プリキュアオールドスターズ ~プリキュア5の同窓会~   作:おじ

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28.ミント・オブ・ウーマン 夢の香り

 ほんの小さな揺れで、原稿用紙の中で動き始めた物語は中断された。

 

 筆を置いて、微かに震える窓に近づいた秋元こまちの目に映ったのは、巨大な黒い影。彼女の部屋から臨める景色は灰色に染まり、空気が淀む。酸素が地面近くに滞留して、二酸化炭素ばかりが宙に浮いているような雰囲気。思うように呼吸ができず、動悸がする。彼女はその場にしゃがみこんだ。

 

 本当なら建物に邪魔されて見えないはずの、地平線の彼方。日本人の平均的な視力を凌駕するわけでもないこまちの目がそれを巨大ザケンナーだと認められたのは、初めから分かっていたからだ。目を背けたところで、現実からは逃げられないということを。

 

 昨日の光景が瞼の裏に蘇る。抗えないほど強い力。体は思い通りに動かず、迫りくる地面。そして、衝撃。もう二度と味わいたくない苦しみ。

 今や巨大ザケンナーは彼女にとって、恐怖と絶望、痛みと怯弱の象徴となっていた。それらの言葉が紡ぐ物語は、悲劇に決まっている。

 

 さっきまでの彼女は、幸せな結末を思い描いていた。真っ白だった原稿用紙の区切られた枠に書かれた文字。一つ一つは単なる字に過ぎないが、つながれば文章になる。ずっと散らかっていたアイデアや言葉の羅列が、夢原のぞみと話をしたときに物語として完成した。

 誰かを想う優しい心、恐怖に打ち勝つ勇気、どんなときも諦めない希望。そういったものを書きたいと、こまちは思った。思いつくものは空いたスペースに書き留め、衝動に任せて筆を進める。胸の高鳴りが消えてしまう前に、文章に起こしてしまいたかった。

 

 でたらめな文法になっても構わない。後で推敲する時間はいくらでもある。これも、のぞみが教えてくれたことだ。失敗したらもう一度やり直せばいい。チャレンジは何度だってできるのだから。

 

 これまでのスランプが嘘のように物語は順調に進み、主人公は初めて敵と対峙した。友達のため、夢が叶ってほしいと心から願った主人公が戦いを決意する重要な場面。そこで街の異変に気づき、物語はこまちの頭の中に閉じ込められた。

 

 ころころと転がった鉛筆が、畳に落ちる。こまちはそれを眺めるだけで、拾おうとはしなかった。今は何も書く気になれない。書きたくない。思いつかない。

 膝を抱えている腕に顔を埋めて、呪文のように繰り返す。夢なんて叶わない、誰も助けられない、もう戦うのは嫌だ……。

 

 いつの間にか部屋に入ってきた秋元まどかが彼女の代わりに鉛筆を拾い上げるまで、こまちはそうやって部屋の隅で蹲っていた。待っていれば、時間が勝手に問題を解決してくれるわけでもないのに。

 

「どう? 調子は」

 

 座卓に置かれた原稿用紙に目をやり、まどかはその上に鉛筆を戻した。返事をしないこまちの視線が彼女の持つ小包に注がれていることに気づくと、もったいつけるふりをしてこまちの前に差し出す。

 

「ナッツさんから」

 

 小包の中身は、受け取った瞬間に見当がついた。こまちの好きな感触。独特のにおい。きっと、ナッツも共感してくれる。

 

「ナッツさん……。いつ来たの?」

「ちょっと前。急に“何か出た”とか言ってどこかに行っちゃったけど」

 

 邪悪な気配を感じたときの、ナッツたちの口癖。皮肉なことに、戦う力のない彼らは平和な生活が何者かによって脅かされようとしていたら、それが自分たちの世界でなくても知らぬふりはできない。勝てる見込みのないことを承知で、戦おうとするだろう。

 自分はどうなのだと、こまちは自問する。窓から見えた怪物は目の錯覚だったのかもしれない。しかし、ナッツの呟いた言葉の意味をこまちは知っている。彼らの性格も知っている。そして、怪物の強さを身に染みて知っている。

 

 助けに行かないと。そう思っても、足は竦んだまま立ち上がることができなかった。

 

「……こまち?」

 

 声をかけられて初めて、こまちは包みを抱きしめるようにして震えていた自分を認める。いつまた敵が現れるかもしれないときに、どうしてナッツはこれを届けにきたのか。早く中の品を確認したい気持ちと、このままにしておきたい気持ちがこまちの中で拮抗していた。

 

 昨夜と今朝。ナッツは何を想い、店に足を運んだのだろう。この包みがナッツなりの決別かもしれないと考えると、余計に包みを開くのが躊躇われた。

 

「じゃあ、私はお店の方に戻ってるから」

 

 部屋から出て行こうとするまどかを、こまちは咄嗟に呼び止めた。

 

「待って!」

 

 普段は大人しい妹の大声に驚いて、まどかは鳩が豆鉄砲を食ったような顔をしていたが、やがて温かい眼差しでこまちが包みを開けるのを見守ることに決めたようだった。こうすることで、こまちは逃げ道を塞がれた。まどかを引き止めたのは自分なのだから、もう後戻りはできない。

 

 こまちは丁寧に、包みを開けていった。中から現れたのは、クラシックな装丁が施された一冊の本。重厚感のあるつくりに反して、表紙の絵は可愛らしいものだった。

 青空と太陽。草原に並んで立つ二匹の妖精。大きな文字で『クリームおうじとだいふくおうじ』と書かれたタイトルの下には、ナッツとミルクの名前が作者として連名で記されてあった。

 

 こまちは最初のページを開き、声に出して読んでいった。包みを開く勇気をもらったのだから、まどかにも内容を知る権利があると思ったからだ。また、途中で読むのをやめようとしたときに背中を押してほしいという期待もあったかもしれない。

 

「……パルミエ王国には二人の王子がいました。クリーム王子は悪戯が大好きで、勉強は大嫌い。とても真面目な大福王子は、クリーム王子の悪戯が許せません。だから、二人はいつも喧嘩ばかり……」

 

 メルヘンチックなイラストと、大人になった今では読み難く感じるひらがなばかりの文章。どうやらこれは、プリキュアの物語をココとナッツの視点から描いた絵本らしい。

 

 こまちの知っている事実をなぞって、パルミエ王国は“わるもの”によって滅ぼされ、二人の王子は命からがら逃げだした。そこからの展開は脚色されており、二人は協力して危機を切り抜けようとするが、些細なことでいがみ合い旅の途中で別れてしまう。大福王子は敵に捕らえられ、クリーム王子はそのことを知らない。

 物語は進み、やっとのことでクリーム王子は伝説の戦士プリキュアと出会う。五人のプリキュアは、性格も趣味もばらばらなのに強い絆で結ばれていた。クリーム王子はプリキュアを引き連れて、パルミエ王国に帰還する。

 

 それまでにちょっとした事件があった。伝説の戦士たるプリキュアが、お菓子の奪い合いで喧嘩をしたのだ。しかし、みんなで分け合って食べた方が美味しいという結論になり、仲直りをする。クリーム王子は大福王子との喧嘩を思い出す。

 いざ、決戦。プリキュアは勇猛果敢に“わるもの”を倒していく。ところが、敵の親玉はピンチを切り抜けるために捕らわれの身となった大福王子を傷つけると言い出して、手が出せない。プリキュアは逆境に立たされる。

 

「クリーム王子はプリキュアのように強くありません。でも、大福王子を助けたい。その気持ちは誰にも負けませんでした……」

 

 友達を助けるために、クリーム王子は“わるもの”に立ち向かっていった。その姿を見て、大福王子は思う。これ以上、クリーム王子を傷つけないでほしい。二人の互いを思いやる気持ちが奇跡を生み、プリキュアがパワーアップ。“わるもの”をやっつけて、パルミエ王国は復活した。

 

「そして、友達になったクリーム王子と大福王子は、これからも仲良く喧嘩するのでした。おしまい……」

 

 読み終わると、まどかは拍手をしてくれた。読み聞かせの上手さを褒めてくれているのか、物語の内容を評してのものなのかは分からない。ただ、最後までまどかはちゃんと聞いてくれた。それだけは確かだった。

 

「いい話じゃない。まるで、昔のあんた達みたい」

 

 もちろん、そうだ。こまちは複雑な心境だった。この物語のモデルは彼女たちであり、相似点がありすぎる登場人物にまどかは事の真相を知ってしまったのではないかと心配になる。どんな相槌を打てばいいか、まるで分からなかった。

 

「これってつまり、ナッツさんはこまちに頑張れって伝えたかったんじゃない?」

 

 そんなに単純な解釈で片付けられる話ではない。まどかは二日続けてナッツと会ったから、好意的な捉え方ができる。しかし、結局のところナッツとこまちは再会を果たしていない。

 昨夜のこまちが、電柱に身を潜めたまま声をかけなかったから。今朝のナッツが、複数の壁を隔てただけの距離まで来ていながら、去ってしまったからだ。

 

「でも、物語に出てくる王子は二人だから頑張れた。私には……」

 

 ナッツには、ココやミルクたちがついている。彼にとっての、もう一人の王子。プリキュアの仲間。だけど、今のこまちにはそれに該当する人が思いつかなかった。

 みんなの顔が思い浮かぶ。ただし、それは過去の姿。都合のいい記憶だけ。希望に満ちた物語も、所詮は絵空事に過ぎない。

 

 みんなが戦っているのなら、一緒に戦いたい。苦しんでいるのなら、助けたい。その気持ちはあるのに、怖くて仕方がなかった。もう夢を見られる年齢ではない。彼女は現実を知った。報われない努力もある。やる気と結果は反比例する。

 誰もがかれんのように夢を叶えられるわけではない。誰もがのぞみのように、夢を追い続けられるわけではない。弱い人間がいることを分かってほしい。声にならない心の叫びだった。架空の物語に登場する理想的な人物。ナッツによく似た後ろ姿に、こまちは訴えた。

 

「ねぇ、こまち」

 

 妹の葛藤を知ってか知らずでか、不意にまどかは口を開いた。

 

「私が豆大福の味を変えようとして、お父さんと大喧嘩になったことあったでしょ?」

 

 こまちは頷く。ここ数年で、秋元家最大の事件といっていい。二人ともものすごい剣幕で怒鳴り合っていたのに、口から飛び出すのは罵詈雑言ではなく和菓子への愛情だった。忘れようと思っても忘れられないし、忘れたくない奇妙な思い出だった。

 

「うん、覚えてる。でも、どうして……」

「覚悟はしてたんだけど、いざ反対されるとすごく悲しかった。誰も私の夢を分かってくれないんだって」

 

 そんなことない。言おうとしたところでまどかの視線を感じ、こまちは口をつぐんだ。言葉にしなくても、まどかには通じている。

 

「でもね、こまちだけはいつでも私の味方でいてくれた」

 

 記憶に残っている場面をできるだけ鮮明に呼び起こそうとして、遠くを見るような目でまどかは天井を仰いだ。彼女の表情は、自然と和らぐ。

 

「嬉しかったなぁ……、あのとき。私の代わりに、こまちが言い返してくれてさ」

 

 夏木りんが持ち出した仮定の話。もし、まどかの夢が和菓子職人でなかったとしたら、店をどうするつもりでいたか。

 

 作家になるのはこまちにとって大事な夢であり、簡単には諦められない。だからこそ、姉の気持ちが理解できずに悩んだこともある。頻繁にバイクで旅をして、大学で芸術の勉強をする姉は将来どうするつもりなのか。

 結果として彼女は和菓子屋を継ぐことにしたが、今でもときどき本当にそれでよかったのかこまちは分からなくなる。バイクにも芸術にも、まどかは等しく真剣に向き合っていた。それらを犠牲にしてまで店を継ぐ決断を下したのは、長女としての責任だって少なからずあったかもしれない。

 

 こまちが夢を叶えられるように。未来に開けた先の見えない道で、迷わないで済むように。

 

 勝手な思い上がりなら、それでいい。正面から夢に向かっていくのが怖くて妥協した仕事を選んだ自分に、姉の人生を左右する価値などない。それでも、まどかの夢が美味しい和菓子をつくることだと言うのならこまちはその夢を応援したかったし、そうすることで彼女の優しさに報いたいと思っていた。

 だから、そんなことでまどかから感謝されるなんて、こまちにとっては思ってもみないことだった。

 

「こまちがいてくれたから、私は今でも夢を持ち続けられているの」

 

 彼女が正面に正座してこまちと顔を向い合せる格好になったため、こまちは鏡を見ているような感覚に陥った。友人や常連のお客さんから耳にたこができるくらい言われたことだが、姉妹とはいえそっくりだと思う。

 異なっているのは表情だけ。まどかは自身の夢に希望を持ち、胸を張って叶えたい夢があると言い切れる。そんな彼女の糧となったのは、こまちの励ましだった。

 

「こまちには、私がついてる」

 

 いつも聞いている姉の声なのに、こまちの耳には懐かしく響いた。悲しいことがあって泣いていた子どもを安心させる、温かい声。

 

「もし、こまちが“わるもの”に捕まったら、私が助けにいく。あんたは私の、可愛い妹なんだから」

 

 柔らかい手つきでさっとこまちの頭を撫で、膝の上に置かれた絵本に視線を落とす。二人の王子と五人の戦士の、別れのシーンだった。

 

「だけど……」

 

 ページを捲るまどかの手は、その先に何が描かれているか知っているかのように迷いがなかった。物語が完結した後には、文章は存在しない。イラストだけが見開きのページに描かれていた。

 

「私の出る幕はなさそう。こまちにはこんなに素敵な仲間がいるじゃない」

 

 物語を締めくくるもの。

 

 それは、五人のプリキュアの笑顔だった。

 

 

 

 一国の王として、先の発言があまりにも軽率だったことをクレープは反省していた。

 

 キュアレモネードが加わって三人になったプリキュアが見事な連携で巨大ザケンナーに一矢報いたときは、ここから形勢が逆転するに違いないと期待したのだが、クレープは興奮のあまりガンバリーナの存在を失念していた。

 

 プリキュアは着実に巨大ザケンナーの動きを攻略しつつある。相変わらず予測不可能な箇所から生えてくる怪物の腕は厄介だったが、人数が増えたことで腕は分散され、援護はしやすい。敵がザケンナーだけだったなら、クレープの読み通り勝機はあっただろう。

 しかし、それが分かっていて同じ戦法を続けるほどガンバリーナも単純ではない。これまではザケンナーに戦わせておいて自身は身を潜め、プリキュアに隙ができたら攻撃していた。一撃必殺を狙う卑怯な戦い方ではあるが、そのおかげでプリキュアは目の前の怪物だけに意識を集中させることができたのだった。

 

 ザケンナーの腕を避けながら、ガンバリーナの攻撃にも備える。三人になったところで、それぞれは一つの体、ひとりの人間。限界は誰にだってあるものだ。

 

「レモネード!」

 

 積極的にガンバリーナが攻撃をするようになると、途端に戦場は緊迫感を増した。あちこちで黒い球による爆発があり、視覚と聴覚の機能を妨げられる。息つく間もない攻撃が繰り出される中で、視界に入った情報をキュアルージュは素早く処理してキュアレモネードに迫る危機を見つけた。

 立ち込める煙の向こうにガンバリーナの姿を捉えたレモネードは、背後から近づいてくる手に気付かない。ルージュは自身にまとわりつく腕を振り払うと、レモネードの体を担いでその場を離れた。黒いエネルギーの放射がレモネードに接近していた手を一掃したのは、直後の出来事だった。

 

「あ、ありがとうございました」

 

 間一髪で助けられたのだと知ったレモネードは驚きのあまり集中が途切れかかったが、ルージュの足が怪物の手に掴まれるとすぐに気持ちを切り替える。ルージュを転ばせて引きずっていこうとする手を、レモネードは撃退した。

 

「ルージュ、大丈夫ですか!」

「う、うん。なんとか……」

 

 レモネードが差し出した手を取ってルージュが立ち上がったとき、二人の目を眩ませた光があった。自動車に撥ねられる直前の猫みたいに、黒い球が飛んでくると分かっても彼女たちの体は硬直して動けない。

 

「ルージュ! レモネード!」

 

 キュアドリームに突き飛ばされてようやく硬直が解けた二人は、爆発の後で倒れているドリームに駆け寄った。彼女も直撃は免れたようで、地面に突っ伏したまま力なく笑っている。

 

「もしかしたら勝てるかもしれない、なんて思ってたんじゃないだろうね」

 

 二人に手伝ってもらってドリームはやっと立つことができた。片方の腕はルージュの肩に、もう片方の腕はレモネードの肩に回されている。

 

「何も期待するんじゃない。あんたたちの未来にあるのは、真っ暗な絶望だよ」

「未来がどうなるかなんて、やってみなくちゃ分からないじゃない!」

 

 プリキュアの瞳から消えることのない希望の色。ガンバリーナはそれが気に入らなかった。

 

「分かるさ。だって、アタシが未来を潰しちまうんだからね!」

 

 大雨で氾濫した川のように、ガンバリーナの掌から黒いエネルギーが溢れだす。水泳が得意な人間でも津波や洪水には抗えないのと同じで、ドリームたちの視界は真っ黒に染まった。それはまさに絶望の闇。その奥には深淵が覗けた。

 彼女たちが苦しむところを見たくなくて、建物の陰から応援していたクレープは視線を逸らす。顔を背けた先には、ナッツがいるはずだった。

 

「ナッツ……? どこに行ったクク?」

 

 答えはクレープの記憶にある彼の表情が教えてくれた。うららを呼んで来ようとしてシロップが飛んでいったとき、三人のプリキュアが戦っているとき、ナッツは複雑な面持ちをしていた。悔しさと羨望と、重大な決意をするような何か……。

 

「まさか……ナッツ!?」

 

 クレープが戦場に視線を戻すと、思った通りナッツがそこにいた。

 

 プリキュアの前に立ち、ガンバリーナの攻撃をバリアで防いでいる。ココとクレープが力を合わせてもほんの僅かな時間しか耐えられなかったのに、ナッツは足を踏ん張り懸命に持ち堪えていた。

 

「ナッツ……」

 

 絶望の波に呑まれかかっていたドリームたちは、呆然と彼の背中を見つめていた。小さな背中が、どんなに頑強な防波堤よりも頼もしく感じる。ガンバリーナとナッツの間でせめぎ合う力の強大さを前に、彼女たちはしばらく動けないでいた。

 

「邪魔するんじゃない! 妖精ごときに止められるアタシじゃないよ!」

 

 ガンバリーナの攻撃は威力を増し、ナッツはじりじりと後ろへ追いやられる。彼の足は地面を抉りながら、尚も踏ん張り続けた。

 

「たしかに、ナッツの力は弱いナツ」

 

 後退していた足が、そこから動かなくなる。崩れかけていたバリアは張りを取り戻し、攻撃を押し返した。

 

「でも、ナッツにもできることはあるナツ! 何もしなかったら、きっと後悔するナツ!」

 

 パルミエ王国の門をナッツが開けたから、ナイトメアの侵入を許して国が滅んでしまった。それを阻止することができず、自分の無力さと愚かさを思い知らされたナッツの心は自責の念で押し潰される。プリキュアがいなければ、絶望に捕らわれたままだったかもしれない。

 

 しかし、そんな彼の愚かさをキュアドリームは優しさと言ってくれた。彼の過去を知って軽蔑するのではなく、仲間として受け入れてくれた。プリキュアが救ったのは、パルミエ王国とその国民だけではない。ナッツの心が安らぎを取り戻せたのも、みんなのおかげだ。

 

 国を失ったナッツたちに、居場所を与えてくれた。ここにいたいと思う場所をつくってくれた。みんなはいつも、笑顔で彼を迎えてくれた。

 だから、みんなの笑顔を守りたいとナッツは思ったのだ。

 

「大事なのは、後悔しないことナツ!!」

 

 対極をなす光と闇の力が拮抗して、二者の間にはエネルギーの渦が生まれた。その迫力に気圧されたドリームたちは、彼らの戦いを傍観することしかできない。

 

「あんた、自分がどうなってもいいのかい。こんなやつらのために、そこまでする意味なんてないじゃないか!」

「プリキュアのためだけじゃないナツ!」

 

 何の見返りも求めずにナイトメアやエターナルとの苦しい戦いに臨んだプリキュア。彼女たちへの感謝の意は、どんな言葉を使っても表現できないほどだった。しかし、五人のプリキュアが戦いの先に見ていたのは、そんなものではない。

 自分たちの夢のために、プリキュアは戦っていた。だからこそ彼女たちは決して諦めず、逆境を乗り越えていけたのだ。

 

「これは、ナッツが自分で決めたことナツ! だから、自分のためナツ!!」

 

 ナッツのバリアが輝きを増した。眩い、綺麗な光。キュアドリームはその光に見惚れながら、その向こうでザケンナーが肘を引くのに気付く。

 

「それじゃあ、悔いはないんだね! ザケンナー!!」

 

 彼女の攻撃に加えてザケンナーのパンチを受け止められるほど、ナッツに力は残されていない。慌てて援護に向かおうとしたドリームの傍を、駆け抜けていくものがあった。

 

 それは優しい、緑色の風。

 

「プリキュア・エメラルドソーサー!!」

 

 出現した光の円盤に拳をはじき返されたザケンナーの巨体はよろめいて、建物の壁にぶつかった。ナッツの隣に立つ彼女の後ろ姿に、ドリームたちは安心する。二人の防御が破られるはずはないという、根拠のない自信があった。

 

「ミント……」

 

 ようやく彼女との再会を果たせたナッツは、思い描いていたものよりもずっといい表情をしているキュアミントとどう接したらいいか分からなかった。

 

 悲しい顔をしていてほしかったわけではない。ただ、パルミエ王国と彼女たちの世界では勝手が違うから、大変なこともたくさんあるだろうと思っていた。ナッツハウスを開店したばかりの頃、空腹に追いつめられてナッツは学んだ。金がなければ食べ物が得られない。宣伝をしなければ、客は来ない。

 食欲を満たそうとするだけで大変な努力を要したのだから、こまちが作家になる夢を叶えるにはもっと大きな障害が待ち受けていたはずだ。多くの理不尽、やるせない現実を経験して子どもは大人になっていく。だから、疲れた顔でもしているのではないかと心配してみたりした。

 

 ところが、闇のエネルギーを前にしてキュアミントの表情は晴れやかだった。その瞳には、キュアドリームと同じ希望の色。昨日の戦いの傷痕は、どこにもない。

 

「ナッツさん、しっかり! みんなを守りたいんでしょう!?」

 

 彼女の激励を受けて、大地を踏みしめる足に力を込める。微力でもいい。自分に残された全ての力を前に押し出す。光が照らす明るい世界をイメージして。

 

「また一人……。いい加減にしな! 足掻いても無駄さ、あんたらに未来はない!!」

「何も知らないあなたに、私たちの未来を決める権利はないわ!」

 

 苦しいとき、人は自然と下を向いてしまう。全身の神経を防御に集中させる代わりに必要とされない首の筋肉は怠け、キュアミントも地面を見た。

 彼女の目に映ったのは、小さく抉れた線。ナッツが足を踏ん張った跡。諦めなかった彼の強さが、ちゃんと残っている。

 

「これは私たちひとりひとりの、何ものにも替えることのできない人生。悩み、苦しみ、もがいて……積み上げてきた! かけがえのない物語なんだから!!」

 

 彼女たちの防御が、少しずつ攻撃を押し返す。しかし、ガンバリーナの力も留まるところをしらない。

 

「そんなものアタシが終わらせてやる!」

「この物語は、悲劇じゃない!」

 

 拮抗していた二つの力が、光に包まれた。それは闇のエネルギーを伝って、ガンバリーナに迫っていく。

 

「これは私たちの物語! ラストシーンは、私たちが決める!」

 

 主人の危機を察知したのか、再びザケンナーが拳を繰り出す。その頃には既に光の力が闇を退け、ガンバリーナはひっくり返っていた。

 

「みんな!」

 

 キュアミントが光の円盤を消したのと同時に、ドリームたちが飛び出す。

 

「そう! せっかく盛り上がってきたところなんだから……」

 

 真っ向からぶつかっていったキュアルージュの拳に、ザケンナーのパンチは弾かれる。怪物が体勢を崩しかけた瞬間を狙って、キュアレモネードは大きな顎を蹴りあげた。

 

「わたしたちの未来を……」

 

 急所は人間と変わらないのか、衝撃を受けてふらつくザケンナーの体の中心をキュアドリームが攻撃する。

 

「邪魔しないで!!」

 

 怪物が二度目のノックアウトから復活する前に、キュアミントは妖精たちが避難している場所にナッツを抱えていった。心配そうな顔をしている彼に、ミントは微笑みかける。

 

「ナッツさん、私はもう大丈夫」

 

 今度はみんなも一緒だから。絵本を通してナッツが励ましてくれたから。何があっても、姉が傍にいてくれるから。

 それに、夢があるから。

 

「私たちでつくりましょう。みんなが笑顔で迎えられる、ハッピーエンドを」

 

 戦場となった広場に並んで立つ木々。舗装された地面に根を生やして咲いた花。風にそよぐ草、揺れる枝、葉っぱのざわめき。太陽の香り。彼女の胸に抱かれながら、ナッツは穏やかないつもの風景を眺めていた。

 

 たくさんの緑。そして、安らぎ。気持ちのいい昼下がりの雰囲気は、彼女の名にぴったりだ。

 

 安らぎの緑の大地、キュアミント。

 

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