〈店員〉「いらっしゃいませー」
陳留の街の一画にある服飾店に、鎗輔と春蘭が入店した。
〈店員〉「あら、いらっしゃいませ夏侯惇さま。今日はどういった物をお探しですか?」
〈春蘭〉「その……えっと……だな」
〈鎗輔〉「元譲さん、下着を新調したいそうなので、いくつか似合うものを見繕ってあげて下さい」
〈春蘭〉「こら東雲っ! 何を勝手に!」
〈鎗輔〉「行家里手。こういうのは専門の人に頼むのが一番ですよ」
鎗輔と春蘭がこの店を訪れる発端は、少し前まで時間をさかのぼることになる。
今日も鎗輔は警備隊の現場の指揮を行っていたが、如何せん人手不足は否めず、暴漢を拘束するのに手間取っていた。そこに通りがかった春蘭に助けてもらい、そのお礼として、下着の買い物のため店を探していた彼女をここへ案内したのである。
鎗輔の説明を受けた店員は、にこやかに春蘭に告げる。
〈店員〉「あらあら。それでは、彼氏の喜ぶとっておきの下着を是非……」
〈春蘭〉「ちょっと待て! どこの誰が彼氏などと……っ!」
〈鎗輔〉「ええ……? ぼくが、そんな風に見えますか……?」
〈春蘭〉「っておいこらっ! わたしとて不本意ではあるが、そんな露骨に嫌そうな顔をするなっ! 何が不満だ!」
〈鎗輔〉「言いませんよ。言ったら斬るでしょう?」
〈春蘭〉「その発言が既に、叩き斬って下さいと言っているようなものではないのか……!」
春蘭が青筋を浮かべて剣の柄に手を掛けたので、鎗輔は咄嗟に柱を盾にした。
〈店員〉「まぁまぁ。痴話喧嘩はほどほどにされて、これなどは如何でしょうか?」
〈春蘭〉「今のどこが痴話喧嘩などと……っておいそこ、その紐は何だ、その紐は……っ!」
店員が勧めた下着は、どう見ても紐をつなぎ合わせただけの代物にしか見えないもの。
〈店員〉「こちらは西方の職人が精魂込めて織り上げた、究極の紐下着ですわ」
〈春蘭〉「そんなの下着とは言わんだろうがっ!」
〈店員〉「では、こちらは……? さる名山で織り上げられた、秘伝織りの下着ですの」
〈春蘭〉「それはあれか! 馬鹿には見えない布か何かか! 向こうの景色が透けて見えるじゃないか!」
〈鎗輔〉「裸の王様、知ってるのかな……」
〈店員〉「流石お目が高い。いやらしい心を持っている者には見えない布地で作られているのですわ」
〈春蘭〉「それ意味がないだろうがっ!」
すごい商品を勧めてくる店員に春蘭が突っ込んでいる中、鎗輔が店内の商品を見渡しながら、顎に指を掛けた。
〈鎗輔〉「ところで、前々から不思議に思ってたけど……」
〈フーマ〉『何がだ?』
〈鎗輔〉「この世界の衣服って……色々と先進的だよね。フリルとかあるし……。下着も、こういうブラジャーやパンツのようなものは明代くらいまで時代が下らないと無いはずなのに。1000年単位で時代を先取りしたようなのが多すぎるよ」
〈フーマ〉『そうなのか? 俺には分かんねぇけどさ』
〈鎗輔〉「その辺どうなってるんだろう。店員さん、服飾業界で昔、革新的な技術の発展があったりしましたか?」
店員は鎗輔の質問に、目を細めた。
〈店員〉「お詳しいですね……。おっしゃる通り、ある時期にはるか西方の国から来たという織工が、数多の種類の服飾をこの国に伝来したと言われていますわ。それを機に、この国の衣服の幅は爆発的に増加、急激に進歩したのです」
〈鎗輔〉「なるほど……ありがとうございます」
西方の国からの織工……何者かは知らないが、かつてもこの世界には、自分のような現代社会からの、それもアパレル関係の人間が迷い込んだのかもしれない。
〈鎗輔〉「それで、その透けてるのなんかはどうやって作ってるんですか」
〈店員〉「うふふ。だから、秘伝の織り方ですの。織工の秘中の秘……ですわ」
〈鎗輔〉「そうかぁ……」
〈春蘭〉「何を納得しとるか―――!」
〈鎗輔〉「うわホントに抜かないで下さいよ!」
「おやめなさい!」
騒いでいると、店内に威圧感溢れる声が響き渡り、鎗輔たちはピタリと止まった。
〈華琳〉「……全く、どこの田舎者が騒いでいるかと思えば……。呆れて物も言えないわ」
〈春蘭〉「か……華琳さまっ!?」
声の主は華琳。秋蘭を連れて、鎗輔をジロリと一瞥する。
〈華琳〉「鎗輔。警備隊の仕事はどうしたのかしら? のんきに春蘭と買い物?」
〈鎗輔〉「いえ、ちょっと春蘭さんを案内してただけで……」
〈秋蘭〉「まぁ……何があったかは、大体予想がつくが」
〈春蘭〉「だろう。あろうことかこの馬鹿者が、店員にこんな下着を勧めさせようとするのだ……!」
〈鎗輔〉「それは冤罪ですよッ!」
〈春蘭〉「あ、あまつさえ、わたしと東雲のことを……そ、その……だな! 全くもう、訳が分かりませぬ!」
〈華琳〉「それは春蘭が悪いわ」
ピシャリと言う華琳。
〈春蘭〉「何ですと!」
〈華琳〉「女性物の下着を売る店に男連れで来れば、その連れはそれなりに近しい関係と考えるでしょうよ」
〈秋蘭〉「姉者。東雲が男だと……忘れているのではないか?」
〈春蘭〉「ちゃんと覚えているに決まっているだろう!」
〈華琳〉「では言ってごらんなさい。男と女で、どう違うというの?」
春蘭は自信満々に、こう答えた。
〈春蘭〉「金的を蹴れば悶絶する!」
――鎗輔が、春蘭から一歩離れた。
〈フーマ〉『……もっと他にねぇのかよ』
〈春蘭〉「な、何だその目は!」
〈華琳〉「……今回ばかりは部下の無知を詫びさせてちょうだい」
〈鎗輔〉「いいですよ。分かってますから……」
〈秋蘭〉「姉者。姉者の下着は私が選んでやるから。な? こっちへ来い」
〈春蘭〉「お? おう……?」
〈秋蘭〉「華琳さま。申し訳ありませんが、私が我が愚姉の面倒を見ねばならぬようです。代わりに東雲がお相手を致します故……それでご寛恕賜りたく」
〈華琳〉「……仕方ないわね。いいわ、行ってきなさい」
手の掛かる子供を相手にするように、春蘭を店の奥に連れていく秋蘭。
〈秋蘭〉「東雲。すまんが、華琳さまのお相手を頼むぞ」
〈鎗輔〉「いつの間にか、ぼくも買い物につき合うことになってません?」
〈華琳〉「当然でしょう。こうなったのはあなたにも責任があるのだから、しっかり私の相手をなさい。分かったわね?」
〈鎗輔〉「了解です……」
そんなこんなで、華琳の買い物につき合うことになった鎗輔であった。
その後、店の一角に華琳が選んだ下着がずらりと集められた。
〈鎗輔〉「随分たくさんありますけど、これ全部買うんですか?」
〈華琳〉「そんな訳ないでしょう。ここから必要な数に絞るのよ」
〈鎗輔〉「絞るって、どうやって……」
〈華琳〉「……本当は、秋蘭に選んでもらおうと思ったのだけれど……」
〈鎗輔〉「まさか……」
〈華琳〉「察しが良い子は嫌いじゃないわよ? 鎗輔」
華琳がニヤリと笑い……下着の品評会が始まった。
〈華琳〉「これはどう?」
華琳が摘まみ上げた下着を自身の身体に合わせ、鎗輔に感想を求める。
〈鎗輔〉「に、似合ってると思いますよ……」
目が泳ぎながらも評価する鎗輔。
〈華琳〉「そう。なら、これはそちらに」
〈鎗輔〉「は、はい……」
〈華琳〉「何をしているの? 次を渡しなさい」
〈鎗輔〉「す、すいません」
〈華琳〉「今度のは……」
〈鎗輔〉「可愛い、とは思いますが……」
〈華琳〉「駄目ね。これは向こうに」
一つ一つ品定めして、下着を二つの山に分けていく。
〈華琳〉「じゃ、これは?」
〈鎗輔〉「似合いますが……」
〈華琳〉「そう?」
〈鎗輔〉「はい……」
〈華琳〉「それはそうよね。さっきまで私が着ていた下着だもの」
〈鎗輔〉「え――――――――――ッ!!?」
受け取った下着を、思わず落としそうになる鎗輔。
〈華琳〉「……冗談よ」
〈鎗輔〉「な、何だ冗談ですか……。驚かせないで下さい……」
鎗輔の狼狽えようを見て、フーマが問いかける。
〈フーマ〉『鎗輔。お前って、女に慣れてねぇよな。彼女とかいなかったのかよ?』
〈鎗輔〉「いないよ……。ぼく、人づき合いが多い方じゃなかったし」
〈フーマ〉『何だ、寂しい奴だな』
〈鎗輔〉「そんなことないよ。あいつが……」
言いかけて、鎗輔はハッと口をつぐんだ。
〈フーマ〉『ん? 何言いかけた?』
〈鎗輔〉「な、何でもない。それより続き! 早いところ済ませて、仕事に戻ろう」
〈華琳〉「……」
二人のやり取りを傍からながめた華琳が、じぃっと鎗輔の横顔を見つめたが、やがて下着を選ぶ手を再開させた。
〈華琳〉「今度のはどう?」
〈鎗輔〉「ええ、似合ってます……」
〈華琳〉「……あなた、どの問いにも似合ってるよ、って言えばいいと思っていない?」
〈鎗輔〉「そんなことありませんよ。けど……」
〈華琳〉「けど?」
〈鎗輔〉「こういうの、経験ありませんから……。何て返せばいいのか……」
恥ずかしがっている鎗輔に、華琳はため息。
〈華琳〉「そこを考えるのが男としての力量の見せどころではなくて? ……いいわ。あなたがどこが良いか的確に指摘できるまで、次の物を選ぶのはやめにしましょう」
〈鎗輔〉「えッ、ちょッ……!」
〈華琳〉「さ、どうするの? 私は楽しいからいいけれど、鎗輔は早く買い物を終わらせたいのでしょう?」
〈鎗輔〉「悪趣味な……」
〈華琳〉「そんな罵りを考える暇があったら、褒め言葉の一つも考えなさいな。早くしないと、日が暮れてしまうわよ?」
〈鎗輔〉「うッ……ふ、フーマ」
〈華琳〉「私はあなたに聞いているのよ。さ、東雲鎗輔。返答や如何に?」
クスクス笑う華琳に、鎗輔は頬を赤くしながらも、彼女と下着をよく見比べて、懸命に言葉を練る。
〈鎗輔〉「……華琳さまは色素が薄いですので、下着ならあまりきつい色じゃないものの方が、肌の色に合っていいと思います……」
〈華琳〉「ふふっ。やれば出来るじゃない」
〈鎗輔〉「うぅ……」
鎗輔は耳まで真っ赤で、プシューと頭から湯気が上がりそうなありさまであった。
〈華琳〉「なら、こちらはどう?」
〈鎗輔〉「ま、まだやるんですか?」
〈華琳〉「当たり前よ。全部の下着の感想を聞くまでやめないわ。もちろん、さっきと同じ褒め言葉じゃ納得しませんからね?」
〈鎗輔〉「そ、そんなぁ……」
恥ずかしさで消え入りそうな鎗輔に、フーマは密かに苦笑を漏らしていた。
買い物が終わって、外に出た時には、華琳はほくほく顔であった。
〈華琳〉「ああ、楽しかった」
対照的に、鎗輔は未だに赤面していた。
〈鎗輔〉「うぅ……ここに来てから、一番苦しい思いをした……」
〈華琳〉「あら、だったら……今度からあなたが何かしでかしたら、私は下着を買いに出掛けられると考えて良いのかしら?」
〈鎗輔〉「か、勘弁して下さい……」
〈華琳〉「私と出掛けるのが、そんなに嫌?」
〈春蘭〉「何だと――っ! 貴様、華琳さまとのお出掛けが不服だと言うかっ!」
華琳のひと言に春蘭が過剰に反応して、鎗輔の首筋に剣を押し当てた。
〈鎗輔〉「そ、そうじゃないですよッ! いちいち抜かないで下さいッ!」
〈秋蘭〉「姉者。そのくらいにしておけ」
途端に青ざめて後ずさる鎗輔。秋蘭は春蘭をなだめる。
〈春蘭〉「……うむ」
〈鎗輔〉「ありがとうございます、しゅうら……んさん、その手に持ってるのは……?」
〈秋蘭〉「弓だが、何か?」
〈鎗輔〉「……いえ」
弓で何をするつもりだったのかは、怖くて聞けない鎗輔だった。
〈華琳〉「で、春蘭はちゃんと買えたのかしら?」
〈春蘭〉「もちろんです! 三枚ひと組の……」
〈華琳〉「……秋蘭?」
〈秋蘭〉「は。全身全霊を以て阻止致しました」
〈華琳〉「結構」
〈春蘭〉「……? よく分かりませんが、それは秋蘭に止められたので、秋蘭に選んでもらいました」
〈華琳〉「それは、ちゃんと買えたとは言えないでしょう」
〈春蘭〉「はぁ……」
何があったかは知らないが、春蘭のことなので、何かと大変だったのだろうと鎗輔は思った。
〈華琳〉「まぁ、鎗輔も程々に躾けたし、今度は鎗輔にでも選んでもらいなさい」
〈鎗輔〉「えッ、えぇッ!?」
〈華琳〉「そういえば、今日の仕事を怠けていた件の罰についても……まだ決めていなかったわね」
〈鎗輔〉「……ま、まさか……」
〈華琳〉「もう一件、行きましょうか」
サァァ、と青くなる鎗輔の顔。
〈鎗輔〉「お、お許し下さい華琳さま! そもそも最初は、春蘭さんの案内をするだけのつもりで……!」
〈春蘭〉「貴様、わたしのせいにするつもりか!」
〈鎗輔〉「だって、そこから買い物につき合うことになるなんて思わないじゃないですか!」
〈華琳〉「それは先見の明がなかった、ということね」
〈鎗輔〉「……先見の明って、そういう言葉じゃないでしょ……」
〈秋蘭〉「見苦しいぞ、東雲。もう一件、決定ですね。華琳さま」
〈華琳〉「そうね。いいわね? 春蘭、秋蘭」
〈春蘭〉「華琳さまの行くところなら、どこへでも!」
〈秋蘭〉「喜んでお供致します」
そぉっと逃げようとした鎗輔であったが、華琳らにがっちり腕を掴まれて、そのまま引きずられていく。
〈鎗輔〉「そ、そんなぁ~!」
〈フーマ〉『あきらめろよ。こういう時の女には、勝てねぇもんさ』
やれやれ、とため息交じりにフーマが締めた。