『旧題』 バイオハザード~インクリボンがゴミと化した世界~ 作:エネボル
ロバート・ケンドの手記
9月23日
皮肉な事に街に漂う『不穏』な空気のおかげで朝から大忙しだ。弾も、火薬も、端から飛ぶように売れていきやがる。――――とはいえ、この景気を俺は“ありがたい”とは思わない。
武器を求める顧客の多くに共通する『素人』という要素。こいつのおかげでどうしても喜びよりも先に『不穏』を感じるからだ。
――――まったく、何事も無ければいいのだが……。
9月24日
ジョーの奴は話もそこそこに、店の活気を見て殊勝にも手伝いを申し出てくれた。
まったくありがたい話だが、同時に一つ気になった事がある。
ジョーの奴も俺と同様、街に漂う『不穏』って奴に気づいて、俺に同調してくれた事だ。
アイツは昔からやけに勘のいい所を見せやがる。
そんなアイツも不安を感じたって事は、つまり今回の状況は、相応にヤバいと見て間違いないだろう……。
《以下、乱雑な書き損じ》
この調子だと店は明日も大忙しの筈だ。経営する側としては歓迎するべき事だが、不安の渦中に家族を置き去りにする理由にはならない。
家内にはエマを連れて兄貴の居る実家の方に避難してもらう事にした。
その際、エマには「パパは一緒に来ないの?」なんて不安を抱かせてしまったが、仕方が無い。――――ただし、この埋め合わせをどこかでしてやらないとな。
そしてこの苦渋の決断に踏み切らせた元凶――ジョーの奴には、礼を兼ねて手製の拳銃を一丁渡してやる事にした。
バリー用にカスタムした
少しばかり軽率だったかと反省する気持ちもあるが、しかし“万が一”を考えると護身用の武器は渡しておくべきだという直感があった。
それもこれも取り越し苦労で終わればいいのだが……。
9月25日
《速記文字による》
胸騒ぎを感じた時点で、妻と娘を街から離しておいて正解だった。
決断するのが後少しでも遅かったら……と、考えるだけでもゾッとする。
――――そして同時に、胸に去来する深い後悔の念がある。
今更ながら思い出した。バリーや他の釣り仲間と共に、近所のJ's BARで飲んだ時の事だ。
あの日、バリーが俺達に「アークレイ山地の猟奇事件はアンブレラ社の作った“化物”の仕業だ」と、言っていた。
今、窓の外に広がる光景を見て、俺はつくづく思い知らされた。バリーの言った事は『真実』だった、と……。
あの日、俺達はバリーの話した恐怖体験を与太だと笑い飛ばしてしまった。
故に真実だと知った今、内に込み上げるのは謝りたいという後悔の念だ……。
今更だが、笑ってすまなかった、友よ……。許してくれ。
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追記 深夜
現在、警察や同業の知り合い達と協力して、例の『感染者』に対抗する為の武器や装備をかき集めている。とはいえ市中に出回る程度の火器で、どこまで奴等の進行を防げるかは判らない……。
普通の人間を相手にするのとは、明らかに常識が異なる存在だ。
普通の人間が相手ならば、それこそ痛みや出血を強いる事で、その動きに制限を掛ける事が出来るだろう。しかし奴等『感染者』には、その“常識”がまるで当てはまらない。
まぁ、当然だ。既に奴等は死んでいるんだから……。
そして奴等は死人故に、どれだけの銃弾を受けようとも、その歩みをまるで止めない。
――――例外なのは、綺麗に頭を撃ち抜いた時ぐらいか?
まぁ、その事を含めて、俺達は『感染者』の脅威を嫌と言う程に思い知らされた。
こんな強靭な『怪物』を相手にどのくらいの時間を稼げるだろう? ふと零された仲間の問いに対し、思わず脳裏を過ったのは、『遠からず押し切られるだろう――』という月並みの予感だった。――――クソったれ……!
9月26日 明朝
一夜明けても状況は相変わらずな所か、寧ろ、昨日よりも深刻なくらいだ。既に街の至る所で感染者の姿は見受けられるだろう……。
しかし今、そんな状況にもめげずに自主的に銃を手にして、奴等と戦おうと考える大勢の馬鹿の姿もある。――――ウチの常連達だ。
退役軍人、元警察官、警備職員、消防官――、中にはベトナム帰りで今は失業保険で暮しているという輩も居る。
まったく共通してどいつも“若い”とは言い難いが、しかし行動力と正義感には無駄に溢れている。事実、彼らは先ほど聞かされた警察の反抗作戦に対しても、『派手に尽力してやろうぜ!』と強く息巻いている。
――――そして俺は、そんな馬鹿の一人に混ざる事にした。
俺に関して言えば、此処で安易なダンディズムに浸り、馬鹿共と一緒に戦っている場合ではない。一刻も早く街から脱出をするべきだ。愛する妻と子供が待っているのだから……。
しかしそんな事は全て百も承知の上で、俺は我が友『ジョー・ナガト』の事を置き去りには出来なかった。
最後に会った時、アイツは父親からの連絡を待つと言っていた。しかし先ほど聞いたマービンの話によると、既にアイツの親父は殉職したそうだ。
これは今更悔いても仕方のない話だが、しかし俺はその事実を知らされた際、あの日ジョーの背中を見送るのではなくて、その背を強引に引き留めてやるべきだったと強く後悔をした。
それにあの時、ジョーは俺の内に秘かにあった『不安』に共感をしてくれた。そしてあの時の共感がなければ、俺は今もこの街に妻と娘を置いたままにしていた筈だ。――――その意味で奴には大きな借りがある。
マービンの話によるとジョーは既に警察署――つまりこの場所を目指して動き始めたらしい。
ならばそれを待たずして去る、なんて真似は流石に出来ない。
だから、ジョー。俺の為にも途中で野垂れ死ぬなんて真似だけは止めてくれ……。
頼むから生きて……、生きて此処までたどり着いてくれ……!
《ページが破れている》
☆
「………………」
熱を帯びたマグナムの銃口からゆらりと硝煙が立ち上った。
激しい銃声の残響音も静まった頃、テリは恐々と息を潜めながら尋ねた。
「――――死んだの、
そんなテリの質問に対してジョーも不安を強く滲ませたまま短く、「恐らく……」と答えた。
その脅威の名をジョーは反射的に“リッカー”と呼んだ。『バイオの知識』から来る反射だが、しかし図らずもその姿が“
肥大化した脳みそにより、目と鼻の大部分が潰れた面貌。その顔の中央には鋭利な牙が並ぶ巨大な顎が存在し、またその顎の奥には人間の胴体を易々と貫いた凶悪な舌がだらりと在る。しかもその舌の全長は、本体を優に越すほどに長い――。
そんな怪物“リッカー”との戦いは、まさに強い偶然によって支えられた薄氷の上の勝利であった。
マックスが半ば狂乱しながら撃った散弾の一発が運良くリッカーの身体を跳ね上げた事で、死角にあった急所――剥き出しの心臓が露わになった。それをジョーが狙い撃つ事で、勝利を掴んだ。――――口頭で説明するとそんな顛末となる。
しかしそうした瞬きが如き一瞬の攻防にせよ、感じた疲労は壮絶であり、またジョーは戦いを省みた後で、改めて己の背筋に強い寒気が走るのを感じた。
「……さ、流石に、もう死んだだろう?」
時間にして数秒が経つ。そこでようやく動き出す気配は無いと見たマックスが、祈るような声色で一同に尋ねた。
剥き出しの心臓を派手に撃ち抜かれた直後、リッカーは床の上に仰向けの状態で沈黙した。しかし呼気の音が消えた後も、その四肢は未だに痙攣を続けていたのだ。その所為で一同は未だに“それ”が動き出しそうな予感を感じた。
「あぁ」
しかし遂にジョーも銃口を下げ、深く息を吐いた。
すると、
「それじゃ、もう行こうぜ! もうこんな場所に長居したくないだろ!?」
ジョーの吐息を合図に、マックスが先の戦いの恐怖を祓うような強い声色で、早速二階からの撤退を促した。そして直後、その提案に女性陣は深く頷き、すぐさま機敏な動きを見せた。
隊列は来た時とは逆に、今度はショットガンを持つマックスが先頭となった。その後ろをテリ、シェリー、オリヴィアの順で続いた。
「ジョー、行くわよ!」
「……あぁ」
そして今度は隊の
ジョーはテリの呼びかける声に短く応答すると同時、去り際に最終確認と云わんばかりにもう一度、リッカーの頭をマグナムで撃ち抜いた。
銃撃によってリッカーの頭部は再度、跳ね上がった。
確認の為に使ったマグナム弾だが、ジョーはこの時、その消費を“安い”と見た。そして結果として、その後も二度とリッカーが起き上がる事は、決して無かった。
「……っ」
――――とはいえ、その後もジョーの顔に明確な安堵の色が戻る事は無かった。
袖の上から僅かに掠ったリッカーの舌先が、ジョーの左腕に小さな赤い擦り傷を確かに創っていたからだ。
「――――皆、怪我は無い?」
礼拝堂に戻って早々、テリが一同に確認するように尋ねた。
テリの表情には未だにリッカーに対する強い恐怖の色があり、声も未だに震えていた。
しかし大人として周囲を気遣おうとする意地の様なモノは、確かに垣間見えた。
「私は無事……シェリーは?」
「うん、私も平気」
「――――
「あぁ。俺も大丈夫だ……」
オリヴィアが呼吸を整えながら答えると、シェリーもそれに続いた。
そしてマックスも己の健全を伝えた。
「………………」
しかし唯一、ジョーだけがその場で少し答えあぐねた。
ジョーは一瞬、悩む素振りを見せたが、ややあって結局は左の袖を捲り、薄く擦りむいた腕の擦り傷を周囲に掲げて見せた。
「――――なによ。だったら早く言いなさいよ、まったく……」
ジョーが最前面に立って戦っていた事を知っている為、テリは思わずその傷の程度を深いモノだと身構えた。しかし実際のそれは余りにも小さかった。
その事実にテリは思わず強い呆れの吐息を吐く――。
「ほら、オリヴィア。アンタの出番よ」
とはいえそんなテリの取り越し苦労の様子が、先の一件で強い緊張状態にあった一同の精神を適度に解した。
一時的にその場に笑いを誘った。
「少し痛むかもしれないけど、そこは我慢してね?」
と、オリヴィアはジョーの腕を取った。そして先程作った三色のハーブペーストを使い、傷の手当を始めた。
「――――なにか、気になる事でもあったの?」
「……ん?」
その際、オリヴィアはジョーの顔を覗き込むように尋ねた。
「少し不安そうに見えたから、聞いてみただけ。力になれるかは判らないけど、何かあったら直ぐに言ってね? それに言い方はアレだけど、貴方が倒れたら私達も危険だし――――」
と、オリヴィアは年上として嗜めると同時、苦笑交じりに言った。
「あぁ。判ってる……」
その時、ジョーは思わず
安易に弱音を吐きたくないというプライドも理由の一つだが、何より内に湧いた『懸念』を口にしてしまう事で、それが『事実』へと変わってしまう気がしたからだ。
(――――中途半端な察しの良さが忌々しい……)
故に、ジョーは思わず内心で吐き捨てた。
気づかないままなら取るに足らない『掠り傷』という認識のままに終わった事。そして仮に『感染』したとしても、その不安に気づくのはいよいよ最期が差し迫った時だった筈だ。
しかし父の死と同様、『バイオハザード』というゲームについての知識を得てしまった事で、ジョーは意図せず、取るに足らない小さな傷にも『感染』の不安を感じてしまった。
「――――クソったれ……」
ジョーはステンドグラスに描かれた神の姿を、思わず仰ぎ見た。