プリキュアオールドスターズ ~プリキュア5の同窓会~ 作:おじ
「えぇ、分かったわ。……おやすみなさい」
広いリビングの大きなソファに腰かけて、妖精たちの視線を感じながらかれんは電話を切った。
「誰からだったココ?」
その名前が彼の心境に少なからず影響を与えると分かっていたから、かれんは言うのを躊躇した。しかし、嘘をついたところで物事が良い方向に転がるわけでもない。
「のぞみよ」
「ココ……」
ココの反応を見て、電話を代わってあげるべきだったかもしれないという考えが、今さらになってかれんの頭に浮かんだ。もっとも、異常な状況に置かれて、さらに悪い連絡を受けた彼女にそんな余裕のあるはずはない。
「こまちがどうかしたロプ?」
「ホシイナーのような怪物に襲われて、気を失っていたそうよ。りんの家で介抱して、さっき目を覚ましたみたいなんだけど……」
プリキュアとして戦っていたとき、変身を解けばそれまでのダメージは回復した。しかし、部屋の模様替えでもしようものなら翌日の筋肉痛は覚悟しなければならないくらい、彼女たちは歳をとった。
運動部の助っ人をいくつも掛け持ちしていたりんならともかく、こまちが昔ほどの体力を保ち続けているとは思えない。
のぞみの提案に従って様子を見に行くべきだと、使命感がやかましく訴える。聞こえないふりをするのは、臆病な罪悪感。
「りんの家にいたのは、のぞみとこまちだけクク?」
「そうね、りんの妹の声も聞こえたけど……」
「うららはいなかったロプ!?」
「……いなかったと思うわ」
こまちとかれんが襲われたからには、全員の安否を確認することが最も優先するべきだというのがこの場での総意だった。うららの身に何かあったとしても、彼女の周りの人間が真っ先に中学時代の友人に連絡してくれるとも思えない。
「ナッツの行方もわからないままクク」
短い腕を組み、クレープはしばらく考えをまとめているようだった。妖精の世界における政治事情などかれんには見当もつかなかったが、国を治める王だけあって冷静に状況を把握しているように見える。
やがて、両手で自分の頬を叩いたココも、個人的な悩みより目先の問題に取り組むべきだと気持ちを落ち着かせたようだ。
「敵の狙いはココ達より、かれん達プリキュアの方だったココ。ナッツを捜すより先に、うららに連絡するココ」
「そうね。連絡先が変わっていなければいいけど」
何年も連絡を取らなければ、自然とその相手はアドレス帳から消えていく。しかし、かれんの携帯電話のアドレス帳には、春日野うららの名前が残されていた。昔と同じ番号であることを祈りながら、その名前を選択する。
通話ボタンを押して電話を耳に当てると、呼び出しのコールが聞こえた。聞きなれた女性のアナウンスに切り替わったとき、かれんは予感が的中したと思いため息を吐いたが、それは録音メッセージを残すためのものだった。
「だめ、つながらないわ」
とりあえず電話を切ることにして、時計を見やる。日は暮れているが、帰宅していなければおかしいという時間でもない。とりわけ女優という職業に定時退社があるとも思えなかった。
「うららなら、きっと無事ミル」
かれんの部屋に寝かせておいたミルクが、いつの間にか扉の前に立っていた。
「だめじゃない! ミルクはまだ休んでないと」
慌てて扉の方に駆け寄ったかれんは、ミルクを抱いてソファに戻った。その小さな体を自身の膝の上に寝かせる。
「じっとなんてしてられないミル……」
「いいのよ。ミルクは十分に頑張ったんだから、後のことは私たちに任せて」
ミルクの頬に触れると、仄かに温かかった。疲労によって免疫力が下がり、熱が出ているのかもしれない。かれんは子どもを寝かしつけるような優しい手つきで、ミルクの頭を撫でた。
「うららが無事って、どうして分かるロプ?」
「怪物がこまちを襲ったとき、ナッツ様とうららはその近くにいたミル。ココ様たちを捜すためにミルクが二人と別れてすぐに、嫌な気配は消えたミル。だから、二人ともきっと無事なはずミル」
「それからナッツとうららがどこに行ったか、分からないココ?」
「ナッツ様はナッツハウスに避難されたはずミル。うららは……」
まるで友達の悪戯を告げ口する子どものように、はっとしてミルクは言葉を濁した。
「うららはどうしたの?」
かれんに問い詰められて、ようやくミルクは口を開く。
「……うららはお仕事があったミル。仕方ないミル」
リビングが束の間の沈黙に包まれたのは、うららの取ったという行動にそれぞれ何か感じるものがあったからだ。ずっと前からココ達はそれに気づいていたし、ガンバリーナと対峙したときにかれんも身を以て思い知った。
「ナッツを捜しに行くココ」
ソファから飛び降りたココは、人間の姿に変身する。
「だめよ! まだ危険だわ」
「クレープも一緒に行くクク!」
自身の胸に飛びこんできたクレープの体を受け止めたココは、制止の言葉など聞こえなかったかのようにかれんを振り返り、教師時代を思い出す穏やかな口調で言った。
「かれんはミルクを見ていてくれないか?」
「えぇ、でも……」
「ぼくたちは大丈夫。ナッツを連れてすぐに戻るよ」
頼もしい言葉だが、戦闘における彼の無力さを知っているかれんは心配でならなかった。そんな彼女の心情を察してか、ココは気まずそうに微笑んでみせた。
「ココ様……」
体を起こそうとするミルクの額に、変身したシロップの手が置かれる。
「お前は寝てろよ」
シロップはかれんを一瞥して、リビングから出て行った。そのときの彼の視線から、かれんは何か強い決意を感じ取っていた。
慣れない洗面所のどこかにあるタオルを手探りで探しあてたこまちは、ようやく濡れた顔を拭くことができた。
寝起きのひどく疲れた顔が、鏡に映る。いくら顔を洗ったところで、不安は拭い去られるものではない。
「本当に大丈夫かな」
「本人がそう言ってるんだから。ほら、帰った帰った」
玄関の方からそんなやりとりが聞こえてきた。洗面所を出たところでこまちは立ち止まり、のぞみとりんの会話に耳を澄ます。それに伴って、リビングで流れているテレビの音量も大きくなったように感じた。
扉の向こうでは、りんの家族がいつもと何ら変わらない日常を送っている。廊下で息を潜めていると、自分が何か悪いことをしているような気がして、家の中にいることでみんなの平穏を壊してしまうのではないかと思えてならなかった。
「……うん。じゃあ、何かあったら連絡してね」
「分かってる。気を付けて帰るんだよ」
玄関のドアが閉まる音と同時に、こまちの胸に訪れる妙な寂しさ。まるで誕生日やクリスマスを心待ちにしていて、それが過ぎ去ってしまった子どものようだ。
りんの足音が近づいてくると、こまちは慌てて彼女の部屋に戻った。ところが、りんは一先ずリビングに寄ったらしい。
「あれ、のぞみちゃん帰ったの?」
「うん。あ、お母さん、コップ二つ持ってくよ」
「それはいいけど、あんた夕飯はどうするの? てっきりのぞみちゃん達と食べるのかと思ってたけど」
「あー……どうだろ。多分うちで食べる」
「ゆうにもジュース持って行ってあげたら? 帰ってからずっと机にしがみついてるんだよ」
これは恐らく、りんの妹の声だ。
「そういうあんたは勉強しなくていいわけ? こっちはもう手が一杯」
扉の閉まる音がして、今度こそりんがこちらに向かってくるのが分かった。彼女の部屋をじろじろと観察していなかったと主張するために、一応は横になっておくべきか悩んだこまちは、本棚の中にやけに古ぼけた一冊のノートを見つけた。
何となく見覚えのあるノートに、いけないと分かっていながら好奇心が芽生えてしまう。背表紙の角に指をかけたとき、部屋の扉が開かれた。
お盆を持って両手が使えないため、足で扉を開けた自分をはしたないと非難しているわけではないと、りんはすぐに分かった。こまちの驚いた表情は、罪悪感によるものに違いない。
「あの、飲み物を……」
本棚からノートが床に落ちて、ページが捲られる。
「ごめんなさい。盗み見るつもりはなかったんだけど……」
ノートを拾おうとして屈んだこまちは、そこに書かれてあるものをしばらく見つめてから視線をりんに移した。
「見られちゃいました?」
コップの乗ったお盆をテーブルに置きながら、りんははにかんだ。
「捨てるに捨てられなくて、それ。今でもふとアイデアが浮かんだときに書いたりしてるんです」
「……そうなの」
ナッツハウスに並べてあった商品のデザイン画が、ページの隅にまでびっしりと描かれている。アクセサリーのデザイナーになりたいという夏木りんの思いが、このノートに痛いほど込められていた。
「でも、りんさんってたしか……」
「はい。結局はこのお店で働いてるんですけど」
軽い口調とは裏腹に、彼女の笑顔はひきつって見えた。さらに本棚をよく観察すると、アクセサリー関連の書籍が大半を占めている。
「だめね。私って」
「え?」
枕元に置かれていたポーチに手を伸ばし、こまちはキュアモと一冊のノートを取り出した。りんのものとは違って、新品の綺麗なノートだ。
「同窓会のメールに、まだ返信してなかったでしょ?」
「はい……」
目を瞑って、こまちは考えた。喫茶店でのかれんの言葉、怪物との戦い。そして、それぞれの二冊のノート。
「ごめんなさい。私は出ないわ」
微かに目が見開かれたほかには、りんに表情の変化は見られなかった。彼女は困ったように頭の後ろを掻く。
「こんな状況ですもんね。やっぱり中止かなとは思ってたんですけど……」
「そうじゃないの。ただ、私はもう……」
俯いたまま言葉を途切れさせたこまちを心配して、りんは彼女の肩に手を伸ばした。
「大丈夫ですか? やっぱりどこか痛むんじゃ……」
りんの手が肩に触れた途端、ほとんど無意識にこまちはその手を払った。
驚きと戸惑いによって、どうすればよいか分からないといった様子のりんを見て、こまちは決意した。彼女を心配させない為には、今の心境をはっきりと伝えるべきだ。
「私、小説家になる夢を諦めたくなくて、今は十年前の出来事を物語にしようと思っているの。それで、みんなの話を聞きに行こうと思っていたんだけど」
「……だから、今でもキュアモを持っていたんですか」
こまちは黙って頷くと、キュアモを手に取った。怪物を前にして変身したときのエネルギーも、今は感じられない。ただの、おもちゃのような無機質の物体。
「プリキュアに変身すれば何とかなると思っていたけど、だめだったわ。あの頃とは体の動きも感覚も、何もかもが違った。それと同じなの」
「同じって……」
聞き返した後、テーブルに置かれたこまちのノートをちらりと見て、りんには彼女の言おうとしていることが分かった。
「みんなに会えば、夢に近づけるような気がしたの。でも、りんさんを見て分かったわ。私が会社を辞めてまでやろうとしていたことは、ただの逃避だって」
「そんな……、すごいことじゃないですか。あたしなんて夢と現実に折り合いをつけて、結局は安定した暮らしを選んだだけですし」
微かな笑みを携えながら、こまちは首を横に振った。
「私にはできなかったの。夢と現実のどちらかを選ぶなんて」
かけるべき言葉が見つからず、しばらくは気まずい沈黙が部屋中を包んだ。その雰囲気に耐えられず、また、半ばやけくそ気味にりんは立ち上がった。
勉強机の引き出しを勢いよく開けて、数冊のノートを取り出す。
「これ、夕べ描いたデザインです」
複数のノートによってテーブルから居場所を失った飲み物は床の上に移動させられ、コップの中のオレンジジュースが小さく波打つ。
りんの行動に驚かされたこまちは、そのデザイン画をじっと見つめることしかできなかった。
「実を言うと、未練たらたらなんです。カッコ悪いかもしれませんけど」
こまちの向かい側に座ると、ずっと放置されていたオレンジジュースにようやくりんは手を伸ばした。飲まなければやってられないとでもいった様子で一気に半分ほど飲むと、溜め息を吐くと同時に微笑んでみせた。
「だって、のぞみの頑張ってる姿を、ずっと近くで見せられてるんですから」
その笑顔につられて、こまちの頬が緩む。
やがて、とんでもなく喉が渇いていることに気付いたこまちもジュースを口にした。甘くてどことなく懐かしい癖のある風味が、口いっぱいに広がる。
思えば、オレンジジュースなど、しばらく口にしていなかった。