『―――本日のトップニュースです。時空管理局本部が襲撃を受けました。犯人は単身正面から乗り込み―――』
「物騒ねぇ、本部が襲われるなんて」
「あそこには最高峰のトップエースが構えている筈なんだが自殺か……? いや、突破したのか。凄いな―――全力でこっちに来てもらいたくはないが」
「あ、これお弁当」
「ありがとう。じゃあなシド、行ってくるぞ」
母さんとキスしてから父さんが頭を撫でて、そのまま家を出て行く。ぼーっとその姿を見送りつついつも通り朝ご飯を半自動的に、或いは無意識的に食べ終えたら、学校へと向かうための準備に入る。とはいえ、これもルーティーンだ。毎日同じことを繰り返せば意識しなくても勝手に体が動いて整える。着替えて、授業に使うものをカバンに詰めて、そして家を出るだけだ。何時も通りに準備を終えたら、授業で使う道具を入れたカバンを片手に、のそのそとした歩みで玄関まで出る。
「それじゃ行ってらっしゃいシド」
「行ってきます……」
母さんに出かけの挨拶をして玄関を出る。まだまだ、眠気で頭の方は重い。だが家を出れば、待ち構えているようにヴィクターの姿がある。その横にジークリンデの姿は―――ない。まぁ、これも学校に通うときに見るいつもの景色だ。ジークリンデは勉学を免除されているし、イングヴァルト兄妹はそもそも通っている学校が違う。同じ学校に通っているのは自分とヴィクターだけだ。まぁ、それもクラスが違うから一緒に勉強している訳ではないのだが。ただヴィクターはいつもいつも、欠かす事無く来てくれる。
「おはようシド」
「おはよ、ヴィクター」
「あら、今朝はそこそこ意識があるのね?」
聖ルディア小学校の制服姿で横を歩いている。髪は首の裏で三つ編みにされており、片手でカバンを握っている。歩幅を合わせて歩きながらゆっくりと頷く。
「隙を見せないのには、越したことがないから……ふぁぁ……」
「とか言いつつも意識は割と限界ですのよね。ほら、ちょっと髪が跳ねてますわよ」
「ん」
ヴィクターが手を伸ばして髪を梳いてくる。それを特に抵抗する事もなく受け入れる。ただ学校に近づけば余計な目も増えてくる。校門が見えてくる頃にはヴィクターから距離を開けて歩いている。と言っても結局は一緒に登校している。たださっきみたいに髪を梳かすところを見られたりすると、嫌味が飛んでくるのが面倒だ。
そうやって登校し、校門を抜ければこの一帯では一番大きな聖王教会系列の学校へとやってくる。聖ルディア小学校はベルカ人の中でも富裕層の通う学校であり、通っているのは基本的に金のある奴だ。
いわゆる上品で、社会に相応しい人を送り出す学校。
無論、聖王教会系列なので、聖王の教えもたっぷり学べる。
―――本当にそれで素晴らしい人間が育つのだろうか?
「……頑張ろう」
「えぇ、では放課後に逢いましょう」
手を振ってから去り、ヴィクターがクラスメイト達と合流する。楽しそうにクラスメイト達と打ち解ける姿を見て、自分のような奴じゃなくてそっちと付き合えばいいのになぁ、なんてことを考えながら一人で教室へと向かう。時折自分へと向けられる視線に小さな苛立ちを覚えながらそれを握り殺す。
……そう、忘れれば何も問題はない。
「……」
ヴィクターと別れてから無言のまま、クラスへと移動する。早く、一日が終わってくれないだろうかと思いながらクラスに到着する頃には頭もはっきりする。軽く欠伸を漏らしながら扉を開けて中に入る。
「おはよう」
小さくても聞こえる声で朝の挨拶をする。その声に反応して此方へと視線を向ける視線は多数あれど、まるで腫物を扱うように軽く頭を下げ、逃げるように視線をそらしてクラスメイト達との会話に戻る。こんな扱いにも慣れたものだった。
クラス内の自分の机まで歩くと、カバンを横のフックに引っかけて椅子に座る。眠気が覚めているので授業が始まるまで寝ているという事も出来ない。だから肩ひじを机に突く様にして、肩頬に手を当てて静かにホームルームの始まりを待つ。
話をするような相手は、
このクラスにはいない。
だからじっと、何かをするわけでもなく時間が過ぎ去って行くのを待つ。その間もクラスメイトがクラスに入り、楽しそうに語り合いながら席に着く姿を話す事も、視線を向けられる事もなくただ授業が始まるのを待つ。
―――このどうしようもない虚無感の時間には慣れている。
ただただ暇だから、適当にぼーっとして、特に何かを考える訳でもなく時間が過ぎ去るのを待つ。自分の耳に入ってきそうな笑い声やひそひそ声はシャットアウトする。そうして時が過ぎるのを目を閉じて待っていれば、自然と勝手に時は流れる。
やがてクラス内の喧騒は収まって行く。そしてそれと入れ替わるように足音が響き、クラスの扉が開く音に目を開ける。教室に入ってくる教師の姿はどことなくけだるげに見える。短い青髪の青年教師は教卓の前に立つとはい、と声を出した。
「ホームルームの時間だぞー。今日は特に連絡もないから点呼取ったら授業に入るから、教科書出しておけー」
「はーい」
他の学校がどうなのかはあまり良く知らないが、クラウスに言わせてみればこの学校は”良い子ちゃんばかり”らしい。それはクラウスのいる聖ヒルデも変わらないとは思うのだが、あっちから言わせるとこちらはお上品な部類に入るらしい。
ともあれ、点呼の後には授業が始まる。
さっさと机から教科書を、カバンから宿題を引き抜いて前を向く。
「シド、お昼を食べに行きましょ」
昼、授業が休みに入ると教室の前までヴィクターがやってくる。遠巻きに視線を向けてくるクラスメイト達はそれだけで、何も口にはしない。寧ろ自分が教室から出て行った方が息が詰まらずに済むだろう。カバンから弁当を取り出したら、何も言わずに教室を出て、ヴィクターと並んで校舎の裏庭の方へと向かって行く―――そこが、一番人が少ないからだ。ただ、ヴィクターの方は毎回ながら、不服そうな表情を浮かべている。
「相変わらずなんですわね」
「アレはアレで良いんだよ。変にかかわらないほうがやりやすいし。今更笑顔で話しかけられても困るし」
「もう、そんなことを言っているから友達が増えないんですのよ?」
「別に、増えなくてもいいしなぁ」
身内グループだけで満足している。これ以上交友を広める必要はないと思っているし、これ以上広めようとしたところで広まるものだと思ってもいない。第一、
「どうせ、僕が無能者だって知れば大体の人は落胆するし、或いは変に気を使ってくる。最初は良いかもしれないけどそのあとがめんどくさいし」
「私達は気にしてませんわよ?」
「そりゃぁ、ヴィクターたちとは生まれたときからの付き合いじゃん。今更気にしないでしょ」
でも違う。無能者は、魔力の存在しない能力の無い人は、社会的弱者と言われるらしい。
今、この次元世界で―――ミッドチルダで、魔法を使わずに暮らす人間はそこそこ多い。なぜなら発達した科学力によって魔法を使わずに生活する事が出来るからだ。そのうえで魔法を使えれば職業選択の自由や、やれることの範囲は一気に広がる。だけどそれを面倒に思って魔法を使わない人はかなり多いのだ。だって、魔法を使うとなると魔法を扱う分野―――それこそ危険なものにも触れる可能性が増えるからだ。いくら魔法で編むことができるバリアジャケットや戦闘装束、バトルスーツや騎士甲冑があらゆる非魔法的な物理的現象を拒絶する最高の鎧であるとはいえ、命の危険性は一定に存在するのだから。だから魔法を使わない生活を選ぶことはできる。
だけど
その気になれば彼らは魔法を使う事が出来る。命の危機、金銭の危機、或いは生活の為に。考えが変われば簡単にそこら辺を曲げる事が彼らの中には選択肢にはある。だけど無能者にはその選択肢がない。魔法を使いたくても使えない。魔力を電池の様に保存するカートリッジでさえ単価がそこそこあるのに使い捨てなのだから生活で多用する事なんてできない。
その差は大きい。
だからこそ、無能者は哀れに思われる。
―――ただ、自分の場合はそれだけに留まらない。
そこには面倒な事情が存在する。
例えば、血の話とか。
親の立場とか職の話とか。
或いは―――自分自身の事とか。
だから、
「別に良いよ。皆がいればそれだけで僕は満足だし」
そこから少し、踏み出す必要なんてないと思う。そう言いながら裏庭のベンチに二人で並んで座る。お弁当の中身は特別豪華、という訳じゃない。ここら辺はシンプルにミッド式を参考にミニハンバーグやライスが入っている。もうちょっとお肉がいっぱい入っていれば嬉しいなぁ、とは思うけど母さんは絶対に栄養バランスの事を口にして野菜を多めに入れる。特に苦手な野菜はないし、バターソテーのニンジンは弁当箱の保温性のおかげで、まだほのかに暖かく柔らかいから美味しい。
野菜が多めなのは気にならないけど……やっぱり、肉の方が好きだ。
「今はそれでいいかもしれませんけど、将来的にはどうするの?」
「将来の事は今言われても解らないよ……でも、きっとどうにかなるだろ」
嘘だ。
「ほら、騎士団って基本的に実力が全てらしいし。だったら無能者でも実力さえあれば就職できるし。そっち方面に進めば魔法のあるなしとか関係なくなるでしょ?」
嘘をついている。クラウスだったら呆れた表情を浮かべて嘘を指摘するだろうが、ヴィクターはそんなことを疑わない。笑みを浮かべながら頷く。
「確かにそうですわね……ならシドはスクワイア・チャレンジに出場する予定ですの?」
「―――」
12月の中旬に開催される、とある大会。15歳までの少年少女を対象とした聖王教会主催のクラッシュエミュレーターを使用した大会だ。これは将来有望な騎士候補、即ち従士を発掘する為に開かれている。出場制限は年齢だけで、それ以外はたとえ、既に従士であろうが関係なく出場できる。毎年一般参加枠からも多数出場しているが、やはり一日中訓練している従士と比べれば一般人の練度なんて大したものもない。だから決勝トーナメントになる頃には聖王教会の従士ばかりになっている。
だがここで勝ち残ったり、相応の活躍を見せた一般参加者はそのあとで、教会に従士としてスカウトされる。優勝なんてすれば確実だ。
金のない者、ワンチャンスを狙う者などは毎年この狭き門を超えて踏み込もうとしてくる。
だからこれに出場すれば―――自分にだって、騎士になるチャンスはある。
だが逆に言えばこれでダメだったら、もう、何をしても騎士にはなれないという現実を突きつけられる。
わずかな夢さえ見る事さえできなくなる。
だけど
自分の様な無価値な人間が見る事の出来る最後の夢。
「いや、良いんですのよ。そう簡単に取れる選択ではないでしょうし。それに……ほら、別に騎士にならなくたって問題ありませんのよ? 勉強して事業の動かし方とか覚えればうちに婿入りした時に魔法なんか使わなくてもまるで問題ありませんでしょう?」
ヴィクターは―――ヴィクトーリア・ダールグリュンは、親が選んだ許嫁相手だ。家の関係は良好だし、血の相性も悪くはないとか言っていた。だからであった頃から、結ばれる相手としてヴィクターは常にそばにいる。
ふとした、何でもない話にそれがヴィクトーリアの口から、当然の様に出てくる。
ミニハンバーグに突き刺しているフォークの動きを止めると、ヴィクターがこちらへと視線を向けてくる。
「どうしました?」
ヴィクターは、納得しているの?
当然の様に将来を一緒にする事を。決められることを。
自分の様な―――怪物と一緒に居る事を。
毎日毎日一緒に登校して、世話をして、時間を都合して。それが面倒で苦しくて、嫌にならないのだろうか? 恐ろしくないのだろうか? つまらなくないのだろうか。自分なんかと一緒だから離れる人だっていただろうに。
自分といて、息苦しくはないのだろうか……?
だけどそんな言葉を口にするだけの勇気はない。
だからフォークを持ち上げて、頭を横に振る。
「いや、何でもないよ」
そう、何でもない。面倒なのも苦しいのも、自分が口に出さず我慢すれば良い。人よりも頑丈な体をしているんだし。少しぐらい生活が苦しくたって―――特に、希望を抱かずに我慢して生きれば何とかなる。
特別な事を期待せず、特別になる事を目指さず、下手な希望や欲望を抱かずに。
ただただ、毎日―――普通である事を望む。
その日常だけで、良い。
ほかには何もいらない。
高町なのはは9歳で諸行無常を悟った。シドは9歳で自分の存在の無意味さを悟った。
なのは世界って9歳児に何らかのカルマを背負わせる義務でもあるの?