プリキュアオールドスターズ ~プリキュア5の同窓会~ 作:おじ
痛めた腰を擦りながら起き上ったガンバリーナの目に飛びこんできた光景は、彼女にとって快いものではなかった。
思い描いた通りに事が運んでいれば、今ごろは絶望の闇に倒れたプリキュアを見下ろしているはずだった。無数に生えるザケンナーの手に掴まれて、痛みにもがき苦しむ表情。強大な力を前に手も足も出ない二人のプリキュアをせせら笑い、情け深い彼女はさっさと二人を楽にしてやっただろう。
ところが、現実は当初の構想とかけ離れていた。プリキュアは四人も集まり、攻撃のパターンを覚えられたザケンナーの手が彼女たちを捕らえることはない。影から生まれた怪物はすべてを闇で覆い尽くすどころか一つの淡い光すら消すこともできず、キュアドリームという存在を演出するバックグラウンドと成り果てた。足下も見えない真っ暗な夜道を歩くには勇気を要するが、ほんの微かな光があれば道は見えてくる。今やプリキュアたちの瞳は希望で輝き、明るい未来を見据えていた。
彼女たちの表情は、ガンバリーナの胸の内にある憎悪を膨らませる。息の合った連携でザケンナーに攻撃を与える度に、プリキュアたちは顔を見合わせて笑うのだった。意思の疎通は視線のやり取りだけで済ませて、一人がピンチになればすぐに他のみんなが駆けつける。窮地を脱すると、戦闘中にも関わらず安堵の表情を浮かべていた。
計画に多少の狂いが生じる可能性は、十分に考慮していた。ガンバリーナはこれまでの人生で、何をするにしても思いがけない障害が目の前に現れるもどかしさを思い知らされてきたからだ。順風満帆な人生などあり得ない。だからこそ、理想とか夢なんて空虚な言葉に一縷の希望を託し、自分にはまだ幸福になるチャンスがあるかもしれないと心を欺いている。そうでもしなければ、人生なんてやってられない。
肝心なのは諦めのよさ。自分ばかりが不幸なのではない。誰の人生だって、同じようなもの。そんな台詞を呪文のように繰り返し、周期的に強まる怒りや不満を宥めることでガンバリーナは理性を保っていられた。
しかし、プリキュアたちのあの表情! 支えてくれる仲間がいて、苦境に立っても決して諦めず、最後まで希望を捨てない。若いエネルギーに満ち溢れている。
こんなことが許されていいものか。ガンバリーナは歯軋りをした。いくらなんでも、不公平ではないか。
プリキュアによって破滅させられた人生。その復讐さえも阻害され、彼女を惨めな気持ちにさせる。しかし、彼女が自分を憐れみ、運命に怒りを覚えなければならないのは彼女のせいではない。何もかも、プリキュアが悪いのだ。
怒りと憎しみはエネルギーの塊となって、彼女の手の中で具現化する。プリキュアは気付いてない。見知らぬ中年女の人生が破綻しようと、どうでもいいのだろう。連中の頭にあるのは、目の前の怪物を倒すことだけ。四人がかりで……慈悲の心もない。
きっとジャアクキングも、こんなふうにやられたのだ。そのときの様子を想像すると、彼女の手にある黒い球は一層大きく膨らんだ。
「なにが希望……なにが情熱……」
キュアドリームとキュアルージュの攻撃を同時に受けて、ザケンナーは巨体をよろめかせた。
「勇気が何さ、安らぎがなんだっていうんだい……」
ザケンナーが体勢を整えぬ間に、キュアレモネードとキュアミントが追撃を喰らわせた。大きな音を立てながら、ザケンナーの体はゆっくりと地面に沈む。
「アタシに残されたのは、搾りかすみたいなろくでもない人生だけ」
ドリームとルージュ、レモネードとミントがそれぞれハイタッチをした。さも嬉しそうに。自分たちの強さと正しさを誇示するように、晴れやかな表情で。
ガンバリーナは黒い球を放った。彼女たちの顔を絶望に染めてやりたい。恐怖を味わい、苦しむがいい。そのくらいの報いは、受けて当然だ。受けるべきなのだ。
黒い球の接近に気付いたキュアドリームの顔から、さっと血の気が失せる。その一瞬だけ、ガンバリーナは快感を覚えた。
「みんな! 伏せて!」
ドリームが叫ぶのと同時に、黒い球は破裂した。爆発による砂埃で視界が奪われる寸前、ガンバリーナの目は獲物を狙う鷹のようにプリキュアの一挙手一投足を捉えていた。キュアドリームが黒い球に背を向けて三人を庇おうとするが、直感的に事態を察知した他のプリキュアはドリームの背中に手を回して三人が囲むサークルの中央に彼女を引き込む。咄嗟に拵えたサークルは爆風に耐えきれず、あっさり崩壊してしまった。
爆発の跡には、倒れている四人のプリキュア。ほんの数秒前まで笑みを浮かべていた彼女たちの顔は苦痛で歪み、埃にまみれている。
「それでいい……」
巨体ゆえに爆風の影響を受けなかったザケンナーは先の攻撃から復活して、倒れたまま動けないでいるプリキュアに向けて拳を振り下ろした。しかし、これで終わるはずがないとガンバリーナは知っていた。連中はしぶとい。とことん痛めつけてやらなければ、決して折れないだろう。
彼女の予想通り、プリキュアは重い体に鞭を打って寸でのところでザケンナーの攻撃を躱した。往生際の悪い、愚かな若者たち。足掻けば足掻くほど、苦しみは増すだけなのに。
ひとまず距離を取ろうとするプリキュアに、黒い球をもう一度放ってみる。今度は、先のような威力はない。それでも、十分な効果が得られるとガンバリーナは確信していた。
黒い球はキュアミントの背中を追う。現時点で最も体力が温存され、厄介な防御のある彼女を潰さない手はない。このまま命中すれば御の字、妨害する者があればそれでもいい。
背筋に走る悪寒の正体に気付いたミントが反射的に身体を庇おうとした刹那、小さな爆発。爆風に煽られて倒れた彼女が顔を上げると、ドリームたちの姿が見つからない。さっきまで彼女の少し前を走っていたというのに。
砂利の微かな音に振り向くと、彼女の後方で三人が倒れていた。より爆発に近い位置、そのダメージはミントより遥かに大きい。
「滑稽だね。一人を狙ったのに、わざわざ飛び込んでくるなんて」
ガンバリーナが腕を払うと黒い衝撃の波が立ち、倒れているドリームたちを襲った。エメラルドソーサーを展開する余裕のなかったミントは、手足を広げて自らの身体を盾に三人を攻撃から庇う。
ずしん、と体の芯に響く強烈な衝撃。それに立ちはだかったミントの後ろに、エネルギーの痕跡は一切なかった。感覚が麻痺したのか、痛みはないのに膝が震えて彼女は崩れ落ちるように倒れた。
「それがあんたらの弱さだよ」
戦闘の影響が及ばない物陰に避難している妖精たちは、圧倒的な闇の力を前に何をすることも許されなかった。飛び出していってプリキュアを守ろうとしても、ほとんどの力を使い果たした彼らの防御では時間稼ぎにもならないだろう。
ミルキィローズとブンビー、四人のプリキュアがぼろぼろになるまで戦っても勝てない相手。疲れを知らない巨大な怪物と、復讐に囚われたガンバリーナ。必死に抗うプリキュアを嘲っていたさっきまでの高慢さは感じられず、春の温かい陽気さえ凍りつけるような冷徹さが今の彼女にはある。
息子の復讐という大義名分は捨てて、ただプリキュアを倒したいという衝動にガンバリーナは身を委ねていた。鬼のように、悪魔のように、すべてを食い尽くす闇のように。プリキュアという存在を消し去る。敵意は悪意に変わった。あらゆる手段でプリキュアを苦しめたい。彼女の頭にあるのは、それだけだった。
「弱いから、庇い合う。一人じゃあ勝てないことを知っているから。だから助ける。一人にされたら、困るのは自分だものねぇ」
一人のために倒れた三人。助けてくれた三人のために倒れたキュアミント。思わず、失笑が漏れた。愚かで哀れな、弱い叢り。仲間なんて一時のものに過ぎないという現実を直視しようとしない若者の戯れに、いつまでも付き合ってはいられない。
「一人で戦うくらいなら、みんなと一緒にやられたほうがいい。そう考えているんだろ? お友達を助けるふりをして、結局は自分のためなんだ」
次から次へと仲間のピンチに駆けつけたプリキュア。彼女たちが伝説の戦士の名にふさわしい正義感と使命感を持ち合わせていたのなら、初めから全員で戦っていたはずだ。ガンバリーナという悪を排除する目的のためだけに動くべきだった。
しかし、プリキュアも妖精たちも、だれもかれもが仲間のためという名目で戦った。みんなを助けたい、守りたい、いつまでも一緒にいたい。甘ったれた台詞を恥ずかしげもなく口にしていた。
そんな願いでどうして戦える? 人とのつながりなんて呆気ないものだ。家族や親友だって、環境がちょっとでも変われば疎遠になる。一方が死ねばそれで終わり。写真を飾って、たまに思い出すことはあっても、二度と会うことはない。それでも残された人間は生きていける。別れは必然のものだから。
多くの別れを乗り越えてこそ、人は強くなれるのだ。一つのつながりに固執するのは、心が弱い証拠。仲間なんて空虚な言葉に縋っているプリキュアでは、決してガンバリーナに勝つことはできない。
「ザケンナー。……おやり」
手を振って合図を出すと、ザケンナーは攻撃の構えをとった。そろそろ夕飯の買い出しをしなければならない。これで終わらせよう。この一撃でプリキュアの肉体と絆は粉々に砕け散るだろう。もう彼女が手を下すまでもない。
そう確信していた。キュアドリームが立ち上がるのを、目の当たりにするまでは。
「だって……」
ガンバリーナは自分の目を疑った。他の者ならともかく、キュアドリームのどこにまだ戦える力が残っているのか。体力の消耗も、蓄積したダメージも四人の中で最も大きいはずなのに。そんな彼女がどうして真っ先に立ち上がれる?
「……だって、わたしは……」
他のプリキュアも顔を上げて、彼女を見た。全身が震えて、足元はふらふらと揺れている。しかし、彼女の瞳だけは、肉体の限界を感じさせないくらいはっきりと開かれていた。
「みんなのことが、大好きなんだもん」
柔らかな微笑みは、冷たく張りつめた空気を溶かしていく。寒くて暗い空間に灯る、小さな灯。キュアルージュたちの拳が地面を押し、膝をついて、起き上がろうとするきっかけとしてそれは十分すぎた。
「みんなと一緒にいたいから、だからわたしはみんなと一緒にいるの!」
奇妙な日本語に苦笑しながら、ルージュはドリームの腕を自分の肩に回した。
「だったら、しょうがないよね」
キュアレモネードとキュアミントも立ち上がり、それぞれドリームの体を支える。
「あなたの言うとおり、わたしひとりの力は小さい。だから、みんなで戦うんです。みんなを頼るんです」
「大切な人だから、傷ついてほしくないから私たちは助け合うの。自分のため……自分の願い。でもそれは、悪いことじゃない!」
打ちのめしたはずなのに、どうやってもプリキュアは折れない。どこから力が湧いてくるのか、ガンバリーナは彼女たちに対して不気味な恐怖すら覚えた。考えてみれば、あのジャアクキングを滅ぼした連中だ。とっておきの攻撃手段を秘めているのかも……。さっさと片をつけなければ、こちらの身が危い。
「じゃあお望み通り、みんなまとめて始末してやるよ!!」
ザケンナーの巨大な拳が、プリキュアに迫る。
汗が滴り、喉が渇く。
水無月かれんは膝に手をつき、唾を飲み込んだ。飲み物の自動販売機が目に入り、ケース内に配置された偽物のペットボトル飲料に視線が釘付けになる。炭酸でもコーヒーでも、水でもいい。グレープジュースもある。財布に手を伸ばしかけた彼女から飲み物の誘惑を退けたのは、大きな震動と轟音だった。
発信源はそう遠くない。もう一走りで辿りつける。手の甲で額の汗を拭い、履いていたパンプスを脱ぐと裸足のまま走り出した。
小石が足の裏に食い込んで、痛い。太陽に照らされたアスファルトが熱い。明日の朝には、あんなことするんじゃなかったと後悔するだろう。一歩踏み出す度、激痛に顔を顰めて、スニーカーを履いていけばよかったと反省しているかもしれない。
しかし、今この瞬間だけは全力で走りたい。血豆ができることよりも、本気で挑まなかったことを悔やみたくはない。自分にできることがあるのなら、それに持てる全てを捧げたい。
さっきの地響きは、プリキュアが敵を攻撃したのかもしれない。そうでなければ、みんなが攻撃を受けた音だ。前者ならいい。後者なら……考えたくもない。後者でも直撃を避けたならいい。まともに喰らっていたら……。
足の痛みなんて彼女たちの苦しみに比べたら何でもない。のぞみたちが頑張っているときに、水分補給のための休憩なんてできるわけがない。
息が切れて、どんなに辛くても。どんなに汗だくで格好悪い登場になっても、みんなが受け容れてくれなくても構わない。自分のできることをやる。それだけだ。
走りながら彼女は、十年前のことを思いだしていた。
中学三年生の冬。第一志望の高校の受験を終えた彼女は、久しぶりにナッツハウスに顔を出してみる気になった。セレブ堂のお菓子を持って玄関を出ようとしたとき、リビングの方から坂本の咳が聞こえた。
初めは風邪かと思った。その年の冬は、寒さが厳しかったから。夜のうちにうっすらと雪が積もり、窓を開けたら息が白くなる。そんな日は鼻水を啜る音や小さな咳なんて町のあちこちから聞こえていた。
ところが、その咳は止まらなかった。ただの咳とは違う。辛そうで、聞いている方も息が詰まるような咳。次いで、何かが落ちて床にぶつかる音。手袋とマフラーを着けたままの格好でかれんが様子を見に戻ると、彼は棚に寄りかかって憔悴しきっていた。
眼は虚ろで、口元を覆う手には黒く濁った血。床に落ちている陶器の破片など気にもかけず、かれんは今にも倒れそうな坂本に寄り添った。
すぐに救急車を呼んだが、雪のせいで到着が遅れた。その間、かれんは狼狽えることしかできなかった。車を運転できたら、病院に連れていけるのに。医療の知識があれば、応急処置くらいできるのに。
当時の彼女はただの中学生で、生徒会長でもプリキュアでもなくなっていて……ただひたすらに無力だった。
何もできない。何もわからない。そんな自分に嫌気がさした。こんなものなのか、と自分の小ささに愕然とした。中学卒業を間近に控えて、少しは大人になった気がしていたのに、社会的にはまだほんの子どもなのだと思い知らされる。
坂本に連れ添って病院に行ったとき、かれんは決心した。病院の医師や看護士は常に忙しそうに動き回り、自分の仕事をもっている。それはたくさんのことを知っているからだ。膨大な知識と技術を身につけているからだ。
今の自分にない多くのものを、彼らはもっている。彼らは大人で、彼女が子どもだから? それだけではない。彼らはきっと想像を絶するような努力をしてきたのだ。中学レベルでは到底及ばないような勉強を熟してきたはずだ。
自分もそうなりたい。ならなければいけない。水無月かれんは病室のベッドで眠る坂本の手を握り、医者になりたいという夢に向かって動き始めた。ただひたすらに勉強をするというやり方で。
しかし、そのやり方は間違っていた。先のことばかり考えて“今”を犠牲にした。遠い将来を見据えて、近くにあるものには見向きもしなかった。わき目もふらずに前進する足を止めることなく、振り向きもしない。その結果、何もかも失った。
のぞみたちと疎遠になり、高校や大学に入って知り合った級友とは必要以上に親しくならず、坂本を悲しませた。医者という職業を志しておきながら、大切な人たちを遠ざけていた。のぞみと知り合う前の、愚かだった自分。何でも一人でできると思っていた頃の彼女に戻っていた。
悔しさに、唇を噛み締める。足の痛みも麻痺してきた。酸素が不足して、頭がぼうっとする。それでも彼女は走り続けた。無我夢中で。
みんながいたからこそ、見つけられた夢。みんなと一緒にいて感じたこと、喜びや悲しみがあったから、自分の本当の気持ちに気づくことができた。医者になったところで、助けたいと思う人、守りたいと思う人がいなくなってしまっては意味がない。
大好きな人を笑顔にできないで、どうして病気で苦しんでいる人を助けられる? 友達が悩み、苦しんでいるのを知って手を差し伸べようともしない者に、どうやって他人が救える?
頭の中で声が響いた。疑問を投げかけるのは、過去の自分。世間知らずのくせに、大人びたふりをしていた子どもの頃。毎日が楽しくて、輝いていた。そして、そんな彼女が思い描いていた将来の姿。落ち着きがあって、頭がよくて、思いやりのある大人の女性。
現実の今と比べてみる。裸足で街を走り回っている。落ち着きなんてない。勉強をして多くのことを学び、知識を得たが、大切なことが分かっていなかった。あの頃に憧れていた理想像とは、遠くかけ離れている。
これからはどうだろう。また例の声が問いかける。
医者になった水無月かれんは、職務に含まれているから仕方なく患者を診るのか?
気づくのがもっと遅かったら、そうなっていたかもしれない。しかし、今の彼女は胸を張って、はっきりと答えることができた。
――違う。
プリキュアだから戦わなければいけない?
――違う。
のぞみたちが戦っているから? 彼女たちだけには任せておけない?
――違う!
次の角を曲がったとき、かれんは目の前で起きているものがスロー映像に見えた。怪物の巨大な拳を受け止めようとした四人の体が、宙に舞う。衝撃で上と下の区別もつかなくなったプリキュアたちは、力なく地面に落ちた。そして、その様子を空中から見下ろすガンバリーナ。どちらが優勢かの判断は、すぐについた。
「とどめだ」
もう一度、ザケンナーが攻撃の体勢に入る。予想より遥かに巨大な敵。しばらくの間、かれんはそれを現実のものだと認識できずにいた。こんな怪物を相手に戦っていたなんて。その力と勇気はどこから湧いてきたのだろう。
それでも、ドリームたちの姿を見ると体は無意識に動いていた。恐れながら、躊躇いながらも、怪物の前に立ちはだかっていた。
「かれんさん……」
ナッツハウスを掃除した帰りにばったり出会った夢原のぞみ。彼女はみんなで集まりたいと願い、行動を起こしていた。同窓会を欠席するつもりでいたかれんを、どうしても参加させようとした。
思えば、初めて彼女と話したときもそうだった気がする。プリキュアになることを拒んでいたかれんを説得し続けた。変身に失敗した彼女はプリキュアになれないのだと本人さえも諦める中、のぞみだけはかれんを最後まで信じてくれた。
彼女がいなければ、きっと水無月かれんがプリキュアになることはなかっただろう。だから今度も、彼女の期待に応えてあげたい。同窓会の出席が、まだ締め切られていないのなら。
「あんた、今さら何しにきたんだい」
ガンバリーナの冷たい視線が突き刺さる。がむしゃらに走って来た道のりを否定するような、蔑んだ眼。彼女にとって水無月かれんという一人の人間が、どうでもいい存在であることは明らかだった。
それは、かれんが他者に向けていた感情と同じ。週末の度に遊びに出かけたり、アルバイトに精を出したり、授業中に居眠りをする同級生に対してかれんは無関心だった。携帯電話のネットワークを通じたやり取りを頻繁にやらなければ爪はじきにされる、希薄な人間関係。そんなものに時間を割くつもりのない彼女から、クラスメイトたちは離れていった。それでもいいと思っていた。どうせ卒業すれば会うこともなくなるのだから。
達観したつもりでいた彼女の元に届いたのは、旧友からのメール。こまちとりん。数年ぶりの再会。のぞみやうらら、くるみたち。
嬉しかった。変わってしまった考え方、変わらない個性。成長した姿、記憶にあるままの仕草。懐かしさに、胸が温かくなる。そんなひとときを、みんながくれた。
自分が断ちきったはずの関係。それは、切っても切れない縁だった。じいやの言った通り。決して失われることのない、本物の絆。
この場において、水無月かれんがどうでもいい存在のはずがない。どれほどの年月が経とうとも、彼女はのぞみたちプリキュアの仲間なのだ。
「これ以上、みんなに手出しはさせない」
声が震えた。しかし、自分が周りにどう見られているのかなんて彼女は気にもしていなかった。情けなくて、弱い人間だと思われたかもしれない。それでもよかった。自分を強く見せる必要なんてない。弱い自分を受け容れてくれる人がいるなら。
「お前みたいに力のない者に何ができる?」
「力なんかなくたって、みんなを助けたいと思う気持ちは私も同じだから!」
昨日の記憶。闇の力に対抗する術のない彼女は、やはり無力だった。ほんの一日で力を得たわけでもなく、大きな脅威に潰されそうになる。昨日と違うことがあるとすれば、一つの小さな願いをもっているくらい。
こまちにひどいことを言った。りんにはメールを返さず、同窓会の誘いを断ってのぞみをがっかりさせた。うららとミルクに寂しい思いをさせていた。振り返ると、後悔ばかりだ。
自分勝手だと思う。取り返しのつかないことをたくさんしてきて、こんなことを言える身分でないのは承知だ。子どものわがままより性質が悪い。
それでも、もしもみんなが許してくれるなら……。
かれんはその願いを口にした。
「私はみんなと一緒にいたい! みんなの力になりたいの!」
ポケットの中にあるキュアモが輝きを放った。彼女はそれを、高く掲げる。
初めての変身のときとは違う。これは彼女の望みであり、夢への第一歩。プリキュアに変身したからといって、強くなれるわけではない。ガンバリーナに勝てる確証もない。
たった一つの大事なもののために、かれんはその道を選んだ。今度はもう間違えない。足を踏み出せばその先で、みんなが待ってくれている。
そこに行きたいと、彼女は思った。
「プリキュア・メタモルフォーゼ!!」
泉のように沸き起こった希望や喜びは、やがて彼女の胸から溢れ出す。全身を包んだ水の塊は心を清め、気分を落ち着かせる。
この水が過去をも洗い流してくれたらいいのに。微かにそんなことを考えたが、すぐに改める。やり直すことのできない人生だから、今を精一杯生きるのだ。失敗と後悔を繰り返して、少しずつ成長していけばいい。
水の流れは止められない。ときには激流に呑み込まれそうになることもあるだろう。溺れて、もがいて、どんどん沈む体。このまま死んでしまうのかと恐れ、絶望する。そんなときこそ、必死に伸ばした手を掴んでくれる誰かが必要なのだ。
一人ではできなくても、みんなと一緒ならどんなに強い流れにだって逆らえる。いつかは訪れる別れという大波にも、踏ん張ってみたら持ち堪えられるかもしれない。みんなでつないだ手を、離さなければ。
教科書には載っていないもの。講義で教えてくれないこと。彼女がみんなと学んでいきたいのは、“今”という時間の大切さ。
迷いは消えた。恐怖と躊躇いも、みんながいる頼もしさには及ばない。
厳しい冬が終わり、暖かい春の日差しが氷をとかす。綺麗な透明の滴は、鮮やかな緑の葉っぱから落ちて大地に染みた。その一滴の水はやがて海に出て、空にのぼる。時間はかかるけど、そうやってやり直していけばいい。
変身を終えた彼女の心は、青く澄んでいた。広く穏やかな海のように、果てしなく続く空のように。
「知性の青き泉! キュアアクア!!」
五人そろった感傷に浸る暇などなかった。増え続けるプリキュアに嫌悪感を顕わにしたガンバリーナが、ザケンナーに攻撃の指示を与えたからだ。
数分前の出来事がフラッシュバックする。意思のない人形にように飛ばされた、みんなの体。四人でもだめだったのだから、アクアが一人で受け止められるはずもない。
しかし、彼女の後ろでみんなが倒れている以上、他に選択肢はなかった。ほんの僅かでも、衝撃を弱めるくらいのことはできるかもしれない。
自分の体より大きな拳に向かって、アクアは両腕を伸ばした。意識を強く保てば、はじき飛ばされても着地の際のダメージは抑えられる。衝撃の直前、彼女は思わず目を瞑った。
ところが、重いものを受け止めた感覚はあるのに、彼女の足は依然として地面についていた。まさか、自分にこんな怪力が備わっているなんて。信じられない気持ちで彼女は瞼を開く。
キュアドリームとキュアルージュ、キュアレモネードとキュアミントが彼女の隣に立ち、一緒に巨大な拳を受け止めていた。五人が力を合わせていた。
「みんな!」
ドリームのかけ声を合図に、ありったけの力で怪物の拳を押し返す。想定していなかった事態にザケンナーは体勢を崩しかけて、数歩退いた。
興奮したアクアは無意識のうちにみんなと笑い合い、ハイタッチをしていた。ドリームと手を合わせる寸前にはっとして、気恥ずかしくなり手を引っ込めようとする。
「かれんさん」
キュアドリーム……夢原のぞみは嬉しそうに微笑みかけた。中学のときと変わらない優しい笑顔で、水無月かれんを友として迎えてくれた。
「おかえりなさい」
自然と二人の手の平がふれ合い、軽快な音を響かせる。
「ただいま」
かれんも笑った。病室でじいやに見せたのと同じ、ありのままの笑顔で。
この戦場において笑顔でないのは、表情のないザケンナーを除けばガンバリーナただ一人。敵である自分をさしおいて和んでいる彼女たちが憎たらしかった。
「あんたたちのどこに、そんな力が……」
計算違いにもほどがある。彼女が許容できるレベルをはるかに超えていた。こんなはずじゃなかったのに、何を間違えればこうなるのだ。混乱して、ヒステリックに訴える。
「一体どうなっているのさ! “ふたりはプリキュア”じゃなかったのかい!?」
「何を言っているの!? わたしたちは……」
キュアドリームは、みんなを見た。彼女たちだけに通じるサイン。微笑みが、みんなの返事だった。
「希望の力と!」
全身の疲労と痛みが癒える、魔法のようなひととき。未来を夢みていたあの頃のように、今この瞬間も輝いている。そんな実感を得ていた。
「未来の光!」
それぞれの夢、各々が進んだ道。いいことばかりではなかった。明るい未来なんて誰かが用意してくれるものじゃない。自分で灯りをともさなければ。
「華麗に羽ばたく五つの心!」
足下しか照らされない道を手探りで進み、迷ったり立ち止まったりしながら、彼女たちは再び巡り会えた。小さな光を集めて、未来を照らす。みんな一緒なら、どんな困難も乗り越えられる。
五人の心が今、一つになった。
「Yes! プリキュア5!!」