丹陽郡南部で白翼党が蜂起したって報せがあった翌日。炎蓮さんは今日にでも鎮圧に行くはずだったんだが、その後に入ってきた情報で、事情が変わってきた。
〈雪蓮〉「まさか、五万も敵がいるなんてねぇ……」
〈祭〉「一体、どこからそれだけの数が湧いて出てきおるのか……」
〈冥琳〉「どうも、先日の呉郡での敗北を受け、揚州の外からの援軍をかき集めたようです」
何と、官軍からの情報によると、今丹陽郡に集まってる白翼党は五万人もいるという。スケールが違いすぎて、もう現実感がねぇな……。
いくら戦いの素人が大半でも、流石にこの数相手じゃ呉軍も相応の人数が必要だ。ってことで、今は二万の大軍の戦支度を行ってるとこだ。こんだけの人を動かすとなると、やっぱ準備だけでも一日二日じゃ終わらなねぇんで、出発がずれ込んでるって訳だ。
〈孝矢〉「にしても、おかしくね? 呉郡で白翼党やっつけたのは、こないだのことじゃねーか。そんでもう五万人も集まってるなんて、行動早すぎじゃねぇの?」
〈雪蓮〉「確かにねぇ……。涼州の騎馬隊もびっくりの機動力よね」
この世界、自動車とか電車とかそんなもんはねぇ。別の州から人がやってくるのにどんだけ時間が必要かってのは、オレでも大体想像はつく。なのに五万人ももう移動してるって……明らかに変だ。
〈冥琳〉「ああ。常識では考えられんことだ。……そうなると、何か、この世ならざるものの力が働いたとしか思えん」
〈孝矢〉「……タイタス、それって」
〈タイタス〉『うむ……私の予想が当たっているのかもしれない。まだ確証には至らないが……』
タイタスの言った通り、白翼党の裏には宇宙人がいるってか……。そうなると、今回の戦いも、人と戦って終わりって訳にはいかねぇみてぇだな……。
〈雪蓮〉「まぁ、結局は戦わなければならないことに変わりないわ。冥琳、兵站に抜かりはないわね?」
〈冥琳〉「まぁ、どうにかな……。二万もの兵を動かすのは、流石に骨が折れるが」
〈祭〉「だが、どうも気に食わんの。何ゆえ、袁術などと手を組まねばならんのじゃ」
〈雪蓮〉「本当よねー」
官軍からは、情報と一緒に命令も届いてた。それは、袁術っつー奴と一緒に白翼党を叩けって内容だ。けど、それを聞いた雪蓮たちはかなり嫌そうな顔をしてた。
〈孝矢〉「なぁ。袁術って、どーいう人なんだ?」
〈冥琳〉「荊州南陽郡太守。四世に亘って三公を輩出した、名門袁氏の一族だ。揚州近辺では最も力のある諸侯の一人だが……」
〈雪蓮〉「家柄だけの能無しよ」
〈孝矢〉「え、えぇ?」
〈祭〉「うむ。あれぞまさしくバカ殿様じゃな」
そーいや、前にも名前出てきて、祭さんが顔しかめてたっけか。そんなヤな奴なのか……。
〈孝矢〉「そんな馬鹿なのかよ?」
〈冥琳〉「まぁ……正直、馬鹿ではないのだがな」
〈雪蓮〉「とにかく卑怯なのよ」
〈祭〉「応! これまで何度も、炎蓮様はあの袁術に泣きつかれ、南陽郡まで出兵された」
〈孝矢〉「誰との戦でだ?」
〈冥琳〉「袁術は荊州刺史の劉表とも、江夏太守の黄祖とも敵対しているからな。その戦だ」
漢の官僚の仕組みはまだよく覚えてねぇけど、同じ荊州ってこたぁ、上司と同僚ってことになんじゃねーの? まぁ、簡単に言やぁ内乱ってことか。
〈孝矢〉「それで、何が卑怯なんだ?」
〈祭〉「人に兵を出させておいて、あ奴はろくに戦わんのじゃ」
〈雪蓮〉「私たちだけに戦わせて、いつも最後の最後で美味しいところを持っていくのよ」
〈祭〉「おまけに戦が済んだ後も、礼の品など、まともな物を寄越したことは一度もないっ!」
〈孝矢〉「そりゃひでぇや」
自分から助けを求めといて、面の皮が厚いな。どんな顔してんだろうな。
〈雪蓮〉「ほんと泣きついてくる時は調子のいいこと言うくせに……母様も何であんな奴を助けたりするのかしら?」
〈冥琳〉「その度に炎蓮様の声望は高まっている。袁術のことなど、初めから眼中にないのよ」
〈雪蓮〉「私は気に食わないわ!」
〈祭〉「儂もじゃ。あ奴は武人の風上に置けぬ!」
ムカムカとした様子の雪蓮たち。こりゃ相当嫌ってんだなー……。そんなんと一緒に戦うって、大丈夫なのか? 何か今から不安だな……。
〈冥琳〉「まぁそれはともかく、南出よ」
〈孝矢〉「ん?」
〈冥琳〉「お前用の武器が、完成しているぞ」
〈孝矢〉「えッ、出来たのか! 見せて見せて!」
〈冥琳〉「はは、そう急かすな。おい、例の物をここへ」
冥琳が近くの兵士に命じて運んでこさせたのは、オレが注文した通りの形の鉄の棍棒だ。
〈孝矢〉「おー、これこれ! 完璧な仕上がりだぜ!」
〈祭〉「何じゃ、随分と変わった形の物を作らせたのじゃな」
手に持った棍棒は、頭から半分ぐれぇのとこで、根元に行くまでにシュッと細くなって、ケツには手からすっぽ抜けねぇようにするためのグリップエンドがついてる。まぁ要するに、バットそのものの形だ。やっぱこの形が一番手に馴染むぜ。重さは……金属バットよりももっとズシリと重いが、まぁこんぐらいならどうとでもなる。
〈孝矢〉「この形が一番使い慣れてんだ。天の国じゃ、バットっていうのを毎日扱ってたからな」
〈雪蓮〉「あら、天の国では戦をしたことがないんじゃなかったの?」
〈孝矢〉「いや、バットは武器じゃねぇよ。スポーツの道具でな……」
〈雪蓮〉「すぽぉつ?」
〈冥琳〉「天の国の儀式か何かか? どういったものなのだ」
あー……スポーツがどーいうもんか、どう説明したらいいんだ? 雪蓮たちは、スポーツの意味自体を知らねぇからな……。知識が0の奴に、何て話しゃあいいのか……。
困ってると、タイタスが助け舟を出してくれた。
〈タイタス〉『スポーツのことを説明するのには、時間が掛かる。みんな、各々の仕事があるだろう。また落ち着いた時間が取れた時までのお預けにしようではないか』
〈冥琳〉「ふむ、タイタス殿がそうおっしゃるからには」
〈祭〉「そうじゃな、今は戦支度に専念せねば。遅れを出しては、炎蓮様にどやされてしまうの」
タイタスのひと言で解散する冥琳たち。――だが、雪蓮だけはオレの側に残って、やたら真剣な表情でこっちに振り向いた。
〈雪蓮〉「ところで、孝矢……」
〈孝矢〉「まだ何かあんのか?」
〈雪蓮〉「ええ……。母様から聞いたんだけど……」
雪蓮は気が引けた様子ながらも、はっきりと聞いてきた。
〈雪蓮〉「……タイタスもそうだって聞いたけれど……孝矢って、親の顔を知らないの……?」
〈孝矢〉「ああ……その話か」
前に炎蓮さんに、親が好きかと聞かれて答えたのが、ここでの最初だったな。オレの生まれのことに触れるのは。
〈孝矢〉「そうだぜ。オレぁ生まれてからずーっと、施設で育った。親がいねぇガキのためのな」
〈雪蓮〉「ほ、本当なんだ……。あ、話しづらいことなら遠慮しないでそう言ってちょうだい? これ以上は詮索しないから……」
〈孝矢〉「いや、大丈夫だぜ。炎蓮さんにも言ったけど、このこと、今は気にしちゃあいねぇからな。聞きたいことあんなら、そっちこそ遠慮しねぇでくれよ」
〈雪蓮〉「そ、そう……?」
つっても雪蓮も遠慮がちな様子が抜けねぇが、それでも質問してきた。
〈雪蓮〉「じゃあ……どうして、親元から離れてしまったの? 戦災……はないから、流行り病か何かで死別とか?」
〈孝矢〉「いいや。そもそも、理由も知らねぇんだ」
〈雪蓮〉「え……」
〈孝矢〉「オレは赤ん坊の時に、コインロッカー……あー、倉庫みてぇな奴のとこに捨てられてた。そう聞いた」
〈雪蓮〉「……!!」
息を詰まらせる雪蓮。こっちの方が、話してるオレより真剣な感じだ。
〈孝矢〉「誰がオレを捨ててったのか、何でなのか。何も分かんねぇ。見つかった時のオレには、手掛かりになるようなもんが何もなかった。この南出孝矢って名前だって、産みの親からつけられたもんじゃねぇ。名字は施設のある町の名前から。下の名前は施設の人が考えたんだとよ」
〈雪蓮〉「……」
〈孝矢〉「親からもらったのは、この身体一個だけだ。マジ、どこの誰がオレを産んで、置いてったのかね。まぁ、オレがこんなだし? ぜってぇろくでもねー理由なんだろうな」
自虐して笑うオレに、雪蓮が必死に反論する。
〈雪蓮〉「そんなことないわよっ! きっと、やむにやまれぬ事情があったはず……。じゃないと、そんなの……ひどすぎるわ……」
〈孝矢〉「そんなマジになってくれなくたっていいって。色々あったけどさ、今はホントに気にしてねぇから。今みてぇに、気軽に口に出来るほどにな。雪蓮だって、オレの事情なんか聞き流してくれていいんだぜ」
〈雪蓮〉「そうはいかないわよ……。天の国ではどうなのかは知らないけど、私たちの倫理では、血で結ばれた家族を安易に見捨てるなんてこと、末代までの恥。何よりも劣る大罪なのよ……。今の孝矢の話、この世界だったら決して許されない不道徳だわ」
オレの話に、雪蓮はオレよりも悲しみ、怒ってた。身の上を同情されたことは何度もあるが、ここまで自分のことのように考えてもらったのは、正直初めてだ。
〈雪蓮〉「孝矢……苦しい思いもしたでしょうね……。でも、ここでは私たち孫呉の皆が、あなたの家族よ。そう思ってくれていいからね!」
〈孝矢〉「家族?」
炎蓮さんも近けぇこと言ってたな。ここじゃ、オレの母親みてぇなもんだって。
……うッ、あん時のこと思い出したら、興奮してきちまう……。雪蓮の前だぞ、落ち着けオレ……!
〈雪蓮〉「もちろん。孝矢は、いわば孫呉の婿としてここにいる訳なのだから、当然のことでしょう? 何か困ったことがあるのなら、何だって私たちが助けになるからね!」
そう言って、にっこり微笑む雪蓮。
……家族……家族、か……。いたことねぇから実感として知らねぇけど、家族ってこんなに温けぇもんなのかな……。
〈雪蓮〉「あっ、でも、婿になるからには、もうちょっと教養を身に着けてもらわなくっちゃね」
〈孝矢〉「うッ……この場面でも、んなこと言われなきゃなんねぇのかよ……」
〈雪蓮〉「それはねぇ。私たちにだって、体面ってものがあるから。何より、上の妹は思慮深い子が好みだし♪」
〈孝矢〉「上の妹? 孫権のことか?」
前に炎蓮さん言ってたな。二人はお勤めで建業にいねぇって。
〈雪蓮〉「そうよ。孫仲謀。真名はもちろん本人から預けてもらってね?」
〈孝矢〉「ああ。けど……思慮深けぇって、オレと真逆じゃねーか。全然好みじゃねーじゃん」
〈雪蓮〉「もう、そんなあきらめたようなこと言わないの。私はお似合いだと思うけど? 歳も近いし。きっと母様も、孝矢と仲謀の間に子供が授かることを一番、望まれてると思うわ」
〈孝矢〉「マジかよ」
オレがお似合いって、どんな奴なんだよ。まぁ炎蓮さんの子供で、雪蓮の妹なんだから、似た感じだとは思うけどよ。
〈雪蓮〉「仲謀はすごく可愛いわよー。美人と言うなら、私の方が上だけど、可愛さでは仲謀が上ね♪」
〈孝矢〉「……そうなんか?」
〈雪蓮〉「おっ、食いついたねー」
んぐ……オレだって男だから、そーいうのに興味が湧かねぇ訳じゃねぇ。
〈雪蓮〉「下の妹の尚香も可愛いわよ~。孝矢はどっちにする? 仲謀と尚香、好きな方を選んでいいわよ?」
〈孝矢〉「いや、んな買い物じゃねーんだからよ……。まだ会ってもいねぇし」
〈雪蓮〉「あはは♪ 孝矢って変なところで真面目よね」
オレの返事にコロコロと笑った雪蓮の興味が、タイタスに向く。
〈雪蓮〉「タイタスは、生い立ちの話は聞いていい?」
〈タイタス〉『もちろんだが……私の生い立ちは、話すと長くなるぞ。U40の歴史背景も関係するからな』
〈孝矢〉「雪蓮、今はやめとけ。こいつ、話し出すと長げぇぞ。オレが聞いた時ゃ、ひと晩つき合わされた」
〈雪蓮〉「あー……じゃあ、今は駄目ね。私も戦支度しないと」
〈タイタス〉『うむ。焦ることもない、余裕がある時にU40の文化のことも話してあげよう』
〈雪蓮〉「ふふっ、それは楽しみだわ。それじゃあ孝矢も、出立の日までに体調を崩すことのないようにね!」
〈孝矢〉「ああ」
軽く挨拶を交わして、雪蓮も仕事に戻ってった。
しかし……家族か。今になって家族が出来るなんて、思ってもなかった。孫呉のみんなには、ほんと感謝しかねぇ。いつか必ず、南出孝矢って一個人として、この恩に報いるような活躍をしねぇと。頑張らねぇとな。