プリキュアオールドスターズ ~プリキュア5の同窓会~ 作:おじ
ナッツが最後の一口を頬張るのを見届けると、彼と向い合せの位置に座っていたまどかは上半身をテーブルの上に乗り出して、彼の感想を求めた。
「どう?」
咀嚼の途中だったナッツは、こまちとよく似ている瞳を見つめ返しながら、それを飲み込んだ。
「昔と味が変わったな」
この店の豆大福の味を十年もの間、正確に記憶できるほどの舌を彼は持ち合わせていなかったが、風味とも食感とも言えない何かが昔とは違うと感じたことは確かだった。
「美味いことに違いはない。……ただ、俺は前の味の方が好みだった」
まどかはふっと息を吐くと、テーブルから体をどけて座布団に座りなおした。
「好み、ね」
後ろに反らした体を両手で支える格好で脱力しきったまどかは、そのままの姿勢で天井を見上げる。
「何でもそうなのよ。昔の方がよかった、ってね」
畳表を指の腹で縫い目とは垂直になぞりながら、まどかは天井を見るのをやめてナッツの方を向いた。彼はその表情から、彼女が何を思っているのか読み取ることはできないでいた。
「さっき、私をこまちと間違えたでしょ?」
「……ああ」
「妹に会いたい?」
これまでの彼女の言動から、今この家にこまちがいないことは何となく想像がつく。もしかすると、たまたま留守にしているわけではなく、進学や就職に伴い地元を離れたのかもしれない。
そうだとすれば、ここに長居する必要はない。早くみんなと合流して、今日のことについて話し合わなければ。
「すまないが、今は持ち合わせがない。豆大福の代金は明日でいいか」
「いいよ、お金なんて。私が食べてみてもらいたかったんだから」
ナッツは腰を上げて、十年前とまったく変わっていない客間を見渡した。彼の厳しい意見ひとつで小説家になる夢を諦めようとしたこまちを叱責したのが、昨日のことのように鮮明に思い出される。
彼が儚く繊細そうな彼女の中に強い意志を見出したのは、そのときだった。
「豆大福の味は変えたのか。それとも、変わったのか」
その質問を受けて目を丸くしたまどかは、やがて微笑むと膝を抱える格好で座りなおした。
「どっちでもあるけど、私が変えたって言った方がいいのかもね」
「なぜだ?」
古くから続いている和菓子屋の伝統の味を変えるということは、それまでその味を求めていた客に対する一種の裏切り行為ともいえる。また、確実な売れ行きを見込める以前までの豆大福なら収入も安定するだろうに、わざわざ手を加える利点がナッツには思いつかなかった。
「私の夢だからよ」
「夢……?」
「そう。食べてくれた人みんなを幸せにできるような和菓子をつくる。それが私の夢」
それだけの説明では、ナッツの質問に対する答えにならない。じれったそうにしている彼を見て、まどかは面白がっている様子だった。
「前の味は私も大好きだったし、お客さんからも好評だった。でも、それは完成された伝統の味であって、私の味じゃない」
彼女は立ち上がると、ナッツと同じ視線の高さになった。彼はこういったときのまどかの表情も、夢を語るときのこまちにそっくりなことに驚いた。
「私は思ったのよ。伝統を超えて、もっと美味しい豆大福がつくれるんじゃないかって」
「しかし、前の豆大福が好きな客もいるだろう。俺みたいに」
「たしかにそうかもね。でも、夢ってそう簡単に諦められるものじゃないでしょ?」
彼女の意味ありげな視線を受けて、ナッツは十年前にこの部屋でこまちに言った言葉を思い出した。
「……そうかもしれないな」
「私は前よりもっと美味しい豆大福をつくってみせる。これは私の意地みたいなものだから、もう元の味に戻すことはできない」
どうして彼女が自身の夢について語ることにしたのか、ナッツはようやく勘付いた。
口を開いたとき、思ったように言葉が出てこないで彼はまたも躊躇したが、彼の考えなど見通しているような眼差しに追いやられて観念する。
「こまちは……元気にやってるか?」
この質問を待っていたくせに、まどかは意地悪くもったいつけて、質問を返した。
「あなたの夢は何だった?」
「俺の夢……」
ナイトメアに滅ぼされたパルミエ王国を復活させる彼の夢は、プリキュアの尽力によって果たされた。しかし、事情を知らないまどかにそのことを話すわけにはいかない。
彼が口ごもっているのを見ると、まどかは勝手に何か言い難い理由があるのだろうと見当をつけたらしい。
「ナッツさんはその夢を叶えるために、この町を出て行ったのね?」
「……そうだ」
「それで、今は自分の決断が正しかったと思える? それとも、やっぱり昔のままの方がよかった?」
ナッツはこまちに似た彼女の顔を見るのをやめて、縁側に出た。外はすでに真っ暗で、街灯の明かりが届かないところはほとんどなにも見えない。
「今の味も悪くはないが、俺はやはり前の豆大福が好きだ」
何もない空っぽの空間に向かって、彼は呟いた。
「できることならもう一度だけ食べてみたいが、それは無理だろうな」
彼の視界には入っていないところで、まどかは黙って頷いた。
小さなその体には大きすぎるベッドに寝かされ、かれんによって毛布をかけられたミルクは懐かしい感覚に身を任せていた。
ずっと昔にミルクが病気になったとき、かれんは付きっきりで看病してくれた。布団から短い腕を出すと、ミルクはかれんの大きな手を触る。
「かれん、ありがとうミル」
かれんも昔のことを思いだし、微笑んでみせた。近くにあった椅子をベッドの傍に寄せて、それに腰かける。
「いいのよ。ミルクこそ、こまちを助けてくれてありがとう」
「かれんだって、ココ様たちを助けてくれたミル」
変身して勇敢に怪物と戦ったこまちやくるみとは違い、かれんはあのとき何もできなかった。もしも、あの場面でシロップが来てくれなかったらどうなっていただろうと恐ろしい想像をしてしまう。
「ココを助けたのはシロップとクレープ王女よ」
失望した様子もみせず、初めから知っていたとでもいうようなミルクの瞳に、かれんは郷愁を覚えた。
枕元の照明がちかちかと明滅する。それはまるで彼女の心の内を表しているようだった。
「ねぇ、ミルク。私はもうプリキュアじゃないの」
ミルクは何も言わず、ただかれんの顔を見つめるだけだった。それに構わず、かれんは言葉を続ける。
「十年近くも、平和な、当たり前の生活が続いていたのよ。キュアモはもう何年も、あの引き出しの中にしまったままだわ」
かれんは小学校の頃から使い続けている勉強机を示した。学生の時分はキーホルダーのような小物を頻繁に出し入れしていたが、最近は入れるものも取り出す必要のあるものもなくなり、長い間その引き出しは閉ざされたままだった。
瞬きをしていたら見逃してしまいそうなほど微かに、かれんの表情が柔らかくなるのをミルクは感じた。ノスタルジックで、どことなく寂しそうで、厳しそうでもある。
ミルクは無意識のうちに、自分もそれと似た表情をしているなどとは思いもしなかった。
「かれんがナッツハウスに来なくなって、寂しかったミル」
今朝の喫茶店でこまちの話を聞いたとき、かれんはつまらない想像をした。
彼女がナッツハウスに行くのをやめなかったら、今でもみんなが毎日のように集まれただろうか。皮肉な笑みを携えながら首を横に振り、かれんはミルクの手を包むように握る。
「いつまでもみんな一緒にいることはできないのよ」
かれんの目はまっすぐにミルクを見つめていたが、その言葉はミルクに向けられたものではなかった。少なくともミルクには、そう感じられた。
「学校を卒業して、入学して、就職して、色んな人と出会って別れないといけない。やがて家を出て、結婚して子どもが生まれて、新しい家に住む。そして、大切な人たちが亡くなっていく」
声色を低くしてかれんが目を伏せたとき、ようやくミルクは屋敷の中があまりにも静かなことに気付いた。
「誰とでも、いつかは別れなければいけないの」
暗い雰囲気にならないようかれんは笑顔をつくろうと試みたが、どうしてもわざとらしいものになってしまい、すぐに諦める。
その偽の笑顔が消えないうちに、ミルクは尋ねた。
「かれん……。この家には今かれん一人ミル?」
かれんは何も答えず、ミルクから顔を背けただけだった。
彼女の素直な笑顔が見たくてミルクはかれんの手を握り返そうとしたが、その小さな手では肌の表面に触れるのが精いっぱいだった。
秋元こまちは電柱の陰に身を潜めると、その行動の間抜け具合に自身を嫌悪してみた。
「ごめんね。あの子ったらどこをほっつき歩いているんだか」
「いいんだ。世話になった」
怪物との戦いで気を失った彼女を助けたのはくるみだと教えられたとき、ナッツ達もこちらの世界に来ているのではないかと想定はしていたが、店の前にナッツの姿を認めると途端にこのような行動をとってしまっていた。
それは彼女にとってずっと望んでいたものであり、叶うにはあまりに急すぎた。
別れの挨拶を済ませた彼の足音が遠ざかっていくのが分かる。店の扉が閉まる音がして、照明が消えた。
彼と顔を合わせるのがどうしてこんなに怖いのか、彼女は分からなかった。今の自分を見せたくないのか、今の彼を見たくないのか、その両方かもしれない。
足音がどんどん小さくなる。こんなことで焦り、悩まなければならない性格に彼女は嫌気が差した。きっと、彼が去った後には、やっぱり話しかけておけばよかったと後悔する彼女が取り残されているのだろう。
何を話せばいいのかも分からない。そうやって迷っているうちに、彼女とは違う声が彼の名を呼んだ。
「ナッツ! こんなところにいたのか」
聞き覚えのある声と喋り方で、こまちはそれがシロップのものだと見当をつけた。
「あちこち捜したんだぞ」
「シロップ……。みんなは無事なのか?」
「後で話す。とりあえず、かれんの家に戻るぞ」
「なぜかれんの家に……」
二人の話し声が聞こえなくなってようやく電柱の陰から出てきたこまちは、そこからどんなに離れても、ぴったりと影がついてくるように思えた。
多くの不安や後悔が渦巻く影は、彼女の肉体だけでなく心までも覆う。暗闇に包まれた町を日の光が照らすことは、二度とないようにさえ思われた。