「そうやなあ」
今の状況にしては、場違いなほど軽い調子だった。それでいて、裏には絶対的な自身が伺える。この程度の修羅場など、数にも含めないと言いたげだった。
「今の俺に、スキがあったらなー」
「隙だらけだよ」
肉の怪物が、光線を発する。シロナは目を閉じかけた。あれもまた、スーツの防護を完全に無視する攻撃だ。当たれば、終わり。
だが岡は、そのまま前に進んでいく。光線は、その拳に到達していた。
「俺な、こう見えても、学生時代……」
まるで蠅を落とすように、攻撃を弾いた。貫通することもない。その黒く大きな手には、傷一つついていなかった。
スーツのあらゆるくぼみが発光し始める。静かな駆動音が、肩や腕から聞こえてきた。
石像達が、一斉に向かっていく。進む岡の周りを囲み、同時に飛び込んだ。
岡の腕が回される。
「ピンポンやっとったんやっ!」
拳が炸裂した個体が全て、一瞬ではじけ飛んでいった。Xガンでも、刀でもなく、ただ殴打が直撃しただけで、ほとんどの体が潰されていた。残った一体の頭を掴むと、岡は振りかぶる。
投げつけられた石像を、怪物は避けた。そして、たくさんの腕を構えながら、突進していく。
異常な密度の攻撃を、岡はほとんどいなしていた。あれだけ大きな拳や腕を持っているのに、その動きは俊敏だ。位置を常に変え続け、怪物を翻弄していた。
複数の顔、そして指先達から、光が溜まっていく。放たれた何本もの光線が、岡のマスクを狙っていた。
彼は腕を盾にしながら、その全てを受けきる。
そして、肘を綺麗に回転させた。
「いうとくけど、」
一瞬で、怪物が三等分される。
肘の部分についている刃が、きらめいた。
流れていく肉片の一つを蹴り飛ばし、残りは両手で地面に叩き付けた。
「空手やっとるんや。通信教育のな…」
両手の穴が、まばゆいほどの光を発する。そこから、光弾がいくつも発射された。転がる肉を容赦なく破壊していく。石の地面が、穴だらけになっていく。舞い上がる欠片のせいで、シロナは顔を庇わなくてはならなかった。
あっという間の出来事だった。今までで間違いなく一番強い、どう攻略するのかもわからなかった星人が、無残な姿を晒していた。
しかしシロナはそれで安心することはない。
「まだ、終わってない!」
目の前に、黒い掌が広がった。かなりの衝撃を感じて、シロナは自分が投げられたことに遅れて気がつく。
怪我は、しなかった。トゲキッスが慌てるようにして飛んでくるが、治療はいらないと手で示す。
彼女をどかした岡は、再び石像の包囲網に囚われていた。
その少し離れた所で、怪物が立ち上がっている。
そう、結局問題は解決していない。どれだけ破壊しても、再生される。いくら岡でも、永遠に戦い続けることはできない。おそらくあの特別製らしきスーツにも、耐久値がある。
「君が、ボスだね? よおし、さっさとゲームを終わらせよう」
「そうやな」
マスク部分を相手に向けながら、手を掲げる。
その射出口の先は、怪物を狙っているわけではなかった。
もう片方の手で攻撃してくる石像達を破壊していき。
再び光の弾を発射した。
怪物は、明らかに変化を見せていた。石像から分離した時のような、肉体的変化ではない。全ての顔が苦渋に満ちていた。大きく動揺している。
「なぜ…」
星人達が配置されていた堂を破壊していきながら、岡は言った。
「お前ら、わかりやすいねん。あれを背にして、戦おうとしなかったやろ? そんだけたくさん頭があると、馬鹿になっていくもんなんか?」
淡い光が散らばっていく。怪物が叫びながら走るが、岡は既に堂の柱を全て破壊し終えていた。あっという間に崩壊が始まり、瓦礫が積み重なっていく。同時にその隙間から、全ての光が放出された。空へと昇っていき、儚く消える。
もう、石像は再生されなかった。岡によって切断された胴体は治っていかない。
シロナもまた、ようやく理解をした。
どうやらあの建物が、驚異的な再生の基だったらしい。確かに、今までの再生をする光線もまた、北西からやってきたような気もする。この星人達を率いる者が住まう場所は、戦略的にも要だったのだ。
怪物は、断末魔を上げた。
岡に腹へと大穴を開けられたそれは、前のめりに倒れていく。
「なんてね」
その体から、顔の一つが飛び出した。驚異的な速度で岡の背後へと回る。大口を開けて、そのマスクを食らおうとしてきた。
「ありがちやな。知っとる」
彼はただ、肘を後ろへずらしているだけだった。
それでも刃が、頭の真ん中を貫通する。
シロナは、一瞬警告しようとも考えた。
もはや怪物は、一体ではなくなっているからだ。飛び出ている顔の一つ一つが、細長い体を伴って分離していた。全部で、九体いる。そこから大量の手を生やしながら、岡を覆い尽くそうとしていた。
「うーん、もっとこう」
岡は全てを防ぐのを諦めているようだった。その代わり、密着してくる個体を完全に潰すことへと集中している。両の拳を振るって、包囲を吹き飛ばしていた。
だが、状況は変わっていないのかもしれない。破壊された個体はすぐに再生されていく。もう、その力は使えないはずだった。他の石像は完全に息絶えているというのに、それらだけは例外だった。
表情はわからない。それでも、岡は少しも焦っていないとわかった。
「そのパターンも知っとる。漫画で見た。パクリか?」
同時に四つの頭を掴む。握ったまま、掌の口から弾を連射した。どんどん肉がそぎ落とされていき、やがて赤色の丸い物体がさらけ出される。
岡は躊躇いなくそれらを潰した。
先ほどとは比べ物にならないほどの叫び声が、上がる。まるで前のは演技だったかのようだった。分離された肉が、煙を上げながら萎れていく。
それからは、さほど時間もかからなかった。それぞれの個体にあるらしい核を完全に把握した岡は、特に危なげもなく処理していった。シロナは眺めながら、彼の言葉を思い出す。
何が、厳しいというのだろう。彼は自分のポケモンを同時に相手することは厳しいと言っていた。だが、嘘だったのだ。おそらくルカリオとガブリアスも含めてようやく、対抗できるのではないか。冷静になっていないとわかりつつも、そう判断した。
怪物は、最後の声を発する。それは、岡に向けられていなかった。
「のう、のうみそをくわせろぉぉぉ!」
一体の欠片が、口を生やしながら抜け出していく。シロナは完全に油断をしていた。まさか今更、少し離れた自分を狙ってくるとは思っていなかったのだ。トゲキッスに指示を出そうとして、横から走ってくる影に気がついた。
おそらく、室谷か桑原か。どちらかの武器を、拾っていたのだろう。
くろのは、片足がほとんど機能していないのにもかかわらず、門の外からここまでたどり着いていた。そして、全身全霊で振りかぶり、シロナを食べようとしている化物に刃を刺し込んだ。
切断された首が、宙に飛ぶ。
それを、岡が狂いなく狙撃した。中にある核ごと破壊されていき、最後の一体が死んでいく。
くろのは振った勢いのまま、前へと転がった。握られていた刀が、横に飛んでいく。それを確認することもなく、シロナは相手の傷の確認に向かった。
「言うたとおりになったやろ」
その特殊なスーツから、岡が出てきていた。そして、血だまりの中にいるミロカロスを示す。
シロナはそれに対して、まだ血の色が残っている顔を向けた。
「お前のせいやな。道具のポテンシャルを、いかしきれてない。あと何匹犠牲にすれば、学ぶんやろうな」
黙って、歯を食いしばった。その通りだったからだ。まだまだ、不足の事態に対応しきれていなかった。いつも戦っていたのは、ポケモン達だったから。それは、この世界に来てからというわけでもない。今ままでも、ずっとそうだった。チャンピオンになるために、チャンピオンという地位を守るために、どれだけ傷つけただろう。どれだけ、痛い思いをさせたのだろう。
だが今は、別の決意で溢れていた。変わりはしない。結局望みは変わっていない。息絶えているミロカロスの目を、閉じる。たとえどれだけかかっても、いなくなった家族達全てを取り戻すことには変わりなかった。
「う、う…」
シロナは見る。転がっているくろのの足の先が、転送され始めている。じきに自分達も、そうなるだろう。
戦いが、終わったということ。今度こそここの星人は全滅した。
くろのは希望の無い顔をしながら、泣いている。
「どうすればいいってんだよ…。無理だ、もう、無理。加藤、ちくしょう。俺、一人だけに……」
その絶望は、シロナも知っていた。もちろん、彼の気持ちへと完璧に寄り添うことなどできはしない。だが、察してはいた。彼はおそらく、まだ知らないのだ。
うずくまっている彼の肩に、手をかけた。その感触で、くろのはわずかに顔を上げてくる。
「聞いて」
力強く、シロナは言った。
「百点を取れば。選択肢が生まれる。その中の一つに、再生がある。今まで、ガンツに巻き込まれて死んだ誰かを一人、戻せるの」
「そん、なの」
気休めの嘘だと思い込んでいる相手に向かって、さらに続ける。
「私は、実際に一人再生させた。この目で見てる。これからも、それを目的にするつもり。私の家族も、死んでしまった。だから、戻す。貴方もそういう存在がいるのなら、頑張って。私も頑張るから」
首まで消えかけているくろのは、段々と目を大きく開いていった。その表情が、変わっていく。暗闇の底のようだったそれに、光が差していく。
「何度、何度だって…」
「ええ、そうね」
「やってやる。皆、加藤も岸本も、みんな。戻してやる」
「一緒に、やりとげましょう」
「ありがとう。あんたの、名前…」
「私は、」
もう言っても無駄だということがわかった。耳が消えていく。そして最後に、力強い瞳をシロナに合わせながら、くろのは転送されていった。彼の決意に、シロナも大きく触発されている。彼がこの先どのような道を辿るのであれ、その望みがちゃんと叶うことを願った。
南の方に行っていた他の者達が、やってくるのがわかった。シロナは、ポケモン達に合わせる顔がないと思っている。だが彼らの方は真っすぐ彼女に向かってきた。転がっているミロカロスへと涙をこぼしながら、労わるようにシロナの体を撫でてくれる。
最後にミロカロス以外全てのポケモンをボールに戻してから、転送が始まった。シロナは最後まで空を見ながら、これからすべきことを考えていた。
何もない、白い世界。
狭間だ。これは、ほんの一瞬の出来事に過ぎない。
「何を、したかったの?」
言いながら、おおよその検討はついていた。
シロナに対するディアルガとパルキアは、何も言わない。
ただ静かに、見下ろしてきている。
そこにはもう、恐ろしさを感じない。相手には害意がないのだと、直感できた。ガンツはなぜ、彼らの名前を表示したのか。その細かい意図まではわからない。だが、その予想もまた頭の中には浮かんでいた。
「未来のことなのね?」
ディアルガの反応はない。だが、シロナにとっては十分だった。
「じきに、百点がくる。強力な星人と、戦わなければならなくなる。その時の結末を、ずっと、見せていた」
それが、悪夢の正体だった。ディアルガの力を考えれば、誰かに未来を見せることは可能だ。警告の意味合いが強いのだと思った。何かを変えなければ、同じ結末をたどるのだと。
「でも、あれには意味があったの? 私達を過去に行かせて、どうしたかったの? くろのという男は、何かに関係している?」
答えは相変わらずない。だが、少なくとも役に立つことであるのはわかった。
最後に、そもそも自分があの世界に来た意味を知りたくなった。この二体が関係しているくらいはもう理解できる。
だが、時間が無くなったようだ。
パルキアが小さく鳴いてから、シロナの視界は移り変わっていった。
いつも通りの部屋に、いた。
「今回は、長かったなあ」
「盛りだくさんやったわ」
シロナは確認をする。メンバーは欠けていない。重体だった中山も、ちゃんと壁に寄りかかりながらガンツを見ている。それから視線が合ったが、すぐに彼女は顔を逸らした。
例外なく無事なようだ。一匹を覗いては。
採点が、始まる。
今回ほぼ全員に大きな点の動きがあった。星人の数が多かったことにも起因している。
百点を超えたのは、シロナも含めて三人だった。
桑原はメニューを開く。
それを横目に、シロナはひたすら考えていた。今の合計得点は百五点。努力すれば、一回でも相当稼げることは分かった。少なくとも、あと二回。絶対に犠牲を出さずに乗り越えなければならない。そうしなければ、永遠にガンツから抜け出せなくなる。
「三番。ミロカロスを再生」
ばっと、顔を上げた。
まるで名案が浮かんだかのような表情で、桑原は胸を張っていた。
そして口を半開きにしているシロナにも構わず、形成されていく相手へと近づいた。
「シロナの言うとおりやな」
ミロカロスは、まだ状況がつかめていないようだった。綺麗な瞳を揺らしながら、首を傾げている。そして目の前にいる桑原に対して、一鳴きした。
「フォオオ?」
「恩を売るのは、本人に対してが一番。俺の作戦は修正され、たった今成功した。さて、交渉や」
言葉を失っているシロナを一瞥してから、ミロカロスへ笑顔を向けた。
「ええやろ? 俺は、命の恩人や。ここまでして頼みも聞いてくれないなんて、さすがに魅力もなくなるで?」
さっと、ミロカロスは顔を青くする。だがすぐにわざを繰り出すことなく、シロナを伺ってきた。
シロナもまた、複雑な心境でいる。もちろん、喜ばしいのは確かだ。桑原には別の選択肢もあった。あえてそれを選ばず、助けてくれたのだ。感謝することに何の迷いもなかった。その目的がわかっていなければ。
助けられたのだということは、ミロカロスもわかっているようだ。いつものぞんざいな態度を桑原に向けずらくなっている。触角を揺らしながら、途方に暮れていた。
桑原は頭をかきながら、にやりとした。
「俺も鬼やない。いきなりは厳しいか? 妥協したる。今すぐや。ちょっと、巻き付いてくれんか? 前もやってたやろ。シロナにやったのと同じくらい、思いっきりしてな」
一気に要求の難易度が下がったようだが、気が進まないのは同じだ。だがシロナにはもうあまり口出しできることではなくなっていた。正直言葉以外は、今回桑原に関して責めるべき部分はどこにもない。彼もまた、働いていた。いなければ結末も変わっていた可能性がある。
シロナが目を伏せると、ミロカロスが衝撃を受けたように目を見開いていた。それから悩まし気に顔を左右へ振った後、嫌そうな鳴き声を発する。
「強情やなあ。なら、俺にも考えが…」
腕を組んでいた桑原は、直後転びそうになっていた。突然長い胴体が接近してくれば、気圧されるのも当然だろう。
彼の足、そして腰を覆っていく。さらに首へと巻かせてから、ミロカロスは桑原を睨みつけていた。
「うわ…」
「きも」
「やっぱ、変態や」
少し身を引かれてはいるものの、ちゃんと彼女に巻き付かれた桑原は、目を閉じながら寝っ転がり始めた。恍惚としている顔を、最後まで見ることができない。戻ってきてくれたと同時に、何か大切なものを失ったのではないかと、シロナはミロカロスを憐れんだ。
「あと、十五時間はこれで」
「フウウウウ!」
すぐに離れたミロカロスは、口から水を勢い良く吐き出して、桑原を吹き飛ばした。力を抜いていたせいか、彼は抵抗もできずに壁へ激突する。頭を打ちつけたようで、床でしばらく悶えていた。
シロナもまた、ガンツへ指示を出そうとする。まだ少し悩んでいた。どちらを、先に戻すのか。もちろんどちらも同じくらい愛している。相手の方も、順番で何かが決まるとは思ってもいないだろう。それでも、先に戻す方を決めるのに時間がかかっていた。
「三番や。ガブリアスを再生」
理知的な男の声。
信じられない思いで顔を向けても、岡は平然としていた。
「貴方、何を…」
「単純な話や。ガンツは、ガバガバやねん。こいつからちゃんと特典もらえるか、怪しくなってたからな。確実な投資をした」
それから、何をしているんだという目で見てくる。
「お前もさっさとメニューから選べ。早く帰りたいんや」
その思いを、正確に計ることはできない。だが、自分がこれから解決するべきだった問題が、一気に減ったのは確かだった。シロナは疑うべきなのか、はたまた素直に感情を示せばいいのか、混乱する心地でガンツを見た。
目をつぶってから、静かに言う。
「三番。ルカリオを再生して」
終わった瞬間、同時に抱きしめていた。
ずっと謝りたくて、同時に焦がれるほど会いたかった家族を、腕の中に収める。この世界に来てから一番の幸せだった。もう我慢することはなく、シロナは感情を爆発させる。涙を大量に流しながら、彼らにしがみついていた。
当然相手の方は、訳がわからないだろう。急に目の前にいて、泣いている主人に嫌な想像をしたようだ。同じく部屋にいる黒スーツ達へと、構えた。
「違うの。いいのよ。彼らは、敵じゃない」
カブリアスの頭にキスをする。それからルカリオの耳に頬を擦りつけた。ルカリオの方は、複雑そうだ。彼はちゃんと覚えているらしい。肉球をシロナの片耳へと触れさせた。労わるように、申し訳なさそうに撫でている。
「大丈夫。ほら見て。まだ残ってるから」
もう片方のピアスを揺らしてみせる。ルカリオはそれに向かって遠慮がちに鳴いてから、笑顔を向けてきた。
「待って」
そして帰ろうとしている岡に、シロナは近づいた。彼女は首を振りながら、まるで初めて会ったかのように相手を眺めていた。
「なんて、言ったらいいか…」
「あ? なんやねん。気持ち悪い。俺が再生したから、それは俺のものや」
ガブリアスを、指差す。
岡は鼻で笑う。
「文句はないよな? ちゃんと指示に従ってもらうで。お前のためやない」
「それでも、いいの」
シロナは彼の瞳をしっかりと見た。その細目を認識した。
柔らかく微笑む。
「ありがとう、オカ」
お礼を言われた彼は、無言で横から振るわれたシロナの拳を防いでいた。決して惑わされることはない。
無表情になった彼女に対して、岡は嘲笑う。
「そんなことだろうと思ったわ。わかりやすい」
シロナが横に避けたと同時に、岡は派手に蹴り飛ばされた。たとえスーツの力があったとしても、ガンツの方へと呆気なくぶつかっていく。
「おお、貴重映像や」
「だっさいぞおかー」
サングラス達がはやし立てる。
いくら歴戦の男だとしても、ルカリオの動きにいきなり対応できるわけではなかった。足を下げた彼は、立ち上がろうとしている岡を睨んでいる。
シロナもまた、清々した顔で言った。
「それはそれとして。すっきりしたわ。ありがとう」
タイミングが良すぎた。
おそらく岡は、ずっとそばで潜んでいたのだろう。彼女達が石像によって窮地に陥っている時も、ぎりぎりまで割って入ろうとはしなかった。星人の性質を確定させるために、観察の時間をより多くとった。合理的ではあるが、それに対してシロナが何も思わないと想定しているのなら、計画倒れもいいとこだ。
岡は黙ってルカリオを通り過ぎていき、さっさとマンションを出ていった。それに対して少し舌を出してから、シロナもまた帰る準備を始める。
「あんな」
おずおずと、声がかけられた。見ると、中山が気まずそうにしている。室谷に呼ばれているようだったが、シロナとの会話を続けるつもりらしい。
「あり、ええと、そうやな…」
長い金髪を触ってから、挑むように目を合わせてきた。
「これで、ちゃらやから。あたしもお礼言わないし、あんたもこれ以上何も言わんといて。わかった?」
「?」
「ああもう! わかったから。すぐ行く。…ちょっと、神経質になりすぎてたわ。それだけ」
そう結ぶと、足早に出ていった。
今度はちゃんとその後ろ姿を見ていた。岡もあれくらい可愛げがあるのなら、少しはましな対応も取っただろう。
シロナは、再びガンツに注目する。
予想が正しければ、あと一回でいい。あと一回百点を取れれば、問題は全て解決する。
一番の選択肢。解放。
記憶を消されるという部分は気になったが、シロナにとっての解放が何を意味するのか。期待しないようにはしていたものの、もしかすれば元の世界にも帰れるかもしれない。とにかくもう一度百点を取って、それを確かめたかった。
三つのモンスターボールを手に取る。
「お疲れさま」
本当はルカリオ達ともっと触れ合っていたいのだが、杏と共に帰ってからでもいいだろう。今日はもう休みたい気分だった。明日から、対策を考えていこう。
そう思いながらボールを操作して、気がついた。
何も起きない。
ルカリオとガブリアス、そしてミロカロスもまた、不思議そうな顔をしていた。見た所、彼らの意志は決まっている。シロナのボールに戻ろうとしているようだ。だが、何も変化が生じない。その体が光となって、ボールの中に戻っていかない。
かちかちと何度も操作してから、シロナはこの事態に何とか対応しようと頭を動かした。
他のポケモン、トリトドンなどを出してから、また戻す。そっちに異常はない。どうやら復活した三体だけが、ボールに反応しないようだった。
ちゃんと了解を取りつつ、ボールをルカリオに投げる。彼にぶつかっても、それが開くことはなかった。虚しく地面に転がる。
「姉さん、どうしたんや?」
杏がすでに着替えていた。彼女もまた、死地を乗り越えた。早く帰って息子に会いたいという気持ちが、様子にも現れていた。
シロナは、何かの音を拾う。
そして目を向けた時、自分が大事なことを忘れていたのに気がついた。
部屋の隅に、スマートフォンが置かれている。転送される前に、置いていた。そして今、それは振動している。着信が来ている。今まで音沙汰もなかったものが。
整理をするのは、後回しにする。とにかく今は、対応が必要だと思っていた。
少し慌てて、スマホを拾い上げる。電話をしてきている相手は、祖母だった。それを噛みしめるように確かめてから、ボタンに触れる。
何から話せばいいのか、わからなかった。
『シロナ?』
こんな事態になるまでは、会いに行こうと思っていた。シロナは定期的に生まれ故郷であるカンナギタウンに滞在する。祖母の昔話を聞くのが好きだった。その時の声と寸分違わないもので、シロナの名前を呼んでくる。
「お婆ちゃん…」
とにかく、何かを話さなければならない。いくらつながっているとはいえ、電波状態はかなり悪いのだ。早くしないと、勝手に切れてしまう恐れがある。
『どこに、行ってたんだい?』
「色々、あったの。信じられないことが、たくさん。そっちに帰ってから、話すね。今はただ…」
祖母は、心配そうに言ってきた。
『そうかい。良いことなんだろうね?』
「そう、だと思う。多分」
『自分のポケモン達は、見つかったかい?』
耳鳴りが、一瞬した。
終わったと思っても、まだ続いているような心地がする。シロナは口を一度開けてから、閉めた。しばらく間を作り、やっとの思いで声を出す。
「え?」
疑問を示すと、相手も怪訝そうに間をあけていた。
『大丈夫かい? 酷い取り乱しようだったの。サザナミタウンから急に帰ってきたと思えば、信じられないことを言って…』
「待って。お婆ちゃん、何を言ってるの?」
杏が首を傾げる。
ガンツの球体が、淡い光を受けている。
相手の言葉を受け止めるのには、多大な労力が必要だった。
『ポケモンが、急に消えたって。それはもう酷かった。探しに行くと昨日の朝出ていったきり。心配していたんじゃよ。その様子だと、少しは落ち着いたみたいじゃのう』
何も理解できないまま、物音がした。
扉が開かれて、閉められる音。
それは電話の向こうで聞こえていた。
何かを言ってくる。そして、祖母はそれに対して正直に答える。さらに問答があった後、電話の相手が切り替わったのがわかった。
『貴方ね?』
電話ごしだと少し違って聞こえるが、間違えようもなかった。
その声は明らかに、自分と一致している。
怒りのこもったような、冷たい調子で言ってくる。
『私のポケモン達を、どこにやったの?』
違う。
彼らは、自分の家族だ。
『私と偽って、お婆ちゃんを騙そうなんて。何をするつもりだったの? ギンガ団の残党?』
自分は、シロナだ。
元チャンピオン。十年もの間、その地位を防衛していた。
『貴方は誰?』
私は、誰?
派手に、スマートフォンが落ちた。杏が慌てるようにして駆け寄ってくる。その液晶は完全に割れており、電源も切られていた。杏が拾い上げて操作をしても、意味はない。完全に壊れているようだ。
シロナはただぼうっと、その画面を見ていた。
暗くなった液晶に、白い自分の顔が映り込んでいる。
真ん中あたりに大きなひびが入っている。まるでその隙間から別の何かが這い出してくるような錯覚がした。自分の皮が、剥がれていくようだった。