陳留の街中で、派手な喧嘩をしていた男たちが、駆けつけた警備兵のさすまたによって地面に抑えつけられた。
〈男〉「ぐええッ! 何すんだよぉッ!」
〈警備兵〉「暴れるな! 大人しくしろッ!」
〈警備兵〉「東雲さま! 捕まえました!」
騒ぎを起こす者たちを取り締まる警備兵たちを指揮しているのは――鎗輔であった。
〈鎗輔〉「その人たちもとりあえず、牢へ。皆さん、ご苦労様です」
〈警備兵〉「……東雲さま、我々相手に畏まらないで下さい。たとえ仮にでも、私たちはあなたの部下です」
〈鎗輔〉「……そ、そう……? どうもこういうのって、慣れなくて……みんな、ぼくより年上ばかりだし……」
〈フーマ〉『そんなモジモジしてたら、いつまで経っても威厳は身に着かねぇぞ』
頭をかく鎗輔を、フーマが茶化した。
彼らの考案した治安維持計画が実施され、警備隊の労働環境は少しずつ改善されてきている。だが、街が平和になり、人が集まるようになると、大小様々な揉め事も増えるのは世の中の常。警備隊の仕事はむしろ増加傾向にある。
そこで、警備隊の陣頭指揮役に、責任者である鎗輔が臨時としてだが任命された。計画考案だけでなく、現場での大役まで任されることに、流石に初めは渋った鎗輔だが、結局は押し切られた。
予想以上の多忙ぶりにてんてこ舞いながらも励んでいると、背後から声を掛けられる。
〈春蘭〉「ほほぅ。なかなか努力しているようではないか」
〈季衣〉「やっほー。兄ちゃーん」
春蘭、季衣、秋蘭の三人である。
〈鎗輔〉「あれ、どうしたんですか。三人そろって」
〈秋蘭〉「ああ。皆で昼を食べに来ていたのだ」
〈鎗輔〉「もうそんな時間でしたか……」
時間も忘れて働いていたことに気がつく鎗輔。顔を上げれば、太陽はほぼ頭上だ。
〈季衣〉「美味しかったよー! はむっ」
食後のはずだが、季衣は紙袋にパンパンの饅頭をぱくついている。相変わらずの大食っぷりに、引きつった笑いが出る鎗輔。
〈鎗輔〉「何食べてきたんですか?」
〈春蘭〉「……」
〈鎗輔〉「春蘭さん?」
〈春蘭〉「美味かったと言っているだろう」
〈鎗輔〉「季衣ちゃん」
〈春蘭〉「わたしに聞かんのか!」
〈鎗輔〉「じゃあ答えて下さいよ」
〈春蘭〉「だから、美味かったと!」
〈季衣〉「えっとね。酢豚と、肉団子に甘い餡を掛けたのと、春巻き!」
〈春蘭〉「そう、それだ!」
鎗輔は春蘭へ、ひどく心配した視線を送った。
〈鎗輔〉「春蘭さん……嫌味とかじゃなく、真剣に医者に診てもらいましょう……。あなたには若年性認知症の疑いがあります……」
〈フーマ〉『さっき食べたもんを忘れたって、相当やべぇぞ……』
〈春蘭〉「やめろっ! わたしを病気扱いするな、たわけどもがぁっ!」
〈秋蘭〉「案ずるな。姉者は真に重要なことは覚えられる。それ以外が入らない程度の容量の脳なだけだ」
〈春蘭〉「ほら、秋蘭もこう言っているだろう!」
〈季衣〉「春蘭さま……褒められてませんよ」
〈春蘭〉「何ぃっ!?」
春蘭のことは置いておいて、季衣が鎗輔に尋ねかける。
〈季衣〉「兄ちゃんは何も食べてないの? お腹空いてたら、戦えないよ?」
〈鎗輔〉「大丈夫。ぼくもこれから食事にするから」
〈フーマ〉『季衣、この辺におススメの店とかないか? 結構食べ歩いてんだろ?』
〈季衣〉「そうだなぁ……今日はどうするの? 兄ちゃん、何が食べたい気分?」
〈鎗輔〉「今日は昼からも外回りだから、しっかり食べておきたいけれど」
〈秋蘭〉「予算はどのくらいだ?」
〈鎗輔〉「一食分で、このくらいですね……」
金額を提示された季衣が、いやに真剣な顔で思い悩む。
〈季衣〉「……兄ちゃん、それで足りる?」
〈鎗輔〉「えッ、そんなに少ない? いつもは十分お釣りが出る程度だけど」
〈季衣〉「だって、お饅頭買ったら、終わっちゃわない? すぐお腹空いちゃうよ?」
〈鎗輔〉「……季衣ちゃん基準で計算しないで」
〈季衣〉「そっか。うーん……兄ちゃんだと、何がいいかなぁ」
〈春蘭〉「東雲のことなど、適当にしておけば良いぞ。ほれ、そこで良いではないか」
〈鎗輔〉「あそこ、古道具屋なんですけど」
〈春蘭〉「机でもかじっていろ。きっと食いでがあるぞ」
さっきあんなこと言ったから、その意趣返しなのか。
〈鎗輔〉「広東人でも、机は食べないのに……」
〈フーマ〉『机食べる人間は春蘭ぐらいだろ』
〈春蘭〉「何だとぅ!」
〈秋蘭〉「やれやれ。三人ともいい加減に……」
こんな風に雑談をしていると、通りの向こうで悲鳴が上がった。
〈通行人〉「ひったくりだぁッ!」
途端に、四人の表情が瞬時に引き締まり、踵を返して駆け出していた。
〈春蘭〉「いたぞ、東雲!」
そしてすぐに、脇に包みを抱えた不審な男を発見。男はこちらに気づいた瞬間、裏路地へと飛び込んでいった。
〈鎗輔〉「PAL、あの裏道の出口は!?」
〈PAL〉[一箇所のみです]
PALの答えを聞いた鎗輔が、春蘭と秋蘭へ振り向く。
〈鎗輔〉「二人はこのまま追いかけて下さい! ぼくと季衣ちゃんは出口に回り込みます!」
〈秋蘭〉「挟み撃ちか。承知した!」
〈フーマ〉『春蘭、加減してやれよ!』
〈春蘭〉「保証は……出来かねる!」
〈フーマ〉『いや、しろよ』
注意もほどほどに、鎗輔は季衣とともに別の横道を抜けて、出口に先回りしようとする。が、
〈鎗輔〉「遅かったか……!」
たどり着いた時には、ひったくり犯が別の路地に入り込んでいくところであった。向こうよりも距離は短かったはずだが、逃げ足は相当なもののようである。
〈鎗輔〉「PAL、追跡ルートの誘導を!」
PALに指示するも、返ってきた言葉は、
〈PAL〉[先回り可能なルートは、ここからだとありません]
〈鎗輔〉「そうか……! 追いかけるしかないか……!」
やむなくひったくりの背中を追っていく判断を下す。
が、季衣は全く別の路地に駆け込もうとしていた。
〈鎗輔〉「季衣ちゃん、どこ行くの!?」
〈季衣〉「ここをまっすぐ行くのが近道なんだよっ!」
〈鎗輔〉「え? でもそこは、屋台の荷物や機材で道がふさがってるはず……」
季衣が入ろうとしている道は、屋台街に続くところなので、物がところ狭しと積まれていてとても走り抜けられる場所ではないと覚えている。
が、季衣は首を振った。
〈季衣〉「大丈夫! この時間だと、荷物は片づいてるはずだから!」
〈鎗輔〉「……そうなの?」
〈季衣〉「夕方の仕込みに使う荷物は、もうちょっとしてからでないと入ってこないの! 今ならまだ鍋とかはお店で使ってるか洗ってる頃だから、大丈夫!」
〈鎗輔〉「なるほど!」
季衣の言を信じて、鎗輔も路地に飛び込む。果たして季衣の言った通り、道はほとんど片づいていて、走る分に何の支障もなかった。
〈季衣〉「この先は、右っ!」
季衣が迷いのない足取りで、鎗輔を先導する。
〈鎗輔〉「まっすぐじゃないの?」
〈季衣〉「いつも使ってる近道だから、大丈夫っ! それにまっすぐだと、今日は荷物が多いはずだよ!」
〈鎗輔〉「何で分かるの?」
〈季衣〉「この先から豚骨の匂いがするの! きっともう下準備の荷物でいっぱいだよ。あそこのラーメン屋さん、具だくさんで材料たくさん仕入れるから!」
匂いだけでそこまで状況を推理することに、舌を巻く鎗輔。
道を抜けると、先ほどの包みを抱えた男の姿を発見した。しかも向こうはこちらに気がついていない。
〈季衣〉「見つけたよ、兄ちゃん! って、あ――っ!」
〈鎗輔〉「ちょッ!? 声が大きい……!」
せっかく後ろから捕まえられるチャンスだったのに、季衣の大声で男が振り向き、足を速めて逃げていく。
〈鎗輔〉「どうしたの、急に叫んで……」
〈季衣〉「あいつが持ってる包み……翠果堂の水晶翡翠麺だよ!」
〈鎗輔〉「水晶……翡翠?」
〈季衣〉「すっごく美味しいらしいけど、数が少ないから誰も食べたことがないっていう幻の麺だよ! 本物って初めて見た!」
〈鎗輔〉「要するに、貴重な品って訳だ……」
〈季衣〉「そう! 兄ちゃん、急いで捕まえようっ! せっかく買えたご馳走を横取りするなんて、許せない!」
季衣の微妙にずれた怒りように若干引く鎗輔だが、やる気になってくれているのはありがたい。
そこに、事態を知った警備兵たちが駆けつけてくる。
〈警備兵〉「東雲さま! すいません、遅くなりました!」
〈鎗輔〉「大丈夫。季衣ちゃん、ひったくりの行く手に回り込める? 春蘭さんたちを待ってる余裕はない!」
〈季衣〉「任せといてよ!」
〈鎗輔〉「ぼくたちは奴を追いかけて、挟み撃ちにする!」
〈警備兵〉「了解ですッ!」
季衣が先んじて走り出し、一拍遅れて鎗輔も警備兵を連れ、ひったくりを追跡していく。
〈警備兵〉「待てぇーッ!」
警備兵が先行してひったくりを追い回している中で、春蘭と秋蘭が鎗輔の元に駆けつけてきた。
〈春蘭〉「東雲!」
〈秋蘭〉「すまん、追いつけなかった!」
〈鎗輔〉「大丈夫です。姿は捕捉して……って、あそこは!」
鎗輔の顔色が変わる。ひったくりが次に逃げ込んだ先が、民の流動が激しく、街の状態も頻繁に変わるスラム街だからだ。土地勘のない者は、迷うことなく移動するのも難しい。
案の定、ひったくりが角を曲がると、すぐそこへ飛び込んでも後ろ姿が混雑した街の中に消え、見失ってしまった。
〈秋蘭〉「くっ、逃げられたか……!」
〈春蘭〉「口惜しい……!」
〈鎗輔〉「でも、まだ季衣ちゃんがいます……。あの子なら、きっと……!」
走りっぱなしで、ぜーはーと息を切らしながらも鎗輔がそう言った。
やがて、スラム街のどこかで、季衣の怒号と激しい物音、そして人が倒れる豪快な音が響いた。
ひったくり犯は季衣の活躍によって、無事に捕縛に成功した。身柄を警備兵らに預けてから、鎗輔たちは季衣を称える。
〈春蘭〉「しかし、見事なものだったな、季衣」
〈秋蘭〉「やれやれ。今日は一本取られたぞ」
〈季衣〉「そんなこと、ないですよー」
〈鎗輔〉「いや、すごかったよ。裏道の細かいことまで知り尽くしてて。ぼくたちだけじゃ、捕まえるのは無理だった」
〈フーマ〉『ああ、大したもんだった』
〈PAL〉[時間帯による街の状況の変化を加えて、情報を更新します]
ひとしきり褒めてから、鎗輔が季衣に尋ねかける。
〈鎗輔〉「良ければ、他にも街の抜け道を知ってたら教えてくれない? 警備隊に役立てられるから」
〈季衣〉「教えるの……?」
〈鎗輔〉「駄目かな?」
〈季衣〉「駄目じゃないけど……こう……ばーっと行って、ばばっと曲がって、ささっと行った先は今日は豚骨の匂いがしてて仕込みの準備で開いてるだろうから、抜けるのは大丈夫そう! ……とかでいいの?」
〈鎗輔〉「……」
擬音語や感覚頼りの説明は、流石に理解できなかった。
〈フーマ〉『一度、足で覚える必要がありそうだな……』
〈鎗輔〉「ま、まぁ、道順さえ分かれば、後はぼくからみんなに説明できるから……」
〈春蘭〉「だが季衣、良かったのか? その何とかという麺、とても貴重なものなのだろう?」
今度は春蘭が、取り返した品の処遇について尋ねた。
ひったくられた水晶翡翠麺なる品は、元の持ち主に返却されたのだが、礼にいくらか分けてくれるという申し出を、季衣は断ったのであった。
〈鎗輔〉「そうだよ。一番の功労者なんだから、それくらいの権利はあったのに」
〈季衣〉「その人が苦労して買ったものだもん。ボクが取る訳にはいかないよー。それに、この街にいるんだから。ボクも、その内食べられる機会くらいあるよ、きっと」
〈鎗輔〉「そっか……偉いね、季衣ちゃん」
〈季衣〉「えへへ……」
季衣の誇り高さに、鎗輔も感服した。
〈秋蘭〉「なら、その時は私が料理してやろう。いくらでも声を掛けてくれ」
〈季衣〉「いいんですか? なら、お願いします! 秋蘭さま!」
〈春蘭〉「良かったな、季衣」
〈季衣〉「はいっ! その時は春蘭さまと兄ちゃんも一緒に食べましょうね!」
〈鎗輔〉「ぼくも食べていいの?」
〈春蘭〉「そうだぞ。わたしはともかく、東雲などに物の味は分からんだろうに」
鎗輔たち三人が、半目で春蘭に振り返った。
〈春蘭〉「な、何だその目は!」
〈鎗輔〉「いや……別に」
〈春蘭〉「ともかく、そんな貴重なもの、こやつにはもったいない!」
〈季衣〉「みんなで食べるからいいんですよー。ね、秋蘭さま」
〈秋蘭〉「そうだな。なら、華琳さまも呼んで構わんか?」
〈季衣〉「もちろんですよっ!」
〈春蘭〉「なら、東雲の分は華琳さまにだな!」
〈季衣〉「だから、春蘭さまってばぁ!」
〈鎗輔〉「まぁ、仮定の話だから、今取り決めをしてもしょうがないよ」
〈秋蘭〉「そうだな。姉者も熱くなりすぎだ」
〈春蘭〉「う……うむ。わたしとしたことが、いささか大人げなかったな」
大人げないのは、いつものことであるが。
〈秋蘭〉「さて。それでは我々は城に戻るとしよう」
〈鎗輔〉「今日は三人とも、助けてくれて、ありがとうございます」
〈春蘭〉「何。曹軍の将として、当たり前のことをしただけだ。それでは戻るぞ、季衣」
促す春蘭だが、季衣は変に立ち止まっている。
〈季衣〉「あ、あの……春蘭さま」
〈春蘭〉「何だ?」
〈季衣〉「兄ちゃん、これからどうするの?」
〈鎗輔〉「ぼく? 改めて、食事にするつもりだけど」
〈フーマ〉『そーいや、何も食ってなかったな』
と答えると、季衣は控えめに尋ねた。
〈季衣〉「ボクもご飯、食べに行っていい……?」
〈春蘭〉「何だ。もう腹が減ったのか?」
〈季衣〉「思いっ切り走ったら、ちょっと……すぐ戻りますから」
〈秋蘭〉「ははは、構わんさ。東雲とゆっくり食べてくるがいい」
〈春蘭〉「そうだな。特に急ぎの用事はないのだろう?」
〈季衣〉「はい。ありがとうございます、春蘭さま、秋蘭さま!」
〈春蘭〉「なら東雲、季衣のことを頼むぞ?」
〈鎗輔〉「分かりました」
〈季衣〉「それじゃ、行こうよ兄ちゃん! お腹空いて、もう歩けないよー」
季衣が満面の笑顔で、鎗輔の腕を引く。
〈鎗輔〉「あはは、分かってるから。そんなに引っ張らないで」
〈春蘭〉「東雲。今日の飯くらいは季衣に奢ってやれよ」
〈鎗輔〉「もちろんですよ。季衣ちゃん、何が食べたい?」
〈季衣〉「ホント? いいの!?」
〈鎗輔〉「うん。季衣ちゃんには一番助けられたからね。何でもいいよ」
この鎗輔の発言に、言い出しっぺの春蘭のみならず、フーマも耳を疑った。
〈フーマ〉『お、おい本気か、鎗輔……。そんな金あんのかよ……』
〈鎗輔〉「大丈夫だよ。警備隊の指揮役になった分、給金を上乗せしてもらったから。一食分くらい」
そう、安請け合いする鎗輔であったが……。
その後ほどなくして、激しく後悔することとなったのであった。