男のシャツを引き裂く。それをサイコキネシスで器用に動かしながら、自分の片目に巻いた。
「八千円した。弁償しろよ」
「ワウ」
「おい、こっちの血もそれで止めてくれ」
今、敵の襲撃が来ないのは幸運だった。ルカリオも、ヒカワという男も傷ついている。血もそれなりに失われていたので、万全の動きができるかどうかは怪しかった。
布をさらに破って、ヒカワの手に巻いた。本当はもっと丁寧な処置をする必要があったが、そうする前に彼は立ち上がっていた。
ルカリオは、意外と落ち着いている。自分では、かなわなかった。あの狐の女は、元から自分達を殺すつもりがなかったようだ。合格、と言ったきりどこかへ行ってしまった。それを追いかけられるほど、傷が浅いわけでもなかった。
強い、と感じる。少なくとも今のままでは歯が立たない。ミカルゲなどの他のポケモン達と協力しなければ、危ない。早く合流しないと、全滅する可能性もある。
ルカリオは歩き出し、ほどなく止まった。
立ち止まったままでいるヒカワの方へと振り向く。
彼は、黒い刀を握っていた。元々持っていた武器は狐女によって破壊されている。だから、木村が持っていた武器を拾ったのだ。
「これ、伸ばせるんだろ。どうしたらいい」
思い返す。その刀は、シロナも使っていた。扱いを練習していた場面を何度も見ている。その記憶に従って、ルカリオは柄にある白いボタンを示した。
ヒカワはそれだけで理解したようだ。段々と、ルカリオの身振りから多くをすくい取るようになっている。
さっさといくぞ、と腕を伸ばす。
だが、相手は相変わらず止まっていた。
「ウ?」
「あ? なんだよ。勘違いしてるだろ。なんで俺がゴキブリどもの仕事を手伝わないといけない? 勝手にやってろ。後は知らねえ」
もしかして、怖気づいたのかと煽ることもできる。だがルカリオは黙ったまま離れていく背中を見送っていた。おそらく、ここから先は非常に厳しい戦いになる。嫌々一緒に戦われても、困ると考えた。
通りの角に曲がっていくのを確かめてから、踵を返す。とりあえずはシロナとの合流が最優先だった。彼女を目指せば、おのずとその傍にいるであろう杏の安否も確認できる。
顔を思い浮かべていると、足に力が宿った。早足になりながら、静寂が訪れつつある街を進んでいった。
◆
川の一部が、凍っていく。
突如として水中にできた透明な壁に、多くの個体が止まることもできずにぶつかった。そうして隙ができた所に、ミロカロスはさらに氷の線を吐き出していく。
水の中では、彼女を捕らえられる存在などいなかった。地上においても、発射されるのを見てからZガンの範囲をぎりぎり抜けられるくらいは動ける。それが自らの得意なフィールドになると、信じられないくらい加速していた。
彼女が、川から来た化物のほとんどを処理していた。そちらは問題なさそうだ。
確認をしながら、ジョージはしがみついてきた小人のような化物を殴り飛ばした。
「数だけやな、こいつら」
囲まれているというのに、話す余裕もある。事実、相手のほとんどはジョージ達に近づけもせず倒されていた。
桑原の斬撃をかわした個体に向かって、Xガンを撃つ。それがはじけ飛ぶのを確認すらせず、側面を突こうとしてきた敵を斬り裂いた。
背後で、呻き声が上がる。
ジョージに飛びかかろうとしていた個体が、ロズレイドに撃ち落とされていた。わざわざ顔を向けることはしない。どうせいけすかない表情をしているに決まっているからだ。
「伸ばす。伏せろ」
ジョージは柄のボタンを押しながら、全力で横に振るった。手応えが連続していく。周りを囲んでいた化物達の胴体が、一瞬で寸断された。
桑原が二匹の小人をまとめて突き刺した後、息を吐き出した。
「まあまあ疲れたわ」
「前座でそれやと、死ぬで」
「やかまし」
彼らの前に、一体が降り立った。
ジョージが鼻で笑う。
「お前だけか? 舐め腐ってるな」
白い衣装の裾を揺らしながら、犬は黙って見下ろしてきている。他の星人達とは、雰囲気からして違うのがわかった。大幅に個体を減らされたのにもかかわらず、少しも動揺していない。
そのさらに後ろの方で、老人が足をぶらぶらさせていた。それは参戦する意思がないようだ。首を傾げながら、呑気に眺めている。
ジョージは構えた後、口を動かそうとした。
俺がやる。
そう言うつもりだったのだが、急に先ほどの光景がフラッシュバックした。同じことを言って、あっという間に殺された室谷の姿。彼とは違い、ジョージはまだ冷静な思考ができていた。
「さっさと倒すで」
横の者達に笑いかけながら、既に腕は動いていた。
縦の軌道で、刀が走っていく。
相手の犬は、足を横にずらしてそれをかわした。かなり俊敏だ。
桑原の横の薙ぎ払いを、飛んで避ける。
それに合わせて、ジョージは突きを入れた。
駄目押しとばかりに、ロズレイドが光弾を発する。
その全てが、防がれていた。犬の体にすら、到達していない。不可視の壁に当たったかのように止められていた。
犬が前へと飛ぶ。
同時に、ミロカロスがれいとうビームを発した。だが、それも同じだ。足を狙っていたものの、当たらない。外れてはいなかった。着弾する前に弾かれている。
犬の右手がぶれた。察知したジョージは、とっさに身を引く。
頬が裂かれる。
ガンツスーツは耐衝撃機能がある。だが、斬撃には弱いという性質も持っているのだ。
はためく衣装の中から、刃が伸びていた。犬の腕には、あるべき手がついていない。細長い剣先のようなものが、代わりに取り付けられていた。
「当たるな! もってかれるで」
桑原との連携で、徐々に相手を追い込んでいく。突き出された刃をかわし、伸びた腕を叩き切ろうとした。だが犬の目が細まると、ガンツソードは容易に弾かれてしまう。
体を捻りながら、桑原はこちらを見てきていた。やばい、という意味だ。このままではじり貧だった。ダメージを入れられないまま、こちらの疲労だけが溜まっていく。
本当に、今回は今までとは違うようだった。戦っている感触からして、この犬も百点なのかもしれない。それだけの星人が、複数揃っているのだ。
関係ない、とジョージは歯を食いしばる。たとえ百点だろうとも、二百点だろうとも、自分なら勝てると言い聞かせていた。
エナジーボールというらしいわざを弾かれたロズレイドは、直接相手に向かって毒の鞭をしならせた。だが、その先端分が切断される。
「おい!」
Xガンを連射する。犬は機敏に動きながら、時折素直にその射撃を受けていた。相手の体に変化はない。この武器も効いていないようだ。
だが、おかしな点があった。本当にどんな攻撃も無効化できるのなら、回避すらしなくていいはずだ。だが相手は時折その行動を挟んでいる。
つまり、限界があるということだった。無限に防げるわけではないのだ。防御ごと体を破壊できるような一撃を叩きこめば、活路を見い出せる。
桑原とミロカロスが注意を引いているのを見ながら、隣に立ったロズレイドへと素早く言った。
「あれやれ。大仏の時の。ぶっといビームや」
ロズレイドは空を差してから、難しそうな表情になった。正確には薄く出ている太陽を示しているようだった。ジョージは冴えた思考を進めていく。陽光の力を利用するということなのだろうか。そして、仏像の時のわざを思い返す。溜める動作をしていた。すぐに放てるというわけではないらしい。
「俺らが時間を稼ぐ。やれ」
指示を出して、返事も聞かずに走った。
背後から刀を伸ばしても、無意味だ。その犬の背中へと到達する前に、止められる。気合を上げて押し込もうとしたが、それが間違いだったことに遅れて気がついた。
何とかぎりぎり下がったが、腹に熱を感じた。
スーツが裂かれている。幸い浅い傷ではあった。
「ダンナ!」
桑原の叫びで、動揺から立ち返る。
気がつけば、大きな口が迫ってきていた。
「うおっ」
横に飛ぼうとしたが、間に合わない。あっさりとジョージは咥えられていた。
秒殺だ。
まさか自分が、という思いが一瞬だけ強くなった。だがすぐに刀を逆手に持ち直し、思いっきり振るう。首を狙った。
だが、相変わらず弾かれる。
今の所、犬の牙をスーツが防いでくれている。だが、いつまでもつかはわからなかった。既にその圧迫によって、かなり苦しくなってきている。
口の端から、涎がこぼれた。息ができない。段々と、力が入らなくなってくる。
自らの体を噛み潰そうとしていた圧力は、直後消えていた。
何とか地面に着地する。
見れば、犬はジョージを吐き出して上へと飛んでいた。
思わず舌打ちをする。どうやら、ロズレイドの姿もしっかりと目にいれていたらしい。彼女が必殺の一撃をしてくることも理解していた。
ロズレイドから放たれた太い光線が、犬の足元を通り過ぎていく。その瞬間、敵は明らかに笑っていた。ジョージ達を嘲笑っていた。
外れた。
そう思った時、犬の腹に大穴が空いた。
貫通したソーラービームが、橋の方へと飛んでいく。そして当たる前に消失していった。
「ミラーコート。やったか?」
桑原が煙草を咥え直していた。
彼の前に、ミロカロスが透明な壁を貼っている。かなりひびが入っていた。ジョージもかつて見たことがある。それでZガンの弾を反射していた。
つまり一度外れたビームをあえてミロカロスが受け止めたのだろう。そして軌道を変えて、再び敵へとぶつけた。それにはさすがにジョージも感嘆せざるをえなかった。さも自分の機転だと言わんばかりににやけている桑原のことは、無視する。
だが、直後そういうわけにもいかなくなった。
伸びている光線が、桑原の肩に食い込んでいる。そして、呆気なくその腕を根元から破壊していった。
「グルルルル」
犬が、片目の包帯を外している。露わになった目は、薄く光っていた。そこから出た攻撃が、桑原に致命的な負傷を与えていた。
「また、ビームかいな…」
倒れていく桑原の体を、慌ててミロカロスが拾い上げる。彼女はすぐに口から水の輪を吐き出していた。だが、それで治り切ることはない。出血の勢いが収まっただけで、そのままでは死ぬだろう。
これ以上、そっちへと注意を向ける余裕はなくなっていた。
「くそがっ!」
とにかく移動を続ける。犬は次々とビームを発してきていた。はっきり言って、反則だ。見た目からしてスーツを貫通できることくらいはわかる。馬鹿みたいにまき散らされたら、接近は無理だ。
だが、確実にこちらが与えた傷が響いているようだった。かなりの隙が生じる。犬は膝をつき、顔を俯かせた。血を吐いている。
ジョージは、そこを見逃さなかった。地面を蹴り、一気に接近をする。
その動きに反応して、敵はぎりぎりで顔を上げた。予想以上に立て直しが早い。
そして彼と同時に走ってきていたロズレイドに向かって、目を光らせる。発せられた光線が、彼女の右の花に直撃した。
弱々しい鳴き声を確かに聞く。彼女の花がもぎ取られ、腕の菊の断面から液体がこぼれ出していった。
「…死ね」
ほぼやけくその攻撃だった。どうせ弾かれると思っていた。
だが、もはや防護を貼る余裕もないほど、犬は消耗していたようだ。ジョージのガンツソードが首に食い込んでいく。血を吹き出しながら傷が開いていった。スーツの全身に筋を浮き上がらせながら、刃を進める。
犬の首を両断した後、すぐにジョージは走り出した。
ロズレイドは苦しそうに横たわっている。赤色ではないが、それが彼女にとっての血のようなものなのだろう。少なくない量が地面に広がりつつあった。
「おい…」
どうすればいいのかわからず屈みこむと、突然残っていた方の青花がくっついてきた。そして妙な光を発し始める。
ジョージは、膝をついた。なぜか全身が緩んでいるような心地がした。力が入り切らない。全て外へと放出されていくようだった。
淡い光を発しながら、ロズレイドの花が再生されていく。緩やかだった出血も止まり、傷口があっという間に塞がれていった。
すっと立ち上がった彼女に向かって、へろへろになったジョージは何とか睨みつけた。
「お前、吸い取ったんか」
彼女はつん、と顔を逸らす。
「ふざけんなや! お前、俺の、あれを返せ」
両手の花を震わせて、威嚇をしてくる。その動作で甘い香りがより強くなった。それを嗅いだジョージはぎりぎりで冷静さを取り戻す。
既に水の上に浮かんでいるミロカロスに向けて、顎を動かした。行っていいという意味だ。その背に乗せている桑原を、すぐに他のポケモンがいるところへと運べば、まだ助かる可能性がある。彼女自身もそれはわかっているようで、素早く泳いでいった。
「まだ、やれるか?」
ジョージは腰を上げた。彼の言葉に、ロズレイドは少しだけ鳴いた。当たり前でしょ、とでも言いたげだ。これでもし無理だなんて返事が返ってきたら、先に彼女を蹴り飛ばすつもりだった。自分の何かを吸収したのだから、やれて当然なのだ。
「なんぞ?」
細い老人が、転がる犬の首をの周りを歩いていた。標的の星人。名前は、ぬらりひょんと言ったか。あきらかに、外れの個体であることはわかった。この場には京がいないが、必要ない。点数を確かめるまでもない。もう死んでいる犬の方が強いだろう。
だが、雑魚ではないのかもしれない。油断はしないと、ジョージは刀を構えた。
「なんぞなんぞ。なんぞ、これ」
今度は、ロズレイドの方へと視線を向けてきていた。指を振りながら、左右に往復してぴょんぴょん飛んでいる。
動きはあまり速そうではなかった。
「同時にやる。ええか?」
ロズレイドは腕から葉っぱの塊を伸ばしていた。一枚一枚に何かの力がこもっているようだ。剣のような形に固まり、横向きに構えた。
ぬらりひょんの方も、ゆっくりと近づいてきている。遠距離から何かをしてくる様子はない。ただ興味深そうにつぶやきながら、首を横に捻っていた。
間合いに入ったことを確認した直後、叫ぶ。
「せーのォっ!」
ジョージは縦の軌道。
ロズレイドはその隙間を埋めるように、横の軌道で刃を走らせた。
相手は体を横に回転させる。手を使うことなく、側転をしていた。
「うっ」
怯んではならないと思っても、声は出てしまう。完全に予想外だった。こちらの攻撃が完璧にかわされた。
着地した隙を狙い、ジョージは再び武器を振り下ろす。押してしまうだけ折れてしまいそうな体の老人は、直後急激に縮んでいた。
それによって、ロズレイドの一撃が頭の上を通り抜けていく。さらに同時に体の軸をずらし、ジョージの刀もすかしていた。
即座に連撃を加える。
ジョージが斜め上に斬り上げる。
ぬらりひょんはくるりと回りながら飛び上がった。一瞬だけガンツソードに足を乗せて、さらに軌道を変えていく。
宙に浮いたのを見計らい、ロズレイドがシャドーボールを放った。
「うむ」
何かに納得したような声を出してから、ぬらりひょんは一気に足を伸ばす。元のサイズに戻った体の股下を、シャドーボールが通り過ぎていった。
立った瞬間、ジョージの薙ぎ払いが入る。
先ほどの犬の首よりも抵抗はなく、あっさりと胴体が真っ二つになった。
息を呑む。
空中に浮かんだ上半身と下半身が、形を変えていく。それぞれ小さな老人の姿へとなり、同時に着地した。
ジョージよりも衝撃を受けていないらしいロズレイドが、口から紫色の塊を吐き出していた。それは山なりに相手へと飛んでいき、直前で破裂する。毒の爆弾のようなものだった。
しかし、既にそこには相手がいない。
再び飛び上がった二体が、合わさっていた。そして元の老人に戻ったぬらりひょんは、平然としながら逆立ちをしている。
「そうかそうか」
足をつけると、ジョージ達に背を向けた。どこかへ歩いていこうとしている。まるで彼らへの用は終わったと言わんばかりに。
荒い呼吸を、自覚していた。前の戦いよりもはるかに疲労がたまっている自分がいる。どこかを傷つけられたわけでもないのに、顔から大量の汗が流れ出していた。視界が、揺れているような気がする。
その背中を刺そうとしたところで、目の前に花が現れた。
彼の肩に乗ったロズレイドが、右の赤い花を伸ばしている。ジョージを遮っているようだ。
彼女の口は、明らかに震えていた。目をたくさんに開きながら、何度も首を振っている。やめて、と言ってきているようだった。ここまでそれなりに一緒にやってきた。だから、その感情もある程度はわかる。彼女は、恐れている。既に戦意をほとんど失っているのだ。
そして無理だと、言ってきているような気もしていた。ジョージには、無理だと、もう勝てはしないと決めつけてきている。
彼は、それくらいのことで乱される自分ではないと今まで思っていた。だが、なぜか今だけは頭に熱が上ってきていた。ロズレイドにそう思われたという事実が予想以上に自身の心へと作用したようだ。
「舐めんな」
彼女を払いのけて、叫びを上げる。
意識の集中。それがガンツスーツの力を引き出すうえで大いに役立つ。最大の出力を意識しながら、刀を捨てた。線の攻撃が駄目なら、もっと範囲を広くすればいい。全身を使う。
彼女の切羽詰まった鳴き声も気にせずに、ジョージは走り出した。呑気に歩いていこうとするぬらりひょんの背中を目指す。相手はまだ、接近に気がついていないようだ。
両腕を広げ、老人の体へと回した。顔と胴体に手を食い込ませ、抵抗できないようにする。相手はほとんどもがいていなかった。
「捕まえた!」
そのまま、一気に力を込めていく。ぬらりひょんは呻いている。苦しんでいるのだ。このまま肉を押し裂き、逃げられないように破壊していけば、必ず仕留められる。ジョージは会心の笑みをロズレイドに向けそうになった。彼女の鼻を明かしてやりたくなった。
溶ける感触が、する。
既に腕の中の存在は、形を保っていなかった。肌色の塊になると、捕まえているジョージの腕の隙間からでろりと流れ出していく。
彼が驚く声を発する前に、それは女性の体になっていった。分裂し、増殖していく。それらはあっという間にジョージの全身を覆い尽くし、さらに広がっていった。
その柔らかい体に包まれること自体は、天国と言えるかもしれない。だが、徐々に圧力が強まってきていた。首元のメーターが、うなりを上げている。耐久を削られている。限界が来れば、あっという間に全身を潰されるだろう。
暗くなっていく視界の中で、ジョージは何度も声を上げていた。こんなはずではない、という思いが腕に力を取り戻させる。
叫びながら、握っているガンツソードを動かした。とにかく刃を走らせる。目の前を切り開こうと、横へ力を入れた。
だが、苦痛が大きくなってくる。手の力も抜けていき、刀が引っ張り出されるのがわかった。握り続けなければならない。離したら、自分は死ぬ。
結局、武器は外されていった。もはや何もできなくなった彼は、手の先が潰され始めるのを感じていた。それはやがて胸にも到達するだろう。女体に囲まれて圧死するなど、あってはならないはずだった。笑い話にもならない。
最後に思い浮かべたのは、山田や植物のことだった。ゼラニウムの赤い色素が視界を覆う。香りがしてくる。
よく見てみると、それは記憶にあるよりももっと濃い色をしていた。鮮やかな赤の花が飛び出してきたかと思えば、青い花も視界に入ってくる。強烈な香りが、意識を暗闇から引き戻していた。
明るくなる。
肉の壁が、はじけ飛んでいた。
ロズレイドは四方八方に光弾を発している。とても焦った表情で、肉を弾き飛ばしていく。そしてジョージの体に足を付けると思いっきり押してきた。
ふわりとした感覚。
巨大な女体の塊の背中部分から飛び出たようだった。ジョージは何もできずに地面へと転がる。痛みはない。まだぎりぎりスーツの耐久が残っていた。
と、いうのは錯覚だ。どろどろと液体がこぼれだす。手の方に激痛が走っている。確かめるまでもない。
一緒に着地したロズレイドが、ジョージの腕を引っ張ってくる。
「お前…」
自分が情けなくなること以上に、別の感情が湧いてきた。それをちゃんと自覚する前に、ジョージは何とかして自分の足で進み始める。それよりも速いロズレイドは、自らの速度を犠牲にしてまで引っ張ってきていた。
巨大な腕が、降ってくる。
事前に察知していたロズレイドは、振り向きざまに二種類の光弾を放った。エナジーボールとシャドーボールが炸裂し、相手を少し怯ませる。
次の攻撃がやってくる前に、路地の隙間へと飛び込んでいた。
「はな、せ」
ジョージは壁によりかかりながら、何とか前へと進む。嫌な汗が大量に出てきた。片手は完全に駄目になっている。骨がぐちゃぐちゃに折られて、血も止まっていなかった。
ロズレイドは何度も飛び跳ねながら、ある方向を示している。そっちに他のポケモン達がいるのは彼も察せられた。
「わかってる」
彼女は聞く耳を持たない。その瞳が潤んできている。
それを紛らわすために、彼から質問をした。
「お前、はどうや。何ともないん、か」
首を振りながら、少し雫をこぼしていた。
その一生懸命な様子を見ながら、ジョージは理解し始めていた。
今までの悩みが、全て解決した。
結局苦手だったのは。嫌だったのは、この植物ではない。
その主人である、シロナだ。どこか胸がずっともやもやしていたのは、彼女のせいだった。
強烈な、嫉妬。
もちろん普通の植物も反応くらいは示す。水をやり過ぎれば体の色を変えて、異常を知らせる個体もいる。逆にあげないとその身を枯らせて恨みを伝えてくる。だがそれでも、限界はあった。成長が上手くいかない度、死なせてしまう度、ジョージはある種の空想をしていた。
まさに。
笑みがこぼれる。
まさに、これは完成形だった。こちらの言葉を理解する。声を上げて不満を示してくる。表情をころころと変えて、悲しみも怒りも喜びもはっきりと伝えてくる。直接身振りを伴い、こちらに触れてくる。綺麗な両手の花を咲かせながら、今まで嗅いだどんな植物のそれよりも濃い香りを漂わせる。
だからより、シロナへの嫉妬が募った。これに情を深く向けられている対象が変わってくれないかと、心の底で願うようになっていた。
「……最高やんけ」
そう評した言葉は、肝心のロズレイドには届いていなかった。早足で先を進んでいる彼女は時折心配するように振り返ってくる。その揺れる白い房の頭を、何となく見つめた。
「お前、あれか? リボン、とか。抵抗ないんか?」
彼女は首を傾げてから、ジョージの視線に照れたように目を伏せた。
◆
喜びは柄の間だった。
トゲキッスはすぐに苦しんでいるガブリアスへと飛んでいく。そしてしずくをこぼしたが、何の変化もなかった。
「こっちもお願い!」
メガネはただ、呆けていることしかできなかった。まさか、これほどの人数が同じような目に巻き込まれていたとは思っていもいなかったのだ。大阪と東京。二つの地域に住んでいる者達が、この道頓堀で戦争をしている。
酷い怪我をしている者達は、トゲキッスのわざによって何とか一命をとりとめていた。
問題なのは、ほとんど無傷の者達だ。
彼らは一様に苦しんでいる。耳や口から血をこぼして、今にも死んでしまいそうだった。あの石から出ていた毒でそうなったのはわかっていたが。
「どうして、どうして…」
トゲキッスが申し訳なさげに羽を畳む。
シロナの膝の上には、岡という男の顔が乗せられていた。顔色が真っ青になっている。ほとんど呼吸をしていなかった。彼女の涙が頬にこぼれ落ちても、少しも反応を示さない。ガブリアスというポケモンや、大柄な男。そしてあの有名なレイカという女優も同じような状態だった。
「ど、どうすれば。何か、方法が」
残る、一つのボールを握りしめる。自分の窮地を救ってくれた道具だ。触れていれば、きっとまた助けてくれると思い込んでいた。シロナに戻してと言われても、必死になって離さなかった。
だが、何も思い浮かばない。このままでは、多くの味方が死んでいく。
気がつくと、シロナが目の前に立っていた。
彼女は目を赤くさせながら、メガネと視線を合わせてくる。
「賭けるしかない」
「え…?」
「この毒について知ってるのは、作った本人だけ。それに、治させる」
「で、でも」
地面の上に置かれている、赤いボールを見る。今は静かだった。シロナによれば、再びそれを投げれば中身が出てくるらしい。
「そんなことしたら、僕達が、殺されますよ。相手がまともに話を聞くはずがない」
「もしかすれば、違うかもしれない。貴方は正規の方法でボールを投げた。相手はその中に入って、捕獲されるまで出ようとしなかった。わかる?」
「どういう、ことですか」
「契約のようなものが、成立したということ。貴方は、トレーナーになった。そしてそれは貴方のポケモンになった。貴方の指示になら、従うかもしれない」
「ですけど…」
「お願い。このままだと皆が危ない。やってみる価値はある。貴方が危なくなることはない。私が何とかして守るから」
その言葉に、嘘はないように感じた。浮かんできたミカルゲが、シロナのそばで漂っている。その表情も、同じことを伝えてきていた。この場にいる全員が、メガネを見ている。何かが変わってくれるかもしれないと、期待している。
記憶にある限り、彼の人生においてここまで何かを託されたことはなかった。思考が、狭まっていく。どうしたらいいのかわからない、ということはない。既にやるべきことは決まっていた。後は、受け入れるだけだ。もう散々、常識ではありえないことを見てきた。だから不信よりも、皆の命を助けるという使命感の方が勝っていると、自分では思っていた。
「やって、みます」
ボールを拾い上げる。空のそれよりも、重いような気がした。実際は特に変わらないのだろう。それでも、投げるのには覚悟がいることだった。全員の緊張が高まっていく中、メガネは少し臆病な方法でやった。軽い下手投げ。
その軌道が、やけにゆっくりと感じられた。本当はそれが地面に着く前に退散した方がいいのではないかと思っていたが、その思考の間に全てが終わっていた。
よく考えれば、またあの石が出てくるのではないかと気づいた。トゲキッスの上に乗ってたどり着いた時には、そういう状態だったのだ。だからメガネは、それの元の姿について何の事前知識もなかった。
だから、衝撃を受ける。
女っ気のない彼だからこそ、目を背けるという意識すら湧いてこなかった。
「ん…」
光の中から出現したのは、女だ。
尻尾が九本生えている。
前に見た、九十点台の星人だとわかっても、動けなかった。それほど、近くで見た時の美しさが際立っていたからだ。
狐の女は閉じていた目を動かして、まるで最初からわかっていたかのように、メガネへと瞳を向けてくる。
その瞬間、メガネはまた言葉を失っていた。
おそらく、残忍で相いれるはずの無い存在。そのはずなのに、ただ見とれるとは違うような感じで惹き寄せられた。
その長く美しい睫毛を揺らしながら、女は泣いている。
静かな涙だった。