Growth - 1
「うーん」
ぺたぺたぺた、と胸板を師匠が唸りつつ触ってくる。首筋なども触れて体の様子をしっかりと師匠はチェックしていた。流石にちょっと恥ずかしかったりこそばゆかったりするのだが、体の触診自体はもう何度目かなので、慣れている部分もある。だから大人しくぺたぺたと体の様子を確かめられる。すぐ傍には同じように検査を行っている白衣―――医者のスペクターの姿もある。薬草煙草を咥えながらも師匠と俺の様子を見て、手元の資料に視線を落とす。
「身長170……体重も良し! 体も絞れてる。イイ感じに育ってるなこいつは」
スペクターの言葉にでしょうでしょう、と師匠が立ち上がって背筋を伸ばしつつ頷く。
「そりゃあ栄養管理から睡眠時間の管理までやってるんだから、これで育たない方がおかしいのよ。それにしては身長は思ってたよりも早く伸びてくれたし、体の方も見た目は細く、中身はがっちりと育ってきてる。しなやかさを残したまま爆発力のある筋肉も出来てきている。我ながら完璧な調整だわ……」
「流石エレミアの血と技術、って所か。いや、それに血筋が聖王家のもんだったか。その影響もあるな」
「どっちにせよ最低限のラインには到達出来たわね。あ、もう上を着ても良いわよー」
「はーい」
インナーを着直してスツールに座る。定期的にある体のチェックは骨折や病気の類を患っていないかのチェックだ。医者として堂々しているスペクターの仕事は多いようで少ないようで、少し複雑だ。医療関係はなるべくユーリに頼らない事が理想的らしいが、治す時はユーリで治すという形が多い。ただ医療知識周りはスペクターの方が多いのでチェックはスペクター……と、中々ややこしい形になっている。とはいえ、今日の師匠は体のチェックをしてはだいぶ満足気だ。
「シド、鍛錬を1段階上げるわよ」
「マジで!? やったー!!」
座っていたスツールからたちあがりつつ両手を放り投げて喜ぶ。
キャラバンに来てから4年。
ついに、基礎と体術訓練以外にやる事が増えた。
季節は春。
冬の間は大体活動が低下する―――様な事はなく、魔法を使って道を確保しながら旅は続けている。雪中行動はかなりきついが、それでも揃っている物資と技術と能力から吹雪いたとしても乗り切れるので、問題なく俺達は大陸を回っていた。ベルカから離れれば離れる程世が荒れて行くという話だったが、それは正しかった。ベルカから1大陸離れ、更に大陸の反対側にやってくると大ベルカの威光が届きづらい事もあり、治安が極端に低下する場所も増えてくる。たとえば傭兵崩れの山賊ではなく、普通の山賊や追い剥ぎが出現するようになってくる。そしてそれを餌に活動する傭兵達の姿も、こっちにやってくると更に見る。
これでもう1つ海を超えれば、戦時中の国もあるらしい。今回はそこまで向かう事無く、こっちの大陸を調査する事で足踏みしている―――そっちはそっちで隠密担当の者達が既に禁忌兵器の情報を求めて潜り込んでいるらしいからだ。
だから俺達はこっちの大陸を放浪している。
そんな中、既にキャラバンでの生活は4年目に突入していた。移動しながらの放浪生活にも慣れて来て、エレミアの人々とは家族と呼べるような感覚を覚えて来た。イリスとユーリの様子は相変わらずだが、最近は痴女にも見慣れてきて見かけてもスルー出来る程度にはなってきた。来る日も来る日も基礎を伸ばす毎日、時折禁忌兵器の痕跡を見つけてはそれを潰しに行く日々。そんな異様な4年間はまだまだ、これからの生活を考えると折り返しにさえ来ていないのかもしれないのだ。
そして漸く、次のステップに進む許可が出た。毎日飽きることなく続けて来た鍛錬。食事の量から栄養までコントロールされる日々、睡眠時間と健康を管理され続けて来た事で体は理想の仕上がりを目指して健康的に成長していた。
そう、無理はしていない。一切、だ。
体を壊さないように―――壊すと癖になるほか、壊れて復帰すると壊れやすくなったり、回復魔法の類に頼るようになってしまう。だから壊さないように、体を保ちながら成長させる方法をインプットさせるように基礎を伸ばして、伸ばして、伸ばして、
ここで、次のステップに入る。
現在地は大陸東部、春の始まり。半袖で過ごすにはちょうど良い季節だ。
雪も溶けた頃だから馬達も歩きやすくなっている……が、馬が定期的に休みを必要とするのは事実だ。その為、触診などのチェックを行っているのは馬車が止まっている間の事であり、それが終わった後は外に出た。師匠はイリスを呼び出すとホロウィンドウを授業ように1つ出して貰い、それを浮かべる。
俺はその前の草地に座り込んだ。
「ではシド君14歳の鍛錬スケジュールを発表しまーす!」
「わー、どんどんぱふぱふー」
「イェア―――!!」
「ヴォ―!!」
「ヴァヴァヴァヴァーん!!」
「そこ!! 煩い!!」
外野で騒がしくしている連中へと向けて師匠が迷う事無く発砲する。それを受けて外野で煩くしていた連中が蜘蛛の子を散らす様に一斉に逃げ出してゆくが、良く見ると馬車の上へと上って隠れたりと全く逃げていない。
こほん、と咳払いすると師匠が懐から眼鏡を取り出して装着する―――顔が良いから眼鏡をしても似合うなあ、なんて事を考える。
「ではシド君」
「はい」
「座学を抜けばこれまで君にはずっと基礎訓練と体術訓練しかさせて来なかったけど……なぜか解るかしら?」
「うっす!」
これは難しい話ではないので解る。事前に師匠がちゃんと俺に説明して、納得させたことだからだ。
「それは基礎能力がないと次のステップの鍛錬を効率的にこなせず、基礎能力が常に戦う為の根幹に必要だからです。基礎鍛錬は永劫続くルーチンワークで始めたら最後、終わりがありません。その上で基礎を積み重ねる事でより効率の良い鍛錬が行える体作りをしていました」
「はい、正解。良く覚えていたわね。物凄い地味で一番ストレスの溜まる話でもあるわね」
師匠は苦笑する。
「良く修行とか稽古をつけるって話になると派手な特訓ばかりのイメージなるけど……結局時間を掛けて、細心の注意を払いながら体を作って行くのが一番大事なのよ。ちゃんとした土台を用意した場合と、土台を用意しなかった場合、どっちのが最終的に安定するかなんて一目瞭然でしょ? でも派手さは誰もが好むものだわ。だから誰だってもっと目に見える変化を求めるのよ。本当の強さは別段目に見えるものでもないのにね」
「オズの請求金額の事か???」
「呼んだ?」
「呼んでない」
呼ばれたオズが服を脱ぎながら現れたが、バインドによって捕獲されて一瞬で姿を消された。やっぱり国家予算崩壊型痴女の登場は心臓に悪い。頼む、魔界に帰ってくれ。
「……まあ、それこそ派手派手で強いのも世の中いるわよ? でも基本的に強さって積み重ねるものだからそう簡単に視認できるものじゃないのよね。そしてそれが解らないから大きな事をしようとして失敗する……まあ、良くあるパターンよ。シドはそこらへん、本当に良く耐えて頑張ってくれたわ。師匠、花丸あげちゃう」
「俺は師匠の事信じただけなので……もう、信じられる人を裏切りたくないので」
「本当にシドは可愛いなあ!! でもそろそろ振り回すにはちょっと大きくなってきちゃったわね」
出会った頃は、10歳の頃はそれこそ師匠に持ちあげられるぐらいの背丈の差があった。だけど今は俺が170㎝で、師匠は160ちょっとだ。俺の方がもう、背丈が高くなってしまった。今では師匠が頭を撫でようとするには俺がちょっと頭を下げないといけない。まだアレから4年しか経過していないのにこうなってくると、少し寂しいなあ、と思う所がある。だけど体はちゃんと成長しているのだ、一歩一歩計画通りに。そしていつかは師匠の役に立てるぐらい強くなれるだろう。
その時は俺が師匠を守ってあげたりできるのだろうか?
……まあ、そんな未来は当分なさそうだが。
とりあえず今は座っている事もあって師匠が頭を撫でられるところにいるので、頭を撫でて貰ってから話を再開する。流石に体が大きくなっていたら頭撫でられるのもちょっと恥ずかしくなってくるのかなあ……。
「それで今のシドは私が想定している鍛錬の次の段階、本格的な鍛錬に入る為の直前のステージに入るだけの準備が整ったわ。これまで体力と体術を鍛えていたのは根本的な頑強さを体に備える為よ。これから行う鍛錬訓練ってのはこれまでやって来たことと比べるとかなり苦痛と疲れを伴う事なの」
その言葉に頷くと、馬車の方からハッターがやってくる。
「そしてそれに加えて座学も種類を増やすわ。まずはハッターに色々と教えてもらうから」
「という訳で俺がお前の座学の教諭に参加するぜ」
「おー! ……おー?」
ハッター兄貴、別名風俗兄貴。娼館の有名レビュワーでその道の人には有名人らしい。うちでは諜報とかを担当している人でちゃらんぽらんに見えるが実は縁の下の力持ちタイプだ。まあ、これは全員に言える事なんだがこのキャラバンの中で人としてダメな奴はいても、戦力として駄目な奴と言うのは1人として存在しない。誰もが何らかの分野のエキスパートであり、達人だ。なのでハッターも娼館レビューが好きな愉快なお兄さんなだけだ。
「まあ、解りづらいと思うがこれは俺が元々マリーに教えた事でもあるんだぜ? 仕事をする為の交渉術。相手に対して良い印象を与える為の立ち振る舞い。好かれる人間、嫌われる人間の違い。犯罪心理学。コミュニケーション能力の伸ばし方。メンタル面のコントロール方法。俺はそういう直接的に戦闘には関わらない方面のスペシャリストで担当しているのは解るよな? そして基本的に覚えて入れればそれだけ得ってタイプの技術もたくさん覚えている」
頷く。ハッターの技術の数々は調査をする際に凄く助けられている。街での情報収集は何時もハッターがパパっとやってきている。
「だけどな、お前とマリーにとって一番重要な技術は笑顔で懐に入り込む技術だ。魔力のない人間は魔力のある人間よりも遥かに脆弱で、弱い。だからなるべく他人に気取られずに入り込み、そして一撃で殺すのが理想だ。単純な足運びとかの問題じゃないぜ? 相手が苦手とする距離感、攻撃したくないって相手に思わせる事。そう言う心理的なコントロール技術だ。普通に戦う分には不要だが、魔力がないと一気に薙ぎ払う事も出来ないだろう? ならこういう戦闘中の微調整に心理コントロール技術を利用する訳だ」
「という訳でこれからはハッターにそういう細かい知識を叩き込んでもらうわよ。実践し始めるのは……そうね、シドが16になる頃かしらね? 今の成長速度を考えると16になる頃には簡単な仕事ぐらいなら任せられるようになるとは思うわ。だからそれまでに叩き込めるだけまず叩き込んで、様子を見ましょうか」
「っつー訳で、俺が色々と教えてやるぜ、覚悟しとけよ?」
「うっす! 宜しくお願いします!」
頭を下げるとハッターが笑いながら手を振って去って行く。それに合わせて今度はユーリがやって来た。荒ぶる砕けぬ闇のポーズを決めるとユーリが頭上に何やら、新しいアイテムを掲げた。形からするとどうやらブレスレットの様で、
「さて、次は私の番ですね」
「という訳で、これからはユーリにこれまで以上に頼る事になるから。まず戦闘訓練始まるからその治療に1つ。そしてもう1つ」
「これをどうぞ」
「あ、どうも」
ユーリからブレスレットを受け取り、軽く眺めてから付けてみろ、と促されて装着する。腕に装着すると何か、ブレスレットを通して体に流れ込むのを感じる……この長年使ってないが覚えのある感覚は、
「魔力?」
「はい、私の魔力です」
しゃきーん、とユーリがポーズを決める。
「私達、リンカーコアはあるのに欠陥があって魔力無しになってるのって高魔力負荷環境にあると少しずつだけど魔力に対する耐性を獲得できるのよね。だからそのブレスレットはユーリの魔力を体に流して体とリンカーコアに負担をかける為のものよ。付けている間は常にユーリの魔力によって体に負荷がかかるようになってるわ……どう?」
正直体の内側に鉛を装着されているような感覚がある。確かにこれは基本的な体力と筋力を鍛えていないと相当辛いだろう。
「だけどそんな話、初めて聞いたなぁ……」
「どうでしょうね? 私もあまり覚えのある概念ではありませんが……実際にマリーが軽度の魔法耐性を獲得しているので実証されている理論ではありますね。一説にはリンカーコアを持っているのに魔力のない人は魔力の溢れる環境に対するアポトーシスとして誕生している、なんて話もありますけど」
「まあ、私はユーリと出会えたのが遅かったからこういう訓練はあまり出来なかったけどね、シドなら今の時期から鍛えていけば良い感じになるでしょう。それは基本的に1日中装着、倦怠感を感じるようだったら外す様に。オーケイ?」
「オーケイ!」
「良し!」
今までやって来た事と比べると一気にやる事が増えている気はする。ハッターの授業と魔力ギプスだけでも結構な変化だが、これからは鍛錬内容そのものが大きく変化するという話だ。
「それじゃ、最後に一番重要な所の話するわよ」
師匠が話を移すのに合わせて頷いた。
シド君、14歳。鍛錬の質と量が増える。
私の鍛錬における基本ロジックは基礎という下地を用意してから伸ばす。伸ばしたら再び基礎を整えて伸ばす。基礎があってこそ技術や経験は伸ばせるという考えなので、実戦オンリーで成長できるとは思ってないのです。
叩き上げよりも丁寧に育てたほうが伸びるという理屈。
時間が少しずつ過ぎ去って行く……。