「―――ご馳走様」
夕食を食べ終わって満足げに腹をさする。まさかヴィクターがここまで料理が出来るとは思わなかった。目の前にはベルカの基本的な家庭料理が並んでいる。そこそこ手間のかかる奴であるのは事実で、片手間に作れるようなものではない。それにデリバリーで注文したものでもない。正真正銘、ヴィクターが作った手料理の夕食だった……色々と言いたい事はあるが、それでもこの歳で立派に夕飯を揃える事が出来たヴィクターは間違いなく凄いと思う。俺もジークも椅子に座った状態で完全にその手料理に感服していた。
「俺も旅生活でそれなりに料理とか学んだけど……これは流石に無理だわ。良くもまあ、ヴィクターはこれだけ出来るようになったなあ。本当に美味しかったよ」
「ふふ、ありがとうございます。何時かこうやって振舞う事を楽しみにしていたんです。お蔭でここ数年の夢を叶える事が出来ましたわ」
「そりゃあ良かった。是非腕を上げてまた作って貰いたいもんだわ」
「えぇ、私も次に振舞える時が楽しみですわ」
「とりあえずそれは明日の朝になるかな!」
ジークの言葉にヴィクターと顔を合わせ、笑い声を零す。まあ、確かに明日の朝も朝食は必要だろう、そうなるとまたヴィクターに頼むしかない。となるとまたヴィクターの手料理が食べられるのか……それは中々楽しみだ。本当、このまま真っ当に育てば良い奥さんになったんだろうなあ……なんて事をぼーっと考えていると、ヴィクターが食器をキッチンへと運び始めた。
「それではシド、風呂の用意は出来ているので先にどうぞ……あ、ジークは一緒に入っちゃだめですわよ?」
「ヴィクターやないし流石に一緒には入らんわ」
「私だって入りません!」
顔を赤くして否定するヴィクターを揶揄う様にジークが笑う。これがハイディだったら迷う事無く突っ込んでくるだろう。こっちの女性陣は比較的に貞操観念がしっかりしている連中で良かったなあ、とは思わなくもない。
「洗い物手伝わなくて良いのか?」
「良いですわよこれぐらいは別に。それよりも一番風呂ですわよ?」
「じゃあ、言葉に甘えようかな」
夕飯を食べ終わったら勧められたように風呂に入った。
実際の所、お風呂なんて凄い久しぶりだ。古代ベルカに風呂文化は存在していても、それを利用できるのは恐らく貴族ぐらいだろう。何故なら湯を張るというのが意外と面倒とコストが高い。そういう事もあり旅をしている俺達は基本的に水浴びか川で体を洗うのが普通だ。勿論、男女別で。前は俺もリッドと一緒に水浴びしていたが流石に最近は身の危険を覚える事もあり、別々にしている。ハッター兄貴の授業、マジ大事。情操教育と基本的な教育が人生でどれだけ重要なのかが解る事だった。
広いダールグリュン邸の浴槽での一時はまさにとろけるとでも表現できそうな程心地よかった。気が付けばそのまま風呂の中で寝落ちしてしまいそうになったのは、普段の鍛錬の疲れではなく純粋に溜まっていた心労が滲み出た影響なのだろうと思う。現代に帰ってきて、色々あった心残りを解消する機会を得た。だがそれと引き換えに増えたのはもっと多くの心労だった気がする。少なくとも、昔はこんなに難しい事を考えてはいなかった。ただやっぱ好きとか惚れたとか、そういう話が出てくると一気に関係が複雑化してくる。
そんな事を風呂場で考えていたら何時の間にか寝落ちしそうになるのもしょうがないと思う。
風呂に交代で入って、上がったらリビングで軽く雑談をして、終わる頃には既に夜は遅くなり始めていた。明日の朝が早い事もあり、さっさと寝る為にゲストルームへとそれから退散した。
寝間着なんて物は当然に用意していないので、普段通りシンプルにトランクスとインナーという姿で眠る事になる。こんな良いベッドで眠るのは久しぶりだなぁ、なんて事を考えながら窓の外を眺める。
ダールグリュン邸の庭園を眺めつつ、溜息を吐く。
「眠ればもう明日か……」
タイムリミットは間近。一晩経過すれば俺は再び古代ベルカへと戻る事になる。そこに否定はない。俺は古代へと戻ってやるべき事をやらなきゃならない。それが贖罪―――ではない。
それが男の責任の取り方だと思うからだ。だから俺は現代から古代へと戻らないとならない。そして、そうすれば俺は今度こそ古代を現代として生きる事になるだろう。迷いもない、だが悔いはある。果たして俺がこの時で俺を信じてくれる友人たちの為に出来る事はあるのだろうか? 俺が彼ら、彼女らの好意に対して返せるものがあるのだろうか? 積み重なる時間は俺達を永劫に引き離すだろう。そしてその果てに二度とない再会と共に何も返せなくなってしまう。
俺が出来る事と言えば未来へと向けたメッセージを残すぐらいだろう。だがそれでは不十分だ。何か、何かをこの良い友人たちに返してやりたい。そんな事を窓の外をぼんやりと見つめながら思っていた。
「育てば育つ程自分の未熟さと何も無さが際立つな」
無力感……ではない。自分の出来る事、出来ない事。それがはっきりしてきたとでも言おう。人間はそれぞれ適切な技能、才能、素質がある。そして俺は全て捨てられた。その上で白い傷跡という形を追うように、それを超える為の鍛錬を施されている。そして少しずつ成長している。だがそれでもまだジークやリッド、トッドにも勝てない。
焦りはない―――師匠を信じているから。
だけどやっぱり、何かするだけの力が欲しいと思う部分もある。
だけどきっと、このどうしようもなさがいたって普通な事なんだろうと思う。完全に満たされている人間なんてどこにもいない。完璧な人間なんて存在する事が出来ない。だから自分の出来る事、成せる事に全力を注いで満足するしかないのだ。だけどそれで良い。満足できなくたって良いんだ。それがきっと、生きる事に対して真摯である、と言う事なんだろう。
まあ、それでも足掻くところは足掻くのだが。
「シド、今良いですか……?」
「ヴィクターか? 問題ないぜ」
「では失礼します」
そう言って扉を開けたヴィクターが部屋に入ってきた。その両腕に枕を抱いて。ちょっと顔を赤くしながら寝る準備を進めていたのか、ネグリジェ姿のヴィクターは入ってきた所で足を止めてしまった。
「ヴィクターどうした?」
「いえ、その……」
口元を枕で隠すようにしてからヴィクターは恥ずかしそうに呟いてくる。
「その、特に深い意味はないんですけど……今夜、一緒に眠りませんか? その、シドと私からすれば最後の夜ですので、せめて一緒に過ごしたいな……と思って……どうでしょうか? その……」
「あぁ……うん」
ヴィクターにそんな風に言われて苦笑しながら頭を掻いた。ゆったりとしたネグリジェだとヴィクターのボディラインが隠れるから助かっているが、普通の寝間着だったら相当理性がやばかったかもしれないなあ……何て事は一瞬考えた。逆に言えばそういう想像をするだけの余裕はあったりする。何せ、相手はヴィクターだ。気心の知れた相手もであるのだから。だから細かい事を聞く事はしないし、ベッドの上に座り込みながらサムズアップを向けた。
「俺は構わない……けど、ヴィクターは大丈夫か?」
「私は、寂しいですから……」
そう言うとヴィクターは直ぐ横までやってきて、座り込んでくる。体を寄せるようにぴったりとくっつき、肩に頭を乗せてくる。こういう風にダイレクトに甘えられる経験はない。リッドやジークもどっちかというと気安く突撃してくるスタイルだし、イリスは何時の間にか世話を焼いてくるタイプだし。ハイディはあれはなんかちょっと異次元。だからこんな風に甘えられる経験はちょっとない為、普段見るヴィクターのしっかりした姿とのギャップにドキリと来る。
「ジークやハイディやクラウスは古代の記憶を継承しているから、思い返そうと思えば記憶の中で古いけど新しい貴方と出会えるのでしょうが……私はそういう特別なものは持っていませんわ。この身と、今貴方と過ごす時間が私の全てになりますので……だから、最後の瞬間まで出来るだけ一緒に居たいと思ったら……駄目でしょうか?」
「駄目じゃないよ。俺が言えた義理じゃないかもしれないけどさ……甘える事、甘えられる事って凄く大事なんだと思う。そういう誰かがいる事、とても大事なんだと思う」
「でしょうね……」
そのまま言葉が途切れて、お互いに黙り込む。ちょっとだけ、気まずい。幼馴染が無防備に横に座っているというシチュエーション、湯上りという事もどことなく歳にそぐわない色気を感じる。成程、だからハニトラ対策の訓練は必須なんだな兄貴!? と心の中で妙な納得をしながら声を零す。
「その、ヴィクターさ」
「はい」
「えー、そろそろ寝ようか」
「え、えぇ、そうですわね」
なんだこれ。
そう思いながらもベッドの奥の方に移動し、枕をずらして横になる。此方も十分暖かいのでベッドシーツなんてタオルケット1枚で十分だろうし、俺に限ってはそれも必要はない。枕に頭を乗せた所でごろりと転がりながら、横、ヴィクターの方へと視線を向けるとヴィクターもおずおずという様子でベッドに転がってきた。自分の枕を置いて位置を調整しつつ正面、此方を向く様に転がる。そんなヴィクターと視線が合う。
「なんか……昔はもっと普通に一緒に寝てたのにな」
「そうですわね……知っている事も、解っている事も、覚えている事ももう昔のままじゃありませんから」
「そう、だな……もう昔のままじゃいられないもんな」
誤魔化すように笑みを浮かべると、横になったままヴィクターが近づいてきた。そのまま正面、体が密着する距離までやってくると、手を握ろうとしてくる。指を絡めるように、求めるように掴んでくる手を握り返す。体を密着させて手を握りながら、ヴィクターが顔を胸にうずめてくる。
「本当に、見ないうちに大きくなりましたわね」
「成長期だからな……まだ大きくなるぞ」
「その姿が私は見れなさそうなのが残念です」
「あぁ、俺もお前に見せられないのが残念だ」
「手、ごつごつとして硬い……男の子の手になりましたわね」
「マメが出来ては潰れての繰り返しだからな」
「ジークが昔よりも弱くなったと、言ってました」
「あぁ、力は全部失った。だから0からやり直してる。今度は間違えない」
「友達は、出来ましたか?」
「出来たよ。頼れる人も。背中を預けられる人も」
胸元から、すすり泣くようなヴィクターの声がする。少しずつ喋るたびにヴィクターの声が震えているのが解った。だけど俺に残る、という選択はないのだ。何を言われても、何をされても、何を求められても―――俺は戻る事しかできないのだ。
だから胸を貸して、ヴィクターを此方から開いている手で抱きしめて、無言のまま引き寄せる。彼女が泣いているのを気が付かないフリをして、見ていないフリをして、
「嫌だ、行かないで……」
「ごめん」
「消えないで」
「ごめん」
「もう、いなくならないで」
「ごめん」
「私で出来る事ならなんでもするから」
「ごめん」
「お願い、帰らないで」
「ごめん、ヴィクター。ごめん」
夜が―――更けて行く。
そして目覚めは深海の底だった。
「かつて、古代アルハザード人は文明の頂点に立った」
そこはヴィヴィと2人だけの場所だった。深海の底にある夢の中でしか逢えない秘密の逢瀬。その場所は力の喪失と共に永劫に失われたはずの場所だった。
「魔導、人体、時空、そして心。あらゆる分野において手を伸ばしておきながら醜い欲と言うものを彼らは持つ事はなかった。個人の為ではなく全体の為に。更に世界を良くする為に彼らは更に神秘の解明を求め、心という分野にたどり着いた。それが破滅を巻き起こすとは思わずに」
気づけば俺は深海の庭園にいた。薄暗い景色はそのまま、しかしその中央にはティータイムを過ごす少女の姿があった。見たことのない少女だ。表情に影がかかり、見えない。だがヴィヴィではない事だけは確かだった。赤と黒のゴシックロリータ姿の少女は、年齢だけを見るならユーリと同年代に見えるだろう。だがその存在が纏う雰囲気はあの怪物、オールドに似ている。
「やがて彼らは心の中へと潜る術を見つけた。その奥にある集合無意識に触れる為に。そしてここはその中継点。あらゆる場所と繋がりながらもアルハザードの滅びと共に忘れ去られた遺産の一つ。同胞達のみがアクセスする事が可能な”心の休息所”」
少女は首のない執事を控えさせ、ティータイムに興じている。顔にかかっていた影が消え去り、赤いハイライトの入った黒髪と、どこかで見たことのある顔―――どことなく、ユーリが前語った夜天の書の統制人格、それに似た顔立ちの少女を見た。
「ようこそ最新のシド君。私は”歴史家”、或いは―――」
或いは、と言葉を区切り、上品に笑った。
「貴方にとってのラスボスよ。話せる時を楽しみにしていたの。宜しくね?」
現代編本番はいりまーす。