そんなことは、分かっているんだ。   作:uparu

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第4話

俺が戸塚と出会う前、中学生だった頃。

 

俺はいじめを受けていた。小学校でもいじめを受けていたが、中学校で受けたそれは考えられないほど陰湿で陰険で、陰惨なものだった。

 

 

俺は総武高校へ入学する日の朝、車に轢かれそうだった犬を助けて事故に遭い、3か月余りの入院を余儀無くされた。

 

俺の身体には、その当時両親も把握するところのものであった小学校のときに受けたいじめによる暴行の古傷があった。それとは別に、両親も知らない中学で受けた暴行の傷痕もあった。だが、事故に遭い全身の怪我の有無を検査され入院したにもかかわらず、俺が中学で受けた暴行の痕跡は発見されなかった。俺がそれを申告せず隠したのは当然だが、紛れもなく暴行の傷痕はあったのだ。しかし小学校時代に付けられた古傷と、事故によって負った骨折という大きな怪我に覆い隠されたその小さな、しかし残虐な傷痕は、医師も看護師も、ずっと俺を心底心配してくれていた家族でさえも、終ぞ気付くことは無かった。 

 

俺が通っていた中学は公立校だった。小学校のとき俺をいじめていた奴らも同じ学校に進学した。中学に進んだところで、俺へのいじめが無くなる可能性は限りなくゼロに近かった。むしろ悪化する可能性のほうが高く、事実そうなってしまったのだが……。オヤジもそれを心配していたからこそ、小学校の卒業前の時期に単身赴任の話があったオヤジに付いて行き俺だけ転校する、という提案をしてきたのだろう。そしてそんな話を俺にしたということは、母さんもその単身赴任と転校の話をオヤジと話し合い了承したということだった。俺へのいじめが中学校でも続いてしまうことを、両親も危惧していたのだ。その時の俺は、極度のシスコンである俺は小町と離れたくない、という体裁を取り……体裁とは言い難いが……両親をそこまで心配させ傷つけてしまっていた自分の不甲斐なさと罪悪感に苛まれながら、それでも俺は俺と離れ離れになることで重度のブラコンである小町を傷つけないようにと、その提案を拒否した。

 

全ては小学校のときいじめを受けていた俺の所為だったのに家族を心配させ傷つけてしまっていて、さらにこの先も俺がどちらを選んでも家族を傷つけてしまうことになる。俺にはそれが耐えられなかった。転校すれば小町を傷つけ、ここに残ればいじめを受ける俺を見て家族が傷つく。そう考えた俺は選んでしまった。最低で最悪な選択肢を。

 

 

 

 

 

………この時の俺は、どうしようもなく愚かだった。俺は、俺が誰も傷つけないで済む方法を、自分だけが傷つけば済むという方法を選んだ。

 

俺へのいじめが続くとしてもそれを隠し通せばいい。そうすれば家族が傷つくことは無い、と。

 

そんなこと、出来るはずが無かったのに。

 

この時俺は、オヤジに付いて行き転校すべきだった。たとえ誰よりも大切で傷つけたくない存在であった妹を、小町を傷つけてしまうことになっていたとしても……… 

 

 

 

 

 

中学生になっても、俺は友達の家に遊びに行ったり、誰かが俺の家に遊びに来たりということは当然、一度も無かった。外出先で奴らと遭遇することを恐れていた俺は、放課後も休みの日も1人で出掛けることをほとんどせず、ずっと家に居た。そんな俺の様子を見て、親が不審に思わないわけがなかった。俺は本当に稚拙だった。必死に隠していたつもりだっただけのガキだった俺がそのうえ、両親の前で隠しきれずに溢れさせてしまっていた影のある表情、態度。俺は決定的な証拠だけは示さないようにひた隠していたが、俺が2年になった頃には、両親は俺が中学でもまたいじめられていることに気付いていたと思う。

 

もし当時両親が俺へのいじめの実態を知っていたなら、絶対にあんなに悠長に構えてはいられなかっただろう。俺が小学校でいじめを受けていたとき、全力で庇い助けようとしてくれた両親だ。中学生になった俺へのいじめの気配を感じ取ったときは、本当に心配を掛けたんだろうな……我ながら情けなく思うが。

 

親からは再三探りを入れられたが、俺はそんな家族を傷付けまいと頑なにいじめの存在を否定した。親から学校に連絡を入れるようなことがあれば、必然的に教師から生徒へいじめの有無の確認を取られ、俺のことが知れ渡る。小学校でいじめられていた俺はそれを切欠に、本当にまたいじめが始まってしまうかもしれない。学校への確認だけは絶対に止めてくれと、釘を刺すことも忘れなかった。

 

俺は小学校の時のように、ひと目で暴行を受けたと分かるような怪我をしたり物を壊されたりして家に帰ってくることは無くなっていた。両親は俺へのいじめはあるのだと確信しながらも、戸惑っていたのだと思う。だから両親は、俺へのいじめを確認するような行動を起こさなかった。小学校の時とは違い、両親から見てはっきりと目に見える実害が俺に無かったこと。自分達の介入によって、俺へのいじめを悪化させるかもしれなかったこと。そして何より、頑なに否定している俺のことを気遣ってくれていたのだろう。 

 

しかし俺は、中学校でもいじめによる暴行を受け続けていた。だが高校の入学式、事故で入院した時には俺が受けた中学のときの暴行の傷痕はほぼ消えていた。消えない傷もあったが、治ってしまえば大多数のその傷痕は分からなくなるものだった。傷痕が殆ど目立たないのだ。中学時代の俺には、いじめによる暴行ではよく耳にする打撲による痣や切り傷、火傷といった傷痕はほぼ無かった。その代わり、いくつもの刺し傷が増え、そして消えていった。 

 

 

俺は、身体に針を突き刺されていた。何度も何度も。何箇所も、何十箇所も。 

 

 

奴らは衣服に隠れる場所を突き刺してきた。多い時は一度に5カ所ほども。1か所でも激痛と出血が伴った。刺し傷は身体の深くにその爪痕を残し、痛みは長く持続した。それに当然、清潔な針などではない。それは学校にある画鋲や、家庭科の裁縫の授業で使う裁縫針やミシン針だった。

 

雑菌が入ったのか、傷口が赤く腫れ上がることもあった。その所為で一度高熱を出してしまい学校を休んで病院に行くことになり、親に心配を掛けてしまったことがあった。当時腫れ上がった右肩の傷痕は今も残っている。後遺症だろう、右腕は肩までしか上がらなくなってしまった。その時は自分がふざけていて思い切り刺さってしまったのだと誤魔化した。いくらなんでも苦しい言い訳で、両親も医者もかなり怪しんでいたが、さすがに中学生がここまで残虐な暴行には及ばないとの考えからだろう。一応納得してくれたようだった。家族を心配させてしまって酷く落ち込んでいた俺の様子が、図らずも俺の苦しい誤魔化しを助けてくれていたのかもしれない。

 

そのとき医者にも刺し傷の怖さを諭されたがその話を思い返すにつけ、よく3年もの間、破傷風などの重篤な症状を回避できていたなと思う。そのことがあってから殺菌消毒薬と絆創膏を携帯するようになったことが、少なからず俺の自助になっていたのだろう。

 

俺はいつも痛みに耐えながら、トイレの個室で傷口の処置をしていた。その度に惨めで情けない自分を呪いながらそれでも、俺のこんな姿を家族に見られて傷つけることだけは絶対にあってはならない、これが俺が選んだ道なのだと、何度も何度も自分に言い聞かせながら。

 

 

奴らは映画に出てくる、囚人に暴力を振るい甚振り悦に入る獄吏のようだった。初めの頃は、恐怖と痛みでどうにかなってしまいそうだった。自分の身体に容赦なく突き刺さる針。それを見せられる恐怖。背中に画鋲で掲示物を張り付けられたこともあった。針治療などと言い、裁縫用の針を深く刺し込まれたこともあった。それが今も残る右肩の傷痕だが……。どうしてあんな残忍なことばかり思い付き、笑いながら実行に移せるのだろう。奴らは俺が苦しめば苦しむほど喜んだ。俺は必死に耐え忍び、恐怖や絶望の色を顔に出さないようになった。そんな俺の様子に奴らはイラついたり気味悪がったりしていたが、そんな顔のほうがあの笑い顔を見せられるよりも遥かにマシだった。

 

腹部や胸部、背中を蹴られたり殴られたりもしたが、それは少なかった。小学校のとき俺への暴行が発覚し大きな制裁を受けていた奴らは、俺の身体に痣などの跡が残りそれが明確な証拠となることを徹底的に避けるようになっていた。いくら俺が隠していても、俺に目立つ傷を付けてそれを教師や俺の家族に見られてしまえば、言い逃れることが難しくなると考えていたのだろう。奴らが、傷口が目立たない針という凶器を使ったのはそういう背景があったからだ。さらに俺が小学校のときに奴らから受けた暴行の古傷にその小さな刺し傷を紛れさせるなどして巧妙に隠蔽した。奴らが針を刺す場所や深さに留意していたのも、一度に大量に針を刺すことをしなかったのも、俺が大量の出血や臓器の損傷などの重大な事態に陥ることで、この凶行が発覚してしまうことを恐れたのが理由だった。

 

俺にとっては、奴らのそういうところこそ恐ろしかった。発覚しないよう慎重に、しかしギリギリまで痛めつける。奴らはそうやって冷静に思考する理性的なところがありながら、俺への残忍で非道な、狂気としか思えない行いを決して止めようとはしなかった。およそ感情に流されがちであろう中学生の所業とは思えなかった。そして小学校のときのような殴る蹴るの暴行をしなくなった代わりなのか、俺に対してありとあらゆる幼稚で陰湿ないじめを執拗に繰り返すようにもなっていた。

  

そんなあからさまな状況であっても、周囲の生徒も教師も進んで俺を助けようとはしなかった。教師は初めのうちこそ俺に声を掛けて確認してくることはあったが、それも形だけのものであることは明らかだった。助けようという気は全く無い、上っ面だけの態度。我が校にいじめは無いと言っているも同然の、腫れ物を扱うような態度。小学校のときにそういうものを散々見せられて、いろいろなものを諦めてしまった俺にとって、それはただただ鬱陶しいものでしかなかった。俺は適当にあしらっていた。教師に対してそんな態度だった俺は、次第に教師にも疎んじられる存在になっていった。

 

そして奴らは、学年でもトップカーストに属する人間だった。小学校のとき俺へのいじめが発覚し、制裁を受けた奴らが俺を逆恨みしたことで激化した、陰湿で執拗ないじめの数々。それを日々目の当たりにしていた同級生たちが、奴らを敵に回してでも俺を助けるなんてことは出来なくて当然だった。俺へのいじめは3年間、公然の秘密と化していた。

 

 

奴らは俺が諦めてしまったことを、何があっても助けを求めないことを知っていた。

俺には耐えることしか選択肢が無いのだということを。

 

 

殴られたり蹴られたり切りつけられたり、火傷を負わされたりするほうが余程恐ろしいのかもしれない。しかし俺はそうは思わなかった。暴行の発覚を徹底して避けようとする理性的な姿勢。狡猾で陰湿で陰険で執拗なネチネチとしたいじめの数々。針という小さな、しかし恐ろしく鋭利な凶器を使って俺を笑いながら突き刺し甚振る狂気。俺はそんな醜悪極まりないモノに日々晒されて、精神がおかしくなってしまいそうだった。まだ殴られたり蹴られたりナイフで刺されてしまったりしたほうがスッキリするのではないか。そんなふうに考えてしまうほど、俺の精神は疲弊していった。それはまさに地獄のような3年間だった。家族という大切なものが無かったら、俺はとっくに自殺していたかもしれない。

 

あいつらにとってはただ画鋲や裁縫針という学校に普通にあるものを使い、極力傷痕を残さず俺を甚振ることを思いついただけのことだったのだろう。それに加えて、相手が陰湿で狡猾で残忍で最低な奴らだったというだけだ。しかし、いじめを絶対に隠し通すいうことに関して、俺と奴らの利害は一致していた。

 

奴らは自己保身のために。俺は俺が傷つくことで大切な人達を、家族を傷つけないために。

 

本当に最低で最悪な利害の一致だった。

 

 

 

 

 

……本当に、最低で最悪だったな。奴らも……俺も。だって同じだろ?結局俺も、奴らと同じ。

 

ずっと自分のことばかり考えていたんだ。今まで、ずっと。

 

ほんと、バカだよな……。こんな単純なことに今さら気付くなんて……。

 

 

 

 

 

これが、中学生だった俺が両親や小町を決定的に傷つけるに至らなかった理由。

俺が中学校のときの壮絶ないじめを、親に誤認させることが出来ていた理由。

事故で入院したにもかかわらず、中学でのいじめによる傷が発覚しなかった理由。  

 

そして、笑いながら俺に針を突き刺す奴らの狂気、恐怖、絶望から逃れるために。

 

 

俺が、表情を消した理由。

 

けれど、悪いことでも無かったのかも知れない。

 

 

 

表情を消すこと。それは他人を拒絶するのに有用な(すべ)で。

 

俺にとって大切な人を増やさないための、有用な術となったのだから。

 

 

俺が戸塚と出会ったのは、そんな地獄のような中学校生活を終え、迎えた総武高校入学式の1週間後。事故に遭い入院していた、俺の病室でのことだった。

 

 

 

 

 

 

 

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