ある日の昼時、鎗輔は陳留の街をグルリと回る形で歩いていた。
〈鎗輔〉「この先は料理店が立ち並んでるみたいだ……。PAL、ちゃんと記録できてる?」
〈PAL〉[問題ありません、鎗輔]
〈鎗輔〉「よしよし」
右手の甲のタイガスパークから返事をするPAL。フーマは鎗輔に尋ねかける。
〈フーマ〉『鎗輔。PALに何を記録させてるんだ?』
〈鎗輔〉「陳留の地理だよ。どこに何があるのか、道幅や距離はどれくらいか……」
〈フーマ〉『マッピングって訳か。けど何でまたそんなこと』
〈鎗輔〉「それはもちろん、これから拠点にする場所なんだから。何かあった時のために、地図があった方がいいでしょ。ここにはGPSなんて便利なものないんだし」
〈フーマ〉『なるほど。考えてるな』
〈鎗輔〉「……けど、歩き回って疲れた。今日はこの辺にしておこう……」
〈フーマ〉『っておいおい。まだ街の半分どころか、四分の一も回ってねぇだろ。やっぱ、お前は体力つけんのが一番の課題だぜ』
〈鎗輔〉「もう何度も言わないでよ、それ……」
ぶつくさ文句を返しながら、城に引き返そうとした鎗輔だったが……振り向いた先で、見知った顔と合った。
〈華侖〉「あー、鎗輔っち!」
〈春蘭〉「……東雲」
〈鎗輔〉「華侖ちゃん、春蘭さん。こんなところで何を?」
鎗輔に問われた華侖と春蘭の手の内には、食べ物の包みらしきものがあった。
〈春蘭〉「見て分からんのか? 巡回だ」
〈鎗輔〉「食べ物持って?」
間髪入れぬツッコミ。
〈春蘭〉「ぬ……」
〈華侖〉「鎗輔っちもどうっすか? この店の小籠包はとっても美味しいっすよー」
〈春蘭〉「華侖、余計なことを言うなっ」
〈鎗輔〉「あはは。楽しそうですね」
〈春蘭〉「だ、黙れ! これは街の警備も兼ねた立派な巡回だ」
バツが悪そうに言い繕う春蘭。
〈鎗輔〉「確かに、春蘭さんは歩いてるだけで威圧効果ありそうですね」
〈春蘭〉「どういう意味だ」
〈鎗輔〉「いえ、深い意味はありません」
〈春蘭〉「人聞きの悪い。人がのんきに食べ歩きでもしていたかのように……。ふん、わたしはもう城に戻る」
〈華侖〉「あっ、春姉ぇ、帰っちゃうっすか?」
〈春蘭〉「ああ。もやしの相手はお前に任せた。ではな」
気分を害して、鎗輔にクルリと背を向けた春蘭は、そのまま城に向かって歩き去っていった。それから華侖が鎗輔に近寄る。
〈華侖〉「ねえねえ鎗輔っち」
〈鎗輔〉「何?」
〈華侖〉「ほら、口を開けるっす!」
〈鎗輔〉「むごッ!?」
いきなり、華侖が小籠包を鎗輔の口元に押しつけた。熱々の。
〈鎗輔〉「あふッ! あふいッ! やべて!?」
〈華侖〉「ほらー、口開けないと、唇が火傷しちゃうっすよー?」
〈鎗輔〉「ちょ……無茶しないでよ!」
どうにかこうにか華侖を押しのける鎗輔だが、華侖はぐいぐい来る。
〈華侖〉「遠慮しないで食べるっす! はい、あーん」
〈鎗輔〉「だからやめてって……! 口の中も火傷するから……!」
〈華侖〉「あっ」
小籠包を鎗輔の顔に近づけた華侖だが、勢い余って小籠包を潰し、熱々の肉汁が鎗輔の顔に掛かった。
〈鎗輔〉「ぎゃあぁぁ―――――ッ! あぢぢぢぢッ!」
その場に倒れてゴロゴロもがき苦しむ鎗輔。
〈華侖〉「うわわわ、申し訳ないっす! でも、鎗輔っちが早く食べてくれないからっすよ?」
〈鎗輔〉「ええ……ぼくが悪いの……?」
華侖に手を貸されながら起き上がる。すると華侖は改めて小籠包を差し出した。
〈華侖〉「はい、あーん♪」
〈鎗輔〉「だから、ちょっと待って……少し冷まさせてから……」
〈華侖〉「もう、しょうがないっすねー」
これ以上押しつけられたら敵わないと、鎗輔は小籠包を自分の手で握ってから、息を吹きかけて口に運んだ。
〈鎗輔〉「む……」
〈華侖〉「どうっすか?」
〈鎗輔〉「確かに美味しいね。肉汁はすっかり飛んじゃったけど……」
〈華侖〉「じゃ、今度は肉汁たっぷりのをもう一個! はい、あーんしてあげるっす」
〈鎗輔〉「い、いや、もういいよ。ぼく、食細いし」
〈華侖〉「そんなこと言って。ちゃんと食べないと、筋肉つかないっすよ?」
〈鎗輔〉「いや、気持ちだけでお腹いっぱいだから……」
身を引く鎗輔。それはまた火傷させられそうというのと、冷静になったことで、天下の往来で食べさせてもらうという恥ずかしいシチュエーションになっていることに気がついたからだ。
〈華侖〉「それじゃあ、自分で食べるっす」
小籠包を自分の口に運んだ華侖は、至福の笑み。
〈華侖〉「ん~、美味しい♪ アッツアツの肉汁が、口の中にじゅわっと広がっていくっす~」
その様子をながめつつ、フーマと囁き合う鎗輔。
〈鎗輔〉「何と言うか……掴みどころのない子だよね……」
〈フーマ〉『自由だよな。こんなタイプは、俺もあんま出会ったことねぇぜ』
そして先ほどの質問を、今度は華侖に尋ねた。
〈鎗輔〉「ところで、華侖ちゃんは春蘭さんと何をしてたの?」
〈華侖〉「え? 何って、二人で美味しい店を探して、食べ歩きしてただけっすよ?」
〈鎗輔〉「やっぱり……」
華侖は正直であった。
〈華侖〉「春姉ぇも今日は暇だと言ってたっすから。何で急に、お城に戻っちゃったんすかねー?」
〈フーマ〉『のんきにしてるとこ見られたくなかったんだろうな。意地っ張りそうな姉ちゃんだからな』
つぶやくフーマであった。
〈華侖〉「鎗輔っちは何をしてたっすか?」
〈鎗輔〉「街の様子を見て回ってたんだけど……」
〈華侖〉「それはちょうど良かったっす。だったら、鎗輔っちが食べ歩きにつき合うっす!」
〈鎗輔〉「えッ、いや、ぼくも城に戻ろうかと思ってたんだけど……」
〈華侖〉「そんなつれないこと言わないでほしいっすよー。一人じゃつまんないっすー」
ねだりながら、華侖は鎗輔にピタッとくっつくように近寄り、肘に腕を絡めてきた。
〈鎗輔〉「ち、ちょっと!?」
途端に赤面して、バッと離れる鎗輔。
〈華侖〉「え?」
〈鎗輔〉「今、何で腕を組んだの……」
ドギマギしながら聞くと、華侖からは予想外の返事。
〈華侖〉「どうして組んだら駄目っすか?」
〈鎗輔〉「えッ、いや……どうしてって」
〈華侖〉「あたし、さっきまで春姉ぇと、ずっと腕を組んでたっすよ?」
〈鎗輔〉「いやいや……春蘭さんは女の人でしょ? ぼくはこれでも男」
当たり前のことを言ったつもりだが、華侖はきょとんとしている。
〈華侖〉「へ? 女同士なら良くって、女と男は駄目なんすか?」
〈鎗輔〉「必ずしも駄目じゃあないけど……ぼくたち、まだ数えるほどしか顔を合わせてないでしょ」
諭すも、華侖は眉をひそめる。
〈華侖〉「う~ん、よく分からないっす。でも、よく考えてみると、鎗輔っち以外の人とは、腕組んだことないっすね」
〈鎗輔〉「そ、そうなんだ」
一瞬ドキッとした鎗輔だったが、陳留の幹部は女性で固められているので、縁がなかっただけだと思い直した。
〈鎗輔〉「でも、異性同士は気軽に腕を組まないものだよ。華侖ちゃんは何ともなくとも、他の人には誤解されるんだから」
〈華侖〉「はへ? 何を誤解するっすか?」
聞き返されて鎗輔は言葉を詰まらせる。
〈鎗輔〉「そ、それは……フーマ、何か言ってあげて」
〈フーマ〉『俺に振るんじゃねぇよ』
まごまごしていたら、華侖は機嫌を損ねたようだ。
〈華侖〉「ぶー。鎗輔っちは、あたしとは仲良くできないってことっすかー?」
〈鎗輔〉「いや、そういうことじゃなくて……」
〈華侖〉「じゃあ、腕組んでいいっすね♪」
二の句を告げる暇すらなく、華侖は素早く鎗輔の腕と自分の腕を絡めた。
〈鎗輔〉「あッ、ちょ、だから……!」
〈フーマ〉『もうあきらめろって。多分何言ったって、伝わらねぇぞこりゃ』
既に匙を投げたフーマがハァとため息を吐いた。
〈華侖〉「ほら、行くっす」
〈鎗輔〉「ああ、待って……! 分かったから、そんな引っ張らないで……」
結局鎗輔は押し切られて、華侖に引きずられるように、食べ歩きに同行させられたのであった。
〈通行人〉「ねえ、あの人って……」
〈通行人〉「ええ、曹仁様よね?」
〈通行人〉「横にいる男は誰だ? まさか曹仁様の……」
〈通行人〉「いや、そうとしか思えないだろ。だって、あんなにくっついて……」
〈鎗輔〉「……うう……」
道中、当然ながら道行く人々から訝しげな視線を浴びせられて、鎗輔は針のむしろにいるような思いをしていたが、華侖の方は周囲の目にも気づいていなかった。
〈華侖〉「鎗輔っち、ほらあのお店! すっごく美味しそうな匂いがするっすー! あの店、入ってもいいっすか?」
〈鎗輔〉「う、うん。こうなったらどこでもいいよ……」
鎗輔としては、早く人の目から逃れたいという思いでいっぱいだった。
〈フーマ〉『しっかしこの嬢ちゃん、よく食うなー。これでもう四軒目だぜ?』
〈PAL〉[新陳代謝が激しいのでしょう]
フーマとPALは、底なしの胃袋っぷりを見せる華侖についてヒソヒソと言葉を交わす。ちなみに鎗輔は、二軒目からもう見ているだけだ。
そうして入った四軒目の料理店。
〈華侖〉「こんにちはっすー!」
〈店主〉「いらっしゃい……えッ! そそ、曹仁様!?」
〈華侖〉「華侖でいいっすよ」
〈店主〉「いいぃ、いえ! そんな滅相もない!」
いきなり真名を許されて、店主は逆に戸惑った。他の人とは全然違う、あまりにも軽い真名の扱いに、鎗輔も呆れるばかり。
〈華侖〉「このお店、とっても良い匂いがするっす! これって何の匂いっすか?」
〈店主〉「は、はい、これは豚骨と魚、野菜から出汁を取った汁の匂いでして……我ら下賤の食するものですから、曹仁様のようなお方の口に合うかどうかは……」
〈華侖〉「こんないい匂いなんだから、美味しいに決まってるっす! 鎗輔っちも食べるっすか?」
〈鎗輔〉「いや、さっきから言ってるように、ぼくはもういっぱいだから……」
〈華侖〉「む~、ほんとつれないっす。じゃあ、お一つ下さいっす!」
〈店主〉「へ、へえ! かしこまりました!」
席に着き、運ばれてきた唐辛子のスープを前に、目を輝かせる華侖。
〈華侖〉「美味しそうっすね! いただきまーすっ!」
〈鎗輔〉「どうぞ……」
スープをひと口啜った華侖は、すぐに勢い良く立ち上がった。
〈華侖〉「おおおおおおおおおおお――――!!」
〈鎗輔〉「わッ!?」
思わず驚く鎗輔。
〈華侖〉「おじさん! 店のおじさん!」
〈店主〉「はは、はい!? な、何か問題でも……」
〈華侖〉「美味しいっす! 最高っす! ほっぺが顔から落ちるっす! おじさんは天才っす!! 鎗輔っちも、汁だけでも飲んでみるっすよ!」
〈鎗輔〉「は、はぁ……」
大仰に感激している華侖。その声に他の客も何事かと振り返った。
〈客〉「おい……あの人、曹仁様だよな?」
〈客〉「曹仁様が絶賛してるぞ。あの汁、俺も頼んでみようかな」
〈華侖〉「ほんと美味しいっす! あたしこの店、また絶対に来るっすよ!」
〈店主〉「あ、ありがとうごぜぇやす!!」
華侖の褒めちぎりに、店主も流石に嬉しそうだ。鎗輔も苦笑がこぼれる。
〈鎗輔〉「はは……手本のような宣伝だね」
〈フーマ〉『店主のオヤジも、料理人冥利に尽きるだろうな』
〈PAL〉[華侖、早く飲まないと冷めてしまいます]
〈華侖〉「ああ、それもそうっすね」
PALの指摘に我に返った華侖が腰を落とし、改めてスープを口にし出した。
〈鎗輔〉「ところでこの入ってるの……唐辛子だよね。何でここにあるの?」
〈フーマ〉『ん? 何かおかしいのか? 唐辛子って、地球の香辛料の代表みたいなもんだろ?』
〈鎗輔〉「それは近世に入ってからで……」
〈華侖〉「何難しいこと言ってるっすか? それより、この辛さがたまらないっす。身体中熱くって……こんなの着てられないっすね!」
言うや否や、華侖が服を脱ぎ出したので、鎗輔はギョッと腰を浮かした。
〈鎗輔〉「ちょっと!? 駄目、それは駄目ッ!」
〈華侖〉「え? 何でっすか?」
〈鎗輔〉「華侖ちゃんが脱いだら、大変なことになるから! ただでさえ薄着なのに!」
服に掛けられた華侖の手を、必死に止める鎗輔。だがその気持ちが伝わらない。
〈華侖〉「何が大変なんすか? 裸になるだけっす」
〈鎗輔〉「それが駄目なのー!!」
どうにかこうにか、華侖の衣服を元に戻させることに成功した。幸い、他の客は注文したスープの辛さに喘いでいて、こちらを気にしてはいなかった。
〈華侖〉「ぶー」
〈鎗輔〉「はぁ……こんなこと言いたくないけれど、これがかの曹仁とは……」
〈フーマ〉『苦労するな』
どっと疲れた鎗輔に、ねぎらいの言葉を掛けるフーマ。
〈華侖〉「何で駄目なんすか? 柳琳もいつもそう言って、裸になるのを止めるっす」
〈鎗輔〉「それは柳琳ちゃんが正しいよ……。女の子は軽々しく人前で肌を晒さないものなの」
〈華侖〉「肌? そんなのいつも見せてるっすよ?」
〈鎗輔〉「いやぁ、その格好も正直どうかと思うけど……だけど、隠すべきところは隠してるでしょ?」
〈華侖〉「隠すべきところ? おっぱいとか、あそこのことっすか?」
〈鎗輔〉「ああー!! そんなこと、大きい声で言わないのッ!」
〈フーマ〉『今までどんな風に生きてきたんだ……』
流石のフーマも、華侖の羞恥心のなさには呆然とするばかりだった。
〈華侖〉「んー、でも、別にあたしは隠したくって服を着ている訳じゃないっす。みんなと一緒に可愛い服を着たいだけっすから」
〈鎗輔〉「だけじゃ色々とまずいのが社会という場所なの! はぁ……誰だよ、この子に教育を施したの……」
突っ込みすぎてガクリと肩を落とす鎗輔は、最後に言い聞かせる。
〈鎗輔〉「とにかく、人前で脱いだりなんかしたら、君だけじゃなくてみんなにも迷惑が掛かることになるの。脱いだら駄目。いい?」
〈華侖〉「んー……よく分かんないけど、そこまで言うならやめておくっす」
理解はしてもらえなかったが、ひとまずは公衆の面前での脱衣を止めることは出来た。今のところは、それで良しとする鎗輔だった。
その後も何だかんだとあり、城に戻った頃には、空は夕暮れに染まっていた。
〈柳琳〉「もう、姉さんったら」
帰った鎗輔たちを出迎えた柳琳は、開口一番にため息を吐き出した。
〈華侖〉「どうしたっすか?」
〈柳琳〉「どうしたじゃないの。姉さんの部隊の人員表、今日のお昼までに出してくれるはずだったでしょ?」
〈華侖〉「あ……」
指摘され、華侖はあんぐりと口を開く。
〈柳琳〉「忘れて街へ遊びに行っていたのね?」
〈華侖〉「あはは……全く、これっぽっちも覚えていなかったっす……」
笑ってごまかそうとする華侖だが、柳琳はしかめ面のままだ。
〈柳琳〉「人員表は?」
〈華侖〉「柳琳、そんなことよりっす! 辛いけど、ものすごく美味しい店を見つけたっすよ!」
〈柳琳〉「そんなことよりって……」
頭が痛そうな柳琳を見ていられず、鎗輔も華侖を諭す。
〈鎗輔〉「良くないよ、華侖ちゃん。まずは仕事を忘れてたのを謝らないと」
〈華侖〉「えー、何でっすか? 人員表なんて、今度でいいじゃないっすかー。それより柳琳も食べに行くっす!」
〈鎗輔〉「こら!」
気楽な態度が変わらない華侖を、鎗輔は強めに叱った。華侖は肩をビクッと震わせる。
〈鎗輔〉「華侖ちゃんがしっかり仕事しないから、柳琳ちゃんは困ってるんだよ。なのにその態度はないよ。ちゃんと謝って」
〈華侖〉「は、はい……ごめんなさいっす、柳琳……」
華侖に頭を下げさせ、鎗輔も柳琳に謝る。
〈鎗輔〉「柳琳ちゃん、ぼくも華侖ちゃんにつき合ってて帰りを遅くしちゃったんだ。何か手伝えることがあるなら、ぼくも力添えするから。許してあげて?」
〈柳琳〉「い、いえ……鎗輔さんにそこまでしてもらうほどのことでは……」
真摯に頼まれて、柳琳はポッと頬を赤らめた。
そこに栄華がやってきて、柳琳に呼びかける。
〈栄華〉「柳琳。人員表はそろいまして? ちょうど今から、あなたの執務室へ取りに行こうと思ったのですけど……」
〈柳琳〉「栄華ちゃん……それがまだ……」
〈栄華〉「まだですの? 困りますわ。わたくし今日中に、出陣に必要な戦費を纏めて、お姉様にお渡しするつもりでしたのに」
〈柳琳〉「ごめんね? 明日には必ず……」
〈栄華〉「頼みましたわよ」
栄華が立ち去っていくと、鎗輔は改めて華侖を諭した。
〈鎗輔〉「ほら、華侖ちゃんのせいで全体の仕事に遅れが出たんだ。早く人員表を書いて、柳琳ちゃんに渡してあげなさい」
〈華侖〉「えー、でも、もう夕方……」
〈鎗輔〉「華侖ちゃん」
〈華侖〉「うっ……わ、分かったっす……」
じっとにらまれて、いたたまれなくなった華侖はトボトボ自分の部屋に帰っていった。
〈フーマ〉『鎗輔……お前案外言う時ゃ言うんだな。人が変わったみたいだった』
〈鎗輔〉「甘い顔をするだけじゃ駄目だって、ぼく自身散々言われたし……」
やれやれと肩をすくめている鎗輔に、柳琳がおずおずと頭を下げる。
〈柳琳〉「鎗輔さん、ありがとうございます。姉さんが、鎗輔さんを散々つき合わせたみたいなのに……」
〈鎗輔〉「ううん。いいんだよ、これくらい……」
〈将軍〉「曹純様! 少しお尋ねしたいことが……」
〈柳琳〉「あっ……何でしょう?」
しゃべっている途中で、通りすがりの将兵が柳琳に相談を持ち掛けてきた。その後も何人も、春蘭や秋蘭なども、柳琳に相談事を持ち込んできていた。
〈春蘭〉「なるほど……うむ、分かった。それでは柳琳の言うように、部隊の編成を見直すとしよう」
〈柳琳〉「はい、その方向でお願いします」
〈秋蘭〉「では、新たな槍の調達は、先ほど聞いた商人に話を通せばいいのだな?」
〈柳琳〉「はい、既にある程度、話は進めてありますので……」
〈秋蘭〉「承知した」
〈香風〉「るー様……シャンの部屋……窓、壊れて開かなくなってる……」
〈柳琳〉「まぁ、それは大変。すぐに大工を手配するわね」
ひと仕切り済むと、柳琳は大きく息を吐き出す。
〈柳琳〉「はー……」
〈鎗輔〉「お疲れ様。すごいね、あれだけの人の相手をして」
〈柳琳〉「い、いえ、大したことは」
〈鎗輔〉「今みたいなのが、柳琳ちゃんのお勤めなの?」
〈柳琳〉「そうですね……お姉様がご対応なさるほどの件ではなくても、将軍それぞれの判断では決めかねることの相談に乗ったり……他にもお姉様の代わりに、会合などへ出席したり……」
〈鎗輔〉「つまり、華琳さまの名代ということだ」
〈柳琳〉「は、はい。大それた言い方になりますけれど」
〈鎗輔〉「なるほど。でも、そうなるとお姉さんの華侖ちゃんの方が、本来ならその役を担うべきなんだろうけど……」
〈フーマ〉『いやー、それはあの嬢ちゃんには無理だろうよ。見てりゃ分かるだろ?』
〈柳琳〉「あはは……」
流石に柳琳も否定できず、苦笑でお茶を濁した。
〈鎗輔〉「でも、華侖ちゃんももう少ししっかりしてくれたらいいのにね」
〈柳琳〉「いえ、それはいいのですが……ただ、曹家の一員としての自覚が、あまりにも希薄なのがちょっと……。ですから、先ほど姉さんを咎めて下さったのは、正直助かりました。姉さん、あれで本当に人員表を仕上げてくれたらいいけど……」
〈鎗輔〉「見てこようか?」
〈柳琳〉「そ、そんな。これ以上姉のことで、鎗輔さんのお手をわずらわせるだなんて」
〈鎗輔〉「いやいや。柳琳ちゃん、本当に大変そうだし、何でも手伝うよ。遠慮しないで声掛けしてね」
〈柳琳〉「そんな、とんでもないことですよ……」
〈フーマ〉『おいおい、随分熱心に口説くじゃねぇか~。柳琳の方が好みって訳か?』
鎗輔が微笑みかけていると、フーマがニヤニヤと茶化した。
〈鎗輔〉「ちょっと、やめてよ。そんな下世話な話」
鎗輔は眉をしかめるが、柳琳はボッと赤くなっていた。
〈フーマ〉『まぁそれにしても、顔は別として、性格はホント似てねぇよな。姉と妹でまるきり正反対だ』
〈PAL〉[柳琳は行儀も言葉遣いも正しくしています]
〈柳琳〉「ありがとうございます。両親からも、厳しく躾を受けましたから」
〈フーマ〉『華侖は違うのか? 鎗輔も、誰が教育したんだって嘆いてたぜ』
〈鎗輔〉「ちょッ、フーマ、それは……!」
〈柳琳〉「ふふふ、いいんですよ。困った姉なのは本当ですし」
〈フーマ〉『で、実際のとこどうなんだ? 同じ教育受けたんじゃねぇのかよ』
〈柳琳〉「はぁ……そこが不思議なんです。妹の私から見ても、厳しい躾は受けていました。それなのに……」
〈鎗輔〉「あれはもう、生まれついてのものとしか言いようがない訳だ」
〈柳琳〉「姉さんは人に何を言われても、全く堪えませんからね。それだけに、鎗輔さんの叱責は素直に聞いたのは少し意外でもありました」
〈フーマ〉『そりゃ鎗輔だからかもな。普段大人しい奴が怒ると、落差で怖く感じるからなぁ』
苦笑いを交わし合う一同だが、ここで鎗輔がフォローを入れる。
〈鎗輔〉「でも、華侖ちゃんの明るさはみんなに伝播する。今日はそれが見て取れたよ」
料理店での一幕を話すと、柳琳も姉のことなので嬉しそうに微笑んだ。
〈柳琳〉「そこが姉さんのいいところですね」
〈鎗輔〉「うん。……それで話を戻すけれど、ぼくに手伝えることがあるなら何でも、いつでも言ってくれてね? 待ってるから」
〈柳琳〉「いえ、ですから、鎗輔さんにそこまでしていただくなんて……」
〈鎗輔〉「だから遠慮しないでって。まだ大したことは出来ないけれど、それでもぼくに何か出来ることがあるかもしれないし。それで柳琳ちゃんの力になれたら、それで十分だよ。それとも、迷惑かな?」
〈柳琳〉「め、迷惑だなんて……!」
〈鎗輔〉「ならいいよね」
〈柳琳〉「……はい、鎗輔さんがそこまでおっしゃって下さるなら……」
〈鎗輔〉「うん。約束だよ」
〈柳琳〉「約束……」
照れ臭そうにうつむく柳琳。鎗輔は、流石に押しつけがましかったかと反省した。
〈PAL〉[鎗輔、あまり長時間引き止めていては迷惑になるでしょう]
〈フーマ〉『そろそろ俺たちも部屋に戻ろうぜ』
〈鎗輔〉「あッ、うん。それじゃあね、柳琳ちゃん。また明日」
〈柳琳〉「あ……」
手を振って退散していく鎗輔に、柳琳の手の平が控えめに空を切った。
〈柳琳〉「鎗輔さん……姉さんのことで、もっとちゃんとお礼をしたかったのに……」