プリキュアオールドスターズ ~プリキュア5の同窓会~ 作:おじ
街の中心地に聳えた高層ビルに入居している小さな企業の小さなオフィスで、電話機の音が大きく響く。
「キリシマくん、電話鳴ってるよ」
「はぁ……」
オフィスの真ん中には四つのデスクが二組ずつ向い合せに並べられ、その集合した“島”の真ん中に電話機が置いてある。上の階の会社が処分しようとしたのをもらってきたらしく、機能の割に場所をとる代物であるが、それがこの会社の唯一の商売道具であった。
「はぁ……、じゃなくて早く出てよ。お得意様からだったらどうするの」
「しかし、私のところからは遠くにあるような……」
電話機を島の真ん中に設置することにはみんなが賛成したのだが、いざ使ってみると実に不便であり、様々な弊害が生じた。
デスクは全て片袖机となっているから、座ってみると席によって電話機との距離は公平ではなかったし、何より電話をかけるときに毎度ボタンを自分の方に向けさせなくてはならない。
やがて、他の社員が気付かないくらいゆっくりと、電話機は島の中央から一つのデスクに移動していった。したがって、丸眼鏡をかけた蒼白い顔色のキリシマという名の彼が受話器を取るには、立ち上がってデスクの上に身を乗り出さなければならないのだった。
「文尾さん、あなたがとればいいでしょう」
島から少し離れた窓際の席に座っている彼は、電話機の奪い合いやなすりつけ合いに参加することはないので、高みの見物といった様子だった。
「しかし、電話をとるのは下っ端の仕事で……」
「いいから、とりなさい。これは命令です」
彼の細い目を見ると、文尾は苦手だった昔の上司を思い出して怯んでしまうのだが、部下の前で弱いところは見せられない。
「何だと!? 私はこの会社の創設者だぞ!」
「私は社長です」
その言葉が切り札にとってあることは分かっていた。それでも、つまらない抵抗をしてみたかっただけなのだ。文尾は肩を落とし、受話器をとった。精一杯、愛想のいい声色をつくる。
「はい、こちらブンビーカンパニー」
空の天辺から張り切ってアスファルトを焼こうとする太陽と、照り返しの熱を帯びた地面に挟まれた夢原のぞみは、天気予報を見逃した今朝の自分を心の中で責めながら、襟元を広げて服の中に空気を取り込んだ。
つい先日までは残寒が厳しいと世間が騒いでいたものだから、その気になって程々の防寒をしてきたのが失敗だった。
冬の寒さで地球が風邪をひいたのではないかと思うくらい、急に気温が高くなった。のぞみは玄関を出たときからそれに気づいていたのだが、部屋に引き返して着替える時間の余裕はなく、天気がいいのに不都合なことはあるまいと開き直って冬着のまま出かけたのだった。
早朝から正午までコンビニで働き、午後からはまた別のアルバイトがある。昨日に引き続いて今日も勉強の為に睡眠を犠牲にしなければならなさそうだと、のぞみは落胆した。
ドラマの撮影が終わってうららのスケジュールが空いていれば一緒にランチでもどうだろうと思っていたのだが、主演を務めるアイドルの演技が素人目にも分かるくらい不調で、やがては昼のシーンなのに夕日の出番もあるのではないかというほどに撮影の進行は芳しくなかった。
落ち着いてゆっくり話せるときまでうららとのランチはおあずけにして、のぞみはそこから次のバイト先へ急いだ。電車やバスを利用するほどの距離ではないが、撮影が終わるのを待とうとして無駄な時間を過ごしたため、走らなければ間に合いそうもない。湧き出る汗を不快に感じながら、のぞみは上着を脱いだ。
交差点の事故を防ぐために存在する信号は、急いでいる人の焦燥感を煽るばかりでかえって事故を誘発するように思えて仕方がなかったが、のぞみは素直に赤色の表示に従うことにした。
ガードレールに腰かけた、小学生くらいの男の子が目に入る。母親が天気予報をチェックしていたのか、年がら年中そんな格好なのかは不明だが、短パンに半袖シャツという涼しそうな服装で野球のキャップを被っている。
少年の背後では車輪のついた鉄の塊がびゅんびゅんと通り過ぎる。バランスをくずして車道側に倒れたらどうなるか、なんて考えられないのが小学生の男の子だ。のぞみが注意しようと近づいたとき、少年の傍にいた女の子が言った。
「降りなって。危ないよ」
だめと言われたことをやろうとするのが小学生男子の性であり、のぞみの予想通り彼はガードレールから降りようとはしなかったが、女の子に腕を引っ張られて歩道に引きずりおろされてしまった。少年はふてくされた様子で女の子を睨んだが、女の子はそれをすまし顔で受け流す。
そんな光景を微笑ましく眺めていると、耳障りなクラクションの音がのぞみを驚かせた。それは、まさに目の前の、彼女が信号待ちをしている交差点での出来事だったからだ。
「うるさいね! 一体、何事だよ」
どうやら赤信号であるにも関わらず、女性が道路を横断しようとしたらしい。視野の広い運転手が素早くブレーキを踏んでくれたから大事には至らずに済んだものの、本人はそんなことお構いなしといった様子で歩を進め、反対車線を走ってくる車もクラクションを鳴らしながら急停止した。
「ちょっと、おばあちゃん!」
轢かないでくださいという意味を込めて会釈をしながら、のぞみは停まってくれている車の前を通り、何やらぶつぶつ言っている女性をつかまえた。
「危ないですよ、ほら、赤信号ですから」
「何だい、あんたは。そんなに服を引っ張らないでちょうだい」
散々、悪態を吐かれながら、のぞみは女性を連れて歩道まで引き返した。途端に、車の列が動きだす。ちっとも悪びれないでいる女性に代わって、のぞみが車道に向かって頭を下げた。
「もう、赤信号で渡っちゃだめですよ」
渋滞をしていた車のほとんどが行き過ぎると、のぞみは女性の方を振り返った。
「そんなの知らないよ。アタシは急いでるんだ」
性懲りもなく車道に出て行こうとする女性を制止するのは一苦労だった。小柄な外見に似合わずパワフルで、実際の筋力も一般的な成人男性以上はあるだろう。ぐんぐん進もうとする彼女の腕にしがみつくだけでのぞみは精一杯だった。
「おばあちゃん、止まって。子どもが見てますから」
小学生のアベックは、自分の祖母とはかけ離れた豪快な女性をぽかんとした顔で見ていた。それを確かめると、女性のしかめっ面は優しい感情を帯びたようだった。
「ね?」
のぞみが微笑みかけると、女性は歩みを止めて自らの足で歩道に戻ってくれた。子どもたちの傍に行き「坊やたちはあんなことしたらだめだよ」と諭す。なるほど、大した反面教師だとのぞみはとりあえず感心してみた。
「それにしても、なんてお節介な娘っこだよ」
のぞみの周りにはいない種類の人間であったが、直感的に彼女にはきっと子どもがいるのだと推測した。ぶっきらぼうな話し方だけど、母親らしい温かみを感じたからだ。
「だって、あんなの放っておけませんよ」
「お人よしも程々にしときなさいよ。女はもっと強く、我を通して生きなきゃ」
それが赤信号でも進んでいい理由になるはずもないのだが、亀の甲より年の功だ。一応は参考にしておこうとのぞみは思った。
「そうしなけりゃ、自分のやりたいことなんて一つもできやしないんだから」
「はい……」
信号が青に変わると同時に、男の子が駆け出した。仕方ないから付き合ってあげる、というふうに女の子もついて走る。その後で、のぞみと女性は並んで歩きだした。
「でも、わたし、やりたいことはちゃんとあります」
「そうかい。アタシを止めたくらいだ。あんたなら何だってできるよ」
横断歩道を渡った先は、それぞれ違う方角に進んだ。角で別れるとき、女性は念を押すように言った。
「自分が納得できるまで、諦めちゃだめだよ。分かったかい?」
のぞみは大きく頷いた。
「もちろん! そのつもりです」
腕時計を確認したのぞみが走り去った後、女性は呟いた。
「まったく、妙な娘だね」