〈孝矢〉「んー……これも、オレには難しそうだなー……。もっと簡単な本、ねーかな……」
建業にある本屋で、オレはペラペラと商品の本をめくって、ため息を吐いて棚に戻した。
〈孝矢〉「この店、あんま品揃え良くねーな……棚すっかすかだし。いい本見つかるかな」
〈タイタス〉『この時代の技術水準では、本の大量生産など出来まい。写しは全て手書きだし、何より紙自体が貴重だ。一軒の店を構えられるだけでも大したものと言っていいだろう』
〈孝矢〉「それもそっか。けど、それがオレのプラスにはならねぇ」
どうしたもんかなー……と悩んでたら、
「南出?」
〈孝矢〉「ん?」
誰だ? 城下町にゃ、まだそんなにオレのこと知ってる奴はいねぇはずだけど。
「こっちだ」
キョロキョロしてたら、天井まで届きそうな本棚の陰から、冥琳が梯子を下りてきた。
〈孝矢〉「冥琳か。こんなとこで、何してんだ?」
〈冥琳〉「愚問だな。本屋に来ているのだ。本を探しているに決まっておるだろう」
〈孝矢〉「そりゃそうか」
〈冥琳〉「そういう南出こそどうしたのだ?」
〈孝矢〉「オレも本買いに来たんだけど」
〈冥琳〉「だから、それは分かっている」
〈孝矢〉「じゃあ何で聞いたんだよ」
〈冥琳〉「お前と本屋という場所が、結びつかなくてな」
ひっでぇ……。まぁ実際、自発的にここに来たんじゃねぇんだけどさ。
タイタスが、何でオレが本屋なんかにいるのかを話す。
〈タイタス〉『孝矢の文字の勉強なのだが、なかなかはかどらなくてな……。ただ読み書きさせるだけでなく、何か本を用いて学習させることにしたのだ。……しかし、城の書庫にある本も、孝矢の教材には使えそうになくて……』
〈孝矢〉「だって、挿絵の一個もねぇのばっかなんだもん。内容も小難しいしよ」
〈タイタス〉『仕方ないので、もっと簡単な本を求めに来た、という訳だ』
〈冥琳〉「なるほど……。タイタス殿も、ほとほと苦労されていますな」
呆れたように息を吐く冥琳。悪かったよ……こんな馬鹿で。
〈冥琳〉「ところで、ここを勧めたのは穏辺りか」
〈孝矢〉「あれ? 何で分かったんだ?」
〈冥琳〉「見ての通り小さな店だ、ここを知る者は少ない。だが品揃えは文句なく、読書家の間では有名だからな」
ここで品揃えが多いって……やっぱタイタスの言った通り、この世界の人間じゃあ、これでも豊富な方ってことか。
〈孝矢〉「で、穏に聞いたんだろうって推理なんだな」
〈冥琳〉「ああ、あやつにここを教えてやったのは私だ」
〈孝矢〉「へ~。けど、冥琳もまだ本を買いに来たりすんだな」
〈冥琳〉「はぁ? それは一体どういう意味だ?」
〈孝矢〉「だって冥琳、頭いいじゃん。色々知ってるし、まだ何か調べることでもあんのかなって」
〈タイタス〉『孝矢、学問に終わりはないのだぞ。私とて、日々新しい発見ばかりだ。知を武器にする者こそ、様々な知識を吸収することを疎かにはしないものだ』
オレの考えに、タイタスが呆れ返ったように言った。
〈冥琳〉「タイタス殿のおっしゃる通りだ。私も大軍師などと言われるが、所詮は人間一人の考えることなど、たかが知れているものだ。知謀の力を高めるには、常日頃から書物に慣れ親しみ、知識を深めておかねばならんのだよ」
〈孝矢〉「ふ~ん……」
冥琳ほどの人でも、勉強は欠かさねぇってことか。毎日の積み重ねが大事ってのは、勉強もスポーツも同じなんだな。
〈孝矢〉「冥琳も万能軍師って訳じゃねーんだな」
〈冥琳〉「はははっ、万能な存在など神しかおらんさ。それを言うなら私こそ、天の遣いのお前たちこそが、万能人だと思っているのだがな」
〈孝矢〉「いや~……そりゃねーだろ。タイタスならともかく、オレがそう見える?」
〈タイタス〉『私も、ただ君たちより大きくて、超能力を持っているだけの人間に過ぎない。出来ないことの方が多いとも。まぁ、肉体に関してはそれなりの自信があるがね』
タイタス、フィジカルに関してはブレねぇな……。
〈冥琳〉「お前たちがどういった存在かは、この際関係ないのだ。重要なのは、ここではない『別の世界』から来たという事実」
〈孝矢〉「そうなんか?」
〈冥琳〉「お前たちの持つ知識は、私の知らないことばかり。私たちに出来ないことが、お前たちは出来る。それだけで、私にとっては万能人だと言えるのさ」
〈孝矢〉「なるほど……でもそれなら、オレにとっちゃ冥琳はやっぱ万能だぜ」
〈冥琳〉「む?」
〈孝矢〉「だって、オレの知らねーこと、冥琳はいっぱい知ってんじゃんか」
〈冥琳〉「むむ……確かに」
〈タイタス〉『はは。孝矢は物覚えは悪いが、とんちは利くな』
〈孝矢〉「うっせ。ともかく、冥琳やタイタスみてぇな人が側にいて、オレはついてるぜ。それに炎蓮さんや雪蓮、祭さん、粋怜、雷火さんも穏も……おんなじ人がいねぇから、ここにいると色んなことが出来る」
〈冥琳〉「何とも、賢しらなことを言う」
〈孝矢〉「さかしら?」
〈タイタス〉『利口そうな、ということだ』
〈孝矢〉「別に、これまでの生き方の中から、そう思うようになったってだけだぜ」
野球は、一人が強くて勝てるスポーツじゃない。それぞれの役割を持った人間が集まり、チームワークを強めることで初めて勝てるようになる。野球始めて、一番に覚えたことだ。
その点で言や、呉は理想的なチームだ。
〈冥琳〉「そう思えるのは、いいことだ。簡単なようでいて、案外難しい」
〈孝矢〉「まぁ、それをここまで実感するようになるたぁ、思ってもなかったけどな」
〈冥琳〉「ははは」
〈孝矢〉「笑うなよ。こっちからしたら、笑いごとじゃねぇんだから」
普段は考えねぇようにしてるが、実際とんでもねぇ状況だからな……。帰れるかどうかすら定かじゃねぇんだぜ? 炎蓮さんから言われてる役目も……ちゃんとやれるかどうか……。
〈孝矢〉「いやー……マジで、オレってばゲームの世界に入っちまった感じだ」
〈タイタス〉『君の視点からすれば、そう思うだろうな』
〈冥琳〉「げぇむ……とは、何だ?」
オレが何気なしにつぶやいた言葉を、冥琳が聞き返した。
〈孝矢〉「んーと……遊び道具なんだけどな、賭け事とかとは違って……物語を楽しむんだよ。小説読むようなもん」
〈タイタス〉『孝矢が言いたいのは、人が創造した架空の話の登場人物になってしまったみたいだ、ということだな』
〈冥琳〉「なるほど。南出からすれば、と言うのはそういうことか。南出も物語を楽しむ嗜好があるのなら、本を読めるようになった暁には、お薦めの小説をお贈りしよう」
〈孝矢〉「いいのか? やった」
〈タイタス〉『これはますます頑張らねばならんぞ、孝矢』
〈孝矢〉「分かってるって」
〈冥琳〉「ふふ。……ところで、南出たちの世界にはどのような物語があるのだ? たとえば、今のお前たちに似た展開になるものもあるのか」
冥琳がこっちのお話しに興味持ってきた。
〈孝矢〉「もちろんあるぜ。パッと思いつくのは、不思議の国のアリスかな」
〈タイタス〉『アリスか。有名な地球の童話だな』
〈冥琳〉「ほう……ありす、とな」
〈孝矢〉「人の名前だ。小っせぇ女の子でな、ウサギを追ってったら、穴に落ちて、元いたとことは違げぇ世界に迷い込んじまうんだ」
〈冥琳〉「確かに、お前たちのことのようだな」
〈孝矢〉「ああ。けど、オチは今までいた世界は、女の子の夢だった、ってもんなんだよ」
〈冥琳〉「……夢」
〈孝矢〉「そう。現実じゃなかったんだ。ちょっと残念だろ」
オレも、この終わり方はもったいねぇって感じたもんだ。せっかくの摩訶不思議な世界なのに、消えて無くなっちまったってことだからな。
〈タイタス〉『……孝矢は、この状況も、それと同じ、夢のようなものと思うのではないか? 君はいずれ、元の世界に帰る。それからはきっと、この国とも、私とも、接点を持たなくなることだろう。……夢を見ているのと変わりない』
〈孝矢〉「いいや。そんなことねーよ」
タイタスの言ってきたことを、はっきり否定する。
〈孝矢〉「ここでオレは、元の世界でしなかった経験をいっぱいしてる。その経験は、オレの心から無くならねぇ。夢は起きたら忘れちまうけどよ……ここでのことは、忘れたくても忘れらんねぇよ。だから、間違いなく現実さ。タイタスと冥琳が、ここにいるってこともな。絶対、忘れねぇから」
〈タイタス〉『孝矢……』
〈孝矢〉「大体、夢ん中で勉強させられてたまるかってんだ」
〈タイタス〉『ははは……口が減らんな、君は』
ふと気づくと、冥琳が変に優しい笑顔でこっちを見てた。
〈孝矢〉「冥琳? どうしたんだよ……何かオレ、変なこと言ったか?」
〈冥琳〉「いや……いつかは、是非聞いてみたいものだな。南出孝矢の自叙伝を」
じじょでん……自伝か? オレの……?
〈冥琳〉「こちらの世界に来てから……南出が何を感じ、何を思ったのかも気になるが、やはり出会う前の……私が知らないお前のことが知りたいな」
〈孝矢〉「いや……オレの人生なんて、冥琳たちに比べりゃあ全然大したもんじゃねぇけど。あんま面白れぇでもねぇしさ……。それだったらタイタスの話の方が」
〈冥琳〉「生きているというだけで、十分に大したことさ。特にこの世界では、な」
……。
〈孝矢〉「分かった……。けど、さっき言ったように、あんま面白れぇもんじゃねーから、酒の席とかでな」
〈冥琳〉「ふっ……楽しみにしていよう……」
すっかりオレの話になってたとこで、タイタスが話を戻した。
〈タイタス〉『時に、冥琳は孝矢の教材になりそうな本に、心当たりはないか? ここはよく来るのだろう』
〈冥琳〉「ふむ、そうですな……。これがいいでしょう」
冥琳が本棚を探して、一冊の本をオレに渡してくる。
〈孝矢〉「これ、どんな本だ?」
ペラッと表紙をめくって……思わず固まった。
〈孝矢〉「え? これって……絵本じゃんか」
中身は全部のページに、絵が描いてある。そりゃ、挿絵がねぇことに文句言ったけど……こりゃ極端じゃ?
〈冥琳〉「何か問題でもあるのか?」
〈孝矢〉「だって絵本って、子供の読みもんだろ? もうちっと歳が入ってる奴の読むようなもんとか……」
〈冥琳〉「これは立派な教本だ。子供もこれで文字を覚える。手習いの初めは何事も幼稚なものだぞ。幼稚だからこそ、身につくのだ」
〈タイタス〉『確かに……この国のことを知らないという点では、孝矢は生まれたての子供と同じだ。なまじ学はあるから、初歩から始めるのを、すっかり失念していた。冥琳、ありがとう』
〈冥琳〉「何、構いません。南出、それでしっかり勉強することだ。その内、また新しい本を選んでやろう」
〈孝矢〉「ああ……オレも早えぇとこ、絵本を卒業できるようになるぜ」
〈冥琳〉「その心意気だ。大人になってみせろ」
〈孝矢〉「おう」
冥琳から薦められた本を買おうと、店の人を探そうとしたとこで、冥琳がまたオレを呼ぶ。
〈冥琳〉「南出!」
〈孝矢〉「ん?」
〈冥琳〉「その絵本なのだが……少年が別世界に飛ばされてしまう話なのだ。先ほどの話に出てきた少女のようにな」
〈孝矢〉「へぇ、そうなんか。面白そうじゃんか」
〈冥琳〉「ただし、終わり方は大きく違っている」
〈孝矢〉「どう終わるんだ?」
〈冥琳〉「内緒だ」
〈孝矢〉「えッ……! そこまで言っといて? 気になるじゃんかよ」
〈冥琳〉「知りたければ自分の力で文字を読み、確かめるのだな」
そーいうことかよ……。すっかり冥琳に誘導されちまってるぜ。
〈孝矢〉「……分かったよ。読んでみせっから」
〈冥琳〉「ああ」
〈孝矢〉「読み終えたら、そのこと一番に知らせに行くからな!」
〈冥琳〉「ふっ……分かったから、ほら、早く行け」
〈孝矢〉「ああ。じゃあ、またな冥琳。今日はありがとな」
〈冥琳〉「うむ。またな」
冥琳と別れて、会計に行く。
最後に「またな」と言った冥琳の口調が、ちょっと温かかった。