「時折、全力で拳を握った後に考えるんだ」
「何を?」
「これを自由に振るえないなら、なんでこんなものを持って生まれたんだ、って。なんでこれの代わりに魔法をくれなかったんだって。なんでこんな無意味なものをくれたんだ、って。だけど楽しいんだ。どうしようもなく。全力で殴る事も殴り返されることも。どうしようもなく楽しくて、楽しくて―――自分の本性が、本当はただただ暴力的だって気づかされて」
何もかも、目に見える物全てを殺して回りたくなる。
何故、世はこんなにも脆い。
「―――おはよう、シド。今日も眠そうな顔をしていますわね……。あ、おはようございますジュードさん、アリアさん。今朝もシドを預からせて貰います」
「うちのシドが毎朝迷惑をかけちゃってごめんねー?」
「いえいえ、好きでやっていますから。だからシドを連れて行きますね」
「ありがとうね、ヴィクトーリアちゃん。シドの事、頼んだわよ」
「はい……あ、髪触りが良い。これは一昨日アインハルトさんにお世話されましたわね……」
何時も通りの朝がやってくる。ただハイディにお世話された翌日はヴィクターは妙な対抗心を向けてくる。ハイディもヴィクターもクラウスによればオカン属性なるものを兼ね備えている。クラウスが言うにはこういう女の子はダメな人の事が気になって気になってしょうがないらしく、本能的に世話を焼いてしまうらしい。そこに自分が入ってしまうのは正直不服なのだが、それでもハイディとヴィクターの矛先がこちらへと向けられている辺りやっぱり、自分は隙だらけなのだろう。
ちなみに自分は朝がダメダメなのだが、ジークリンデは私生活が壊滅しているらしい。それが理由でダールグリュン家で預かっているジークリンデの世話はヴィクターが行っていたりする。それでもこうやって起きる所から、日常的な所まで構って来ようとする辺りは自分だけらしい。やっぱり、幼馴染で許嫁という要素がそこで活きているのだろうか? クラウスはそこらへん、偶に茶化してくる。
よ、女運ブルジョワ! とか。
まぁ、ともあれ、頭が相変わらず重い。
寝て覚めて朝はいつもこんな感じで、体が自由に反応しない。だからヴィクターも完全に慣れ切った様子で手を握って学校へと向かう。そんな登校風景に周囲の人たちも慣れており、もう”あぁ、おはよう”程度の反応しか見せてこない。それを少しだけ恥ずかしく思っているのは秘密だ。それに少しだけ罪悪感がある。自分が本当に好きなのは、
「おっとと」
「あ、ごめんなさい」
と、まだ眠い頭で歩いているとちょっとよろめいた。前から来ている人とぶつかってしまったらしい。その衝撃が原因か、一気に頭の中のもやもやが張れた。それで正面に視線を向ければ白髪、オールバックの老人が軽く頭を下げて視線を合わせてきていた。ヴィクターも驚いたように両手を上げて老人を労わろうとしている。
「その、大丈夫ですか?」
「ご、ごめんなさいおじいさん」
「ははは、俺もちょっとふらふらしてたのが悪いから気にすんな。ほれ、アメちゃん食うか?」
にっこりと笑った老人は頭をぽんぽん、と撫でるとポケットからアメを出してくる。それを受け取りつつ、老人は気をつけろよー、と声を残した歩き去っていった。その姿に二人で軽く頭を下げて気を付けようと思いつつ、アメを口の中に放り込んだ。口の中に広がるのは少し酸っぱい、レモンの味だった。だけどこの酸っぱさが良い。好きな味のアメだった。
「あー、驚いた。完全に目が覚めちゃった」
「それぐらいで目が覚めるんでしたら普段からもうちょっと……いえ、今まで何をやってもダメだったのですから考えるだけ無駄ですわね」
「無駄って言うの止めない? 僕だって頑張ってるんだから」
「頑張った結果全自動で体を動かすようになるのは努力の方向性がおかしいのではなくて?」
「だよね……」
だけどジークリンデが神髄みたいにオートパイロットにすりゃあええねん! とか言い出すのが全部悪いと思う。いや、そのおかげで朝は半分眠ったまま勝手に動く様になったのだが。
だけどやっぱ、何時かはこの問題を解決したいよなぁ、と思う。やっぱり病院に行く必要はあるんだろか……?
そんな事を考えながら学校の近くまでやってくると、聞きなれた騒がしさが増えてくる。また憂鬱な一日が始まるんだと思う途端、家に帰って鍛錬したくなる。少なくとも学校で学ぶことは簡単過ぎる。もうちょっと上の内容とかをやってくれないと勉強にならない。まぁ、学校にも学校のカリキュラムというのがある。勉強とかはオリヴィエとも夢の中でできるし。そうやって新しいことを二人で学ぶのも楽しいし。まぁ、学校は正直流れ作業で物事を進めるだけで良いだろう。
「じゃ、お昼に」
「えぇ、それではまた後で」
今日は頭がはっきりしているので足取りもしっかりしている―――いや、頭があやふやなほうがこの憂鬱な時間を乗り切りやすいので、そっちのが助かるのだが。もうちょっと寝ていたかったなぁ、と思いながら教室に到着してしまった。
朝の挨拶なんてものはない。
誰も、無能者でありながら聖王家の血縁者なんて、どうやって接すればいいのかわからない。蔑めばいいのか、同情すればいいのか、それとも親しく接せばいいのか。特に子供なんて解らなかったら関わらなければいいという結論を出してしまう。
何せ、繋がりが繋がりだ。
現代の聖王家や旧王家と繋がっているような個人と変な問題は起こしたくはないだろう?
なら触れないのが一番だ。
下手に干渉されないのはそれはそれでいい―――面倒ごとがないのだから。
そう考えながら自分の席に座り、机に倒れ込んでホームルームが始まるのを待つ。この時間は本当にやる事が何もない。だから適当に時間が過ぎてくれないかなぁ、というのを他のクラスメイト達が騒がしくしているのを聞き流しながら待っている。
何もせずに。
そうやって時間が過ぎるのを待っていれば、その内先生の足音が聞こえてくる。いつも通り気だるげな気配をぶら下げながらやってくると、行儀の良い生徒ばかりの自分のクラスはすぐに静かになって、着席する。
先生がおー、と声を零す。
「相変わらずイイ子ちゃん揃いだなお前ら……いや、俺の手間が省けるから良いんだけどな。先生が学生の頃とか馬鹿とバカとクソバカばかりだったからなぁ」
「先生、ソレバカしかいません」
「学生時代ってのは大体そういう連中ばかりだ。こんなに行儀の良い子供ばかりの学校とか実在したんだなぁ、って俺こっちで働いてから知ったわ」
「どこの無法地帯ですか……」
安い入学金はどこもそんな感じだ、と教師は告げるとはい、と言葉を告げた。
「ホームルームを終える前に……カルマギア」
「……うん?」
ホームルームで、珍しく名前が呼ばれた。点呼や授業で指名された時以外では名前を呼ばれた事がなかっただけに、本当に自分なのかと思ってまじまじと先生の顔を眺めてしまった。
「そうだよ、お前だよ。スクワイア・チャレンジの申し込み完了したから。もう知ってるかもしれないけどこれ、参加する上でのルールとかのあれそれ書いてある書類だ」
「えっ……えっ?」
唐突に先生の口から放たれた言葉にフリーズする。そんなことをした覚えは勿論ない。開いた口が塞がらない。まさにそうとしか言えないショックが自分を突き抜けていた。確かに、挑戦しなきゃチャンスは生まれないだろう。だがこれは同時に自分の希望でもあった。
「ほら、これ。先生、そういう挑戦悪い事じゃないと思うぞ。若い間は頼らず、自分の力で何事も挑戦すべきだと思うし、応援してるぞ」
物凄い無責任な言葉を、教師が投げてきた。ルール等が記載された書類を机の上に置かれている間も、ずっと動きを凍らせたままだった。心臓がショックで破裂しそうで、脳がおかしくなりそうだった。なのに先生はまるで良い事をしているように言ってくる。吐きそうになる気持ちを抑え込みながら無理矢理表情を作り、頷く。
「ありがとう、ございます」
何とかその言葉だけを捻り出して俯いた。
今は、まともに前を見れそうになかった。
昼休み、ヴィクターが来る前にトイレにでも逃げ込もうと思ったが、それよりも早く接近してくる姿があった。名前を―――憶えていない、覚える気すらなかったクラスメイトの一人だった。おずおずとやってくると、軽く頭を下げてくる。
「その……カルマギアさん、頑張って! 応援してます!」
「え、あ、う……うん。ありがとう……」
「自分の力で騎士になろうとするの、凄いと思います!」
「あぁ……うん……」
―――やめて、くれ。
言葉に出ない悲鳴が喉で詰まる。だからあいまいな笑みを浮かべて、あいまいな返答を繰り返す。同じように思っている奴は一人だけじゃなくて、一人目がそうやって言い出すと機会を伺っていたのか、きっかけを欲しがっていたのか他のクラスメイト達が雪崩れ込んできた。次々に応援している、誤解していた、頑張ってという言葉が投げかけられていた。
何を、応援しているのだろうか。何を誤解していたのだろうか。なぜもっと早く話しかければよかった、なんてことを言うのだろうか。
こいつらに、脳みそはないのか? 人の心はないのか?
足を止めて考えればわかる事ばかりなのに。
こいつらを―――。
「あら、シド。今日は人気者ですのね? お昼を食べに行きましょう」
「あ、ヴィクター。今行くよ。という事だから……」
「あ、行ってらっしゃい」
「応援してるよ!」
「夫婦で仲良くねー」
煩いし、喧しい。大して仲良くもないのにいきなり友人面してくる連中ばかりだった。他の連中が背後に回り、正面にヴィクターだけがいるのを確認したところで顔に被せていた笑顔の仮面を外した。そしてその下から出てくる心底嫌そうな表情をヴィクターは見て、溜息を吐いた。
「何があったかは解りませんが……とりあえず、何時もの場所で昼食にしましょうか」
「うん」
ヴィクターはこういう判断が早いから好きだ。
ヴィクターと妙に視線の刺さる廊下を抜けて、何時ものベンチにまで移動する。歩いている間に感じた視線や感情の類が鬱陶しいばかりで、何時も以上に憂鬱になる。ベンチに座り込んで弁当を膝の上に乗せ、溜息を吐く。
「もうやだ、帰りたい……」
「どうしたのですか、何時もは……めんどくさそうにはしても、口に出したり露骨に態度に出る事はないのに」
「いや……」
言うかどうかを悩む。だが黙っていてもどうせ広がる話だ。だったら先に自分から伝えたほうが誤解されずに済むのではないだろうか? そんな風に素早く考えて、説明する為にヴィクターに伝えようと口を開こうとしたところで、
「―――お、本当にこんなところにいたな」
「しかもアイツ、女と一緒じゃん。ダッサ!」
と、闖入者の声がして一気に気分が萎えていくのを感じる。今日は本当に良い事が何もない一日になりそうだと思いながら弁当を食べようとしていた手を止めて、視線を向ける。やってきたのは5人ほどの、上級生の姿だった。上級生といっても初等部上級生なので、数歳違いでしかないのだが。だが初等部でのわずかな年齢差はカースト制度にも勝る絶対のルールだ。
「……何?」
「は? なんだその態度。年下で無能者のくせに生意気じゃないか?」
「魔法も使えないくせに騎士になろうとしているんだって?
「しかも女と一緒のナヨナヨしている奴だしさぁ」
「何がしたいんですか貴方たちは?」
「はぁ? 女が男の会話に混ざってくるなよ」
「男も女も関係ないでしょう!」
頭が、頭が痛い。
クラウスを含めて身内の連中は基本的に、全員頭が良い。人間としては馬鹿でも、知能的な意味では頭の良い連中ばかりだ。だから
だから面倒だ。
関わりたくはないし、腫物扱いの方が100倍マシだ。
仲の良いのは今の身内だけで良いのに、自分の世界に関わってこないで欲しいのに。だというのにこういう連中はそんなのを知らないと割り込んでくる。この時間は学校で得られる唯一の安らぎだったのに。
「帰ってくれよ……先生に言いつけるよ」
「困ったらすぐに先生に言うのか? 雑魚かよ……」
「はぁ、こんな奴が同じ大会に出るのか……恥をさらす前に止めちまえよ」
「その権利は貴方達にはありませんし、関係もありません。第一。シドは貴方達程度に負ける程弱くはありません。そちらこそ無様を衆目の前で晒す前に棄権してはいかが? おそらく無事に済みませんわよ。えぇ、これは心ばかりの忠告ですが」
「は? バカかよ。どうやったら魔法も使えない雑魚に負けるんだよ」
「頼むから消えてくれ……殺したくなる……」
「殺せるもんならやってみろよ! オラ! なあ!」
頭が、頭が絶望的に悪い。チンパンジーの群れを相手しているような気分だった。
そしてそんなチンパンジーの群れを相手している間に昼休みはあっけなく終わってしまった。手元には手つかずの弁当と疲労が残り、
どうして、こうなってしまったんだ。そんな疑問が胸に刺さり続けた。
忘れがちだけどこれ、まだ小学生なんだよね。うんこちんちん! とか言っている年齢だと思うとどれだけりりなの勢が知的な会話出来ているのかわかる。
そうだよね、9歳なんだよな……。