プリキュアオールドスターズ ~プリキュア5の同窓会~ 作:おじ
まだ肌寒い春の朝は、夏木りんにとって快いものではなかったが、店のシャッターを上げて気持ちのいい日差しを浴びると途端に体が元気になったように感じられた。
店の前を行き交うのは犬を連れたお年寄りかジョギングに励む健康マニアくらいのもので、ひんやりとした空気の漂う静かな朝は彼女を爽やかな気分にさせる。
たまにスーツ姿の人が通りかかると、彼女は心の中で同情して、彼らと同じく休日にも関わらず働いている自分を皮肉った。
開店の準備をしながら、彼女はそのような雑念を取り払う。客商売が週末に忙しいのは当然のことであり、これまで一度もそれを苦に思ったことはない。
客の希望に沿った花を一緒に考えるのは楽しいと思えたし、その花の育て方や特徴を教えるのは彼女の得意技能であった。それを存分に活かせるこの仕事にやり甲斐も感じている。
それなのに、夕べのこまちの言葉が頭から離れなかった。
花が好きで、家族もこの店も好き。だから、夏木りんが花屋を継ぐのは当然の成り行きだった。彼女が継がなければ、弟か妹にそれを押しつけることになる。二人の夢を奪うことになる。
「だったら、仕方ないじゃない……」
無意識にひとり言がこぼれて、はっとすると彼女は足元の花瓶に躓いていた。学生の時分には運動部の助っ人をいくつも掛け持ちしていた彼女の身体能力は衰えておらず、すぐに体勢を立て直して転ばずに済んだが、花瓶は彼女ほど運動が得意ではない。
だるまのように大きく傾いた花瓶が床にぶつかる寸前、汚れた白のスニーカーがそれを受け止めた。
「気をつけろよ」
「ゆう、ありがとう」
いつもならぼさぼさの髪のままジャージ姿で部活に出かけていくゆうが、まともな身なりをしてそこにいた。部活の道具も持っておらず、くたくたのシャツの上にエプロンをかけている。
「その格好、どうしたの? 部活は?」
彼は花瓶を元の場所に戻すと、りんとは目を合わさずに言った。
「今日……忙しい?」
「いや、まだ開店もしてないし……」
「部活休みで暇だし、手伝おうか?」
何かできることはないかと店内のあちこちに視線を巡らせながら、彼はりんからの指示をじれったそうに待っていた。
「嘘。部活さぼったくせに」
廊下の方から落ち着かない足音が聞こえてきたと思えば、彼と同じようにエプロンをしたあいが踵を靴に収めながらゆうの些細な嘘を告げ口した。
「どうしたのよ、二人とも。いつもは手伝いなんてほとんどしないのに」
「お姉ちゃんがやらせてくれなかっただけでしょ。あたしの仕事だから、って」
どこからか持ってきた箒で花瓶からこぼれた土を手際よく掃いてしまうと、あいは勝手に自分の役割を決めて店内の掃除を始めた。
「別に……いつもあたし一人で手は足りてるし、休みの日ぐらい遊びに行ってきていいんだよ?」
「休みの日ぐらい、手伝わせてよ。それで、たまにはそっちこそ出かけたら?」
母の日じゃないんだから、とりんは思ったが、二人の好意を素直に受けるわけにはいかなかった。
ゆうもあいも、接客の仕事はもちろんのこと、花についての知識も乏しいはずだ。これまでほとんど仕事を手伝ったこともなければ、彼らがこの仕事に向いているとも思えない。
ゆうは無愛想であり、あいは愛嬌こそあれど落ち着きがなく、どちらも花に詳しい客の対応などはできないだろう。
りんは頭を抱えてため息を吐いた。二人が手伝ってくれるおかげで少しは楽になるのか、教育という負担が増えるだけか。おそらくは後者だろうと彼女は考えていた。
「じゃあ、開店まで一時間しかないから、気合入れていくよ」
まるで気合の入ってない返事をする二人に向けて、「ちなみにお駄賃は出ないから」と付け加えると、あいは「けち」とりんを非難するのだった。
太陽の光がカーテンの隙間から差しこんでくると、秋元こまちは鉛筆を置いて真っ白なままの原稿用紙を机の隅に片付けた。
階下から聞こえる物音が騒がしくなる。姉と両親が開店の準備に追われているのだが、こまちはそれに気づかないふりをしていた。手伝いが必要なら起こしにくるだろうし、今朝は彼女にとって最悪の目覚めだった。
やたらと早い時間に目が覚めて、しばらくは横になり寝る努力をしてみたのだが、一向に眠気は訪れなかった。そのくせ体は重く、とりあえず机に向かってみても思考が鈍っていて何を書く気にもなれない。
カーテンを開き、倦怠感を取り除こうとする。眩しさに目がちかちかして、彼女はまるで吸血鬼になったみたいだと思った。
しかし、吸血鬼と違って彼女には義務がある。人間らしく、そろそろ一日を始めなければならない。
さっさと支度を済ませて店に顔を出すと、既にほとんどの準備は済んでいた。戸の入り口近くではまどかが豆大福をつくり、両親は奥の調理場で他のお菓子を仕上げている。
「おはよう」
最後の工程に取りかかろうとしていたまどかは、こまちの顔をちらっと見ただけでほとんど視線を合わさなかった。
「うん、おはよう」
作業の邪魔にならないようにそっと後ろを通り、流し台で丁寧に手を洗う。
学生の時分には大型バイクで一人旅に出るなど何かと豪快だった反面、美術の創作に関しては繊細な一面を覗かせたこともあるまどかは、そうしたときの集中力を和菓子づくりにいっとう注ぐのだった。
こまちだって、物語のラストシーンを書いている最中は話しかけてほしくない。もっとも、最近はラストシーンどころか序章さえ書けなくなったのだが、とにかく彼女は姉の作業がひと段落するまで待つことにした。
「よし、できた」
最後の一つを完成させると、まどかは額の汗を拭うような動作をして、ようやくこまちに笑いかけた。汗なんてかいてないのに、とおかしく思いながら、こまちも笑みを返す。
「お姉ちゃん、何か手伝うことある?」
「うーん、そうねぇ……」
おどけたように腕を組んでいかにも考え中といった格好をしたまどかが指示をくれるまでの間、こまちは奥で作業している両親を見た。父と一瞬だけ目があったが、すぐに逸らされてしまう。
大学まで行かせてやった次女がせっかく入った会社を辞め、店を継いでくれた長女は看板商品である豆大福の伝統の味を変えてしまった。父の立場になってみれば、どんな態度をとられても仕方がないとこまちは思った。
しかし、文句を言ってこないところを見ると、実は応援してくれているのではないかと思うときもある。そして、今のこまちは、それに甘えてしまっている。それくらい自分でも分かっていた。
「じゃあ、この豆大福を陳列しといて。あと、暖簾もかけといてくれる?」
了解の意味を込めて頷くと、未だに違和感を覚える新作の豆大福を店まで運ぶ。味を変えてから売り上げはがくっと落ちたが、家族の中にそれを口にする者はいない。こまちだって、やっぱり前の味の方がよかったなんて絶対に言うつもりはない。
こまちが会社を辞めたとき、まどかは「どうして」とか「もったいない」などのこまちが言われるだろうと想像していた言葉を一切使わなかった。その代わりに「そっか、小説家になるのがこまちの夢だもんね」と納得して、こまちの頭を撫でただけだった。
だから、こまちも姉を追いつめたり励ましたりはしない。そんなことができる身分ではない。
しかし、そういった“思いやり”も、実はただの“甘え”なのではないかとこまちは考えだしていた。自分が言われたくないから、まどかにも言わないだけなのだろうか。
そうだとしたら……。こまちは考える。
夏木りんは弟妹のために夢を諦めた。正確には、夢を叶えるのを諦めた。
ずっと引き延ばして逃げてきたが、そろそろ頃合いかもしれない。いつまでも、夢見る少女じゃいられない。
現実が、中学のときに思い描いていたものと違うということは、昨日思い知ったじゃないかと、こまちは自分を皮肉った。
「あの、こまちさん?」
こまちが暖簾を掲げるのに手間取っていると、背後から誰かが彼女に声をかけた。
本当は、“誰か”ではない。こまちは振り向く前から、そこに夢原のぞみがいることを知っていた。彼女の言葉にどれだけ励まされたか分からない。彼女の声を、忘れるわけがない。
「おはよう。どうしたの? こんなに早く」
「よかったー。やっぱりこまちさん」
後ろ姿だけではこまちとまどかの区別がつかなかったのか、のぞみはほっと胸をなで下ろした。
「体、大丈夫ですか? どこか痛くありません?」
「えぇ、心配してくれてありがとう」
体の調子は万全とは言えないが、それはきっと昨日の戦闘によるものではない。原因は他にあり、こまち自身が分かっているのだから、わざわざのぞみに話して気を遣わせることもあるまい。
「昨日のこまちさん、何か元気なかったから……」
そんなことを言うのぞみの方こそ元気がなさそうだと、こまちは彼女の顔を見たときから思っていた。先ほど顔を洗ったとき、鏡に映った自分の表情とそっくりだ。
「よかったら上がっていかない? せっかく来てくれたんだし、お菓子もあるのよ」
「すみません。これからバイトで、もう時間ギリギリなんです」
こまちの記憶にあるままの彼女だったら、お菓子という単語に食いついただろう。遅刻しそうな状況でも、ちょっとぐらい大丈夫と言ってみてはりんに注意される姿が鮮明に思い出される。
そんなのぞみも、十年経ち大人になったということだ。本当なら喜ぶべき彼女の成長をこまちが少し残念に思っているところで、「本当はすっごく食べたいんですけど」とのぞみが言ったものだから、こまちはつい笑ってしまった。
「よかった。こまちさん、元気そうで」
のぞみは大人になっても、やはりこまちの記憶にあるままの彼女だった。今のやり取りだけで、分かる。彼女のいいところは一つも変わっていない。
「気を付けてね。また昨日みたいなことが起こるかもしれないわ」
「大丈夫です。ちゃんとこれ、持ってきてますから」
のぞみがバッグから取り出したキュアモは、こまちの持っているキュアモより輝いて見えた。光沢があるとか手入れがされているという意味だけでなく、活き活きとしたエネルギーを感じられる。
「いつもお守り代わりに持ち歩いてるんです。何かあったら、みんなのことを思い出して元気になれるから」
そのとき、のぞみが見せた儚げな表情は、こまちの心を締め付けた。
「のぞみさんは、今でも先生になりたいって気持ちは変わらない?」
一体、自分がどんな答えを期待してそのような質問をしたのか分からなかったが、気づいたときには言葉が独りでにこぼれていた。一度こぼれてしまうと、次から次に溢れてくる。
「え?」
不意をつかれたのぞみの声は裏返り、素っ頓狂なものになった。
「私はここのところ、分からなくなってきたの。昔は物語を考えたり書いたりするのが楽しくて仕方なかった。それなのに、今は何も浮かばなくて、行き詰って、ただ辛いだけ……」
聞かれてもいないのにこんなことを話すなんてどうかしていると思いながら、こまちは息を吐いた。のぞみの顔をちらっと窺うと、一瞬だけ戸惑いが見え隠れしたが、すぐに彼女は微笑をくれた。
「でも、それがこまちさんの夢なんですよね?」
そう言って、彼女はキュアモを握りしめた。
「わたしも辛いこと、たくさんあります。勉強はやっぱり苦手だし、バイトも大変でお父さんとお母さんに心配もかけてるし……。頑張るのをやめたら楽になれるのかな、とか嫌なこと考えるときもあります」
ふと、のぞみのキュアモからぶら下がったキーホルダーがこまちの目に留まった。五色のビーズと三色の鈴が連なり、輪っかになっている。いつか五人で喧嘩をしたときに、ココがのぞみに作ってあげたものだ。
「でも、楽しいだけじゃだめなんだって……。どんなことも諦めずに一生懸命がんばれって教えてもらったから」
彼女ははにかんで、こまちを見た。反射的に視線を逸らしそうになったが、こまちものぞみを見つめ返した。
いつからか、逃げるのが癖になっている。先にある障害を避けて、また避けて、気が付いたらこまちは今の道に迷い込んでいた。
しかし、夢原のぞみは自分の進む道を信じて、真っ直ぐに歩いた。道を変えず、障害と向き合った。
自分に必要なのは、その強さだ。のぞみが言い終わるまでの間、こまちは彼女の瞳を見つめ続けた。
「どんなに辛くても、面倒くさくても、それがわたしの選んだ道だから。わたしの大切な夢だから、どうしても叶えたいんです」
こまちは目を瞑り、自分の歩んできた道を振り返った。複雑に入り組んで、元の場所に帰る道すじも分からない。帰り道など、はじめから存在しないのかもしれない。あったとしても、戻ることはできないだろう。
スランプの原因が、やっと分かった。