―――じゃ、出立は1週間後だから。
そう言ってその日は解散した。元々1か月は残るという話だっただけに驚いたが、マリーアと聖王の間で何らかの報告が行われ、その結果出立が早まったというだけの話だった。あまりの短縮速度に準備はどうしようか、という話も一瞬上がったが、結果から言うとこの手の準備というか道具の類は、大体フォゥかマリーアが聖王の金で俺とイリスの分を揃えてくれるという話になっていた為、荷物を纏める事以外にやる事がなかった。
つまり、特にする事がなかった。
マリーアと話してこれから何をするのかを口にして、そのまま1か月待っていてくれ……というのは個人的な興奮を含めて無理があった所ではあるので、助かると言えば助かる事だった。ただ、そんな会話があった日の夜は、色々と考え事をしてしまって眠れないのも事実だった。普段通り全てのスケジュールを消化して眠る時間を確保し眠る―――眠る事もまた鍛錬の一貫で、完全にコントロールしなくちゃいけない話だとは聞いている。それでも頭の中を巡る考え事に飲まれて目が冴えていた。
ベッドの中で何度か寝返りを打つように転がりながらも眠れなさに、外が暗い事を自覚しながらも起き上がってしまった。
「……少し夜風に当たってれば眠くなるかな」
上下が青のパジャマ姿のまま、靴を履いて自分が使わせて貰っている部屋を出て、そのまま診療所の裏手から裏庭へと出る。流石に皆が寝ている時間あって診療所内も、街の方も静かだ。裏庭に置いてあるベンチに座り、ふぅ、と息を吐きながら夜空を見上げる。
「……夜空だけは全く変わらないなあ」
いや、ベルカ自治区で……次元世界・ミッドチルダで見ていた夜空よりも綺麗な様に思える。この大地はミッドチルダよりも遥か多くの血を吸っているのは事実だ。だがそれよりもエネルギー関連の開発が少なく、石油をはじめとする燃料エネルギーが運用されていない。使用されているエネルギーの種類は魔導エネルギーか、蒸気がメインで電気系統はほぼ開発が進んでいないらしい。あるとしても魔力を電力へと変換するシステムだけで、ベルカのエネルギー関連は非常にクリーンだ。
その為、このベルカの夜空は汚染のされていない、綺麗な夜空となっている。ミッドチルダで見上げた夜空よりも遥かに澄んでいて、美しいのだろう。でもこうやって見る分には過去も未来も同じ空を見上げている様に感じられる―――まあ、細かい違いはあるんだろうけど。
僅かに聞こえる遠くの声に人がまだこの時間でも起きているのが解る。通りの方へと視線を向ければ、こんな時間でも見回りを行う兵士の姿が見えた。こっちへと向けられた視線、軽く頭を下げると兵士の方もにっこりと微笑んで手を振ってくれた。心の中でお疲れ様です、と呟いてもう一度空を見上げる。
「遠い所に来ちゃったなあ」
本当に、本当に遠い所へと来てしまった。もう、家には帰れないだろう。帰ったとしても犯罪者だ……一生家の敷居を跨ぐ事もないだろう。
「父さん、母さん、ごめんなさい……」
祈る様に両手を組んで、頭を下げて額に拳をあてた。ごめんなさい―――貴方達の子供は、愚かでした。悪い子でした。今更どうにかなる事ではありませんが、本当に申し訳ありませんでした。どれだけ後悔しても足りないし、どれだけ謝っても足りない。行った事、殺した命に罪悪感は覚えない。だけど受けた教育と常識で、自分がどれだけ愚かな事をしたのかはちゃんと理解できる。どれだけ間違った事をしたのかも理解出来る。自分がどれだけ救いがないのかも理解できる。だから全ては俺の責任だった。
「なんて馬鹿な事をしたんだ……」
あの時、どうして……どうして頼らなかったんだ。自分を責める。
「―――仕方がなかったのよ、貴方は。貴方は悪くないわ」
だけどそれを否定する声がした。診療所の方へと視線を向ければ、そこにはイリスの姿があった。彼女も彼女でパジャマ姿で外に出てきた様だ。季節は春に入り始めた頃だ……まだ少々夜は涼しく感じる所もあるが、それでもパジャマで過ごせる程度の涼しさだ。裏庭へとやって来たイリスは近づいてくると、横に座った。
「何度も言うけど、あれは貴方は悪くないわよ。元々抱えたものがあったのを知っていたのをあたしやあの糞爺が利用した形よ。背中を押されなければあんなことにはならなかったのよ。だから責任は貴方にはないわ」
普段よりも柔らかい口調でイリスが話しかけてきた。だがそれに対して俺の答えは違う、と頭を横に振った。
「煽られたし背中は押されたのは事実」
だけど、
「実行したのは俺。そうするって実行したのは俺。それは何を言われても絶対に変わらない事実なんだよ、イリス。あれだけの人を一方的に楽しく殺したのは俺なんだ」
言い訳は出来ない。というかしちゃいけない。殺して回ったのは俺なんだ。
「クラウスに相談すれば良かったし、父さんも母さんも俺がもう嫌だって言えばきっと魔法を使わない世界へと移住する事だってしてくれた筈なんだ。だけど全部抱え込んで、全部我慢すれば良いって自分で考えて……それで我慢できずに破裂したのは俺が悪いんだ。他の誰かを責める様な事をしちゃいけないんだよ、これは」
俺が向き合わなきゃいけない罪。人を殺したという事実。何よりも俺がそれに罪悪感を覚えていないという、最も大きな罪と向き合わなければいけない。そうしなければ俺はオリヴィエと向き合う事さえ許せないだろう。あの娘の前に再び立てる様になるには、俺が俺自身を認められるぐらいにならなくてはいけない。
……心も、体も。
「だから俺はイリスのせいにはしないよ」
「……じゃあ、私はどうしろって言うのよ」
掠れるようなイリスの声が横からする。視線を向ければ、俯きながら言葉を吐き出すようにしていた。
「殺されたはずの親代わりが黒幕で友人に罪を擦り付けて、その友人をずっと憎んでて……だけどその憎しみは見当違いで。復讐の為なら何をしても良いって自分に言い聞かせて悪い事をいっぱいしたわ。なのにそれすら全部間違いだったなんて、どうすればいいのよ。もう、ユーリもキリエも誰もここにはいないのに」
イリスの食いしばる様に吐き出された言葉は、イリス自身の多大な憎しみが乗っていた。だがそれが向けられる先は他の誰かではない、自分自身だ。イリスは己のやった事を後悔しているんだ―――それだけで彼女が本来は善良な性根を持つ人物であるのが伝わってくる。だけど、
「そんなの、知らないよ。俺の方が知りたいよ。どうすればいいんだよ」
人を殺した罪は、どうすれば償えるのだろうか? そんな事俺が知りたい。でも一つ解るのは、
「でもイリスがどれだけ贖罪だって言って俺の事を手伝って……ありがたくは思うし、助かってるけど。だけどそれは違うよ……ってしか俺は言えないよ」
「それはっ……」
イリスが何かを言おうとして、俯いた。彼女には明確な答えがある。俺という被害者が目の前にあるからだ。だけど俺はそれさえもない。だから暗中を模索しているような感覚だ。イリスが救いを求めようとするのも解る。だけどそれに俺を利用しないで欲しい、と思う。
「結局さ」
「……」
「向き合うしかないんだよ……それで何が出来るの? って言われたら俺もなんも解らないけど……」
罪から逃げる事は出来ない。その意識は覚えている限り永劫残る。或いは、罪を罪だと思えないような人間なら話は別だったのかもしれない。だけど俺もイリスも、それを忘れて生きるには善良すぎたんだ。だからこうやって思い出してはその意識に苦しまされる。永劫抜け出せないこの意識とは向き合って、認めて、その上で背負って生きて行く事でしかどうしようもないのだろうか? それとも別の答えがあるのか? 解らない。結局俺もイリスもまだまだ子供で、世の中を知らないというのが事実だ。
「ねえ」
「うん」
「あたし……邪魔?」
「邪魔じゃない。だけど勝手に贖罪って思われて満足されるのは……もにょる」
「……言いたい事は解るわ。ごめん」
「いや、いいよ。俺、基本的に口下手というかコミュニケーション苦手というか……言うべき事は色々とあるし、もっと口にして伝えたほうが良いんだと思う。だけど結局、それを口にした時の変化が怖くて何も言えずに飲み込んじゃうから……」
俺がそんな事を言って良いのだろうか? 俺がそんな事を言うのは間違えていないか? 不快な気持ちにさせないか? そんな気持ちを抱いて言うべき言葉を飲み込んでしまう。だからこそすれ違うし、何も改善されない。もっと口に出して主張するべきだと解っていても、その後の事を考えると躊躇してしまう。だから俺は人に何かを伝えるという事が下手なんだと思う。それを改善できてればこういう事もなかったのかなあ、とは思わなくもない。
「……難しいわね」
「難しいよ。でも俺、立ち止まる訳にはいかないから。やらなきゃいけない事は解ってるから……止まれないよ」
「……」
俺はオリヴィエを救う。救いたい。この数か月、ゆっくりと考えながら出た結論だ。
「例えどれだけ間違いを犯しても、自分の存在そのものが間違いだったとしても……また、オリヴィエが笑っていて欲しい。未来に対して希望が持てるようにいて欲しい。どうか、穏やかで健やかな日々を送っていて欲しい。その裏で俺という存在が消費される事が前提なのなら……それも、それで良い。やった事に対する責任を取らなきゃいけない。だから俺は、オリヴィエを救うんだ。そう決めた」
それが俺が自分に対して課したこと。
そうだ、結局、
「罪が消えるかどうかなんて解らないから……自己満足できる範囲でやれる事をやらなきゃいけない……って思うんだ。勿論、何もしない人もいるだろうけど。でも結局は自分の心の問題だから」
「自己満足、か。まあ、そうよね。結局あたしがやっている事も自己満足になるし明確な答えがない以上納得できるかどうか自己満足になってしまうか……」
此方の言葉にイリスは言葉を少しだけ吐いてから黙り込み、数秒程沈黙が戻る。そして、再び言葉を放つ。
「ねえ、そう考えると贖罪も復讐も本質的には一緒なのね」
「一緒?」
「そう、性質は真逆よ。だけど復讐と贖罪……結局求めるのは自分の納得。自分の中にある感傷や感情に対する納得よ。どっちも結論から言えば自分の為の行いなんだから随分とエゴイスティックなのよね……って話」
「……あぁ、成程」
確かにそう言われればそうだ。結果として納得するのは自分なのだ。誰かの為に! と口にして贖罪する人、罪の意識から逃げられない人。結局は自分の心が助かる為の行いなのだから本質的には同じ様な事なんだろう。イリスに言われてその事実に納得する。
「なら贖罪……続けるのか?」
「続ける。あんたが見当違いだって言ってるのは解るわ。それでも結局はあたしがあんたに対して、そうやって贖罪しないと自分の行動に対して納得できないのよ」
「イリスがそれでいいなら俺はそれで良いと思うよ。助かってるし。文句は本当に何もない。寧ろイリスがいてくれるおかげで今の俺がある訳だし……って、今まで真面目に感謝したことなかったな」
改めてイリスに向き直りながら、その両手を取って頭を下げる。
「ありがとう。君がいてくれなきゃ今の俺はいない」
真摯に感謝しようとすると、イリスがそっぽを向いた。
「止めて。本当にそうやって感謝される為にやった訳じゃないんだからさ……うん、解ったから、感謝してるのは。だから……いや、まあ、いいわ別に。うん、私も自己満足の為にあんたを助けたわけだし」
そして、
「これからもそうするわ。結局、元の時代に戻る方法は知らないし、解らないし、戻れるかも不明よ。そうなると私にあるのはこの身とフォーミュラと、あんただけだからね」
「利用してく?」
「言い方が悪いわよ! ……もっと、こう、寄り添って行く……?」
「なにそれ」
「的確な言葉が見つからないのよ……こういう事、始めてだから」
「それは俺もだよ」
イリスと視線を合わせ、くすくすと、夜である事を考慮して小さく笑い声を零す。こんな時代に落とされてしまったが、こんな時、自分の境遇を共有できる人が一緒にいる事が何よりもの救いだった。だけど俺達の関係はそのまま、普通の関係だとは言えないだろう。
「なんだろう、俺達の関係。なんて言えば良いんだろうな……」
「協力者とも仲間とも違うわよね」
そんなまともなものではなくて、言葉を変えてみると……こう、
「……仲間と言うよりは共犯者よね。歴史に対するというか」
「あ、なんかかっこいい」
「今そういう話してた?」
視線を見合わせながらもう一度軽く笑った。この時代に何も持たずに落とされた俺達だが。
実の所、状況はそこまで悪くはなかったのかもしれない。幸運にも善き人達に拾われ、助けられ、そして何とか前に進む道を見出している。
先は見えないが、それでも明日は悪い日ではなさそうだと、今は思えていた。
都合の良い女にはなるべきではない。自分の目的を見据えて自立するべき。そういう話。