―――気が付けば全力疾走していた。
頭の中は空っぽで、何も考えられず、何も浮かんでこない。ただ体中が痛んで、そして酸素を求めて肺が苦しかった。それでも走ることはやめられない。ヴィクターの攻撃の一部はどうやら、エミュレートを貫通していたらしく、膝は砕けたままだった。それでも全力疾走で逃げ出していた。そう、逃げてしまった。耐えきれずに。
「はぁ、はぁ、はぁ―――」
息を切らせながら、街を駆け抜けた。遠くへ、遠くへと逃げるように。自分の事を知っている人が誰もいないところを目指すように遠くへと向けって全力疾走する。一日の疲労とダメージが残っているから、足取りは重い。それでも、この体は強い。単純なダメージだけなら既に治りつつあるのだから。そのおかげで街を抜け、次の街に入って、更に遠くへと向かっていた。どこへ向かうだなんては解らない。だけどなるべく遠くへと行きたかった。ここではない場所へ。自分の知らない場所へ、どこか―――どこか、自由があるような場所へと。
吐き気を覚える。忘れようと走りながら痛みで思考を散らす。それでも何度も何度も脳裏を駆け巡る、ステージでの出来事が精神を蝕んでくる。それを振り払いたくて、もっと早く走ろうとして、痛みを訴える体がそれを阻む。どうして、どうしてなのか、どうしてこうなってしまうのか。こうなってしまったのか。こうなるしかなかったのか。どうして。
そんな事を自分に問うても答えはやってこない。
答えなんてものはない、と良く理解しているのだから。
「はぁ、はぁ、はぁ……」
少しずつ、走るペースを落として歩き始める。がむしゃらに走っている間に知らない所までやってきてしまった。思えば近所と、聖王教会の周りでしか生活していないのだから、街の外へと走って行けばすぐに道を失うのは道理だった。とはいえ、今更家に帰る気もせず、
ただ、歩く。どこかに向かって。どこかへと向かいたくて。
でも行き場もなくて、足を止めてしまう。
見慣れない街、見た事のない道路、知らない店、誰かも解らない人たち。
自分の知らない事ばかりの中で、一人で足を止めて立ち尽くす。なんで、こんなことをしているんだろうと思って。
「はぁ……」
息を吐き出しながら邪魔にならないように道路の端へと体を寄せる。誰かの顔を見る事も出来ないぐらいに心は打ちのめされていた。確かに、覚悟はしていた。だが実際そうやって経験するとまるで違っていた。足を止めれば痛みが引いてゆき、逆に頭は先ほどまで経験していた出来事で埋め尽くされる。
空気が震えるほどの賞賛の声。
近づいてくる聖騎士の姿。
煽る実況の声。
告げられる当然の結末。
「ッ」
頭の痛みを覚え、片手で頭を押さえながら近くの壁に寄り掛かる。負けるだけならまだ良かった。そのうえで続く言葉が、アレとか、最悪極まりない。哀れだ。何よりも、自分が。必死に頑張ったのに、なのに負けた相手が欲しいものを持ってゆく事になるなんて。本当の意味で無意味な戦いだったんだ。勝っても負けても結果は一緒。勝ったところで勝利に意味はなく、負けた事と結果としては何も変わらない。
憐みの視線、空気、声、感情。
そのすべてが煩わしい。あれだけ強さを証明しても魔力を持たない、リンカーコアを持っていないというだけでまるで障碍者の様に扱われる。あれだけの人の前で圧倒的な力を見せても、だ。それでも全くダメだった。どれだけ強く、どれだけ圧倒的でも、社会の生み出した価値観にそぐわない時点で敗北者なのだ。
「はぁ……どうしたら良かったんだろう」
どうしたら、良かったんだろう。その事を考えていても……やっぱり、答えは出ない。或いはそんなものはないのかもしれない。
「情けない……」
息を吐き出し、自分自身を罵倒するように呟く。
耐えきれなかったから逃げ出してしまった、話が終わった途端に。自分じゃなくて、ヴィクターがその栄誉を受け取る事になった事実が受け入れられなかった。俺の方が強いのに。俺の方がもっと強くて、戦えるのに。だとすれば騎士にだって俺の方がなれる筈なのに。なのに―――なのに、権利はヴィクターが得た。しかもそれだけじゃない。
それを、ヴィクターは蹴ったのだ。鮮明になるビジョンに頭が痛みを訴える。
「―――その権利は、私にはふさわしくないと思います」
ステージ中央、横に並んだ状態でヴィクターは聖騎士を前に堂々とそれを言ってのけた。戦いが終わった直後でぼろぼろのまま、痛いであろう体を無視して。ヴィクターの攻撃がエミュレートを貫通していたように、此方の攻撃もまたエミュレートを貫通していた。互いに入院を求められるようなダメージを負いながらも、その一切を無視してステージの上に立っていた。だがその中でも、ヴィクターは輝く様に姿を見せていた。敗北してもなお気高く、間違っていることは間違っていると声高らかに告げていた。
「シドは強いです。そして強いからこそ彼は勝利しました。私が魔法を駆使し、体術を駆使し、そしてお金をかけてデバイスを用意しても、それを資質と才能と素質で補い、勝利しました。彼はその身一つで魔法は不要である事を証明しました。えぇ、確かに魔法は使えません。騎士になる前提として魔法が必要だと言われれば私は口を閉ざすしかありませんでしょう」
ですが、と言葉を続ける。
「彼が栄誉を受けられないからと、それを繰り上げて授与するという暴挙を私は絶対に、受けられません。シドは私よりも強く、そして私よりもはるかに騎士として相応しい姿を見せています。彼が騎士になれないのであれば、私こそ騎士になる資格なんてありえませんわ!」
それを何の迷いもなく、言った。自分は弱い、と。負けた事を気にしてない事なんてありえないだろう。だけどヴィクターは敗北を認めた。認めた上で、相応しくないと断言した。
そこにはヴィクターの優しさが見えた。
そこにはヴィクターの慈愛が見えた。
そこには、ヴィクターが守ろうとする心が見えた。
彼女は敗北し、全力を出し切って、誰もが羨むであろう権利を蹴り飛ばしてでも、心を守ろうとしてくれた。
その予想もしなかった返答に聖騎士は少しだけ困ったような、解っていたような表情を浮かべて、実況者は言葉に、返答に困っていた。その瞬間のヴィクターはこのスタジアムにいる誰よりも格好良く、輝いていて、
―――そしてそれだけ、俺が惨めだった。
俺は、どうして、あんな風になれないんだ。
「どうして……」
羨ましかった。あれだけ言えるヴィクターが。悔しかった。なんて事はない、と言い返せない自分が。そう言えれば全てそれで済んだのに。それで済ませられなかった自分の情けなさが悔しい。きっと、自分の様な弱者はどれだけ頑張っても絶対に報われない。何よりも心が卑しいから。与えられても、それを僻んでしまう。純粋に受け入れる事や受け取る事が出来ない。生きているだけで回りを不幸にするようなものだ。
やはり―――俺は、生まれた事そのものが間違いだ。
「こんな怪物、生まれてこなければ良かった」
そこに、結論として行きつく。
どこかに、消え去りたい。その願望と欲望が心に渦巻く。どこか遠くへ、だれにも迷惑をかけない場所へと向かいたい。そうして誰にも気づかれる事もなく、迷惑をかける事もなく消え去る。そうすればきっと、全部良くなる。
だって、何を努力しても無駄なのだから。
存在するだけ、意味がない。
生まれてこなければいいし、存在しなければいい。それだけの話だ。
そう考えれば、また足が動き始める。
もっと、遠くへ。誰もいない場所へ。誰にも迷惑をかけない場所へと向かって歩き出す。そう言えば、廃墟都市群なんて場所があったはずだ。一度も行ったことはない。だけどそこには犯罪者や、居場所を失った人ばかりが流れ着く先だとして、有名になっている。あの管理局でさえ奥にまで踏み込むような事は危険性から行わない。
そこに行けば、何もかも失えるかもしれない。
半分自棄にも近い感情でベルカから逃げ出すように歩き始める。
何もかもを諦めたい。頑張るのに疲れた。ひたすら無気力感が包む。死ねればいいのに。そう思って、近くを通る車を眺めた。
この道路に飛び出せば何も、考えなくて良くなるかもしれない。そう思い、通りを走る車を眺めていると、
不意に、体が持ち上がった。
「あっ」
「―――やっと見つけたぞ」
持ち上げられた体はそのまま高く掲げられ、肩の上に乗せられるように降ろされた。視線を下へ向ければ、見慣れた金髪が見えた。視線を上へと向けてくるのは頼りになる大人の顔で、大好きな父さんの姿が見えた。その言動から探し回られた事を察し、居心地の悪さに口を閉ざす。だがそれを気にする事もなく父さんは肩車したまま、良し、と声を張る。
「行くぞシド」
その迷いのない表情に首を傾げるが、父さんは笑みを浮かべて言った。
「母さんには内緒だぞ?」
悪戯をする様な表情を浮かべた父さんに肩車をされたまま、連れ去られた。
そうやってやってきたのは、近くの河原だった。ただし、父さんの片手にはさっきコンビニで調達してきたものがいくつか。草原におろされると横に並ぶように父さんも腰を下ろし、プラスチックの袋から父さんが色々と取り出した。たばこの箱とか、缶ビールとか、ジュースとか、菓子パンとか。お小遣いの関係で普段は買わないようなジャンクフードとかを大量に。それを全部、父さんがポケットマネーで支払ってくれた。結構食べた事のないものも多く、ちょっと驚いたりもするが、そういう困惑を他所に父さんは気にすることもなく、たばこを吸い始めた。ただし、ちゃんと魔法を使って煙がこっちに来ないようにしたり、灰に気を使っている。
こうやって父さんがたばこを吸う所を見るのは、地味に初めてだったりする。
「父さん、たばこ吸えるの?」
「お前が生まれてくる時に止めたんだよ。子供の前で吸うのもどうかと思ったしなぁ。だから母さんには秘密だぞ? ほぼ10年ぶりに解禁してるからな」
そう言って父さんは苦笑した。好きに食べろ、というもんだから菓子の一つにも手を伸ばすが、それを開ける気にはなれなかった。それを理解しているのか、父さんは袋を開けようとする所で手を止めている此方を見て、たばこを咥えたまま苦笑した。
「まぁ、そんな気分にはなれないか」
「……」
そんな父さんの言葉に対して、何かを返す事は出来なかった。ただその代わりに、父さんは言葉を続けた。
「おめでとう、と素直に祝福が出来れば良かったんだがなぁ……まぁ、俺が解っていて何もできなかったのも悪い」
「そんな事はないよ!」
父さんの言葉に、立ち上がりながら声を返した。
「父さんは頑張ってるよ! 僕の為にいっぱい頑張ってくれている!」
必死に父さんの言葉を否定する。そんな、言葉を言わせたかったわけじゃない。だというのに父さんは頭を撫でてくる。大丈夫だ、と伝える様に。その大きく、温かい掌は優しかった。
「良いんだよ。俺も、お前が賢い子だからって甘えていた部分はある。俺も、なるべくお前に将来に向けて選択肢を残してやりたかったんだけどなぁ」
少しだけ、困ったような表情を浮かべた。
「ちょっと、難しそうだな」
自分が、それは、
「僕が、悪いから……」
リンカーコアを持って生まれなかったこと、それが全て悪いのだ。だから父さんは、母さんは、何も悪くはない。だから困ったような表情を父さんには浮かべて欲しくない。だけど父さんは違うのだ、と頭を横に振りながら否定する。
「もし、罪がシドにあるとすればそれは、お前を産んだ俺と母さんに問題があったという事だ」
「そんな事はない!」
否定すれば、父さんが頷く。
「そうなんだろう。じゃあ、俺にも、母さんにも、勿論シドにも問題はないんだ。きっと、俺達家族のだれもが悪くはないんだ」
じゃあ、いったい何が悪いのだろうか。誰が悪いのだろうか。なぜこんなにも苦しまなければならないのだろうか。どうしてこんなにも満たされないのだろうか。どうして、どうしてだろう。その答えを求めて視線を父さんへと向ければ、父さんは少しだけ困ったような表情を浮かべるも、直ぐにそうだなぁ、と声を零す。
「色々とあって俺と母さんでお前の為に色々と選択肢を残してやりたいなぁ、と思って頑張ってきたけどやっぱり権力には勝てないからなぁ。そう見れば聖王教会が悪いのかもしれない」
「じゃあ……」
「だけど連中も必死なだけだ。ベルカという文化は少しずつだが次元世界という広大さの中に飲み込まれている。時空管理局と役職を兼任している騎士が増えているからなぁ……将来的には聖王教会も時空管理局の下部組織か、解体されて組み込まれる時が来るかもしれない。それを回避する為にも必死なんだよ、猊下も」
気持ちは解らなくもない、納得は出来ないが。父さんはそう言って遠くを見る。
なら、だれが悪いのだろうか? その質問に、父さんが答えた。
「誰も」
そう答えた。
「誰も、悪くない。単純に星の巡りが悪かっただけさ。我が家の」
申し訳なさそうに、父さんが謝る。
「ごめんな、シド。本当に。どうにかできれば、ってずっと思ってた。だがこうやって決定的な日を迎えてしまった。そこは完全に俺の実力不足だ。お前に夢を見せる事さえできない不甲斐ない父親ですまない」
「そんなことないよ。父さんはいつだって強くて、優しくて、すごく頑張ってくれてるよ」
その言葉に父さんは小さく笑って、頭をまた撫でてくれる。
「シド」
「うん」
「今回の件で、ベルカを離れようかと俺は考え始めてる」
「……うん」
「ただ、まだ確定した訳じゃない。ベルカにいる限りは今回みたいな事が何度も起きると思う。だからいっその事ベルカを離れて、魔法のない世界で暮らし始めようかと今母さんと話し合っているんだ。たぶん、その方が俺達家族にとって幸せになれるだろうし。管理外世界で魔法のない所……チキュウって世界に今は目をつけててな? ベルカよりは文明力は落ちるけど住みやすそうな世界なんだ」
「でも……」
「言いたい事は解るし、まだ決めた事でもない。無論、ベルカに残って教会の影響を抜けたいなら他にも選択肢はある。実はロフリッド―――エレミアの方から、お前を預からせてもらえないかって聞かれててな。ベルカに残って教会の影響を断ちたかったら、そっちに頼るって手もある」
「……」
父さんの話を、無言で聞く。
「このままが良いと言うのなら……ダールグリュンに婿入りする事になるだろう。まぁ、今までの生活とほぼ変わりはないだろうけど。戦う事は捨てる必要があるかもしれない。逆に騎士になる事を諦められないのなら……」
諦められないのなら、と言葉で区切り、言いづらそうにしてから話を続けた。
「……ヴィヴィオ様に婿入りだろうな。その代わりに騎士をさせてくれ、と猊下に頼み込むことぐらいは出来る。此方からアクションをかけるならこれぐらいの要望は通してもらえると思う」
「父さん……」
「苦労とか、そこらへんは気にしなくていい。お前は俺の子なんだ。お前の為に苦労する事は何も辛くはない。寧ろこれが子育ての大変さか、って同僚に自慢できるくらいだ」
父さんは優しく、そして強かった。母さんも同じぐらい強く、やさしい。笑顔を浮かべる父さんは自分ではどうしようもない事に解決策を持ってきてくれた。
それが凄くて、頼りになって、嬉しくて、
―――そして何もできない自分がもっと惨めに思えた。
優しすぎる相手と自分を比べてひたすら惨めに思う。結局、戦えること以外のアイデンティティを見いだせてないから、手伝われるたびに自分が嫌になる。だけど一人で頑張っても絶対に実らないので死にたくなってくる。
これが負のループってやつだ。