――そして、倒れ伏したはずのルシィから、逆流するように電撃が放たれた。
ワルドは杖を振る。
彼の背後に展開された『エア・シールド』が、稲妻を弾いた。
空気を密にすれば、電気は抵抗の少ない場所へと逃げる。人一人を死に至らしめるはずの魔法は四散し、服の端を焦がすだけに終わった。
「……くそっ!」
電撃を浴びたはずのルシィは立ち上がり、ワルドに対して杖を向けていた。
無防備に電撃を受けたはずの体には、わずかな火傷の痕もない。彼女もワルド同様、ひそかに発動した『エア・シールド』で電撃を防いだのだ。
……しかし、もしこれが初見だったならば、対策しても防げぬ速度だった。ルシィは内心で冷や汗をかく。
ワルドは羽帽子の下からルシィを見る。鷹のように鋭い眼光で、銀髪の少女を見定めていた。
「やはり、先ほど置いていった杖は偽物か。あのように精巧な贋作、いつの間に用意した?」
不意打ちに失敗したルシィは、悔しげに歯を食いしばる。今の一撃でワルドを倒せなかったのならば、彼女の勝算は限りなく低くなる。
「狙いは悪くないが、やり方が露骨過ぎたな、『鏡』のルシィ。そのような手であれば飽きるほど見た」
ワルドはルシィに向き直る。彼の顔にはもう、人格者じみた柔和な笑みはない。
ルシィは普段は決して見せないような怒りの形相で、眼前の裏切り者を睨んだ。
「あなたが、あの白仮面の正体だったんですね、ジャン・ジャック・フランシス・ド・ワルド! トリステインの禄を食みながら、アルビオンの貴族派についた反逆者!」
「そうとも。いかにも僕は、アルビオンの貴族派『レコン・キスタ』の一員だ」
ワルドは冷たい、感情の無い声で言う。
「何故ですか! あなたはルイズを愛していたはずでしょう!? こんなことをすれば……」
「愛するとか愛さぬとか、そんな感情は忘れたよ」
「貴様っ!」
激昂するルシィだが、頭の中は冷静だった。
ルシィは、ワルドがこちらへ気を取られている隙に、背後に置いてきた杖へと視線を送る。
杖は即座に変化し、青い目の幻獣、エコーへと変わった。ルシィの使い魔、ナストである。
ルシィは「ルイズに伝えなさい」と目で合図する。ナストはこくりと頷き、ワルドに気づかれぬよう廊下を静かに走り去っていった。
ワルドの狙いは恐らく、ルイズが受け取った手紙だろう。だが、今から逃げれば、『イーグル』号の乗船にはまだ間に合う。
ワルドが『イーグル』号に追いつかないよう、グリフォンは念の為に鍵のかかった檻に移しておいた。あとは、『イーグル』号が出港する時間を稼ぐだけでいい。
「悪いが、きみはここで消えてもらう。周囲には『サイレント』を張った。例え叫ぼうが、助けは来ない」
少女に向けられる本気の殺意。ルシィはぞくりと背筋を震わせたが、即座に眼前の敵を睨み返す。
「……逃げぬのか?」
「あなたは逃さないでしょうし、僕も逃げません」
「言っておくが、きみでは勝てない。きみごときには『
「余裕ですね、『閃光』。そういう者が、足元をすくわれ死ぬのです」
恐怖はある。しかし、彼女の体が鈍ることはない。
ルシィは今、この一時だけ、恐怖を忘れていた。至上とする
そう、ルシィにも守るべき誇りはあった。否、出来たのだ。
それはあの使い魔の少年であり、彼の愛した少女だった。
彼らの持つ眩しさが、輝きこそが、ルシィの守るべき誇りだった。
「『必ずしも我が身にあるとは限らない。それはきっと、湖面と同じだ』……ええ、確かにそうでしたよ、ウェールズ皇太子」
二人の輝きを映し取り、『鏡』の少女は杖を構える。
魂の奥底で、風が轟々と唸っていた。
ルシィ・アメイニアス・ド・ジョンキーユは、転生者である。
彼女は一九九〇年代前半の地球で、男子高校生として生きた前世を持つ。
そして、そんな彼女が生まれ変わって得た特性こそが、『前世を決して忘却しない』という、呪いのような祝福だった。
「このっ!」
「風メイジだと思っていたが、水どころか、火まで扱うのか」
ゆえに、彼女は前世で得た情報の全てを正確に把握している。何気なしにペラペラとめくった化学の教科書の一節でさえ。
電気分解によって作られた爆鳴気が破裂する。
気体分子を操って作られた毒ガスがワルドの周囲を包む。
日光を屈折させて作られた熱線がワルドに向けて照射される。
電磁力へ干渉して作られた磁場が鉄拵えの杖を奪い取ろうとする。
それらはワルドにとっても未知の攻撃だった。対応に手間を割かれ、本来なら格下であるはずの少女に時間を稼がれる。
「なるほど、今の魔法学院は随分と変わったことを教えているらしい。だが、その魔法は実戦を想定して作られたものではないだろう?」
「くっ……」
しかし、裏切ろうとワルドは歴戦の兵である。魔法衛士隊の隊長として、様々な魔法に対する訓練を行ってきた。
『炎球』から身を守る方法。
『眠りの雲』を吹き飛ばす方法。
光の速度で迫る電撃を回避する方法。
杖を奪い取る『念力』に対処する方法。
確かに、ハルケギニアの技術は地球に比べ遅れている。だが、全てがそうではない。一部のメイジは経験則からくる、優れた科学知識を持つ。
いくらルシィが地球の科学知識を持つとは言え、所詮は一般的な高校生レベル。しかも、今世のルシィは戦いなどほとんど想定したことのない令嬢だったのだ。お遊びで作ったような付け焼き刃の攻撃魔法で、熟練のメイジとの戦闘に勝ることは出来ない。
「ぐあっ!」
小細工を、経験と、力で吹き飛ばされる。
少女は風に殴られ、勢いよく中庭を転がった。
「今ならば楽に死なせてやるが」
「黙りなさい、薄汚い裏切り者が……!」
どれだけ痛めつけられようと、杖だけは決して手放さない。
震える足で立ち上がる。
顔についた血を強く拭い、眼光鋭くルシィは言った。
「よくも、美少女の顔に傷をつけてくれましたね。僕を舐めてると後悔しますよ、ワルド子爵」
「なぜドラゴンが小鳥に怯える必要がある?」
ルシィは、やり方を変える。
付け焼き刃ではワルドに勝てない。これは、自身の全てと、命をかけて挑まねばならない相手だ。
中庭の隅に寄せておいた剣を手に取った。
それは、鉄塊のような剣だった。大の男でも持ち上げるのに苦労するほどの大剣である。しかしルシィはふらつきながら、どうにかそれを持ち上げる。
「まさか、剣でこの『閃光』を討つつもりか? 血迷ったか、ルシィ・アメイニアス・ド・ジョンキーユ」
「大真面目です。僕は剣を馬鹿にしないタイプの貴族なの、で!」
少女は、突貫した。大剣を持っているとは思えぬ速度の疾走。なるほど、言うだけのことはある。
しかしそれは、空を飛んで戦うこともあるワルドにとってあまりにも遅い。
「『ガンダールヴ』さえ下したその技、見せてもらいましょうか!」
ワルドは鼻で笑いながら、杖を構える。
よもや、自分相手に接近戦とは。挑発して近接戦に持ち込み、長さと重さに勝る大剣で挑めば、勝機があるとでも思ったのだろうか? なんという愚かさ。最後に考えた策がその程度ならば、一合合わせるまでもない。
一撃で胸を貫き、殺す。
レイピアのように杖を持つワルド。
それに対し、ルシィは――
「だ、りゃあっ!」
大剣を、投げた。
それは異様な速度だった。まるで小枝か何かのように、勢いよく飛んでくる大剣。しかし。
「甘い」
鉄拵えの杖で受け、流す。
衝撃は、思った以上に軽かった。『ライトネス』でもかけて軽くしていたのだろう。だが、その分威力も落ちている。
弾かれた大剣は落下中に魔法が解け、ワルドの右後方に落ちて重々しい音を立てた。
どうやら、『ライトネス』の効果時間を見誤ったらしい。まともに受ければ杖が折れただろうが、これでは受け流す必要さえなかった。破れかぶれの策に、ワルドは思わず苦笑する。
しかし、ルシィは足を止めない。木の杖だけを持って、ワルドへと向かっていく。
もはや万策尽きたのだろうと、そう思われた時。
――ルシィは、四人に増えた。
「何!」
杖を振り、魔法を発動するルシィたち。空気の渦を纏い、杖が輝く。『エア・ニードル』。
四人は方向を変え、ワルドの眼前、右側面、左側面へと走った。最後の一人は頭上に跳んだ。事前に『ライトネス』をかけたのか、その跳躍は軽く、高い。
まさか、この少女は『偏在』を使うことが出来たのか? 四方から同時にスクウェアクラスの魔法を受ければ、いかなワルドとて命は無い……いや、違う。
走ってくるルシィたちから、足音が消えている。
「幻か!」
それこそは、ルシィの最も得意とする魔法。二つ名の由来となった『鏡』の呪文。付け焼き刃ではない、熟練した呪文。
しかし、見抜いたからには脅威ではない。
ワルドは耳を澄ませた。ルシィほどではないが、ワルドもまた風メイジ。聴覚は並より遥かに鋭敏である。
やはり、音が聞こえるのは、頭上に跳んだルシィのみ。『エア・ニードル』で生まれた空気の渦が鳴らす風の音。
険しい顔で、ワルドへと落下するルシィ。この一撃で敵を撃ち殺さんとする気迫。
だが、それももはや無意味。
「……本当に、惜しい」
ワルドは杖を構え、落ちてくるルシィを貫いた。
――そして、貫かれたルシィは空気に溶けて消滅した。
「な、に?」
そこに残ったのは、杖のみだ。
そう、『エア・ニードル』を纏った杖のみ。それが、ワルドの目の前に落下していく。
ワルドは呆然としかけ、理解した。
――あの少女は、杖を上に向かって投げたのだ。跳躍する幻とともに。
前方にいたルシィの一人が、落ちてきた杖に手を伸ばす。
ワルドは反射的に彼女を貫く。しかしそれさえも、空気に溶けて消滅した。
残りは二人、右と左、どちらが本体なのか――答えはもう、明白だった。
「言ったでしょう。僕は剣を、馬鹿にしない!」
既に、避けきれない間合いまで詰められていた。
少女は剣に振り回されながらも、回転するようにワルドへとそれを叩きつける。
ワルドの防御が間に合ったのは奇跡と言えるだろう。しかし、レイピアを模した細い杖では、大剣の一撃を受けることは出来ない。
鉄拵えの杖は折られ、ワルドは衝撃に吹き飛ばされた。
ぎりぎりの、戦いだった。
ルシィは倒れたワルドに杖を突きつけ、荒い息を漏らす。
「僕の、勝ちです。『閃光』」
「ああ、そうだな。きみの勝ちだ。よくぞこの僕に打ち勝った。大したものだよ」
「……なんですか。殊勝な態度を取っていれば、殺されないとでも?」
ルシィは訝しげにワルドを睨む。既にルイズは『イーグル』号に乗り込み出発した後だろう。目的は何一つ果たせず、ワルドはここで死ぬ。悔しくはないのだろうか?
「最後の。足音がなかったのは、『サイレント』かな?」
「……ええ。僕だったら、それで気づくので」
答えつつ、ルシィは違和感を抱いた。
何か、何かを見落としている。あまりにも重要な何かを。
「最初の様々な魔法も素晴らしいものだった。称賛しよう、きみは――」
「待ってください」
ルシィの心拍が上がる。
冷や汗をかきながら、頼むからそうでないと言ってくれと、そう祈りながら、問いを口にする。
「あなた、なんであの時から……あんなに余裕があったんですか?」
その意図するところを、ワルドも理解したのだろう。羽帽子の貴族は、残忍な笑みを浮かべて言う。
「――この身は、『偏在』による分身だ。きみは僕に勝ったが、『閃光』には勝てなかったな、『鏡』のルシィ」
それを聞いて、ルシィは、走った。
呪文を唱えている時間ももったいなくて、走りながら、『フライ』を唱えた。
既に、ワルドが最初に展開した『サイレント』は解けていた。
中庭からわずかに離れた礼拝堂から、悲鳴が響く。逃げたと思っていたはずの、ルイズの悲鳴。
壁を破壊し、礼拝堂へと突っ込む。
「……あ、あぁ」
しかしもう、遅かった。
「ウェールズ、皇太子……」
白いマントをつけたルイズ。杖を持ったワルド。
倒れたウェールズの胸には、風穴が抉られていた。
「ほう……まさか我が分身を下すとは」
「ワルド……」
「だが、既に目的のうちの一つは達成した。あとはルイズを殺し、手紙を奪うのみ」
「ワルドぉっ!」
怒りのままに、『ウィンド・ブレイク』を撃ち放つ。
しかしそれはより強い一撃で相殺され、余波がルシィの体を吹き飛ばした。
「そのまま逃げていればいいものを。わざわざ危地に飛び込んでくるとはな」
「黙れ!」
ルシィは立ち上がり、更に呪文を詠唱しようとする。しかしその瞬間、ルシィの背後に影が出来た。
「がっ……!」
吹き飛ばされる。
背後に立ったのは、折れた杖を持つワルドだった。
折れた杖で殴打されたルシィを見て、ルイズが叫ぶ。
「ルシィ!」
「とどめを刺さなかったのは失敗だったな。杖がなければメイジは無力だと思ったか?」
立ちはだかる二人のワルド。
もはや、勝機は無い。ルシィ・アメイニアス・ド・ジョンキーユにはもはや、敗北するより道が無い。
しかし。
それでもまだ、ルシィは立った。
「ルシィ、なんで……」
「才人に、頼まれ、ましたから。ルイズを、頼むって……」
「なんでよ……ルシィは、女の子じゃない! なのに、こんな! ねえ、やめて、やめてよ」
杖を構える少女へと、無情に杖を突きつけるワルド。
ルイズは子供のように泣き、懇願した。
「お願い、やめて……」
片方のワルドが、呪文を唱える。『ライトニング・クラウド』。それはもはや、ルシィの『エア・シールド』で受けられる威力ではない。
だけど、ルシィは、ルイズの前に出た。
友達との約束は、守らなければならなかった。
呪文が完成し、ワルドがルシィに向けて杖を振り下ろそうとした瞬間――
「サイト! 助けて! ルシィが死んじゃう!」
礼拝堂の壁が轟音と共に崩れ、外から烈風が吹き込んだ。
「貴様……」
壁をぶち破り、間一髪飛び込んできた才人が、ワルドの杖をデルフリンガーで受け止めていた。