ショッピングの最中も、落ち着かなげに膝を揺らしている。
中山はその様子を見て、今日何度目かのため息をついた。
「やり過ぎちゃう?」
「ええんや。くそ、外で吸うわけにもいかんしな」
室谷の中毒ぶりには、嫌気がさしていた。麻薬を買うためのお金をせびってきたこともある。そういう時はわりと本気で別れることを考えるのだが、結局だらだらと続いていた。
彼とは、ガンツに巻き込まれてから出会った。勢いもあったのだろう。そしてあんな状況下では、寄りかかる相手が絶対に必要だった。そうでなければ、とっくに自分は死んでいる。
中山は空を見上げる。これでは、ダメ男から抜け出せい典型的なダメ女だ。そう思っても、既にうんざりした気分は引いていた。これでもいい、と考えてしまう所もダメなのだろう。
いつまでも続かないことは確かだった。室谷の方はわからない。だが、自分は永遠に戦い続けられるわけではない。限界はくる。解放を選ぶ瞬間が、必ずやってくる。
そうしてしまえば、室谷のこともきれいさっぱり忘れてしまうだろう。そこが縁の切れ目だと思っていた。お互いにわかっていて、付き合いを続けている。そういう割り切った関係でいることにも、妙な心地よさを感じていた。
だから。たとえこんな室谷に対してでも。
中山は複雑な気持ちになる。
嫉妬くらいはする。特にあのシロナという外国人の女性が現れてからは、どこかで苛々している部分が常にあったような気がしていた。
自分の染めているものとは違う、本物の金髪。かなりのプロポーション。何も思わない方が難しかった。良くないとは思いつつ、彼女に対して厳しい態度を取り続けていた。
だが今は、よくわからなくなっている。こちらとは違い、相手の方は少なくとも嫌ってきていないようだ。むしろ、躊躇いなく命を助けてくれたこともあった。
余計、自分自身の事がみじめに思えていた。ださい、とも感じる。だがお礼の代わりにあんなことを言ってしまった以上、今更会いに行って何かを喋るのも気が引けた。次のゲームが始まったら、一言加える程度でいいと考えていた。
「あん? なんやあれ」
室谷もまた、空を見上げている。
そちらの方向へ目を向けると、憶えのあるシルエットが近づいてきた。
うずうずとしたものを感じる。本当にお礼を言わなければいけない相手は、別にいた。そして中山は、その存在のことは嫌っていない。むしろ積極的にコミュニケ―ションを取りたいと思っている。
なぜなら、可愛いから。
降り立つと、人々がざわめく。
それも当然だろう。その鳥は、翼をほとんど動かしていないのにも関わらず、空を飛んできていた。さらにその背に複数の存在を乗せている。珍しい光景なのは確かだ。
「あ…」
知っている顔だ。同じくガンツ内で出会った友人、山田が何かやり取りをしていた相手。どうやらシロナを住まわせているらしい、杏がこちらに気がついた。
肩には、これまた愛らしい生物を乗せている。トリトドン、というらしい。どうやら杏はガンツスーツを一番下に着ているようだった。でなければ、トリトドンの重さで倒れているからだ。
「あんな、ちょっとええか?」
「急にどうした」
室谷が膝を揺らすのも止めて尋ねると、相手はやや切羽詰まった顔で答えた。
「姉さん、シロナを、見いへんかった? どこかに行っちゃったんや。ちょっと追いつめられてるみたいやったから、心配で…」
そちらもそちらで気になったが、中山は別の関心事に囚われていた。自らの羽で頬をさすっているトゲキッスへと、頃合いを見て近づく。
「なあ、ええと」
彼女に気が付くと、つぶらな瞳を向けてきながら、首を傾げた。
まるで狙っているかのような仕草に我慢ならなくなった中山は、無意識のうちに飛びついていた。そのふわふわしている体に顔をうずめる。
「ありがとうな。あたしを助けてくれて」
杏から降りたトリトドンが、羨ましそうに鳴いていた。
◆
「火ぃ、ちょーだい」
無言でライターを向けると、山田は煙草の先を近づけてきた。ベッドにこぼれてしまわないよう灰皿をちゃんとおいてから、ゆっくりと煙を吐き出す。
「暇やわ」
「知らんがな」
とはいえ、ジョージも少し同じ思いでいた。こうして自分の家で過ごす時間も良いものだが、さすがに長く続けば飽きも出てくる。
着替え終わると、山田はまだ枕に手をついていた。ジョージが端に腰かけると、微笑みながら掛け布団を動かす。
「また?」
「ええわ。水やりに行かな」
「うわ、萎える。ちょっとは気遣いほしいわあ」
「お前と違って、抱えてる命があんねん」
設置されている鉢にジョウロを傾けていく。そして鼻歌も嗜んでいると、起き上がってきた山田が言ってきた。
「ひま」
「わかっとる」
「今日にせえへん? 今からでも予約取れると思うで。プラネタリウム」
「どんだけ行きたいねん。来週って言ったのお前やんか」
「でも、よく考えたら平日の方がすいてると思わへん?」
「今日はええ。めんどくさい。もっと手軽なことにしようや」
「えー」
少しの間、山田は考えていた。その様子を尻目に、ジョージは世話を進めていく。彼としては、本当の意味で時間が空くことなどありえなかった。家にいれば、やることは無限に出てくる。植物達の変化を記録しているだけでも、時間はあっという間に過ぎていくのだ。
山田はベッドから立ち上がりながら、何かを思いついたかのように表情を明るくした。
「あったわ」
「何が?」
「うち、やりたいことあった! 杏ちゃん、いるやろ?」
「ああ」
正直すぐに死ぬだろうと思っていたが、その通りになった。だがすぐにシロナが生き返らせたのは、さすがに予想外だった。無駄遣いの典型と言える。ジョージにとっては、クリア特典を取らないなどという選択など考えられなかった。
「遊びに行こう」
「は?」
「もう我慢ならん! うちな、会いたいねん。トドンちゃんに。意外と近いから、手軽やん」
結局はシロナのペットを可愛がるのが目的だとわかって、ジョージはうんざりした。興味がないというわけではない。良い暇つぶしになるのは確かだろう。あまり会いたくない存在がいなければの話だが。
どのように説得しようかと考えた所で、インターフォンが鳴った。
山田がわざとらしく胸を手で隠す。
どうやら自分が出ろと伝えてきているらしい。ジョージは面倒くさそうに息を吐いてから、扉に向かった。二日前くらいに通販で新しい鉢を頼んだので、それが来たのだろうと思い込んでいた。
開けても、目の前には誰もいない。
怪訝に思って視線を下げると、堂々とした植物が立っていた。
それは別にいい。
問題なのは、ロズレイドが花から鞭のようなものを伸ばして、インターフォンに触れている点だった。
「なにしてんねん」
その鞭からは、少しだけ液体が滴っている。色からして、明らかに毒が含まれていた。それで、ボタンの所が濡れてしまっている。幸い塗装が剥がれ落ちるなどはしていないようだが、迂闊に触れられなくなった。
「どうしてここがわかった?」
ロズレイドは片手の花を、自らの鼻の部分に当てた。それから、得意げに胸を張ってみせる。
辛うじて、意味は分かる。匂いを、辿ってきたらしい。誰の、とは考えるまでもなかった。彼女はジョージの方をもう片方の花で示している。
「殴り込みか? 受けて立つで」
言いながら、少し違和感がした。
こうして挑発するように言っても、ロズレイドの勢いは変わらなかった。それどころか、いつもよりも引いているような気がする。彼女は何かを迷うような表情をした後、目を伏せた。言いたいことがあるのに、言えない。そんな様子だ。
「しつこい勧誘やなあ。うちに任せて」
長引いているやり取りに別の解釈をしたのか、山田が後ろから手を伸ばしてくる。ジョージの肩を掴んで、そこから顔を出した。
途端、嬉しそうな悲鳴を上げる。
「あらあ、お花ちゃんやん。遊びに来たんか? ええよ。たいして広くもないけど、上がってって」
「おい、」
その言葉と同時に、ロズレイドは前へと飛んでいた。防ごうとしたジョージの腕を見事にすり抜け、玄関に降り立つ。そのまま山田の肩に飛び乗って、奥へと進んでいった。
それを苛々しながら見て、ジョージは入口を閉めた。
どうやら、何かがあったのは確からしい。肝心の、シロナがどこにもいない。この植物がわざわざ単身で来たのには、事情がある。
だがロズレイドはそれを伝える前に、別のことへと関心を向けたようだった。
「さわんな。これが本物やぞ」
ソファーの横や、ベッドの隣の机の上。色々な所に置かれている植物に、興味をかなり示していた。匂いを嗅いでみたり、至近距離で観察したり。その花からいつ棘や鞭を出して、大事な植物を破壊するのか、気が気でなかった。
ロズレイドは、棚の上にある花達にも関心示す。少し背伸びをしてから、ジョージを振り返ってきた。
「下手にいじるなよ。おい」
近づくと、彼女は上に飛んだ。素早くジョージの肩に乗ると、さらに跳躍する。そして両足を彼の頭につけると、体を前に倒しながら、並べられている花達を見物し始めた。
「こいつ…」
山田が、爆笑している。
「そうやなあ。そこ、居心地よさそうやもん。あはは、つるっつるや」
「やかましい」
手でとらえようとする前に、ロズレイドは降りていった。そして、ベランダの方へと鼻を動かし始める。止める間もなく、すいすいと歩いていった。
彼女が一番注目しているのは、赤い花だった。風通しのいい場所に置かれている鉢の中で、鮮やかな色の小さい花びらがいくつも重なっている。花が開いている期間がそれほど長くないので、近いうちに完璧なポジションを決めてから写真に収める予定でいた。
赤いゼラニウムに、ロズレイドは盛んに鼻を動かしている。ハーブゼラニウムと呼ばれている、特に香りが強い個体だ。
植えられている花と、感情が動くたびに上下する両手の花を見比べて、しばらくの間ジョージは黙っていた。それから言葉を失っている自分にもやもやとしたものを感じ、屈みこむ。
ここまで近づけば、ゼラニウムの濃い香りがしてくるはずだった。甘い香り。だが、それとは別の何かの方が強く鼻に来ていた。小さく舌打ちをしてから、自信満々に言う。
「どや」
ロズレイドは我に返ったかのように振り向いてきた。
「これが、見本や。お前みたいな紛い物とはちゃう。あるべき姿なんや。わかるか?」
ふん、と彼女は目を細めた。相変わらず、生意気な態度を取ってくる。ゼラニウムを睨みつけてから、自身の方を示してみせた。
ジョージは、眉をひそめる。
「なんや、あれか? 自分の方が綺麗だって、言いたいんか?」
肯定するように、小さく鳴いた。
「ふざけんな。頭いかれてるんか? なわけないやろ」
首を振ってから、さらに背伸びをする。まるで自分が一番だと言わんばかりに。その自信満々な態度に、段々とジョージも冷静ではなくなってきた。
「ええか、この世にどれだけ種類があると思ってる」
両手を使って、その数を表現する。
「お前なんか、下の下の下や。井の中の蛙もいいところやで」
相手の目つきが鋭くなる。
ロズレイドも、挑むようにして両手の花を広げてきた。
「そこまで言うのなら、確かめようや。お前、来週空いてるやろ」
「?」
ジョージは既に勢いで話を進めていた。
「近くに、穴場の園がある。お前が前に行った所よりは、規模が小さい。でもなかなか見られない種類も揃っとる。確かめるで。お前の伸びきったその鼻をへし折ったる」
「ちょっと待って」
山田が割り込んできた。
「プラネタリウムは?」
「それは夜でええやろ。午前中はこっちや」
「なら、うちも行きたい」
「ああ? もう嫌になったって言うとったやないかい」
ロズレイドを抱き上げて、白い頭の房に鼻を寄せる。山田はその香りを存分に楽しみながら、言ってきた。
「この子と一緒なら、楽しそうやもん。皆で行こ。な?」
「…」
少し、我に返る。自分は今まで何を言っていたのだろうかと、後悔の念が湧いてきた。だが、どこか諦めの部分もある。ロズレイドの態度が気に入らないのは確かだ。自分が今まで心血注いできた趣味をけなされたとあっては、ここでやめるわけにもいかない。
何か別の思いもあるような気がしていたが、それ以上考えるのもやめた。
ロズレイドはここに来た時のいつもと違う雰囲気をすっかり払い去り、ベランダの縁に飛び移った。山田に頭を下げる。
そして数秒間ジョージと目を合わせてから、外に向かって飛んだ。
ほとんど、心配はしていない。二階部分から降りた彼女は、地面にしっかり着地している。それからとたとたと大通りの方へ向けて走っていった。
結局何のために来たのかはわからなかったが、あれに対する苦手意識が少しだけ薄れているのを自覚していた。避け続けることはできないのだ。ガンツのゲームが始まったら、いやでもその姿を見ることになる。
それからインターフォンを掃除するのに二十分かかって、やはりいけすかない植物だと思い直した。
◆
シロナはその場に腰かけた。少し風が強い。髪を耳に掛けなおしてから、話を再開させた。
「どういうこと?」
岡もまた一服していたようで、その問いかけを無視していた。だが煙草の先端をガブリアスによって削り取られ、一本丸ごと投げ捨てる。
彼女の隣で柵に寄りかかった。
「まんまや。三回前、そうやな。お前が初めて来た時の前。俺は七回目の百点を取った。当然二番、強い武器を選んだ。でもサナダ星人の時、頼んでた武器とやらは来なかった」
その言葉を、一つ一つ理解していく。
「初めは、ガンツらしいミスかと思ったんや。ムカつくけどな。けど、段々とお前を見て別の考えが浮かんできた。タイミングもちょうど良い。俺が求めた強い武器っていうのは、お前とポケモンのことだったんや」
「そんなの…」
岡は、ガブリアスを指差す。
「つまり、最初からこいつも他のポケモンも、俺のもんやったってことやな。余計な遠回りしてたわ。しょうもな」
「そんなわけ、ないでしょ」
「態度、改めた方がええで」
指先の方向を、シロナへと変えてくる。
「お前も例外やない。俺のもんや。よく考えたら、俺は天使やな。主人に堂々と逆らってるのに、お前を罰しなかった。もっと感謝してくれな」
「冗談は、もうやめて」
シロナは立ち上がる。長々と息を吐き出しながら、横目で岡を睨みつけた。結局取って付けたような屁理屈を並べ立てるだけだ。少しでも期待をしていた自分が馬鹿らしかった。どうして、楽になれると思ったのだろう。この男から、まともな慰めなんて出てくるはずがなかった。
「じゃあ、別の考えもある」
岡はたいして真剣でもなさそうな口調で続けた。
「お前が二人いるっていうのは、確かな事実。原因は、ガンツのミス。お前が確かに死んだと認識して、再形成した。けど、実は死にきれてなかったということや。判断を誤った。SFみたいな話やな。自分が、同時に二か所に存在している」
シロナは、何も答えなかった。何の言葉も浮かばない。
「お前、生きづらそうやな」
「…何ですって?」
「これまで言った考え全部、間違ってる可能性もある。逆に一部は正しいのかもしれん。つまり、何もわからないってことや。いくら考えても答えの出ないものに、よく構えるな。俺だったら二分で発狂して、首吊ってるわ」
「貴方みたいに生きられたら、誰だって苦労しないでしょうね」
岡は欠伸をしてから、空を見た。
「薄いな」
「なに?」
「何も考えてないやろ。実は。まともな思考してたら、よく知りもしない他人の生き方を羨むこともない」
「貴方、大丈夫? 言葉のあやにもそうやって反応するのね。生きづらそうで何より」
「…」
「…」
シロナが最初に顔を背けた。
「お前って、ちゃんと働いてたんか?」
「はい?」
「あっちでは、何の仕事をしてた」
「考古学者。この子達ポケモンの研究よ」
「確かに、研究のしがいはありそうやな。正直どんな猛獣よりも使えそうや」
「貴方みたいに考えていた人たちの集団を、協力して潰したこともある」
「へえ。あっちの学者は警察紛いのこともするんか」
「ちゃんと、研究もするわ。ポケットモンスター。その名称の起源も探っている」
「どうせ誰かが適当に名付けたんやろ。もろ英語入っとるやんけ」
「それが、わかってないの。古くからある名家の一つが起源を主張していたけど、少し前に真っ赤な嘘だとばれた」
「馬鹿なことする奴もいたもんや」
それから少しの間、沈黙が続いた。
シロナは不思議に思う。いつの間にか、自分の肩にかかる重みがなくなっている。もちろん問題は変わらず立ちふさがっているが、過剰にそれで落ち込む気分ではなくなっていた。人との会話が一番の薬なのだろうか。あまり、それを認めたくはなかった。今だけは。
顔を上げる。
「そっちは?」
岡が柵から離れていた。
「貴方の事情、まだ聞いていない」
「何がや」
「ガンツの戦いをずっと続けている理由」
「話したやんけ」
彼女は首を振ってから、しっかりと相手の瞳を覗き込んだ。
「もういい。嘘はたくさん。本当のことを話して」
「俺の職業からでも、わかるやろ、生真面目なんや。最後まで続けるだけ」
「再生のことについて、詳しそうだったわね。ガンツのミスっていう仮説も意外と筋が通っている。まるで、一度経験したことみたい」
ある程度確信を持って言っても、相手は最初崩れなかった。無言のまま、何の感情も顔に出さず、前を向き続けている。その横顔をじっと見つめ続けていると、岡は目をつぶりながら頭をかき始めた。
「女っていうのは…」
「私だけ事情を話すのは、フェアじゃない。生真面目な勤め人なら、ちゃんとしなさい」
「うるさいわ」
それからしばらく黙った後、岡はまるでそれが些事であろうかのように言い始めた。
「連れの女がいた。車の事故やった。それで二人同時に、ガンツに呼ばれた」
「そう」
「で、案の定天才の俺だけが残って、そいつは死んだ。その時の俺はまだ、色々と体裁も考えていたんや。相手の家に不信を抱かれたら、面倒になる。だから初回で百点を取って、そいつを再生させた」
岡は肩をすくめる。
そして、つまらない冗談を言うかのように苦笑した。
「それは、間違いだったわけや。俺の方は完全にお陀仏やったが、女は違った。かろうじて、病院で蘇生されていた。どうなるかは、わかるやろ?」
シロナは、頷いた。
「まあ、最悪から一歩手前くらいのことにはなった。再生された女と、まだ生きていた女、二人が殺し合った。お互いの存在に耐えられなかったんやな。で、その責任を負わされそうになった俺は、少し出世コースから外れて支店の窓口担当になっとる。泣けるやろ?」
「なかなかよ。上手い作り話ね」
岡は表情を消した。そこでようやく、シロナの顔をまともに見てくる。
「なんやと?」
「真実も混ぜてあるから、真に迫っている。でも、正直に言いなさい。その女の人は、貴方の婚約者だった。違う?」
無言。
「大事な、人だったんでしょう? 許せないわよね。私だったらこう考える。星人もガンツも、どっちも悪いと。だから、最後まで生き残って目にものをみせてやる。そう、考えた」
「お前って、妄想が大好きなんやな。確かに、そういう仲ではあった。でもな、いわば政略結婚や。銀行がらみのな。お互い割り切った関係だった。そんな奴の無念を晴らすために、続けられるわけがないやろ」
「それならどうして、指輪を今でも大事に保管してるの?」
今度は、ごまかせないようだった。
目をいつもより少しだけ大きく開いて、何かを話そうとする。だが、声には出なかった。ただ視線だけは、疑問の念が強く表れている。
「車の棚に、あるんでしょう?」
「お前…」
「あの時、ミカルゲが教えてくれたの。一番奥に、しまってある。情の無い関係だったら、そんなのすぐ捨てるわよね?」
「……お前みたいな女がたくさんいたら、男は皆窒息して死ぬやろうな」
冗談も、いつものような調子がこもっていなかった。煙草の箱を確かめて、もはや一本も残っていないことに気がついたらしい。最後の一本だった残骸を身下ろしてから、シロナの方を向いてきた。
「小さい頃から、知ってたってだけや」
「幼馴染ね。…ごめんなさい、少し踏み込み過ぎたかも」
「俺を、悲劇のヒーローに仕立て上げたいのはわかった。でもな」
人差し指で、シロナの額を弾いてくる。ガブリアスが少し威嚇をした。
「状況だけなら、お前の方がよっぽど悲劇の主人公って感じやな」
「そうかも」
手を伸ばし、カブリアスの頬を撫でる。そのくすぐったそうな様子を眺めていると、これまでの苦しみが縮んでいくような気がした。
「戻らないと。貴方も乗って」
「もうええんか?」
「ちょっと、楽になった。長い話に付き合ってくれてありがとう」
「謝礼はそいつでな」
「はいはい」
来た時よりも少し速度を上げたが、結局岡は変わらず平常心を保っているようだった。いつかその表情を揺らしてみたいという思いが湧く。ルカリオに不意打ちでもさせようかと、遊び半分に考えていた。
路地裏、人気のない所に降り立つ。そして通りに出ると、何やら大きな騒ぎが起きていることに気がついた。
バイクの音が、近づいてくる。
シロナの前に止まると、京は汗をだらだら流しながら、席から降りた。よろめいて倒れかけたが、ミカルゲのサイコキネシスによって支えられている。彼らを追いかけてきたようで、警察のパトカーが数台、通りの奥から向かってきていた。
人混みの中から、ミロカロスが這いずってきている。彼女は少し疲れているようだった。その背に桑原を乗せているせいでもあるかもしれない。
「姉さん!」
杏が、走ってくる。トリトドンを持ちながら。その後ろには、トゲキッスと中山が並んで向かってきていた。一番後ろの室谷は、とても面倒そうだ。
「俺やって!」
「俺や。俺が最初に見つけた。だから飼う権利は、俺にある」
「なあ、ドックフードとかでええか? 魚も食べる?」
何やら聞き憶えのある三人組の声と共に。
ルカリオは耳を塞ぎながら、困り果てて歩いてくる。
シロナは、少しだけ我慢をしようとした。唇を固く結んで、顔に力を入れる。何とかして、こらえようとする。
そして、ロズレイドが目の前に現れた。真っすぐシロナの腕の中に飛び込んでくる。
大きく深呼吸をしてから。
結局、涙がこぼれ落ちていった。
声をかけられて、自分が把握していなかったことを認識した。
シロナはもう一度訊き返す。
後ろの方で働いている作業員に声をかけてから、現場監督は平然と言い直した。
「だから、あともうちょいで終わりや。こことは別の担当に俺は移る」
「それは、つまり」
「元から短期のやつやったやろ。ちゃんと募集要項に書いたで。お前らバイトは全員、契約終了や。クビやな」
まるで面白い冗談をかましたかのように大声で笑う彼に対して、彼女は難しい顔をしながら考え込んでいた。
つまりもう少しで、自分は再び無職に戻ってしまうのだ。
「どうしましょう」
室谷はさっさと帰ってしまったが、まだ残っている同じ立場の相手にこぼす。
「何がやねん」
京もまた、準備を終えかけていた。だがまだ何かやり残したことがあるのか、シロナが着替え終えてもまだバイクの前にいた。
「ちょっと、考えましょう。次の職場」
「関係ない」
「きみも、クビになるでしょ」
席に寄りかかりながら、彼は口を吊り上げた。
「困るのは、そっちだけやろ。俺は別に金なんて稼がなくてもええ。貯金はある」
「そうなんだ。何かに使うの?」
意気揚々と話そうとして、途中で京は妙な顔になった。まるで何かに化かされているような顔になってから、苦々し気に表情を歪める。
「それも、関係ないやろ」
「きみは知ってる? 身分の証明とかなしで、働けるところ」
「知らんわ。どんな職場や」
「うーん」
シロナが唸っているのを、京はしばらく黙って眺めていた。その視線を最初彼女は気にせずに思考していたが、段々とそうでもなくなってくる。会話は一旦終わったはずなのに、行こうとしないのを不思議に思った。
「なあに?」
「探すか?」
「うん?」
京は口を曲げながら腕を組んでいた。
「俺も、バイトしないのは不安や。将来を考えると、貯金はいくらあっても足りん」
「よく考えてるのね」
「そういうの、やめろ」
シロナが瞬きすると、咳払いをしてから続ける。
「お前のその、十歳かそこらのガキ相手にする時みたいな態度、不快やねん」
「ごめんなさい」
彼女としても、指摘されて気づくことはあった。少し世話をした手前、いつの間にか彼のことをポケモンのように扱っていたのかもしれない。シロナは自分が親のような真似をしかけていることにも気がついた。まだ自分はそこまでの歳ではないはずだと、思い直す。
「ちゃんと、対等だと思ってるわ。きみのこと」
「それでええ。じゃあ…」
「きみに頼るのは、良くないわね。ちゃんと自分の事は自分でやらないと。ありがとう。話を聞いてくれて、助かったわ」
素直に頭を下げてから、帰路につく。
何か用のありそうな声がかかったが、既に思考に沈んでいるシロナには何も届いていなかった。
ルカリオの拳を、ぎりぎりで避ける。
返しで回し蹴りをしたが、相手に完璧に読まれていた。
シロナは何とか飛んで対応しようとしたが、見事に足払いにかかる。たとえスーツで増強されていたとしても、相手の重心の崩しは受けきれなかった。倒れてから、ルカリオの肉球がちょんと鼻先に当たる。
両手を挙げて降参を示してから、今の流れを再確認した。やはり、まだまだ甘い点がある。
かくとうタイプの使い手は、トレーナー本人も鍛える傾向にあった。昔、シロナはそれを真似して、自分のポケモン達の中に混ざって訓練をしたことがある。その時の反省を生かして、今まではしっかりと線引きをしていたのだが、これからの戦いではそうも言ってられなくなると思っていた。
たとえスーツを着ていても、まるでルカリオやガブリアスにはかなわない。やはり人とポケモンにはそういう面で隔絶したものがあると感じた。だが、せめて一緒の戦場に立っても足を引っ張らない程度の動きには到達したかった。それが、義務だと考えている。
汗を拭いてから、夜の公園を後にした。
アパートに戻り、生じた問題の対応をする。
杏に相談の場を持ちかけた。シロナとしては、また新しい仕事を見つけるまでの間頼らせてもらうという旨を伝えるだけのつもりだったが、相手側はもっと真剣に考えてくれているようだ。
「こっちの仕事、手伝わへん?」
「でも、やっぱり無理かも。迷惑、かけるから。私本当に下手だもの。まだルカリオの方が上手いわ」
翔の相手をしている彼は、自分の名前が出されて少しだけ耳を動かした。それを見てから、杏は腕を組む。
「でもなあ、ちょっと考えたんよ。絵方面じゃなくてな、別のサポートをしてくれるだけもええ」
「というと?」
「ちょっとな、考えがあるねん。姉さん、頭ええやろ。物語を考えるのも、いけるんとちゃう?」
「うーん」
論文を読むことなら得意だ。そして、散文作品もいくつか読破してはいる。だが、自分で一から組み立てるとなると、さすがに自信がなかった。
「うちな、ちょっと夢があるんよ。今もな、楽しい。漫画作って金もらえるなんて、ありがたいと思ってる。でもな、いつまでも女の裸とか、えっちを描き続けるのも考えものや」
「そ、そうね」
「普通の話もやってみたいんや。でも、絵とは違って。話はてんで駄目やねん。何回か賞に応募したことあるんやけど、ぼろくそやった」
「たとえば…、いい話の種があればいいのね」
シロナは提案をする。
「自分に起きていることを、題材にしてもいいんじゃない?」
「ああ…」
「えっと、ガンツのこととか。ある意味、どんなフィクションよりも貴重な体験をしていると思うの。それを上手く脚色すれば…」
「でもなあ」
杏の気持ちはわかっていた。シロナも、本気で言ってはいない。
「怖いねん。描きすぎたら、消されそうな感じがする」
「確かに。設定は面白そうだと思ったんだけど」
「うーん」
しばらく考える時間が続く。
シロナも、決して楽観視はしていなかった。今のバイトを見つけられたのが、奇跡なのだ。他で同じような条件で雇ってくれるところなど、そうはない。内容を考えないのなら、そういう店で働く道もあるのだろうが。それは本当に追い詰められたときの最終手段にしようと考えていた。
ベランダに置いてある、ビニール製の器でできているプール。そこに辛うじて収まっているミロカロスを眺めて、杏は急に両手を叩いた。
「これや!」
そのテンションの変わりように引いていると、シロナの手を握ってきた。その目は、いつもとは違う輝きで満ちている。
「騒ぎになったやろ。そこに関しては、良かったかもしれんよ。ぐふふ…、駅前はさすがに迷惑やろうから、もっと大きな広場やな。上手くいけば、テレビにも出て…、姉さんも綺麗やし。そこは万人受けも……」
絶対にろくでもない案だと感じていたが、杏の考えは意外と受け入られるものだった。むしろそれは、シロナの漫然とした将来の意識とも合っている。
思い切ってみるのも、いいかもしれない。
見物客の中で一人だけ、目つきの鋭い男がいた。
緑が基調の、複雑な模様の入った服を上下に身に着けている。どこかの集団に属していることは確かだった。
「自衛隊や。最近出動が多くなってたからなあ」
杏が解説してくれる。
どうやら、自治部隊の一種らしい。確かに、その服を見かけることはちらほらあった。最近は、物騒なニュースが続いている。実際に、民間人にも被害が出ていることもあって、警察だけでは対応しきれないこともあるのだろう。
最近では、池袋の事件が印象的だった。
黒いスーツを着た者達が、怪物と戦い、勝った。
噂によると、その中にはあの有名なレイカも含まれていたらしい。ゴシップ好きではない者からしても、興味深い事案なのは確かだった。
影響は、確実に表れているとシロナは確信する。自分達があの角の星人を倒したことは、完全になかったことになっているようだ。代わりに、東京のチームが成し遂げた。全滅することもなく。
若い、学生らしき男の顔を思い浮かべる。過去で助けた彼が、上手くやったということだろうか。そうであることを願いながら、ミロカロス達に指示を出す。
杏の提案は、ポケモンを見世物に使うことだった。もしかすれば、それをよく思わない自分もいたかもしれない。だが、今はまた違った観点で物事を見始めている。
この子達は、星人でも、怪物でもないのだ。人と共存していける可能性を持っている。だから、こうして公衆の面前で披露することで、広まっていけばいい。ポケモンが、自分の家族がどれだけ素晴らしいか。
ミロカロスが空中に輪を作る。水の部分が太陽の光できらめいて、何人かが歓声を上げた。同時に、設置された缶の中にお金が次々と放り込まれていく。最初は遠慮がちだったが、途中から杏は喜びっ放しだった。もちろんシロナは儲けのいくらかをちゃんと分けるつもりでいるが、杏はわかっていないのか、時々申し訳なさそうに静かになっていた。
人々の驚嘆を前にしながら、シロナは考える。
もしかすれば、戻れないのかもしれない。ずっと、この世界で生きていくことになるのかもしれない。
だが、それでもよかった。痛感していた。居場所とは探すものではなく、自分で作るものなのだと。家族に会えないのはもちろん辛いが、乗り越えていけるという確信もあった。シロナ自身、この街を好きになり始めていたからだ。
それに、杏達を放っておくわけにも行かない。まずはガンツがらみのことに決着をつける。それからどう生きていくべきなのか、模索していこう。
緩やかな決意をして、シロナは心からの笑顔をポケモン達に向けていた。彼らもそれに答えて、最高のパフォーマンスをする。ポケモンコンテストには出たこともあったが、その時よりも楽しそうだった。
◆
作業員の不満を和らげるために、自分から率先して仕事をこなしていく。元気な者は全くいなかった。誰もが、体力の限界に近づいているらしい。
「何やあれ」
一人が指を差してそう言ったが、そこに顔を向けても何もなかった。
「サボる口実か?」
「違いますよー。何か、変な生物が見えた気がして。絶対におかしい」
「終わりやん。お前、幻覚まで見え始めとるやんけ」
今日はまた一段と、作業が多かった。
それはほぼ確実に、優秀な人材が三人ともいないからだろう。彼らは疲れを知らない。上手く演技しているようだが、現場監督である土谷にとっては看破も容易かった。本当はもう少しそのからくりについて理解したかったのだが、彼らは全員、示し合わせたように休んでいた。
「どこに飲みに行くかなあ」
ロッカー室に入ると、既に他の者達も着替えていた。
「監督。またあの店ですか?」
「ええやんけ。良い子がいるんや」
「俺、パスで。今日は寝たいっす」
「まじかいな。新田、お前は」
「うーん。そうですねえ」
彼が悩んでいる様子を見ていると、突然腹に衝撃が来た。
土谷は、自分の体に刺さっている刃を見る。それは、小型のナイフのようだった。
「俺は大量の退職金がいいですね」
部下であり、一時的な同僚だった新田が、にたにた笑っている。そして武器を構えているのが、彼だけではないことに気がついた。
土谷は、膝をつく。彼を他の全員が囲んだ。
「体よく働かせやがって」
「さっさととるもん取ったら、逃げるぞ」
「おい、こいつからケータイ取れ。通報されたら厄介や」
他の所で、そういう事件が起きているのがわかっていた。だが、得てして人間は他人事が好きな生き物なのだ。手遅れになったその時まで、まさか自分がそんな目に遭うなどとはまるで考えない。備えようとしない。
「やめてくれ…、頼む」
「さようなら、監督」
土谷に向けて、ナイフが振り下ろされる。
組織的な強盗に対して、なすすべが無い男の姿だった。肩が斬り裂かれて、血が噴き出ていく。土谷は地面に転がって、見下ろしてきている男達の瞳を捕らえていた。醜い、人間達のさまを視界に収めていた。
地下への道が、開かれる。
歩きながら、滴る血を拭っていた。
既に土谷の姿は変化し始めている。作業着は溶けるようにして腹の中へと吸い込まれていき、厚い胸板が縮んで、代わりに胸のあたりが盛り上がり始める。まあまあ大きさに自信のあった男性器もなくなっていった。
妖艶な細目を開け閉めしながら、女は地下の空間で一番高い場所に座った。
周りでは、食事がすでに終わりかけている。
翼を生やした、天狗のような怪物。それが作業着を着た人間を貪っていた。反対側では法衣を纏った犬が、長い手を使って丁寧に体を裂いている。そして大きく口を開くと、死体に握られていたナイフごとかぶりついた。普通に胡坐をかいていて、まるで二足歩行でもしそうな犬だった。
女は、頬杖をついてから、静かに言う。
手始めにこの地を、制圧すると。
まるで老人のような、低い声だった。音量は小さかったものの、全員に等しく伝わる。それは声質のおかげではなく、ただその存在が放つ圧倒的な圧によって、遠くの方にも言葉が届けられていた。
そうとしか表現できないほど、多岐にわたる化物達が、空間にはひしめいていた。全員が主に向かって頭を垂れ、拝聴している。そのほとんどが、言い伝えが残っている存在だった。
女が邪悪な笑みと共に、短く言う。それはただの命令だった。同族以外の生命を、全て貪れという。
答えは、様々な鳴き声だった。そのどれもが、狂喜している。ついに、雌伏の時が終わったのだと。自分達の時代がやってくるのだと、実感している。
女もまた、少し楽しみにしていた。
今までどんな場所を滅ぼしても、相手になる存在はいなかった。だが今回は、違うかもしれない。もしかすれば、胸の躍るような戦いができるかもしれない。
小さな期待をしながら腕を振るう。その合図に合わせて、化物達は移動を始めた。律儀に並び、地上への階段を上っていく。
暴虐が、始まろうとしていた。
次回から、地獄のぬらり編が始まります。
登場キャラクターも一気に増え、また原作とは別物の展開になっていくと思いますが、これからもお付き合いいただければ幸いです。