プリキュアオールドスターズ ~プリキュア5の同窓会~ 作:おじ
水無月邸に帰る道すがら、ナッツにこれまでの経緯を説明したシロップは、話しながら心の内に奇妙な感情がこみ上げてきて、それを抑えるのに苦労していた。
胸の辺りで閊えているものの正体が彼には分かっていたから、吐き出すことも飲み込むこともできず、フラストレーションは溜まるばかり。
「戻ったぞ」
二人が玄関に入ると、水滴が連続的に壁や床を叩く音が廊下の奥から聞こえてきた。そのほかには、人の話し声どころか風が窓を揺らす音すら聞こえない。
森閑とした屋敷は、先ほどまでの印象とは打って変わって彼らの侵入を拒絶しているように思えた。
「ココ達はまだ帰ってないみたいだな」
誰もいないリビングを覗いてから、シロップは一応のノックを済ませてかれんの部屋の扉を開けた。
そこにもやはり彼女の姿はなく、ミルクだけがベッドで横になっていた。
「ナッツ様!」
体を起こそうとしたミルクを制して、ナッツは傍にあった椅子に腰かけた。
「無理をするな。心配かけて悪かった」
「ご無事で何よりミル……」
ナッツの性格を熟知しているミルクは素直に頭を枕の上に乗せると、そのままの姿勢で微笑んだ。
「かれんは風呂か?」
部屋の中を見回しながらシロップが尋ねる。どこもかしこも綺麗に整頓されてあって、いかにもかれんらしい部屋だ。本棚には難しそうな医学書がずらりと並び、机の脇に置かれたノートの数から、かれんが医者になる為にどれだけ勉強をしてきたのかが分かる。
「今日が大学の卒業式だったらしいミル。あんなこともあって、きっと疲れてるミル」
「じゃあ、ちょっくらココとクレープ王女を迎えにいってくるか」
廊下に出たシロップを引き留めたのは、リビングから聞こえる妙な音。彼らがさきほど玄関から入ってきたとき、それはたしかに聞こえなかった。
かれんは相変わらずシャワーを浴びているらしい。つまり、扉の向こうで電子機器などを操作する者もないはずだ。
「何だ?」
リビングに入るのと、音の発信源を突き止めたのはほぼ同時だった。ソファに置き去りにされた、かれんのかばん。その中で初期設定のままの着信音が、鳴り続けている。
投函された手紙を勝手に読むのと同じくらい、携帯電話に登録された連絡相手を知ろうとするのは禁忌であるという情報を、シロップはテレビから得ていた。しかし、今は緊急事態である。罪悪感と一緒に、かばんから携帯電話を取り出そうとする。
「おっと……これじゃないか」
手の感触だけを頼りに掴んだのは携帯電話と形状のよく似たキュアモであり、それは壊れたおもちゃのように音も出さなければ光を明滅させることもない。彼は乱暴にキュアモをかばんの中に戻すと、今度こそ何度も着信音を鳴らして自己の存在を主張している携帯電話を手に取った。
液晶画面に表示された名前がシロップの知らないものであったなら、彼はそっと電話を戻すつもりでいた。のぞみ達からの電話であれば、用件だけ聞いて後からかれんに伝えればいい。そう思っていた。
ところが、春日野うららの名前が目に入った途端、シロップはそれまで考えていたシナリオなど忘れて通話ボタンを押していた。
「もしもし……?」
その声は、記憶にあるものと少し違っていた。昔はもっと透き通るような高い声で、明るい喋り方のはずだった。
記憶がどれほどあてにならず、美化されていたかを思い知ったシロップは、ふっと息を吐いた。
「……もしもし」
「え?」
思いがけない男の声に、彼女はきっと携帯電話の画面を確認したのだろう。やや間があって、うららは事務的な口調で尋ねた。
「あの、水無月かれんさんの番号で間違いないでしょうか?」
もしかすると、うららは自分のことをかれんの恋人と思ったのかもしれない。そんな想像をして勝手に面白がり、口元を緩める。
「……あぁ」
電話の向こうで、彼女が息を呑むのが分かった。シロップは彼女が何か言うのをしばらく待ってみたが微かな呼吸音しか聞こえず、既にかれんの携帯電話に出た彼の正体に気付いているはずの彼女に確信を与えてやることにした。
「久しぶりだな」
うららがどんな表情をして、何を思ったか、それはわからない。驚いていることには間違いないだろうが、その驚きが喜びによるものか、それ以外の感情によるものかさえ、電話越しでは知ることはできない。
「……シロップ?」
彼はその質問には答えず、リビングの扉の方を振り返った。かれんが風呂から上がってくる様子はない。
「今まで仕事だったのか?」
「え? ……うん」
「ってことは、無事なんだな」
それが分かると、さっきまで心配でならなかったというのに、意地の悪い考えでシロップの頭はいっぱいになった。そして、今の彼はその感情を抑える気分にはなれなかった。
「シロップ、どうしてかれんさんの……」
そんなことも分からないのかと、シロップは彼女の勘の鈍さを軽蔑した。昔は色んなことに気の利く人のいい性分だったのに、今では彼女の声や話し方の些細な癖まで彼を苛々させる。
「さっきから誰と話しているんだ?」
いつの間にかナッツがリビングに入ってきて、訝しがるように彼を見ていた。
シロップはその目から視線を逸らさないで、送話部に向かって静かに告げる。
「こまちが怪我をした」
ナッツの眉がぴくりと動いた。彼を見つけたときは敢えて何も聞かなかったが、ナッツがこまちに会おうとしていたことくらい分かる。そこでどんなやりとりが交わされたかを知りたいとは思わないが、うららの取ったという行動に対する彼らの反応には興味があった。
「……知ってる」
「近くにいたんだろ?」
「うん」
「じゃあ、どうして……」
ナッツが彼の携帯電話を奪おうと近づいてきた。シロップは軽い身のこなしで彼をかわしながら、受話部は耳に押し当て続けていた。
「シロップ、やめておけ」
彼は首を横に振った。うららの口から聞くまでは、それを認めたくはなかったのだ。
「わたしは……」
そこで言葉は途切れ、シロップはしばらく続く言葉を待ったが、彼女はそれを言うつもりはないようだった。
「ごめんなさい。明日は朝早いから、もう切らないと」
彼はかっとなって通話終了のボタンを押そうとしたが、ナッツの物悲しそうな目を見ると躊躇ってしまい、そのうちにうららの方から電話が切られた。
受話部を耳から離して電話が切られるまでの間、うららが何か言ったような気がしないでもなかったが、もはやシロップにとっては取るに足らないことのように思えた。
夢原のぞみは、明朝のバイトや夕飯を食べずに待ってくれているであろう家族のことなんて忘れて、今夜はこのままナッツハウスに泊まってしまおうかなどと考えだしていた。
商品や小物は撤去されてしまっているが、ほとんど昔のままの状態に戻ったナッツハウス。街の喧騒とはかけ離れた静かな夜と綺麗な月明かりが、彼女をノスタルジックな気分にさせる。
あっという間に十年が過ぎた。
時代の流れと共に物事が変化していくことに、のぞみは慣れてしまっていた。ナッツハウスだって、ナイトメアとの戦いが終わりココ達がパルミエ王国に戻る以前に使っていた建物は、彼女たちがそこでかけがえのない時間を過ごしたことなど知るはずもない誰かに借りられている。
あのナッツハウスで、夏木りんはアクセサリー関連の仕事に就きたいという夢を見つけた。
春日野うららに歌手デビューの話が持ち上がったとき、のぞみ達は嬉しさのあまり彼女が悩んでいることなど知りもしないで追いつめてしまった。
ナッツの不器用さが、秋元こまちを苦しめたこともあった。
そして、みんなで夢を叶えようと約束したのに、水無月かれんは医者になる夢を叶えるためにナッツハウスを去っていった。
屋上から自分の生まれ育った街を眺めながら、のぞみは誰でもいいからこの場所を訪れてくれないかなと期待して、無為な時間を過ごしていた。
「誰もいない……か」
下の階から声が聞こえたとき、のぞみはそれを幻聴と決めつけようとした。もしも彼が近くにいるのだとしたら、それはあまりにも都合が良すぎると思ったから。
しかし、健康だけが取り柄のような彼女に幻聴が聞こえる方が、よっぽど都合がいいなどという考えはさっぱり思いつかなかった。
「他にナッツが行きそうな場所は知らないクク?」
「そうだな……。もしかしたら、シロップが見つけてくれているかもしれない。一旦かれんの家に戻ってみよう」
のぞみは足音を立てないようにして階段を降りていった。彼の声が近づくにつれて心臓の脈打つ音が、体の外にまで漏れているのではないかというくらい激しくなる。
彼がすぐそこにいる。まず何て言おう、どんな話をしよう。再会を、彼は喜んでくれるだろうか。
「クレープ王女……。楽しい食事会のはずがこんなことになってしまって、すまない」
ステップの途中で宙に浮いたままの片足を、静かに戻す。
「ココ国王のせいじゃないクク。クレープは自分の意思で招待を受けたクク」
「……そうだ。こんなときに不謹慎かもしれないけど、縁談の話は……」
どうして隠れていなければいけないのか、ばからしく思えてきたのぞみは堂々と彼らの前に姿を現すことにした。
階段を振り返ったココと目が合っても、のぞみが期待していたようなものは何も得られなかった。先ほどまで高鳴っていた心臓の鼓動も、途端に緩やかになる。
「久しぶりだね、ココ」
髪が伸び、化粧もして落ち着いた服を着たのぞみの姿を、ココはしばらく見つめていた。
「のぞみ……」
それからの沈黙は、二人にとって果てしなく長い時間のように感じられた。お互いの呼吸の音と、虫の鳴き声だけがその空間に響く。
やがて、その沈黙を破ったのはココの方からだった。
「どうしてのぞみがここに……?」
のぞみは何てことないといった様子で笑顔を繕い、ナッツハウスの鍵を彼に見せた。
「同窓会の会場に使っていいよって、かれんさんから鍵を渡されたの」
「……のぞみが掃除したのか?」
「ううん。ほとんどは、かれんさんが綺麗にしてくれたんだよ」
こんな当たり障りのない会話をするくらいだったら、今日のところは帰って勉強でもしていた方がましだ。せっかくの再会なのに、自分の嫌なところを彼に見せたくない。
「わたしはもう帰るけど、ココ達はどうするの?」
「ぼくたちはかれんの家に……」
「そう……」
ココの返事など最初からどうでもよかった。沈黙が彼女の行く手を妨害することのないように、先手を打っただけ。
「じゃあ、おやすみ」
のぞみはナッツハウスを出ると、駆け足でそこを離れた。自分の気持ちや行動が理解できないで、嫌な気分になる。
不気味なほど静かすぎる夜も、一人にしてほしいのにわざわざ暗闇の中で彼女を照らし出す月明かりも、好きになれなかった。