『旧題』 バイオハザード~インクリボンがゴミと化した世界~   作:エネボル

3 / 9
02 『明暗』 流動する最善

〈9月24日~26日に掛けての行動が、後の明暗を大きく分けた――〉

 

 それはラクーンシティで発生した未曽有の生物災害(バイオハザード)から、辛くも生還を果たした数少ない生き残りの一人が、ある雑誌社のインタビューで答えた有名な台詞である。

 

 現時点で、後に『Tウィルス感染者』と正式に呼称がされるようになる“歩く死者”の存在は、市民達の間では“あまりにもオカルト的で前例が無い”という理由から、その存在をひどく眉唾だという楽観的な認識がされていた。またその為に今回の事態に際して人々がその脅威を正しく認識して、真剣に街からの脱出へと移るには、それなりの時間が掛けられることになった。

 故に、後に生き残りの多くが語るこの“24日~26日までの数十時間”は、まさに命の分水嶺となった。

 

 

 9月26日 午前――。

 

 

 市民が状況を理解し、各々の認識から“楽観”を捨て始めた。そしてその時点で街の至る所で“暴動”が発生するようになった。

 命の危機を認識した人々の脱出を求める大きな“うねり”が、文字通り火種となって各地に混乱という名の大火を点けたのである。

 

 Prrrrr――――

 

 窓の外から聞こえる混乱の音。それからも身を隠すように独り息を潜めていた“ジョー・ナガト”の元に、一本の電話が届いた。

 ベルの音に身を起こし(おもむろ)にその受話器を持ち上げた瞬間、『――無事か!?』という強い緊張を伴った声がジョーの鼓膜を打った。

 

「その声はマービンか? それとも人に噛みつく白痴のクソ(感染者)か?」

 

 声を聞いて直ぐにジョーは、相手が父の同僚である警察官の“マービン・ブラナー”であると察した。

 幼少の頃から家族ぐるみで付き合ってきた為、もはや第二の父か兄の様な身内に等しい間柄。そんな男からの連絡に対してジョーは今更態度を取り繕う必要も無いと、確認の台詞に気安い皮肉を重ねた。

 するとマービンはようやく声から緊張を解き、『あぁ、生憎とまだ人間をやっているつもりだ』と、同時にあからさまに安堵を吐息に混ぜて吐いた。

 

『――――それはそうと、その声を聴くにまだ無事だな?』

「あぁ。そっちも元気そうでなにより――――」

 

 その直後、ジョーは受話器の奥で鋭い悲鳴が上がるのを聞いた。

 

「――――とはいえ、あんまり悠長に話している暇はなさそうだな?」

 

 と、ジョーは思わず先の余裕を消して、その声に先のマービンと同様の深刻さを混ぜて尋ねた。

 

『近くの窓から外の様子は見えるか?』

「あぁ」

 

 ジョーが思わず表情を硬くすると同時、戸口でマービンも先の緊張の色を声に取り戻して言った。

 

『俺達は現在、総力を挙げて感染者に対抗している。しかし見ての通り(・・・・・)状況は“焼け石に水”だ。もはや一刻の猶予も無い。速やかにこの街から脱出しろ』

「いや、それは――――」

『聞け。これはジョージ・ナガト(お前の父親)からも言付かった台詞だ。……その意味を察してくれ」

「……なに?」

『お前の父親……ジョージ・ナガトの事だが……、奴は昨日の時点で殉職した。連絡が遅くなってすまない。――――そして、もう奴を待つ必要はない……』

「………………」

 

 押し切る様に言うマービンに対してジョーは思わず沈黙をした。

 そんなジョーの沈黙に、マービンは更に言葉を重ねる。

 

『――――それからこの件に関して俺は君にもう一つ謝る事がある……。実は『感染者』となったアイツを撃ったのは――――』

「いいや、それは(・・・)アンタの所為じゃないだろ」

 

 決定的な言葉を口走ろうとするマービンを遮って、ジョーは思わずそんな台詞で口を挟んだ。

 “かゆうま”から人を救う方法などある意味で“一つ”。……殺してやる、だ。

 そしてまさに今、マービンが語ろうとする事の顛末も、今のジョーには容易に想像する事が出来た。

 

「――――そうか。くたばったのか……」

 

 ジョーは当事者であろう(・・・)マービンの口から、それ以上残酷な語りをさせる気になれなかった。

 しかしそれは気遣いではなく、寧ろ己の動揺を掻き消そうとする一種の悪あがきに近いモノだ。父の結末に対する心の備えは昨晩の内に用意した。しかし所詮は突貫の備えだ。やはりというべきか、沸き上がる感情の全て(・・)を受けきり流すには難しいモノがあった。

 

「クソが……っ!」

 

 ジョーは認めたくない事実を突き放すようにそう短く吐き捨てた。

 そして同時、思わず込み上げる強い衝動を耐えるように固く拳を握り込んだ。

 

『――――もう一度言うが、この街は現在非常に深刻な状況にある』

 

 ジョーの反応に対して、マービンも己の内に湧いた強い無力感と自責の念を感じた。しかし再び口を開く際にマービンはその声に意図して事務的な冷淡さを強く込めた。

 

『例の感染者だが、既に我々の方でも正確な数を把握する事はできない。判るのは精々、半端な火力では対抗出来ず、迂闊に近寄れば圧殺される事くらいだ』

「――――だろうな」

 

 そして図らずも、この時の鉄の様に事務的なマービンの声色と態度は、今のジョーにはひどくありがたいモノとなった。

 悩む世暇を与えない。そんなマービンの心遣いに、ジョーも悲痛に打ちひしがれる心に鞭打つようにして感情を殺し、マービンの続ける情け容赦無い状況の再確認に意識を向けた。

 すると状況説明の際にマービンは“選抜警官隊”――、辛くも死傷を逃れた現場警察官を統合した部隊の事を話した。

 

『――――俺達は現在、街の一部区画を意図的に封鎖している。際限なく増えつづける感染者の進行を制限隔離する為だ。無論、この計画のメインは“生存者”が脱出する為の経路構築だが、同時に隔離誘導した感染者を“キルゾーン”に誘う仕掛けの構築も兼ねている』

 

「随分と大掛かりな……」

『あぁ、まさにそれだ。計画の完遂に現在も多くの人員がそちらに割かれている為、どうしても市民一人の為に救援を回す事は出来ない。――――つまり、こちらからアクセス可能なポイントまでは、どうしても君一人の力で切り開いてもらう必要がある。……意味は判るな?』

「……っ!」

 

 その容赦のない返事を受けて、思わずジョーの中にある意志の天秤が揺らいだ。

 状況とは水物であり、最善は常に流動するモノ。それは昨晩の内に打ち立てた『プラン』とて例外ではない。

 果たして昨晩に考えた最善が、“現状”における最善かどうかは……不明だ。

 

「…………それは、()からか?」

『あぁ、そうだ。今からだ』

「……っ」

 

 言いようのない不安がジョーの脳裏を過った。

 

『――――厳しい事を強いている自覚はある。俺の事を恨んでくれても構わない。しかし脱出の当ては必ず用意する。だから頼む! 生きて、此処まで辿り着いて欲しい!』

「………………」

 

 ジョーはこの選択は今後を大きく左右する重要な分岐であると強く予感した。

 故に思わずmその決断の重さに押し黙る。

 

『――――聞いているのか! ジョー・ナガト!』」

「あぁ。判ったよ! うるせェな!」

 

 しかし状況はジョーに悠長な思考も停滞も許さなかった。

 マービンはジョーに対して鋭く叱責する怒号を浴びせた。

 するとその声に反応してジョーは幼少の頃からの“反射(クセ)”で、思わず『了解(YES)』の意を口走った。

 

『よし、それで良い……! それと銃の撃ち方は既に習ったと聞いてるが、手元に武器はあるか?』

「あぁ、あるよ」

『良かった。それなら幸いだ』

 

 そして図らずもジョーの行く道は選ばれた。

 ジョーは自然とこの先で待ち受ける過酷な道中を予感して、無意識に噴き出す掌の汗を感じた。

 

『いいか? どういうレクチャーを受けたにせよ、今はすべて忘れろ。はっきり言っておくが……、決して奴等への発砲を躊躇うな! いいか? たとえ誰が(・・)感染者となって立ちはだかろうとも決して対話なんて馬鹿は考えるな!』

「あぁ、判ってるさ……ッ!」

『いい返事だ。その吠える余裕で道中の要救助者にも手を貸してやれ」

「……っ! 本当に簡単に言ってくれるぜ、この野郎!」

 

 如何に鈍重な岩石とて、一瞬でも揺らげば忽ち濁流に浚われる――。人の決意もそれと同じ。ジョーは先の躊躇と迂闊な返答を皮切りに、どんどん状況が自分を置き去りに推移していく予感がした。そしてその恐怖から無意識に主導権を取り戻そうとして精一杯、声に虚勢を張った。

 

「――――死ぬ気で祈れよ? 幸運なんざ、今はどれだけあっても足りないんだからな……!」

 

 そしてジョーは苦悶を押し殺した吐息に皮肉を混ぜて吐き捨てた。

 

『あぁ、もちろん祈っているとも。――――では、署で会おう!』

 

 電話越し手のやり取りの最後、マービンは心の底からの祈りを込めて〈幸運を!(Good luck)〉と告げた。

 

 

 

 

 手記の断片1

 

 《速記文字による》

 

 ――――例の“記憶”を取り戻した時もそうだった。

 

 ケンドの銃砲店で見た不気味な活気のおかげで、この街に蔓延する『不安』を確信した。そしてその危機感に突き動かされるように保存食やミネラルウォーターを買いに走った帰り。そこで俺は例の感染者(ゾンビ)と呼ばれる怪物に遭遇した。

 

 その時は親父や店長の忠告に従ってぶら下げていた護身用のベレッタを抜いて対処した。『遭遇』から『射殺』という結果に至るまでには当然、それなりの葛藤もあったが、最終的に俺は奴の足に1発、心臓に2発、頭部に1発を撃ち込んだ。

 痛みに呻くでもなく白痴の様に涎を垂らし白濁の目で蠢き迫る“アレ”の姿。それを見て、相手がとても同じ人間だとは思えなかった。――とはいえ、まぁそんな事は今更だから言える事か……。

 あの時の俺は理由はどうあれ、確かに“人間2を殺すつもりで引き金を引いた。

 それが事実だし……まぁ、それは別に良いか。

 

 ――――重要なのはどうであれ俺が“行動する”を選んだ事の方だ。 

 

 反射的に『撃つ』を選んだが、最もスマートに『逃げる』を選んでも良かったかもしれない。と、いうかあの場合ならその場で『立ち止まる』でなければ何でも正解だろう。

 ――――だから、大丈夫だ。

 『人を撃つ』って大した事を選んだつもりだが、振り返ってみると少し手が震えた程度だった。

 確かにその後で奇妙な『記憶』に目覚めやがったけど、それでも別になんて事はなかった。

 だから、大丈夫。『立ち止まる』を選んでないなら、きっと何とかなる。

 

 ――――そうだろう、ジョー・ナガト? お前は闘える。

 

 

 

 

 父親の部屋に足を踏み入れた瞬間、ジョーは部屋に染み付いた匂いが鼻腔を突くのを感じた。それと同時に脳裏には父と過ごした幼き日の記憶が蘇った。

 その情景の中でジョーは〈人は苦しみの中で本質を問われる。だから苦しい時でも、笑える強い男になれ!〉という父の言葉を思い出した。

 

 ジョーがその言葉を送られたのは、母親と死別を果たして間もなくの頃だった。

 母の死に涙する幼いジョーに対して父はその後に『人生の困難に立ち向かう術』と称し、様々な教育をジョーに施すようになった。

 〈苦しい時こそ、笑え―――〉云々の台詞は、まさにその当時に送られた言葉だった。

 

「――――〈すべては“困難”に立ち向かう為〉、か……」

 

 視線を脇を移すと古いキャビネット棚があり、その天板の上にはナガト一家の写真が飾られていた。

 唯一、親子三人で写っている写真の中に有るジョーの姿は、今よりもはるかに幼い赤子の頃のモノ。そして写真の中に在る父と母の姿を見ると、どれも若く壮健で且つ笑顔を浮かべているモノばかり。

 

「クソったれ……」

 

 ――――そこには紛れもなく平和が存在した。

 そんな当たり前の事実に気づいた時、ジョーは喉の奥から込み上げる大きな衝動に震えた。

 

 突然〈鍛える〉と言い出した父から教えられた事の多くは、何れも日常では役に立たない日陰の技能ばかり。当然、当時は〈勝手な道楽に振り回すな!〉と、幼いながらもウンザリした事も少なくない。

 ――――しかし()になってそんな父との馬鹿みたいなやり取りを重ねた日々が役に立つと確信した。そして不思議と込み上げるのは、ひどく感謝に似た切ない感情だ。

 

 

「――――それじゃ、宣言通り“コイツ”死ぬまで借りてくからな? 後で返せ、なんて……さもしい事を言うんじゃねぇぞ?」

 

 徐に手にしたのは既に形見となった〈44口径 コルト・アナコンダ〉護身用としては破格の火力を持つ怪物拳銃だ。

 そのリボルバーを手に、ジョーは亡き家族の肖像に別れを告げた。

 そして別れと同時に〈感傷に浸るのはこれで最後……〉という強い意志を込めて、ジョーは姿見の前に立つ。

 

 ポケットの多い黒のワークパンツ、生地の厚い長袖の上着。肩からロバート・ケンド手製の38口径カスタムベレッタを吊り下げ、両足にはそれぞれ一振りのナイフと、父の遺品となったマグナムリボルバーを装着。そして水と食料と銃弾と常備薬を詰め込んだナップザックを背負った青年がそこには居た。

 

「……酷い顔だな」

 

 ――――しかし何より目立つのは鏡に映った己の蒼白な顔だ。ジョーは思わず吐き捨てた。

 

 

 

 

 

「きゃあぁああああ――――ッ!」

 

 

 

 

 その時、アパートの階下から鋭い悲鳴が上がった。

 その悲鳴をきっかけにジョーの中で腹が決まる。

 

「――――死んでたまるかよ、クソったれが……!」

 

 滾々と湧く不安と恐怖の混合液の中に、理不尽から沸く怒りを“火”として投げ入れる。爆発が如き感情に身を任せたジョーは、そこで自ら『二度と帰らぬ……!』という強い意識を確立させるが如く、自ら部屋の扉を蹴り破って退路を絶った。

 そして豪快に外へと踊り出たジョーは、そこで日常が失われていく様子を目の当たりにした。

 

「――――やりやがったな、チクショウ……!」

 

 部屋の外には既に『感染者』による混乱が広がっていた。

 特に目立つのはアパート一階部分の封鎖が破られた事で一階の玄関ホールに大量の感染者が雪崩込む様子だ。

 

 現実に目の当たりにした圧倒的な物量を前に、ジョーの心も反射的な強い恐怖の感情が沸き上がる。しかし今は、それ以上の怒りがあった。

 

「――――全員、逃げろ!」

 

 ジョーは憤怒で心を上書きするように、蔓延する恐怖に対して鋭くそう声を張り上げる。 

 同時、住民に襲い掛かろうと迫る感染者に向けて、殆ど反射的にその頭を狙い撃った。

 耳を劈くけたたましい銃声が周囲に響いた。

 そしてその一発を皮切りに自前の護身銃を持つ住人達も対抗を開始する。

 

「助け――――っ!」

「走れ!」

 

 銃声とは本来、人々に恐怖を与えるモノ。しかしこの時に限って“銃声”は恐怖に対抗する人々の希望となる

 

「くたばれ、この野郎!」

 

 特にロバート・ケンド手製のカスタムベレッタは淀みなくその性能を発揮してくれた。

 至近距離での38口径は圧巻で、眉間に当たれば一撃で感染者を無力化する事も難しくはない。

 そんな銃の性能に遜色ないジョーの技量によって、それは次々と容赦なく感染者を沈黙させた。

 

 しかし――、

 

 

 

 しかし鼓膜を叩く銃声は迷いを払い、漂う硝煙は蔓延する死臭を掻き消すが、

 

「クソったれ……」

 

 銃だけでは多勢に無勢という状況までは覆せないと、ジョーは早々に悟った。

 激昂と共に闘いを始めたにせよ、残弾と戦闘効率を両立する冷静さ。そして周囲を俯瞰する視点だけは決して離さず握っていたからこその判断だった。

 破られた入り口からは常に一息に射殺出来る数を超えた量の脅威が、次々と沸き出でる――。そしてその状況をどうにかしない限り、遠からず『死ぬ…‥』と、ジョーは予感した。

 

「クソ……っ!」

 

 既にアパートの一階部分は感染者によって埋め尽くされようといた。

 そして必然的にジョーを含めた住民達も、感染者に応戦する立ち位置を大きく動かす必要に迫られる。

 

 一階部分を放棄した事で必然的にそれより上層の階へと逃げるが、逃げながらも同時にそれが〈追い詰められる〉を意味しているとも感じた。

 

「助け……っ! 誰か、助け――――」

「――っ!」

 

 途中で逃げ遅れた住人の一人がジョーを見て助けを求めた。しかしその声にジョーが視線を向けた時、既にその姿は感染者の群れに飲み込まれていた。

 逃避行の最中にジョーはそんな残酷な光景を幾度も目にした。

 喰われゆく住人は、まるで救いを求めるように手を伸ばしていた。しかし伸ばされた手は直ぐに地に落ち、――――程なくしてから再び蠢き始める(・・・・・)

 

「クソ…………っ!」

 

 人が人を食らうが為に群がる様子には、まさに『地獄だ……』と形容する他にない。そして生きる為には、ひたすら逃げる他にない。

 階下から迫る感染者の脅威を背に、ジョーは必死に退路を探す。

 屋上まで行くべきか……? しかし屋上まで行ってしまえば、それこそ詰み(・・)だ。

 

「……やるしかない!」

 

 ほんの一瞬の躊躇の後、ジョーは徐に近くにあったドアを派手に蹴りつけた。

 するとジョーが激しく蹴りつけた事で固く閉ざされた扉が蝶番ごと吹き飛んだ。

 蹴り破った扉の先では、その部屋の住人が蒼白な顔で狼狽していた。

 

「おい! なんてことするんだ、この野郎! 奴らが入ってくるじゃないか!」

 

 部屋に居た男は扉を蹴り破ったジョーに対して悲鳴の様な声を上げた。

 しかしジョーはそんな住人の文句に微塵も付き合うそぶりを見せず、徹底して無視を決め込み“出口”を探し始めた。

 

「おい、勝手に入るな! 此処は俺の部屋だぞ! ――――聞いてるのか、この野郎!」

「あぁ、聞いてるよ、うるせェな。それより籠城なんてもう無理だ! 行くぞ!」

「お前がダメにしたんだろ!?」

 

 ジョーは部屋の主を置き去りに、勝手に部屋を縦断して最奥にあったガラス窓を発見した。

 

「お……おい、お前……正気か――――!?」

「………………あぁ!」

 

 ジョーの後を追いかけてきた部屋の主は、そこでジョーの意図を察して思わず絶句した。

 遮光カーテンと窓を開けたジョーは、まさに外へと身を晒そうとしていたからだ。

 

「お前、……此処は三階だぞ!」

「あぁ……。知ってるって、言ってんだろ……!」

 

 開け放たれた三階の窓から大きく身を乗り出したジョーの背後。迫る感染者は既に一階を越え、二階から三階部分にまで競り上がっていた。

 ――――その圧倒的な軍勢を前に籠城など意味がない。

 図らずも状況は先ほど電話越しにマービンが示唆した通りになっていた。

 ならば――――、

 

「――――生きたまま食い殺されるのに比べたら遥かにマシだッ!」

「おい、止せ――――」

 

 部屋の男が蒼白な顔で引き留めた瞬間(とき)、ジョーは既に自らの意志で三階の窓から裏路地へと身を投げていた。

 勢いをつけて中空に身を投げたジョーは直後に、その“目測”の通り固い路面を避けて乗り捨てられた車のボンネットに叩きつけられた。

 

「――――正気じゃねぇ(ジーザス)……」

 

 その様子を見ていた部屋の住人は思わずそんな吐息を漏らした。

 

 着地の瞬間に合わせてゴロリと体を転がし衝撃を分散する“小ワザ”は、亡き父に教わった術。しかし付け焼刃の技術では成功に至らず――。結果、ジョーは強かに身体を打ち付けた。

 

「……っ、ぁ……!」

 

 割れたフロントガラスの破片を被りながら、ジョーは着地後に大きく隙を晒した。しかし幸いな事に路地裏を闊歩する感染者の姿は遠くにあった。

 結果、痛みを伴いながらもジョーは五体満足での脱出に成功した。

 

「……おい、警察署に行けば脱出用の車両がある筈だ、行くぞ!」

 

 ジョーは息を整えながら、ベランダにしがみ付いて様子を見ている部屋の男に、続くよう促した。

 

「馬鹿を言うな……、無理に決まってるだろう!」

 

 しかしそんなジョーに男は青い顔で言った。

 

「正気じゃねぇ!」

「上手く車の上に落ちれば死なねぇよ! いいから来い!」

「出来るか!」

「そんな御託はいいんだよ、クソったれ! 早くしろ!」

「~~~~っ!」

 

 ジョーは続くように男に怒鳴る。しかし部屋の男は頑なに飛び降りる事を拒む。

 男は完全に高所から落下する恐怖に対して、足を竦ませていた。

 

 

 ア゛アアァァァァ……

 

 

 ――――しかし悠長な時間はほとんど無く。

 ベランダにしがみ付く男の背後には、既に多くの呻き声が迫っていた。

 

「お……おいっ! 奴らが来たっ! お前、銃を持ってるんだろ?! 早く、助けろっ!」

「無理に決まってんだろ、いいから早く飛び降りろっ! それで助かるから――――」

「ふざけんな、クソっ! お前の所為(せい)だぞ! なんで、こんな事になるんだっ!」

「言ってる場合か! 早く飛べ、クソったれ! 喰われたいのかっ!」

「あ゛ぁー―――っ!!」

 

 男は遂に腹を決め、震える足を窓枠に掛ける。

 ――――が、しかしその決断は、余りにも遅かった。

 

「うああぁぁっ! 助けてくれぁああああっっ!!」

 

 背後から延ばされた無数の手が、男の背中を掴んだ。

 男は背を向けた筈の部屋に引きずり込まれ、直後に無数の呻き声の中心で一際大きな悲鳴を上げる。

 

「……っ! ――――クソったれ!」

 

 神に許しを乞い願う壮絶な言葉を幾つも口走りながら、男は遂に生きながら喰われて逝った。

 また、その余りに残酷な死に様を目の当たりにして、ジョーは思わず顔を顰めて毒づいた。

 


▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。