Job - 1
全力で前へと向かって飛び込む。相対する黒は構えを解く事なく迫るのを待ってくる。故に飛び込みから蹴りを繰り出し、素早く拳を突き出す。
一撃、二撃。黒はそれに素早く反応し蹴りを脚で受け止め、拳を手で弾いて完全に無効化する。だがそれで諦める事もなく連続で拳を放つ。なるべく小さく、最小限のモーションで最速の突きを、それを意識して攻撃正面に叩き込む。右、左、蹴り、そこから拳に戻る。素早いラッシュは素人が相手であれば間違いなく通る速度は出ている。だが相手は素人ではない。生まれる前から経験を継承している黒の一族の1人。素人に毛の生えた程度の攻撃で揺らぐ筈もなく、
「ここだよ」
緩い声と共にカウンターが飛んでくる。ガードする為に片腕を差し出すも、受け止める衝撃が腕を伝わって全身に響く。左腕を犠牲に素早く体を引くも、黒は容赦なく踏み込んでくる。
「あー、ダメダメ」
そのまま次の拳が飛んでくる。魔力の強化もされていない素のままの身体能力だが、拳に対して重量を乗せる意識が違う。だから拳で繰り出せる威力が違う。先ほど自分がやったことのおかえしといわんばかりに素早い拳のラッシュに蹴りが織り交ぜられ、なんとかそれを捌こうと両手と片足を使ってガードする。だが三発目をガードする頃には両手が痺れ、反応が鈍くなり、そのまま片腕を握り取られ、
「よっと」
「うおっ」
引っ張り寄せられる。そのまま密着するように体を寄せられるとぐるん、と体を回す様に足を引っかけられ、視界が回転する。真っ逆さまになり、頭から地面に向かって落ちる―――となった瞬間、更に体が回転して背中から叩きつけられ、そのまま腹の上に座られる。両手を台の字にして大地に倒れ伏したまま、人を椅子の代わりにして座る黒―――ヴィルフリッド・エレミアの姿を見た。男とも女とも見える中性的な顔立ちの少女は得意げな表情を浮かべながら勝者として見下していた。
「駄目だよ、シドは。シドはただでさえ魔力が使えないってハンデがあるんだからもっと丁寧に戦わないと。考えなしに速度勝負に持ち込んだらふつーに上回れるよ? 速度ではどうしようもない領域で勝負を仕掛けなきゃいけないんだからそこを気を付けなきゃ」
「ふぅー……ふぅー……うっし、もう1回宜しく」
「いいよ」
頼むとヴィルフリッドが腹の上から退いてくれる。手を伸ばして引っ張り上げてくれると再び距離を取り、構えを取りながら待ちの姿勢に入る。初撃はくれるというスタイル、色んな打ち込みが試せて助かる―――どうも、ヴィルフリッドを突破できるというイメージは湧いてこない。根本的な実力が違う感じがする。ただ、それを相手がエレミアだからと諦めていちゃ一生負け犬のままだ。
だからまた飛び込んで、少し考えて攻撃を繰り出して、再び地面に背中から叩きつけられてヴィルフリッドに腹の上に座られる。
「リッドー、そろそろ俺と交代しようぜ」
「いいよー。じゃあ僕は水でも取ってくるかな」
立ち上がったヴィルフリッドは水分補給へと向かい、息を荒く切らせたまま空を見上げていると、トッドがやってくる。影を差して見下ろしてくるトッドが手を伸ばす。
「よう、大丈夫か兄弟。リッドの奴容赦しねーからな」
「容赦しないのはトッドも一緒だろ。どっちも同レベルだよ」
「はは、違いないな」
トッドに引っ張り上げられながらもう一度立ち上がる。軽く体を動かして解し、トッドから距離を開けて構える。それに合わせてトッドも構え―――再び、格闘訓練に戻る。当然、その戦績は全戦全敗という連敗記録を重ねて行くものになる。攻撃? そんなものが一発も通る事もなければ届く事もない。奇策を弄して一発当てに行く事だって意味はない。必要な強さは安定して勝利を積み重ねられるものだ。それ以外に価値はない。だから格闘訓練に付き合ってくれるトッドとヴィルフリッドに感謝しつつ、全力で体術を駆使する。
「気合は十分。だけど勢いが乗り過ぎだぜ。こうだ、こう」
繰り出した突きを手の甲で弾くと、その手を前へと突き出して簡単に首筋に手が届かれた。そこで一旦動きを止める。
「いいか、兄弟。魔力が使えないって事はそれだけ身体能力以外に頼らなきゃならないって事だ。腕力、筋力、瞬発力、持久力。そういうのは全部魔法でどうにかなっちまうのが今の戦争だ。だからそれ以外で相手を圧倒する武器が必要だ。特にマリーさんの弟子ってなら一番求められるのは対応力だ。兄弟が強くなる上で磨かなきゃならないのはまず対応力だろうな」
「対応力……と言われてもなあ」
溜息を吐きながら首を捻る。対応力と言っても身に着けるのは簡単じゃない。この状況でどう動けばいいのか、という状況に対応する能力は判断能力でもあり、それは経験にも通じる。つまり経験を積み重ねてあらゆるケースを想定するようにならなきゃならないって事だ。その上で即座に判断し、反応する能力もいるだろう。これが中々難しい。
と、肩をぽんとトッドに叩かれる。
「ま、その為にはひたすら回数を重ねるしかないぞっ、と!」
そこから再び近接打撃戦―――あっさりと躱され、流され、腕を取られて転ばされてまた立ち上がっていなされてを繰り返す。かつての俺だったら勝てたのかもしれないのだろう。だけど今の俺では触れる事さえできないレベルでの実力差があった。体術・格闘の訓練相手をしてくれるヴィルフリッドとトッドはエレミア一族の中でも特に将来が期待されている2人だった。お陰で勉強になる事ばかりで、対戦すればするだけ自分の中に技術や経験が蓄積されて行くのを感じる。
だがそれ以上に2人の実力が桁違いだった。もう既に2人はプロフェッショナルレベルの実力を兼ね備えている。エレミアとしてはまだ蕾という段階だろうが、これが一般的な傭兵と比べるとなると既に相手になるレベルに二人は仕上がっている。それだけの才能、そして経験の継承がエレミアでは行われている。
そして俺は、まだ武器を触らせて貰える事も許されず、毎日2人に投げ飛ばされる毎日だった。
そして今も、
「はい、死んだ!」
また、トッドに投げ飛ばされた。
エレミア一族の隊に加入して2か月が経過した。表向きにはキャラバンとして活動し、裏では傭兵として活動し、そして本当の正体は聖王直属の密偵として活動しているこの隊は順調にベルカ国外へと出て、隣国へ来ていた。二重にカバーをして活動するこの隊は各国の情勢を確認しつつ将来騒乱の芽となる存在を暗殺したり、禁忌兵器を早期発見し破壊する事を目標としている。その為、エレミア一族の中でも最もハードで、エリートが集まる隊でもあった。ただカバーとしての活動もある為、馬車の一台には交易品やら何やらが乗せられている。エレミアの名を知らない連中は普通にキャラバンだと判断するし、エレミアの名を知っている連中はそれがカバーで傭兵だと理解する。
そんなエレミア一族に加わって2か月が過ぎた。
約束通り、合流してからすぐに鍛錬は始められた。懇切丁寧に何をするのか、何故しないのかをちゃんと説明しながら。
「ま、多分最初の数年間はひたすら基礎を固める時期ね。調子が良い様なら2年目には武器を握らせてあげるわ。それまでは鍛錬しすぎないように体力と筋力を養って行く! 良い? 筋力を付け過ぎると体からしなやかさと繊細さが失われるの。だからオーバーワークだけは絶対にダメよ? 私が与えている鍛錬の量はちゃんと計算されて組まれてるものだから」
理想とする体形、筋肉の質、そして種類。それをエレミアは長年の鍛錬と経験、そして研究の成果として理解しているという事だった。だからまず鍛錬における第一段階は人体改造になる。と言っても本当に改造するのではなく、鍛錬を通した肉質の変化という方が正しい。筋肉の質をマリーアが理想とする形へと早い段階で近づけて、それをまずは体に固定させる。そうすることで最終的な完成図までの道を作る。
肉質を整えながら行うのは基礎体力の構築―――持久力は何事でも常に要求されるものであり、これがないと話にならない。だから肉体作りの一貫としてランニングなどを行いつつ、平行して体を動かす為の基本の基本、体術の構築に入る。
エレミア一族には《エレミアン・クラッツ》と呼ばれる万能武術が存在する。掴み、投げ、打撃、斬撃を問わず全てを体術で運用し、あらゆるレンジに対応する万能型の武芸だ。あらゆる方面に精通する事は器用貧乏になりがちであるという性質を、エレミア一族は経験をストックして継承する事で、必要な状況に必要な技術を引き出すという裏技を利用する事で器用万能へと昇華させている。これを戦場で振るうエレミア一族はまさしく隙がなく、対処の術がない。だからそれをまず最初に、使える所だけ学ばされる。
その為の相手役がヴィルフリッドとトッドだった。2人とも将来を期待されているだけあって、エレミア一族の中でもエリート中のエリートだ。体術なんてものは同じ歳でも完成度が段違いで出来上がっている。付き合って貰っているのには少々悪いと思いつつも、どことなく動きを再確認する様な動作が、時折トッドとヴィルフリッドには見えた。
これはエレミア一族特有の再調整と呼ばれる作業だ。
エレミア一族は自分の経験を継承して行く。その結果、新しいエレミアの子はそれまでの膨大な経験がデータとして脳内に眠っている。経験とはつまり判断する材料であり、これがある事によって次の行動や対処法が素早く予測できるというものだ。だが予測するだけにはとどまらず、体の動かし方や技の使い方、技術の細かいコツ……そういう使用された経験みたいなものまでストックされている。だからこそこの膨大な経験を現代まで引き継いだ現代のエレミアの当主は人類最強だと言われていたりするのだが。
ともかく、
ヴィルフリッドとトッドはまだ、自分の中にある経験を全て把握してコントロールできているわけではなく、その再確認と、自分の体に合わせた調整という作業がこれから永遠に続く事が約束されている。俺からすると鍛錬に付き合って貰っている形だが、彼らからすればその調整作業に付き合わせている形でもある。つまり、双方に意味のある鍛錬になっている。
救いと言えば救いではあるだろう。
ただヴィルフリッド達に叩きつぶされるたびに、自分がどれだけ弱いのかを再確認させられる事は、控えめに言って死にたくなってくる。
だから、と言うべきなのだろうか? エレミア一族の人たちが滅茶苦茶優しくて、良く話に乗ってくれて、それでいて楽しい人達だった。
まずは同年代のヴィルフリッドとトッドは歳が一緒という事もあって鍛錬を一緒にするだけじゃなく、遊んだり話したりするのも一緒だ。キャラバンで旅をする事が始めてで、右も左も解らない俺とイリスにあーだこーだと口を挟んで何かと世話を焼いて来ようとするのがこの2人だった。2人からすればキャラバンにやって来た後輩というポジションなのだ、先輩としては構いたくなるのかもしれない。ただその優しさには助かっている。
次にマリーアを始めとした大人たち。基本的に気難しいタイプの人が少ない。マリーアや隊のリーダーであるジャバウォックはかなりとっつきやすく、質問すると直ぐに答えてくれる。彼らからするとマリーアの内弟子にするという事は一族に新しい身内を作るという事で、新しく家族が増えるという感覚に近いらしい。一族自体かなり近親交配を繰り返してきた一族でもあり、外から優秀な血を招き入れて家族とするのはあまり珍しい事でもないらしい。
こんな大人たちの他に魔女のお婆さんがキャラバンでは仕立屋を経営していたり、”エレミアン・ウェポニクス”という武器工房があったりする。このエレミアの工房が主にイリスの活動場所で、彼女が技術を磨くために通い詰めている所だった。
最初は血反吐を吐きながら続ける旅路になると思っていたが、辛い鍛錬はあるものの血反吐を吐くような事はなく、特に体をすり減らしてまで体を鍛えるという事はしなかった。基本方針はフォゥの時と一緒で、鍛錬の量から睡眠時間、食事意の栄養や量までを徹底的にコントロールした生活だった。ちょっと窮屈に感じる事はあるし、本当に成長しているのかどうかが解らず、首を傾げる所もある。
とはいえ、プロフェッショナルがそう言うならそうなのだろう。俺が疑った所で何かが改善する訳でもないし、理解してて指示を出しているのだから素直に従うのが一番良いという事で、毎日ヴィルフリッドとトッドに投げ飛ばされてはダメだしされる毎日。
そんな日々が、2か月続いた。
漸くキャラバンに従事する人たちの顔と名前が一致してきた頃。
漸く同年代の友達とタメで話すのに慣れ始めた頃。
体力ついてきたかな? と少し実感が湧いてきた頃。
春の暖かさが本格的に空気に混じって運動をするのに適した季節がやって来た。汗をかきながら体を動かすのが楽しく思えてくる、そんな頃の事。
とある村へと立ち寄った所で、マリーアが俺にこう告げた。
「―――良い感じの教材もあるみたいだし、そろそろ社会見学しましょうか」
4月前半:体術訓練(リッド・トッド)
4月後半:体術訓練(リッド・トッド)
5月前半:体術訓練(リッド・トッド)
5月後半:社会見学(マリーア)
こうすると何を鍛錬してるのかすっげえ解りやすいな……。その内友情トレでもくるんか??
という訳で放浪生活始まるよ。