朝もやの中、ルシィは馬に鞍をつけていた。
それは随分と手慣れた様子で、どうにもやり方が覚束ない才人に教える余裕さえあった。
元が日本人であるルシィだが、仮にもこの世界で十五年貴族の令嬢として過ごしたのだ。乗馬の嗜みぐらいは当然にある。
「お願いがあるんだが……」
「あんだよ」
「ぼくの使い魔を連れていきたいんだ」
そうしていると、ギーシュが言った。
ギーシュの使い魔を今まで見たことがなかったので、にわかに興味を持つルシィ。なお、彼女の使い魔であるナストは今日もマフラーとしてルシィの首に巻き付いていた。
地面を足で叩くギーシュ。すると、地面がモコモコと盛り上がり、モグラが土から顔を出した。並のモグラとは比べ物にならないほど巨大で、大きさがクマほどもある。ジャイアントモールと呼ばれる生き物であった。
「ヴェルダンデ! ああ、ぼくの可愛いヴェルダンデ!」
膝をついてジャイアントモール――ヴェルダンデを抱きしめるギーシュ。
ルシィはなんとなくマフラーを撫でる。その猫可愛がり(モグラだが)は、ルシィのナストに対する態度と似たものがあった。使い魔は主人が好きだが、主人も大概使い魔が好きなものである。
「ヴェルダンデ、君はいつ見ても可愛いね、困ってしまうね。どばどばミミズはいっぱい食べてきたかい?」
モグモグモグ、とヴェルダンデが嬉しそうに鼻を震わせる。いやいくらモグラでもそんな鳴き声があるか、とルシィは内心で突っ込んだ。同意を求めるように才人の方を見るが、彼の方は何とも思っていないらしい。異世界なら何でもありだと思っているのかもしれない。
モグラのヴェルダンデはちらりとルシィを見た。なんだろう、と首を傾げるルシィ。
使い魔はモゴモゴと口を動かし、頬袋から何かを吐き出す。よだれに濡れた小箱が地面に落ちた。
「……これ、僕に?」
こくりとヴェルダンデが頷く。……このよだれまみれの箱を開けろというのか。
「うえぇ……。ちょっとギーシュ、代わりに開けてくださいよ」
「いいとも」
ギーシュは即答し、手をベトベトにしながらも嫌な顔一つせず箱を開けた。浮気性だが、女の子には優しい彼である。
こいつ良い奴だなあ、と思いながら、ルシィは箱の中の物を取り出した。
それは、一枚の便箋に綴られた手紙だった。
「…………」
「何の手紙だったんだ?」
「……別に。つまらない内容でしたよ」
ルシィは手紙をくしゃくしゃと丸め、箱の中に戻す。
手紙に書かれていたのは、ルシィの父であるジョンキーユ伯爵からの通達である。
そう、連絡ですらなく、通達。
――早く学院から戻って、嫁に行けという、父からの命令だった。
「……ふん」
ルシィは途端に不機嫌になる。
外面は淑女らしくなったルシィだが、中身は未だ前世の意識を色濃く残したまま。女として結婚するなどありえない。それに、手紙の内容も酷いものだった。
「『トライアングルにまでなれば十分だろう、もしスクウェアにでもなってしまえば貰い手がいなくなる』、なんて……娘をなんだと思ってるんでしょうか」
ただの道具としか思っていないのだろうな、とルシィはため息をつく。
タバサやキュルケなどのトライアングルが身近にいるので忘れそうになるが、実際、彼女らは学院においても有数のエリートだ。知識を積めば、魔法学院で教鞭を執ることさえ出来る実力。これ以上となると尻込みする男も多いのもまた、事実ではあった。
「ルシィ……」
その憂いある顔にアンリエッタと似たものを見たルイズは、手紙の内容を察して彼女の肩に手を置いた。しかし、その時である。
「な、なによこのモグラ」
ヴェルダンデが鼻をひくつかせ、くんかくんか、とルシィ達に近寄る。巨大モグラはいきなりルシィ達を押し倒し、鼻で体をまさぐりはじめた。
「わっ……なんですか、こら! いくら動物だからって、この!」
「や! ちょっとどこ触ってるのよ!」
ルシィ達は鼻で体を突き回され、地面にのたうち回る。ルイズ共々、パンツを派手にさらして暴れるルシィ。
「いやぁ、巨大モグラと戯れる美少女ってのは、ある意味官能的だな」
「そのとおりだな」
「何バカなこと言ってるんですか! ルシィちゃんの可愛さはモグラなんぞにくれてやっていいものじゃないんですよ! ……って、ペンダントはもっとダメです! 母上の形見に鼻を擦り付けるな、アホモグラ!」
「この! 無礼なモグラね、姫さまにいただいた指輪に鼻をくっつけないで!」
「なるほど、指輪か。ヴェルダンデは宝石が大好きだからね」
そんな風にルシィ達が暴れていると、突如一陣の風が吹き、ルシィ達に抱きつくモグラを吹き飛ばした。
「誰だッ! 貴様、ぼくのヴェルダンデに何をするんだ!」
朝もやの中から現れたのは、羽帽子を被った長身の貴族である。
「僕は敵じゃない。姫殿下より、きみたちに同行することを命じられてね。きみたちだけではやはり心もとないらしい」
その人こそ、ルシィが教えを乞おうと思っていたワルド子爵である。
なんという僥倖だろう。ルシィは顔に喜色をにじませ、面倒なばかりだと思っていたこの任務に感謝した。
「女王陛下の魔法衛士隊、グリフォン隊隊長、ワルド子爵だ」
自己紹介をするワルドに、文句を言おうとしたギーシュが口をふさぐ。流石に相手が魔法衛士隊では分が悪い。それは全貴族憧れの肩書きなのである。
「すまない。婚約者が襲われているのを見て見ぬ振りは出来なくてね」
才人がルイズを見る――のは咄嗟にやめて、ルシィを見る。しかし、ルシィはぶんぶんと首を振った。婚約した覚えなど彼女には無い。いや、既に父が何人か見当をつけてはいるのだろうが、それでもワルド子爵を紹介された覚えはない。
才人はあんぐりと口を開けた。つまり、この、凛々しい貴族が、ルイズの婚約者?
「ワルドさま……」
「ルイズ! 久しぶりだな、僕のルイズ!」
ルイズが頬を染めてワルドに抱きかかえられる。ルシィはそれを見て、なるほどなぁ、と一人思った。何やらワルドと関わりのありそうなルイズだったが、まさか婚約者だったとは。
ちらりと隣を振り向けば、才人は何やらとても寂しそうにしていた。彼の気持ちはなんとなく察しているルシィだが、それでも、これは才人にとって良かったのではないかと思ってしまう。
だって、本当に日本に帰りたいなら、ルイズのことは諦めた方がいいからだ。いや、ルイズというより、この世界の女の子に入れ込んでしまうのがよくないからだ。
もしこの世界の誰かを愛してしまったら、きっと才人は元の世界のことを諦めてしまう。この世界で一生を終えてもいいと思ってしまう。
ルシィは、才人にはなんとなくそうしてほしくなかった。元の世界で死んだ自分とは違って、才人には今も、帰りを待っている家族がいるのだろうから。
「彼らを、紹介してくれないかね」
「あ、あの……ギーシュ・ド・グラモンと、ルシィ・アメイニアス・ド・ジョンキーユ。ついでに、使い魔のサイトです」
そんな風にナーバスな気持ちに浸っていたルシィ、そして他二名を、ワルドに紹介するルイズ。
「きみがルイズの使い魔かい? 僕の婚約者がお世話になっているよ」
「そりゃどうも」
才人はワルドと二言三言受け答えしつつも、明らかにむすっとしていた。
気持ちはわかる。ワルドは同性であるルシィから見ても……否、現在は異性なのだが、それでも男だった身として見ても、格好良く、がっしりとしていて、おまけに人間が出来ている。これは悔しくなっても仕方ない。
でも、いくら悔しいからって自分の方を見られては困る。ルシィは才人から目を離し、ワルドに向けて一礼した。
「初めまして、ワルド子爵。ルシィ・アメイニアス・ド・ジョンキーユです。学院では『鏡』のルシィと呼ばれています。僕も風のメイジとして、その達人であるワルド様のご高名は拝聴しておりました。お会いできて光栄です」
「ほう、君も風使いか。『閃光』のワルドだ、よろしく頼むよ」
人の良い笑みを浮かべるワルド。うわあ、本物のイケメンだ、とルシィは思った。多分、そばで見ている才人やギーシュもそう思った。
「この任務には全力を尽くして挑むつもりです。どうか、そのためにもあなたの素晴らしい技の一端を、この未熟な身にご教授いただければ……」
「いいとも。厳しい任務になるだろうが、実戦の場に身を置くことは何よりの修行になる。支障を来たさない範囲で、出来る限りきみに指導しようじゃないか」
「ありがとうございます、ワルド様」
ルシィは、鏡以外には滅多に見せないようなとびきりの笑顔をワルドに向ける。ますますむすっとした顔の才人とともに、一行は、アルビオンへと出陣するのだった。
残念ながら、出発してからはワルドと会話する機会さえなかった。ワルドが休むことなく自身の駆るグリフォンを疾駆させ続けたからだ。
ルシィたちは二度馬を交換したが、ワルドのグリフォンは疲れも見せず走り続ける。乗り手に似て、非常にタフな幻獣だった。
乗馬には慣れていると言え、流石の強行軍に疲れてくるルシィ。
彼女は自分の魔法にはそれなりの、自分の美貌には絶大の自信を持っているが、体力に関してはただの少女である。
「こっちは美少女だぞ、もっと丁重に扱え」と内心でワルドに文句を言いながらついていく。いい加減にへばってきた彼女の耳に、グリフォンに一緒に乗るルイズとワルドの会話が届いてきた。
本来なら声が聞こえるような距離ではなかったが、風メイジの聴覚、その中でもルシィの耳はとりわけ音に鋭敏なのである。
「僕はずっときみのことを忘れずにいたんだよ。覚えているかい? 僕の父がランスの戦で戦死して……」
何やら、ワルドは熱心にルイズのことを口説いているようだった。こちらがへばっているのに随分と余裕である。
ハルケギニアの人々にはちんちくりんと言われあまり相手にされないルイズだが、ワルドはそんな彼女のことが好みらしい。なかなか見る目がある、とルシィは深く頷いた。才人はワルドとルイズが親しげにするのが気に食わないらしく、近くのギーシュと会話しながら悪態をついていた。
疲れ切りつつも、一行は夜闇に包まれた港町、ラ・ロシェールに到着する。何度も馬を替え、飛ばしてきたせいで、ルシィ達はどうにかその日のうちに山間にある町の入り口へとたどり着くことが出来たのだった。
「港町なのになんで山なんだよ」
「きみは、アルビオンを知らないのか?」
「知るか」
「まさか!」
才人の言葉に、ギーシュが笑う。しかし、才人とルシィは笑わない。
日本人が、否、地球人がまさか、アルビオンがあんな国だとは思うわけがない。ルシィは疲れ切りつつも、才人を弁護しようと口を開けた。
「遠い国の人なんだから仕方ないでしょう。才人、アルビオンはですね……」
そのときだ。
不意に、ルシィ達にめがけて、崖の上から何本もの松明が投げ込まれた。
火の訓練を受けていない馬が暴れ、地面に投げ出されるルシィ達。続いて放たれる何本もの矢。
それらは初撃ゆえに運よく外れたが、二の矢が続けて降りかかってくる。転がっていたルシィは、慌てて風の呪文を唱えた。竜巻が生まれ、矢を明後日の方向へと弾き飛ばす。
が、急なことだったので全ての矢を防ぐことは出来なかった。ギーシュの方に一本の矢が飛来する。しかしそれは、もう一つの竜巻によって弾かれた。
「大丈夫か!」
ワルドが叫ぶ。彼もまた、ルシィ達を助けようと杖を構えていたのだ。才人がうめきを漏らしつつも、どうにかこらえて返事をする。
「だ、大丈夫です……えっと、今の」
「いや、君を助けたのは僕ではない。彼女だ」
才人は後ろを振り返った。ルシィが倒れたまま、苦し紛れの笑いを浮かべて手を振る。
ルイズの婚約者に助けられたのではなくてほっとした才人だが、それでも女の子に助けられてしまった。才人の中で情けない気持ちが溢れる。自らも戦うべく、背中の錆びた大剣、デルフリンガーを引き抜いた。
「相棒、寂しかったぜ……鞘に入れっぱなしはひでえや」
喋りだすデルフリンガー。この剣はインテリジェンス・ソードと呼ばれる珍しい武器であり、剣でありながら人並みの知性を持っているのだ。ただし、古ぼけてしまっているので色んなことを忘れている。
「夜盗か山賊の類か?」
ワルドが呟き、ルイズが反応する。しかし、ルシィとしてはもうへとへとで、もう何でも良いから勘弁してほしかった。
そのとき、ばっさばっさと羽音が聞こえた。
ルシィは首を傾げるが、どうやら才人達には聞き覚えのある音らしい。
崖の上の襲撃者達は自分たちの頭上に現れたものに怯え、矢を撃つ。しかしそれらは竜巻で吹き散らされ、そのまま男たちを吹っ飛ばした。
「シルフィード!」
それはタバサの風竜だった。ルシィ達の下へ舞い降りるシルフィード。背にはキュルケと、パジャマ姿のタバサが乗っていた。そうしているとますますちっちゃい子みたいで可愛いなあ、とルシィは思った。思ったが、いい加減疲労が限界で、タバサを愛でる余裕がなかった。
「何しに来たのよ!」
「助けに来てあげたんじゃないの。あんたたちが出かけようとしているもんだから、急いでタバサを叩き起こして後をつけたのよ」
竜の背からキュルケが飛び降りる。そして、いつものように才人を誘惑する。
キュルケに対抗心を抱くルイズはぐぬぬと歯噛みした。ルイズのヴァリエール家は、キュルケのツェルプストー家と犬猿の仲なのだ。
こんなお馬鹿な才人ではあるが、ツェルプストーの女に自分の使い魔を取られるのは我慢できない。しかし、いつものように怒鳴ろうとする寸前で、横からルシィが入り込んだ。
「才人、僕もう疲れました。運んでください」
「え? 俺も疲れてるんだけど……」
「いいじゃないですか、さっき助けたじゃないですか。あとちょっとなんですからおぶってくださいよ」
彼女は、才人の胸にぽす、と軽く飛び込んだ。普段ならこんなことはしないルシィだが、今回ばかりは本当に疲れていた。女の子たちに自分を運ばせるわけにはいかないし、目上であるワルドには流石にお願い出来ない。そして先ほど助け損ねたギーシュに頼むのは心苦しい。消去法的選択だった。
面倒くさそうにしつつも、満更でもない顔の才人。そんな彼らを見て、慌てたようにルイズが叫んだ。
「ちょっと、ルシィ!」
「? なんでルイズが怒るんです? キュルケなら分かりますけど」
「っ、それは……」
なんでだろう、とルイズは自問した。キュルケと違って、ルシィとは特に因縁があるわけでもない。自分の使い魔を取ろうとしているわけでもないのに……。
ワルドが、そんなルイズの肩に手を置く。ワルドはルイズを見て、にっこりと微笑みかけた。
「ワルド……」
そこに、男たちを尋問していたギーシュが戻ってきた。
「子爵、あいつらはただの物取りだ、と言っています」
「ふむ……、なら捨て置こう。今日はラ・ロシェールに一泊して、朝一番の便でアルビオンに向かおう」
一行に告げ、グリフォンに跨りルイズを抱えるワルド。キュルケは才人の馬の後ろに乗って、へたったルシィに何事か苦言を漏らしている。ギーシュもまた馬に跨り、タバサは風竜の上でいつも通り本を読んでいた。
道の向こうに、両脇を峡谷で挟まれた、ラ・ロシェールの町の灯りが怪しく輝いていた。