TS転生者は『偏在』したい【完結】   作:潮井イタチ

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昨日書き終わった直後に力尽きたのでお昼休みに最終話投稿。


08-2_異界の双風(後)

 ワルドを見る才人の目は、火のような怒りに燃えていた。

 

「てめえ……」

 

 横殴りに剣を払う才人。ワルドはそれを、飛び退って躱す。

 

 才人は、横目でちらりとルシィ達を見た。

 ルシィは、失神していた。ルイズが焦りと不安に満ちた顔で、何度も気を失ったルシィに呼びかけている。

 

「許さねえ」

 

 唇をぎりっと強く噛み締めて、才人は唸った。

 それに対し、残忍な笑みを浮かべる二人のワルド。

 

「そうか、なるほど。主人の危機が目に映ったか」

「よくも、ルイズ達を騙しやがったな」

「目的のためには、手段を選んでおれぬのでね」

 

 剣を腰だめにして、突っ込んでいく才人。三人の間で交わされる剣戟。

 しかし、やはり腕の火傷が痛むのか、戦況は芳しくない。ワルドは羽根のように才人の攻撃をかわし、もう一人のワルドが折れた杖を才人に振るう。

 

 不安げに才人を見るルイズの前で、ルシィが目を覚ました。

 

「ぐ……」

「ルシィ! 大丈夫?」

「ええ……。イル・ウォータル・デル……」

 

 ルシィは『治癒』を詠唱し、自らの傷を癒やしていく。

 なかなか癒えない傷跡を見て、ルイズはぽろぽろと涙を零した。

 

「ごめんなさい、わたし、ルシィの使い魔が教えてくれてたのに、無視して……」

 

 ルイズのそばから、ナストが顔を出す。

 その口にくわえられたのは、ルシィの遺書だ。もしワルドが裏切り者だった時に備え、日も昇らない内に用意しておいたもの。

 しかしそれは、封も開けられないまま折り曲げられていた。

 

「見たの。昨日、サイトが、あなたの部屋に入っていくところを」

 

 昨日の夜。ルイズは、近くの部屋で話すルシィ達の会話をこっそりと聞いていた。

 自分に別れを告げた才人は、ルシィと楽しげに話していた。

 嬉しそうに談笑するルシィと、部屋を出ていく才人の満足げな顔。それを見て、ルイズはどうしようもない悔しさと、寂しさ、そして悲しさを溢れさせてしまった。才人はもう、自分のことなんてどうでもいいのだろうと、そう思った。

 

「ばかですね、ルイズ……、もしそうだったら、僕に、君のことをよろしく頼むなんて、言うはずがないでしょう」

 

 そして、ルシィはまた立ち上がった。ナストを肩に乗せ、眼前の敵を見据える。

 完全に回復したわけではないが、これなら十分に戦える。ルイズは慌てて止めようとしたが、ルシィは首を横に振った。

 

「どうして、そこまでして戦うのよ……!」

「好きだからですよ、才人が」

「っ……」

「そして、君が」

「え?」

 

 ルシィは杖を構えながら、ルイズの顔を覗き込み、微笑む。

 

「僕は、君たちのことが大好きです」

 

 苦戦する才人に向けて、ルシィは走った。

 才人は、追い詰められていた。折れた杖を持つワルドを相手にしているために、もう一人の魔法に対処できない。

 無慈悲な本体が唱える『ウィンド・ブレイク』。今の才人には、それを避ける手段が無い。

 

「才人!」

 

 しかしそれは、ルシィの『ウィンド・ブレイク』で相殺された。

 ワルドの魔法が、威力を殺される。先ほどまでのルシィなら余波で吹き飛ばされていた一撃を、完全に、防ぐ。

 現れたルシィは、彼らが気を取られている内にいつものマフラー姿に変わっていた。壁の穴から吹き抜ける風が、青い布をたなびかせる。

 

「ルシィ!」

「助太刀します、才人!」

 

 背中合わせになる二人。

 才人は折れた杖を持つワルドに向けて、ルシィは本体のワルドに向けて、それぞれ相対する。

 

「力量で劣る者が二人になったところで、勝てると思ったか? 『ガンダールヴ』もトライアングルも、この『閃光』には届かぬ!」

 

 そうしてもまだ、ワルドは強い。剣術で才人を上回り、魔法でルシィを上回る。二対二になっても、彼らの不利は変わらない。

 

 しかしそこで、デルフリンガーが叫んだ。

 

「思い出した! お前、『ガンダールヴ』か!」

「なんだよてめえ、こんなときに!」

「俺は昔、お前に握られてたぜ。六千年も前の話だ! 懐かしいねえ、泣けるねえ! 相棒と、そこの娘っ子が頑張ってるんだ! 俺もこんな格好してる場合じゃねえ!」

 

 デルフリンガーの刀身が光り出す中、ワルドは『ライトニング・クラウド』を放つ。ルシィが『エア・シールド』で防ぐが、弾けた稲妻が才人の方へと漏れてしまう。

 

 が、しかし……それは、輝き出したデルフリンガーの刀身に吸い込まれた。

 

「ちゃちな魔法は全部、俺が吸い込んでやるよ! この『ガンダールヴ』の左腕、デルフリンガーさまがな!」

「デルフリンガー……! 才人、交代です!」

「わかった!」

 

 位置を入れ替わる二人。

 杖を折られたワルドがルシィの魔法で吹き飛ばされ、本体の放つ魔法がデルフリンガーに吸収される。

 

「なるほど、やはりただの剣ではなかったようだ。――では、こちらも本気を出そう」

「まずい……っ!」

 

 ルシィは本体へと向き直り、才人とともに猛攻をしかけた。しかし、ワルドは軽業師のように剣戟と魔法をかわしながら、呪文を唱える。

 

「ユビキタス・デル・ウィンデ……」

 

 呪文が完成した、次の瞬間。

 二人だったワルドが、五人に増えた。

 

 それこそは『風の偏在(ユビキタス)』。スクウェアのみが扱える、風の魔法を最強と呼ばせうる所以。一つ一つが意思と力持つ、『偏在』する風の分身。

 

 ルシィは初めて、その発動の瞬間を見た。

 魔法とともに巻き起こった、風の流れ、空気のゆらぎ。トライアングルでは決して届かない、圧倒的な魔力の量。

 

 密度を増した攻撃に、二人の優勢は、一瞬で崩れる。

 

「がはっ!」

「ぐっ……!」

 

 吹き飛ばされる二人。地面に転がるルシィと才人。

 才人は、とっさにデルフリンガーへと叫んだ。

 

「おい、伝説の剣! もっと伝説っぽいことやってくれ! このままじゃ殺される! 必殺技とかねえのか!」

「んなもんねえよ。おりゃあ、剣だってのよ。しかし、何だったかな。思い出せねえや。今の相棒がどっか安心してるせいか?」

「これが安心してるように見えるかよ、くそっ!」

 

 もはや、勝ち目は無い。戦力差は二倍以上。敗北以外の道など、あるはずがない。

 

 しかし、それでも。

 才人は、剣を持って立ち上がる。

 

 それは、いつか見た、目も眩まんばかりの希望であり、輝きの姿だった。

 

「才人……!」

 

 才人は壁を背にして、前と左右、三体のワルドの攻撃をどうにか捌く。しかし、残った二体が、ルシィに向けて杖を振るう。ルシィでは一人を相手にするので精一杯。受けきることは、できない。

 

「やめなさいよ!」

 

 ルイズは叫んだ。恐怖に震えながら、杖を構える。

 彼女はメイジでありながら魔法を使えない。本来なら、そんなものを警戒する必要はない。

 

 だが、ワルドはルイズの真の力を知っていた。

 強い感情は魔力に影響する。この窮地に際して『あれ』の片鱗が出てこないとも限らない。

 

「ぐあっ!」

 

 ワルドは咄嗟にルシィを蹴り飛ばし、盾に使い、ルイズの射線を遮った。

 

 このまま放てば、ルシィを巻き込む。ルイズははっとなり、呪文を止める。

 その隙を見て、ワルドの一体が無防備なルイズに躍りかかった。

 

「ルイズ!」

 

 才人は叫んだ。

 相手は五人。才人は三人を相手にし、ルシィは一人を抑えている。

 どうあがいても、ここにあの分身の攻撃を止められる者はいない。

 

 しかし。

 

 今この時、少女は見たのだ。

 その湖面の瞳に、映したのだ。

 

 立ち上がる才人を。

 立ち向かうルイズを。

 

 そして、ずっと待ち望んでいた、『偏在(ユビキタス)』の発動を。

 

 ルシィの中で、決意が漲る。

 魂の奥底で、風が轟々と唸っている。

 親愛が、友情が、勇気が、希望が、強い強い感情が、彼女の心を震わせる。

 

 魔力は気力だ。

 気力は感情だ。

 強い感情の力は、魔力の総量に影響する。

 

「――ユビキタス・デル・ウィンデ」

 

 ルシィの魂から、風が吹く。

 異世界から吹く風が、頬を撫ぶった。

 

 


 

 

 転生者は『偏在』する。

 今ここに、『鏡』の少女はその身を映す。

 

「――――」

 

 礼拝堂から音が消えた。

 思わず、全員が動きを止め、それを見る。

 

「……馬鹿な」

 

 鉄拵えの杖は、ルシィに受け止められていた。

 ――虚空から現れた、もう一人のルシィに。

 

 最初からいたルシィと違い、マフラーはない。

 しかし、それは決して幻ではない。ワルドの一撃を防いだことが、彼女が実体を持つことを証明していた。

 

「この瞬間に、スクウェアへ至ったというのか!?」

「『風の偏在(ユビキタス)』、確かに習得しました。ご教授ありがとうございます、ワルド子爵!」

 

 烈風が放たれる。

 それはもはや、トライアングルに収まる威力ではない。

 メイジの頂点、スクウェアに相応しい一撃だった。

 

「がっ……!」

 

 油断していたワルドの一体が吹き飛ばされ、壁に叩きつけられる。

 

「おの、れ……! 調子に乗るな!」

 

 ワルドの攻撃が、激しさを増す。

 だが、才人は三体を相手にし、二人のルシィが二人のワルドを相手にしている。もう、ルイズに攻撃が飛ぶことはない。

 戦況はもう一度持ち直した。

 

 しかし、それでも。

 それでもまだ、ジャン・ジャック・フランシス・ド・ワルドは、強い。

 

 こうなったワルドに、もはや一切の余裕は無い。容赦は無い。

 もともと一人を相手にするのでも手一杯な才人は、三人の猛攻に徐々に押し負けていく。スクウェアになったルシィはワルドと同等の力を手に入れたが、戦闘経験は相手の方が上。

 

「ルシィ! もっといっぱい分身してくれ! 十人ぐらい!」

「無茶言わないでください! 覚えたての呪文ですよ!」

「そうですよそうですよ! 僕一人出すのでも精一杯なんですから!」

「才人の方こそ必殺技出してくださいよ! 『ガンダールヴ』なんでしょ!」

「ですです! 頑張れ頑張れさ、い、と!」

「二人になった途端、うるせえ! やっぱりいいよ、分身しなくて!」

 

 才人のツッコミと、剣戟が、キレを増した。振り下ろされるデルフリンガー。それはワルドでさえひやりとさせる一撃だった。飛び退いてかわす。

 

「でも、まずい、ですね……」

 

 ふざけたような調子で才人を応援するルシィだが、しかし、内心は冷静である。

 このままでは、勝てない。先の分身との一戦のように、どうにかして、相手の不意をつかなければ。

 

「デルフリンガー!」

「どうしたね、銀色の娘っ子……うおっと!」

 

 ルシィの一人が、風の刃を乱れ撃つ。才人ごと巻き込んだ攻撃だが、デルフリンガーに吸い込まれ、彼が傷つくことはない。三人のワルドが、かわしきれずに裂傷を作る。

 

「おいおい、相棒ごとぶった切るところだったぞ!」

「あなたがいたからやったんでしょう! さすが、伝説の剣!」

「嬉しいこといってくれるじゃねえか!」

 

 一時、才人が有利になる。だが、不利な戦況をひっくり返すほどではない。

 

「なら、一瞬だけでも……ラナ・デル・ウィンデ!」

 

 ワルドごと、地面に叩きつけるように『エア・ハンマー』を詠唱する。

 床が粉砕され、煙のような粉塵が巻き上がった。ルシィ二人とワルド二人、四人の姿が見えなくなる。

 

「視界を遮ろうが、音が聞こえるなら問題は無い!」

 

 ワルドが言う。次の一瞬、音が消えた。そして、煙の中から焦ったような声が響く。

 

「しまっ……分身が! 一人、そっちに行きます!」

 

 煙の中から、羽帽子の男が飛び出す。それは三人を相手にしている才人の方へと飛び込み、『エア・ニードル』を突き出してくる。

 三人ならなんとかしのげていた才人も、四人がかりでは、勝ち目が無い。焦る才人だが、こればかりはどうにも出来ない。

 

 絶体絶命かと思われた時。

 飛び込んできたワルドは、あろうことか本体のワルドに杖を突き込んだ。

 

「なっ……!」

 

 寸前で回避する本体。避けきれなかった風の渦が、ワルドの左の二の腕を深々と抉る。

 飛び込んできたワルドは舌打ちをし、少女の声で悪態をつく。

 

「ちぃっ! これでもダメですか! もう死んでくださいよ、完全に入るところだったでしょう、今の!」

「『フェイス・チェンジ』か! 服まで変えるとは!」

 

 魔法が解け、ワルドに化けていたルシィが元へと戻る。

 風と水の合成呪文。スクウェアスペル『フェイス・チェンジ』。これまでのルシィなら劣化魔法しか使えなかったそれも、スクウェアとなった今では十全に扱える。服はナストによる補助があってのものだ。

 

「ぐっ! ……ちょっと、ちゃんと決めてくださいよ、僕!」

「この男が化け物なんです、仕方ないでしょ! ルシィちゃん可愛いから許してください、僕! って、がっ!?」

 

 煙の中で、二人のワルドを相手にしていた分身のルシィが吹き飛ばされ、地面を転がっていく。本体のルシィもまた、本体のワルドに魔法をぶつけられ、吹き飛ばされた。風に煽られたマフラーが首から外れる。

 

 混戦となりつつある中、ルシィは冷や汗を流していた。

 この裏切り者は強すぎる。もっと、決定的な意味での、不意をつかねばならない。しかし、『あれ』がもう一度通用するだろうか? 同じ戦法を二度繰り返して勝てる相手ではない。

 立ちはだかるワルドを、ルシィは苦しげな瞳でにらみつけた。

 

 だが、絶望しかけるルシィに対し、ワルドもまた、冷や汗を流していた。

 目の前の『ガンダールヴ』一人ならば、魔法を吸い込む剣があろうがどうとでもなる。それは、スクウェアになりたてのメイジ一人でもそうだ。

 だが、それら二人が相手ならば? 聞くところによると、『ガンダールヴ』は主人の魔法詠唱を守るための使い魔らしい。加えて、この少女の放つ巧みな搦め手は、ワルドでさえ意表を突かれる突飛なものばかり。

 いかな『閃光』と言えど、これは万が一もあり得る。本体のワルドは警戒し、慎重に三人との間合いを測った。

 

 ワルドから隙が消える。

 これではもう一発逆転は狙えない。ルシィも、才人も、消耗していた。ワルドの精神力も相応に減っているだろうが、それより先にルシィたちが追い詰められる方が早い。もはや、後が無い。

 

 こうなったら、一か八か。ルシィは叫んだ。

 

「逃げましょう、ルイズ! 君の手紙さえ置いていけば、ワルドも無理には追ってこない!」

「ダメよ! 姫さまから頼まれたの、そんなこと許されないわ!」

「こんな時にまで意地張るな、ばか! ルシィ、いいからそいつを逃してくれ!」

 

 才人が、ワルドの攻撃からルイズたちを守る。分身達は死にものぐるいで剣を振る才人につきっきりとなり、本体は少し離れた位置で様子を見ている。この位置取り、ワルドが魔法を撃つには自分の分身が邪魔だ。今だけはルシィたちに攻撃が届かない。

 

 ルシィはルイズの胸元に無理矢理手を伸ばし、胸ポケットを漁った。ルイズは取られないように抵抗したが、まさぐった後の手にはいつの間にか古びた手紙が握られている。

 

「やめて、ルシィ! 返して――」

 

 ルシィはルイズの胸ぐらを掴み、耳元で言った。

 

「僕は残ります。才人は、後でそっちに行かせますから」

「え?」

「ルイズより、この手紙が優先のはずです。これを持って時間を稼ぐから、逃げて。ワルドのグリフォンが城の西ホール横の檻に入っています。『フェイス・チェンジ』で才人をワルドに化けさせれば、少なくとも地上までは乗せてくれるはずです」

 

 言うなり、ルシィは『コンセンデイション』を唱えた。水系統の初歩。空気中の水蒸気が凝固し、あたりに霧が立ち込める。

 

「行って!」

「でも!」

「いいから! 僕の命を無駄にしたら、恨みますからね!」

 

 霧の中響くルシィの声。戸惑いながら、ルイズは走る。

 

 いける。これでいい。何も変わらない。当初の予定通りだ。自分が捨て駒となり、ルイズを逃がす。

 あとは、今打った策で、どれだけ時間が稼げるか――

 

「生憎だが」

 

 しかし、次の瞬間。

 

「こちらにとっては、手紙より、ルイズの方が優先だ。手に入らぬ以上、その力は、今ここで消す」

「っ!」

 

 ワルドの声とともに、風が唸った。

 ルシィは耳を澄ませる。自分の霧のせいで見えないが、今魔法を撃とうとしているのは本体のワルドだ。だが、ルイズを撃ち抜くには、ワルドの分身が邪魔なはず……。

 

「まさか――自分の分身ごと、撃ち抜くつもりですか!?」

 

 ルシィは走る。

 ワルドが、ここまでルイズに執着しているとは思っていなかった。

 

 『エア・スピアー』が、折れた杖を持つワルドを貫き、ルイズへと飛翔する。

 分身を貫いたことで威力が減じてはいるものの、人一人を殺すには十分な力を持つ空気の槍。

 

 もう防御魔法は間に合わない。

 ルシィの体で防ぐ以外に、ルイズを守る方法は、なかった。

 

「ルシィっ!」

 

 ――赤い華が、まるで噴水のように咲いた。

 

 才人の頬にまで、その飛沫は飛ぶ。

 吹き飛ばされ、手紙を放してしまうルシィ。ルイズが吹き飛んだルシィを受け止めようとするが、体の小さい彼女では衝撃を殺せず、もろともに地面へと転がる。

 

「し、まっ……」

 

 手紙に向けて手をのばす。

 しかし、もうダメだ。ワルドはひらひらと舞う手紙を風で絡めとり、自分の手の中へと収めた。

 

 胸元を赤く染めながら、ルシィは崩れ落ちる。うつ伏せに倒れた彼女から、じわじわと赤色が広がっていく。

 魔法の制御は途切れ、そばに立っていたもう一人のルシィが幻のようにかき消えた。

 

「終わりだ、ルシィ・アメイニアス・ド・ジョンキーユ」

 

 まだだ。まだ終われない。こんなところで消えるわけにはいかない。

 ルイズは、先ほどルシィを受け止めたために昏倒してしまった。まだワルドは四人残っている。才人ではワルド三人に防戦を維持するのが限界。ルシィが消えれば、今度こそ勝ち目がなくなる。

 どうする? どうすればいい? どうやったらこの状況で才人とルイズを助けられる?

 

「諦めろ、貴様はそういう人間だ。湖面の月が何を照らせる? 何を映そうが鏡は鏡。英雄にも聖女にもなれはしない。お前は何も、変えることが出来ない」

 

 酷薄な笑みを浮かべ、ワルドは言う。

 ようやく、鬱陶しかった相手が消えた。この少女さえ下しておけば、一度倒した『ガンダールヴ』など敵ではない。

 

 しかし、その時である。

 

「よくもルシィを……」

 

 才人から発せられるびりびりとした怒気が、ワルドの肌を震わせた。

 

 咄嗟に振り向き、警戒する。

 一人になった才人に向けて、剣戟をくわえるワルド。

 しかしながら、才人の動きは次第に速さを増していく。少しづつ、攻撃が押し返されていく。

 こんなはずではと、にわかに動揺するワルドたち。

 

「は、はっ……ルイズだけでなく、そこの少女にまで懸想していたのか? 恋人を殺されて怒ったか、『ガンダールヴ』!?」

「恋なんかしてねえよ! ただ……ルシィは友達だった! だからお前だけは、絶対に許さねえ!」

 

 才人が絶叫し、ルーンが光る。その輝きを受けて、デルフリンガーが光る。

 

「そう! その調子だ相棒! 思い出したぜ、俺の知る『ガンダールヴ』もそうやって力を溜めてた!」

 

 才人の剣が、ついに一体のワルドを斬り倒した。

 

「なぬ……!?」

「『ガンダールヴ』の強さは心の震えで決まる! 怒り! 悲しみ! 愛! 喜び! 何だって良い、とにかく心を震わせな、俺のガンダールヴ!」

 

 このままでは、まずい。

 分身の一体を生贄にし、残った二人のワルドは飛んだ。

 いかなワルドといえ、『ガンダールヴ』とスクウェアメイジ、二人を相手にしたのだ。既に相当に消耗している。これでは、今の才人は止められない。だが、『フライ』を使って空へ退けば、もはやこちらを追える者はいない。

 

 才人は即座に剣を切り上げ、跳んだ。凄まじい速度に、囮になった分身が一瞬で斬り裂かれる。一秒とて時間を稼げはしない。あのワルドがまるで藁束扱いだった。

 

 ワルドは最後の分身を盾にする。それもまた、一撃で斬り伏せられる。

 が、そのワルドは斬られながらも体を使って、ぶつかるように才人の勢いを止めた。その隙に、本体のワルドが更に離れる。

 

 しかし、才人は止まらない。咆哮を上げ、消えかけていた分身を足場に、更に跳んだ。

 まるで矢のように、残った本体へと突貫する。

 ワルドが魔法を詠唱しているが、もはや間に合わない。否、例え何が阻んだとしても、才人は必ずこの男を斬り伏せる。

 

 体を捻り、回転する。

 左手のルーンが、光を増す。

 デルフリンガーが光り、輝く。

 

 そして、刃が迫った、その瞬間。

 

 ――ワルドは、奪った手紙を盾にした。

 

「くっ……!?」

 

 才人が止まる。

 彼の脳内には、昨夜のウェールズが映っていた。

 鍵付きの小さな宝箱に、あのお姫さまの手紙をしまっていたウェールズ。何度も読み込まれた古い手紙。愛しそうに手紙に口づけをして、名残惜しくルイズへと手渡す姿。

 

 才人には、斬れなかった。

 

 ワルドの呪文が完成する。デルフリンガーを振りかぶった才人の体に、スクウェアクラスの爆風が叩きつけられる。

 まるで流星のように、才人は地面へと墜落した。

 

 ワルドは息を切らし、眼下の才人たちを見下ろす。

 

「流石に、これ以上は、危ういか……。まあ、目的の二つが果たせただけでもよしとしよう。どのみち、戦が始まればここにも我が『レコン・キスタ』の大軍が押し寄せる。愚かな主人ともども灰になるがいい! 『ガンダールヴ』!」

 

 そう捨て台詞を残し、ワルドは壁に去った穴から飛び去った。

 

 立ち上がろうとする才人だが、疲労は限界に達している。もう、思うように体が動かない。

 

「ああ、相棒。無茶をすればそれだけ『ガンダールヴ』として動ける時間は減るぜ」

 

 デルフリンガーが説明した。

 つまり、もう、ルシィと、ウェールズの仇を討つことは出来ない。いいや、たとえ『ガンダールヴ』の力が使えたとしても、才人に空は飛べないのだ。

 

「どうするね、相棒? 『イーグル』号はもう出港した頃だろう。今に戦いが始まるし、皇太子のいない王軍はきっとあっという間に負けちまうよ。敵はすぐにここまでやってくる」

「ああ……」

 

 才人はふらつきながらも、ルイズをそっと抱え、椅子へと運んでいく。

 

「ルイズを、守る」

「……空元気はよせやい、相棒。今のお前は、体だけじゃなくて、心までボロボロだ」

「…………」

「結婚式が思ったより早く始まったからな。今ならなんとか包囲される前に逃げ切れるかもわからんが……戦うのはもう、無理だ」

 

 デルフリンガーの言う通りだった。ルシィの死が、才人の心の中に、重い澱みとして溜まっていた。

 

「ん? ちょっと待て、相棒。娘っ子の胸にあるそりゃなんだ?」

「ルイズの胸に何かがあるもんかよ」

「だから空元気はやめなっての。ポケットに入ってる紙だよ、紙」

「紙?」

 

 ルイズの胸ポケットに入っていたものを取り出す。

 

「え?」

 

 ――それは、奪われたはずのウェールズの手紙だった。

 

「どうなってんだ……?」

「おい、なんかもう一枚出てきたぜ?」

 

 ウェールズの手紙に重なって、折り曲げられた手紙が入っている。

 どこかの家の家紋が捺された封筒だ。裏にはまだ乾いていない真っ赤なインクで、走り書きのような文字が記されている。

 

「なんて書いてあんだ? 見たことねえ文字だ」

 

 それは、この世界で才人ともう一人しか知らぬ、日本語だった。

 

『僕の遺書です。

 ジョンキーユ伯爵に渡してください。

 ルイズはやっぱりそっちで面倒見たほうがいいと思います。

 

 また会いましょう、才人。出来たら、地球で』

 

 才人はばっと後ろを振り返る。

 デルフリンガーが震え、あっと驚いたような声をあげる。

 

「おいおい、こりゃおでれーた! どうなってんだ相棒! あっちの娘っ子が消えちまったぜ?」

 

 そこにルシィの死体はなく、ただ血溜まりだけが残されていた。いや、血溜まりというか、これは……。

 才人は頬についた赤色をぺろりと舐める。

 味がしない。

 

「昨日の、色付き水……」

 

 才人は、壁の穴をくぐって、ワルドの飛んでいった空を見上げる。

 どこか覚えのある風が、頬をなぶった。

 その懐かしい感触に、才人は本当に嬉しげな、苦笑いを浮かべるのだった。

 

 

 


 

 

 

 ワルドは、ニューカッスルの空を飛んでいた。

 精神力は尽きかけ、もはや風系統の初歩である『フライ』でさえ覚束ない。口笛でグリフォンは呼んだが、鍵のかかった檻にでもいるのか、いくら呼んでも来はしなかった。

 

 だが、もう少しで、味方の陣地……『レコン・キスタ』の展開する貴族派の軍に合流出来る。

 そうすれば、ひとまずは安泰だ。ルイズは手に入らなかったが、ウェールズを暗殺し、手紙を奪うことも出来た。ワルドはほっと息を漏らす。

 

 直後、手紙を持っていた指が食い千切られた。

 

「が、ぐぅっ!?」

 

 たまらず、ワルドは苦鳴を上げた。

 慌てて左手を見る。

 そこには、青い目をしたイタチのような小動物が噛み付いていた。持っていたはずの手紙は、どこにもない。

 

「有りえん、魔法の反応など全く……いや、そうか、先住の!」

 

 エルフや幻獣の持つ先住の魔法は、『ディテクト・マジック』でも探知出来ない。――謀られたのだ、あの少女に。

 ワルドは怒りに顔を震わせた。

 幻獣を振り落とそうとするが、エコーのナストはちょろちょろとワルドの腕の上を動き回って逃げる。ワルドは杖を持っているために、左腕一本しか使うことが出来ないのだ。

 

 しかし、戦闘に長けたわけでもないエコーが、歴戦のメイジにいつまでも抵抗出来るはずもない。

 ナストはワルドの左手に捕まり、その首を片手で締め上げられる。高い声を濁らせ、悲鳴を上げるナスト。使い魔はワルドの手に爪を立て、必死に抵抗する。

 

「無駄に抵抗をするな、お前の主人は死んだのだぞ! 大人しく――」

 

 

 

「――デル・ウィンデ」

 

 

 

 ずぱんっ! と勢いよく、ナストを掴んでいた腕が切り落とされた。

 

 痛みより先に、驚きがあった。

 ワルドは呆然と、上を見る。

 

「バカな」

 

 銀髪青眼の少女が、真っ直ぐにワルドへと落ちてきていた。

 

「貴様! ルシィ・アメイニアス・ド・ジョンキーユ! 死んだはずでは!」

「二度目の死んだフリですよ! 杖を折られた分身を切り捨てたのは早計でしたね、ワルド子爵!」

 

 あの時。

 ルシィは、霧で姿を隠すと同時、こっそりと礼拝堂の物陰に隠れた。

 『偏在』で作った自分の分身には、色付き水と手紙に化けたナストを渡し、自分の身代わりに。

 分身の代わりには、『鏡』で作った幻を用意する。

 そして、貫かれた分身が消えた時には幻を同じ場所に置き、自分の死を偽装した。

 

 こうなることを予想していたわけではない。どれも全て、その場その場で苦し紛れに考えていった、ワルドを奇襲するための策。だが、それが才人を奮い立たせた。

 

 ワルドに何度も傷つけられ、ボロボロになった姿で、しかし彼女は楽しげにワルドへと突っ込んでいく。

 

「しかしまあ、あんなその場しのぎの策に騙されながら、よくもあそこまで勝ち誇れたものです! ああ、湖面の月を射って得意になるあなたの滑稽なこと! 見るが良い、『閃光』は今跳ね返された!」

「おのれ……ッ!」

 

 ワルドは残った腕で杖を構え、魔法を放つ。しかしそれはルシィの魔法とぶつかり合い、相殺された。才人の猛攻を受け、消耗したワルドには、もはや格下の小娘を倒し切る力さえも残っていなかった。

 

「ええ、確かに僕は何も変えられないのでしょう! 運命という風に吹かれる怯懦な客人(まろうど)! 英雄にも聖女にもなれぬ、男とも女ともつかない、半端な観客!」

 

 ルシィは落ちながら『エア・スピアー』を詠唱し、ワルドへと放つ。弱りきったワルドの『エア・シールド』は容易く貫かれ、その腹に大きな風穴を穿つ。

 

「ですが! それならばあなたも変わりはしない! 風がいかにかき回されど、言の葉の一枚すら掴めぬ哀れな男! どれだけ雲を流そうと、彼らの輝きは曇らない!」

 

 『ライトニング・クラウド』を応用し、電気分解で爆鳴気を生み出す。

 空気を圧縮し、着火。爆発が、ワルドの全身を焦がした。

 

「なぜ僕があなたを追えたのかわかりますか!? この敵陣のただ中に! 彼らの輝きを見たからだ! あなたが覆い隠そうとした双月の、その(まばゆ)さを『鏡』に見ろ! ジャン・ジャック・フランシス・ド・ワルド!」

 

 ルシィの杖が光を纏う。『ブレイド』の呪文により、輝く刀身が生み出される。

 ワルドが震える右腕で杖を構えようとするが、もはや遅い。

 両者は縦に交差し、ワルドの体が袈裟斬りに斬り裂かれた。

 

 空気抵抗を殺しながら落ちたルシィは、落ちていたナストを受け止め、首に巻く。青いマフラーが、風に揺れてたなびいた。

 

「さっきの三発が、ウェールズ皇太子と、ルイズと、才人の分です! あとついでにこれがナストの分!」

 

 すれ違い、振り向きざま、正しい使い方で発動された『ライトニング・クラウド』が稲妻を放ち、ワルドに当たる。

 『フライ』によってルシィ達が空に浮かぶ中、ワルドは煙を上げて地上に落ちていった。

 

 水音を立てて堀に落下し、見えなくなってしまうワルド。

 だが、流石に死んだだろう、とルシィは頷く。いかに歴戦のメイジとはいえ、これで生きていたら逆に恐怖だ。

 

「それで、シルフィードはもうニューカッスルの下まで来てるんですよね、ナスト?」

 

 ナストが澄んだ声で返事をする。それは、"大いなる意思"を介した幻獣同士の会話だ。タバサの使い魔である風竜、シルフィードの鳴き声を聞いたナストにより、キュルケ達がルイズらを助けに来ていることを、ほんの少し前に知ったのだ。

 

「オーケー。じゃあ、あとは」

 

 ルシィは、前を見る。

 

 そこにあったのは、五万の軍である。

 しかしそれも当然だろう。あれだけ派手に魔法を撃ったのだ。ルシィが陣に攻め込んできたのだと思い、弓兵が、銃兵が、竜騎兵が、メイジが、一斉に二人に向かってやってくる。

 

「生き残れますかね、これ。なんで僕こんなところにやってきちゃったんでしょう。まあ、ナストを見殺しにするわけにはいきませんでしたけど」

 

 だが、ルシィは力強く杖を握る。

 きっと、才人ならそうするだろうと思ったのだ。

 

「――行きましょうか」

 

 世界すら越えた風が、アルビオンを吹き抜けていった。




風の偏在発動シーン。イラストを描いてくれたセンシュデンさん、本当にありがとうございました!


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