「よし、テスト勉強はバッチリだな。さっすが俺!偉いぞ俺!」
太陽が目覚めを知らせる早朝で、一人の少年が勉強に励んでいた。
彼の名は五十嵐瞬夜。見た目ではあまり分からないが筋肉質で、そこそこ鍛えられた体をしている。それ以外はいたって普通だ。彼の特徴は他の人よりもテンションが高く、よく周りを盛り上げているムードメーカー的存在。しかし、テンションが上がると周りの人にうるさいと思われたり調子に乗る所もあるのが玉に瑕の高校一年生。
勉強を切り上げ、机の上を片付けてそそくさと朝食の支度を始める。
朝食を作っているうちに、家族が起きてきた。
「おはよ~瞬夜。朝から勉強してたのかい?」
寝ぼけ眼を擦りながらゆったりとした朝の挨拶を済ませたのは彼の兄、五十嵐真日留だ。
「お、まひ。もうじきテストだからさ、五時起きで勉強してたんだよ。やっぱ高校入って発目のテストは大事だよな」
「前期中間から早起き勉強か~。僕は学校の授業だけで十分だったな~」
懐かしき高校時代を思い出し、真日留はソファに腰掛けスマホをいじる。
五分程たった後、今度は母親の三月が仕事の支度を終えた姿で二階から降りてきた。そしてそのまま玄関へ向かって行った。
「それじゃあみんな、行ってくるねー」
三月は靴を履きながら息子二人に挨拶を済ませる。いきなり挨拶だけして仕事に行こうとする彼女に、瞬夜は動揺を示した。
「え、母さん今日朝飯いらないの?」
フライパンの上に乗っている目玉焼きは、彼と兄、父、そして母の分の四つだ。
「あ、ごめん。今日コンビニで買っていくって言ってなかったね。三人で食べて~」
そう言って彼女は、玄関の扉を開けて仕事に行ってしまった。
「おいおいマジかよ。これで何度目だよ……」
瞬夜はため息を漏らしながら肩を落とした。
「あ~またかい?毎回毎回ご苦労さん。ママのそういう人を振り回すところ、全然直らないよね」
そう言い、真日留は苦笑しながら瞬夜を励ました。彼女の悪癖には、彼も手を焼いているようだ。
「人の癖ってのはなかなか直るもんじゃねーからな。それに、そもそも本人が直そうとしないから余計に質が悪い。勘弁してほしいよな」
呆れ顔で頭を掻きながら、焼き上がったトーストと、フライパンの上の目玉焼きを皿に盛り付けていく。そうこうしている間に、父の颯がようやく起きてきた。
「あれ、三月はもう行ったのか。あー……すっかり寝坊しちまったな。ま、いつものことだが」
颯は頭を掻きながら気だるげにぼそりと呟いた。彼が起きてくる順番は決まって最後だ。
「あ、パパ。やっと起きてきた。今日はいつにも増してお寝坊さんだったね」
真日留は父に優しく微笑んだ。その笑みはとても暖かく、見る者全ての心を浄化する。
「お、父さん、今度学校で──」
「あー悪い瞬夜、後でな。真日留。お前の大学のさ──」
何か話そうとした瞬夜を後にして、颯は真日留と大学の事について話す。自分にはまだ早い話をする二人を横目に瞬夜は朝食を食卓に運ぶ。一見、彼は何も気にしてないような素振りで運んでいるが、実は心の中では劣等感が渦巻いていたのであった。
「朝食、並べといたから。先食ってるぞ」
「ん、わかった。で、真日留──」
颯は、感謝も振り向きもせず話に戻る。瞬夜はいつもの事だと自分に言い聞かせながら、トーストを頬張る。彼の父が彼より兄を優先するのは日常茶飯事だが、たまには自分にも構ってほしいと、彼は常々思っていた。
「それじゃ、行ってくるわ」
朝食を食べ終わり、早々と学校へ行く支度を終わらせる。父と話すため話が終わるのを待つのも馬鹿らしいと思った彼は、その場から逃げるように家を飛び出した。
「あ、瞬夜行っちゃった。パパと何か話したそうだったけど、いいの?」
「うーん、もう少しで終わるところだったのにな。あいつには悪いことしたぜ……」
颯はばつが悪そうに項垂れた。しかし、ふと何かを感じたのか窓を開け、空模様を眺める。
「これは……大嵐がやって来るな」
彼は眉をひそめて独り言を呟いた。
帰りのHRが終わり、瞬夜はある約束のために教室でスポーツバッグに教科書やノートを詰め込む。すると突然、彼の首筋に冷たい感触が走った。
「のぉわっ!?」
あまりに唐突だったので変な叫び声を上げてしまう。彼の叫び声を聞いて、彼の後ろにいる黒髪でミディアムの少女が嬉しそうに笑う。
「あはは!いい反応!瞬夜って驚かされるの苦手だよね」
「お、おい綱来!心臓止める気か!」
綱来と呼ばれた少女はいたずらっぽく笑い、かぶりを振った。手には今買ったらしい缶ジュースが握られていた。
「だって今日、ちょっと暑いじゃん。だから瞬夜に少しでも涼んでもらいたいな~って思って」
瞬夜は、そんな彼女の言葉に呆れながらも、構ってもらえて少し嬉しそうだ。
「ああほんと、最っ高に涼めたよ。肝までガッチガチにね。それより、もうやるか?」
「うん!それじゃ、図書室行こ!」
そう、彼の約束は彼女に勉強を教えるという事だったのだ。
スポーツバッグを肩にかけ、並んで廊下を歩く二人。その時ちらっと見た窓の外の空が気になったが、あまり天気が悪いようなら早めに切り上げようと思い、彼はそれ以上は気にせず、別の事を考えながら歩いた。
「やっぱり、冷のこと気になる?」
綱来は腕を組みながらもの思いにふける瞬夜の顔をのぞきこむように訊ねる。その問いに、彼は不安げな面持ちで答えた。
「……まあな。なんつーか、あいつは急にいなくなるような奴じゃないからさ、すげー心配なんだよ。」
冷というのは、彼の小学校からの親友で、落ち込んだ時にいつも瞬夜を励ましていた。気さくで何かと瞬夜を気にかけてくれる。自分のことになると面倒臭がるだらしない奴。瞬夜はよく彼に助けられていた。
「警察も未だに見つけられてないみたいだし、信じたくはないが、もしかしたらっていうこともあるかもしれない。とりあえず、今は警察に任せて、俺達は本業のテスト勉強をしようぜ。」
そうこうしている内に図書室に着き、綱来は机に問題集を並べる。
「うーん、多いなあ!」
瞬夜は顎に手を当て、苦笑いしながら呟く。それを見て、綱来は少し申し訳なさそうに笑った。
「あはは……だってテスト明明後日だから、そろそろ分からない所聞いとこうかなって」
「全く……もっと早く聞きにくればいいのによぉ……で、どこがわかんねーの?」
「うーんとね、ここ」
「あーここか。これ、一見難しそうだけどこの公式を使えば一瞬で解ける。俺も今朝マスターした」
瞬夜は綱来に分かりやすく伝わるようにポイントを指差して説明する。彼女は相槌をうちながら聞いている。彼の説明は彼女にしっかり伝わっているようだ。
「あーすごい!簡単に解けた!じゃあ次はね、ここの、この問題」
「そこはこの文に注目してくれ。主人公がこう言ってるということは──」
瞬夜は淡々と説明を続ける。自分の疑問がどんどん晴れていく感覚に、綱来は感嘆の声を漏らした。
「よく分かるね~。中学の頃から思ってたけど、なんでそんな頭いいの?」
「へへっだって俺は五十嵐だぞ?五十の嵐。脳みそも嵐のようにぐるぐる回るってこった!」
瞬夜は、得意気に鼻を鳴らした。
「意味わかんない……」
彼独特のよくわからない言い回しに、彼女は苦笑した。そんなやり取りを続けている内に、天気はどんどん激しくなり、窓が「ドンドン」と音を立てる。まるで、風が窓を殴り付けているようだ。
「まずいな……いつのまにか嵐が来ていたのか……今朝はニュースを見忘れたから嵐が来るなんて知らなかったぜ……こんな事なら、折り畳み傘でも持ってくればよかった」
瞬夜は、腕を組んで窓の外を睨みながら呟く。その顔には焦りの表情が窺える。しばらくすると放送がかかった。風が強いため、しばらく学校に待機しろとの事らしい。
「綱来?そんな不安そうな顔するなよ。学校にいれば安全だって。」
瞬夜は何かを心配する綱来を励ます。しかし、彼女はかぶりを振った。どうやら、心配事はそれではなかったらしい。
「ううん、違うよ。妹の事」
「あー……そっか、唯一の家族だもんな。それじゃ、急いで帰るか」
「えっ!?放送で学校に待機してくださいって言ってるよ!?」
彼のその一言に綱来は驚愕する。しかし、彼は笑って聞き流す。
「大丈夫だって!妹が心配なんだろ?だったら早く迎えに行って、安心させてやろうぜ?」
自信ありげに微笑み、彼女の手を引いて図書室を飛び出す。そのまま廊下を駆け抜け、昇降口へと辿り着く。昇降口はまだ閉まっておらず、教員もまだいなかった。
「ちょ、ちょっと!?外は危ないよ!?雷も鳴ってるし……妹の事は心配だけど、外が落ち着くまで待ってた方がいいんじゃないの?」
こんな天気の中、本当に帰ろうとする彼に綱来は動揺を示した。しかし彼は、そんなことは気にも留めず靴を履く。そして綱来にも靴を履くよう促した。
「もー!これでなんかあったら怒るからね?」
「俺がいるから大丈夫だって。地下鉄だし、多分動いてるでしょ」
綱来は膨れっ面で靴を履く。彼女が靴を履くのを見届けた瞬夜は、振り返って学校から出ていく。そんな彼を綱来は小走りで追った。
「さすがに風が強いな!綱来、ふっとばされんなよ!」
風が強いため、瞬夜は普段より大きめの声で喋る。風が全力でぶつかってくるので、とても歩きにくそうだ。おまけに、傘を持ってきていないので、雨を直に浴びてしまっている。
「そういう瞬夜こそ、飛ばされないでよ!」
綱来は前屈みで返事をする。彼女も彼と同じく傘を忘れ、雨に当たり既にびしょ濡れになっている。こんな天気の中、彼女は学校から抜け出した事を少し後悔した。
「俺は五十嵐だぞ!五十の嵐だぞ!それに、このがたいで飛ばされるわけねーだろ!」
瞬夜は日頃からランニングや筋トレをしているため、周りの友人より少し筋肉量が多かった。そして毎度の如くよくわからない独特の言い回しに、綱来はこんな時でもぶれないなぁと溜息を吐いた。
突然近くに雷が落ちた。あまりに大きな音だったので、綱来は小さく悲鳴を上げて瞬夜に飛びついた。
「うおっ!だ、大丈夫か?綱来」
雷よりも急に抱きつかれた事に瞬夜は驚いた。雨の冷たさの中でも温もりが肌を伝う。瞬夜の反応に慌てて離す綱来。心なしか、彼女は少し顔が赤い。
「……しょうがねぇな。ほら」
そっぽを向きながら、瞬夜は手を差し出した。
「えっ……え?」
一瞬、綱来は状況を呑み込めずに困惑してしまった。そんな彼女に、瞬夜は不安そうに訊ねた。
「ダメ……か?」
「……ううん、えへへ……ありがと。」
頬を赤らめて、瞬夜の手を握る綱来。今となっては冷たい雨も雷がすぐそこで鳴っていることも彼女には気にならなくなったくれたようだ。
「よし、駅が見えてきたぞ。急いで入ろう!」
そう言い走り出した瞬間、二人の視界をオレンジ色の光が覆った。次に白い光が広がり、最後に目の前がどんどん暗くなっていく。自分の体が膝から崩れ落ちていった。薄れゆく意識の中、彼は指の先からすり抜ける綱来の手と、身体中に電気が駆け巡っている自分を感じた。
まだ異世界ではなく、日常です。