みんなは覚えてるか? オレが冥琳から、兵法学べって言われたこと。その講師役を買って出たのが穏だ。その時の反応が色々妙なのが引っ掛かんだが、とにかくそーいうことになった。
それからすぐ白翼党が暴れ出したりと色々あったんでうやむやになってた件だが……穏の予定がついたんで、とうとう執り行うことになったのだ。
〈穏〉「楽しみですね、いよいよですね~。今日という日をどれほど待ったことか」
オレの部屋で、これから『孫子』を使った兵法の勉強会を始めるに当たって、穏がやたらとウキウキしてた。
何でこんな張り切ってんだ? 学ぶのはオレで、穏は教える側だよな。こんなに人に物教えんのが好きな奴だったのか?
〈穏〉「孝矢さん、予習や復習はなさいましたか~?」
〈孝矢〉「一応目ぇ通したけどよ……やっぱ難しいわ」
言葉回しがやたら難解だしよぉ。タイタスに教えてもらいながらでも、さっぱり頭に入ってこなかったぜ。
ってか予習はともかく、今日が一日目なのに何を復習すんだよ。
〈穏〉「『孫子』ほどの素敵な本とともに寝起きして、平静を保てていられたとは……恐るべきは孝矢さんです」
やべぇ、穏が言ってることがもう分かんねぇ。一応タイタスとピグの方にも振り返ったが、こいつらも肩をすくめてた。
〈穏〉「くっふうぅ~、胸が高鳴ります。このような高揚はいつぶりでしょうか~」
〈孝矢〉「……オレが教えてもらうんだよな?」
ますます分かんなくなってきた。穏にとっちゃ、これから何が始まんだよ……。
〈穏〉「じゅるっ……ふぇっ? は、はい~」
おい、こいつ今よだれすすらなかったか?
はッ!? もしやこいつ、勉強会にかこつけて、あーんなことやこーんなことしようって腹なんじゃ……!
……いやまさかな。んな家庭教師もののAVみてぇなこと、ある訳ねぇか。考え過ぎだわな。
〈穏〉「さあぁ~て……それではお勉強を始めるんですがぁ~……」
穏がチラリと、タイタスとピグの方を向いた。
〈穏〉「タイタスさん、ピグさん、すみませんがぁ~……お勉強中は、席を外してもらえませんでしょうか~?」
〈タイタス〉『む? どこか別の場所にいてほしいと?』
〈ピグ〉「ピグたちも一緒に教えてもらうのは、ダメってことかな?」
〈穏〉「はい~……すみませんけどわたし、冥琳さまがおっしゃったように、人に教える時は、ちょぉ~っと『変な方法』を取りますので……あまり他の人には見られたくないんです~。申し訳ありませんがぁ、ご協力お願いしますぅ~」
人に見られたくねぇ、『変な方法』……。余計気になってきた……。
〈タイタス〉『まぁ、君がそう言うのならば……』
〈ピグ〉「ちょうどいい機会だし、他の人たちのとこに行ってみるんだな」
ピグがタイタスを連れて、退室しようとする。その寸前に、タイタスがオレに釘を刺してきた。
〈タイタス〉『孝矢……私がいないからと、穏におかしな真似をするんじゃないぞ』
〈孝矢〉「わぁーってるっての!」
穏だって呉の宿将なんだから、無理矢理とかしたら明日の朝日がねぇだろ!
〈タイタス〉『では失礼』
〈ピグ〉「また後で、なんだな」
タイタスたちが出てくと――穏は途端に、机の上に積んどいた『呉孫子兵法書』全八十二巻に飛びついた。
〈穏〉「あああぁ~、歴史が香ります。くんかくんか」
尻をフリフリ振りながら、本の匂いを嗅いでやがる……。カビ臭せぇ匂いしかしねぇと思うんだが……穏の好みは分からん……。
〈穏〉「孝矢さん! 何をぼやぼやしてるんですか~、早く準備をして下さい」
〈孝矢〉「あ、ああ……」
机の上に、こないだ買ってきた硯やら何やらを広げる。このセットには、特におかしなもんは一つもねぇが……。
〈穏〉「準備できたようですね。では、そのままそちらへ! わたしは先生なので、教本である『孫子』を手に取っちゃいますよ~。めくっちゃいますからねぇ」
〈孝矢〉「おう……」
何でんなもったいぶった言い回しすんだよ……本一冊を手に取るだけで。
〈穏〉「はっ、はぁ……ん、それではぁ~~……よいしょっ、と……ふぅ、ん」
そんで穏は――椅子に座ってるオレの膝の上に乗って、ぴったりとくっついてきた!
む、胸が……穏のでっけーのがオレの胸板に当たってんだけど!?
〈孝矢〉「な、何か近くね!?」
〈穏〉「遠かったら声が聞こえないでしょう~」
いや聞こえるよ! この部屋全然広くねーし、二人しかいねーんだし! オレどんだけ耳遠いと思われてんの!?
〈穏〉「では……ごくっ、開いちゃいますよぉ? 見ちゃうんですからね」
だから、何でもったいぶんだよッ! 本を開くだけでこんな長々と前置きする奴いるか!?
ともかく、穏の指が『孫子』の表紙を――。
〈穏〉「はあぁ~~~~」
めくらねぇ。なっげぇため息を吐いて、オレの顔を見上げた。
〈穏〉「……その前に。この兵法書についてご説明させて下さいね~」
〈孝矢〉「あ、ああ……いいけど……」
〈穏〉「『呉孫子兵法』は八十二篇からなります……こちらは、ご存じでしたよねぇ」
〈孝矢〉「あの……何でオレの胸で指をくるくるさせてんの?」
〈穏〉「……教えてほしいの? ふ~っ」
〈孝矢〉「はぁぁッ!?」
耳に息吹きかけてきたッ!
こ、これが冥琳も言ってた、『変わった教え方』って奴か!? 変すぎんだろッ! これわざとやってんじゃねーの!?
〈穏〉「仕方ないですねぇ……ん、その八十二篇は大まかに分けると、総説、戦術原論、各論二つの計四つで構成されていますぅ」
妙に色っぽい言い方での説明なんで、全然集中できねぇ……ってか聞いたのは『孫子』の内容じゃねぇ……。
〈穏〉「総説は大きく分けると三編です。計篇、作戦篇、謀攻篇からなりますね~……」
穏が『孫子』の内容を色々と説明してくが、いちいち耳元で囁くようにされるんで、ちっとも頭に入ってこなかった……。
〈穏〉「それでは、いよいよですよぉ……実際に読み進めてみましょうね~」
概要が終わると、やっとページがめくられる。
〈穏〉「はっ、あ……ん、はあぁ……素晴らしいですぅ~」
ただでさえやばかった穏の挙動が、ますますやばくなり出した。指が完全に震えてやがる。
〈孝矢〉「の、穏! どっか具合でも悪りぃんじゃねぇのか!? とりあえず医者でも呼んで……!」
もう洒落にならねぇことになってんで、身体に異常があるのを疑う。
が、立ち上がろうとしたら穏に抑えつけられた。
〈穏〉「ダメですぅ~! お勉強は始まったばかりですよぉ!?」
〈孝矢〉「うぷッ!?」
の、穏の巨乳が顔に押しつけられて……! 何つぅ圧力! こんなん押し返せる男がいるのか!?
〈穏〉「ふ――っ、ふー……ふ―――、ふー」
穏はとんでもなく荒い息で、とんでもねぇスピードでページをめくる。血走った目玉がギョロギョロ動き回って文字を追ってく。
これが速読って奴か……けど、こんなにもおっかねぇ代物なのか?
〈穏〉「はあぁぁ~っ、あぅ……ん、は、はあぁっ、あ、ぁ」
たまに悩ましい吐息を漏らしながら、どんどん読み進めてく。……これ何の時間だったっけ?
〈穏〉「ほふううぅ~~~~~~~~」
一、二時間ぐれぇは経っただろうか……ようやく読み終えた穏がなっげぇ息を吐き出した。
〈孝矢〉「お、おい穏……?」
〈穏〉「……もったいないです、これを全て……一辺に読んでしまったりしたら」
〈孝矢〉「もしもし穏さん……?」
〈穏〉「はぅん、どうにかなってしまいますぅ~!」
……聞いちゃいねぇ。もうこれどうしたらいいんだよ……。
〈穏〉「もう……手遅れかもしれません、はぁっ、身体が」
〈孝矢〉「あのー……もういいっすか?」
もう兵法がどうとかどうでもいいから、解放してもらいたかった。穏の異常なテンションに、とてもじゃねーがついていけねぇ……。
〈穏〉「いいって、どういう意味ですかぁ? ちろ」
〈孝矢〉「うひぃッ!?」
し、舌!! 今舌がチロッて、耳を!!
〈孝矢〉「もう終わりで……勉強を……何勉強したのか分かんねーけど……!」
〈穏〉「お勉強~? そうですねぇ、お勉強」
穏はすっかり目がとろーんとなってる……。一体全体、何が起きてんだこれは……。
〈穏〉「何を知りたいの~?」
〈孝矢〉「いや、兵法の勉強って……」
〈穏〉「もっと知りたいことがあるんじゃないですか~?」
〈孝矢〉「もっと知りたいことおうおぉぉぉッ!?」
ただでさえ密着してたのが、更にくっついてくる穏! これ本格的にやべー流れだって!!
〈孝矢〉「な、何が言いてーんだよ穏ッ!!」
〈穏〉「教えて差し上げたいことなら、あるんですよぉ~。素晴らしい本と出会えた、わたしの悦び……とか」
〈孝矢〉「ふおおおぉぉぉぅおおおおおッ!?」
思いっきり股間撫でられてるッ!!
これはもう思わせぶりな態度とかそんなもんじゃあ断じてねぇッ! 穏は完全に『その気』だッ!!
〈穏〉「こ~こっ、ん、どんなに熱くなってるか……知りたくありませんかぁ」
穏がオレの手を掴んで、自分の胸の中に突っ込ませる……!
〈穏〉「知りたくないんですかぁ~?」
あからさまに誘ってくる穏に、オレは……オレはぁぁぁ――!
――その頃、タイタスとピグは冥琳の元を訪れて、穏の事情について説明をしてもらっていた。
〈タイタス〉『な、何……? 本を読むと、激しく発情する……?』
〈冥琳〉「ええ……」
深刻そうな、もしくは疲れたような表情で肯定する冥琳に、タイタスは絶句していた。
〈冥琳〉「信じがたいことだとは承知しておりますが……あれには本当に、そういう性癖があるのです。一度読み出せば時と場所を選ばず……しかも一度目覚めれば、昏倒でもさせねば収まらない。我慢をさせても軍師としての性能が落ちるので、ほとほと手を焼いていたのです」
〈タイタス〉『そ、それは……何と言ったらいいか……』
〈ピグ〉「……世の中には、変な人がいるもんなんだな、やっぱし」
タイタスもピグもコメントに困っていた。
しかし、そうだとするならば、蔵へ『孫子』を取りに行った際の穏の不審すぎる振る舞いや、外に出ていてほしいと頼まれたことにも全て説明がつく。
〈タイタス〉『つ、つまり今頃は、穏と一緒にいる孝矢は……』
〈冥琳〉「ええ……南出は直接その目で、穏の性癖と対面しているでしょう」
〈タイタス〉『そ、それを知りながら孝矢に穏をつけたのか!? いや、逆に、穏を孝矢に押しつけたのか……!』
慌てるタイタスに、冥琳は冷静に告げた。
〈冥琳〉「南出も子供ではありますまい。己の行いは己で責任を持てる歳でしょう」
〈タイタス〉『そ、それもそうだが……』
〈冥琳〉「穏も、誰彼構わず欲情する訳ではありません。己の性癖の自覚もありますし、南出が嫌だったならば、そもそも教師を名乗り出ておりませんとも。炎蓮様から申しつけられた務めのこともありますし、当人の合意の上ならば、外野が口出しする余地があるでしょうか」
〈タイタス〉『そう言われては……うぅむ……』
冥琳の言うことはもっともなのだが、感情ではどうにも割り切って考えることが出来ないタイタスである。
〈タイタス〉『……いや、孝矢とてあれで分別のある人間だ! 場の空気に流されて……ということはないと私は信じている! 穏にも今頃、紳士的な対応をしているはずだッ! うむ!』
そう言って自分を納得させていると――。
「ゲエエゴウ!」
〈タイタス〉『むッ!? 怪獣の鳴き声!』
城の庭から、はっきりと異様な咆哮が聞こえた。窓の外を見ると、いつの間にか、真ん丸とした爛々と輝く目玉が二つ、ヌラヌラした軟体の肉体から突き出た怪獣が出現していた。
火星怪獣ナメゴンだ!
〈冥琳〉「何たること……! まさか城内に!」
〈タイタス〉『こうしてはいられん! すぐに孝矢の下へ行くぞ、ピグ!』
〈ピグ〉「了解なんだな!」
〈冥琳〉「あっ、タイタス殿!」
ナメゴンが破壊行為に出る前にと、タイタスは冥琳が止めるのも聞かず、ピグとともに一目散に孝矢の部屋へと向かっていった。
〈タイタス〉『孝矢、怪獣だ! すぐに出動――!』
扉を破るように開け放ったタイタスが、目にしたものは――。
〈孝矢〉「げぇぇぇぇ――――――タイタスぅぅぅぅぅッ!!?」
〈タイタス〉『ぬわあああぁぁぁぁああああああああああ―――――――――ッ!!? な、何をしとるんだ孝矢ぁぁぁぁぁぁぁ――――――――――――ッ!!!』
〈ピグ〉「い、いやん! なんだな!! とてもお見せできないんだな、やっぱし!!」
※ここから先は音声のみお送りします。
〈タイタス〉『き、き、君という奴はああああぁぁぁぁぁぁぁぁッ!! なッ、何という破廉恥な真似をぉぉぉぉぉッ!! こんな真っ昼間からッ!! 見損なったぞ孝矢!!』
〈孝矢〉「ち、違げーんだこれはッ!! こ、これはその、無理矢理とかじゃあなくてッ!!」
〈タイタス〉『一体何が違うというのだ馬鹿者ッ!! これをどう言い逃れしようというのだッ!?』
〈穏〉「ちゅぷ、ちゅく、れろぉっ……んん、孝矢さぁ~ん? どうしたんですかぁ~……?」
〈孝矢〉「いや、ちょ、正気に戻れって穏!! タイタスが見てんだよ!! おうふッ……!」
「ゲエエゴウ!」
〈タイタス〉『い、いや、今はそれどころではないのだった!! 怪獣だッ! 怪獣がそこにいるのだぞ孝矢ッ!』
〈孝矢〉「えッマジで!? うわぁマジだ!! ちょ、穏離れてッ!」
〈穏〉「んふぅぅぅ~……どこ行くんですかぁ孝矢さぁ~ん……まだ途中ですよぉぉ~……」
〈孝矢〉「こんなことしてる場合じゃねーんだってのぉぉぉぉ―――――んッ!!」
〈タイタス〉『早くしろ孝矢!! ああ! 窓に! 窓に!』
〈孝矢〉「なぁぁぁぁぁ――――――――こっち見てるぅぅぅぅぅぅ―――――――ッ!!」
〈ピグ〉「……もうしっちゃかめっちゃか、なんだな……」
何やかんやでやっつけたという。
火星怪獣ナメゴン
建業の城の庭園に出現した、ナメクジ型の宇宙怪獣。本来の生息地は火星であり、地球の火星探査ロケットに卵が積み込まれて地球に侵入したという事件が起こっている。この件の犯人は不明。一説によれば、地球の宇宙開発を迷惑ぶった火星人が、警告の意で送りつけてきたものとされている。