そんなことは、分かっているんだ。   作:uparu

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第5話

「ただいまー!買ってきたよお兄ちゃん」

 

 

勢いよくガラガラと開かれる病室の扉。早い。まさか走って行ってきたんじゃないだろな?

 

 

「おう早かったな小町。おかえり。いきなり開けたらビックリするでしょ」

「どうせお兄ちゃんしか居ないんだから良いでしょ。はいお茶」

「いや看護師さんとか…ま、ありがとさん。でも俺マッカン頼んだ気がするんだけど」

「ダーメ。動けないのにあんな甘いのばっかり飲んでたら病気になっちゃうって言ったでしょ」

「大丈夫だ。病気になってもここ、病院だしな」

「はぁー……。脛の骨のついでにその残念な頭もボルトで締めてもらえば良かったのに」

「いや俺、フランケンシュタインじゃないからね?」

「あーはいはい。お兄ちゃんはゾンビだもんね。知ってる」

「いや俺モンスターじゃないから。一応人間だから。ん…小町、電話鳴ってないか?」

 

小町の鞄の方から規則的に聞こえてくる、ブーン、ブーン、というバイブレーションの微かな音。ちゃんとマナーモードにしてたんだな…さすが小町。俺、耳は良いんだよな。良すぎて俺への悪口が聞こえすぎるのが玉に瑕だが。

 

「ん?…電話?………あ、お母さんだ。なんだろ?ちょっと出てくる」

「了解。行ってら」

 

「はーいもしもしお母さん?………うん。どしたん電話とか?………」

 

小町は通話しながら病室の外に歩いていった。すぐ近くの通話可能エリアに向かったのだろう。電話、母さんからか……。病院で通話しながら廊下歩いたら怒られるぞ。マナーモードは忘れなかったのに…さすが小町。あと、ここで通話しても良いって看護師さん言ってたぞ…今思い出したわ。

……まったく、なんで個室の病室なんだろな。ありがたいんだけど俺が車に突っ込んだようなもんなんだから、何もここまでしてもらわなくて良いのに……。

 

 

 

 

総武高校の入学式から1週間。俺はいま、交通事故による怪我で入院している。

 

 

診断結果は、端的に言って重傷。右太腿部筋挫傷(だいたいぶきんざしょう)及び亀裂骨折、右脛骨(けいこつ)1か所及び腓骨(ひこつ)2か所の骨折、左手首骨折、頭部打撲、擦過傷(さっかしょう)多数。事故直後に意識も失っていた。4時間ほどだと聞いたが…。目覚めてからは、折れた右脛や左手首よりも、打撲と亀裂骨折を負った右太腿の痛みが酷かった。こういう体の痛みには慣れていると思ってたんだけどな…。

右脛の骨折が、骨が大きくずれてしまうような骨折ではなかったこと。車に撥ねられ、体を道路に叩き付けられ、頭を強打したにもかかわらず、臓器損傷や脳挫傷などの深刻な事態にはならなかったこと…それらは不幸中の幸いだった。

入院期間はおおよそ3カ月。ちなみに骨折が太腿か脛のどちらか片方だったら、1か月ほどで退院、自宅療養という形にできたそうだ。左手首はともかくとして、右足のリハビリは相当大変なものになるだろうと、医者に脅されてしまった…そうだろな。今、右足の膝も足首もほとんど曲がらないし…。まあ、高校ボッチデビューを果たすには良い出遅れっぷりだ…と、そう言えれば良かったんだけどなあ……。

 

入院5日目には、折れた脛骨と腓骨をそれぞれボルトとプレートを使って固定する手術を受けた。手術までに5日間の時間が必要だった理由は、右太腿の腫れと痛みを落ち着かせるため、それと、頭部の検査では問題無かったが万が一、頭を打って意識を失っていた俺の脳へのダメージが時間を置いて現れることが無いか…その判断をするためだった。

 

迎えた4日目の再検査。俺は手術を受けることに問題は無いとの判断が下され、翌5日目に全身麻酔を伴う手術を受けることが決まった。この再検査は念のための確認という意味合いが強かったため、OKならば翌日に手術だということは再検査を受ける以前から聞いていたのだが……。

 

家族はかなり心配していた。筋挫傷と亀裂骨折を抱える右太腿が、一時期信じられないくらいパンパンに腫れ上がっていたのを家族も見たというのもある。手術を受けるのは、同じ右足である脛部だ。

しかしそれよりも、俺が事故直後に意識を失ってしまったことが家族にとって俺の考える以上に大きなショックだったようだ…。俺が麻酔でとはいえまた意識を失ってしまうことに、大きな葛藤を抱いていたようだった。

 

……心当たりはある。入院3日目、医者が俺に投げかけてきた言葉。

 

『ご両親は君の傷を見て否定しましたが、その古傷は虐待の痕ではないですか?』

 

普段は怒ることなんて殆ど無い俺だったが、その時の俺はそのあまりの言い草に怒りを覚えた。まあその誤解はすぐに解け、医者から謝罪も受けたのだが…。いくら何でも安直に結び付けすぎで軽率だと思ったが、謝罪を受けて分かった。この人はこういう傷を幾度となく診てきたのだろう、と。それはともかくとして。

 

俺が意識を失っている間に、小学校時代に受けた古傷を両親に見られてしまっていた……。

 

家族は俺が小学校時代に付けられたこの傷痕のことは知っていた。知られてしまった後も、極力見られないように気を付けてはいたが……。けれど今回は悪いことが全て重なってしまったかのようなタイミングで、この古傷をまざまざと見てしまったんだ。

 

意識を失っている俺。事故で負った傷の応急処置を施された身体。そこに刻まれている、両親にとって耐え難い出来事であったはずの俺へのいじめによる暴行、その古傷。そんな姿の俺を見られてしまったのだろう。しかもその時医者には、この古傷は虐待によるものではないかと疑われて。

 

小学校のときの、あの時の取り乱した両親を思い出す…そうだよな。いくらなんでも、冷静で居られるわけがない。俺の知らないところで医者と両親の間にどんなやりとりがあったのか、想像もつかない……。

 

意識を失った俺が…それを含め、これまでの俺がどれほどの心配を家族に掛け傷つけてきたのか。俺は改めて嫌というほど痛感させられることになった。

 

中学校で受けた傷痕が誰にも見つからなかったことは本当に助かったと思う。知らない人間にとってはかなり注意深く見ないと分からないだろうけど…事故で負った目立つ傷が幾つもあったことと、古傷のこともあったから、見過ごされたのだろう。まさかその上、こんな傷があるだなんて思いもしないだろうしな。もしこんなものが幾つも見つかってしまっていたら、もっと大変なことになっていたに違いない……。

 

両親でさえそんな様子だった。だから小町が「ごまぢもにゅういんずるゔうぅ!」と号泣しながら目覚めたばかりの俺にしがみ付き、しばらくの間離れてくれなかったのは仕方無いことだと思う。俺は兄として本当にダメな奴だ……。両親も医者もオロオロしていたけど俺は大丈夫だからと、傷の痛みに堪えながら小町のなすがままにされていた。せめてそれくらいはやらなければと。スイッチが入るとスーパーブラコンになってしまうところ、ほんと昔から変わらないな……。

 

 

……ほんと、変わらない。あの時と同じだ。だから俺は……。

 

 

…その帰り際、後ろ髪を引かれるように俺の病室を後にする両親と、やっとのことで落ち着きを取り戻し、それでも涙目で俺を振り返りながら両親に付き添われていく小町。あのときの皆の顔を思い出すと、傷の鋭い痛みが蘇ってくる。あの日は高校生になった初日だったというのに、また俺は家族を…小町を悲しませてしまった……。

 

 

 

俺はあの時、事故が起きてしまったあの瞬間、どうしていれば良かったのだろう?意識を失ってしまっただけでも、あれほどまでに家族に心配を掛けてしまった。もし俺が命を落とすようなことになっていたら、取り返しのつかないほどに家族を傷付けてしまっていただろう……。

 

大切な人を深く傷付けてしまうこと。それは俺がどんな目に遭おうとも、今まで必死に避けてきたことだったはずなのに……。それなのに……。

 

 

それなのにあの時の俺は、その全てを忘れてしまうほどの何に動かされたんだろう?立ち竦むでも傍観するでもなく、なぜ俺は全く関係の無い見知らぬ犬を助けようと、後先考えず全力で走り出したんだろう?

 

正直、犬を助けたいと思ったわけじゃない。そんな時間の余裕は無かった。当然、俺が怪我をすれば家族が悲しむかもしれないと考えている余裕も。意識して思う前に、考える前に体が動いていた。どうしていれば良かったのかだなんて、分かるわけがないよな……。

 

……いや。きっと事故直後に意識を失った所為で記憶が曖昧になっているだけだ。あの瞬間、犬を助けたいという意識が俺にはあったのだろう。怪我をせずに助ける自信もあったはずだ。それを読み間違えた結果が、これなんだ。

 

 

それ以外の理由なんてあるわけがない。俺に、あるはずがないのだから……。

 

 

助けた犬は少し怪我をした程度だったことと、迷子の飼い犬だったのだろう。飼い主が、手術を終え麻酔で眠っていた5日目に俺の病室にお見舞いに来て何度も何度も感謝の言葉を口にしていたと、その時に居合わせていたオヤジから聞いた。よくやったな、誇りに思う、という言葉と共に。それが家族を悲しませてしまった俺にとっての、僅かな救いだったのかも知れないな……。

 

 

 

「小町、遅いな……」

 

 

小町を待つ俺はヒマを持て余してしまい、選ばれしボッチの固有スキル「ただひたすらに過去を振り返り後悔する」を発動中だ。生憎、小町に持ってきてもらった本は読破してしまったうえ、今日持ってきてもらった本は恐らくまだ小町の鞄の中。時間があると色々考えてしまう。「ただひたすらに」というところがミソだ。このスキルを発動したところでロクな結果にはならないのだが、これは小町専用お兄ちゃんスキル同様、条件が揃えばオートで発動してしまう。発動条件はヒマであること。つまり俺が選ばれしボッチである限り、この呪われしスキルは外せないのだ……。

 

ちなみにこの基本スキルからの派生で「脳内のフラッシュバックに反応しオートで独り言を発する」という恐ろしいスキルもある。もちろん取得済み。最近は学校に行かなくなって気が緩んでいるのか、無意識にいきなり言葉を発してしまうことがある。スキル発動条件は一人の時だから誰かに聞かれることは無いと思うけど。学校に行っていた時、こんなことは滅多に無かった。フラッシュバックって要は、トラウマってやつなのかしらん…そんな自覚無いんだけど……。

 

小町は初日から今日の入院7日目まで、毎日見舞いに来てくれている。ちょっと来過ぎな気もするが、この1週間は俺の手術のこともあったしな…俺と小町が逆の立場なら、小町が退院するまで病院に泊まり込もうとして追い出されるまである。追い出されちゃうのかよ。

 

小町は一見元気そうに振る舞ってはいるが、無理をしているのが一目瞭然だった。楽しそうにニコニコキラキラしながら、学校であったことや友達のことを話してくれるいつもの小町とは程遠い。俺を気遣いながら、心配しながら、それでも俺の前ではいつも通りであろうとしてくれている小町。

 

そもそも小町がここまでのブラコン…心配性になったのは、両親が仕事で小町と過ごす時間を十分に取れなかったことで、俺が出来得る限り小町と一緒に居たこと。それに加えて、俺がずっといじめを受けていたことが大きな要因の一つだ。小町は昔から家族には我が儘放題言うけど、大事なところでは必ず自分を後回しにしようとする。そしてそれを譲らない。

 

仕事で家に居ない両親。いじめを受け、それを頑なに隠し続ける俺。それでもそんな環境の中、自分が両親や俺に心配を掛けることがないようにと過ごしていたのだろう。普段はあれほど明るい小町だ。その自覚は無かったのだと思う。それは裏返せば、自覚することが出来ないほど無意識に刷り込まれていた、ということなのかもしれない……。

 

小町は感情がコントロール出来なくなったときの反動が大きい。俺が入院した初日のときのように、スイッチが入ったような状態になる。それは間違いなく、ずっと小町に自覚の無い我慢を強いてきた所為だろう……。それなのに、俺は未だに小町を安心させてやることも出来ず気遣わせて、心配させてしまっている……。

 

 

 

……あの日…小雪が舞うあの公園で、家出した小町を見つけたときから、ずっと。

 

 

 

俺がいつものようにうじうじと後悔し始めていたとき、また唐突に病室の扉が開かれた。

 

 

「ただいまー!ごめん遅くなっちゃった。もーお母さん話長いんだもん!仕事サボって娘に長電話とかやめなさいって言っちゃった」

「おおう…おかえり。だからいきなり開けるとびっくりするって…それとちょっと言いすぎなんじゃねえの。母さん泣いちゃうよ?」

 

母さんも小町とお話したかったんだよ…小町にそんなマジ説教喰らったら、俺かオヤジだったら間違いなく夜、枕を濡らすことになる。

 

「子供じゃあるまいし泣くわけないでしょ。ちょっとだけ落ち込んでたみたいだけど」

 

母さん……。それはたぶんちょっとじゃないぞ小町よ。

 

「そ、そうか……。で、何だったの?」

「…あー、なんか今度の土曜、家に友達連れておいでってさ。お兄ちゃんの入学祝いの予定が無くなっちゃったから、用意した食材が余っちゃうんだって。いつも頼み過ぎなんだよねほんと」

 

…確かにいつも食い切れた試しが無い。しばらく豪華すぎるメシが続くことになる。いつも家に居ないぶん、こういう記念日や祝い事なんかにはここぞとばかりに注ぎ込むんだよな…まあ、ありがたいけど。

 

「…そうか。まあ、そうだよな…母さんたちには悪いことしたな…。小町も、すまんかったな。いっぱい友達呼んでやってくれよ。俺も居ないことだし」

「はぁ……小町のことはいいって言ってんのに…。それよりそこで自分が居ないからって言うのはお兄ちゃんくらいだよ?今回は確かにそうだけどさ。そんなの、ちょっと顔出して挨拶する程度でいいのに…この前のだってそう……」

「……まあそのうち前向きに検討して善処する」

「アーハイハイソウデスカ。小町そろそろ帰るから」

「小町が冷たい……」

「何言ってんの。お兄ちゃんもうすぐ夕飯の時間でしょ。小町もお腹空いたの」

 

そう言いながら、持ってきた何冊かの本を俺に押し付ける。さっさと帰り支度を済ませ、俺に背を向け扉へと歩いていく小町。

 

 

「ありがと。…ほんとズルいよねお兄ちゃんって。ね、お母さん」

 

 

「ん?何か言ったか小町?」

「…なんでもない。じゃあ、またね」

 

 

 

病室の扉を開け、俺に向き直り弱く微笑む小町。しかしそれも一瞬のことで、少し呆れたようないつもの表情で小さく手を振ったあと、静かに扉を閉じた。

 

 

 

 

 

 

 

 


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