ニューカッスルの攻城戦から、数日後。
アルビオンの王都、ロンディニウムの郊外で、メイジの男女が歩いていた。
フーケと、ワルドである。
「……しかし、よく生きてたね。水系統のメイジを何人も集めて、三日三晩『治癒』を唱えさせはしたけれど。魔法衛士隊ってのは、みんなあんたみたいな化け物なのかい?」
「俺自身も驚いている」
魔法の連撃を食らったワルドは、ボロボロになりながらも生きていた。
左腕は二の腕から先が失われ、全身は包帯まみれ。腹には貫通傷が残り、胸板には裂けたような痕。顔も包帯でぐるぐる巻きにされており、もはや美男子が見る影もない。
最後の『ライトニング・クラウド』だけはどうにか小さな『エア・シールド』で弾いたものの、それ以外はまともに食らったのだ。『エア・スピアー』と『ブレイド』が内臓を抉らなかったのは、完全に奇跡と言えるだろう。あの少女に、急所を外すような容赦はなかったのだから。
「もしかすると、これもまた必然なのかもしれんな。あれが言ったように、運命の風向きというのはそう簡単には変わらんらしい。俺にはまだ、なすべきことが残っている」
「なに詩的なこと言ってるのよ。あんたもこないだのウェールズみたいに、虚無の魔法で動いてるんじゃないだろうね?」
「わからん。そもそも、すべての人間が『虚無』の系統で動いているのかもしれん。いずれにせよ、答えは聖地に眠るのだろう」
「その聖地も、今回の結果で少し遠のいた気はするけどね」
あの後。
押し寄せた『レコン・キスタ』の大軍は、確かに王軍を滅ぼし、革命戦争に勝利した。
しかし、その損害はあまりにも手酷いものだった。
「聞いた? あんたをずたぼろにした風メイジの話。使い魔を竜に変えグリフォンに変え、陣という陣に幻をばら撒いての大立ち回り。指揮系統が大混乱したせいで攻城も長引き、戦死傷者は六千。王軍の二十倍よ、もうどっちが勝ったかわかりゃしない」
「もしあれと一緒にウェールズを生かしたままだったなら、さらに酷いことになっていただろうな。考えるだけで恐ろしい」
「ま、最後には精神力も切れて、包囲の中討ち取られたって話だけどね」
フーケの言葉にワルドは黙り込む。
果たしてそれも本当かどうか。討ち取ったというそれもまた、湖面に映った幻ではないのだろうか?
「流石は、あんたと同じ風のスクウェアってところかしらね。宿屋で見た時はそう大したやつには思えなかったけど」
「あの『ガンダールヴ』に消耗させられなければ、ここまで苦戦しなかったのだがな。次会う時は、必ず……」
「何? もうやり合う機会なんてないよ。確かにラ・ヴァリエールの娘と『ガンダールヴ』は逃げたみたいだけど、あれは生きてないわ。死んだところを見たやつが何人もいるんだからさ。顔に似合わず感情的だね、全く」
フーケの呆れ顔を見ていると、自分が強情を張っているように思えてくるワルドである。
「ほら、まだ傷が癒えきってないんだ、今はゆっくりと休むんだね。後でまた見舞いに行ってやるさ」
「ああ……、っと」
ワルドの胸元から、何かが落ちた。
それは、銀で出来たロケット付きのペンダントであった。鎖がちぎれている。あの『ブレイド』による一撃を受けた際に、鎖の一部が壊れていたらしい。
左側の脇道に転がっていくペンダント。
拾おうとするワルドだが、自分の左腕がもう無いことに気づく。そこで、ひょいとワルドのペンダントを拾い上げる人影があった。
フードを被ったその少年は、落とした拍子に開いたペンダントをまじまじと見つめている。どうやら買い物帰りらしい。手に持った袋には、攻城戦の折に市場へと流れたと思しき、アルビオンの水兵服が入っていた。
「すまない、それは俺のだ。返してくれ」
「……! ……ええっと、はい、どうぞ」
ワルドにペンダントを手渡し、慌てて立ち去ろうとする少年。
ちらりと見えたその顔に、ワルドはどこか既視感を抱いた。即座に杖を抜き、少年に突きつける。
「止まれ! 顔を見せろ! 貴様、『ガンダール――」
「え?」
フードを外しながら、振り返る少年。
それは、確かにあの『ガンダールヴ』に似た黒髪黒目だった。肌の色もよく似ている。
しかし、顔立ちは全く違った。中性的な雰囲気のあるその少年は、困惑したようにワルドを見つめている。
「……いや、悪かった。人違いだ」
「そ、そうですか。じゃあ、僕はこれで」
少年はフードを被り直し、走り去っていく。
「わっ……危ないよ、気をつけな!」
「ごめんなさい、先生! あ、間違えた、お姉さん!」
脇道から飛び出した少年と、ワルドの大声に戻ってきたフーケがすれ違う。
フーケは少年の後ろ姿をまじまじと見ながら、道を歩いていこうとするワルドに問いかける。
「なんだいありゃ。『ガンダールヴ』と同じ国のやつかい?」
「いや、『ガンダールヴ』は異世界から来たはずだ。同郷の人間などいるはずがない」
「ふぅん、じゃあたまたまか。しっかしまた、あんたも物好きだね。あれぐらい年下のが好み?」
「バカを言うな。ルイズは必要だったからそうしただけだ。それに、男色に走るほど酔狂ではない」
「はあ? 男色?」
フーケは再度少年の方を見る。
確かに、走り方も物腰も、ちらりと見えた横顔も、間違いなく男のそれだ。
しかし、自身も素性を偽ることの多いフーケは、直観的にその正体を察する。
「……なるほど。あんたの言う通りだったね」
「何がだ?」
「いいや。ああいうのに手伝わせれば、盗みも捗るだろうと思っただけさ」
ちらりと見えた銀の髪を最後に、少女は幻のように姿を消す。
熟練の盗賊であるフーケでさえ、舌を巻くほどの男装の上手さだった。
トリステイン王国のとある辺境。
そこを治めるジョンキーユ伯爵は、わなわなと怒りに震えていた。手には、折り曲げられた手紙が握られている。
「ふざけるな! アレが死んだだと!?」
「はい、ラ・ヴァリエール公爵家の方が持ってきたものなので、間違いはないかと……」
「バカな! アレを欲しがる貴族が何人いると思っているのだ! 玉座が空位である今が好機なのだぞ!? あの女、無理をして三女まで産ませたというのに、結局不良品しか作らぬではないか! あんな喘息持ち、妻にするのではなかった!」
執務机に拳を叩きつけるジョンキーユ伯爵。そこに、実の娘に対する心配は一欠片としてない。
「まだあの使える知識の出処も吐かせていなかったというのに……親の言うことも聞かず、魔法学院になどに入学しおって! これならばあのまま屋敷に幽閉しておくのだった!」
「恐れながら、学院で魔法の修練を積むよう言ったのは旦那様自身では……」
「口答えをするな、メイド風情が!」
五年前から伯爵家に勤めているメイド長は、内心でため息をついた。娘が死んだというのにこの態度。貴族の父親とはみんなこうなのだろうか? ルシィお嬢様は新人の時から良くしてくれたというのに、当主であるジョンキーユ伯爵はこれだ。
メイド長以外も気分は憂鬱だった。十歳になってからは心身も安定し、平民にも差別意識なく優しく接していたルシィ。彼女が死んだと聞き、使用人たちはどんよりと落ち込んでいたのだった。猛り狂うのは、ジョンキーユ伯爵のみである。
「ラインスペルを覚えた時は良い見せ物になったが、真っ当な淑女になった途端これか! なぜ私の物はいつもいつもすぐ壊れる!?」
扉の隙間から遠目に見ていたルイズは、この男、引っ叩いてやろうかしらと思った。
だが、そんなことをしてもルシィが戻ってくるわけではない。
客人が見ているとも気づかず喚き散らして狂態を晒す伯爵から、ふん、とルイズは顔を逸した。
「いい気味だわ」
肩を怒らせながら廊下を歩き、応接室へと向かう。
そこでは、才人が黙々と料理を口に運んでいた。メイド達が作った珍しい肉料理に、なんとも嬉しそうな顔で、涙さえ零しながら舌づつみを打っているのだ。
主人のわたしがこんなにむかむかしているのに、この使い魔の幸せそうな顔! ルイズは理不尽に怒り出し、才人の頭をべしっと小突こうとした。
が、途中でルシィの顔を思い出して、やめた。彼女に、才人には優しくしろと、度々言われていたからだ。
それに、思い出すのはアルビオンから逃げ出した時のこと。
ルイズは……風竜の上で、才人にキスをされたのだ。そしてその時、こっそりと寝たフリをしたのである。
どうして寝たフリをしたんだろう、と思うルイズ。
考えてみるとそれは、才人に対する胸騒ぎを認めたくないがゆえの行動だった。だが……それと同時に、こうも思うのだ。
――わたし、ルシィの代わりにされたんじゃないかな。才人が助けに来たのは、自分じゃなくて、ルシィだったんじゃないかな、と……。
故人に嫉妬を抱く自分が情けなくなって、ルイズは自分の頬をぱんと叩いた。その音に、びくりと才人が反応する。
「どうした、お前」
「なんでもないわよ。ほら、用事終わったんだからさっさと帰る!」
「まだ食べ終わってねえんだもん」
そう言って、もぐもぐと『はんばーぐ』とかいう料理を頬張る才人。
何よ、とルイズは思った。最近はちゃんと学院の食堂の、机の上で、貴族が食べるようなご飯を食べさせてるのに。あっちの方がずっと豪勢じゃない。確かに、珍しい料理が多くて美味しかったけど。
ようやく才人も食事を終え、二人は学院へと戻っていく。
トリスタニアに向かう馬車に揺られながら、ルイズは才人の横顔を見た。
自分とは違って、普通の、どこかすっきりとさえした顔。仲が良かった相手が死んだのに、悲しくはないのだろうか? そりゃ、キュルケやタバサは、ルシィが死んだところを見ていないから「自分たちの決闘騒ぎに巻き込まれても平然としていたルシィが死ぬわけがない」なんて言って、飄々としてはいた。でも、ギーシュなんかはルシィの死を聞いておうおうと泣いていたのだ。
こいつも少しは泣けばいいのに、と、落ち着いた後にわんわん泣いたルイズは思う。自分をワルドから逃がそうとしたために、ルシィは……。
涙を堪えるために、ぎゅっと服の裾を掴む。才人は心配そうにルイズの顔を覗き込んで、言った。
「ルイズ。もうちょっとで学院に着くから、トイレは我慢してくれ」
「ばか! 違うわよ、ばか! なんであんたはそんなに落ち着いてるのよ、ばか!」
「だって俺、別にトイレ行きたくないし……」
ルイズはそっぽを向いた。その後は、馬車が学院に着くまで、一度も口を利かなかった。
門の前で降りると、遠くから羽音が聞こえてきた。
手紙を持った鳥、伝書フクロウである。
ルイズはこちらに向かってくるそれを迎えようとしたが、フクロウはルイズの頭上を飛び越える。
「え、俺?」
自分を指差す才人に、フクロウは頷く。
ルイズは首を傾げた。いつの間に手紙を送ってくる知り合いを作ったのだろう。才人に手紙を送ったって、文字なんか読めやしないのに。
しかし、才人は手紙を見るなり、にやっと笑った。
「……誰から?」
「ルシィからだ」
「え!?」
ルイズは眼を見開く。
才人はそれを不思議そうに見ていたが、ああ、と得心したように頷いた。
「ルシィは生きてる。あの後、俺の代わりにワルドをぶった斬ってったらしい」
「ど、どどど、どういうことよ! だって、あんなに、血がばーって!」
ルイズは手を振り回しながら尋ねる。才人は、なんてことなさそうに答えた。
「いやあれ、色付き水だから。ルシィすごい元気。反乱軍相手に大立ち回りして、最後はもっかい死んだふりして逃げたって」
「そ……そういうことは、先に言いなさいよ、この、バカ犬――!」
優しくしろと言われたのも忘れ、ルイズは才人をぶん殴った。グーで。殴られた才人はうぎゃあ、と悲鳴を上げながら、必死にルイズへ弁明する。
「だって、ルシィが死んだことにしてほしそうだったし! ギーシュとかと一緒にいる時に話したら、べらべら話されそうだったんで、黙ってたら、忘れてた。ごめん」
「ごめんじゃないわよ! ルシィが生きてるんだったら、だったら……」
――だったら、あの時のキスは、わたしが好きだってことで、いいのかな。
そう思って、ルイズは顔を茹で蛸のようにした。
でも、当分ルシィは帰ってこないだろうし、やっぱり代わりにされたのかも。今だって、すごい嬉しそうに手紙見てるし……。覗き込んで見ても、変わった文字で書かれてて、何書いてあるのかわかんないし……。
う〜、と唸るルイズ。才人はルイズがよっぽど怒っているのだと思い、ビクビクとしながら手紙を持って問いかける。
「あの、ここだけ読めないんだけど……何て書いてあるか、分かる?」
「なによ……」
ルイズは渡された手紙を見る。そこには――
『ルイズへ。
ワルドのこと、早めに気づかなくてごめんなさい。ルイズの代わりに爆発で焼いておきました。僕は元気なので安心してください。
実は僕も才人と同じ世界の出身なので、こっちでも元の世界に帰る方法を探してみます。出来たらルイズも、才人のことを助けてあげてください。二人はお似合いなので、もしくっつくなら嬉しいです。あとルイズはもっと素直になった方がいいです。僕に嫉妬するぐらいなら才人に好きって言ってあげてください。才人もルイズのことが好きですから。
あ、でも、才人はかっこいいので、ほっといたら浮気するかもですね。頑張ってください。
ルイズは、手紙を握りしめてぷるぷると震えた。
る、ルシィあの子、こっちが死んだと思って落ち込んでたら、こんな、こんな……!
「なあ、なんて書いてあったんだ?」
「知らない! 知らないわよ、もう!」
素直になれないルイズは、手紙を破いて、放った。
千切れた紙片が、風に吹かれて流れていった。
アルビオンの一地方、サウスゴータの辺境を、二人の少女が歩いていた。
双子の姉妹のように瓜二つな、銀髪青眼の少女であった。
『レコン・キスタ』に大立ち回りをして落ち延びた逃亡者とは思えぬ、男ならず女の目まで惹く華やかな彼女たち。少し背の高いすらりとした体躯に、愛らしい整った顔立ち。
もう、彼女に姓は無い。彼女の名は、ただのルシィ・アメイニアスである。
「ほらほら! どうですかこれ! セーラー服ですよセーラー服! いえい膝上十五センチ! おへそもちらり! これ、最高だと思いませんか!?」
「ええ最高ですとも! ルシィちゃん最高! 可愛い! この世界にローファーが無いのが悔やまれますね本当に! ギーシュかマリコルヌあたりにも見せてやりたかったです! 才人なら泣いて喜んだでしょうね!」
「そうだ、あれやりましょ、あれ!」
「ええやりましょう! かもん!」
仕立て直されたアルビオンの水兵服。それを着た分身のルシィがくるりと回転し、スカートとスカーフを翻す。最後に指を立て、可愛らしくウィンクをしながらこう言った。
「お待たせっ、ルシィくん! 一緒に学校いこ?」
「いっえいっ! 行きましょ行きましょ! もう行けませんけどね、トリステイン魔法学院! 死んだことになってますし!」
「いいじゃないですか学院なんて! こんなに可愛いルシィちゃんがいるんですから!」
「ですよね! にゃー可愛い! ルシィちゃん可愛い! こんなに可愛いルシィちゃんが目の前にいるのに僕までルシィちゃんなんですよ!? 頭おかしくなっちゃいますよこんなの!」
本体のルシィに抱かれたエコーのナストは、うんざりとした鳴き声を上げた。
「なんですかナスト、いじけないでくださいよぅ。二人がかりで可愛がってあげますから、ほれほれ」
「カジノでコインやルーレットに化けさせたのがそんなに嫌だったんですか? 路銀が必要だったんだから許してくださいよ、もう。先住魔法はイカサマがバレないので便利です」
「いやー、だって勝手に運賃二人分取られるんですもん。一人しかいないってのに参っちゃいますよねえ」
ナストは首を横に振り、分身のルシィが着たセーラー服を前足で指す。
二人のルシィは、鏡のように互い違いにナストから顔を逸した。
「……えっと、まあ。確かに僕が水兵服なんか買ってたせいで、だいぶ危ないことになりましたけども」
「でもあれでワルドが生きてるとは思わないじゃないですか。こればっかりは僕じゃなくてワルドがヤバいですよ。多分あいつ機銃で蜂の巣にされたって死にませんよ、きっと」
「『フェイス・チェンジ』で顔を変えておいてよかったです。あの大立ち回りで『レコン・キスタ』に顔が割れてたので、最初から変装しておいたのが功を奏しましたね」
「男だった頃の知識があるおかげで、男装も上手く出来ますからね」
自分同士で会話しながら、田舎町を歩いていくルシィ。風変わりな格好をしてきゃいきゃいと騒ぐそっくり美少女二人組は、仮にも国から逃げているとは思えぬ目立ちっぷりであった。
「どうしましょうねー。無事にアルビオンから脱出出来ますかね、これ」
「なんとかなるでしょう。五万の軍を相手に生き残ったんですよ、僕」
「ですね。せっかくですし、元の世界に帰るための情報収集もしてからいきましょうか」
「才人と会ってちょっと心が揺らいじゃいました。前の家族に挨拶して、照り焼きバーガー食べて……あ、インターネットってのもやりに行きましょう。ポケモンとかいうゲームも遊んでみたいです」
才人との会話を思い返し、ルイズの姿を思い返す。そして最後に、隣に立つ自分を見た。鏡のように、微笑を浮かべる二人のルシィ。
「そうですね、地球とハルケギニア……どっちかにこだわる必要なんてありませんよ」
「ええ。だって――」
ルシィは、空を見上げて思い返す。
そこに月はなかったけれど、心の中には、二つの輝きが映っていた。
「僕はもう、一人じゃないんですから」
ここまで読んでくれた皆さん、評価・感想・お気に入りをしてくれた皆さんもありがとうございました! 活動報告へあとがきを投稿したので、裏話的なものに興味があればどうぞ! https://syosetu.org/?mode=kappo_view&kid=231076&uid=262422
そして、家葉テイクさん主催のゼロ魔二次競作企画の長編部門総合評価一位の景品として、主人公ルシィのイラストを頂きました! イラストを描いてくれたセンシュデンさん、ありがとうございます!
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