『旧題』 バイオハザード~インクリボンがゴミと化した世界~   作:エネボル

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03 『切願』 迷える子羊達

 目下、最大の脅威は『感染者』である。しかし次点で警察職員の手を焼かせていたのは、他ならぬラクーンの市民であった。

 中でも恐怖と混乱によってひどく錯乱した市民の存在だ。彼らは生存者を喰らおうと動くだけ(・・)の感染者よりも、遥かにその動きが予測困難であり、また同時に危険な場合が殆ど。その為、暴動の現場に派遣された警察職員の多くは、まずはそうした混乱を増長させる市民の“処理”を強いられた。

 そしてまったく皮肉な事に、そんな汚れ仕事を買って出る者ほど、他と比べて『善良』だという評価を受ける人材だった。

 彼らは何れも、自らの意志で原罪を背負える程の善性を持ち合わせていた。しかしそれ故に彼らはその処刑の実施後、例外なく『救わねば――!』という強い脅迫概念に囚われた。

 その思いが結果的に自己の命を軽んじる行いへと自らを走らせ、また巡り巡って状況の悪化に拍車を掛ける要因となる。

 

「――――移送用の車両は残りは幾つだ?」

「4台――いいえ、さっき出発したから3台に減ったわ」

「クソっ、先発した車両はまだ戻ってこれないか……!」

 

 ――――しかしそうした人の善意が裏目に出る状況の中でも、賢明に活路を見出そうと足掻く者達は今も確かに存在した。

 ラクーン市警の警察官マービン・ブラナーもその内の一人である。

 

「リタ、悪いが引き続き無線での指示を頼む。繋がる範囲で構わない。使える車を所有している住人にも、手を貸してもらうよう頼んでくれ」

「――――使う車両は何でも良いのよね?」

「あぁ、この際だ。贅沢な事は言わない。ダンプカーでもスクールバスでも…‥なんでもいい。全員が脱出できるような派手な車を発注してくれ」

「OK、やってみるわ」

 

 傍らで副官のように動く職員に追加での指示を出した後、マービンは署内に逃げ込んだ市民達の様子を盗み見る。

 すると避難者の顔には例外なく、強い恐怖の色が貼り付けてあった。

 中でもとりわけ目に付くのが十字架を手にした敬虔な集団だ。彼らは年齢や性別に関係なく、まるで犯してもいない罪まで懺悔しようとする勢いで、必死に主に祈りを捧げていた。

 

「――――避難者の数に対して、使える車両の数が圧倒的に少ない……!」

 

 そんな余りにも悲痛な姿から目を逸らしてマービンは強く拳を握り込んだ。

 しかし怒気に震えた所で現状は変わらない。

 市民課、交通課、強行犯係、窃盗犯係、丸暴担当、鑑識――、普段は働く職場も内容も異なる職員が、偏に同じバッジの下で高度に連携しても、今回の状況に対してはあまりにも微力であった。

 

「とはいえ、時間が稼げるだけマシか……」

 

 マービンは強く歯噛みをしつつも現状を再確認する。

 そして“此処”を社屋に使い続けたブライアン・アイアンズ署長の成金の様な趣味を、皮肉交じりに褒めた。

 

「――――おい、避難者の中にジョージの息子は確認できたか?」

「いいえ、現状ではまだ確認できていません」

「――っ、そうか。すまん、邪魔をした。引き続き作業を続けてくれ」

「了解!」

「………………」

 

 元々は美術館という造りのラクーン警察署の社屋は、並みの施設よりも広大で堅牢。状況的に籠城は悪手だが、しかし一時的に身を匿う『城』として使うだけなら此処は非常に良い物件である。

 ――――そこへ、また新たな避難者がやってくる。

 

 新たに市民を受け入れたという報告を度、マービンはそこで『ジョー・ナガト』を探した。しかし結果は悉く外れ、そこにジョーの姿はいつまでも見えなかった。

 電話越しに脱出を促してから既に2時間余りが経とうとしている。

 仮に自宅から遠回りをしてこちらに向かって来ていると考えても、流石に時間が掛かりすぎているように思えた。

 

 (――っ、頼む……! 無事で居てくれ!)

 

 マービンはそこで強く己の無力を噛みしめた。

 相手は親友の息子。しかし、その成長を幼少の頃から見守ってきたという事実と自負がある。直接それを口にした事は無いが、もはや『家族』も同然の間柄だった。故に既に死したジョーの実父に変わりマービンはこの時、ラクーンシティに住まう市民の誰よりもジョーの安否を気遣い、その生存を強く望んでいた。――――しかし結局、それしか(・・・・)出来ないのだ。

 

「――――――っ」

 

 焦りの混ざる陰鬱な思考が、不意にマービンの内に有る強い後悔の記憶を呼び覚ました。

 ふと脳裏を過ぎったのは、数ヶ月前――アークレイ山地で発生した猟奇事件の概要である。

 

 今年7月、アークレイ山地で発生した複数の猟奇事件の調査にラクーン市警の特殊部隊S.T.A.R.Sが投入された。

 しかし先発したブラボーチームは出撃後にヘリコプターごとその消息を絶ち、結果調査を引き継いだアルファチームが山中に出動する事になった。

 アルファチームは山中で先発したブラボーチームのヘリの残骸を発見した。しかしその調査の途中で突如、怪物化した獰猛な犬に襲われ、その近くにあった謎の洋館へと避難する事を余儀なくされた。

 

 ――――その洋館の中で一同は驚愕の真実に直面した。

 

 その洋館は製薬企業アンブレラ社が所有する建物で、地下は同社が秘密裏に開発を行っていた“ウィルス兵器”の培養プラントになっていた。

 研究されていたウィルスのコードは『T』――まさに現在、このラクーンシティに無数の『感染者』を生み出し続けている元凶である。

 その洋館の中で隊員達は調査のきっかけとなった猟奇事件が流出したTウィルスによる二次災害である事を知り、同時にS.T.A.R.S.という部隊の結成そのものがアンブレラ社の企ての一つであった事を聞かされた。

 そして複数思惑が入り混じる死と隣り合わせの極限状況の中でS.T.A.R.S.は、壊滅に等しい十数名に上る犠牲者を出した。

 その悪夢の洋館から生きての脱出に成功した者は、僅か五名のみ――

 

 クリス・レッドフィールド

 ジル・バレンタイン

 レベッカ・チェンバース

 バリー・バートン

 ブラッド・ヴィッカーズ

 

 アークレイ山中の洋館は既に消失しており、現在に至っては事件の裏付け調査すら行われていない。とはいえ生き残った者達はその後、洋館で目の当たりにしたアンブレラ社の真実を声高に訴えようとした。――――しかし世間は、その『真実』を受け入れなかった。

 真実から目を逸らした理由は人によって様々だが、共通するのは『アンブレラ』という巨大企業への畏怖だ。

 ラクーンシティがアンブレラ社の利益によって成り立つ事を知るからこそ、人々は街の母体とも云えるその超巨大企業に、強く反抗する意志を抱けなかったのだ。

 

「………………」

 

 懺悔するべき罪とはまさに当時、アンブレラ社に対する勇気を抱けなかった事だ。それを痛感する度、マービンは生き残ったS.T.A.R.Sの活動を引き止めようとした過去の己を強く恥じた。

 まさに今、S.T.A.R.S.が洋館で見たという怪物が街を闊歩している。

 

「――っ」

 

 状況が好転する兆しは一向に見えず、そんな無為と思える時間ばかりが過ぎている中、マービンは何気なしにいつも仕事で手にする“紛失物管理帳簿”に目を留めた。

 デスクの上にはその帳簿の他にも、数日後に着任する予定の新人を歓迎する為に用意したパーティーグッズの類も在った。そのどれもが平和だった頃を強く思い起こさせた。

 

「…………主よ!」

 

 そんな日常の残骸を見ていると、ひどく込み上げるモノがあった。

 マービンは思わず懺悔するが如く天を仰いだ。

 ――――退屈な平和は既にどこにも存在しない。

 

 

 

 

「――――ったく! 邪魔だ、この野郎!」

 

 ジョーは舌打ちと同時、そこで徐に2度、発砲をした。

 すると鋭く飛翔する特製の9㎜弾が、路地の先で蠢く感染者の顔を派手に砕いた。

 ――――彼らにはまだ、人だった頃の反射が強く在るようだ。

 顔という感覚器官の塊に対する攻撃に、大きく怯んだ反応を見せる感染者に対して、ジョーの内には思わずそんな思考が湧いた。

 しかしそれを一先ず脇に置き、ジョーはその隙を晒した感染者に対し強引な肩口からの体当たりを仕掛けた。

 するとその一撃によって路地を埋める人垣が砕かれ、遂にジョーは裏路地からの突破を果たした。

 

「――――酷ぇ……」

 

 街の大通りへと至った瞬間。ジョーはそこで安堵するよりも早く、その場にある凄惨な光景を見て思わず呻いた。

 日常を感じさせる穏やかな日々の面影など、そこには欠片も見受けられず―――

 在るのは市民の乗り捨てた無数の事故車両と、衝突事故によって破壊された給水ポンプから流れ出る激しい水流。そして石造りの路面に広がる多数の流血と肉片だ。

 “動くモノ”はそれこそ無数の感染者か、或いはその死肉を啄む無数のカラスという程度。

 視界に入る生存者など、それらに比べたら、まるで一割にも届かない。

 

「……っ! 生きてる奴は警察署を目指せ! そこまで行けば脱出できる筈だ!」

 

 見知った街は既に変わり果てた。

 しかしそんな状況の中でも、まだ生きて抵抗を続ける市民の姿がある。

 それを見た時、ジョーはほとんど反射的にそんな声を上げていた。

 

「走れ!」

 

 ジョーは再度、ベレッタを構えた。

 迫る感染者を銃撃で牽制しながら、力強い声で逃げ遅れる生存者の脱出を促す――。

 

 それは正義感に端を発した行いというより、どちらかといえば現実逃避に近い反射だ。

 ――――とはいえ如何なる動機であれ、その行いで救えた者達は確かにあった。

 

「ねぇ! お願い、助けて!」

 

 ジョーの背中に鋭くそんな悲鳴がぶつけられた。

 振り返ると、そこには少女の手を引いて走るブロンドの女性を筆頭にした、数名の生存者の集団が在った。

 

「下がれ!」

 

 ジョーは彼らの怪我の有無を確認するより早く、その背後に迫る感染者と、赤い眼を爛々と光らせる大量のカラスの群れにその注意を向けた。

 

「お願い、助けを――――」

「うるせぇ、下がってろ!」

 

 集団がジョーの下に辿り着いた時、その先頭を走っていたブロンドの若い女性が助けを求めて口走る。しかしジョーは食い気味にその台詞を封殺した。

 とはいえ、ジョーは殆ど反射的にその場に集った生存者の全員をその背後に庇った。

 そして同時に、迫る感染者とカラスの群れにベレッタの銃口を向ける。

 

(――――どうする!?)

 

 しかし引き金を引く以前に、それが多勢に無勢の行いだと理解が出来た。

 ――――状況を打開する起死回生の一手。

 それを求めて思考を走らせる途中、ジョーの視界にふと乗り捨てられた一台の事故車両が映る。

 

「――――――――ッ!」

 

 車両の状態を見てから、使える(・・・)と判断するまでに掛けられた時間は、瞬きに等しい刹那。

 気づけば、ジョーはその左手に父の残したコルト・アナコンダを握っていた。そして間髪入れずにガソリンを零す事故車の給油口に向けて、その引き金を引いていた。

 44口径によって撃ち抜かれた燃料タンクが鮮やかな火花を散らし、それが零れたガソリンに引火して閃光が走る。――――直後、事故車両は無数のカラスと感染者の群れを巻き込んで、盛大に爆炎を上げた。

 

「はっ! やってみりゃ、意外に出来るもんだな」

 

 一先ずの危険を乗り越えたと察したジョーは、思わず笑う。

 そして同時に、秘かに痛む左手を軽く振った。

 

 匿った生存者の顔を見ると、一同の顔には目の前の爆発に対する強い驚きの色が浮かんでいた。

 

 

 

 

 

 

 ジョー・ナガトの手記 その2

 

 

 《速記文字による》

 

 状況に自ら身を投じてからの行動だが、これがまるで行き当たりばったり――。

 まったくそんな自分が本当に嫌になるぜ……。

 お前、本気で生き残る気があるのかよ?

 

 それにしても一晩掛けて練ったプランが早々に破綻をした。

 とはいえ、振り返ってみると破綻して然るべき杜撰な計画だったかもしれない。

 まったく、マービンの奴め……。

 俺なんて放っておけばいいのに、わざわざこんな時まで余計な気を回しやがって。

 ――――本当にありがとうよ、クソったれ。愛してる。

 

 状況に身を投じてから改めて分かった事がいくつかある。まずは現状が俺が想像する『最悪』ってのを、軽く二回りほど凌駕した感じになっている事だ。

 そしてこうなると真面目な話、現状を描いた『バイオハザード』のシリーズで遊んだ例の記憶が、文字通り起死回生の切り札になるだろう。

 しかしゲームとしての攻略情報を鵜呑みにして練った昨晩のプランは、既に破綻をきたした。

 その事実を踏まえると、あまり頼みを置き過ぎるのも考えモノだ。

 しかし感染者(ゾンビ)生物兵器(B.O.W.)を相手に無策で挑むのに比べたら、頼るほうが遥かにマシだろう。

 本当、忌々しい……。

 

 まったく我が事ながら本当に狂ってると思う。しかし現状を正しく認識する程、どうしても例の『記憶』に頼みを置く以外の手段が無い。

 その上で状況を確認すると、時系列的に『バイオ2』や『バイオ3』、そして外伝の『アウトブレイク』の周辺だと思う。

 朧気だが二作目の『バイオハザード2』は親父が勤めるラクーン警察署が舞台の中心で、三作目の『バイオハザード3』と外伝の『アウトブレイク』は、同時系列中のラクーンシティそのものが舞台となった筈。――――しかし判るのはその程度。

 作品それぞれが持つ全体の雰囲気は把握出来るが、流石に詳細全てとなると話は別。本編中に描かれた印象深い展開や特徴的なギミックを除けば、意外に思い出せる事は少ない。

 まるでテスト用紙に答案を書いてるみたいな感じだ。まったく中途半端な期待を持たせてこの始末とは、本当に忌々しいぜ。

 

 それにしても外伝の『アウトブレイク』に関する記憶が薄いのが、本当に痛い。

 確かウェイトレスのような、民間人を主役にしたオムニバスの作品だった気がする――、その程度の事しか今は思い出せない。

 

 状況的に考えると、俺に最も必要なのが『アウトブレイク』に関する知識だろう。

 何かしら、大きな“きっかけ”でもあれば思い出せそうな気がするんだが……。

 まぁ、こればっかりは祈るしかない。

 

 

 

 

 

「…………っ」

 

 何気なしに『祈る』という字を綴った時、ジョーの脳裏に疑問が過った。

 己の内に芽生えた『バイオの記憶』が、ある種『神の起こした奇跡の御業』だと考えた場合、そもそも現状を許してる神の意図は一体どこにあるのか? という哲学染みた疑問だ。

 

「神様、か……」

 

 感染者と言う怪物がこの世に『悪魔』が在る事を証明したならば、ある意味この状況を許している『神』は現在、その無能を自ら晒しているのと同じではないか? ふと、そんな考えが脳裏を過った。

 ジョーは神様と言う存在が、学校で教えられたような偉大な存在だと思えなくなっている自分に気づいた。

 しかし現在、ジョーを含む生存者達は、皮肉にも“神の家(教会)”にその身を匿って貰っていた。

 その手前、あからさまに主を貶める発言は避けたが、しかし偶像を前に熱心に許しを乞う他の生存者の姿を見ると、ジョーは己の内になんとも言えない怒りと苛立ちの念が強く湧くのを感じた。

 

「――――『お試しになった』と言えば、何でも許されると思うなよ?」

 

 ジョーは神の描かれたステンドグラスを睨み、思わずそう吐き捨てた。

 


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