一向に悪戯が止まらない悪循環。

 

「喉、乾いた……」

 

 だが、もうジェニファーは冥界にいない。少なくとも、本人に戻って来る気はないのだろう。いつもきびきびとした動きを心掛ける彼女に似合わず、気だるげな仕草でアシュリーは自分でカバンから水筒と手拭いを取り出した。

 

「ああ、やっぱりお前がいないと張り合いがない。私はダメな先輩なんだぞ、ジェニファー?」

 

 喉を潤し、滴る汗を拭き取りながらどこか吹っ切れたようにアシュリーは笑った。

 あの日闇に消える幼女の背中を直接見送ってしまった者として、心に少なくない傷を負った分あまり気分は上向くことがなかったが、―――数日間の時を置いて、自分なりに自分がどうしたいのかの整理は付けられた。

 

 分かっているのだ。自分よりよっぽど頭がいいあの子なりに考えて出した結論があれだったのだということは。

 ことが深淵の氾濫と天上人の悪意という人類の存亡にすら関わる問題なのだから、武一辺倒な自分が彼女より冴えた方法を提示できるあてなどない。

 そして、先輩の騎士として、道を決めた後輩の背を押しこそすれ、それを引き留めることは本来あってはならないこと。

 

 

「“それでも”。―――やりたいと思った。やるべきと思った。やれると思った。

 なら十分なんだろう?」

 

 

 そんな道理を押しのけて。始まりの《アイリス》アシュリー=アルヴァスティは、己の為さんとする道を見定めるのだった。

 

 

 

………。

 

 同じく去り往く幼女の背中を見送った師弟の魔術師二人、ラディスとナジャは、黒く染まった世界樹の麓であるシラズの泉で、その幹に複雑かつ巨大な魔法陣を描く作業に注力していた。

 

 ナジャが深淵に心を囚われた理由―――自分より魔導への理解に親和性があり、生まれ持った魔力も高く、果てには世界樹の種子の宿り主に選ばれたラディスへの嫉妬。遠くない未来に弟子に己の実力を抜かされることを確信した時に抱いた蟠りを、ぶつけることはおろか態度に出すことすら由としなかったせいで心に澱みを積もらせてしまっていた。

 ラディスもラディスで……甘えていたのだ、そんな彼女の高潔さに。そして調子に乗った挙句暴言を吐いてナジャの下を飛び出して冒険の旅に出た。おかげで今アイリスで居ることが出来るのだが、あの時ちゃんと等身大のナジャと向き合えていれば何かが違っていたかもしれない。

 

 その確執は、やっと解け始めたところ。この数日がかりの作業の間、話が尽きることはない。

 

「じゃああのジェニファーの演説のところから組んでたんだ。あんな大規模な映像と音声の制御、なんかおかしいと思ってたけど」

「まだまだですよラディス。いくらジェニファーとはいえ、彼女が突き抜けているのは大衆の煽動と深淵の統制に関することだけ。聖樹教会の悪行を拡散し帝国を無気力に貶めたのは、私の助けあってこそです」

「だけ、って。思い返すとあたしら、あんたら二人が歴史を変える瞬間を見てた気がしてきたんだけど」

「ご安心なさい。気がする、ではないです……事実歴史が変わったのですから」

「ちっとも安心できるか!?」

 

 金髪の少女と黒髪のドワリン、共に身長体形とも似たような師弟の話にぎこちなさはもうなく。離れていた間の四方山話―――にしては少々物騒だが、それに興じていた。

 

「……後の行動の布石として、あそこで聖樹教会が勢力を弱めてくれるのは非常に都合が良かった。正直言うと、民を煽動することであれだけ強大だった聖樹教会が存亡の危機に立たされるなど、私でも想像だにしていませんでしたが」

「あんなの予想してたのはジェニファーだけだから。本当なんなんだあいつ」

「あ、ラディス。そこ、γの三番、左右の対称間違ってますよ」

「うっそ、まじで!?てかあたしの手元まで注意できるとか、あんたもなんなん……」

 

 話の途中でもナジャは一切集中を切らしていない。ラディスが感心しているが―――“こんなことは、やって当然だ”。

 

「各地の大聖堂の襲撃―――その地下にあった根を傷つけて世界樹を弱らせ、決壊を促進する作戦。人心が離れてやりやすかったのもありますが、ジェニファーは極力犠牲を減らそうとしていたようにも思います。勿論全てが狙ってやったわけではないでしょうし、彼女も彼女で深淵の園への道筋を付けるため私の計画に相乗りした部分もありましたが」

「ジェニファーが襲撃した大聖堂は、けが人はともかく死者ゼロだったって後で聞いたよ。あんたは盛大に爆破したみたいだけど。……それですら、世間の目は襲撃犯側に同情的だ。どうせジェニファーと同じような恨みを、聖樹教会は他の人間にも買っていたんだろうからってさ」

 

 

「―――“それでも”。例え公に断罪されることはなくとも、私の所業で犠牲が出たのは事実。その償いは必ずします」

 

 

「……ジェニファーを連れ戻すのも、償い?」

「はい。私の軽率さであなた達が仲間を失うことなど、あってはならないのですから」

 

 ナジャは背負う。結果論ではあるが、自分の行動がなければジェニファーは《深淵の園》まで行くことも出来ず、今でもジェニファーはアイリスとして冥界に居た筈だ。その上で。

 

「冥界を出て行ったのはあいつ自身の意思でも?」

「彼女の意思を認めずに連れ戻そうとしているのは貴女でしょう、ラディス。

 散々迷惑掛けた分、師匠らしいことをさせてくださいな。ジェニファーとどちらを贔屓するか問われれば、私はラディスに付きます」

 

 そう背を押すように言われて、ラディスは決意を新たにする。

 

「―――約束だからさ。何よりあたしは認めない。暗闇だらけの世界を知識で切り拓くのが真理の探究者たる魔術師の仕事なんだ。それを生贄とか人柱とか、そんなんみたいな方法で解決するなんて、絶対に認めない」

 

 だから。今ナジャと協力して進めている作業―――冥界から深淵の園への道を開くための魔法陣。その最後の仕上げに、集中力を新たにして取り掛かる。

 

 

 

 

…………。

 

 玉座を追われた―――逃げ出した、というのが正しいが―――かつての深淵の女王であり、“自称”世界樹の精霊だったユー。そして、新たな世界樹の苗木であり本物の世界樹の精霊である正体を明かしたリリィ。

 

 最早隠す理由も意義も失った彼女達は、創世からの深淵の在り方と世界樹炎上の真実を語った。

 

 命一つ一つに宿る魂の輝きが《深淵》由来であること、世界樹炎上は、その深淵と完全に反発してしまう聖性を持つ己が世界に歪なバランスを生んでいることを嫌い世界樹自身がユーの手を借りて自殺を図ったのだということ、そして魂の転生機能の役目を深淵に対応した新たな苗木に託して《世界樹の種子》―――正確には深淵との親和性を持ち、その理解を深めるべく“感情”をリリィに送信する端末―――をばらまいたこと。つまり、《世界樹の種子》を用いて旧世界樹の再生などどだい無理な話だったこと、そしてそれを誤魔化してユーが隠していた種子はジェニファーにパチられたこと。

 

「あれ?世界樹炎上って聖樹教会のせいじゃなかったの?」

「違います!ついでに、もちろん冥王様のせいでもありません!!」

「んー、でもあの汚れた信仰を捧げられたから自分を浄化する為に身を焼いたってのは?」

「それでも、私が、やりましたっ!!」

 

………こんなやり取りが挟まった辺り、ただでさえややこしい話をジェニファーが更に掻き回している気がしないでもない。

 

 まあ、まとめると。

 

・深淵は命が現在世界中で息づく今の形である為に必要な要素であり、天上人はそれを穢れと呼んで忌み嫌い全生命ごと根絶やしにしようとしている。

・深淵は制御が難しい上に、微量の度合いを過ぎると魔物や異常気象を生む土壌になったり、人間が中てられると普通はナジャのように正気を失う。

 

 なので、それならば深淵の氾濫と天上人を直接ぶつけて対消滅させてやる、というジェニファーの行動にも一定の理はある。

 

 他の道はといえば、当初の予定通りリリィが輪廻転生機能の他に深淵のバランスの調整もできる新生世界樹として活動し始めることだが。

 ジェニファー曰く「一度失敗している存在が考えたもの」であり、冥王が世界樹の消火活動をしたことで存在の継承が中途半端に終わったせいとはいえ、当のリリィがただの幼女になって奴隷商人に捕まって売られるところだったのを思うと彼女の危惧も無理はない。ましてそれだと天上人の問題は1ミリも解決しないのだから。

 

 

 つまりは。ここでジェニファーを連れ戻す、ということは世界の安定を考えればマイナスと言えなくもない。

 しかも幼女が居るのは深淵の真っ只中、尋常の場所ではない上に、連れ戻そうとすればジェニファー自身が抵抗することも予想される。そうなった場合でも命を落とすなど滅多なことはしてこないだろうが、危険なのは間違いない。

 

 

 だから冥王は、ジェニファー奪還に行くか行かないかは命令ではなく自由意思で選ぶようアイリス達に告げていた。

 これは正義の為でも名誉の為でもなく、ただ感情の赴くままの戦いであるのだと。

 

 

 “それでも”。

 

 

「教皇様に、聖職者が現実に屈するなどあってはならないと偉そうに説いた身の上ですので。ここで賢しらにあの子に全て押し付けて安穏と生きることなんて、できません」

「ここで何もしないでいたら、ジェニファーさんは笑えません。私も笑えません。

 私が願う未来は、そんなのじゃない。だから、戦います!!」

 

 クリスも、パトリシアも。

 

 

「『そう遠くないうちに、また会える』。そう言ってたのに、ジェニファー様は嘘つきです。友達に嘘を吐かれて、悲しくて、一日中泣きました。

 でも、それなら私の方から会いに行って嘘を本当にしてあげるんです。

―――だって、私の初めての友達なんですから!!」

「私も、こんなに熱い心で旅をするのなんて初めてですから。

 ひとの心に火を点けておいて一抜けたなんて、絶対許しません。うふふ」

 

 セシルも、ソフィも。

 

 

「懐が寂しいですわ。しばらくあの子を抱っこできてなくて、体がむずむずして堪りませんの。

 これは、なんとかしなくてはなりませんわね。我がパルヴィンの為に!」

「あーあ、ジェニファー成分欠乏で禁断症状が……諦めてねジェニファー。

 うちのお姉様、こういう我儘で退いたことは一度もないし―――ボクがそれを叶えられなかったことも、一度もないんだよ?」

 

 ルージェニアも、プリシラも。

 

 

「場外なんて締まりの悪い決着、いっぺんどうにかしとかないとって思ってたんだ。

 いいリベンジのチャンスだ。あたしは乗るよ!」

「どーかん。私だって、勝ち逃げされたままお別れなんて許せないし。

 今度はこのリディア様があのチビをこてんぱんにして、引き摺ってきてやるんだから」

 

 ギゼリック、リディアでさえも。

 

 

 

 それぞれの事情、それぞれの信念、そしてそれぞれの絆を抱いて。

 

 決行の日、ナジャとラディスが開通を間に合わせたシラズの泉の“扉”に、全アイリスが集った。

 当然、目的は一つ。

 

 

 

「「「―――ジェニファーを、連れ戻す」」」

 

 

 





 もっと色んな子の描写したかったけど、決戦前夜が長すぎるのもあれなんで。
 次回、お楽しみの深淵ゆうえんち突入です。


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