ウェールズ達の巧みな操船により、一行はニューカッスルの秘密の港へと到着した。
ニューカッスルの城にある手紙は、確かにルイズへと手渡された。それはウェールズに宛てたアンリエッタの許されない恋文であり、アルビオンの貴族派『レコン・キスタ』には決して渡ってはならないものだったのだ。
あとは、明日の朝に先ほどの空賊船――『イーグル』号で王党派の非戦闘員とともにトリステインにたどり着けば、この任務も完了となる。だが、手紙を受け取ったルシィ達の顔は晴れなかった。
その日の夜は、ささやかな饗宴が開かれた。
それは、アルビオン王党派にとっては最後の晩餐である。
……そう、彼ら王軍は名誉を守るために、三百の兵で五万の敵に挑み、死ぬつもりなのだ。それは王も、ウェールズ皇太子も例外ではない。むしろ、彼らは真っ先に戦い、死なねばならない立場なのだ。
城で行われるパーティの中。
死を前に明るく振る舞う人々を、才人は悲しげに見ていた。ルイズは才人よりさらに感じ入って、席を離れてしまった。ワルドは才人にルイズを慰めるよう頼まれ、また席を離れた。ルシィと才人。二人だけがその場に残る。
賑わう王党派の貴族たち。しかし、才人は見るからに気が滅入っていた。ルシィもなんだか感傷的な気分になって、ぽつりと呟く。
「あんな風に死ねるなら、幸せなんでしょうね」
「……俺には、わかんねえよ。名誉とか誇りのために死ぬなんて、馬鹿げてる」
「立派に頑張って死んだなら、悔いも残らないでしょう。……羨ましいですよ、僕は」
「貴族ってのは、みんなそうなのか」
「貴族だからじゃありません。僕が僕だから、言うんです」
ルシィは思う。自分が前世で、彼らのように死んだなら、生まれ変わったことをもっとすぐに受け入れられただろうと。
彼女はずっと、諦めてきた。前世の夢を、絆を、愛を、努力を、成果を、自分を。少しづつ少しづつ諦め、削っていった。残ったものは、未練の残骸が一欠片。だが、彼らが死んで生まれ変わったなら、その魂には誇りが残るのだろう。今世で手に入れたそれが、来世をずっと輝かせていくのだろう。
転生者であるルシィにとって、それは、とても幸せなことのように思えた。
「なんで、死ぬのが怖くないんだよ」
「怖いですよ。――わかっていても、怖い。わかっているからこそ、怖い」
才人が一瞬不思議そうな顔になる。だが、ルシィはそのまま続けた。
「あの人たちだって怖いはずです。それでも、守らなきゃいけないもののために、恐怖を忘れてる」
「そこのお嬢さんの言う通りだ。我々は誇りを守り、勇気を示さねばならない。それが我らの義務だからだ」
やってきたのはウェールズだった。ルシィは自分の言葉をこの王子に聞かれたのが恥ずかしくなり、顔を赤くした。
「……その、今のは違うんです。ウェールズ皇太子。僕はきっと、あなた達みたいには出来ない。心が弱くて、怖がりなんです。誇りなんてない。この世に大事なものなんて、この身一つしかない。僕は誰より、自分が一番可愛いから」
「はは、そうだね。きみは確かに可愛らしい……おっと、今のはなかったことにしてくれ。アンリエッタに告げられては困るからね」
愛おしげに言うウェールズ。二人のやり取りを見て、ウェールズに向けて才人が問う。
ルシィは二人の会話から意識を逸らし、聞くのをやめた。きっと、弱い自分では受け取れないような、大事な思いを託すのだろうと、そう思ったからだ。
才人が俯き、ウェールズが座の中心に戻っていく。ウェールズはその途中で、広間を見るルシィの肩に手を置いた。
「きみはきっともう持っている。大事なものを。守るべき誇りを」
「……買いかぶりですよ。僕にそんなもの、あるはずもない」
「必ずしも我が身にあるとは限らないさ。それはきっと、湖面と同じだ」
そう言って、ウェールズは去っていった。
ルシィはまだ彼らとともにいるつもりだったが、才人はもうここにいるつもりはないらしい。
給仕に部屋の場所を尋ねる彼を、戻ってきたワルドが呼び止めた。
「明日、僕とルイズは、ここで結婚式を挙げる」
ルシィは驚いた。それは才人も同様だった。
「こ、こんな時に? こんなところで?」
「ああ。決戦の前に、僕たちは式を挙げる」
しかし、ワルドの決意は堅い。なんとしても、あのウェールズ皇太子に媒酌を務めてもらいたいらしい。
「きみらも出席するかね?」
ルシィは才人と一緒になって首を振る。ルイズとワルドはグリフォンで帰り、ルシィ達は朝早くに『イーグル』号で帰ることとなった。
才人は酷く傷ついた顔で、一人城のホールから出ていく。まだ残っているつもりだったルシィだが、どうにも彼が気になって、少し早くその場を離れた。
ルシィは『ライト』を唱えながら歩いていく。暗く静かな廊下。
窓から差し込む月光の下で、才人とルイズは一緒にいた。
二人は何か言い争っていたが、普段の喧嘩とは、雰囲気が違った。
ルイズは泣きそうな顔で、才人は真剣な、そして、寂しそうな顔で、彼女に語りかけている。
「ここでお別れだ、ルイズ。元の世界に帰る方法は、一人で探す」
才人は、ルイズのことを諦めていた。ルイズから離れることを決めていた。
それはルシィが彼に望んでいたことのはずだったが、それなのにどうしてか、胸が痛い。つらくて、悲しくて、たまらなかった。
「ばか!」
ルイズは才人の頬を張り、泣きながら廊下を駆けていく。
すれ違う自分の姿も目に入らぬルイズを見て、ルシィは悟った。
あの空賊船で、恐怖に震えながらも心を貫いたルイズ。何度打ち倒されても譲れぬもののために立ち上がった才人。
どうして才人がルイズを好くのか、本当の意味で分かった気がした。でも、彼らの道は交わらない。きっと、もう二度と。
「さよならルイズ。優しくて可愛い、俺のご主人さま」
もう、ルシィは放っておけなかった。
今の才人は、この旅の中で、最も傷ついていると思った。
「才人」
声をかけ、部屋に歩いていく才人を引き留める。才人ははっとした顔で振り返った。
「……なんだ、ルシィか」
「なんだとはなんですか。美少女に話しかけられたんだから喜んでくださいよ」
「うるせえ」
あえて、能天気な調子で言うルシィ。才人は顔を逸らし、窓の外の月に目をやる。
「才人は、故郷に帰るんですか?」
「聞いてたのか?」
「ええ、耳が良いもので。途中から来たので、全部聞いたわけじゃありませんが」
そっか、とどうでも良さそうに才人は言った。
「よかったじゃないですか、ようやく家に戻れますね」
「そうだな」
「もう慣れないトリステインで生活する必要もありません。久しぶりにお父さんやお母さんと会えるし、友達とだって遊べる」
「ああ、家族が待ってる。照り焼きバーガーだって、食べたいし」
「ですよね。嬉しいですよね、家に帰れるのは」
「…………」
才人は言葉を返さない。いや、返せない。
ルシィは、月を見る才人の横顔を見て、言った。
「だから、才人」
「なん、だよ」
「泣かないでくださいよ」
才人の目からは、いつの間にか涙がこぼれていた。
それは才人が泣くまいと思えども溢れ出し、どんなに拭っても止まらなかった。
「泣いてねえよ」
「そんな顔で格好つけてもしょうがないでしょう」
「仕方、無いだろ。俺じゃ、ルイズを守れない」
才人の頭の中で、旅の記憶が蘇る。
矢を射掛けられた時も、ワルドと決闘した時も、白仮面の男に襲われた時も、自分は何も出来なかった。危機を救ったのは大抵がワルドで、自分はただ見ているだけだった。
「……いいえ。才人は、すごいやつですよ」
「どこがだよ。伝説の使い魔だ、『ガンダールヴ』だ、なんて言われても、結局俺は普通の人間だ。これなら、ルシィの方がよっぽどマシだ」
「そんなことありません。才人の方がすごいんです。強いんです。頑張ってるんです」
「すごくも、強くも、頑張ってもねえよ」
「でも」
粘り強く反論しようとするルシィを、才人は制止する。
「信じてもらえないと思うけど、俺、別の世界の人間なんだ」
「…………」
「帰る方法なんて分からない。こっちの世界に知り合いひとりだっていないんだ。前にこの世界に来た人も、そのまま死んだって聞いた。多分、俺も無理だと思う」
「そんなこと、ありません。才人はきっと、帰れます」
「帰れねえよ。簡単にそんな、分かったような口……」
「それでも、帰らなきゃいけないんです!」
言葉を遮り、堪えきれなくなったようにルシィが叫ぶ。いきなりの剣幕に、才人は思わず息を呑んだ。
才人の顔を両手でつかみ、ルシィは声を張り上げる。
「才人には帰る家があるんでしょう?! 待ってる人たちがいて、受け入れてくれる場所があって! 簡単に分かったような口利いてるのは、才人の方じゃないですか! この世界に来て、まだ一ヶ月も経ってないくせに!」
「る、ルシィ」
「才人は僕と全然違うじゃないですか! 君は特別です、帰れるんです、絶対に! ギーシュと戦った時からずっとそうだった! 折れなかった! 屈さなかった! 譲れないもののために、君は自分を貫いていた! そうでしょう、平賀才人!?」
「ルシィ……」
抑え続けていた感情が発露していた。それは旅の間に溜め込まれていた思いであり、ハルケギニアに生を受けてから潜め続けていた思いだった。
「好きな子が結婚するぐらいで泣かないで下さいよ! あの日からずっと希望だったんです! 僕にとって、帰れなかった人たちにとって! 覚えているでしょう、才人は『我らの剣』なんだ! だから、だから……」
なぜか、ルシィの言葉が止まる。
まだ言いたいことはいくらでもあったのに、喉が何かで詰まっていた。
「わかった」
才人は答えた。泣き止んだ。
そのまま、ルシィの顔に手を伸ばして、言った。
「もう泣かねえ」
「才人」
「だから、お前も泣くなよ、ルシィ」
「え……」
才人の手が濡れていた。ルシィの零した涙だった。
「あ、な、なんで……もう、割り切ったのに、僕は、ちゃんと、見つけたのに……」
「俺、頑張るよ。帰る方法も、ちゃんと探す。ありがとな」
「っ……!」
ルシィは、涙を見られたくなくて、顔を伏せた。しかし、額に才人の胸が当たる。顔に触れるポリエステルの感触が妙に懐かしくて、思わず、すがりつくように、ルシィはもう一度泣いたのだった。