プリキュアオールドスターズ ~プリキュア5の同窓会~ 作:おじ
のぞみを襲った絶望の影は、彼女の全身を覆う量の糸を紡ぎだすと、大きな繭を形成した。
孤独と静寂、光の閉ざされた空間。それらを経て、さなぎは羽化する。違和感を伴って、残酷な世界に飛び立つのだ。
春の風に誘われて花の間を優雅に舞っている蝶を追うと、だんだん分かってくる。背中に生えているのは繊細な可愛らしい羽ではなく、おぞましく不気味な桎梏だということを。蛾のさなぎは、蝶にはなれない。この世に生を受けたときから、運命は決まっていた。窓の下や自動販売機の中で、最期を迎えるところまで。
今際の際に、誰にも見向きもされない卑小な存在でよかったと思えるかもしれない。網で地面に叩きつけられ、かごの中に閉じ込められる蝶を何匹も見てきた。死が平等に訪れるなら、苦しまずに逝ける方がいい。暗闇に身を投じて他者を遠ざければ、醜い姿を忘れられる。
膜が剥がれて、夢原のぞみを覆う繭が崩れはじめた。絶望の深淵に沈吟して、彼女もこの世の理を知ったはずだ。繊維の壁が溶けて、目を瞑る彼女の顔が見えた。
化物の思惑とは裏腹に、楽しい夢を見ているような穏やかな眠りだった。
「……愚かなる者。何故、我々を拒絶する」
心地よい絶望に誘ったはずが、彼女の表情は晴れ晴れとしていて、あろうことか夢枕に立った想い人を連れてもどってきた。一匹のさなぎが繭の中で別の個体を出現させたとなれば、生物学者は喜んでメタモルフォーゼの定義に新たな一文を追加するだろう。
「わたしは絶望なんてしないよ」
手をつないだ先にいるココと微笑みを交わし、彼の温もりをのぞみは改めて感じていた。不気味な街も、おどろおどろしい化物も、ココと一緒なら怖くない。
「だって、まだまだやりたいことが、たくさんあるんだから!」
蝶だろうと蛾になろうと、人間だって変わりはない。天敵もいれば、自然界の脅威にさらされ、世間のしがらみに縛られもする。大事なのは自分が自分であり続けること。誇りを失って自己を捨てたときに、羽はただの飾りとなるのだ。
「その者に唆されたか」
招かれざる客であるココをよろこんで迎えるつもりなど絶望の蛾にはないようで、その声色には軽蔑が多分に含まれていた。
「王子になるべくして生まれたその者に、夢を語る資格があると思うか。希望の果てにある絶望を知らぬ者に、教え子を導くことはできぬ」
国民のみんなの役に立ちたいという想いはあったが、ココは望んで王子になったわけではない。いずれは二人の王子のどちらかが国王になる未来が約束されていて、それなりの努力と苦労は経験したものの、進路の悩みや将来の不安などとは無縁だった。
サンクルミエール学園の教師として生徒に相談を持ちかけられても、彼の考えは理想論に過ぎず、参考にならないことがあったかもしれない。職員室の扉を叩くのに、大きな決意を要した者もいただろうに。
彼は一国の王であり、国語の元臨時教師。しかし、時には冗談を言ってふざけ合い、漢字の書き間違いを生徒に指摘される。その度に、未熟さを自覚させられた。それは彼に成長の余地が残されているということだ。
「のぞみが、ぼくに教えてくれた。夢はとても大事なもの……」
大人は子どもが思っているほど、大人ではない。知らないこともたくさんあるし、学ぶべきことも多い。出会ったばかりのよく知りもしない相手のために本気で怒ってくれたのぞみこそ、ココに夢とは何たるかを説き明かしてくれる先生だった。
「自分がぼろぼろになっても叶えたい、大切なものなんだ!」
ピンク色に輝く小さな蝶が、ひらひらと二人の頭上を舞い、のぞみの肩に着地した。淡い光が、薄暗い街をほのかに照らす。
「夢はいつか醒めるぞ」
ささやかな灯りは闇を追い払うには心もとなく、今にも消えてしまいそうなほど儚かった。
ほとんどの人が、夢を叶えられない。未知の組織に操られているのではないかというくらい、社会はあらゆる職種によって構成され、バランスがとれている。その中には、誰にでもできる仕事、やりがいを感じられないものもあるだろう。過去の自分が知れば、幻滅してしまいそうな未来。
「それが大人になるということだ」
絶望に堕ちた街の人々は、夢を諦め、妥協した人生に幸福を見出せないでいた。やりたいこともなく、永遠に課せられるノルマに奪われていく年月。ヒーローやお姫さまは架空の存在で、正義感や優しさなんて面接では求められない。学歴と年収だけで判断される、金銭欲と自己顕示欲に支配された社会。
「そうだね。ずっと同じわたしじゃいられない」
中学二年生のときに思っていたよりもずっと、夢を叶えるのは難しいとのぞみは知った。時間は勝手にどんどん流れて、急かされるように大人になった。別れと出会いの繰り返し、やる気はため息として排出される。砂漠を彷徨う人間が、遠くに見えるオアシスはすべて蜃気楼だと分かってくるのと同じ。
だけど、歩き続けていれば、いつかは本物のオアシスがあるかもしれない。地平線の向こうに人家が見えるかもしれない。立ち止まってその場に倒れるよりは、ずっと期待できる未来があるはずだ。
「だからわたしは、あの頃のわたしより、もっといい自分になりたい」
蝶がのぞみの肩を離れ、絶望の化物に向かって飛び立った。光が輝きを増して、闇を退けようとする。
「うぬぼれるな!!」
蛾の羽にある模様が、恐ろしく巨大な目玉となる。地面が消失し、一瞬にして真っ暗な空間へと二人は落ちた。重力から解放され、世界は崩れ去る。つないだ手が、見えざる力によって引き離された。
「夢を叶えられるのは、ひと握りの選ばれた者のみ! お前ではない!」
落下中なのか浮遊しているのかさえ判別できない状況で、のぞみは蝶を見失った。ココの姿も暗闇に消えたが、かろうじて彼の存在をまだ近くに感じられる。
「のぞみが育てた夢の種が、どんな花を咲かせるのか。それは誰にもわからない」
伸ばした指先に、微かな感触があった。不確かで、今は触れるだけで精一杯でも、掴みたいと思える何か。
「だけど、のぞみの人生だ。どの道を進むのか、のぞみが決めていいんだ!」
指先がくすぐったい。すっかり弱々しい光しか放てなくなった蝶が、そこに留まっていた。その光を頼りに、彼の手が伸びてくる。
「大きな過ちだ」
上下に揺れる振動が、またしても二人を遠ざけた。のぞみは彼の名を呼ぶが、返事はない。
「絶望からは逃れられぬ。我々がその成れの果てだ」
まるで映画館にいるみたいに、暗闇の中に古い映像が投影される。ナッツハウスの二階で、四人の中学生が退屈そうにしている場面。窓の外の景色は寒々としているから、秋か冬と推測される。
やがて一人減り、三人になった。建物の所有者が現れないことに居心地の悪さを感じて、彼女たちはそこから立ち去る。
そして季節は巡り、春がやってくると、二人と一人に別れた。桜は散りはじめていた。
「希望を胸に、失意の底へと沈むがいい……」
映像が切り替わり、街の広場が見えた。瓦礫が散乱し、木々は倒れ、草花は踏み荒らされていた。力尽きて倒れた戦士たちを、のぞみは見下ろしている。彼女は、自分がザケンナーの体内にいるのだと思い出した。
四人のプリキュアは傷ついて、とても苦しそうだった。のぞみがプリキュアになってみんなを巻き込まなければ、こんなことにはならなかっただろう。戦いに敗れて、絶望に蝕まれることもなかった。
しかし、彼女たちは立ち上がった。ふらついて倒れそうになりながらも、自らを奮わせて、最後の希望をつかみとろうとする。プリキュアになった運命を恨むのではなく、自分の決断による結果を受け容れたような、満ち足りた表情でのぞみを見上げていた。
ナッツハウスの掃除をしてくれた、かれん。真面目すぎてナッツハウスに来るのも忘れるくらい、勉強を頑張っていた。みんなで彼女の大学卒業を、お祝いしたい。
アルバイトに戻ろうとするのぞみに声援をくれた、うらら。いつも一生懸命で、端役でも手を抜かずに全力で取り組んでいた。久しぶりに、彼女の元気な歌を聞かせてほしい。
みんなを守るために一人で戦った、こまち。自分に自信がないけど、内に秘めた夢への想いは抑えられるものではなかった。そんな彼女の新作はきっと、心が弾む冒険小説。
そして、ずっと傍にいてくれた、りん。花屋の仕事を愛し、家族を愛し、真っ直ぐな熱い心をもっているのぞみの親友。彼女は穏やかに微笑んで、みんなに何かを告げていた。戦場であれほど柔らかい笑みを浮かべられた理由を、のぞみは知りたいと思う。
「それでも、わたしは夢を追い続ける」
弱っていた蝶の光が、暗闇で弾けた。その途端、のぞみの体はココに引き寄せられる。左手の指を絡ませて、右肩は彼に抱かれていた。もう二度と、放さないように。
「自分が、納得できるまで!」
フィルムの終わりを告げるように映像は途切れ、明りが灯る。清閑な夜空に、星が瞬いた。少女の胸をときめかせる綺麗な輝きも、望遠鏡でのぞくと忙しない爆発の連続で燃えているのだとわかる。そうやって一つのものを失い、新たなものを得るのだ。
絶望の闇は、薄明の空に消えた。静かな朝が太陽をつれてやってくる。宇宙のイルミネーションは、地球の裏側に舞台を移し満天のショーを披露するだろう。ときには雲が妨害しても、見上げるとそこには無限の空間が広がっている。闇は恐れるものではない。
「未来がお前を裏切ろうと……」
「うん」
「友との別れを意味すると知っても、尚……」
「うん」
「この先、如何なる試練が待ち受けていようとも……」
「……うん、がんばるよ」
闇は影を潜め、彼女たちは光の中にいた。水面の揺れる音、枝の撓り、土の香りがする。のぞみの足は、逞しい大地を踏みしめた。
「……ならば、見届けさせてもらうぞ……」
靄が晴れて視界が開ける途中、流れる空気がささやきを運んでいった。
「デザイナーになりたい」
「役者になる」
「作家に……」
「医者……」
そよ風がのぞみの耳をくすぐった後、気のせいかもしれないと思えるほど微かに聞こえるつぶやきがあった。
「幸せな……家庭を……」
「えっ?」
厳しくも温かみのある、ややしわがれた声。悲愴感溢れる、切実な願い。耳に残る声の主を思い出そうとするのぞみの前に、懐かしい建物がはっきりと現れた。
「ナッツハウス……」
昨日、久しぶりに訪れたときとはやや異なる様相を呈している。壁の塗装は新しく、垣根や屋上の手入れも行き届いていた。かれんが掃除したばかりのナッツハウスも住居として必要最低限の環境は整えられたが、のぞみの目に映るのは思い出の中に閉じ込められたはずの、細部にわたって完璧に再現されたあの頃のままの姿だった。
ひとりぼっちで食べたお弁当。ただいまの声が返ってこない家。希望を残しておきたくて、ナッツハウスには足を運べなかった。今も、躊躇いという足枷が彼女をそこに踏みとどまらせる。それを外す鍵を、彼女は持っていない。
「いこう、のぞみ」
彼が微笑みをくれただけで、心の重石はふっと消えて、のぞみの足取りは軽くなった。さっきまでとは事情が違う。絶望が彼女を試そうとしてこしらえた偽りの世界だとしても、今はココがいる。ずっと会いたいと願っていた大切な人が、支えてくれている。
「うん!」
店内に足を一歩踏み入れたとき、覚悟をしていたとはいえ、がっかりしなかったと言えば嘘になる。無愛想でクールな「いらっしゃい」が聞こえなかったからだ。
客商売には向かないけれど、勤勉な努力を怠らず、不器用な優しさを秘めた店主。そんな彼を慕い、健気に店の手伝いをする女の子。配達の仕事がないときは退屈そうにカウンターに座っていた少年。目を瞑れば簡単に思い浮かべられる情景も、瞼の裏に消えてしまう。
「やっぱり、誰もいないね……」
店内には商品のアクセサリー類が陳列されている。使われなくなった物置ではなく、プリキュア秘密基地兼妖精たちの滞在拠点ナッツハウス。さっきまでみんながここにいた形跡はあるのに、隅から隅まで捜しても姿は見えない。
すべての部屋の扉を開けて、隠れられるはずもない机の下や食器棚の中まで確認したが、徒労に終わった。心当たりを失った三階で途方に暮れる彼女の肩に、ココの手が置かれる。
「のぞみ、思い出して。ここは、きみのためにつくられた世界なんだ」
成長期途中の彼女は、いつもココの顔を見上げていた。元の成人した姿に戻っても、やっぱり彼を見上げることになるんだろうな、とのぞみは思う。この角度で見られる横顔もこれっきりだと考えると、なんとなく寂しい。彼がさりげなく視線を合わせてくれる瞬間が、のぞみは好きだったのだ。
「きみが望み、心から願えば、きっと想いは届く」
彼に促されて瞳をとじると、たしかに聞こえた。
ドアノブが回され、蝶番が軋む。賑やかな話し声と、階段を昇ってくる足音。
信じられない思いで、のぞみは二階に降りる。慌てていたせいで最後の一段を踏み外し、床に尻もちをついた。痛めた腰を摩りながら顔を上げると、顕在化された夢が映る。
「あ、のぞみ! やっぱり、ココと一緒だったんだ」
「もう! 先に行くなら行くって、そう言ってよね!」
「心配して、あちこち捜したんですよー」
感傷に浸るどころか、状況を把握できないでいるのぞみに詰め寄って騒ぎ出したのはりん、くるみ、うららである。のぞみと同様にサンクルミエール学園の制服を着用した、十年前の姿。
「でも、よかったわ。二人とも何事もなくて」
「同じクラスのりんかくるみに、伝言くらいできなかったの?」
こまちとかれんの後に続いて、大きな買い物袋を抱えたナッツとシロップも現れた。シロップの肩には、メルポが乗っている。
「すまない。買い出しで、店をあけていた」
「なぁ、ナッツ。こんなに買って、食いきれるのかよ」
食用であれば、彼女たちにとって多すぎるということはないだろう。そんなことを考えて、のぞみは笑った。目の前に、あの頃のみんながいる。大好きな仲間が当たり前のように集まっている。ほっとすると、笑っているはずなのに、笑顔ではいられなくなった。
「のぞみ!?」
「どうしたんですか!?」
彼女の変化に気づき声をかけてくれたりんとうららの顔が、ゆがんで見える。まぶたのダムは決壊して、滴がとめどなく頬を伝っていた。
「な、なにも泣くことないでしょ!? ちょっと強く言い過ぎたかもしれないけど……」
「のぞみ、ほら、ケーキを持ってきたのよ。向こうで食べましょう?」
「羊羹と豆大福もあるのよ」
溢れてくる涙を拭うのに忙しくて、のぞみはただ「うん、うん……」と頷くことしかできなかった。
台所に移動してセレブ堂のケーキを切り分けたり、ナッツが大量に買い込んだ食材を冷蔵庫に収納したりと慌ただしく動くみんなを眺めながら、ココが呟く。
「もう一日だけでも、君たちとこうしていたかった」
心配そうにのぞみの様子をちらちらと伺いながらお茶の準備をする彼女たちは、皿の趣味で口論になり、冷蔵庫の扉を開け放す時間が長いと主婦のような文句を垂れ、ホットケーキにカレー粉や羊羹を混ぜようとする。他愛のないやりとりが、幸せな時間を育んでいく。
「もっとみんなでいろんなところに行って、いろんなものを食べて、いっぱい笑っておけばよかったね」
いつまでも続くと思っていた毎日は、終わりを告げずに過ぎ去った。みんなが離れ離れになる未来など、現実味がなくて想像すらできなかったのだ。
「忙しくても時間をつくって、たくさんお喋りするの。そうしていれば、きっと……」
テーブルの上に、十人分のおやつが並べられる。セレブ堂のケーキとシュークリーム、和菓子屋こまちの羊羹と豆大福、シロップのつくったホットケーキ。幻にしては鮮明すぎる、いつものみんな。振り払うには大きすぎる誘惑だった。
――ドリーム!!
シュークリームに手を伸ばそうとしたとき、どこからともなく声が聞こえた。
「みんなが呼んでる……」
大好物のはずなのに、ココの手がつかんだのはシュークリームではなく、のぞみの手だった。
「のぞみ、ぼくたちは前に進まなくちゃ」
「でも……」
もうすこしだけ、みんなといたい。偽物の世界だとしても、彼女にとっては大切な場所。絶望は最後に彼女を手中に収めた。のぞみはここに残りたいと願っている自分に気づく。失われた過去をとり戻す、二度とない機会なのだ。せめて、みんなとおやつを食べるまでは……。
「……行ってきな」
幻影がかけてくれた言葉に、のぞみは目を丸くした。彼女をこの世界に閉じ込めるのではなく、送り出そうとしてくれている。
「のぞみの夢なんでしょ」
そう言って、夏木りんは微笑んだ。アルバイトや勉強に精を出すのぞみを見守る彼女は、いつもそんな表情をしていた。
「おいおい、忘れたのかよ」
「“大切なものは絶対に手放すな”でしょ?」
「あー! おれのせりふ!!」
キュアローズガーデンを訪れた昨日も、くるみとシロップは相変わらずだった。
自分にとって、なにが一番大切か。楽しかった思い出ももちろんかけがえのない宝物だけど、もっと他にある。自分がぼろぼろになっても叶えたい、大切なもの。ココが答えを示してくれたばかりで、もう忘れてしまったのか。
心を決めて、のぞみは過去のみんなと向き合った。大好きだからこそ、ちゃんと乗り越えなくてはならない。
「のぞみさん。わたしたちはここで、ずっと待ってます」
「だから、必ず迎えにきてね」
「約束よ」
潤んだ瞳を制服の袖でごしごし擦り、朝露が微笑みに変わったとき、みんなは大人になっていた。のぞみも二十三歳の身体に戻っている。これでいいのだと、納得できた。
「うん、約束!」
再会は必ず、最高の笑顔で。
「十年後に、またここで会おう!」
「Yes!!」
彼女たちにふさわしい別れの挨拶のあと、のぞみはみんなに背中を向けてココの手を握り返した。
「ココ」
ナッツの呼びかけに、ココは喉だけで「ん?」と応じる。
「……振り落とされるなよ」
めずらしい彼の冗談でココの口元が緩んだ。
「しがみつくさ」
のぞみとココは固く手をつないで、空を仰いだ。涙を勇気に変えて、最初の一歩を踏み出すときだ。
「プリキュア――」
夢原のぞみに奇跡をもたらす、秘密の呪文。光の蝶は花から花へ、風に揺られて能天気に舞っている。
「――メタモルフォーゼ」
彼女はもう振り向かない。過去にあった希望は、必ず未来でも輝いていると信じているから。
激しさを増す戦場を、キュアルージュが駆け抜ける。
次々に迫りくる魔手をくぐり抜けて突き進むその身のこなしは、ディフェンスを躱してゴールを狙うエースストライカーのようだ。
「プリキュア・ファイヤーストライク!!」
複数の火炎の球を出現させると、走る速度を緩めずにそのまま蹴り出した。全弾が巨大ザケンナーに命中し、爆発による煙が宙に浮遊するガンバリーナの視界を奪う。
「プリキュア・エメラルドソーサー!!」
高速回転する光の円盤を携えたキュアミントが、ガンバリーナの頭上より飛来する。彼女は咄嗟に黒い光線で対抗したが、重力を味方につけたミントのシールドは押し返せない。潰される寸前に、彼女は瞬間移動のようなもので姿を消した。
ミントは空中で体勢を立て直し、エメラルドソーサーをザケンナー目がけて投げつける。どういう技か見切ったザケンナーは頭を下げてそれを回避したが、図らずもお辞儀をするような格好になったその首に、授与される勲章メダルの如く光の鎖がかけられる。
「プリキュア・プリズムチェーン!!」
地上よりキュアレモネードに引っ張られて、ザケンナーの頭部はアスファルトに叩きつけられた。怒りの咆哮をあげて瓦礫の山から頭を抜くと、その正面ではキュアアクアが水の弓矢を構えている。
「プリキュア・サファイアアロー!!」
至近距離でまともに必殺技を受けたザケンナーは、その巨体をのたうち回らせて救いを求めるように天を仰いだ。再び先ほどの位置に姿を現したガンバリーナは自らが生み出した強力な怪物と、その力を上回ろうとしている四人の戦士を見下ろしていた。
「呆れたよ。最近の若いのは、限界ってものを知らないのかい……」
一連の攻撃にたしかな手応えを感じたプリキュアたちの中で、希望はますます大きくなる。勝てるという確信を、皆が得ていた。
「どうして分からないんだ!? あんたたちがいくら頑張ったって、あの娘は帰らないんだよ!」
残されたプリキュアたちの行動原理の基礎は、主にキュアドリームによって成っている。勝手な虚像として崇められた、冴えない小娘。集団催眠によって限界以上の力が無理に発揮されているのでなければ、納得がいかない。
「どんなに純粋な人間だって抗うことのできない、絶対の力! それが絶望さ!」
彼女の言葉は虚しく、虚空に消えた。
「分かってないのは、そっちの方よ」
対してキュアルージュの言葉には、二十年近い付き合いに裏打ちされた説得力がある。
夢原のぞみは良くも悪くも能天気で、いつも楽しそうで、ドジを踏んでばかりなのに信頼できる不思議な魅力に溢れた人物なのだ。
「毎日一緒にいなくても、いちばん肝心なときは必ずそばにいて、叱ったり励ましたりしてくれる」
心臓の鼓動に急かされながら舞台に立ったとき、客席に彼女の顔を見つけると自然と緊張がほぐれた。
「みんなのために泣いて、みんなのために怒って、みんなのために笑って、みんなのために悩んでくれる」
助っ人として呼ばれた試合に、彼女はいつでも応援に駆け付けてくれた。
「思っていても実際に行動するのは難しいわ。でも、それが簡単にできてしまう……とても強い意思を持った人」
危なっかしいくらい真っ直ぐに突き進む彼女に、ついていきたいと思えた。
「どんな逆境に立たされても、輝きを失わない。いつだって信じることを忘れない子」
絶望の闇を退け、立ち上がった彼女の背中はこの上なく頼もしかった。
「それが、あたしたちのリーダーなのよ!」
苦しみもがいて曇天に手を伸ばそうとするザケンナーの体から、眩い光がこぼれた。
彼女たちの人生に多大な影響を与えておきながら、まるでその自覚のない愛おしい女の子。
夢原のぞみなくして大団円はありえない。
「プリキュア・シューティングスター!!」
怪物の体内を突き抜け、大きな口をこじ開けてキュアドリームは空に飛び出した。曇天を切り裂き、世界に光をもたらす彼女こそ、夢の名をもつ希望の戦士。囚われの姫を救出する騎士の役目を果たしたココは妖精の姿に戻り、服の裾に必死でつかまっている。
希望の光にあてられたザケンナーは人の形態を維持できなくなり、暗い影にとけ込んでいった。ココに気遣ってゆっくりと着地したドリームを、みんなが迎える。
「みんな、ごめんね」
思い出の中に置いてきた、中学生時代の仲間たち。時が流れて変わってしまったものは数えきれないほどあるけれど、今も彼女の周りにはみんながいる。過去に惑わされ、忘れてしまうところだった。
「わたし、いっつも迷惑かけて、みんなに支えてもらってばっかりで……」
ふと、のぞみはデジャブを覚えた。前にも同じようなことがあった。
彼女の言葉を受けて、夏木りんはこう言ってくれたのだ。
「なに言ってるのよ」
幻想の世界に心を奪われそうになったのぞみを、我に返らせてくれたあの微笑みで。
「支えてもらっているのは、こっちだよ」
十年前に交わした約束。「これからも一緒にいてくれる?」という問いに、みんなは「もちろん」と応えてくれた。それぞれの夢、別々の道。承知の上で、彼女たちはたしかに誓ったのだ。
一緒に夢を追いかけよう、と。
「わたしね、ひとりになって気づかされたの。本当に大事なこと……」
抱きかかえていたココを下ろして、どろどろと蠢く闇をドリームは見つめていた。ザケンナーはきっと、また復活する。ガンバリーナがいるかぎり。
「だから、こんな戦い……もうおしまいにしなくちゃ」
髪はもつれて、顔は砂埃で汚れている。体のあちこちに傷があり、みんな元気とは程遠い。しかし、それぞれが覚悟を決めていた。
「あぁ……終わらせてやるとも。いい加減、もううんざりなんだよ!!」
ザケンナーの屍ともいえる影が、ガンバリーナに集まる。闇を纏った彼女の肉体は見る見るうちに若返り、膨張し、人間らしからぬ容貌の怪物となりつつあった。
「アタシは闇の支配者ジャアクキングの生みの親! すべてを食い尽くす力の根源!!」
自らをも滅ぼしかねない力を束ね、解放する。彼女の背中からは醜い羽が生え、頭には尖った触覚。闇をあやつり影を従える、醜悪な厭忌の塊。これまでに築いたものをかなぐり捨てて、プリキュアを破滅へと導くつもりだ。
「夢も希望も、なにもかも消し去ってくれる!!」
巨大ザケンナーの重い拳や、破裂と同時に爆発する黒い球より遥かに強力な闇のエネルギーが、プリキュアに迫る。それは彼女たちを引き離した時間の流れと同じ、絶対の存在。打ち勝つのは困難かもしれない。
だけど、誰ひとりとして目を背けようとする者はいなかった。今度こそは、みんなで向き合うと決めたから。
「わたしには……わたしたちには、叶えたい夢があるから!」
隠れるのをやめた妖精たちとブンビーも、五人のプリキュアと共に戦場に立つ。すこし離れたところで、大きくなった彼女たちの背中を見つめていた。彼女たちが倒れそうになったらその体を受け止め、支えるくらいのことはできる。
そして、彼らがいてくれるからこそ、彼女たちは安心して前を向いていられる。
「ここで負けるわけにはいかないの!!」
大いなる希望の力、情熱の赤い炎、はじけるレモンの香り、安らぎの緑の大地、知性の青き泉。
五つの光に勇気をのせて、夢と希望の力と共に。
プリキュア5の気持ちが一つとなり、大きな輝きを放つ。
「夢見る乙女の底力、受けてみなさい!!」