クカラッチ星人を捕縛した翌日、柳琳の執務室へ向かう途中の鎗輔にフーマが尋ねかける。
〈フーマ〉『鎗輔、今日は柳琳に何の用だ?』
〈鎗輔〉「うん。今日は思ったよりも早く仕事片づいたし、この前の食事のお礼を言いに行こうと思って。あれからドタバタしてて、まだちゃんとお礼してないからさ」
〈フーマ〉『ああ……ぶっ倒れたからな、お前』
〈鎗輔〉「……それは思い出させないで。でも、華侖ちゃんにもお礼を言わないとね」
〈フーマ〉『本気かよ? また作ってあげるっすーとか言われたらどうすんだ?』
〈鎗輔〉「……そこは、上手いこと言ってはぐらかす方向で」
と話しながら、執務室の前に到着。三回ノックして訪問を知らせる。
〈柳琳〉「はい」
〈鎗輔〉「ぼくだよ、鎗輔。今は入って大丈夫?」
〈柳琳〉「あ、はい……申し訳ございません、中で少々お待ちいただけるでしょうか?」
〈鎗輔〉「……都合が悪いなら、後にするけど」
〈柳琳〉「いいえ。どうぞ、お入りになって下さい」
どうも忙しそうな様子だが、当人に促されて、鎗輔はおずおずと入室した。
〈鎗輔〉「お邪魔します……」
中には柳琳だけではなく、秋蘭の姿もあった。
〈秋蘭〉「ああ、東雲」
〈鎗輔〉「秋蘭さん。柳琳ちゃんと相談事の最中でしたか?」
〈秋蘭〉「いや、ちょうど終わったところだ」
〈柳琳〉「はい。それでは秋蘭さま、委細承知しましたので」
〈秋蘭〉「ふむ、よろしく頼んだ。ではな、東雲」
〈鎗輔〉「はい、また」
秋蘭が退室してから、柳琳に問いかける鎗輔。
〈鎗輔〉「何の話をしてたの?」
〈柳琳〉「はい。新たな砦を築くにあたって、人手が足りないそうでしたので。他に、石や木材も……」
〈フーマ〉『そういうの、秋蘭がやるんじゃねぇのか?』
〈柳琳〉「秋蘭さまは縄張を任されていますから。細かい部分は私の方で」
〈フーマ〉『なるほどねぇ』
〈柳琳〉「それで……鎗輔さん? 何か御用でしょうか」
〈鎗輔〉「ああ、それなんだけど……」
言いかけたところで、桂花が外から駆け込んできた。
〈桂花〉「ちょっと柳琳」
〈柳琳〉「あら、桂花さん。どうしたんですか?」
〈フーマ〉『よぉ桂花』
〈桂花〉「げっ、東雲! 何であんたがここにいるの?」
〈鎗輔〉「柳琳ちゃんに用があるからですけど……」
〈桂花〉「どうせ下らない用なんでしょ? 部屋が陰気くさいから、はい、外出て。シッ、シッ」
〈柳琳〉「桂花さん。鎗輔さんに失礼よ?」
〈桂花〉「こんな奴に礼も何もないわよ。毎日、華琳さまのことを下品な目でジロジロ見て……この万年発情犬」
〈フーマ〉『相変わらず口の悪りぃ奴だぜ』
〈柳琳〉「もう、桂花さん」
桂花の理不尽な態度も、もう慣れたもの。
〈桂花〉「まぁいいわ。そんなことよりこの城の書庫、もう少しどうにか出来ない訳?」
〈柳琳〉「え……どうにか?」
〈桂花〉「軍記物も風土記もごちゃ混ぜに置いてるし。それに狭い、暗い、カビ臭い。棚の数も全然足りない」
〈柳琳〉「そ、そんなに?」
〈桂花〉「とにかく狭いし、ごちゃごちゃし過ぎなの」
〈柳琳〉「そうねぇ……お姉様は大変、書を好まれるから。いくら書庫を拡張しても、すぐに狭くなってしまうのよね」
〈桂花〉「それを何とかするのが柳琳の務めでしょ」
〈柳琳〉「え、ええ」
〈桂花〉「あんな狭いところじゃ、策も何も生まれないわ。早く解決しないと、華琳さまの頭脳が錆びついても知らないわよ? どうにかしてね」
さりげなく自尊して、桂花は嵐のように去っていった。
〈フーマ〉『高慢な奴だぜ。あんなきつい言い方しなくたっていいだろうになぁ』
〈鎗輔〉「書庫の管理まで、柳琳ちゃんの仕事?」
〈柳琳〉「そうですね。書の管理は私が一任されていますので」
〈フーマ〉『気づいた奴がやりゃいいのに』
〈柳琳〉「いいえ。桂花さんには、もっと他に大切なお役目がありますから」
そう返す柳琳が、鎗輔に頭を下げる。
〈柳琳〉「あの……申し訳ございません」
〈鎗輔〉「え……何が?」
〈柳琳〉「桂花さんのあの態度です。鎗輔さんに、いつもいつも……私からも厳重に、後で注意しておきますね?」
〈鎗輔〉「い、いいよそんなの」
〈フーマ〉『ありゃもうどうしようもねぇだろ』
遠慮した鎗輔が、こちらの話を切り出そうとする。
〈鎗輔〉「それよりも、柳琳ちゃん。この間のことだけど……」
〈華琳〉「柳琳。いいかしら?」
〈柳琳〉「あっ、これはお姉様」
今度は華琳によってさえぎられた。
〈鎗輔〉「……」
〈柳琳〉「あら、鎗輔もいたのね。どうしたの? そんな顔をして」
〈鎗輔〉「……いえ」
その後も、将軍たちが入れ替わり立ち替わり柳琳を訪問してきて、話を切り出すチャンスは一向に訪れなかった。
ようやくお礼を告げることが出来た時には、すっかり日が傾いていた。
〈柳琳〉「まぁ、鎗輔さん。わざわざそれを私へ伝えに……?」
〈鎗輔〉「うん。生憎、お返しできるような品が手元にないんだけど……」
〈フーマ〉『金欠だからな』
申し訳なさそうな鎗輔に、柳琳は謙虚に断る。
〈柳琳〉「お礼なんて結構です。鎗輔さんに喜んでいただけたのが、私にとって何よりの喜びですから」
〈フーマ〉『おい聞いたか鎗輔。ほとんど告白だぜこりゃ』
〈柳琳〉「えっ!? い、いえそんな……そんなつもりでは……」
フーマのひと言に一気に恥ずかしがる柳琳だが、鎗輔の方はフーマに眉をひそめるばかりだった。
〈鎗輔〉「だから、柳琳ちゃんをいちいちからかわないの。でも、柳琳ちゃんもあまり思わせぶりなことは言わない方がいいよ。ぼくだからいいけど、そういうの誤解する人は多いし」
〈柳琳〉「……誤解では、ないのですけれど……」
小声のぼやきは、鎗輔には聞こえていなかった。
〈鎗輔〉「それにしても、柳琳ちゃんに相談を持ち込む人って多いね」
〈フーマ〉『こうも働き詰めじゃ、ストレスも半端ないんじゃねぇか?』
〈柳琳〉「すとれす?」
フーマのつぶやいた単語について説明する鎗輔。
〈鎗輔〉「心労のことだよ。疲労は身体だけじゃなくて、精神にも溜まるものなんだ。柳琳ちゃんは、大丈夫かなという心配なんだけど……」
〈柳琳〉「ふふふ、心配ご無用です。心労なんて少しも溜まっていませんので」
〈鎗輔〉「本当に?」
〈フーマ〉『我慢してるんじゃないだろうな?』
〈柳琳〉「はい。大丈夫です」
気遣う鎗輔たちに、にっこりと微笑み掛ける柳琳。
〈鎗輔〉「ならいいけど……。柳琳ちゃんの仕事もいくらか代わってあげられたらいいんだけど、流石に相談の相手は、まだここの勝手をよく知らないぼくには難しいからなぁ……」
〈フーマ〉『代わりに、気晴らしにでも連れてってやったらどうだ?』
〈柳琳〉「……えっ!?」
フーマの提案に、柳琳は大袈裟に驚いた。
〈鎗輔〉「どうしたの?」
〈柳琳〉「ああぁ、あ、いえっ! あの、その、あまりにも……意外なお言葉でしたから……っ!」
〈鎗輔〉「……?」
真っ赤になる柳琳の様子の理由が、鎗輔には分かっていないようであった。フーマは密かにため息。
〈フーマ〉『……じゃあまぁ早速今晩、どっか食べに行けば?』
〈柳琳〉「そ、鎗輔さんとご飯を……!?」
〈鎗輔〉「……嫌ならいいんだよ。無理にぼくにつき合うことはないし」
〈柳琳〉「い、嫌だなんてことは……! そ、その……」
柳琳がもじもじして返事をためらっている内に、また扉が外から開かれた。
〈華侖〉「柳琳!!」
〈柳琳〉「きゃあ!?」
〈鎗輔〉「わッ!」
〈華侖〉「おっ、鎗輔っち」
飛び込んできたのは華侖であった。
〈柳琳〉「も、もう、姉さん。扉はもっと静かに開けてって言ってるでしょう?」
〈華侖〉「柳琳、晩御飯食べに行くっすよ!」
〈柳琳〉「聞いてない……」
〈鎗輔〉「華侖ちゃんも誘いに来たんだ。ぼくたちもちょうど、その話をしてたところなんだ」
〈柳琳〉「えっ……」
鎗輔の言動に、フーマはまたもため息を吐いていた。
〈華侖〉「鎗輔っちも一緒っすか。いいっすねー、あたしまた美味しい店を見つけたっすよ」
〈鎗輔〉「じゃあみんなで行こうか。柳琳ちゃんも、仕事はもう終わりでしょ?」
〈柳琳〉「あ、あの……」
柳琳はためらい気味に、首を横に振った。
〈柳琳〉「私のことはお気になさらず、どうかお二人で行って下さい」
〈華侖〉「柳琳、行かないっすか?」
〈柳琳〉「ごめんね、まだ仕事が残ってるの」
〈鎗輔〉「そうだったの? じゃあ、邪魔してたかな……」
〈柳琳〉「い、いえ、お気になさらず……」
〈華侖〉「じゃあ、鎗輔っちと行ってくるっす」
〈柳琳〉「ええ、行ってらっしゃい。鎗輔さん、姉のことをよろしくお願い致します」
〈鎗輔〉「うん。お仕事、手伝ってほしい時はいつでも言ってね」
〈柳琳〉「ありがとうございます」
華侖と連れ立って部屋の外に出たところで、フーマが呆れ返って鎗輔に呼び掛ける。
〈フーマ〉『鎗輔、お前って奴はなぁ~……』
〈鎗輔〉「えッ、何が?」
〈フーマ〉『いやいい。自分で気づけ』
〈鎗輔〉「……?」
〈華侖〉「何の話ししてるっすかー?」
陳留の城の地下牢。椅子に縛りつけられたままのティボラが、どうにか脱獄しようとモゾモゾ身動きしていた。
〈ティボラ〉『ちくしょう、ウルトラマンどもめ……! このまんまじゃ済まさねぇからな……!』
そこに――虚空から響く謎の声。
『ほお……まだ挑む気概があるようだな……』
〈ティボラ〉『だ、誰だ!?』
顔を上げると――天井を覆う闇の中に、赫い双眸がギラギラと浮かんでいる。
『結構……それならば、もう一度だけチャンスをくれてやろう……』
〈ティボラ〉『な、何だお前!? ……まさか、ウルトラマン抹殺の依頼主……?』
闇に浮かぶ眼が一瞬閃光を発すると、ティボラを縛っている縄が瞬時に千切れた。
〈ティボラ〉『おおッ!?』
『さぁ行け……駒はこちらで用意してやろう……。今度は見事、やり遂げてみせろ……』
闇の眼は、おどろおどろしい声でティボラを焚きつけた。
華侖とともに街へ出た鎗輔は、彼女に連れられてある料理店に入っていった。
〈華侖〉「こんにちはっすー!!」
〈店主〉「いらっしゃいませ!」
〈鎗輔〉「ここか。新しく見つけたお店って」
入店した華侖は、グルリと店内を一望して、急に大声を発した。
〈華侖〉「あ――――――――――――――――!!」
〈鎗輔〉「ど、どうしたの?」
〈華侖〉「春姉ぇ! 季衣!」
華侖の視線の先のテーブルには、春蘭と季衣の二人の姿があった。
〈季衣〉「あっ、華侖さま」
〈春蘭〉「で、でかい声で名前を呼ぶな!」
華侖の声に反応して、周りの客がざわつく。
〈客〉「何だ……?」
〈客〉「おい、曹仁様だぞ?」
〈客〉「夏侯惇様も……」
〈春蘭〉「ほれ見ろ」
深い息を吐き出す春蘭に、鎗輔も苦笑い。
そして鎗輔たちは春蘭、季衣と相席。
〈鎗輔〉「奇遇ですね、こんなところで」
〈春蘭〉「ああ。わたしも巡回から戻る途中、偶然、そこで季衣と会ってな」
〈季衣〉「兄ちゃんたちは?」
〈鎗輔〉「華侖ちゃんが、ここのお店が美味しいって誘ってくれてね」
〈華侖〉「はむぅ、あぐっ……この餃子、ほんと美味しいっす! 店のおじさーん、あと三人前下さいっす!」
〈春蘭〉「わたしも三人前もらおうか」
〈季衣〉「ボクには五人前!」
〈鎗輔〉「み、みんな、よく食べるなぁ……」
引きつった笑みを浮かべた鎗輔が、ふと柳琳のことを思い出した。
〈鎗輔〉「せっかくなんだから、柳琳ちゃんも来られたら良かったのにな」
〈華侖〉「そうっす。柳琳にも、この餃子を食べさせてあげたかったっす」
〈春蘭〉「柳琳は城にいるのか?」
〈鎗輔〉「はい。誘ったんですけど、まだ仕事があると」
〈季衣〉「もう夜なのに、まだ働いてるんだ。柳琳さまって真面目だよねー」
〈春蘭〉「あれは真面目過ぎだ。姉はこれなのにな」
〈華侖〉「へ?」
〈鎗輔〉「華侖ちゃん。口が餃子まみれだよ……」
ハンカチで拭いてあげる鎗輔。その様子に、季衣がおかしそうに噴き出す。
〈季衣〉「あはは! 華侖さまと柳琳さまって、姉妹なのにちっとも似てないもんねー」
〈春蘭〉「うむ」
〈華侖〉「そうっすか?」
季衣と春蘭はそう言うが、鎗輔は、根っこは似ていると感じた。和食を作ろうという考えが同時に浮かんでいたことなどはその証左だろう。
やがて食事が進むと、酒を飲んでいる春蘭の顔に朱が差していく。
〈春蘭〉「んっ、ぐ……ごくっ……ぷはーっ……」
〈PAL〉[春蘭、飲酒はほどほどに]
〈フーマ〉『ちょっと飲み過ぎじゃねぇか?』
〈春蘭〉「ああ? やかましい!」
明らかに酔いが回っている春蘭が怒鳴る。
〈春蘭〉「わたしは怒っているのだ」
〈季衣〉「? 春蘭さま、何を怒っているんですか?」
〈春蘭〉「こら、華侖!」
〈華侖〉「え? はいっす」
春蘭は急に、華侖のことをキッとにらみつけた。
〈春蘭〉「はいではない! いいか華侖、お前も曹一門、華琳さまの親戚なのだ。もっとしっかりせんといかん!」
〈フーマ〉『親戚のおっちゃんみてぇだな……』
〈鎗輔〉「実際、血縁ではあるけどね」
管が回る春蘭に肩をすくめる鎗輔たち。
しかしやはり、華侖は周りからも、そういう風に見られているというのが分かった。酔った時には、本音が出るものだ。
〈春蘭〉「妹の柳琳を見ろ。曹一門の名に相応しい、見事な将ではないかっ」
〈華侖〉「はい、その通りっす。柳琳は何でも出来るっす、ほんと尊敬してるっす」
〈季衣〉「尊敬してるんですねー」
〈春蘭〉「尊敬してるなら、もっと妹を見習え」
〈華侖〉「でも、あたしはあたしっすから」
〈季衣〉「あははっ、華侖さまはそうですよねー」
〈春蘭〉「いいや、それでは駄目だ! このわたしのように妹から尊敬され、畏れられる姉とならねばいかんのだ!」
鎗輔は、あえて何も言わなかった。
〈華侖〉「柳琳はあたしを尊敬してないっすか?」
〈春蘭〉「お前のどこを尊敬するのだ。妹の方があらゆる面で姉に勝っているではないか」
〈季衣〉「い、言いすぎですって……」
〈鎗輔〉「春蘭さん、ちょっと落ち着いて……」
〈華侖〉「でも、あたしの方が大食いっすよ! あと、走るのも全然速いっす!」
〈春蘭〉「そんなのが自慢できることか!」
〈華侖〉「そうなんすか? けど、何でもいいっす。柳琳とは仲良しっすから、それだけで十分っす。……むぐ、はぐっ、餃子美味しい!」
〈春蘭〉「こら華侖! 人の話を聞いているのか!」
〈季衣〉「あはは……華侖さまって、何を言われても本当に堪えないね……」
〈鎗輔〉「ははは……」
苦笑する鎗輔。一度、報告書をほっぽり出したのを叱った時は反省したが、生き方を改めた訳ではない。少しでもいいから、柳琳の気苦労を理解してほしいとは思うところだが……。
〈季衣〉「ねーねー、兄ちゃん。ところでさ……」
〈鎗輔〉「どうしたの?」
不意に話題を転換する季衣。
〈季衣〉「妖怪の噂、知ってる?」
〈鎗輔〉「妖怪……?」
〈春蘭〉「んん……妖怪だとぉ?」
〈華侖〉「妖怪が出たっすか!?」
〈季衣〉「はい。木こりから聞いたんですけど、近くの山に最近、妖怪が出るようになったんです」
〈華侖〉「へー、それってどんな妖怪っすか?」
〈季衣〉「何でも、夜中に恐ろしい声を上げて、木を薙ぎ倒したり、何かの呪文みたいなのを延々と唱えたり……」
〈鎗輔〉「……それも怪獣なのかな?」
〈フーマ〉『それだけじゃ、何とも言えねぇなぁ』
〈季衣〉「他にも、泰山で鬼を見たという人もいますよ。頭に角を生やしてて、変な形の片刃剣を携えてたとか」
〈春蘭〉「ふん、何が鬼か。鬼ならもうここにおるわ」
賊たちから鬼と恐れられる春蘭が自慢げに胸を張った。
〈鎗輔〉「そういうことじゃないでしょう……」
〈華侖〉「妖怪、見てみたいっす! それ、どこに行けば会えるっすか?」
〈季衣〉「あはは、だから噂ですよー。ボクも詳しくは知らないから……」
〈春蘭〉「よーし、分かった! わたしに任せろ!」
突然、春蘭が机を叩いて立ち上がる。
〈華侖〉「春姉ぇ、どうしたっすか?」
〈春蘭〉「こんな時代だからな。これより妖怪退治に参る! 季衣、華侖! 伴をいたせ!」
〈季衣〉「ええぇっ……こ、これからですか!?」
〈春蘭〉「おう!」
酒臭い息をまく春蘭。相当酔っているようだ。
〈華侖〉「妖怪に会えるっすね! 行くっす、今すぐ出発っす!」
〈鎗輔〉「ま、待って下さいよ、春蘭さん。いるかどうかすら定かじゃないのに……」
〈春蘭〉「たわけ! この夏侯元譲が、たかが妖怪一匹に恐れをなすと思っているのか!」
〈鎗輔〉「だから……どこ探すつもりなんですか……」
〈フーマ〉『まともに相手すんなよ……完全に酔っ払いだぜ』
呆れ果てるフーマ。
〈春蘭〉「刀の錆にしてくれようぞ!」
〈鎗輔〉「わぁッ! 店内で抜かないで! 季衣ちゃん、手伝って!」
〈季衣〉「う、うん! ほら駄目ですよ、春蘭さま……!」
〈華侖〉「あははっ、春姉ぇ、ベロベロっすよねー」
〈春蘭〉「だ、誰がぁ……はぁ……ひっくっ」
もう足下もおぼつかない春蘭を、鎗輔と季衣で席に戻した。
〈春蘭〉「ふ~……されど、放ってはおけんだろう?」
〈鎗輔〉「何でそんなに気にするんですか?」
〈季衣〉「ボク、余計なことを言いましたね……春蘭さま、あくまでただの噂だと思いますからー」
〈春蘭〉「ひっくっ……そうだ、噂という奴は実に性質が悪いのだ」
〈華侖〉「どう、性質が悪いっすか?」
〈春蘭〉「考えてもみろ? 都そばに妖が棲みついたとなったら、敵する者どもは喜んで、その噂を広めるだろう。悪しき行いが、悪しきものを呼んでいると」
春蘭の言うことに、フーマが得心する。
〈フーマ〉『なるほど。天の御遣いの噂の反対ってことだな』
〈春蘭〉「そうだ。この陳留にも、曹軍にとっても風評はよろしくない。華琳さまのお名前にも累が及ぶかもしれん。だから、わたしは捨て置けんと申しているのだ……」
鎗輔らが納得していると、華侖もまたうなずいていた。
〈華侖〉「よく分かったっす! とにかく妖怪が出ると、みんなが困るっすね? あたしが退治してくるっす!」
〈春蘭〉「おう、行くか!」
華侖に釣られて再び立ち上がる春蘭。それを止めようとする鎗輔。
〈鎗輔〉「いや、だからそう逸らないで……!」
〈春蘭〉「妖怪退治にいざ……! おととっ……!」
〈華侖〉「春姉ぇ、まっすぐ歩いてっす」
〈春蘭〉「何の……ひっくっ……これしきの酒で……」
〈華侖〉「妖怪は山に出るっすよね? とりあえず春姉ぇと、探しに行ってみるっす!」
〈鎗輔〉「いやいや、夜中に山に入るのは危険だから……!」
〈季衣〉「兄ちゃん、大丈夫だよ。春蘭さま、あれだけお酒が入ってたら、あと少しで潰れちゃうから」
〈鎗輔〉「でも、こんな状態で外歩かせるのは……ああ、待って!」
季衣は大して気に留めていないが、鎗輔は気を揉んで、千鳥足で華侖とともに店の外に出ていく春蘭を止めようとする。
〈鎗輔〉「せめて、もっと準備をしてからにしましょうよ! 真っ暗の中で、何の手掛かりもなく探したって見つかるはずが……!」
〈春蘭〉「ええい、邪魔だぞ東雲ぇ!」
〈華侖〉「あたしたち、じっとしてられないっすよー!」
二人の前に回り込んで、店内に戻そうと説得する鎗輔。
その背後の空間が、不気味に渦巻いた。
〈フーマ〉『そ、鎗輔ッ!』
〈鎗輔〉「え?」
ギョッとした春蘭たちの様子で、後ろに振り返った鎗輔の身体に――渦から伸びたおぞましい質感の触手が巻きつく。
そのまま息を吐かせぬ間に、鎗輔を渦の中へと引きずり込む!
〈鎗輔〉「わああぁぁぁぁぁぁぁ――――――――!?」
〈華侖〉「鎗輔っちぃっ!!?」
〈春蘭〉「東雲!! よ、妖怪かっ!!」
春蘭が咄嗟に剣を抜いて渦に斬りかかっていったが、渦は瞬時に消え、剣は空振りした。
〈華侖〉「そ、鎗輔っちが妖怪にさらわれたっすー!?」
華侖の叫び声に、季衣も異常事態に気がついて慌てて駆けつけてきた。
〈???〉「……!!」
建物の陰から、店の外に出た鎗輔が触手に異空間へ引き込まれたところを目撃した人影が、驚愕したように身を乗り出しかけていた。
その腰には、鞘に納められた日本刀が挿してあった――。