泣き終わったルシィは、子供のようにぐしぐしと目元を拭う。
「って、何抱きついてるんですかバカ!」
そして、いつの間にか才人に抱きしめられていたことに気づき、ルシィは彼を両手で突き飛ばした。
「何すんだよ!」
「何すんだよじゃないです! 今ので惚れたと思ったら大間違いですよ! むしろ最初から大好きなのに恋愛感情は一切無い時点で察してください!」
「そんな理不尽な」
才人はズボンを何度か払って立ち上がる。
「えっと、それで、ルシィは地球から来たってことでいいのか?」
「そうですよ。というか今の流れでそうじゃなかったらびっくりですよ」
「なんで、言ってくれなかったんだよ」
「……それは」
ルシィは言いよどみ、才人を見る。
先ほどは勢いでつい自分が同郷であることを漏らしてしまったが、果たしてこれを言っていいものか。ルシィは悩むが、才人は「大丈夫だ」と力強く頷いた。
「……見つからなかったんですよ、ずっと」
「それは、帰る方法が?」
「そうです」
「ずっとって、どれぐらい」
「十五年」
才人はあんぐりと口を開けた。
「嘘だろ。ルシィっていつからハルケギニアにいるんだよ」
「生まれた時からです。地球にいた時は普通の高校生だったんですけど、地球でトラックに撥ねられて、死んで、気がついたらルシィ・アメイニアス・ド・ジョンキーユちゃんゼロ歳に生まれ変わってました」
「なんか、すごいな……そっか、生まれ変わった時からずっと……」
「……嫌に、なりました?」
ルシィは不安げに問う。才人は首を横に振った。
「いいや。びっくりしたけど、でも、探すよ。探すっていったもん、俺」
「……ふふっ。やっぱり強いですね、才人は。流石は伝説の力の持ち主です」
「まあ、『ガンダールヴ』とか言って、ワルドにはずたぼろに負けたけど。でも、この力は多分、俺を元の世界に導くんだと思う。なんとなく、そんな予感がする」
才人が背中のデルフリンガーを握り、左手のルーンを光らせる。わずかに鞘から刀身を出したデルフリンガーは、剣なのにいびきを立てて眠っていた。
「うん……きっと、才人なら出来ますよ、絶対に」
「惚れた?」
「惚れませんよバカ。っていうか前世男ですよ、僕」
「えっまじで」
才人は愕然とする。ラ・ロシェールの港町で、ルシィを宿まで運んだ時とか結構ドキドキしたのに。
「でも。友達ですよ、才人。惚れませんけど、好きだから、友達です」
「……そうだな、友達だ」
ルシィは歯を見せて笑った。才人もまた、同じように笑った。
「そうだ。明日はきっとごたごたするでしょうし、今の内にお土産あげます」
「お土産? アルビオンの?」
「お土産というか、背中を押すというか……。実際にやった方が早いですね。僕の部屋までついてきてください」
ルシィはそう言って歩き始める。そして、思い出したようにくるっと振り返って、言った。
「ちょっと……緊張しますね。今まで、誰にも見せたことなんてなかったですから……」
照れたようにはにかむルシィ。そして、また振り返って部屋へと歩いていく。緊張したと言いつつ、どこか楽しげな足取りだった。
才人はドキッとした。え、つまりこれって、そういうことなの? ルシィの部屋に、男女二人で……いや、ルシィは男なんだっけ。でも、身体は女の子だ。女の子が緊張しながら見せてくれるもの。今まで誰にも見せなかったもの。
才人はにわかに期待し始める。ルイズの裸は着替えさせる時に見たが、ルシィはルイズとは違う。ルイズより背が高いし、ルイズ同様スラッとはしてるけどゼロじゃない……いやいや、待て待て。そう、待つのだ平賀才人。ルシィの中身は男の子なんだってば。それに、自分はルイズが……いや、ルイズはワルドと結婚するんだけども、だけど、しかし……。
そんな風に悶々とする才人だが、ついに部屋についてしまう。
少し薄暗い部屋の中、ルシィはぽすんとベッドに座る。彼女はおろおろとする才人を不思議そうに見つつ、なんてことないような表情でこう言った。
「今から才人に、魔法をかけます」
「えっ」
呆気にとられる才人の前で、ルシィは懐から瓶を取り出す。それには目一杯真っ赤な液体が詰まっていて、才人はざざっ! と後ずさった。
「そんなに怖がらないでください。ただの色付き水ですよ。絵の具みたいなもんです」
ルシィはこん、こん、と瓶を取り出し、床に並べていく。赤、青、黄、緑。四色の色付き水が詰まった瓶が、正方形の形で置かれた。
「えっと、何するつもり?」
「だからお土産です。戻っていいですよ、ナスト」
ルシィは首に巻いたマフラーを撫でる。それはしゅるりと形を変えて、青い目のイタチのような小動物に変化した。ナストは並べられた瓶の真ん中へと移動する。
「幻獣・エコー。僕の使い魔で、サイズの違いすぎないものなら大体なんにでも変身できます」
「すげえ。これがお土産?」
「違いますよ。ナストは僕のです。あ、これは友達同士の秘密ですよ。ナスト取られちゃったら困りますから」
「じゃあ一体何するつもりなんだよ」
彼女の意図がつかめなくて、才人はぶすっとした顔で聞いた。
ルシィは才人の疑問には答えず、杖を用意し、瓶の蓋を開けながら言う。
「僕の二つ名は知ってますか?」
「『鏡』、だっけ?」
「そうです。僕は風メイジですけど、水もちょっと齧ってます。それで得意になったのが、光の反射、屈折、散乱。だから鏡。『鏡』のルシィ」
自分の幻を作るというのも、その一環。ルシィは、光と幻を操ることにかけてトップクラスのメイジなのだ。
「フル・ソル・ウィンデ。……よく見ててくださいね、才人」
『レビテーション』。浮遊の魔法が、ナストと、四色の液体を宙に浮かす。
球状になって浮かぶ液体に囲まれたナストは、高く澄んだ声で鳴いた。先住の魔法が発動し、ナストの姿が、無色透明の、しかしまばゆい光を放つ水へと姿を変える。
ルシィは更にスペルを重ねた。風の二乗に水を加算。『フェイス・チェンジ』のアレンジ魔法。その呪文の名を『シェイプ・チェンジ』。
五色の液体が混ざり合い、輝く虹色の煌めきへと姿を変える。
直後。
部屋の中が、宇宙に変わった。
「うわっ!」
「落ち着いてください! プラネタリウムみたいなもんです!」
確かに、それは部屋の中が真っ暗になっただけだった。床の感触はそのままだし、手を伸ばせば壁だってちゃんとある。遠くに見える星々はそこに貼り付いた光の粒だ。魔法というのはこれほどのことが出来るのかと、才人は思わず息を呑む。
星々は廻転し、宇宙の姿は移り変わる。それは奇跡で織られた幻想だった。始祖のもたらした系統魔法と、精霊が揺り動かす先住の魔法。二つが組み合わさり、世界の色はルシィとナスト、彼女らの思うままになる。
気づけば、才人の前に浮かぶ、鮮やかな青色の球体があった。才人は好奇心を発揮し、輝く物を見つめる。それは――
「地球……?」
ごっ! と才人は地球に接近する。いや違う、ルシィの作った仮想の地球が拡大化しているのだ。部屋の大きさを越えて地球が広がることこそなかったものの、視界いっぱいに広がり、表面の様相を変えていく。
まるで落ちていくかのような錯覚。航空写真をどんどんと引き伸ばしていくような変化。近づいてくる日本列島。
気づけば、才人は日本の町並みにいた。いや、部屋の中が、日本の幻に包まれていた。
そこは有名な観光地でも何でも無い。才人の見知らぬ住宅地。しかし確かに、ハルケギニアにはあるはずのない景色だった。
もう泣かないと決めたはずなのに、才人の目がじわりと滲む。少し古く、見知らぬ場所。しかしそここそが、才人たちの生きた元の世界そのものだった。
「僕はね、才人。前世を決して忘れないんです。過ごした町の姿も、あの日歩いていた人々も。そこに舞い落ちていた木の葉の数さえ。だからこれは、間違いなく僕らの世界です。ルシィ・アメイニアス・ド・ジョンキーユではなかった少年が見た、まったき前世の姿です」
景色が移り変わる。
ルシィが見せたのは、何も派手な光景ではなかった。本当に些細な、日常の光景だった。
家族との朝食。友達との登下校。昼下がりの授業風景。夜に父親と見ていたテレビ番組。また明日と、そう言って眠りにつく母親の姿。
そこに才人の知る物は何もなかったけれど、それでも、才人は確かに家族を想った。待っている父親を母親を、そして友人を。
思わず、才人は幻に手を伸ばす。瞬間、幻想はシャボン玉のようにぱちりと弾け、消えた。だけど最後に、見覚えのない少年の姿を見た気がした。才人の記憶にはない人物だったけれど、才人は彼を知っている気がした。
「終わりです」
ルシィが呟く。はぁはぁ、と、銀髪の少女は、荒い息を漏らしていた。
「精神力はさほど使いませんが、頭が、疲れますね。どうでしたか?」
「……ありがとう、すごかった」
「どういたしまして、才人」
ルシィは優しく微笑む。
月光に照らされるその髪は、どこか才人の知る、地球の月の色に似ている気がした。
「えっ、出会い系ってなんですか。聞いたことないんですけど」
「インターネットで彼女探すんだよ。今はみんなやってる」
「いんたー、ねっと……?」
「知らねえの?」
「き、聞いたことはありますもん。なんか、大学でやってるやつですよね」
「うわあ、そっか、ルシィが地球にいたのって十五年前だもんなあ」
「な、なんですか! 悪かったですねロートルで! どうせ魂年齢そろそろ三十路の中年ですよ、僕は!」
才人とルシィは、その後も部屋で話していた。同郷の出身として、募る話はいくらでもあった。
ルシィは部屋に備え付けられた羽ペンで書き物をしながら、才人と談笑する。
「才人は、帰ったら何がやりたいですか?」
「えっと、そうだな……インターネットサーフィンして、照り焼きバーガー食べて……。あ、そうだ、ハンバーグも食べたい。召喚された日の夕飯が、ハンバーグだったんだ」
「食べ物ばっかじゃないですか。ハンバーグぐらいならこっちでだって作れますよ。一度チラ見したレシピ本の内容も全部覚えてますし」
「うお、すげえ」
「この世界の母上も作ってくれたんです」
二人は笑う。
明日には戦争があって、この城は戦地になる。あのウェールズ達も死ぬのだろう。でも、今だけは楽しかった。懐かして楽しくて、とても穏やかだった。
「良かったら今度、学院に戻った時に作ってあげましょうか?」
「いや、でも……俺、荷物まとめ終わったら、旅に出るから。元の世界に帰る方法を探しに」
「あ、そっか。そうでしたね」
ルシィは少し、声のトーンを落とす。才人はそれを見て、ルシィに問いかけた。
「ルシィも一緒に来る?」
「僕は……いけませんよ。トリステインに帰ったら、嫁に行かなきゃならないんです。心は男なのに」
「嫌なら、行かなきゃいいじゃん」
「無理ですよ。僕が失踪したら、ジョンキーユ伯爵はきっと血眼になって探します。僕はトライアングルな上に、美少女ですから。結婚したいという男性が後をたちません」
「そ、そう」
「ついて行ったら、才人の旅の迷惑になる。だから、行けません」
才人は黙り込む。ルシィはそれを見て、慌てて言った。
「で、でも、そう簡単に親の言いなりになる気はありませんよ! 最低でも、学院を卒業するまでは粘ってみせますから!」
「おう。一緒に頑張ろうぜ」
「ええ!」
才人と一緒に励まし合う。少し無言になって、ルシィがかりかりとペンを走らせる中、「結婚か」と才人が呟く。
「なあ、ルシィ」
「なんですか?」
「ルイズのこと、よろしく頼むよ」
ルシィはそう言われ、思わずきょとんとした顔になった。
「それは……僕じゃなくて、ワルド子爵に頼むべきだと思いますけど」
「だって、俺は、ワルドよりお前の方を信頼してるもん」
「……やっぱり、寂しいんですか?」
「わかんねえ」
才人は言った。
「でも、心配なんだよ。あいつ、あんなんだけど……根っこはいいやつだし」
「そうですね。わかります。ルイズは大したやつです」
「だけど、我がままだし、乱暴だし、意地っ張りだし。結婚しても色々大変だと思うから、助けてあげてくれ」
「……分かりましたよ。友達の頼みですからね」
ルシィは快く応えて、笑う。思えば、この二度目の人生で、ここまで仲のいい友達が出来たのは、初めての気がした。
ルシィは書き物を終え、ペンを止めた。
書き記した物をルシィは眺める。
それは、ルシィがこの世界に来てから手に入れた、手がかりとなるかもしれない情報。十五年かけて手に入れた断片、その全てをまとめたものだった。
「思ったより、多いんだな」
「ま、中には使えなさそうな情報も混じってますからね。タルブ村にヨシェナヴェって名前の寄せ鍋料理があるとか」
タルブ村という地名に才人は聞き覚えがあったが、今すぐにはそれがなんだったか思い浮かばなかった。
「あ、そういえば、フーケが盗んだ『破壊の杖』ってあっただろ。あれの正体、ロケットランチャーだった」
「ええ、本当ですか? うわ、そんな近くに手がかりになりそうな情報があったなんて……戻ったら、学院のことももっと調べてみますかね」
情報を記した紙を、才人は受け取る。名残惜しそうに立ち上がり、彼は部屋を出る。
「また明日な、ルシィ」
「いえ、明日は結婚式に参加することにします。ルイズのこと、頼まれちゃいましたから。トリステインに戻ったら、また会いましょう、才人」
才人は「そっか」と、言って、今度こそ部屋を出た。一人のこされたルシィ。
「『ワルドよりお前の方を信頼してる』、ですか……」
ルシィは就寝の準備をしながら、才人の言葉を思い返す。
あの時。白仮面の男に襲われた時。呪文を呟いていた声音、あれは……。
「まさか、ですね」
おやすみなさい、とナストに呟く。
明日の式は早い。早めにルイズを祝福する準備をしておこうと思い、ルシィは目を閉じた。
翌日。ルシィは朝早くから、ワルドに頼まれ、式場の設営準備をしていた。
女子一人にはなかなかの大仕事だが、魔法を使えばさして難しいことでもない。
『レビテーション』や『ライトネス』……軽量化の魔法を使い、物を動かしていくルシィ。戦のために用意されていた剣などをどかし、城の中庭を飾り付け、結婚式に相応しい内装へと変えていく。
「手伝おうかね」
「あ、いえ! これで最後ですから!」
いそいそと励む彼女に、背後からワルドが話しかけた。
ルシィはささっと準備を終え、廊下に一人佇むワルドの下に向かう。
「すまない。一人で準備をさせてしまった」
「いえいえ。他の人たちは出港や戦の準備で忙しいですし。当日になって急に参加させて欲しいって頼んだんですから、これぐらい当然ですよ」
ルシィはにこやかに微笑み返し、近くにあった棚に杖を置く。
「杖は持たなくていいのか?」
「式場に武器を持ち込むわけにはいかないでしょう?」
「僕もルイズも気にしないが……まあ、きみがそうしたいというなら構わん」
二人は中庭へと歩いていく。歩きながら、背後でワルドが何かを呟いていたが、ルシィは気にしないことにした。
ニューカッスルの庭師は、直前までここの手入れをしていたのだろう。今から戦争が始まるとは思えないくらい、優雅で、美しい、穏やかな場所だった。
「式は中庭ですることにしたんですね。礼拝堂もありますし、そこでするのかと思ってました」
わずかに離れた場所にある礼拝堂の方角を見る。
中庭にも始祖ブリミルの像は用意したが、あそこにあったものの方がずっと立派だ。
「ああ。本当ならそのつもりだったのだが、ここの庭園も見事なものだ」
「確かに、綺麗な場所です」
「決戦が始まれば、ここも踏み荒らされる。礼拝堂はどこのものでも似たような造りだが、この景色は今だけのものだ」
「この景色を見るのは、僕たちが最後ってことですね」
「そうだな。――まさしく、その通りだ」
直後、ワルドは呪文を唱えた。
凄まじい速度とともに杖が振られ、冷えた空気が、ルシィの肌を刺す。
彼女が振り返った時には、もう、その魔法は放たれていた。
稲妻が伸びた。『ライトニング・クラウド』。それは無防備なルシィの背中に飛んで、雷鳴のような音を響かせる。
しかして、その音は途中で消えた。ワルドが直前に唱えた『サイレント』により、周囲に音が漏れることはなかった。
「さらばだ、ルシィ・アメイニアス・ド・ジョンキーユ。殺すには惜しい才能だった」
ワルドは振り返る。
彼は華やかに飾りつけられた中庭に何の感慨も感じぬまま、使われるはずもない式場を後にした。