泰山郡への遠征から秋蘭たちが帰還してから、少し経った日の朝議にて。
〈秋蘭〉「……華琳さまが刺史に?」
〈華琳〉「ええ。苑州の正式な刺史にならないか、とね」
華琳が集った皆に、そう告げた。
〈春蘭・華侖・季衣〉「「「おめでとうございます、華琳さま!」」」
春蘭たち三名は即座に祝ったが……それ以外はそろって、複雑な顔をしていた。
〈季衣〉「はれ? 秋蘭さまたちは、賛成じゃないんですか?」
〈華侖〉「えー。華琳姉ぇが刺史になった方が絶対いいっすよー! 柳琳は嫌なんすか」
〈柳琳〉「うん……。それ自体は、すごくいいお話だと思うんだけど」
〈春蘭〉「東雲も何故そんな顔をしているのだ。よもや、華琳さまの出世をお祝いするつもりがないなどとは……!」
〈鎗輔〉「いえ、そんなことはないですけど……問題は、その話を持ってきたのは誰かという点で……」
〈桂花〉「華琳さま、一体誰からの申し出ですか? とても苑州の現刺史が華琳さまに申し出るとは思えませんが……」
〈華琳〉「陳珪よ」
その答えは、鎗輔の予感通りであり、当たってほしくない予感でもあった。
〈フーマ〉『借りを返したってことじゃねぇか?』
〈栄華〉「こんな形でのお返しなんて、どう考えても行きすぎでしょう。苑州と何かしらの同盟を結ぶつもりでも、今の無能な刺史を好きに操る方が何かと都合が良いでしょうに……」
陳珪のあまりもの気前の良さに、一同は逆に不気味がっていた。
〈鎗輔〉「……」
三国の歴史を知る鎗輔は、陳珪が曹操に敵対する人物ではないと知っている。が、それはあくまで彼の世界での歴史。ここでの陳珪がそうだという保証は、どこにもないのだ。
〈季衣〉「ねぇねぇ、香風。ちょっといい?」
〈香風〉「んー」
一方で、季衣が香風に質問する。
〈季衣〉「陳珪って人、確か豫州の沛国の相だよね?」
〈香風〉「そう」
〈季衣〉「何で、他の州の人が苑州の刺史を決められるの?」
〈香風〉「それが……政の闇」
かなり曖昧な表現で、香風は答えた。
〈季衣〉「まつりごとのやみ……」
〈春蘭〉「……秋蘭」
〈秋蘭〉「私にも分からん。豫州の刺史が口添えというならまだしも、一国の相がそこまで力を持てるとも思えんが……」
〈鎗輔〉「陳珪さん、色んなところの人とつながりがあるみたいでしたけど……」
〈華琳〉「朝廷にもあるのでしょうね」
〈華侖〉「じゃあ華琳姉ぇはどうするっすか? 刺史にはならないっすか?」
〈華琳〉「当然、引き受けるに決まっているわ」
〈桂花〉「反対です! せめて、もう少し情報を集めてから……」
〈栄華〉「それに、泰山での綱紀粛正の噂も既に出回っています。今引き受ければ、民草はまだしも他の太守からより多くの反感を買うことに……」
桂花と栄華がすぐ反対の意を示したが、華琳は堂々とはねつけた。
〈華琳〉「反感など、いつ刺史になったとしても起こるものよ。だとしたら、早い方が良いでしょう」
〈桂花〉「それはそうかもしれませんが……!」
〈華琳〉「たとえこの先に陳珪の策が控えていたとしても、食い破れば良いだけ。そこで陳珪の策に潰えるなら、私の器もそこまでということだわ」
華琳にそこまで言われては、桂花も二の句は告げなかった。
〈華琳〉「……さて。他に異論のある者はある?」
〈柳琳〉「……お姉様がそこまでのお覚悟なら」
〈栄華〉「ですわね。わたくしたちの命、既にお預けしていますもの」
〈桂花〉「その策を食い破る策は、私が献じさせていただきます」
〈秋蘭〉「……」
秋蘭までの反応を見て取って、華琳は最後に鎗輔に顔を向けた。
〈華琳〉「……鎗輔たちは?」
〈鎗輔〉「華琳さまが決めたことなら……。ただ、危険なことはなるべくしないで下さい」
〈フーマ〉『俺も変わらず、政治には関わんねぇ。華琳の思うままにやりな』
全員の同意を得て、華琳が決議を下す。
〈華琳〉「桂花、陳珪に遣いを出しなさい。その申し出、慎んで受けさせていただく、とね。……人選は任せるわ」
〈桂花〉「はっ。承知致しました」
〈男〉「……つぅ訳で、陳留太守の曹操さまが、この苑州の刺史になって下さるそうだ!」
〈男〉「おおー! そりゃ何ともめでてぇ話じゃねぇか!」
秋蘭たちが遠征していた泰山郡の街にある料理店にて、二人の市井の男が、華琳が苑州刺史に就任するという話題で盛り上がっていた。
その二人の背後のテーブルでは、一人の青年がスープを啜っている。
〈男〉「曹操さまは実に素晴らしいお方よ。あの人のお陰で、ここの賊のみならず役人どもの不正も一掃。お陰で随分と暮らしやすい街に生まれ変わったなぁ」
〈男〉「全くだ。曹操さまこそが、今の腐り果てた漢の国を生まれ変わらせて下さるお方に違げぇねぇ。あんな聖人のようなお人が、今の世にいらっしゃるとは夢みてぇだ」
〈男〉「はは、あのお方は何たって天に愛された方だからな。あの噂の天の御遣いに選ばれるほどなんだからなぁ」
〈男〉「天の御遣いね。噂はよく聞くが、本当にいるのかい? 御仏の化身なんて」
〈男〉「確かだぜ。名前も聞いたんだ! 少なくとも、この国の人間じゃあねぇ、変わった名前だぜ」
〈男〉「へぇ? どんな名前なんだ」
〈男〉「確か……シノ……シノノーメ、ソースケェとか何とか呼ばれてたって」
その瞬間――背後の青年の、スープをすくっていたレンゲの手が止まり、おもむろに男二人の方へ首が振り返った。
〈男〉「何だよ、うろ覚えじゃねぇか」
〈男〉「はははッ。けど風変わりな名前ってのは間違いねぇだろ?」
そして椅子から立ち上がり、男二人の間に手を伸ばして――チャリンチャリンと硬貨を数枚重ねた。
〈男〉「「ん?」」
怪訝な顔で振り向いた男二人に、青年は告げた。
〈???〉「今の話――おれにも詳しく聞かせてくれ」
青年の腰には、緩い反りがついた剣と鞘――この時代には影も形もないはずの、日本刀が提げられていた――。
陳珪からの申し出を受けた華琳は、その後急かされるように先代から引き継ぎを行い、晴れて正式に苑州刺史に昇任した。そして落ち着いたのを機に、刺史就任の影響でより賑やかになった街の様子を見て回ることとなり、鎗輔は今、庭園で皆が来るのを待っているところであった。
〈フーマ〉『……で、俺はババルウ星人に言ってやったのよ。おめぇは遅すぎだ! ってな』
〈鎗輔〉「へぇ~……」
時間潰しに、フーマから過去の活躍の話を聞いていた鎗輔の元に、春蘭と桂花の二人がやって来た。
〈春蘭〉「何だ東雲、随分早いな」
〈フーマ〉『おう春蘭。待ち合わせの時は、男が先に来るもんだからな』
〈鎗輔〉「二人だけですか? 華琳さまたちは、まだお昼で?」
〈春蘭〉「うむ、食事は済んだのだが……何か髪の纏まりが悪いとかでな。今、柳琳と栄華に整えさせている」
〈鎗輔〉「ああ……あの髪を纏めるのは大変そうですよね」
どうも、女性の支度が遅いのは古今東西で変わりないらしい。
〈桂花〉「……あなた今、化粧や髪型なんて大して変わらない……なんて思ったでしょ」
相も変わらず、言いがかりをつけてくる桂花。
〈鎗輔〉「い、いえ、そんなことは……」
〈春蘭〉「やれやれ。だから男は馬鹿だというのだ。刺史ともなったお方が、だらしない格好で公の前に出てみろ。国はおろか、華琳さまの品格まで疑われてしまうわ」
〈桂花〉「あら、珍しく意見が合ったじゃない」
〈春蘭〉「当然だ」
〈鎗輔〉「いや、そこは国が後なんじゃないですか?」
二人の優先順位の転倒っぷりに汗を垂らす鎗輔だった。
〈フーマ〉『華琳がぼっさぼさ頭で出てきたら、それはそれで面白れぇんだがな』
〈桂花〉「華琳さまがそんなみっともない真似をなさるはずがないでしょ!」
〈フーマ〉『分かってるっての。たとえ話だよ、たとえ話』
〈鎗輔〉「それにしても……本当になりましたね、華琳さまが刺史に。何だか実感がないですけど……」
〈春蘭〉「何だ。何か問題でもあるのか?」
〈鎗輔〉「問題はこれから出てくるんじゃないでしょうか……」
と鎗輔は危惧している。
〈フーマ〉『まぁ、随分と急に昇格したしなぁ。どっから危険が飛び出てくるか、分かったもんじゃねぇ』
〈春蘭〉「危険などあるものか。何かあれば、食い破れば良いだけと華琳さまもおっしゃったであろう」
〈桂花〉「……その食い破る策を考えるのは私なんだけどね」
〈春蘭〉「どうした、華琳さまのお役に立てるのだ。誇らしいことではないか」
〈桂花〉「そこは否定しないけど」
〈鎗輔〉「どっちにしても、出来るなら何事も起きてほしくはないですね……」
〈桂花〉「後は、情報収集に努めるしかないわね。……あまり借りは作りたくないのだけれど、中央の知り合いに当たってみるしかないか」
〈鎗輔〉「桂花さんも、陳珪さんみたいなつながりがあるんですか?」
〈桂花〉「ええ。袁紹のところって、扱いは悪かったけど、中央とのつながりだけはたくさん作れたのよね」
〈鎗輔〉「……前の職場での人間関係を利用するなんて、いいんですか?」
〈華琳〉「別に怒りはしないわよ」
〈華侖〉「お待たせっすー!」
話している内に、華琳が華侖、秋蘭、柳琳、栄華を連れて歩いてきた。
〈華琳〉「なりふりを構っていられるほど、今の私たちに力も余裕もないもの。使えるものは遠慮なく使わせてもらうわよ」
〈フーマ〉『おお華琳。髪の纏まりが悪いとか聞いたけど、今日も決まってんじゃねぇか、そのくるくる』
〈華琳〉「でも、いつもと違うようにしか纏まらなかったのよ。……どう? あなたたちから見て変ではないかしら?」
〈鎗輔〉「いえ、おかしくないです」
〈PAL〉[昨日までの平均値からは逸脱していません]
〈華琳〉「何の平均を計っているのよ……」
〈鎗輔〉「ところで、季衣ちゃんと香風ちゃんは? 一緒じゃなかったんですか?」
キョロキョロ辺りを見回す鎗輔。その二人の姿が、一向に見えない。
〈秋蘭〉「今朝、この辺りで怪しい人物の目撃情報が入ってきたのだ。調査は私と姉者がするから街を見てこいと言ったのだが、聞かなくてな」
〈鎗輔〉「怪しい人物ですか……?」
時期が時期だけに、鎗輔は無意識に身構えた。
〈華琳〉「一人は頭から外套を被った、顔の見えない人物。もう一人は奇妙な形状の剣を佩いた青年だそうよ。どちらも逃げ足が速くて、街の警備では手に負えないみたい」
〈鎗輔〉「……奇妙な形の剣、ですか?」
外套はともかく、妙な証言に怪訝な顔となる。
〈秋蘭〉「どこか異国からの流れ者か何かだろう。稀にそのような人間が、この国に入り込むこともある」
〈華琳〉「その二名の間に関係があるのかは不明だけれど、まぁ季衣たちに任せておいて問題ないでしょう。何かあれば、こちらに報告があるわ」
〈鎗輔〉「ですね。じゃあ、二人にお土産を用意しないといけませんね」
〈春蘭〉「何だ、考えることは同じか……」
〈桂花〉「あんたたち、観光に行く訳じゃないのよ?」
〈鎗輔〉「もちろん、視察はちゃんとやりますよ。その上でなら問題ないですよね? 華琳さま」
〈華琳〉「仕事をちゃんとするならね」
〈春蘭〉「はいっ!」
〈桂花〉「……返事だけにならなければいいけど」
〈フーマ〉『なー、そろそろ出発しようぜぇ? いつまでしゃべってんだよ』
痺れを切らしたフーマが急かす。
〈華琳〉「ふふっ、子供みたいね。まぁそろったのだから出かけましょう。桂花、留守番よろしくお願いね」
〈桂花〉「華琳さまぁ……。何でこれは連れていくのに、私はお留守番なんですかぁ……?」
〈鎗輔〉「人を指で差さないで下さい」
〈華琳〉「……鎗輔には、非常時の判断はまだ出来ないでしょう。それとも、補佐で残した方がいい?」
〈桂花〉「邪魔だと思った瞬間に斬り捨てて良いなら」
〈鎗輔〉「いやちょっと……」
〈フーマ〉『おー、やってみろよこんにゃろ。人間相手でも、無抵抗って訳じゃねぇぞおい』
喧嘩は売られたら買うタイプのフーマが言い返した。
〈柳琳〉「桂花さん、私も残りますから……」
〈桂花〉「はぁ……。柳琳こそ、街に行ってきていいんだけど」
〈華侖〉「そうっすよ。あたしも柳琳と一緒に行きたかったっすー!」
〈柳琳〉「でも、誰かが残らないとでしょ? 今度また、一緒にお買い物に行きましょ、姉さん」
〈華侖〉「約束っすよ!!」
こうして、桂花と柳琳を城に残し、一行は城下の街へと繰り出していった。
大通りを進んでいる途中、道端で三人の少女たちが歌を披露しているのを視界の端に収め、秋蘭が吐息を漏らした。
〈秋蘭〉「ほぅ。旅芸人も来ているのか……」
〈鎗輔〉「そんなに珍しいですか? 前から見かけましたけど」
〈秋蘭〉「芸人自体はさして珍しくはないが、あれは東の方の歌だろう。あちらからの旅人は、ここまでは来なかったからな……」
〈フーマ〉『道中危険だったからか?』
〈秋蘭〉「そういうことだ。商人と違って、街道が安全でなければ連中は寄ってこないからな。そういう意味では、我々の働きが認められたと見ても良いかもしれん」
〈鎗輔〉「なるほど……。苑州中の賊を退治しましたからね」
〈栄華〉「特にあの方たちは女性だけのようですし。道中は煩わしい男どもに絡まれることも多いでしょうから……武芸に相当の自信があるか、よほど安全な道がないと来ないでしょうね」
出会った当初の香風たちを思い出す鎗輔。確かにあれくらいでなければ、法が機能していない土地を渡るのは無理がある。
そう思いながら旅芸人の少女たちを一瞥する鎗輔。生憎ながら、人気はお世辞にも博しているとは言えず、おひねりもほとんど入っていないようであった。
〈華琳〉「まぁ、腕としては並というところね。それより、私たちは旅芸人の演奏を聴きに来た訳ではないのよ?」
〈鎗輔〉「分かってますって。視察、始めましょう」
〈華琳〉「狭い街ではないし、時間もあまりないわ。手分けして見ていきましょうか」
〈春蘭〉「では、わたしは華琳さまと……」
すぐ名乗り出た春蘭だったが、
〈華琳〉「鎗輔は私についてきなさい」
〈春蘭〉「な、何だと東雲! ずるいぞ!」
〈鎗輔〉「何でぼくなんですか!?」
〈秋蘭〉「……あきらめろ、姉者。我々は自分の身くらい守れるだろう?」
〈春蘭〉「……うぅ。そういうことか……。東雲」
〈鎗輔〉「何ですか」
〈春蘭〉「貴様の腕っ節の弱さが、たまに羨ましくなる。どうしたらそんなに弱くなれるのだ?」
〈PAL〉[年中、部屋に閉じこもって運動しなければ、筋肉量も落ちます]
〈栄華〉「……何とも不健康ですこと」
〈鎗輔〉「PALッ! 恨みでもあるの!?」
〈PAL〉[そんな概念は持たないことは、一番分かっているでしょう]
〈フーマ〉『PALって時々、容赦ねぇよな』
〈華侖〉「春姉ぇはあたしと一緒に行くっすー!」
〈春蘭〉「やれやれ。仕方ないか」
華侖の申し出に待ったを掛けるのは栄華。
〈栄華〉「ちょっと。春蘭さんと華侖さんを一緒にしては、終わる視察も終わらなくなってしまいますわよ?」
〈秋蘭〉「なら、華侖は私と一緒に来い」
〈栄華〉「……わたくしは春蘭さんですの?」
〈華琳〉「嫌なら鎗輔を連れていく?」
〈栄華〉「うぅぅ……男ではない分、まだ春蘭さんの方がマシですわ」
〈春蘭〉「むぅ、栄華。東雲と比べられても嬉しくないぞ」
〈鎗輔〉「……どうしてこう、ぼくへの風当たりがきついのか……」
〈華琳〉「ならそれでいいわね。では、後で突き当たりの門のところで落ち合いましょう」
六人はそれぞれ三手に別れ、鎗輔は華琳とともに街の中央部を視察することとなった。
さて、別れた後の華琳と鎗輔だが、華琳の先導によって大通りには行かず、真っ先に裏通りに入っていた。
〈鎗輔〉「大通りは見て回らないんですか?」
〈華琳〉「後でいいのよ。大きなところの意見は、黙っていても集まるのだから」
〈鎗輔〉「なるほど……」
〈華琳〉「それより鎗輔。……この辺りを見て、あなたはどう思う?」
〈鎗輔〉「え?」
問われた鎗輔がゆっくりと裏通りの様子を見回す。
〈鎗輔〉「……この辺りは、食料店や料理店が固まってますね。ただ、調理器具を取り扱う鍛冶屋が近くにない。あれば経営者側も便利だろうにと、この前街を回った時に思いましたが……」
〈華琳〉「そうね。鍛冶屋は三つ向こうの通りに行かないと無いわ」
〈鎗輔〉「そうなんですよ。そっちには逆に食事するところが……え?」
しゃべっている途中で、はたと止まって華琳に振り向いた。
〈鎗輔〉「……何でそんな詳しく知ってるんですか?」
〈華琳〉「そのくらいは街の地図を見れば分かるもの」
〈鎗輔〉「そうじゃなくて……都市のことは、計画を担当してる人に任せればいいんじゃ。もう刺史にまでなったんですから……」
〈華琳〉「刺史になったからこそよ。街の空気は地図や報告書だけでは実感できないでしょう。たまにはこうして自分の目で確かめておかないと、住民たちの意にそぐわない指示を出してしまいかねないわ」
そう語る華琳の横顔を――鎗輔は、まじまじと見つめていた。
〈華琳〉「……ああいう光景も、執務室で座っているだけでは分からないもの」
〈???〉「はい、寄ってらっしゃい見てらっしゃーい!」
華琳が目で指した、道端の露店の呼び込みの声に、鎗輔は現実に引き戻された。
〈鎗輔〉「……何だあれは」
竹籠を取り扱っている露天商の少女の方を見やって、ひと言つぶやく。少女は香風のように、上半身が縞模様の胸当て一枚という過激な格好だ。それでいて、胸のサイズは香風などとは段違いなので、それに目を奪われている男も少なくない。
〈フーマ〉『すっげぇカッコだな。あれも客引きの一環か? 身体張ってんな』
〈鎗輔〉「いや、そっちじゃなくて、その脇の方」
鎗輔が注目しているのは、少女の脇に置かれている、木製の箱型の物体であった。四角い枠の中に、木や金属で出来た歯車が詰め込まれている。
〈鎗輔〉「……歯車……」
〈華琳〉「あら。鎗輔は歯車は珍しい? てっきり見慣れているものだと思ったけれど」
〈鎗輔〉「いや見慣れてはいますけど……まさかこんなところで目に掛かるなんて……」
歯車の歴史は意外と古く、紀元前のギリシャ、ローマを中心とした文明で既に実用化されていた。中国においても、後漢時代に作られた指南車に歯車が使用されていたと読んだことがあるが、まさか道端の露天商が所有している物体に組み込まれているなどとは、思いもしていなかった。
〈フーマ〉『思ったよりも、技術進歩してんだな』
〈鎗輔〉「うん。まぁ歯車はいいとして……あれは何の装置なんだろう?」
〈華琳〉「……さぁ?」
〈???〉「おお、そこのお二方、何ともお目が高い!」
鎗輔たちが装置に着目していることに気づいた露天商の少女が、意気揚々と装置を紹介する。
〈???〉「こいつはウチが発明した、全自動籠編み装置や!」
〈鎗輔〉「全自動……」
〈華琳〉「籠編み装置……?」
全自動という言葉と、少女が何故か関西弁なことに目を見張る鎗輔。この世界での方言が、そういう風に聞こえるのだろうか。
〈???〉「せや! このカラクリの底にこう、竹を細ぅ切った材料をぐるーっと一周突っ込んでやな……そこの兄さん、こっちの取っ手を持って!」
〈鎗輔〉「う、うん」
〈???〉「でな。こうやって、ぐるぐるーっと」
言われた通りにハンドルを回すと――竹の薄板が装置に吸い込まれていき、やがて上部から籠の側面の形になって出てきた。
〈???〉「ほら、こうやって、竹籠の周りが簡単に組めるんよ!」
〈鎗輔〉「お……おおッ! すごいッ! これ、自分一人で作ったの!?」
〈???〉「おおおっ!? 兄さん、これのすごさを分かってくれるんか! 嬉しいわ~! ウチの村のみんな、また変な物作ってとか言うて、全然認めてくれへんのや!」
どう見ても手動という点には目をつむって、この装置を作り上げた少女の手腕に感服する鎗輔。一方で、華琳は冷静に突っ込む。
〈華琳〉「……底と枠の部分はどうするの?」
〈???〉「あ、そこは手動です」
〈華琳〉「そう……。まぁ、便利と言えば、便利ね」
〈鎗輔〉「いやでも、これは実に素晴らしい一品ですよ! 技術の革新って、人からは些細なことのように思えることでも、不可能を可能にするところから始まるものですから……」
自身も技術者であるので熱く語る鎗輔は、もう一度試そうとハンドルをぐるぐる回していく。
が、
〈???〉「あ、ちょ! お兄さん、危ないっ!」
〈鎗輔〉「え?」
ボォンッ!!
いきなり、装置がハンドルだけ残して爆発!
〈鎗輔〉「でぇッ!?」
〈華琳〉「ちょっと大丈夫? 鎗輔」
〈鎗輔〉「ば、ば……爆発した……!?」
幸い、外傷はなかったが、目の前で装置が爆発四散したことに鎗輔は口をパクパクさせている。
〈???〉「まだそれ、試作品やねん。普通に作ると、竹のしなりにこう、強度が追いつかんでなぁ……こうやって、爆発してまうんよ」
さも当たり前のように言う少女に、詰め寄るように突っ込む鎗輔。
〈鎗輔〉「いやいやいやいやッ! 弾け飛ぶならまだしも、何で爆発性の素材を一切使ってない物が煙上げて吹っ飛ぶのッ! 中国で爆発しないのは火薬だけと言われるようになるのは千年以上も後のことのはずだッ!!」
〈???〉「何言うてんの! こういう時は爆発するもんやろ!」
〈鎗輔〉「紀元二世紀の人間が何を!!?」
〈華琳〉「少し落ち着きなさい、鎗輔……。ならここに並んでいる籠は、この装置で作ったものではないの?」
鎗輔をグイと引っ張った華琳が、本来の商品を指して尋ねる。
〈???〉「ああ、村のみんなの手作りや」
〈華琳〉「……」
〈鎗輔〉「……」
〈???〉「なぁ、お兄さん」
〈鎗輔〉「……何」
〈???〉「せっかくのカラクリを壊したんやから、一個くらい買うていってぇな」
〈鎗輔〉「……」
とんだ押し売りに捕まってしまったようだった。
〈華琳〉「……一つくらいなら、買っておあげなさい。鎗輔」
〈鎗輔〉「マジすか……」
かくして鎗輔は、別に欲しくもない竹籠を購入する羽目になってしまった。