そんな一騒動の後に始まった『疾風』のギトーの授業だが、始まってすぐに、ルシィはどうにもむかむかした気持ちになってしまった。ギトーが、ルシィの級友である赤髪の美女、『微熱』のキュルケを吹き飛ばしたからだ。
『疾風』のギトーは、まだ若いのに不気味さと冷たい雰囲気を持つ男の教師である。彼は自分に向けて魔法を放ってみるように挑発し、キュルケが放った火の玉ごと、彼女の身体を烈風で吹き飛ばしたのだ。
それでせめて一言キュルケを心配するなり、気落ちするならいいものの、ギトーはまるで気にした風もなく話を続けている。
ルシィは気に食わなかった。キュルケは美少女であり、美少女とはすなわちあらゆる世界における宝である。それを大事にしない。自らも美少女であると自負するルシィにとって、決して許せることではなかった。
ギトーに対する期待が一気に落ち込んでしまうルシィだが、どうにか堪えて話を聞く。
トリステイン魔法学院は大きな学校だが、それでも風のスクウェアである教師などそうそういるものではない。これで人格者であることまで求めるのは流石に望みすぎというものだ。ルシィもそれは理解している。しかし、腹に据えかねることばかりは止められなかった。
「目に見えぬ『風』は、見えずとも諸君らを守る盾となり、敵を吹き飛ばす矛となるだろう。そしてもう一つ、『風』が最強たる所以は……」
ぴくり、とギトーの言葉に反応するルシィ。
むかむかとする気持ちはあれど、『偏在』に対する興味は止められない。ルシィの期待に応えたわけではないだろうが、低く、呪文を詠唱する声が教室に響く。
「ユビキタス・デル・ウィンデ……」
しかしそのとき……、教室の扉がガラッと開き、緊張した顔のミスタ・コルベールが現れた。
「あややや、ミスタ・ギトー! 失礼しますぞ!」
「授業中です」
「おっほん。今日の授業は、すべて中止であります!」
ルシィはがっくりとする。せっかく『偏在』が見られるところだったのに、良いところで邪魔が入った。
何でも、トリステインの王女を歓迎する式典があるらしい。
それほど大げさにする必要があるのかと思うルシィだが、日本で例えれば天皇や皇太子が学校にやってくるようなものだ。なるほど、それは一大事となっても仕方ない。ルシィは諦めて生徒の列に並ぶ。
しばらくして、学院の正門へと王女がやってくる。馬車から降りてきたアンリエッタ姫殿下はなんとも美しかった。にっこりと浮かべられる薔薇のような微笑。ルシィの隣に立つキュルケは、つまらなさそうに鼻を鳴らした。
「あれがトリステインの王女? ふん、あたしの方が美人じゃないの」
キュルケは地面に転がっている才人へと尋ねる。
「ねえ、ダーリンはどっちが綺麗だと思う?」
しかし答えたのは才人ではなくルシィだった。
「キュルケもお姫様に負けず劣らず綺麗ですよ」
「あんたには聞いていないのよ、ルシィ。どうせあなた、何を言ったところで結局自分が一番だと思ってるじゃない」
「そりゃそうでしょう、僕が一番の美少女なんですから。ですよね、才人?」
そばで聞きながら呆れる才人。実際の美しさに関しては三人とも甲乙つけがたかったが、こと自信という面で言えば間違いなくルシィが一番だと確信する。才人は面倒くさくなったので、適当にルイズから言いつけられた犬の鳴き真似で答えることにした。
「わん」
「わんじゃわからないですよ。ほら、ルシィちゃん可愛いって言ってくださいよ、ねえ」
才人はルシィを無視してルイズの方を見た。ルイズは真面目な顔をして王女を見つめている。そうしていると、なんとも清楚で美しく、華やかなルイズである。そっぽを向かれ、ルシィはむっと唸った。
別に才人に好かれたいわけではないが、自分の愛する
そうして彼らの見ていたルイズの横顔が、はっとした表情になる。それから顔を赤らめる。
彼女の視線の先には、羽帽子を被った凛々しい貴族の姿があった。ルイズは明らかにその貴族を意識していて、才人は思わず唇を尖らせた。
いいもん、と才人は思った。俺にはキュルケがいるもん。胸の大きい赤毛の女の子。しかしキュルケもルイズと同様、顔を赤らめて同じ羽帽子の貴族を見つめている。
「みんな美男子が好きなんですねえ」
どうでも良さげに言うルシィ。才人はおっ、と感心の声を上げる。
キュルケはそんなルシィに対し、理解出来ないという風に言った。
「美男子なだけじゃないわ、あれは多分魔法衛士隊の隊長よ。顔が良い上に強いの。大したものだわ」
「顔が良いのも強いのも大事なことじゃありませんよ。本当に偉いのは頑張ってる人です。それだったら才人の方がずっと大したものです」
これはお世辞ではない彼女の本心である。
召喚された翌日の才人なんて、魔法も使えないのに土メイジの男子生徒に決闘を挑み、何度ぶっ飛ばされても立ち上がり、挙げ句の果てにはずたぼろになって勝利をもぎ取っていた。これは、平和な日本で生きる高校生にはそうそう出来ることではない。少なくともルシィには出来ない。本当に大したものだ。彼は心が強く、勇敢である。ルシィは腕を組み、内心で深々と頷いていた。
そんなルシィに才人はきゅんと来る。よ、よよ、よし、ルイズからルシィに乗り換えてやろうかな、と思った。
しかし、そこで座って本を読んでいたタバサが言った。
「ワルド子爵は、『風』のスクウェア」
「えっ」
そう聞いた途端、ルシィは興味を持ってその貴族、ワルド子爵を見つめはじめた。
それは色恋とは全く無関係な視線だったが、才人は完全に勘違いしてしまい、落ち込んで地面にへたり込むのだった。
その日の夜。
寮の廊下には、ため息をつく銀髪の少女がいた。
「やっぱり魔法衛士隊の隊長ともなると、色々忙しいんですね」
あの後、ルシィはワルド子爵に教えを乞おうとした。しかしそれらがことごとく空振りに終わり、少し落ち込んでしまっていたのだ。
ギトーの授業はまた少し先だ。それに、出来るならあの不気味な男より、見るからに人格者なワルド子爵に教師となって欲しい。ルシィは顎に手をあてううむと悩む。どうにか彼と接点を持ちたいと考える彼女だが、ワルド子爵に渡りをつけられる知り合いなど……
「あ、そうだ、ルイズに聞いてみましょう」
ワルド子爵を熱心に見つめていたし、もしかしたら知り合いかもしれない。ただ美形に見惚れていたという線もあるかもしれないが、なんとなくそうではない気がした。
ルイズの部屋へと向かうルシィ。だが、級友の部屋の前に、薔薇の造花を持った一人の男子生徒がいた。彼は部屋の扉に耳を当て、真剣な顔で聞き耳を立てている。うわぁ、と思いながらルシィはどん引きした。
「……何をやってるんですか、ギーシュ」
「しっ、静かに、ルシィ! これは大事なことなのだ!」
「女子の部屋を盗み聞きすることがですか?」
ルシィは呆れてため息をついた。
彼の名はギーシュ・ド・グラモン。才人と決闘した土メイジの男子生徒である。気障な性格のプレイボーイで、平気で女性に二股をかけるような男でもあるが、ルシィはギーシュのことがそんなに嫌いではなかった。
「そんなことをするぐらい暇なら、また僕の銅像でも作ってくださいよ。その方がよっぽど有意義ですよ」
「ぼくはきみ専属の彫刻家などではないのだがね、ルシィ」
というのも、彼が一度ルシィの像を魔法で作り、プレゼントしたからであった。ギーシュの得意魔法である『ワルキューレ』――戦乙女のゴーレムを作る要領で作られた、ルシィそっくりの像である。
並の女子なら正直どうかと思うであろう代物だったが、あいにくルシィは並ではない。ギーシュが作った自分の像をいたく気に入り、ギーシュに感謝の言葉を雨あられと浴びせかけ、これから仲良くしようとハグまでした。ただし、その後に放たれたギーシュからの求愛の言葉はすげなく断ったが。
ルシィはギーシュの様子から部屋の中が気になり、耳を澄ませる。
ギーシュのように扉に張り付くようなことはせず、ただ廊下に立って部屋の方に向かい合うのみだ。
しかし、風メイジとは得てして音に敏感なものである。彼女の耳には難なく部屋の中での会話が聞こえてくる。それはなんとあのアンリエッタ姫殿下と、級友たるルイズが親しげに話し合う声であった。彼女らは真剣な声音で、何か重要らしきことを喋っている。
――ウェールズ皇太子を捜して、手紙を取り戻してくれば良いのですね、姫さま――
――ええ、そのとおりです。『土くれ』のフーケを捕らえたあなたたちなら――
何やら、王女の大事な手紙をルイズが取ってくることになったらしい。行き先は『白の国』アルビオン。王家と反乱勢が骨肉の争いを繰り広げている物騒な国だ。
――頼もしい使い魔さん。わたくしの大切な友達を、これからもよろしくお願いしますね――
何やら、アンリエッタは才人にも話しかけていた。優しいお姫さまである。才人は色々と大変な思いをしているので、ぜひ褒めてやってほしい、とルシィは思った。
――そんな、使い魔にお手を許すなんて――
――お手を許すって、お手? 犬がするやつ?――
――違うわよ。お手を許すっていうのは、キスしていいっていうことよ。砕けた言い方をするとね――
――そんな、豪気な……――
才人の声の調子に、何か不穏なものを感じるルシィ。
そして直後。ルイズの怒りの声が、聞き耳を立てるまでもなく扉の外に響いた。
どうも、才人はアンリエッタの唇にキスをしたらしい。こいつ馬鹿じゃねえのか、とルシィは思った。
「きさまーッ! 姫殿下にーッ! なにをしてるかーッ!」
耐えきれなくなったらしいギーシュが、部屋の中に飛び込んだ。
「ギーシュ! それに、ルシィ! あんたたち、立ち聞きしてたの? 今の話を!」
このままこっそり帰ろうと思っていたルシィだが、もたもたしている内にルイズに見つかってしまった。うへぇ、と内心で声を漏らす。
才人がギーシュを蹴り回して喧嘩する中、アンリエッタが困ったように呟く。
「今の話を聞かれたのはまずいわね……」
ギクッとするルシィ。こんなのの巻き添えにあって縛り首になるのはまっぴらごめんだった。
「姫殿下! その困難な任務、是非ともこのギーシュ・ド・グラモンに仰せ付けますよう」
「え、あ、じゃあ、僕――いえ、私、ルシィ・アメイニアス・ド・ジョンキーユもまた、その任務に参加したく思います。はい」
思わずギーシュの言葉に乗っかるルシィ。それを聞いたアンリエッタが、きょとんとした顔で二人を見つめる。
「グラモン? あの、グラモン元帥の?」
「息子でございます、姫殿下」
「それにあなたは、ジョンキーユ伯爵の……。確か、十歳にも満たない内にラインスペルを操ったという」
「ぼ……私のことを知っているのですか?」
「ええ、もちろん。あなたは幼い時からその……凄まじい鬼才として有名だったので」
微妙に言葉を濁すアンリエッタ。ルシィは顔を赤くして頬を掻く。
「それは……非常にお恥ずかしい限りで……」
「いえ、子供の頃の話は、誰もみな恥ずかしいものです」
アンリエッタはそう言うが、あいにく、ルシィは幼少期から十五歳の少年としての意識を持っている。子供だったからという理由では、自分の痴態を許すことが出来ないのであった。
思い返せば、あの頃の自分はなんとも無様なものだった。見知らぬ異世界に来ても涙一つ見せない才人を見た後では、特にそう思う。
ルシィのもじもじとした口調に、アンリエッタは儚く微笑む。
「ありがとう。お父さまも英明で高潔な貴族ですが、あなたもその血を引いているようね。どうかこの不幸な姫をお助けください。ルシィさん」
「……はい」
父を引き合いに出され、ルシィは思わず顔をしかめかける。
亡き母ならばともかく、あの冷酷で潔癖な男に例えられるのは、どうにも腹に据えかねるものがあった。
ルシィが密かに心を濁らせる中、アンリエッタはルイズにその場でしたためた密書と、『水のルビー』なる宝石を手渡し、祈るようにルシィたちに言う。
「この任務にはトリステインの未来がかかっています。母君の指輪が、アルビオンに吹く猛き風から、あなたがたを守りますように」