〈鎗輔〉「はぁ~……どっこいしょ」
〈フーマ〉『鎗輔、お前何かじじむさいぞ』
〈鎗輔〉「ほっといてよ……。一冊一冊は軽い本でも、こうも積んであると、結構な重さに……」
鎗輔が大量に積み重ねた本を抱えて、城の蔵を目指してよろよろバランスを取りながら歩いていた。それと言うのも、先ほど、華琳に呼び出され、読み終えた本を書庫へ戻してくるように言いつけられたのである。
〈鎗輔〉「だけど……今になっても、こんな雑用しなくちゃいけないなんて……」
〈フーマ〉『ここのみんな、上から下に至るまで忙しそうだからなぁ。その点お前は、仕事が早く終わるから、暇してる時間が多いだろ』
〈鎗輔〉「はぁ……早く仕事が片づくのも、いいことばかりじゃないなぁ。でも手を抜くのもな……」
〈フーマ〉『贅沢な悩みだぜ』
などと言い合いながら、書を収めている蔵の前に到着。しかし、本を両手で抱えているので、戸を開けられない。
〈鎗輔〉「くッ、うッ……手が届かない……」
〈フーマ〉『一旦降ろせば?』
〈鎗輔〉「フーマが開けてよ。気が利かないなぁ」
〈桂花〉「――あなた、ここで何をしてるの?」
扉の前で立ち往生していると、後ろから桂花に声を掛けられた。
〈鎗輔〉「ん? ああ、桂花さんですか」
〈桂花〉「気の抜けた声を出すわね。ま、別にあんたに諧謔に富んだ理想の返事なんて期待してないけど」
〈フーマ〉『カイギャク? って何だ?』
〈鎗輔〉「ユーモアのことだよ」
〈フーマ〉『なるほど。じゃ、ここはあなたのお家じゃないですよ迷子の子猫ちゃん、とか言えばいいってことか?』
〈桂花〉「……何それ。品性の欠片も感じられない、退屈な返しね。あくびが出そうだわ」
〈フーマ〉『……こいつ……』
理不尽なことをまくし立てる桂花に、イラッと来るフーマ。桂花は鎗輔たちを前にすると、いつも機嫌が悪そうだ。
〈鎗輔〉「それはともかく、桂花さん、悪いんですけどここの扉、開けて下さい」
〈桂花〉「はぁ? ……嫌よ。どうして私があなたたちのために何かしなくちゃいけないの?」
〈フーマ〉『いや、お前も蔵に用があるんだろうがよ』
桂花もまた、分厚い書を抱えているので、書庫に用があってここに来たはずである。
〈桂花〉「あんたたちのために開けるなんてまっぴらごめんね」
〈フーマ〉『こいつは……俺たちが何したってんだよ』
〈鎗輔〉「いちいち喧嘩してもしょうがないよ。それより、ぼくたちのためじゃなくていいですから、開けて下さい。ここでこうしてても、戸は勝手には開きませんよ」
〈桂花〉「はぁ……分かったわよ」
鎗輔が一旦扉の前から退くと、桂花がしぶしぶ扉を開けた。
〈鎗輔〉「ありがとうございます」
〈桂花〉「……ふんっ」
鎗輔の礼にも、桂花は不機嫌気味に鼻を鳴らすだけで、スタスタと蔵の中に入っていった。その後に鎗輔が身体を滑り込ませる。
〈鎗輔〉「さて……それじゃ、片づけるか」
近くの机に運んできた本を置いて、扉を閉めようとする。と、
〈桂花〉「ちょっと待ちなさい!」
〈鎗輔〉「え?」
〈桂花〉「……扉、閉めないで」
桂花が鋭い目つきでにらみながら、そう言いつけてきた。
〈鎗輔〉「どうしてですか?」
〈桂花〉「ケダモノみたいな男と密室に二人きりなんてサイテーなんだから。絶対に閉めないでよ!」
〈鎗輔〉「……はぁ」
鎗輔は肩をすくめながら、扉の取っ手から手を離した。
〈フーマ〉『全く……桂花のあれは病的だな。鎗輔のどの辺が獣に見えんだよ』
〈鎗輔〉「もう言っても仕方ないよ。さっさと用を済ませて、立ち去ろう」
二人でつぶやき合いながら、テキパキと書籍を一冊ずつ、棚の所定の位置に戻していく。しかし量が多いのと、蔵もなかなかに広いので、そうそう短時間には終わりそうにない。
〈鎗輔〉「次は、呂氏春秋、と……」
蔵の端から端へとを渡り切るような足取りで、本を返却していく鎗輔。最後の一冊を戻して、パンパンと手を払う。
〈フーマ〉『やれやれ、終わりだな。じゃあ行こうぜ。長居すると、桂花にどんな嫌味言われるか』
〈鎗輔〉「うん。……本当は、桂花さんとも仲良くやれたらいいんだけどな」
〈フーマ〉『そりゃあ栄華以上に難問だろ。あいつの理不尽っぷりったら、宇宙でも類を見ないぜ』
ため息交じりに蔵から出ていこうとする鎗輔であったが、ふと桂花の方を見やると、本棚の前でぴょんぴょんと跳びはねていた。
どうも、目当ての本のある棚が彼女には高くて、手が届かないようだ。近くには、踏み台になる物もない。
〈桂花〉「もうちょっと……。もうちょっとで届くのに……んくっ」
それを見た鎗輔は、流石に困っているのを捨て置くのも気が引けるので、代わりに取ってあげることにした。彼もさほど身長が高くないが、桂花よりは大きい。
〈鎗輔〉「はい。どうぞ」
後ろから近づいていって、桂花が手を伸ばしている本を引き抜いて、桂花の手元に運ぶ。そこで本を取ろうと夢中だった桂花は、初めて鎗輔が真後ろにいることに気づいた。
〈桂花〉「……」
そして硬直。鎗輔の頭に?マークが浮かぶ。
〈鎗輔〉「桂花さん?」
突然動かなくなった桂花を心配する鎗輔だが、
〈桂花〉「ひあっ!? い、い、いやぁぁぁ! 襲われるぅぅぅぅ!」
〈鎗輔〉「えぇッ!?」
甲高い悲鳴を上げられて、ガビン! とショックを受けた。
〈鎗輔〉「ち、ちょっと落ち着いて! 本を取っただけですよ!」
〈フーマ〉『いくら何でも失礼の度が過ぎんだろ!』
〈桂花〉「来るな来るな来るな来るなーっ!」
なだめようとする鎗輔だが、桂花は勢いよく後ずさり……しようとして、背中を本棚に勢いよくぶつけた。
その衝撃で棚から本が零れ落ち、桂花の頭に降り注ぐ。
〈鎗輔〉「ちょっ……大丈夫ですか!?」
〈桂花〉「来るなっ、触るなっ、近づくなー!」
しかしすっかりパニックの桂花は、落ちてきた本を鎗輔に向かって投げつけてくる。
〈鎗輔〉「ちょ……やめて下さい! 本が破けますよ!」
〈フーマ〉『お前いい加減にしろって! おいッ!』
フーマも大人しくしていられず、小人状態になって桂花の腕を掴んで止めた。が、桂花は余計に狂乱。
〈桂花〉「いやぁぁぁぁぁぁぁっ! 男が触ったぁぁぁぁっ! に、妊娠するぅぅぅぅぅぅっ!」
〈フーマ〉『はぁ!? お前マジで落ち着けって……うわぁッ!』
〈鎗輔〉「フーマ!」
ブンブン振り回されたフーマが投げ捨てられ、鎗輔が慌ててキャッチした。
もう無理に近寄ろうとすると、収拾がつかないと見て、鎗輔はそのまま後退して桂花から距離を取った。
〈鎗輔〉「冷静になって下さい! もう近寄りませんから!」
〈桂花〉「うるさいっ、しゃべるなっ、空気妊娠する!」
〈鎗輔〉「は、はぁ? そんな、感染症じゃないんですから……」
〈PAL〉[そんな現象は存在しません]
〈フーマ〉『マジで頭冷やせって……おわッ!』
桂花がなおもしっちゃかめっちゃかに本を投げてくるので、鎗輔はやむなくフーマを連れて、本棚の陰に隠れて、桂花が落ち着くのを待つことにする。
〈フーマ〉『どうなってんだ、あいつは……。いくら何でも、子供がどう出来るかぐらいは知ってるだろ……』
〈鎗輔〉「参った……こりゃ手がつけられないよ……」
桂花のデタラメにどっと息を吐き出す鎗輔。と、この蔵の中に、騒ぎを聞きつけた春蘭と季衣が踏み込んできた。
〈春蘭〉「賊め、華琳さまの書物庫で狼藉とはいい覚悟だな! この場で斬り捨ててくれる!」
〈鎗輔〉「わぁッ! 待って、ぼくですよ! 東雲鎗輔です!」
〈季衣〉「あれぇ? 桂花と兄ちゃん?」
逸った春蘭が剣を振り上げるので、慌てて制止する鎗輔。
〈春蘭〉「東雲だと? ……何をやっているんだ、貴様ら」
〈鎗輔〉「いや……桂花さんに、本を取ってあげただけなんですけど……」
〈桂花〉「……こいつが! こいつがいきなり襲い掛かってきてっ!」
〈鎗輔〉「ちょっと! 誤解されるからやめて下さい!」
〈桂花〉「いや、寄らないで! 妊娠しちゃう!」
桂花はまだ混乱していて、鎗輔がそちらを向くだけでわめき立てる始末だ。
この状況を見た春蘭と季衣が、呆れてため息を吐き出した。
〈春蘭〉「……事情はおおよそ分かった。騒ぎを起こしたことは華琳さまに報告せんでやる。……だから、蔵の中をすぐ元通りに片づけておけ!」
蔵の中は、桂花が暴れたせいですっかり本が散乱して、床がぐちゃぐちゃになっていた。
〈フーマ〉『それって、俺たちもか!? こっちは被害者だってのに……!』
〈季衣〉「早くしないと、もうちょっとで華琳さまが蔵に来ちゃうよ?」
〈桂花〉「ウソっ!?」
〈春蘭〉「先ほど、新たな本が必要になったとおっしゃっていたからな。……この惨状を見られたらどうなるか」
自他に厳しい華琳のこと。蔵の中を滅茶苦茶にしたと知られたら、どんな罰を下されるものか知れたものではない。
〈鎗輔〉「……桂花さん」
華琳の名前が出てきて、桂花もようやく正気に戻った。
〈桂花〉「分かっているわ。ここは一時休戦しましょう。ただし可能な限り近づかないでよ。妊娠するから」
〈フーマ〉『お前、まだそんなこと言って……』
〈鎗輔〉「もういいよ……。それより、華琳さまが来るまでに片づけないと」
桂花のことはもう二の次にして、今はいつ来るか分からない華琳の到着までに、書庫内を元に戻すことを優先した。
〈春蘭〉「それでは、これ以上騒ぎを起こさぬようにな」
〈桂花〉「ちょっと、手伝おうとか思わないの?」
〈春蘭〉「自分の失態くらい、自分で払拭するものだ。他人の手を借りてどうする」
〈桂花〉「うぐぐ……」
今ばかりは、春蘭の言うことがもっともであった。
〈フーマ〉『おら。口じゃなくて手を動かせ』
鎗輔とフーマは、既に本を拾い始めている。
〈桂花〉「くっ……分かったわよ」
〈季衣〉「兄ちゃんたち、頑張ってねー」
春蘭と季衣はそのまま外に出ていき、書庫内には鎗輔たちだけが残された。
〈桂花〉「余計なことはしないでよ」
〈フーマ〉『お前こそ、もう蔵ん中荒らすなよ』
〈桂花〉「……ふんっ!」
ひと言も謝りもしない桂花。鎗輔は大きく肩を落とした。
どうにか、華琳がここに来るまでに、書庫を元通りに戻すことが出来た。
〈桂花〉「これで……最後ね……」
〈鎗輔〉「何とか間に合った……」
〈桂花〉「ええ、何とかね。でも、あんたたちがいなければこんな苦労せずに済んだことを忘れないでよね」
〈フーマ〉『責任転嫁すんじゃねぇよ。そもそも、本をまき散らしたのはお前だろうが』
〈桂花〉「うぐぐ……」
〈華琳〉「……あなたたち、何をやっているの?」
桂花とフーマが言い争っているところで、とうとう華琳が姿を見せた。
〈桂花〉「はっ、華琳さま!?」
〈鎗輔〉「べ、別に何もしてませんよ。ねぇ?」
フーマキーホルダーを首に掛けながら、咄嗟に嘘を吐いて、桂花に視線を送る鎗輔。
〈桂花〉「え、ええ……。特に何も」
〈華琳〉「それにしては、随分と汚れてるみたいね。それに、蔵の中も綺麗になってる気がするわ」
〈鎗輔〉「そ、それは……蔵の中がちょっと埃被ってたので、ついでに掃除してたんですよ!」
〈桂花〉「そうなんです! 掃除してたんです!」
〈華琳〉「……ふーん。あなたたち、いつからそんなに仲良くなったの?」
ごまかそうとして、二人で口裏を合わせたのが、逆に華琳を訝しませた。
〈鎗輔〉「い、いやー、それは……」
〈桂花〉「私は華琳さまのために働いただけです! こいつらはここにいただけですから!」
〈鎗輔〉「ちょっと、それはないでしょ。ぼくたちも手伝ったのに」
〈華琳〉「よく分からないけど……ま、そういうことにしておいてあげましょう」
流石に隠し事をしていることは見抜いているようだが、華琳は深く追求しては来なかった。
〈華琳〉「それにしても桂花、綺麗な顔が台無しね」
代わりに、桂花の顔を優しく撫でる。桂花の顔は瞬く間に赤く染まった。
〈桂花〉「華琳さま……お手が汚れてしまいます」
〈華琳〉「あなたの顔が汚れている方が、私には辛いわ」
二人の注意が自分から外れた隙に、鎗輔はそそくさと蔵から出ていった。
〈フーマ〉『はぁ……散々な目に遭ったぜ』
〈鎗輔〉「うん……。まさか、あそこまで過剰に拒絶されるとは……」
〈フーマ〉『あんなのが城にいて、これから先、落ち着いて生活できるだろうかな……』
〈鎗輔〉「……さぁ」
その答えは、さしもの鎗輔にも分からなかった。