人でなく獣でなく 作:ヴェアヴォルフ
ギルドの一角、片隅では今日も今日とて授業が開催されている。
「こんにちは」
「こぉおちわ!」
「こー」
「こー」
「んー」
「んー」
「にー」
「にー」
「ちー」
「ちー」
「はー」
「はー!」
「こんにちは」
「こーちは!」
褐色の肌をして黒い毛皮をトーガの様に纏った少年と、そんな少年の前でため息をつく眼鏡をかけた女魔法使いの二人組。
「はぁ…………中々上手くいかないわね…………」
「う?」
「食べ物の名前は覚えるのに、発音に関しては致命的よね」
「あうっ」
目の前で首を傾げる少年、人狼の額を人差し指で軽く小突き彼女は再び息を吐いた。
人狼幼児化事件(受付嬢命名)から数日。女魔法使いを含めた青年剣士の一党は一から師への師事をしながら冒険者家業に勤しんでいた。
そして決まった事なのだが、せっかく人型になれるのだからと人狼に言葉を教える事になったのだ。
コミュニケーションに必要なのは、やはり読み書きのスキル。会話にしてもモノを知らなければろくにやり取りも出来はしない。
「せめて、挨拶はスムーズにできるようにしなさい。良いわね?」
「う?…………あい!」
「返事は良いのよねぇ…………」
女魔法使いの頭痛の種は無くならない。
人狼がこのような幼児の姿となっているのは、魔女曰く人化の術が生育年数に引き摺られるから、らしい。
そもそも、この術自体も人狼という人の要素を持ち合わせた怪物であるから可能なのであって、人々に必要な術でない事も相まって研究が進んでいない分野でもあった。
ただ、人狼少年への聞き込みから人狼という種族自体も余程のことが無い限りは人化の術を使わないという事が明かされた。
理由としては、今の彼を見れば分かるが本来の姿に比べて圧倒的に戦闘能力その他諸々全てが劣化してしまうから。
純粋に強い人狼は策を弄さない。そんな事をするぐらいならば、さっさと叩き潰す方がマシであるからだ。
「ねーちゃ」
「……何よ」
「こえ、なぁに?」
考え込んでいた女魔法使いの前に、一冊の本が差し出された。
そこに描かれていたのは一つの絵。
両親とその間に一人の子供。その後ろ姿が黒い影のように描かれていた。
「それは……お父さん、お母さん、そして子供の絵よ」
「ちちうえ?」
「そうね。家族の絵よ」
「かぞく…………」
その説明を聞き、人狼は食い入るように絵を見つめ始める。
例え人まねをしようとも、見た目が幼児であろうとも人狼は人狼だ。怪物でしかない。
群れを追われた子狼は、いつだって独りだった。
+
冒険者にとって必須の技能は戦闘技術、そして逃走技術の二つであろう。
前者はともかく、後者に関しては首を傾げる白磁等級が多いのだが、
「「「あああああああっ!?」」」
「Aooooo!!!!」
街の外に広がる森の中、必死の形相で逃げるのはいつぞやゴブリンにフルボッコにされそうになっていた青年剣士と女武闘家、女魔法使いの三人組。
彼らの後から時折立ち止まりながら追いかけているのは、元の三メートルに迫る黒毛の巨体に戻った人狼だった。
背を見せて逃げる、という行為は隙だらけだ。
人間の目は後ろ正確には、前方百何十度という範囲までしか見えておらずそれより後ろは首をひねるしかない。
そして、逃げ続ける為には脚力体力の他に、空間認識能力も必須。
「――――――――あっ!」
かけていた三人の内、女武闘家の足が地面から顔を出していた木の根に絡め捕られる。
咄嗟の事であったが、受け身を取って体を強打する事は無い。無いのだが、転んでしまえば自然とその足は止まるという訳で。
「Gurrrrr…………」
「ッ…………!」
追いつかれるのもまた必然であった。
眼前に居る人狼に、自然と女武闘家の喉が鳴る。
その口が大きく開かれルビーの様に紅く輝く大口が彼女の顔面へと迫り、
「わぷっ!ちょ、待っ…………!」
ベロりと大きな舌でその顔面を嘗められた。
人狼にしてみれば、この必死な訓練もお遊びでしかない。追いかけっこをして、捕まえたら噛みつくのではなくその顔を嘗める事で人狼の勝ち。
そして捕まえたら、
「貴方の尻尾に包まれるのよね」
ふわふわとした体毛の尾に巻き取られて他の捕まるであろう二人を眺めるのだ。
それから五分後、青年剣士も女魔法使いもアッサリと捕まり三人仲良く尻尾に巻き取られ、人狼は満足そうに頷く。
この状態の人狼は喋ることが出来ない。正確には発声に関する器官が無く、声というか雄叫びを上げる程度しか出来ないのだ。
「おう、来たか」
「Grurrrr…………」
「あ、なたは、さがり、な、さい………怯えてる、わ」
「へいへい、わーってるよ。そっちの剣士だけ寄越しな。俺達と組手だ」
戻ってきたギルド裏の訓練場。そこで人狼を待ち受けていたのは槍使いと魔女の二人組。少し離れたところでは彼らの一党、そのリーダーを務めている重戦士と女騎士の姿もある。
人狼を監視するために割り当てられた彼らだが、人狼本人が青年剣士の一党の側を離れたがらなかった為に監視ついでに鍛錬の相手となっていた。
実力はまだまだだ。だが、事実死にかけたという現実を目の当たりにして彼らは強くなる道を模索し始めていた為に、それは渡りに船。
それぞれがそれぞれの師の元へと向かう中で、女武闘家が相対するのは――――――――人狼だ。
「それじゃあ、頼むわね?」
「Gau!」
構えた彼女の前で、人狼もまた前傾となり両腕を前へと垂らして爪先で数度地面を引っ掻いた。
「――――――――シッ!」
仕掛けたのは、女武闘家。
踏み込みからの拳が、綺麗に人狼の左ほおをへと叩き込まれていた。
綺麗な一発だが、如何せん筋力骨格毛皮と、全てが人の範疇ではない人狼には毛ほども効果が無い。
そして、人狼は拳を受けながら
金等級ですら場合によっては見逃す人狼の動きを、白磁級の彼女が見切れるはずもない。その事を、人狼はよく理解していた。
故に、初動のみを見えるようにしたのだ。そして、そこから攻撃を繰り出す。
加減は十二分にしている。それでも一撃でホブゴブリン程度ならば容易く殺せるのだから、やはり怪物の怪物たる所以というものだ。
女武闘家はそれから必死に回避と攻撃を織り交ぜながら人狼へと向かっていった。
彼女が編み出そうとしているのは、対怪物の格闘術。
ゴブリンとの一件で彼女は痛感していた。己の身に着けた技術は、どこまで行っても対人格闘であり怪物を相手どるには手段も威力も足りないのだと。
例えば、体格差で自身よりも大きな怪物には打撃が通じず、極め技に持ち込もうにも力任せに振りほどかれるだろう。
例えば 自身よりも小さければ距離感の問題から最適な距離で打撃を繰り出せず、結果的に威力不足になりかねない。
その他にも、堅牢な外骨格を殴り壊す事など今の彼女には出来ないし、スライムなどの流動体に有効な浸透勁などは無論体得していない。
当たり所が悪ければ間違いなく死ぬようなこの状況。有効打が出せればそれで終わるが、それまでは逃げる事すら許されない現実。温く見えようとも女武闘家にとっては命懸けであった。
「―――――ハァ……ハァ……!」
肩で息をしながら、女武闘家はそれでも拳を、蹴りを放ちながら攻撃を回避しつつ、再び攻めるの繰り返し。
二度とあんな目に遭わないために、彼女は拳を振り抜いた。