〈鎗輔〉「あ~……しんどかったぁ」
陳留の城の廊下を、どっと肩を落とした鎗輔がとぼとぼ歩いていた。
彼はつい昨晩、華琳から任された警備隊の改善案の計画書を提出した。しかしそれを作成する経緯の中で色々とやり過ぎたため、華琳の叱責を食らう羽目になったのだ。
昨晩は部屋に逃げ帰るなり、言われた通りに計画書作成の準備の中で手伝いに雇った者たちへの給金を算出した。しかし手持ちにはそれを支払うだけのお金がないので、経費として申請しようとしたのだが、既に夜遅くで誰も起きていなかったので出来なかった。そのため、日が昇った今から申請書を携え、陳留の経理を一手に担う――栄華のところに向かうところであった。
〈フーマ〉『まさか、あんな怒るなんてなぁ』
〈鎗輔〉「まぁ言われてみれば、ちょっと先走りすぎたかも。熱が入りすぎちゃったね」
〈フーマ〉『採用された時にスムーズに行くように、って思ったのが裏目に出たな』
と話しながら栄華の執務室まで歩いていくのだが、その途中でPALが尋ねる。
〈PAL〉[ところで、栄華は経費を出してくれるでしょうか]
〈鎗輔〉「……そこが問題なんだよなぁ。栄華さん、この申請書、通してくれるかな……?」
〈フーマ〉『いくら男嫌いでも、仕事はちゃんとやるだろ。お前の監督した時だってそうだったろ?』
〈鎗輔〉「でも、これはぼくが勝手にやったことだしさ……。いきなり持っていっても、すんなりお金出してくれるかどうか……」
〈PAL〉[拒否されたら、どうしましょうか]
〈フーマ〉『バイトでもするか?』
〈鎗輔〉「バイトなんて概念、ここにはないでしょ……」
などと話している内に、栄華の部屋の扉の前にたどり着いた。
〈鎗輔〉「ここだ。栄華さーん……」
控えめに呼びながら、そっと扉を開けると……。
〈栄華〉「先の決算報告書はどちらですの?」
〈文官〉「こちらでございます」
〈栄華〉「ふむ……うーん、やはり……先月、先々月のものもいただけますか、推移を確認します」
栄華が執務室で文官たちに指示を出しながら、竹簡を真剣な眼差しで凝視していた。
〈栄華〉「はぁ……やはり食費が当初の予定よりも、かなり多くなってきていますわね……兵の数が増えていますし、当然といえば当然なのですが……。先日得た戦利品の一覧は?」
〈文官〉「でしたらあちらの棚に……今お持ちします!」
〈栄華〉「いえ、自分で取りますので、手を止めず作業を続けて下さい」
立ち上がろうとした文官を制して、栄華は自分で竹簡を取って開く。
〈栄華〉「ふむ……ちょっとよろしいですか? 今戦利品の管理をしているのはどなたです?」
〈文官〉「わ、私ですが……」
〈栄華〉「こちらの報告書にあるものを、全て換金して下さい。上手く交渉すれば、追加した兵の分はまかなえるはずです」
〈文官〉「か、かしこまりました」
〈栄華〉「とはいえ、これはただの応急処置……根本的な解決にはならない……。各地の税収報告は纏まりましたか?」
文官の一人が、その報告書の竹簡を渡す。
〈栄華〉「やっぱり……どこも芳しいとは言い難いですわね……。源となる税の徴収方法から見直すべきか……各所から要請書の見積もりはどうなりましたか?」
〈文官〉「こちらにご用意しております」
〈栄華〉「いただきます、こちらへ」
栄華のテキパキと働く姿に、思わず見入る鎗輔たち。
〈フーマ〉『頑張ってんなー』
〈鎗輔〉「うん。何気に、栄華さんが働いてるところを見るのって、初めてだね」
見積書の山が机の上に出来ているので、栄華は渋面になる。
〈栄華〉「はぁ……必要なこととはいえ、これだけの予算申請があると思うと、頭が痛くなってきますわね……。まずは緊急性の高いものから当たります。次いで街道整備に賊対策と、用途と重要度を分けて下さい。今日中にこの山を片づけてしまいますわよ」
栄華の呼び掛けに、文官たちは重々しくうなずき返す。その緊迫度は、戦場に赴く兵士にも劣らない。
ここで鎗輔が扉から離れ、ひと息吐いた。
〈鎗輔〉「参ったなぁ……あんな空気の中に、経費を落として下さいなんて言って入っていけないよ」
〈フーマ〉『陳留って、割とカツカツで運営してたんだな』
〈鎗輔〉「それは、この間経理の仕事をやった時に感じたけど……現状はますます困窮してるみたいだ」
どうしたものか、と腕を組んで悩んでいると、
〈栄華〉「……さっきから何をしていますの」
〈鎗輔〉「え、栄華さんッ!?」
背を向けていた扉が開けられ、栄華が顔を出したので、鎗輔はビクッと飛び上がって振り返った。
〈鎗輔〉「ど、どうしてぼくがいること、分かったんですか……?」
〈栄華〉「あんなにも気持ちの悪い妖気を漂わせていれば、誰だって気がつきますわ」
〈鎗輔〉「妖気って……ぼくは人間ですよ……」
〈栄華〉「何を言っていますの! 扉の隙間からねっとりと嫌らしい視線を向けていたくせに! これだから男という生き物は……どうせ仕事など見ずに、わたくしの首筋や胸元にばかり視線を向けていたのでしょう!」
〈鎗輔〉「いやいや、そんなことは……」
〈フーマ〉『言いがかりだぜ』
弁明する鎗輔たちだが、栄華は聞いていない。
〈栄華〉「そうして、その身に溜め込んだ、言葉にするのもはばかられるような劣情を……ああ、おぞましいっ! やはり今からでもお姉様に進言して……せめて悪さをしないようにチョン切る方向で……」
〈鎗輔〉「気軽に人を宦官にしようとしないで下さいッ!」
思わず腰が引ける鎗輔であった。
〈栄華〉「そうなりたくないのであれば、覗きなどしていないで、城内の掃除でもしていたらどうですか。城中ピカピカにした時には、その骨と皮だけの身体にもわずかには肉がつくでしょう」
〈鎗輔〉「あ、あはは……相変わらず、手厳しい……」
〈栄華〉「……ところで、その手に持っている竹簡は何ですの?」
遂に栄華が、鎗輔の握っている竹簡を指した。
〈栄華〉「まさか……ただでさえ多い予算の申請書を、増やすつもりでは……」
〈鎗輔〉「え、えーっと、それは……」
〈フーマ〉『鎗輔、もう言っちまえよ。どうせ言わなきゃいけねぇことだろ?』
〈鎗輔〉「う、うん……。実は、予算どころか今すぐ必要で……」
鎗輔は観念して、昨晩からの経緯を洗いざらい打ち明けた。聞かされた栄華は、怒るを通り越して呆れていた。
〈栄華〉「信じられませんわ……。算術はいくらでも出来るのに、そんな程度のことが考え及ばないなんて……本当、頭の中を覗いてみたいくらいですわ。お断りですけれど」
〈鎗輔〉「申し訳ない……」
〈フーマ〉『それで……お金、出してくれねぇ? ほんと困ってんだよ、俺たち』
必死に頼み込む鎗輔。
〈鎗輔〉「お願いします! 栄華さんたちのお仕事、代わりに全部やりますからッ!」
〈栄華〉「結構です。……分かりましたわ。本来ならおとといいらしてと言うところですけれど、お姉様の体面を保つためですもの。今回の費用は、わたくしが立て替えて差しあげますわ」
〈鎗輔〉「あ、ありがとうございますッ!」
〈栄華〉「ただし、代金は来月分のあなたの給金から、きっちりと差し引かせてもらいますからね」
〈鎗輔〉「うッ……し、仕方ないか……。来月はただ働きかぁ……」
がっくりと肩を落とした鎗輔に代わり、フーマが栄華に話しかける。
〈フーマ〉『しかし、栄華はすげぇ働きをしてんだな。陳留の屋台骨じゃねぇか』
〈栄華〉「……いきなり何ですの?」
〈フーマ〉『そんな身構えんなよ。ちょっと褒めただけじゃねぇか』
〈栄華〉「男が人を褒める時なんて、どうせ何か嫌らしい打算があるに決まっています」
〈フーマ〉『そりゃ偏見だぜ。良くないぜ? そういうの』
〈栄華〉「ウルトラマンだか天の御遣いだか知りませんが、男に説教される謂れなんてありませんわ」
相変わらず、フーマにもきつい当たりの栄華に、フーマもため息。
〈フーマ〉『けど、計算なら鎗輔が一番すげぇじゃんか。ここで使ってやりゃいいのに』
〈栄華〉「……いくら仕事が出来ようと、闖入者が国の予算管理に携わろうなんて、おこがましいにも程がありますわ。……けれども」
ふと、栄華の鎗輔を見る目の色が変わる。
〈鎗輔〉「何でしょう?」
〈栄華〉「もしかして東雲さん、このような予算管理の経験があるのではなくて? いくら知能が高かろうとも、それだけで先日の能率を説明するのは無理がありますわ。手際に迷いもありませんでしたし……天の国では、どのような仕事をなさっていたのですか?」
と気に掛ける栄華。対する鎗輔は、右手を持ち上げながら答えた。
〈鎗輔〉「仕事とはちょっと違うんですけど……簡単に言えば、このPALを作ってたんです。その過程の中で、作業の効率化などの経験を培いました。色々と、大変でしたから……」
〈栄華〉「パルを……?」
〈フーマ〉『まぁ、一学生が趣味で作れる範囲を超えてるとは思ったが……PALの作成を通した何かの研究をしてたってことだな』
〈鎗輔〉「まぁ……そんなところ」
妙に歯切れの悪い鎗輔だが、好奇心丸出しのフーマは遠慮なく質問をぶつける。
〈フーマ〉『けど研究ったって、いくら頭良くても学生がすることじゃねぇだろ。っていうか、お前元の世界じゃ具体的にどんな生活してたんだ? ちっとも話してくれねぇけど……』
〈鎗輔〉「ああッ!」
フーマの言葉を、鎗輔の大声がさえぎる。
〈鎗輔〉「お仕事中なのに、すっかり話し込んじゃってますね! 迷惑でしょう。すみません、これで退散します」
〈栄華〉「えっ? ちょっと……」
〈鎗輔〉「これ、申請書です。すみませんが、お金の方はぼくの部屋の方に届けてもらえませんか? お手数掛けます。それじゃあ、ぼくも華琳さまから言いつけられた警備隊の改善案を進めなければいけないので……失礼します!」
〈フーマ〉『お、おい……!』
言いかけるフーマを握り締めて無理矢理黙らせ、忙しなく立ち去っていく。それを栄華はポカンと見送った。
〈栄華〉「何ですの……? 勝手に来て、勝手に帰っていって……強引に話を打ち切っていましたが……」
一瞬疑問を抱く栄華であったが、元々男に関心を持たない身。思考はすぐに己の仕事に向き、執務室に戻っていった。