オリアーヌが魔法学院に入学してからの一年は、彼女にとって多少窮屈ながらも有意義なものであり、その一方で、周囲にとっては散々なものだった。
授業をサボる、学院内で狩った獣の血抜き解体をする、設備の一部を壊す、他の生徒と暴力沙汰になる。
彼女はとにかく問題を起こし、その度に教師に呼び出された。
カンカンになった教師がオリアーヌを呼び出す光景は、いつの間にか学院の風物詩となっていた。
そして一年。
オリアーヌやルイズたちが二年生となる直前。
オリアーヌはかつてない難問にぶつかっていた。
●○●○●○●○●○●○●○●○
「まったく、どうしてこんなことになるまで放っておいたのかしら?」
「…………ごめん」
トリステイン魔法学院の本塔、その一角の図書館に、ルイズとオリアーヌはいた。
二人はお互いに向き合って机に座っていた。オリアーヌの周りには、本が山のように置かれている。
「とにかく。少しでも多く詰め込むわよ。今度の座学で落ちたら退学なんだから。ちょっとは頑張りなさいよね」
「わかった」
そう、座学である。
それこそが、十数年にわたり修羅の世界を生き抜いたオリアーヌに立ちふさがる、越えがたき難関の名だった。
オリアーヌは実践授業に関してはそれなりの成績を修めていた。同学年のドットメイジの中では一番と言っても過言ではないだろう。場合によってはラインメイジにも匹敵する成績をたたき出した。
だが座学は致命的だった。下から数えて、などと悠長な次元ではない。彼女の成績は下も下、一番下なのだ。
テストで彼女が回答できる問題はほぼないに等しかった。固有名詞の記憶力が乏しく、歴史に疎く、伝統に無関心な彼女の解答用紙は常に白紙だった。
トリステイン魔法学院はメイジとして必要な様々な知識、技術を教える教育機関である。だが座学が落第だからと退学させるほど厳しい学院でもない。
そもそも名だたる貴族たちが通う学院なのだ。成績が悪いからと生徒を退学させたとして、その生徒が名門貴族の出であった場合、少なくないトラブルが学院を襲うのだ。かといって、家系であまり優遇しすぎては他の生徒や貴族たちに示しがつかない。
よって、どれほど座学の成績が最悪的でも、オリアーヌが退学になることは『通常は』ありえない。
だが『通常』ではない要素が一つあった。
オリアーヌの素行の悪さである。
日々問題ばかりを引き起こすオリアーヌ。座学の成績がゼロのオリアーヌ。どちらか一方ならばいざ知らず、両方揃ってしまえば学院としても見過ごせなかった。
『次にテストで不合格となった場合、オリアーヌを退学処分とする』それが七日前、学院長オスマンよりオリアーヌに告げられた最後通知だった。
さすがにそれは困る。だがオリアーヌは勉学というものがとことん不得意で、いざ勉強しようにも何をどうすればいいのかが分からなかった。オリアーヌは周囲に泣きつくが、普段の素行が祟り、彼女に協力しようとする者はほとんどいなかった。
幾人か、彼女に手を差し伸べたものはいた。タバサ、キュルケ、入学時に知り合った二人は彼女の助けに答えそれぞれ勉強を教えた。
そしてタバサは一日、キュルケは二日で教えることをやめた。
とにかくオリアーヌは出来が悪かった。十教えれば九を忘れ、次の事を教えているうちに覚えた一を忘れていた。
そのくせテストには関係のない、どうでもいい知識ばかりは水を吸う土のように蓄積していく。
タバサは無言で首を振った。そしてキュルケに投げ出した。
キュルケは呆れながらオリアーヌの肩をたたいた。もし実家を勘当されたらゲルマニアに来いと誘われた。
最終的にオリアーヌが頼ったのが、いま彼女の目の前にいるルイズであった。
『ゼロのルイズ』と渾名されるほど魔法の才能が無いルイズであったが、座学は優秀な生徒だった。
彼女の教え方は決して上手いとは言えず、何かにつけ癇癪をぶつけてくるが、何だかんだと頼られることが嬉しいのか、根気強く教えていた。
「じゃあ問題よ。“トゥールの戦い”に参加したガリア・トリスタン連合軍とエルフ軍のそれぞれの数は?」
「…………ガリア・トリスタン、七千」
「そうそう」
「エルフ…………五百?」
「なんでそうなるのよ! 二千よ二千! さっき教えたばかりでしょ」
「叩くな」
オリアーヌの頭をルイズが杖で殴った。華奢な彼女の腕ではオリアーヌにダメージを与えることはできなかったが、それでも叩かれることは鬱陶しかったらしい。
オリアーヌは不機嫌な顔をしながらルイズの杖を払いのけた。
「まったくどうしてこう…………でも四日前よりは上達してきたわね。この調子で詰め込むわよ」
「…………眠い」
ちらりと、オリアーヌは図書館の窓の外を見た。
とっくの昔に日は沈み、寮塔の明かりはほとんど消えていた。
「明日にしよう」
「却下よ」
ルイズはにべもなく提案を切り捨てた。
「オールド・オスマンから夜中も図書館を使っていいと許可をもらったのよ。このまま朝まで勉強に決まってるでしょ」
「眠い…………」
「起きなさい」
「頑張る…………」
口ではそう言うが、体は睡眠を求めていた。
「それじゃあ次は風石の…………ちょっとオリアーヌ?」
オリアーヌは寝ていた。
うつらうつらと舟を漕いでいた。
「…………」
ぷつん。音が一つ。
ルイズの堪忍袋の切れる音だ。
ルイズは懐から杖を取り出すと、オリアーヌに向けた。
そして静かにルーンを唱える。
唱えたのは
他のメイジならば、生み出された水がオリアーヌに降りそそぎ、その冷たさが彼女の眠気を吹き飛ばしただろう。
だが、今呪文を唱えているのは『ゼロ』のルイズだ。
どんな魔法も、コモンマジックですら『爆発』という結果に終わらせる彼女が唱えれば、吹き飛ぶのは眠気だけでは済まされない。
「『
「『ブレイド』」
だがルイズの呪文が完成するより早く、オリアーヌが起き上がり、ブレイドの呪文を完成させ、生み出された魔法の刃を、ルイズの喉元に突き付けた。
「…………あ、ごめん」
意識が覚醒し、自らの反射的行動に気付いたオリアーヌは、すぐ杖を収めた。
「お、おはようオリアーヌ。続きやるわよ」
「…………はい」
目をこすりながら、オリアーヌは再び手元の本に目を落とした。
「次は風石よ。二千リーブル(約940㎏)のフネを1リーグ(約1km)飛ばす際に必要となる風石の総量は…………」
教えながら、ルイズは自分の首筋に手を当てる。
先ほど、オリアーヌのブレイドが当てられた場所を触る。
傷はない。刃は寸前で止められ、皮膚さえ切れていない。だがオリアーヌが杖を止めなければ、その首は間違いなく飛んでいた。
(本当に、こいつは)
首にあてた手が、震えていた。
あの一瞬、突きつけられた死を、今更になって実感する。
(…………悔しい)
ルイズの呪文などはるかに凌ぐ呪文の速さ。
こと魔法の実践において、ルイズではオリアーヌに敵わない。
『ゼロ』のルイズにとって、突きつけられた死より、突きつけられた実力差の方が、何倍も心に応えた。
「ルイズ」
オリアーヌの声に、ルイズの意識が外を向く。
彼女はルイズを見ていた。その鋭い、感情に乏しい琥珀の瞳が、真っ直ぐに。
「ありがとう。ルイズは、すごい」
褒められた。
そのことがルイズの心を一瞬喜ばせる。
一瞬だけ。一瞬後には、ルイズの心は再びざわめいた。
「…………ふん、なによ!」
「叩くな」
ルイズはメイジだ。そして貴族だ。である以上、魔法の腕前こそが彼女にとって誇りになるべきはずのものだった。
だが現実はそうではない。ルイズは魔法を使えない。呪文を唱えれば爆発させるだけしか能のない、『ゼロのルイズ』。
それが彼女だ。周囲が与えた、彼女の肩書だ。
座学がどれほど優れていようと、その不名誉は拭えない。
ましてそれを先ほどまさに魔法の腕前を披露した、オリアーヌに言われたところで。
何一つ、喜べるはずが無かった。
「さあ! 次の問題行くわよ!」
「分、か…………ぐぅ」
「寝るなー!」
結局。
ルイズの厳しい勉強会は1週間に及んだ。
幾度となく叱られ叩かれたオリアーヌは、その苦労の甲斐あって、座学をギリギリのところで合格したのだった。