ほとんど、ぬらりひょんの上半身はなくなりかけていた。
垂れ下がる目から、変わらず光線が発せられる。
岡とキュウコンは巧みにそれらをかわしていた。側面へと滑り込み、さらに斬撃を加えていく。両者はかつて戦っていた敵同士だというのに、絶対にお互いの邪魔をすることはなかった。完成された連携だ。
だが、それでも限界は来る。
岡の両足に穴が開いた。
半端に再生されていた片手からも、光線が出ていた。
一人が脱落する。
もう片方の腕も遅々とした速度で出来上がっていき、ぼろぼろな外見にはそぐわない速度でキュウコンの顔を掴んだ。
メガネは、震えながらそれを眺めていた。
いくつもの光が、彼女の顔を貫通する。
そして倒れていく体を、ぬらりひょんは無理やり押し出していった。
これで再び、それの周りには動く者がいなくなった。
が、直撃する。
レイカの狙撃が、ちょうどぬらりひょんの下半身を吹き飛ばしていた。
「ぬ、ぬ…」
明らかに、今までとは違っていた。その再生が始まらない。どうやら無尽蔵に治せるわけではないらしかった。ついに、怪物の限界が来た。
振り絞るような動きをして、ぬらりひょんは背中を震わせた。
翼が、伸びていく。
はためかせて、ゆっくりと浮いた。
「え…」
攻めの動きではなかった。
誰にも向かうことなく、ぬらりひょんは上昇していく。その動きは遅い。だが確実に、こちら側から遠ざかっていった。
それには、別に誇りなどない。敵に背を向けることすら、手段の一つとして考えているのだ。そしておそらく、ぬらりひょんの頭には何の仕掛けも施されていない。ガンツが指定した範囲を抜けようが、咎められることはない。
岡が、辛うじて体を上げる。片足は完全に千切れていたが、それでも、顔を遠ざかる敵へと向けていた。抑えきれない憤怒で、顔を染め上げていた。
「逃げんな!」
息を大きく吐き出しながら、振りかぶる。握っていたガンツソードを、投擲した。その刃は真っすぐ、ぬらりひょんの背中へと定められている。
だが、既に岡も限界が来ていた。
スーツの効力が無くなっている。そのために、腕力が十分ではなかった。スーツで強化された状態なら容易に届いたそれも、敵には届かない。刀の勢いはなくなっていき、やがて落ち始める。
その柄が、誰かによって握られた。
メガネにとっては、知らない男だ。
普通のスーツを着た金髪の男が、ビルの二階部分から飛び出してきていた。そして落ちかけていたガンツソードを拾い上げる。
「ボタンを押して、伸ばすんだったか?」
彼は計二本のガンツソードを持っていた。
どちらも、瞬時に伸びていく。
そして十字の形に動かした。
二本の刃が、ぬらりひょんへと食い込んでいく。その翼も斬り刻まれた。
光線が走ったが、その時には金髪の男は着地していた。すぐに横へと飛んでいる。
「落ちろ」
苦しんでいる加藤の所まで這いずっていた岡は、既に武器を手にしていた。
Zガンを、チャージする。
ぬらりひょんも、わかっていただろう。指定された座標から抜け出そうとしていた。
だが、遅い。
やってきた重力の塊に押されて、あっという間に地面へと叩き付けられた。
メガネはただ静かに泣きながら、見ていた。
岡の叫びを。
魂のこもった、咆哮を。
連発で撃ち込まれていく。橋のあちこちに、穴が開いていく。衝撃が下にまで伝わり、川が大きく波打った。
それでも、岡は続けた。
指が動かなくなるまでトリガーを引き続けた。
誰も言葉を発さない時間が、しばらく続いた。
何も動かない。
敵が復活する気配がない。
「どう、して」
メガネは呆然としていた。
彼はまだ、ガンツの戦いの経験が浅い。それでも、わかっている。戦いが終われば、おそらくあの部屋に戻される。そのための転送が始まるはずなのだ。
だが、何も起こらない。
ぬらりひょんは明らかに滅ぼされたのに、静寂が続いていた。
下りてきたレイカが、途方に暮れたようにしゃがみ込む。
「ガンツ! 早く! どうして、転送してくれないの…」
「決まっとるやろ」
メガネの前で、着物が揺れた。
キュウコンは微笑みを向けてきている。
その意味を知って、メガネは首を振っていた。
「いや、それは…」
「主様、命令を」
「でも、だって。お前は一緒に。別の、方法が」
「最後まで、しょうがないヒトやなあ」
キュウコンは次々とむしり取っていく。自分の尻尾を破壊していった。そうして、自らの再生能力を殺していく。じわじわと命を削った。
最後の一本を握りつぶした彼女は、膝をついた。
メガネは、ようやく自分の中にある苦しい感情を認めた。引き裂くような罪悪感がどっとあふれてくる。
「ぼく、僕のせいや。僕なんかが、お前達を捕まえたせいで」
「うちは、敵だったんやろ? なしてそないな顔するん?」
「でも、洗脳みたいなもんやった! あのボールで、お前を…。利用して。ごめん、本当は嫌だったんやろ? 最後まで、こんな……」
キュウコンはメガネの頬を手で撫でた。
それから、顔を近づけてくる。
耳に口を付けた。
「夢にでも化けて出たるわ。来世で会えたらええなあ。さいなら」
彼女は剣を拾い上げて、最後にメガネへと満面の笑みを向けた。
勢いよく、刃が振るわれる。
目は逸らさなかった。その首が斬り裂かれるのを、ちゃんと見届けた。
口を押さえながら、視線を動かす。
「うう…」
既にレイカの頭が、消え始めていた。
これがつまり、転送ということなのだろう。自分もやがてそうなるということは、メガネもわかっていた。
泣き叫ぶ声が、聞こえる。
杏がシロナとルカリオの遺骸にしがみついていた。ここから離れたくないという思いで、転送に抗おうとしている。だが、無駄に終わるのは明らかだった。
シロナの死に顔を見る。彼女の言葉を、思い返す。
確かに、自分は責任から逃げていた。オニテングや、キュウコンの気持ちから目を逸らすばかりか、信じようともしていなかった。ボールで捕まえた者としての責任。確かに、守るべきものだった。
「シロナさん、僕は、本当に…。貴方の言うことが、正しかった」
満身創痍の男にまで、近づく。
岡はほとんど目を開けていなかった。だがメガネの接近に近づくと、やや顔を動かす。
「岡さん、僕、やりますから」
声が震えている。鼻水まで垂れてきた。今の自分など、見れたものではないだろう。
それでも、メガネは決意していた。
「僕が、シロナさんを、再生させますから! 他の、ポケモン達も。全部。何度、何度も。どれくらいかかっても、全員戻しますから」
「うる、さいわ。黙っとけ、メガネ…」
彼がどんな表情をしているのか、確かめることはできなかった。
既にメガネの上半身が全て転送されている。
周りの光景が移り変わっていくのを、放心して見ていた。
球体がある。
黒いボール。
見覚えがあるとかと思ったら、あのモンスターボールと似ているような気がした。
そのまま座る。
これから何が起こるのか、わからない。だから、既に経験している者達を待つしかなかった。
隣に、杏が出現する。彼女はメガネの方を見やってから、すぐに俯いていた。
次に転送されてきたのは、半裸の男だ。髪を染めている。確か片腕を破壊されていたはずだったが、どうやらガンツはそういう機能も持っているようだった。
「…あ? なんだこれ。俺……。終わったのか?」
起き上がり、見回す。そして懐の煙草を取り出そうとして、全滅していることに気がついたらしい、めんどくさそうに、壁に寄りかかった。
さらに転送は続く。
メガネはほっと息をついた。怪我を全て治してくれるのなら、きっと助かると思っていた。
岡は瞬きしてから、黙ってその場に座り込んだ。
「おい岡、これどうなったんや。ボスは倒したんか」
「…」
「なあ、これで終わりか。もう誰も、戻ってこないんか?」
「黙れや」
杏が、すすり泣きを始めた。
現実を否定するかのように、首を振る。
「全滅や…。姉さんも、ポケモン達も。皆、死んでもうた」
「は…」
半裸の男はそれっきり、天井を眺めていた。
重い静寂の中で、メガネは待つ。
何か、事態が進行してくれないかと、願っていた。
そしてその思いは、確かに届いた。
杏と同時に、声を上げる。
「え」
「うそ…」
まだ、転送は終わっていなかった。
球体から線が伸びている。
一体が、形成されていく。
メガネはまた、泣きだしていた。
「きゅ?」
その白い体へと飛びつく。
杏も同時に同じ行動をしていた。
二人にしがみつかれたトゲキッスは、窮屈そうに身をよじっている。助けを求めるように岡へと鳴いたが、彼は無視していた。
どうやら、致命傷を受けていたわけではなかったらしい。しかも、彼には治癒の能力がある。動けなくなっていたとしても、何とか命を繋ぎ止めていたのだ。
「良かった。お前だけでも、良かった…」
「キッスちゃん…」
「きゅう」
彼もまた、人数の少ない部屋を見て状況を理解したらしい。つぶらな瞳から涙をこぼし始めた。翼を震わせながら、全身で悲しみを表現していた。
そして、鐘のような音が鳴った。
全員の視線が、球体へと向かう。
『それぢは、ちいてんを
はじぬぬぬぬぬぬぬぬぬぬぬ
ぬぬぬぬぬぬぬぬぬぬぬぬ 』
何かがおかしいと、すぐにわかった。
ガンツの表示が、乱れている。
半裸の男が、立ち上がった。
「なんだっていうんや。おい! しっかりしろ」
一度、表示が完全に消えた。
ガンツが沈黙する。冷たい黒が、部屋の光を反射していた。
メガネもまた、立ち上がりかける。得体の知れない恐怖を感じていた。ここから逃げた方がいいのではないかという、根拠のない思いが大きくなってくる。
だが、ほどなくして表示が戻った。
項目が、並んでいく。
『童貞メガネ
0てん
アンズちゃん
0てん
ド変態
0てん
岡
0てん』
大きな音を立てて、岡が立ち上がった。
「どういうことや」
メガネもまた、異常を認識する。
自分はいい。確かに、自らの力だけで星人を倒したことはない。だが、少なくとも岡は違うはずだった。半裸の男も、絶対に一匹は倒していたはずだ。それでも、全員が平等に無価値となっていた。
それだけではない。トータルという項目がある。それまでの戦いで得てきた合計得点の部分も、全員がリセットされていた。
そうなのだ。メガネは違うが、他の者達はおそらく今までもガンツで戦ってきた。今回のと合わせて、百点を超えた可能性が高かった。今すぐに、シロナを復活させることができたかもしれなかったのだ。
その可能性が、全て潰えた瞬間だった。
「おい、ガンツ! ふざけんなや! 点数を戻せ。俺は、百点の星人をやったはずやろ。加算しろ!」
正確には、三百点越えの星人だ。
どちらによ、ゼロのままなのは変わりなかった。
岡は、何度も球体を蹴っている。鬼気迫る様子だった。どうやら彼のそんな調子は、今までにないものだったらしい。杏と半裸の男は、言葉を失ってそれを眺めていた。
だがガンツは応答しなかった。いくら暴力を受けても、何も表示しない。
つまり、終わったということだった。今回はこれでお開き。
帰ることができるとわかっても、誰も動かなかった。
岡はしばらくガンツに両の拳を乗せていたが、やがてすっと立ち上がった。
「関係ない。もう一回溜めるだけや。次でとる。百点とる」
「ま、待ってください」
帰ろうとする体が、止まった。
メガネは立ち上がり、岡を見据えた。
「僕も、とります」
「あ?」
「皆で百点をとれば、一気に戻せます。協力した方が」
「あー」
そこで初めて気がついたかのように、岡はトゲキッスへと視線を向けた。
当たり前のようにして、手招きをした。
「来いや」
「きゅきゅ?」
「何ぼうっとしてんねん。今日からお前は俺の道具や。次の戦いに向けて色々とおぼえてもらうで」
トゲキッスはすぐに杏の後ろへと隠れた。彼女の肩から小さく顔を出して、はっきりと岡を睨みつけている。
メガネも、根気強く言った。
「そういうの、じゃなくて。えっと。みんなでやるってことです。多分これからも、協力しないと乗り越えられない相手が出てきます」
「知るか。勝手にしろ」
岡は鼻を鳴らしてから、戸口へと向かっていった。
頭を振り絞りながら、その後ろ姿を見る。何とかして足止めできないかと、言葉を探していた。
だが先に声を出したのは、杏の方だった。
「ええの?」
岡は顔だけ振り返ってくる。
それに対して、杏は堂々と言った。
「うちらが先にシロナ姉さんを戻す。岡じゃない。ついでに、アンタについてあることないことたくさん言いふらすから。姉さんからの評価、ずたぼろにしたるで。ええの? そんなことになって」
心底呆れた、という顔になって岡は前を向いた。
それから数秒間、立ち止まる。
その時間で、既に杏は勝利を確信したような顔になっていた。全部わかっているぞ、と言いたげに岡を見ている。
さらに沈黙が続いてから、岡は溜息をついた。
「俺の、邪魔だけはするな。おこぼれくらいはくれたる」
はたして上手くいったのかどうかはまるでわからないが、杏は満足したようだった。今度は引き止めない。トゲキッスと、意味ありげに視線をかわしていた。
「おいそれ、俺も参加してええか?」
意外と、身長が高かった。
そして杏とトゲキッスが異常に身を引いたのも関係している。メガネは、この半裸の男が実は一番ろくでもない相手ではないかと、直感していた。
「俺が一番先に百点取る。シロナは戻さんが」
「…え?」
「でも、あいつのポケモンの一匹は戻す。その条件なら、協力も考えるで」
「べ、別にそれでもいいですけど」
横で、杏が何かを言いたげな顔をしていた。どうやら、ろくでもないことらしい。だがメガネにはまだわかっていなかった。相手がどのような趣向をしているのか。さすがにほぼ初対面で判断することはできない。
その場に長居するわけにも行かず、彼らは全員それぞれの帰路についた。
メガネはまだ、命がけの戦いから生き残ったという実感がわいてこなかった。それでも、家に帰ったらわからない。精神に多大な影響をきたして、寝込んでしまうかもしれない。
それでも。
悪いことばかりでは、ないのかもしれない。
天狗と狐のことを思い浮かべながら、救急車やパトカーが行きかう通りを進んでいった。
一時的なテンションというのは、怖いものだ。
「ああ…」
学校でも、それなりに話題になった。
いや、それなりどころではない。ほとんど、道頓堀で起きた事件でもちきりだった。それの渦中にいたとも言えるメガネにとっては、注目を浴びるチャンスだったかもしれない。だが、あんなものを思い出しながら、冷静に語れるとは思えなかった。よく話していた友達も、もういない。
学校帰り、広場のベンチに座りながら、空を眺めていた。
どうして、自分はあそこまではりきっていたのだろう。
別に、強くなったわけではない。あのぬらりひょんと同じレベルがこれから来るかもしれないと思うと、膝が震える。勝てる気がしなかった。皆の前では意気込んだものの、次で自分が死んでもおかしくない。
「なんで、あんなこと言ったんやろ。無理に決まってる…」
制服の下の、ガンツスーツを見る。
確かに、凄いものだ。これで体育を乗り切ろうと思えば、すぐにヒーローになれる。
だが、代償は大きかった。
あの戦いを、続けなければならない。
メガネにとって、そのスーツは守り神でもなんでもなかった。何度も、これが呆気なく斬り裂かれ、死んでいく人々を見ている。つまり、死神と言った方が正しいのではないか。
「やばい、今から緊張してきた」
くじけそうになった心は、ある姿を目にして固まった。
その影は、段々大きくなってくる。気付いた何人かが、スマホを構えていた。感心したような声を出してから、ラッキーだの幸運だのと、喜んでいる。
トゲキッスは、真っすぐメガネのそばへと降り立った。
注目されても、あまり気にならない。そのポケモン自体に、メガネは集中していた。
「急に、どうしたんや」
「きゅい」
翼の先で、膝を叩いてくる。
少しだけ、笑ってしまう。
どうやら見張りに来たと言いたいらしい。この恩鳥は、メガネが怖気ついていないかどうか、見張っていたのだ。その兆候を認識して、激励に来た。
メガネは今日初めてと言っていいほど、心が安らいでいた。可愛いだけで正義やなと何となく思い、トゲキッスの頭に手を置く。
「なあ」
「きゅ?」
「僕を、乗せてくれん? ちょっと家まで」
しょうがないなあ、とふんぞり返る。
これにはメガネも思わずスマホを構えかけた。きゃーと黄色い声を上がる。その小生意気そうな感じが、多くの女子高生の心をわしづかみにするだろう。
遠慮なくその背に掴まると、ざわつきが強まる。
少しだけ得意げな気分になりながら、風を感じていた。
眼下にひろがる大阪の街並みを眺めて、それからトゲキッスの後頭部に目を止める。
自分は、どうなってもいい。次死ぬかもしれない。
でも、これは。この存在だけは、死んでほしくない。
メガネは、持ち帰っていたXガンの練習をすることに決めた。
◆
「世界を、創り直す。そうしなければならない」
遠大な野望を語る男の声。
シロナは、その目の光をどこかで恐れていた。
目的に向かって、猛進する姿。
アカギの姿勢には、どこか同じところがある。彼女と共通している部分がある。
今更、それを思い返してもあまり意味はなかった。
白い世界。
目を開けると、ただの色が周りには広がっていた。
だが、無色ではない。
そして、色だけでもない。
合理的に考えれば、ここはもはや向こう側ということだ。
そうでもなければ、説明がつかない。
しがみついてくる、ポケモン達の姿を証明できない。
ガブリアスに引っ張ってもらいながら、やっとの思いで立ち上がった。とても深く、重い悲しみから抜け出すのには労力がいる。家族の力を借りなければ、無理だった。
一つ一つを、確認する。なぜか、トゲキッスだけいなかった。どういうことなのだろう。彼はちゃんと、あちらで上手くやっているのだろうか。
皆は、乗り越えられただろうか。
「様々な、説明が必要でしょう」
声がかけられても、驚きはない。
なぜなら、それは最初から視界に入っていたからだ。
そしてシロナは、自分の頬が濡れているのに気がついた。
何の情動も伴わない、静かな涙だった。