あいりすペドフィリア   作:サッドライプ

6 / 74

 明けましておめでとうございます。
 本年も相も変わらず頭の悪いお話を展開しておりますがお付き合いくださいませ。

 さて今回一部で不安の声が上がっていた修道女回。
 この話を書いている時に再放送していたGガンの影響が出ていることは否定しない(展開ネタバレ)




パトリシア

 

 ジェニファーが《アイリス》として冥王一行に加わってから、幾月かの時間が流れた。

 世界樹の種子を求めて現世に降り立った回数は二桁を優に超え、同じ数だけの種子の宿主(シーダー)に出会ってきた。

 

 種子は宿主の能力を増幅し、才能を開花させる―――良くも悪くも。

 国や種族を問わず様々な形で信仰されている創世の世界樹が炎上し、人々に不安や恐怖が蔓延している世情で、身に余る力を暴走させる人間は残念ながら少なくなかった。

 

 盗賊を斬り、山賊を縛り上げ、海賊を沈める。

 圧制を敷く領主の首を晒し、街に蔓延るマフィアを叩き潰し、人を攫っては悍ましい実験の材料とする魔術師の息の根を止める。

 種子を抜き取る血生臭い旅路の中で救った人から感謝を浴びたり、そして冥王一行だとバレると罵声を浴びたりと毎度退屈とは無縁の冒険の日々であった。

 

 そして種子が人間や亜人種のみならずモンスターに宿ると発覚してからは、渓谷、火山、密林、氷雪地帯と景色に飽きる間もないほどに大自然な中を往く羽目にもなった。

 

 だが、それを嫌だ苦しいという感情は、少なくともジェニファーにはない。

 “冒険”が嫌いな性格ならそもそも厨二言動なんかしていないというのも多分にあるが、悪い出会いばかりでもなかったというのが理由の一つ。

 

 共に戦うアイリスは個性豊かながらも、全員が世界を救う旅などという酔狂に付き合う程度にはお人好しであり。

 そして似たようなお人好しもシーダーの中には何人か存在し、新たにアイリスとして加入する者もちらほらと現れる。

 

 被虐趣味が嵩じて傭兵に身を投げた令嬢。

 なんかノリの軽い家出吸血鬼(ヴァンピール)。

 ロリコンが祟って仕事をクビになった元宮廷画家の女。

 歌をフルコーラス聴いてあげると仲間になるチョロい人魚(セイレーナ)。

 日々三流雑誌の広告に載りそうなアレな薬を作ろうと奇行に走っていた貴族の娘。

 碌に文化交流も無いド田舎の離島出身なのに何故かアイドルなる概念を自称する兎耳亜人(ラビリナ)。

 

 みんな種族の垣根を超えて世界を救うという高潔な志を持って集った頼れる仲間達だ。

…………たぶん。

 

 そして今回の主題。

 

 人数が増えてくるにつれ、三番目のアイリスという最年少なのに古株なジェニファーの事情は、あまりぺらぺら口外する類のものではないという理由もあり、知らないまま彼女の奇矯な言動に接する者も増えてくる。

 その中に、クリスと同じ理由で幼女から逃げられているアイリスがいた。

 

「クリスせんぱ~い、ジェニファーさんが心を開いてくれません……」

「あぁ……、それはまあ、なんというか……」

 

 才能と才能は惹かれ合うと言うべきか、中にはアイリスとして合流する前から面識のある者達も居り、このパトリシア=シャンディという修道女も、修道院時代のクリスと先輩後輩の関係だった。

 そう、聖樹教会の修道女。なのでうっかりオッドアイ幼女の虹の右眼に映ろうものなら、また右腕が疼く案件となるのだが、そんなことはつゆ知らぬ彼女の相談にどう答えたものかとこの日クリスは悩まし気に目を伏せていた。

 

「ジェニファーさんだけ、ハグも笑顔も一度も交わせてないです。

 わたし何かやっちゃったんでしょうか………」

 

 人懐っこく、スキンシップが大好きで、『どんなときにも笑顔で』を信条としているこの快活な後輩に対して、力になってあげたいとは思う。

 アシュリーのものより幾分か色の濃い紫のポニーテールをしゅんとしおれさせ、自信なさげにしょんぼりしている有様を見ればなおさら。

 それに子供に避けられる、というのは思いの外心にクるものがあるのは身をもって知っている―――奴が純粋な幼女かどうかはさておくが。

 

 とはいえ聖樹教会への憎悪の塊である“ジェーン”を内に抱えたジェニファーと仲良くなる方法など、クリスの方が教えて欲しいくらいだった。

 彼女自身に悪意がなくとも、うっかり右眼の視界に入れば鉄拳が飛んで来かねない相手。

 あの馬鹿力で殴られれば次は左の頬をとか言ってられないレベルの惨事になるのが明白だし、そのことに気を遣っているのはむしろあの邪気眼幼女の側だ。

 

 危険な旅の中で自分の実力を制限してまで眼帯をしているのはもちろん、なるべくクリスとは別行動を心掛け、一緒に居る時も間合いの外に身を置いている。

 それは共にアイリスとして行動するにあたり、適切な判断でもって引いた一線と言えるだろう。

 

「………っ」

 

 逡巡するのは、果たしてこれらの事情をこの純粋な後輩に教えていいものだろうかということ。

 上級神官に叙任され、多少は権力闘争というものを間近で見る機会のあったクリスですら、ジェーンに降りかかった教会の血塗られた一面にはアイデンティティが揺らぐ程の衝撃を受けている。

 

 復讐鬼を腹の内に飼いながらも、表面上は当たり障りなく付き合ってくれている“彼女達”の事情をぶちまけて気遣いを台無しにして。

 結果得る物が教会を無邪気に信じるパトリシアに刻まれる心の傷と、アイリス全体にまで波及するかも知れない邪教巫女と聖樹教会組との関係の亀裂だとするなら、この相談には余計なことを言わずに当たり障りのないことだけ答えるのが適切な判断なのではないだろうか。

 

 

―――『残念だったか、神官?ここで我が罵詈雑言を吐いていれば、そのお門違いな罪悪感も多少はましになったかもな?』

―――『それが許されるクリスおねえちゃんは、さいごまで教会を信じるといいよ!それだけで便利に手軽に簡単に、救いは得られるよ!』

―――『“信じる者は救われる(わたしはわるくない)”、ってね!!』

 

 

「――――本当に?本当にそれは、適切な判断と言えるのでしょうか?」

「先輩………?」

「私はただ、殴られるのが怖いだけなのでは……」

 

 迷いの中で未だに刺さってしまっている厨二の戯言がクリスの脳裏に再生され、いぶかしむパトリシアにも気づかないで懊悩が口をついて出た。

 

 相性の悪い同僚として向けられる当たり障りのない態度。

 その裏には己の古巣が引き起こした惨劇と、それによって一人の子供が負った心の致命傷がある。

 なのにジェニファーの“大人の対応”に甘えて、このままなあなあにして“救われる”ことを、果たして由としていいだろうか。

 

 そんなある意味損な高潔さを持ったクリスこそ、ジェニファーと“仲良く”できる方法があるなら誰でもいいから教えて欲しかった。

 

 

「なるほど、つまり拳を交わす痛みを怖れなければ、ジェニファーさんと仲良くなれるんですね!?」

「……………、はい?」

 

 

 そして、パトリシアがどういうアクロバティック思考を辿ったのか、さも名案を閃いたとばかりの笑顔でクリスにその方法とやらを示す。

 こういう風になってしまえば一直線になる後輩は、止める間もなくその名案を実行に移した。

 

 すなわち。

 

 

「―――ジェニファーさん。あなたに決闘を申し込みます!」

「……いい度胸だ。受けて立ってやる」

 

 突如発生したイベントにノリノリで即答するバカと、脳筋100%な回答を出した武闘派シスターのマッチメイクが成立した瞬間だった。

 

 

………。

 

「ルールはお互いに素手。武器も魔術も使用不可」

「いいんですか、私は格闘家ですよ?」

「ふん。所詮は余興だ」

 

 種子集めの為には避けて通れない、戦闘集団としてのアイリスの質の向上の為に冥界に新たに建てられた鍛錬場において。

 立会人をクリスとして、挑発するようなジェニファーと、そんな幼女の言い草にプライドを刺激されたのか片眉を僅かに上げたパトリシアは火花を散らす。

 

 開始の合図は必要ない。武道を嗜む者なら、心得が無いなら猶更、決闘の場に立った時点で開始の合図の前に攻撃を仕掛けるのが卑怯などという戯言は吐かない。

 

 故に―――。

 

「ふッ!」

「はぁっ!!」

 

 どちらからともなく、突き、払い、打ち上げ、拳が風を引き裂く音を奏でながら交錯する。

 どちらも石壁程度なら軽く穿つその威力は剣呑ながらも、互いに様子見なのか拳だけの応酬が一息の間に二桁を数え……裏拳と肘が交錯して腕と腕で押し合う体勢になった時点で互いに飛び退いた。

 

 間合いを開き、互いに構えを取る―――半身を開き、重心を下げ、正面斜め下に腕を伸ばす姿勢は両者同じもの。

 

「教会式の格闘術……?」

「“余興”―――そう言ったろう?」

 

 コンセプトは一撃必倒の剛拳。

 炎や氷などの属性魔術をそこに上乗せし城砦すらも打ち崩すと云われる、聖樹教会に伝わる無手の闘法。

 だが、他人の魔術を吸奪し魔剣として繰り出す外法・装刃【エンチャント】の前には絶好のカモとして、かつてその担い手が幾人も斬り伏せられてきた。

 

 暴走するジェーンが斬殺した教会騎士達の一部が戦闘スタイルとしていたため、ある意味下手人のジェニファーにとって最も親しんだ格闘術でもある。

 何せ無人の荒野で冥王の祠の番人をしていたのだから時間は腐るほどあった―――倒した敵の闘技を己の戦法に組み込む鍛錬の時間は。

 

 とはいえ、見様見真似の技がそれ一本で修練に励んできたパトリシアに果たして通用するだろうか?――――答えは、是。

 

「……っ!!?」

「ダンスの練習でもしておくか?」

 

 純度、という意味であれば確かにパトリシアの方が上だろう。

 ジェニファーの馬鹿力でただ打ち込む拳より、パトリシアの最適化した体捌きで繰り出される突きの方が威力は高い。

 

 だが、実際に“格闘”をした場合どちらが有利か。

 人間相手には稽古か、あるいは種子で強化された身体能力で圧倒できる程度の敵に対する経験しか積んでいないパトリシアと。

 正式に騎士として戦場で格闘を嗜む者達がどのように屍を晒してきたか、実行犯の視点で目前に見てきたジェニファーと。

 

 お互いに更にもう一段身体のギアを上げる。

 入れ替わり立ち代わり、位置を二転三転しながら蹴りを織り交ぜ、時として跳躍からの空中戦すら行いながら無数の拳打を繰り出し合う。

 緩急までも混ざってまるで舞いのような様相を見せたと思いきや、突如としてパトリシアが動きを止めて一息の“溜め”を取る。

 

「―――ここでッ」

「ちぃっ!?」

 

 上段からの瀑布の如きワンツー、その出だしを挫くのに失敗しパリィに徹したジェニファーに三撃目の拳。

 ガードの上からでも響く衝撃に押され、鍛錬場の土の上を滑る幼女―――堪えていた顔を上げると、空中回し蹴り(ローリングソバット)が首狙いでギロチンの如く迫ってくる。

 身を屈めて体勢を低くすると、それを狙いすまして着地したパトリシアが回転の勢いのままに下段を刈ってくる。

 身を捻りながら跳んだジェニファーに打ち上げるような肘、流れるように膝、中段への破壊力を重視した掌底で締め。

 

 武闘家シスター渾身の七連撃――その結果は側宙にバク転とひらりひらりアクロバティックに間合いから逃れるジェニファーが、ガードに使った腕を痙攣させながらも痛打無しで凌ぎ切ってみせた。

 

 次はこちらの番とばかりにじりじりと摺り足で間合いを詰め、踏み込む――と見せかけたタイミングで小さな体を後ろに倒し、足捌きで遠近感を狂わされ、迎撃すべく繰り出したパトリシアの拳は僅かに届かず空を叩く。

 

――――実際に“格闘”をした場合どちらが有利か。

 

 泳いだ上体を無視して左のふくらはぎに連続蹴りを叩き込んだ幼女がこの瞬間の一つの答えであり。

 都合五度目の蹴りに対して軸足を組み替え、狙いを外させた隙に繰り出した手刀でジェニファーの眼帯を弾き飛ばしたのが、本職の格闘家であるパトリシアの意地だった。

 

 

 虹色の眼が、邪教の巫女の精神が、修道女の姿を捉える。

 

 

「貴様……!?」

 

 

 反射的に距離を空けるジェニファーだが、その右眼はパトリシアの運動用の胴着にもしっかり縫い付けられている聖樹教会の印を既に捕捉している。

 奪い、犯し、殺し、その残虐さを神聖と言う名の生皮で誇示する最低最悪の外道集団の一味―――少なくとも《ジェーン》はそう認識しており、故に仇を前に爆発する憤怒は決闘で昂った躰のせいでジェニファーには抑え込めそうにない。

 

「パトリシア!!」

「先輩はそこで見ててくださいっ!!」

「………ッ!!?」

 

 このまま下手を打てば血を見る事態になる―――焦るクリスをパトリシアは制止した。

 脚に喰らったダメージとは明らかに異なる要因によりあふれ出る脂汗を額に滲ませながらも、ぎらつく虹眼を真正面から見つめ返し、語りかける。

 

「教会の格闘技、その癖と隙を理解した動き、このひりつくような殺意。

―――あはは、なんとなく察しちゃいました……」

「だったらさっさと失せろ。決闘は貴様の勝ちでいい、加減が効かなくなる前に消えろ」

 

 空気が淀んで見える程の濃密な殺意がパトリシアへと収束する、間違いなく彼女にとって今までの人生で最も死を覚悟する時間がゆっくりと流れる。

 それでも……それでもパトリシアは、笑った。

 

 

「いやです。今日こそ、本気でぶつかってきてください」

 

 

 その言葉に、ジェニファーもクリスも目を見開いて驚愕する。………右眼も同時に見開かれたように見えたのは、錯覚だろうか。

 

「―――正気か?まさか自分は殺されないとでも、危機感が足りないのか?」

「正気です。命がけなのは分かってます。でもっ!!」

 

 深く息を吐き、―――あろうことかパトリシアは、前に踏み出した。

 両手の指でも足りぬ数の教会の聖騎士を惨殺した復讐鬼に、自分から近づいたのだ。

 

「パトリシア=シャンディ!!」

 

 当然に、その暴威は振るわれる。

 ジェニファーの操る二刀のうち、“水晶”はクリスの背後の壁に立て掛けてあるが、“黒”は魂から湧き上がる怨嗟が形を為したものだ。

 故に眼帯を付けている(ジェーンの感覚を封じている)間は使用できないが、逆に眼帯を外して念ずれば右手にいつでも現れる。

 ジェニファーがそれを抑制することにはなんとか成功したが、逆に言えば武装以上の抑制が全く利いていない状態でジェーンは襲い掛かる。

 

 身長差からかち上げるような拳が唸りを上げる。両腕を交差したパトリシアのガードがその一発のみで崩される。

 追撃の拳が迫る。払い気味に左手で回し受けを試み―――指から嫌な音が鳴った。“幸いにも”、それ以上の被害なくなんとか逸らすことが出来た。

 次は蹴りだ。上段の最も威力が乗った回し蹴り。だがパトリシアの腰程の高さにしか届かない幼女の体躯では、蹴り最大の利点であるリーチの長さが生かせない。とはいえ脚力を考えれば油断の許されない脅威を、なんとか最低限の後退でやり過ごす。

 

 すぐさま反転してパトリシアは鋭いジャブで銀髪幼女の側頭を小突く。鼓膜を破損し脳を揺らされて、ふらつきながらも、殺意に突き動かされるジェーンは猛然と掴みかかってきた。

 大の大人が両手でなんとか持ち上げる重さの大刀を片手で振り回せる握力――それを考えれば四肢を掴まれた段階でアウトだ。組み技以前に単純な力業で“捩じり折られる”。しかし小ささ故に俊敏なジェーンを躱し切るのも不可能に近い。

 

「で、ぇいッッ!!!」

 

 パトリシアは頭を使った。自らの額をジェーンの眉間に叩きつけたのだ。

 両者の視界に火花が散る。ダメージというよりは衝突時の純粋な体重差によりたたらを踏んだのは幼女。そして―――復帰が早かったのは、覚悟して人体で最も硬い額をぶつけたパトリシア“ではなく”、正中線の急所である眉間を砕かれたジェーン。

 

 鼻孔から血を垂れ流しながらも、憎悪に暴走した巫女は腰を捻り、地面を踏みしめ、明らかな技として―――放つは抉り込むスクリューブロー。

 

「かふっ………!!?」

 

 あばら骨が砕けた。

 内臓が無理な力で抉られた。

 呼吸の為の筋肉が衝撃に悲鳴を上げ、奇妙な掠れ声が空気を掻いた。

 

 そんな肉体のエマージェンシーを、パトリシアは勢いよく吹き飛ばされながら激痛という形で受け取っていた。

 堪えるとか、我慢するとか、そういう話ではない。

 それで立っていられたのは、単に壁に叩きつけられた後蹲ることも出来なかっただけ。

 

 鍛錬場の内壁に背中を預け、霧散する意識の中、ぼやけた視界の中で小さな銀色が飛び掛かってくる。それが何かも理解する間もなく――――。

 

 

―――真っ向から浴びせ蹴りで迎撃したのは、身に染みついた鍛錬によるものか。

 

 

 流石に全力で飛び掛かったところを蹴り返されればダウンはするらしい。

 追撃の手が止んだのを感じながら、精神を集中させて意識を保ったパトリシアは、左肩を危険な揺れ方でぶらつかせながら跪くジェーンを視界に捉える。

 

「か、げほっ、ごほ!?ぜぇ、はぁ……」

 

 内臓を損傷したのか、口からどす黒い血反吐が零れてまともに喋れない。

 それでも伝わると信じて、パトリシアは拙い笑顔を保って心の中でジェーンに語りかける。

 

(ねえ、ジェニファーさんの中のあなた)

(【殺す、殺す殺す殺す殺すッ!!おとうさんの怖かったのも、おかあさんの苦しかったのも!!おにいちゃんの血をながしたのも、おばあちゃんの泣いたのも!!ぜんぶぜんぶお前らに返してやる―――!!】)

 

(すっごいパンチだったよ!会心の一発ってやつだよね、ものすごく痛いや。

………………でも)

 

 会心の一発を決めた人間は、普通笑うものだ。

 それは誤魔化しようのない人間の暴力性という悲しさがあるのかもしれないが、とにかく決めた瞬間はどんな人間でもすかっとして笑顔になるものだ。

 

 

(でも、あなたは笑ってない。だってあなたの受けた痛みは、こんなものじゃ済まないくらいの傷だったんだから。分かるよ)

 

 

 拳を通して―――それは悲し過ぎる対話手段だ。

 でも時として、一番相手と心をぶつけ合い、相手の心を近くに感じる手段になる。

 

「だ、がら……さぁ、立って!!続けよう、けっどうを!!」

「【あ、ああ゛ああ゛あぁぁぁあぅっっっっ】~~~~!!!」

 

 馬鹿な事をしている、というのはパトリシアも分かっていた。

 優しい先輩は、涙を必死に堪えて、動きだしそうな体を押さえつけて見守ってくれている。

 一歩間違えれば死ぬ、そんなこと理解できてない訳はなく、怖くない訳でもない。

 

 でも同じくらい、こうでもしなければ自分はこの悲しい少女の本質と向き合えないことも直感していた。

 なのに痛みを怖れて、避けるようなことをすれば。

 

 

(“世界中のみんなを笑顔に”。口だけの人間になるのは、絶対に嫌だから!!)

 

 

 亡き弟の今際の願いを託された時に、心に決めた目標。

 それはきっと、目の前の相手と笑い合える世界じゃないといけないはずだから。

 

 

 打撃の応酬が再開されるが、片腕が使えないという、痛み云々以前に体のバランスが崩れるという要因で目に見えてジェーンの動きは鈍っている。

 ダメージを受けたパトリシアでも、なんとか捌けるほどに。嘘だ。ジェニファーに先ほど痛めつけられた左脚が急に重くなり、言うことを聞かない。

 この役立たずと苛立ちまぎれに相手に叩きつけたら、それがジェーンの蹴りと衝突して互いに完全に片足をダメにした。

 

 もはやここまで繰り出す土台である肉体がボロボロになれば、腕力も技巧も意味を為さない。

 駄々を捏ねる子供同士のような叩き合い。痛みすら生ぬるい極限の中で、どちらが意識を先に落とすかの我慢比べ。

 

 

「どうして、こんなの……っ」

 

 涙声でクリスが問う。

 

(だってこの痛みが、この子の痛みなんです)

 

 パトリシアが繰り出しているのは攻撃ではない。

 ジェーンの拳に籠った悲しみをちゃんと受け止めて、受け止めたことを相手に示すサインだ。

 

 

―――どうして、そこまで。

 

 “黒”が溢れ出さないよう踏ん張りながら、ジェニファーが問う。

 

(あなたとも、この子とも、分かり合えると思ったから。

 なのに逃げるなんて、できない)

 

 その愚直さ加減に、お前の勝ちだよとジェニファーは一足先に負けを認める。

 そしてほんの少しだけこの世界に希望を持てた。

 

 

 なあジェーン。お前に向き合ってくれる人がここにも居たよ。

 それも聖樹教会の修道女だ。笑えてこないか?

 

 

 そして決着も、すぐに追いついた。

 何十度目かの殴り殴り返されの後、頬を打ち抜かれたパトリシアが崩れ落ちそうになる。

 

「っ――――、まだだッ!!」

 

 執念で伸ばした腕がジェーンの砕けた肩を掴んで引きずり倒す。

 入れ替えた体勢はその勢いで拳に遠心力を与え、体重と共に振り下ろした拳がうつ伏せに地べたに叩きつけられた幼女のみぞおちに突き刺さる。

 

【……あ、ぁ】

 

 それきり動きを止める幼女。

 ジェニファーの経験上、まだ敵が生きているのに“こんな程度”の怪我で暴走が止まったことはなかった。

 いや、一度暴走を始めたなら、憎き聖樹教会の人間が目の前に居てそれを皆殺しにするまで止まったことなど一度もなかった。

 

 けれど、止まった―――認めたのだろう、憎しみに憎しみを連鎖することなく向き合い、痛みを理解しようとしてくれた修道女を。

 それが伝わったのか、パトリシアも安心して笑う。

 

 あざだらけで、でも最高の笑顔で。

 

「仲直りは、笑顔でハグ……ですよ!」

 

 それきり完全に気が抜けたのか、すとんと気を失ってジェニファーの横に倒れるパトリシア。

 もはや勝敗など誰も気にしていなかった決闘の終わりを見届けたクリスが神聖魔術の治療を始める中で。

 

 幼女のか細い右腕が―――修道女を抱き返すように胴に回されていたのだった。

 

 

 

 





 調子に乗った主人公が痛い目に遭う回(全身打撲、内臓破裂、鎖骨・左足骨折等々)

 今回なんかこうバトルシーン書き始めたら執筆のノリが止まらなかった。
 絵面想像したら普段から痛々しい幼女が別の意味で痛々しくなったという。

 とはいえこのTS幼女、暴走ジェーンが喰らった肉体の損傷の痛みを毎回ダイレクトに共有していた訳で、それでもなお厨二ムーブしてるんだからある意味鋼の精神である。
 もうちょっと別の方向性なら尊敬できたんだが……。


▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。