プリキュアオールドスターズ ~プリキュア5の同窓会~   作:おじ

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26.レモン

 外の騒ぎが嘘のように、病院内は静まり返っていた。

 

 避難を指示するアナウンスが流れたのは、危険をいち早く察知した見舞い客や外来患者が逃げ出してしばらく経ってからだった。優先されたのは怪我などで入院している患者や病状が快方に向かっている患者であり、移動させるのが困難な者は病院に留まることを余儀なくされた。

 

 それでも見舞いに来ていた家族や友人によって、医者の注意に耳を貸さず逃げ出した者もいる。病院から出ていく彼らを窓越しに眺めていた坂本にも、やがて車椅子とひざ掛けが用意されたが彼はそれを断った。そして、一緒に残ることを取引材料にしてかれんは彼の意思を受け容れたのだった。

 

 病院に残ったのは、重症患者と彼女たちだけではない。多くの医師や職員は、取り残された彼らのために自ら希望して残ってくれた。今や病院内には、奇妙な信頼のサークルができている。未知の体験の最中にありながら、傍に誰かがいてくれることで心は穏やかだった。互いに干渉はせず、言葉も交わさず、静かな時の流れに身を委ねた。

 

 水無月かれんも、緊迫した状況の中で不思議とゆったりした感覚を味わっていた。病院には何人もの人間が残っているはずなのに、彼女の耳には坂本の寝息しか聞こえてこない。二人のいる病室だけ外界とは違う時間の流れ方をしているようで、廊下や上の階からの足音も、人の話し声もすっかり遮断されていた。

 

 外の景色は、絵画のようにしんとしている。風はなく、桜の蕾をつけた枝は微動だにしない。暖かい春の日差しが、窓から差し込んだ。

 

 眠っている坂本の手を握り、かれんはこんな時間がずっと続いてほしいと思った。さっきまで、坂本は咳をしていた。小さな咳が止まらなくなり、彼は休みたいと言って深い眠りに落ちた。苦しむことにも、疲れたのだ。

 その後も、数分おきに彼は咳き込んだが目を覚ますことはなかった。彼の手の皺をなぞりながら、かれんは微かに聞こえる寝息に耳を傾けた。彼の生きている音を、聞いておきたかった。

 

 しかし、強い風が吹き、窓の外に見える枝が大きく揺れ、不意に現れた影が窓に差し込む日差しを邪魔したために、彼女の静かな時間は妨げられた。その影は雲でもなければ、飛行機でもない。巨大な鳥が、病院の屋上に降り立った。

 坂本を起こさないように注意しながら、かれんは鞄を抱えたまま病室を出て、屋上に続く階段を二段飛ばしに駆け上がった。彼女の思った通り、屋上にはシロップと――ミルクがいた。

 

「かれん! うららのキュアモを持ってるロプ!?」

 

 街で起きていることに大凡の見当をつけていたかれんは、昨日ナッツハウスで見つけたキュアモを鞄から取り出した。これがうららのキュアモであり、シロップたちが捜しに来たということは、うららも戦うことを決意したのだ。

 鳥の姿でいるシロップにはキュアモを持つことはできないから、かれんは荷台に乗っているミルクに手渡そうとした。ところが、ミルクはすぐには受け取ろうとはしなかった。かれんの顔をじっと見つめ、手を引っ込めたままでいる。

 

「かれんも一緒に来てほしいミル」

 

 よく見ると、真っ白な毛で覆われたミルクの体は土や砂で汚れていた。あちこちに擦り傷もある。勇気を出して戦った証だ。ぼろぼろになって、戦えなくなってもミルクは何らかの形でみんなの役に立とうとしている。

 

 うららのキュアモを取りに来ただけではない。街で繰り広げられているであろう戦いを経験したミルクが、かれんの力も必要だと思うくらい状況は緊迫しているらしい。

 鞄の中には、彼女のキュアモも入っている。十年経った今でも変身できる根拠はないが、かれんが戦いに参加すればその分みんなの負担は減り、戦況は有利になるかもしれない。みんなの顔を思い浮かべ、何も迷う必要はない、行くべきだと彼女の良心が告げる。

 

 病室に残してきた坂本も、それを望んでいるはずだ。

 

「ごめんなさい」

 

 キュアモを押しつけるようにして、無理やりミルクに受け取らせた。ぬいぐるみみたいに小さいミルクの体が、少しよろける。

 

「本当にそれでいいロプ?」

 

 責めている口調ではなかったが、シロップに確かめられてかれんの意思は固まった。これでいい。

 かれんが頷くのを見て、ゆっくりとシロップは翼を羽ばたかせ始めた。彼女の決断が揺らぐのを期待するように。

 

 空を見上げたかれんは太陽の眩しさに目を細める。こんなに晴れた空の下で、仲間が苦しんでいるなんて想像できなかった。燦々と降り注ぐ日差しは、彼女の白い肌を容赦なく焼こうとする。傷ひとつない綺麗な手で、彼女は太陽の光が目に入るのを遮った。

 

 諦めたようにシロップは上昇を始め、風と砂埃が舞う。彼の体にも、たくさんの傷があった。出会った頃は彼女たちの仲間に加わるのを拒んでいたシロップが、彼女たちのために戦っている。

 まだ間に合う高度だった。かれんが行きたいと言えば、シロップはまた降りてきてくれるだろう。そうすれば、胸の内に堆積する歯痒さやフラストレーションは解消されるかもしれない。不安と罪悪感に押しつぶされることもなく、痛みや苦しみを伴ったとしても彼女の気持ちは晴れるはずだ。

 

 太陽とシロップの体が重なって、かれんは影に包まれた。のぞみたちの顔と、坂本の寝顔が交互に脳裏をよぎる。

 

 坂本はぐっすり眠っていた。戦いを終えて戻ってきても、どこかにいなくなったりはしない。みんなと戦うことを選んでも、坂本を失うことはない。それなのに、かれんはどうしようもなく嫌な予感がしていた。どちらの道を選んだとしても、最悪の結末ばかり思いつく。

 かれんが戦わなくても、他のみんなが戦ってくれる。しかし、坂本にはかれんがついていなければならない。かれんが行ってしまえば、坂本は病室で一人きりになってしまう。

 

 これ以上、決心が鈍らないようにかれんは目を瞑った。右手で左の肘のあたりを持つ。昔からの癖だった。これをすることで、彼女の心は平静を保てる。

 

「かれん!」

 

 かなりの高さまで上昇したシロップの荷台から、ミルクは身を乗り出して叫んだ。もし転落したら大変だから、万が一のとき受け止められるようにかれんは両腕を体の前に差し出さなければならなかった。

 

「ミルクは、みんながいなくなって寂しかったミル! かれんはみんながいなくなっても平気ミル!?」

 

 かれんは首を横に振った。

 平気なわけがない。だけど、一緒に行くことはできない。二つの意味を込めて。

 

 再び姿を現した太陽に目が眩み、ミルクの失望した顔を見なくて済んだことがかれんの惨めな心を慰めた。

 

 

 

 小さな悲鳴をあげるのと同時に、春日野うららの体は地面に倒れた。

 

 ちょっと走っただけで転んでしまうなんて、もう若手とは呼んでもらえないな。そんなことを思いながら、彼女は衣装についた汚れを払い落とす。

 

 彼女の趣味とは異なる、あくまでドラマの登場人物が着ている服。専門のスタイリストによって選ばれた、春日野うららを際立たせるはずの衣装は、彼女にとって着心地のよいものではなかった。私生活で彼女が着る服とはずいぶんと趣きが異なっていたし、彼女の演じる架空の女性がこのような服を好むのかも分からない。台本にも原作の小説にも、そんな設定はどこにも書かれていなかった。

 ドラマの関係者や事務所の人間が勝手に決めた、春日野うららの衣装。そこに彼女の意思は介在していない。彼女自身が自分らしくないと思うのに、他の人間はこれこそ彼女にふさわしいと思っている。そして、彼女は従順にそれら全てを受け容れてきた。

 

 変えなければいけない。

 

 転んだときに擦りむいた膝から、血が出ていた。砂が付着したまま、すでに固まり始めている。膝を曲げてみると、やっぱり痛かった。泣き虫な子どもなら、大声で喚くくらい。

 この程度の怪我でうららは泣かないし、喚くこともない。ちょっと顔をしかめるだけ。撮影が再開されたとき、前のカットでは映ってなかった絆創膏が次のシーンで急に現れることを心配してみた。それも、大した問題ではない。

 

 走ってみると、痛みが増した。ずきずきと、彼女の走る速度を緩めようとする。しかし、うららは負けなかった。体力は衰えているのに、同じ速度で走り続けることができた。

 変わるんだ――うららは自分に言い聞かせる。自分のやりたいことをやる。そうでなければ、女優になった意味がない。事務所や世間への体面と、仕事があるという一時的な安心を得るための演技ばかり続けているから、彼女の気持ちは満たされなかったのだ。

 

 シロップには待っているように言われた。しかし、彼女にはじっとしていることなんてできなかった。恐怖に身を竦ませるだけなら、誰にでもできる。彼女はもう、十分すぎるほど待った。

 待つだけではだめだったのだ。怖くても、立ち向かわなくてはならないときもある。うららのために、鷲雄と高尾がそうしてくれたように。みんなのために、のぞみやシロップが戦ってくれているように。

 

 魅力を感じない役を演じるのは飽きた。うららのお母さんは、心から芝居を愛していたからこそあんなにも輝いて見えたのだ。面白いと思えない物語の、共感できない登場人物。監督の指示に従うだけの演技。子どものころからの夢に、いつの間にか妥協していた。

 今の自分にできることをやるのではなく、叶えるのは難しくても、本心がそれを願っているのであればその為に頑張りたい。キュアモのないうららは怪物と戦えない。だけど、みんなの力になりたいと思った。

 

 初めてのイベントの司会、初めての作詞、歌手デビュー。みんながいてくれたから、できたことだ。一人きりなら不安でたまらなかっただろう。背中を押してくれる仲間がいたから、うららは勇気の扉を開けたのだ。

 

 日常では聞くことのない大きな音が響く度に、彼女は体を震わせた。擦りむいた膝も痛む。十年前の記憶が、彼女を怖がらせる。

 

 そんなとき、転びそうになりながらピースサインをくれたのぞみの姿を思い出した。昔と変わらない笑顔で、言ってくれた。

 

 ――うららも頑張れ!

 

 だから、うららは走るのをやめなかった。怖くても、息が切れても、傷が痛んでも……戦えなくても。頑張ろうと思えた。

 

 

 

 怪物の体中から生えた複数の腕に翻弄されながらも、キュアドリームとキュアルージュは互いに援護し合って攻撃を回避することに集中していた。

 

 二本の腕が異なる方向からキュアドリームに迫る。彼女は反射的にジャンプの体勢をとったが、思いとどまって飛ぼうとした先を見るとそちらからも別の腕が伸びてきていた。背後に逃げてもよかったのが、いずれは建物の壁が彼女たちの行く手を阻む。イチかバチか、彼女は正面の腕に向かっていった。

 フェイントをかけて、ドリームの体を掴もうとした巨大な手が空間を握ったところで彼女はそれの上に飛び乗り、胴体を目指して走った。しかし、先ほどルージュが引っかかったのと同じ手段でザケンナーはそれを阻止しようとする。腕から生えた新たな腕が、後ろからドリームを追い続けた。

 

 その指先がドリームの背中にかすったとき、他の腕を踏み台にして飛び上がったルージュがドリームを捕らえようとしていた手を蹴飛ばした。

 

「ありがとう、ルージュ!」

 

 すでに肘を通過していたドリームは他の腕が伸びてくることも気にせず、怪物の肩に乗っているガンバリーナを目標に定めてジャンプした。飛んでいる途中で、黒い何かとすれ違った。

 直後に、下の方で爆発が起きる。さっきまでドリームがいた地点。今はルージュがいるはずの場所だった。

 

 全身の血の気がさぁっと引き、ジャンプの勢いが失われるのを承知でドリームは体をひねりルージュがどこにいるか確認しようとした。爆発の煙で視界が遮られる。彼女の姿を見つけられず焦るドリームの耳に、微かに何か聞こえた。今度は、さっきよりはっきりと。

 

「ドリーム!」

 

 やがて風で煙が散らばり視界が晴れてくると、キュアルージュの姿が見えてきた。爆発の直撃は免れたものの、それを避けたことでザケンナーの腕に捕まってしまったらしい。

 

 そして、彼女は自分の無事を知らせるためにドリームを呼んだのではないと気づくには、ドリームの体も捕らえられなければならなかった。手の中から脱出しようとしてもがくほど、怪物の手を握る力は強くなる。こんなことなら、ルージュがやられたようにさっさと放り投げられて壁に激突した方がマシだとさえ思えた。

 

「一人増えたところで、何も変わらなかったみたいだねぇ」

 

 ザケンナーの肩からすーっと降りてきて空中を浮遊するガンバリーナは、苦しそうに顔を歪めるキュアドリームを見下せる位置で静止した。両手にはそれぞれ黒々とした球がある。

 

「アタシの人生を滅茶苦茶にした報い、受けてもらうよ」

 

 黒い球の威力は十分すぎるほど思い知らされた。あれを受けた後で、戦う余力が残されるかどうかドリームは考えてみる。気持ちを強く持ち続けたとしても、肉体的な限界に追いやられるのは避けられそうにない。

 

「ココ達を傷つけたら、許さないから!」

「いいさ。お互いに大事なものを奪われて、憎しみ合う。闇の世界に生きるアタシにとっては、最高の結末だよ」

 

 キュアドリームの体を締め付ける力が強まり、まったく身動きがとれなくなった。ガンバリーナがとどめをさそうとしているのを知ったザケンナーが、彼女を逃がすような失態を犯さないためだ。

 

 空気の微かな変化で、ドリームは目を瞑っていても今から攻撃が放たれようとしていることを察した。薄暗く、不気味な絶望のエネルギーを肌に感じる。その力の前では、足掻くことすら許されない。

 

 しかし、それと同時に懐かしいものも感じた。輝きと勇気に満ちた、はじけるほどの希望の力。

 

 誰かの足が地面を踏みしめる音が聞こえた。何かの扉が開く音がした。

 

 キュアドリームの顔の近くを、黄色い蝶が飛ぶ。

 

「やめてー!!」

 

 思いがけない乱入者の声に、ガンバリーナが動きを止めた。ドリームとルージュは首の向きを変えるのもままならない状態で、扉を開けた者の正体を確かめる。

 

「のぞみさんを……、みんなを放して!!」

 

 衣装を汚して膝から血を流している春日野うららを見たとき、ドリームは喜びの後に不安を感じなければならなかった。あれからシロップが飛んでいる姿を見ていない。うららのキュアモはどうなったのだろう。

 

「また余計なのが来たね。だけど、プリキュアはもう二人揃った。怪我する前に帰りなさい」

 

 警告の意味を込めて、ガンバリーナは黒い球の一つを放った。それはうららの近くに着弾して、爆風によって彼女の体は吹き飛ばされる。

 

「うらら!」

 

 倒れてもすぐに、うららは立ち上がった。体はぼろぼろになっても、彼女の目はまっすぐにキュアドリームを見ていた。強い、憧れの眼差しで。

 

「うらら、来ちゃだめ!!」

 

 ドリームは直感した。やはり、うららはキュアモを持っていない。ここから離れた場所でシロップが彼女にキュアモを渡したなら、シロップに乗せて来てもらうのが一番手っ取り早いに決まっている。今のうららに戦う能力はないのだ。

 

「嫌です」

 

 きっぱりとした口調で、うららは断った。

 

「わたし、分かったんです。本当にやりたいこと……」

 

 うららはドリームに笑いかけた。鷲雄がやってくれたような、優しい微笑み。ガンバリーナや怪物を目の当たりにして、春日野うららは笑顔を崩さなかった。

 

「もう一度、みんなと一緒に夢を追いかけたい」

 

 そんなことを言ううららに、逃げろとは言えなかった。ドリームとルージュは彼女の言葉を受け容れ、彼女のしたように微笑みで返事をした。一緒に戦おうと。

 

「くだらない。夢なんて叶いっこないってことくらい、分からない歳じゃないだろう」

 

 手元に残ったもう一つの球を弄び、ガンバリーナは何の力もないうららの言動に呆れていた。彼女にある僅かばかりの慈悲の心は、あまりにも愚かで命知らずな若者に最後のチャンスを与えてやることにした。

 

「お友達を見捨てて逃げるなら、見逃してやってもいいよ」

 

 うららは怯むことなく、頑として態度を変えなかった。

 

「わたしは絶対に仲間を見捨てないし、夢を諦めたりもしない!」

 

 黒い球が放られた。今度はうららに直撃する軌道で。

 一歩たりとも、うららは逃げ出す素振りをみせなかった。手を伸ばして、腕を掲げる。

 

「うららー!!」

 

 空の向こうから、シロップが急降下してきた。あっという間に黒い球を追い越して、掲げられたうららの手を目指す。すれ違う瞬間、荷台に乗っていたミルクがキュアモを差し出した。

 

 うららはしっかりと、それを受け取った。

 

「プリキュア・メタモルフォーゼ!!」

 

 レモン色の光の中を、彼女は進む。全身の痛みと疲労が癒え、光の渦の流れに乗って彼女の体はしなやかに踊る。両手に集まるプリズム。そして、チャームポイントのツインテール。

 

 彼女は自ら作詞したデビュー曲を思い出していた。みんなのおかげで、書けた歌詞。

 

 ――みんながいるから、強くなる。

 

「はじけるレモンの香り! キュアレモネード!!」

 

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