プリキュアオールドスターズ ~プリキュア5の同窓会~ 作:おじ
一夜明けるとミルクの体調が回復した代わりに、ココとナッツは落ち込んでいるようで、シロップは見るからに苛々していた。
わけがわからずとも、休日の気持ちのいい朝に妖精という本来はメルヘンなはずの生き物によって家の中の雰囲気を暗くされるのは、かれんにとって好ましいことではない。
息子の仇と言うのなら、もっと早くに来てくれたらよかったのに、とかれんは思う。ナイトメアやエターナルと戦っていたときは彼女たちも必死だったし、そんな状態で相手の家族を気の毒に思えたなら、歴史の教科書にやたらと戦争ばかり記載されることもなかっただろう。
十年も経てば、時効のようなものだ。次にガンバリーナと対峙したときは、まず謝罪とお悔みの言葉をかけ、自分たちの身の潔白を証明しようと彼女は考えた。手を汚したことに違いはないが、あなたの息子さんだって世間に顔向けできないようなことをしていたんですよ、と釈明すればきっと分かってくれるだろう。
お互いにもう大人なのだから、話し合いで解決するのが最善である。みんなに連絡をとって今後の対応を話し合うべきだと、いかにも王様みたいなことを言う妖精たちに今のような意見を述べたかれんは、結局のところ机上の空論だと言い残して家を出てきた。
怪物と出くわしても戦うつもりは毛頭なかったが、ミルクが護身用にどうしても持って行けというので、引き出しに仕舞ってあったキュアモをかばんに入れてきた。
引き出しというのにずっと引き出していなかったものだから、随分と立てつけが悪くなり簡単には開かなかった。それと同じように、伝説の戦士だって十年も経てば戦えなくなっていそうなものだが、ミルクの気遣いを邪険にするわけにもいかない。
かれんの身を案ずるのであればミルキィローズであるところのミルクが付き添うべきだとシロップは冗談交じりに提案したが、王様たちは超過労働に厳しかった。
こまちは、どんな気持ちで変身したのだろう。偶々キュアモを持っていてよかった。生身ではローズが駆けつけるまで持ち堪えられなかっただろうから、被害は大きくなり怪我人が出ていたかもしれない。その怪我人がこまちだったかもしれなかったのだ。
結果的にこまちはやられてしまったが、彼女の変身は無駄ではなかった。かれんはそう思うことにした。こまちがキュアモを持っていなかったら……、つまり、喫茶店でかれんと会っていなかったら全てが違っていた。
どうしてこまちは今になって会おうと言い出したのか――それは、かれんの卒業を祝うためだった。
――それなら、どうしてこまちは私の卒業を知っていたのかしら……。
そこまで考えが至ったとき、いつの間にかかれんはいつもの病室の前に立っていた。半月後から勤めることになる病院に今のうちから無意識に辿りつけたことを、かれんは皮肉に思う。
ノックをすると、微かに何か聞こえたので、それを返事と受け取って彼女は病室に入った。
「おはよう、じいや。今朝の気分はどう?」
聞くまでもない。彼の体調が優れないことは、医学の知識がなくても分かる。ノックに返事もできないくらい、彼は弱っていた。
病気を患って幾年か経つが、これほどまでに狼狽した様子の坂本を見るのは初めてだったから、かれんは大変なショックを受けた。
「お嬢様、こんなに早く……」
せっかく早起きして来たのだから少しは嬉しそうな顔をしてもよさそうなものだが、坂本の表情は寂しそうである。かれんの胸は締め付けられるように痛み、話したいことはたくさんあったはずなのに、彼の細い腕や首元の皺が、いかにも死にかけの病人であることを今さら主張しているように思えて言葉が出てこなかった。
笑顔を繕おうとするが、うまくいかない。かれんが黙ったままでいると、坂本の方から話しかけてきた。
「学業もひと段落されたことですから、ご友人と出かけられてはいかがですか。気持ちのいい天気ですよ」
坂本は窓の外を眺める。しばらくの間、彼は囚人のようにこの病室に閉じ込められて、外に出ていない。それなのに、かれんには外出を勧める。
映画やドラマのクライマックスでは、重症患者が家族や恋人や友人の力を借りて病院を抜け出すことがよくある。思い残していたことを最後にやり遂げて、安らかに眠りにつくハッピーエンド。
しかし、物語ならそこで終わるのだから都合がいいが、水無月かれんの人生はその後も続いていく。“ハッピー”でも“エンド”でもない。
それに、かれんは坂本の家族でも恋人でも友人でもなく、彼が最後に何を望むのかすら分からなかった。
「……いいの。私がじいやの傍にいたいんだから」
かれんはベッドの傍にあった椅子に腰かけて、彼の手を握る。皺だらけで、冷たく、小さい。幼いころにつないだ手は、あんなに大きく温かかったのに。
「小さいときから、ずっと迷惑をかけてきたんだもの。これくらいのことはさせて」
「迷惑なんてとんでもございません」
かれんに握られているのとは反対の手を伸ばし、彼女の手を包むように重ねた。
「ただ、私はお嬢様に自分の時間を大切にしてほしいと思っているだけです。先の短い私より、ご友人と過ごす時間を優先させてください」
十年が経ち、かれんは大人になった。その分、坂本も歳をとった。“死”に近づいた。そんな当たり前のことを、かれんは今さら感じだしていた。
奇跡的に今の症状が回復しても、すぐにまた他の病気にかかるかもしれない。よっぽどのことがないかぎり、かれんより先に坂本は死ぬ。分かっていたのに、その日が今日ではないとかれんはいつも思っていた。
しかし、今朝の彼を一目見たときに予感がした。その日は、今日かもしれない。明日かもしれないし、何か月も後かもしれない。
ただ、五年後や十年後ではない。その日は刻一刻と迫っている。
「じいや。お願いだから、そんなこと言わないで」
坂本は黙ったまま、かれんの手の甲をさらりと撫でた。冷たかったはずの手が、さっきよりほんの少し暖かく感じられた。
しばらくして病室を出たかれんは、廊下の先の長椅子に春日野うららが腰かけているのを認めた。
まるでオーディション直前のように、肘をぴんと伸ばして、握った拳を膝の上に乗せている。かれんはオーディション前の風景を実際に見たことはなかったが、何となくそのように感じた。
「おはよう」
俯いていたからかれんが出てきたことに気付いていなかったらしく、うららはびくっと体を竦めて、上目使いで彼女を見た。
「おはようございます。……それと、お久しぶりです」
一晩あれば夕べの電話の着信くらい確認しているはずだから、彼女の方から連絡があるかもしれないと思ってはいたが、病院で出くわすなんて想像だにしていなかった。
「誰かのお見舞い?」
「いえ。……実は、かれんさんのあとをつけてきたんです」
かなり高齢なはずのうららのお祖父さんが入院しているかもしれないし、うららが病気なんて可能性もある。ずっと連絡をとっていなかったことを後悔してあれこれ心配していたかれんの意表を突く、その返事。
「たまたま、かれんさんが病院に入っていくのが見えて……。それでわたし、こまちさんが入院して、そのお見舞いかもしれないと思ったんです」
うららの声は微かに震えていた。ミルクの話が本当なら、昨日の怪物が現れた現場に彼女は居合わせていながら何もしなかった。それでこまちが怪我をしたというのだから、罪悪感を覚えているのかもしれない。
「こまちは無事よ。気を失っただけで、どこも異常はないみたい。それに、他のみんなの無事も確認できているわ」
「そうですか……」
うららは、かれんが出てきた病室をちらりと見た。扉の横には、入院している患者の名前が記されたプレートがある。彼女の次の質問を予想するのは、あまりにも容易い。
「坂本さん、どこか悪いんですか?」
「えぇ、何年も前から体調を崩していて、ずっと入退院を繰り返しているの。じいやも、もう歳だから……」
仕方ない、とは言いたくなかった。それを認めてしまうのは少しでも先送りにしたかったから、かれんは話題を変えることにした。
「うららはこれからお仕事?」
「はい。昨日、中止になった撮影の続きで……」
「あ、あのドラマね。ここのところ忙しくてちゃんと観れてないんだけど、恋愛もののヒロインでしょ? すごいじゃない」
病室に置いてあるテレビにうららの姿が映ったときは、つい興奮してしまい「今、うららが映ったのよ」と一緒に画面を見ていた坂本に教えたくらいだった。「はい、私も見ていました」と言われて恥ずかしくなったが、家に帰るとすぐに新聞を確認して毎週録画の予約をしておいたまま、まだ一話しか観ていない。
「あれ、ヒロインじゃないんです」
うららはぎこちなく笑って、窓の外を見る。
「主人公がヒロインと恋するための踏み台っていうか、要するに元カノですね。出番は最初の四話と途中で少し……」
「でも、そういう役も必要よ」
窓の方から視線をかれんに戻し、彼女のフォローを受け流すようにうららは笑う。昔のような、はじける笑顔とは違う。乾いた、大人の笑い方だった。
「わたしの役からしてみれば、ひどい話ですよね。こっちはまだ好きで、一緒にいたいって思ってるのに、相手の気持ちが変わったからあっさりお別れ……なんて」
「……そうね」
うららは遠回しな嫌味など言うような子ではなかったから、かれんがそのように感じたのは思い込みだと自分に言い聞かせた。しかし、十年もあれば性格だって変わる。うららが嫌味の一つくらい言ったとしてもおかしくはない。むしろ、それが普通だ。
「坂本さんから聞きました。かれんさんはお医者さんになるんですよね?」
「えっ? ……えぇ。来月からこの病院に」
「じゃあ、夢を叶えたんですね」
夢を叶えた、というのにかれんは違和感を覚えた。医者になるのが彼女の夢だったことに違いはないが、その言葉は適切でない。夢を叶えたのであれば、彼女はもっと満たされるはずだ。
「うららだって、女優になる夢を叶えたじゃない」
自分が奇妙に感じた言葉を、そのまま返してみる。思った通り、うららもそれを認めなかった。
「わたしが今やっていることは、あのときとほとんど変わっていません。十年前から、ずっと同じ場所で燻っているだけなんです」
それなら、“夢”とは何なのだ。かれんの中で“夢”の認識が崩れていく。今すぐにでも辞書を引いてその意味を確認しなければ、本当に“夢”が分からなくなる気がした。
うららとの再会は嬉しいと思う。けれど、この会話はすぐにでも終わらせてしまいたかった。
「そろそろ、あの、用事があるから……」
嘘をついた。かれんは嘘が嫌いだから、下手くそな嘘になった。そんな嘘に、うららは引っかかってくれた。
「そうですね。わたしも、もう行かないと」
うららのは嘘ではない。これから“夢”なのか“夢”でないのか分からない、女優の仕事がある。その証拠に、うららの携帯電話が鳴った。きっとマネージャーからだろう。
「じゃあ、わたし、失礼します」
彼女が携帯電話を取り出すのを見て、かれんは思い出した。うららに確認しなければならないことがある。
「ねぇ、うらら……」
彼女が声をかけたとき、うららは電話に出たばかりで「はい、もう近くに来てますから大丈夫です」などと話しながら、かれんに会釈を返しただけだった。
「そろそろ出かけるとしようかね」
一通りの家事を済ませたガンバリーナは、久しぶりに身だしなみを整えて、その姿を鏡に映しだす。
どんなに着飾っても、老いは隠せない。若かったころの面影はなく、疲れ果てて精力のない、つまらなそうな女がいるだけだった。
彼女は歯ぎしりをして、拳を握った。爪が肉に食い込む。痛みはない。憎しみだけがあった。
人生への憎しみ。自分への憎しみ。そして、プリキュアへの憎しみ。
右手を顔の前で翳す。それらの憎悪は薄黒いエネルギーとして、形になった。
まだやれる。
彼女は確信した。
こんな人生で終わってたまるか。アタシだってまだ捨てたものじゃない。やってやる。やれる、やれる……。
「ムショクキング! ちょっと出かけてくるからね! 帰りは遅くなるから、お昼と晩ご飯はチンして食べるんだよ!」
階段の下から怒鳴るように告げた。
「うるせぇ! ババア、大声出すんじゃねぇよ!」
昔は、そんなことを言うような子ではなかった。兄を慕う、素直でいい子だった。努力家だった。夢もあった。
だけど、今は何もない。
人が住んでいても、この家は空っぽだった。ジャアクキングの死んだ日から、愛とか思いやりといったものはなくなり、冷たい空気が滞留している。
ジャアクキングが生きていれば、彼の死を忘れられたなら、きっと昔の家族に戻れるはずだ。
「……じゃあ、行ってくるからね」
彼女は家を出た。ドアを開くときはいつもより軽く感じられ、ドアが閉まるときの音はいつもより重く感じられた。
ムショクキングは部屋の窓から、ガンバリーナが出ていくのを見ていた。まるで小学校の授業参観にでも行くような服装に、彼は首を傾げる。
「どこ行くんだよ……」
彼の他に誰もいない家は、不気味なほど静かだった。