トリステインのさる令嬢。
ジョンキーユ伯爵家の三女であるルシィ・アメイニアス・ド・ジョンキーユは、十歳のある日、生まれて初めての恋をした。
「この鏡に映ってる子、めちゃくちゃかわいい」
そう。自分の姿に、恋をした。
この少女、ルシィには前世の記憶がある。
前世において、ルシィは女ではなく男だった。
それも、このハルケギニアとは異なる世界、地球と呼ばれる場所で生きた男子高校生であった。
ルシィになる前の彼は、ごく平凡な、十五歳の少年だった。多少女好きで、ややロリコンの気はあったものの、それを除けばおおよそ普通。性癖が高じて女性に手を出すようなことも当然なく、ごく一般的な常識と良識を持ち、家族や友達と幸せに過ごしてきた。
が、彼は死んだ。
なんでもない学校の帰り道に、暴走して突っ込んできたトラックに撥ねられ、その人生を終えた。
しかし、その魂は数奇な運命を経て、このハルケギニアに流れ着いた。
彼は二度目の人生を得て、彼女となった。
ジョンキーユ家の貴族令嬢に生まれ変わり、ルシィと名を与えられた彼女。
しかし、裕福な貴族の家に生まれながらも、彼女の心は決して幸せではなかった。
「――いえに、かえして」
齢一歳にも満たぬルシィの、最初に喋った言葉がこれである。
ルシィは、自分の転生を受け入れられなかった。
家族に会いたい、友達に会いたい。読みたい本があって、食べたい物がある。やりたいことがあって、成したい夢があった。そして、その全てを、新たな生を対価に奪われた。
この地球ならぬ大地では、二つの月が浮かぶハルケギニアでは、もう自分の前世を顧みることさえ出来ない。ルシィは絶望し、泣いた。どうしてあのまま死なせてくれなかったのかと喚いた。
ルシィの両親は
人間の心は二年も経てば自然と環境に順応するものだが、なぜかルシィの心はいつまで経っても慣れることを知らなかった。それが転生による影響であるのか、あるいはそういう魂だったからこそ転生を果たしたのか……もはや誰にも分からぬことだったが、ルシィにとってはただただ不幸なことでしかなかった。
「ルシィはもう駄目だ」
父であるジョンキーユ伯爵は匙を投げた。
この子に関しては諦めよう。どうせ三女だ。育てばそれなりに見目良くなりそうだし、政略結婚の道具にでも使えればそれで良い。我が子に対し、あまりにも冷たい態度であった。
しかし、ルシィの母は娘の面倒を見続けた。自分のことを母とも言わぬ娘に、ひたすら愛情を注ぎ続けた。
普通なら不気味に思うような子供だったが、ルシィの母は辛抱強かった。病気がちの自分が無理に産んだ子だったために、何かおかしな病が胎の中にうつってしまったのではないかと、罪悪感を感じていたのだ。
彼女は娘のわけの分からぬ話を笑顔で聞き、話し相手になり、聞いたこともない料理をメイドと一緒になって作り、食べさせ、欲しい物があれば何とか作れないかと職人に頼み込み、似たようなものを用意した。
ルシィはそんな母親に対して、少しずつ心を開いていった。
ルシィの中では他人でしかなかった母を母と呼ぶようになり、部屋からも少しずつ出るようになった。
母の勧めで気味が悪いと遠ざけていた魔法を勉強し、初めて風の魔法を使った際には、生まれてから一度も見せなかった笑顔さえ浮かべた。
だが、彼女の中にある闇はそう簡単には晴れなかった。
ルシィは、自分が自分でなくなってしまったことがずっとずっと怖かった。自分の姿が映っていないことが怖くて、鏡に向けてウィンド・ブレイクを撃ち放ったことさえある。母はルシィの目の届く範囲に鏡を置かないよう使用人達に言いつけ、齢五歳にも満たぬ幼女の魔法の破壊力に怯えた使用人達は、勢いよく首を縦に振り恐々と従った。
そんな情緒不安定なルシィだったが、彼女が十歳になってしばらく経ったある日、一つの転機が訪れる。
それは、母親からの、舞踏会の誘いだった。
「……その舞踏会には、僕が、どうしても出なければいけないんですか?」
「ええ、お願い、ルシィ。ごほっ……あなたに会ってみたいっていうメイジの方々がたくさんいらっしゃるの。この歳でラインスペルを使えるなんて聞いたことがない、ぜひ一度その子に会わせて欲しい、って」
ルシィは風のラインメイジである。精神的に成熟している彼女は魔法を覚えるのが早く、ジョンキーユの娘は神童であるという噂がトリステインの貴族たちに広まっていた。
口さがない者たちは情緒不安定であるルシィをさし「呪われたことで力を得ている」とか、「亜人の混血ではないのか」などと言うこともあった。だが、それでも幼い鬼才を一目見たいというメイジは少なからずいた。
「ドレスなども、着なければいけないんですよね」
「そう、なるわね」
自意識が男であるルシィは、それを聞いて暗澹とした気持ちになった。二人の会話をそばで聞いていた新人のメイドが、勘違いして口を開く。
「お嬢様はとても可愛らしいので、きっとお似合いになると思いますよ!」
「…………っ」
思わずメイドをにらんでしまうルシィ。ルシィが女扱いを嫌がることを知る古株のメイド達は、慌ててその新人を叱りつけ、部屋から叩き出した。怒ったルシィが放つラインスペルの巻き添えになりたくなかったのだ。
ルシィは情緒不安定でこそあるものの、癇癪を起こして人を攻撃するほど子供ではない。使用人達の警戒は過剰であったが、それも仕方がないか、とルシィは内心で納得していた。
自分は今でもずっと前の世界のことが忘れられない。脳ではなく魂に記憶が刻み込まれてしまったかのように、忘れることが出来ない。どうにかして現状を受け入れなければならないのに、心があちらの世界にあるまま、不安定に揺れ動いているのだ。
「ごほっ……どうかしら、ルシィ……」
ルシィはこの頃ますます病気がちになってきた母を見る。
その顔は、年に対して随分と老けて見えた。赤子の頃は艶があり、美しかった銀髪も、今ではただ真っ白な白髪に変わっている。くすみだしている青い瞳が、不安げに自分を見つめていた。
幼い頃からずっと自分の我がままを聞いてくれていた母が、ここまで言うのだ。きっとこれは、ジョンキーユ家のためにも必ず出なければならない催しなのだろう。
母を安心させたい一心で、ルシィは答えた。
「分かりました、母上。その舞踏会に出席しましょう」
ルシィは生まれて初めてのおめかしをすることになった。
着付けを担当するのは、先にも挙がった新人のメイドである。使用人たちはドレスを着せられるルシィが魔法で暴れることを恐れ、彼女に役目を押し付けたのだった。
「さ、先ほどは申し訳有りませんでした、お嬢様! 私に出来る限り、精一杯可愛らしくしてみせますので!」
「……ああ、はい。何でもいいので、早くしてください」
やはり何か勘違いしている新人のメイドに対し、ルシィはげんなりと答える。
前世を忘却出来ないという特性によるものか、ルシィの心は十年経っても高校生男子のままだった。もちろん女装の趣味などなく、可愛らしくされたところで嬉しいわけもない。
ぼうっとしたまま、メイドのなすがままになるルシィ。ドレスを着せられ、髪を結われる。
「出来ました! わぁ、本当に可愛い……お人形さんみたいですよ、お嬢様!」
そうですか、とつれなく答えるルシィに、メイドが姿見を用意しだす。
「ほら、見てください!」
思わず顔をしかめる。
ルシィは鏡が嫌いだ。何しろ、自分の姿が映っていない。彼女にとって自分の姿というのは、十五歳の男子高校生だった時の、あの平凡な姿である。特別好きな顔というわけでもないが、それでも慣れ親しんだ自分の顔だ。それが映らず、あの子供とは思えないほど陰鬱な顔をした三歳児が映った時は、これは何の怪談かとパニックになって思わず魔法で鏡を叩き割りさえした。
そんなトラウマから、ルシィは今までろくに鏡を見たことがない。
が、いい加減こういったことにも慣れていかなければならないのだろうと、ルシィは恐る恐る目を開けた。
「え」
そして、目を見開いた。
そこに映っていたのは、見惚れるほどの美少女だった。
天使みたいだ、とルシィは思った。
キラキラと輝く銀髪。空の色に似た青の瞳。ハルケギニアに住む人々のコーカソイドに似た面立ちは、日本人の感性を持つ彼女には実際の
メイドの言うように、人形のように整った容姿はやや憂いを帯びているものの、それでも一目見て分かるほどに可愛らしく、美しい。ルシィは心臓をライトニング・クラウドでぶち抜かれたような衝撃を受けた。
「――この鏡に映ってる子、めちゃくちゃかわいい」
「え、あ、はい。そうですね、お嬢様! とっても可愛いです!」
「これ、誰ですか……?」
「いえ、ルシィお嬢様ですよ?」
「これが……」
ルシィは自分の姿を眺め、感嘆のため息をつく。
「…………」
すっ、と心の中の闇が晴れる。
今までずっと、自分が自分でなくなったことが怖くて怖くて仕方がなかった。だが、今映っているこれが自分だというのなら、今まで自分は一体何を恐れていたのだろう。今までの自分を馬鹿馬鹿しく思うほどに、その少女は美しく、可憐だった。
ルシィは思わず母に謝り、そして感謝する。今までずっと、母が与えてくれたものは愛だけだと思っていた。しかし、こんなすぐそばにもう一つの贈り物があったことに、ルシィは今になって初めて気づいた。
「お、お嬢様? 何を……」
メイドが見る前ことなど気にもとめず。
「ん……」
――ルシィは鏡の自分に口づけをした。
子供の冗談のようなそれが、彼女にとっての契約だった。
今日からこの自分を受け入れるという、彼女なりの誓いだった。
心の中で、ずっとしがみついていたものに別れを告げ、彼女は彼女に感謝を捧げる。
「……ありがとうございます、ルシィ・アメイニアス・ド・ジョンキーユ」
ようやく、地球に置き去りになっていた心が、ハルケギニアに追いついた気がした。
そして時は流れ、五年後。
十五歳となり、前世の年齢に追いついたルシィは、トリステイン魔法学院にいた。
あの日からルシィは変わった。
不安定だった情緒は落ち着きを見せ、周囲とも積極的に関わるようになった。
子供らしからぬ陰鬱さと自暴自棄は鳴りを潜め、自分を大切にし始めた。
断固として拒否していた淑女教育にも自分から取り組むようになり、魔法に関してはより一層の研鑽を積む。
母譲りの美しさを存分に発揮し、自らをより輝かせんとする様は、まさに理想の淑女。
同年代よりやや高い身長に、スレンダーかつ均整な肢体。輝く銀髪は地球の月に似た色を放ち、青い瞳は蒼穹と見紛わんばかりの鮮やかさ。十五歳になったルシィの姿は、もはや目もくらまんばかりの美しさだった。
ついには風のトライアングルにまで至り、『鏡』の二つ名で魔法学院に名を馳せる彼女、ルシィ・アメイニアス・ド・ジョンキーユは、今――
「ルシィ! ルシィ! ルシィ! ルシィぅぅうううわぁああああああああああああああああああああああん!!! あぁああああ……ああ……あっあっー! あぁああああああ!!! ルシィルシィルシィぅううぁわぁああああ!!!」
――色々と拗らせすぎて、大変なことになっていた。
「ああ、可愛い……ルシィちゃん可愛い……僕可愛い……」
満面の笑みを浮かべ、自室の鏡に頬ずりする、制服姿の銀髪美少女。
この残念な淑女が、五年を経て成長したルシィの姿であった。
五年前のあの日。自分を受け入れたルシィは、
冒頭に述べた通り、前世のルシィは女好きであり、ややロリコンの気があった少年である。
"前世を忘却できない"という特性により、転生してから今日まで、ルシィの心は十五歳の男子高校生である前世のままだった。そのため、十歳のルシィを見たルシィは、鏡に映る自分の姿に一目で恋に落ちた。
三歳児の時点では転生後のショックも抜けきらず、流石に性癖的にも刺さらなかった彼女だが、十歳になったルシィの姿はそれはもう愛らしく、彼女のストライクゾーンにギリギリで、しかし勢いよく入ってしまった。よりにもよって自分に恋をした彼女だが、しかしルシィはルシィを愛することで、前世に対する未練をようやく払拭できたのだった。
それからというもの、ルシィは自分を磨くことに執心した。ルシィにとって、ルシィは前世に囚われる自分を救ってくれた恩人である。彼女の美しさを高め続けることは、彼女の今生における義務であり、使命だった。
そうして、前世の意識を完全に保ったままルシィを愛するようになったルシィは、それはそれは拗らせた。何しろ、極上の美少女が誰よりも何よりもすぐ近くにいるのだ。彼女は自分を救ってくれた恩人で、決して自分を裏切ることなく、そして自分の意思に完全に応えてくれる。
こんなの好きにならない方が無理という話だ、と、ルシィは事あるごとに思う。
「ルシ――痛いっ! 何するんですか、ナスト!」
ルシィは自分に体当たりをかましてきた小動物を睨む。
大きな青い目をしたイタチのような生き物が、白けた半目でルシィを見下す。
ナストと呼ばれたこの幻獣は、『サモン・サーヴァント』によって召喚されたルシィの使い魔。種族名をエコーと言い、先住魔法による変身が可能な古代の幻獣である。野生では枯れ葉などに化けて人間の目に付くことを避ける、臆病な気質の生物だった。
青い目のイタチは、主人を窘めるように彼女の胸元のペンダントをてしてしと叩く。
母の形見であるそれの存在を突きつけられ、ルシィは慌てたように身だしなみを整える。
「で、でも、別にいいじゃないですか。どうせ他に人もいないんだから……部屋でぐらい好きにさせてくださいよ、もう」
ルシィはぎゅっと母の形見を握りしめる。
元々病気がちだった彼女の母は、一年前に他界した。心労をかけとおしだったルシィだが、元気になった娘を見る母の死に顔は穏やかだった。……微妙に心残りがある感じの顔ではあったが。
「けれど確かに、そろそろ寝る準備はしておいた方がいいですかね……。明日の朝は確か、ギトー先生の授業でしたから。一年生の時は授業が受けられませんでしたもん」
風のスクウェアメイジ、『疾風』のギトーに対する期待を膨らませながら、彼女は就寝の準備をする。
「楽しみですね、ナスト。良い先生だったらいいですね」
使い魔に微笑みかけながら、ルシィは部屋の明かりを消す。
その直前、ちらりと部屋の姿見を見た。
ルシィの好みに合わせて磨き上げた、銀髪青眼の美少女。ルシィにとってルシィは完璧であり、欠点などあるはずがない。だが、強いて、一つだけ不満をあげるなら――
「鏡の中から出てこないってところなんですよね」
困ったものです、とルシィは呟く。主人を見るナストの目は白々しげだが、ルシィが気にした様子はない。
無論、こんな不満は言いがかりも良い所だ。少なくとも、ここが地球だったならばそうだ。
しかし、このハルケギニアには魔法がある。
「『
自らの分身を作り出すスクウェアスペルに夢を見て、彼女はベッドの上で目を閉じた。
家葉テイクさん主催のゼロ魔二次競作企画の長編部門総合評価一位の景品として、主人公ルシィのイラストを頂きました! めちゃくちゃ可愛い! イラストを描いてくれたセンシュデンさん、ありがとうございます!
全身イラスト
【挿絵表示】
表情差分
【挿絵表示】
まとめ
・ルシィ・アメイニアス・ド・ジョンキーユ
トリステインのある貴族の三女。風のトライアングルメイジ。
地球からハルケギニアに転生している。ゼロ魔世界の地球から転生している設定なので、原作知識は無し。
『前世を忘却しない』という転生特典を持っているが、その分望郷の念が深まっており、幼少期を苦しみながら過ごすことになる。
十歳の頃にようやく自分を鏡で見て覚醒。ナルシストになる。現在はトリステイン魔法学院で『偏在』を覚えるために風属性を鍛えている。
・ナスト
タバサの冒険2巻に登場した幻獣・エコーの一個体。ルシィと契約した使い魔。ルシィ+ナストでナルシスト。ナルシストの語源になったナルキッソスさんの逸話に合わせて採用。