あのすべすべしていそうな肌にこすりつけたら、どういう気分になるのか。
桑原は既に叶いそうにない妄想をする。彼は、常に快楽を求めていた。溺れていると表現してもいい。
捨てた煙草を、足で踏みつける。安物は駄目だ。いくら吸っても染み込んできてくれない。
「来世で会おうや」
今まで見たことのない生物だった。単に蛇の紛い物と表現するには足りない。丸く、宝石のように輝いている瞳、桃色の触角。同じ色の、長く下まで伸びている房のような眉。主張する瞳とは対照的な、こじんまりとした口。息が漏れる。
一番目を引くのは、それでも顔の部分ではなかった。ベージュ色の胴体は完璧なラインを保ちながら、水色の尻尾へとつながっている。尻尾の先に着いている濃い赤の模様もまた、非現実感を内包していて新鮮だった。
絶対に穴があったとしたら。桑原は目をつぶる。想像する。ものすごく、締まるに違いない。今までにないほどの感触を味わえるだろう。
だが、彼にも分別はあった。弱い星人ならまだいい。だが、この相手はそこそこ手強いのだ。拘束して行為をするのは限りなく難しい。合計百点以上を取れるチャンスも逃したくはない。
だから、躊躇いなくトリガーを指で押した。両筒が光り、少し溜めるような間ができる。
蛇は、どのような事が起こるのかある程度予測しているようだ。指定した座標から即座に離れていく。尻尾の先が出た直後、範囲内の地面が円状に大きくへこんだ。
それくらいは予想の範囲内だ。既に桑原は、相手の速さに慣れていた。だから逃げる先を予測するくらいの芸当ができる。Zガンの狙いを今いる相手の位置からわずかにずらし、撃ち込んだ。
懸命に這いずっているが、その範囲からはぎりぎり逃れることはできないだろう。相手もそれを理解したのか、動きを止めた。じっと、桑原の方を見てくる。少し股間が怪しくなってしまう。さすがにそのまま潰れていくところを見続けるのは躊躇われた。
「フォオオオオ」
深い鳴き声を上げたかと思えば、上に顔を向けた。不可視の衝撃がやってくる方向を正確に理解している。だからと言って、何かができるとは思えなかった。
蛇の顔の上に、何かが出現する。透明な板のようだった。綺麗な長方形をしており、かなり透き通った鏡とも表現できた。
そしてそこへ、Zガンの弾が到達する。普通なら相手の全身を容赦なく押し潰していたはずの一撃は、なぜか止められていた。
「フウウ…」
蛇はさらに表情を険しくした。姿勢が段々と低くなってきている。
「なん、や」
桑原の呆然とした顔の先で、まだ相手は生き残っている。形成した板と、衝撃がぶつかり合って、拮抗している。だが、徐々に片方へ趨勢が傾いているのがわかってきた。蛇の体が少し地面にめり込む。その額に汗が流れていく。
最後に大きく鳴いてから、板が上へとずれた。そして降ってきた衝撃が目に見える形となって押し出されていき、その方向を転換させる。
「は?」
桑原が動けたのは、幸運だった。彼が多少、未知の事態に対する経験を積んでいたからだろう。だから、跳ね返されたZガンの弾を何とかして避けることができた。
後ろへ飛んだ彼は、大きく体勢を崩していた。そのために飛んでくる氷の線に対応することができない。それは手から落ちかけているZガンへと直撃し、あっという間に凍らせていった。
「こいつ…、どんだけやねん」
室谷が、さすがに驚いた様子でZガンを下ろしていた。
既に先の地面はあちこちが破壊されている。上からの圧倒的な衝撃によって、無残な形に変えられた。
「ぽぎゅ……」
最初に角が。そして顔、胴体、足の部分の順に膨らんでいく。ウミウシのような星人は、すでに何度もZガンの攻撃を受けているのにも関わらず、まだ再生をしていた。しぶといと言っても、限度がある。大阪チームにとっては初めての経験だった。この武器に対してここまで耐えられたことは。
完全に元に戻ったウミウシは、目をほとんど三角にしながら、口をわなわなと震わせた。やや頬のあたりの色が濃くなり、怒っているようだ。
「ぼわああああああああ!」
全身を、大きく震わせる。何かを発することはない。室谷は既に回避に転じていたが、何も飛んでこないことに遅れて気がついた。
「うお!?」
だが、攻撃は既に開始されていた。室谷はその場に立っていられなくなる。スーツによって体幹も強化されているにもかかわらず、呆気なく転ばされるほどの揺れがやってきていた。それは、サポートをしようとしていた中山や山田にも影響していく。
「きゃあああ!」
「地震や! やば」
だが、被害を受けているのは彼ら側だけではないようだ。蛇の星人が大きくウミウシに向かって叫んでいる。当然何を言っているのかはわからない。それでも同じく発生した地震に巻き込まれていることは確かだった。
二つの氷の線が、交錯する。それらは室谷と中山が持っていたZガンに命中した。避ける余裕など、彼らにはありはしない。
そしてウミウシと同じように怒り始めた蛇が、構えをした。身を低くしてから、大きく伸び上がる。
現象は、即座に起こった。
意気揚々と横取りをしようとしていたサングラス組の一人。長髪ストレートの男、木村が手に持っていた武器を放り投げる。大きく息を吸い込むと、目の前を覆い尽くしている巨大な波へ向けて叫んだ。
「はあああ? 嘘やろ! こんな、水も何もないとこでこのレベルの水とっ」
最後まで言わせてもらえず、周りの者達も含めてほとんどが流されていく。住宅の一部も破壊されていった。そうでない家も、一階の部分が酷く水浸しになるだろう。その奔流をまともに受けた室谷達は、当然抵抗もできずに遠くまで消えていった。
惨状を、ジョージは息を呑みながら見下ろしている。ぎりぎりで屋根に上り切っていた彼は、唯一難を逃れていた。
大阪チームの中では。
植物もまた、同じ屋根に立っている。さっそく何やら喧嘩を始めたウミウシと蛇を見てから、左右の花を震わせた。流し目を、ジョージへと送ってくる。最後はお前だと言わんばかりに。
「は…」
彼は、刀を構え直した。むしろ幸運だと思っている。四匹全部を、いただくことができるのだ。さらに追いかけて鳥を仕留めれば、二回分ほどの特典が入手できる。高揚と緊張が絶妙なバランスで混在していた。感覚が研ぎ澄まされていく。今度接近すれば、相手の首をすぐに両断できるだろう。
「運が、回ってきたな。まずはお前や。一瞬でころしぃ……」
呂律が、回らなくなる。
「ありゃぁ…?」
舌の先が痺れている。そこだけではない。ジョージはその場に倒れていった。下半身も上半身も、麻痺してきている。立ち上がらなければならないことはわかっているのだが、少しも動いてくれない。
ぎゅうううと絞るような音が聞こえた。目だけ辛うじて動かすと、肩の部分のスーツ穴からどろどろ液体がこぼれていた。
ガンツスーツが、機能を失った。
わかっても、それ以上のことを理解できない。どうしてそれほど攻撃を受けていないのにオシャカになってしまったのか。彼は歩いてくる植物をぼやけた視界の中で観察する。相手が、毒を持っていることは確かだった。まさか、何度か受けた棘の毒が徐々に耐久を削っていたということなのだろうか。
何も結論付けることはできずに、ジョージは失神した。
◆
ふんと鼻を鳴らしたロズレイドは、ゆっくり近づく。何度か相手の黒い肌を足で突いた後、思いきってすべすべした頭に乗っかった。たっぷり十秒は踏みつけた。
そして、まだれいとうビームを撃ち合っているトリトドンとミロカロスを止めるべく、屋根から飛び降りた。
◆
どうして、安全だと思い込んでいたのだろう。
刃の表面は滑らかだった。シロナの絶望してる顔が映っている。相手の方は、特に感情を表に出してはいなかった。
「訂正させてくれや」
岡は刀を持っていない方の手で、彼女を指差した。
「正確には、お前以外の新参に期待してる。素晴らしい、道具やな。けど、お前はいらん。普通の外人女や。お前を下手に生かしておくと、余計な損害を被るかもしれん」
「なん、で…」
「わかりきったことやろ」
口の端を吊り上げる。彼女が腰に下げている鞄。その中に入っているモンスタボールへと、岡は視線を向けているようだった。
「お前には過ぎた武器や。俺が使わせてもらう。色々と予想外やったが、結果オーライや。どんなクリア特典よりも有効に使えそうやしな」
結局自分は、何かにすがりたかったのだと理解した。この男は、正気を失い暴れていたとはいえ、ルカリオを葬ったのだ。どうして、一瞬でも信じてしまったのだろう。少し考えれば、何かを企んでいることくらいはわかったはずなのに。
シロナは、また涙を流していた。とことん、自分に対してやりきれない怒りが沸いていた。それは岡に対する恨みよりもずっと大きかった。
「私の、ポケモン達は絶対に従わない」
「まあ、お前の想像力じゃわからんやろな」
刃の先端が、ゆっくりと喉笛に定まる。
岡は冷たい瞳をさらに細めた。
「いくらでも、方法はある。教える必要はない。むしろ奴らから進んで俺に協力してくれる。甘い飴を垂らしてやれば、簡単や。お前はまあ、天からそれをよく学べばええんとちゃうか? 次に役立てろ」
その手に、力が入る。
シロナは呻きながら目をつぶった。
ばりんと、何かが割れる音がする。
「きゅいいいいい!」
今までにないほど大きく、憶えのある鳴き声がしてきた。目を開けると、窓ガラスを割りながらトゲキッスが飛び込んできていた。
岡は即座にシロナから離れた。壁際へと後退し、睨みつけてくるポケモンに向かって刀先を向ける。
「変に頭の回る畜生やな」
トゲキッスは翼を掲げる。その先から、一瞬で雷が形成されていった。全力のでんげきはを、岡に向けて放つ。
遅くはないはずだった。タイプ一致もしておらず、それほど彼にとっては得意ではないわざとはいえ、常人が反応できるほど甘くはない。
だが、狡猾な男は横へと飛んでいる。瞬きの間に、球体の後ろまで回り込んでいた。シロナもトゲキッスも、それで動揺することはない。
なぜなら、無意味な回避だからだ。でんげきもまた、必中のわざだった。威力はやや抑えられている代わりに、どこまでも標的を追尾する。
大きく軌道を曲げてきた雷に対して、岡は意外にも落ち着いていた。さらに部屋を移動しながら、ガンツから道具を引っ張り出す。バツ印の武器。
体を傾けていきながら、岡は向かってくるでんげきはに何度か撃ち込んだ。少しだけ逃げ回ると、やがて雷の塊が飛び散る。
どうやら内部からはじけたようだった。それを見て彼は一息つきかけるが、すぐに足を動かそうとした。
ばらばらになった雷の全てが、止まることなく岡へと疾走する。少し乱されたくらいで、消えていくわけがなかった。得意ではないと言っても、トゲキッスはこれの修練に相当の時間をかけた。シロナも付き合ったことがある。その努力は、簡単に無駄になったりはしない。
岡は、全身を硬直させる。その勢いのまま壁に叩き付けられて、膝をついた。
まだ、立ち上がれているのを見て、シロナは驚愕する。確かにでんげきは中程度の威力しかない。メインの武器とはなりえない代物だ。だが、その欠点をトゲキッスは十分に補っていた。
特性、はりきり。わざの命中率が下がる代わりに、その威力が増強される。必中であるでんげきはにとっては、メリットしかなかった。だからトゲキッスは優秀なアタッカーだ。彼に助けられたことが、何度もある。
「…やるな」
岡は悠々と立ち上がり、走り出そうとした。
だが、またもや途中でのけぞる羽目になる。
あまり有効な回避とは言えなかった。トゲキッスの足の先から放たれていた青白い光球は、既に岡の手に直撃している。その衝撃で持っていた刀を吹き飛ばしていた。
「お前も、それ使えるんかい」
同じく必中わざであるはどうだんを、トゲキッスは再び準備した。同時にでんげきはも形成させている。いっぺんに繰り出せば、もはや相手にとって逃げ場はなかった。ルカリオから教わったはどうだんを、放とうとする。それはまさに岡への攻撃として適していた。
「俺はなにしてんだか…」
シロナは立ち上がる。
あっという間に岡の姿は消えていった。どこかに逃げたわけではない。その場で一瞬のうちに消失している。
「気をつけて!」
透明になった。どこかから奇襲をするつもりだろう。そう考え、トゲキッスに警告をした。
だが、それを受けたポケモンは、必死の形相でこちらへと向かってきている。それを怪訝に思って、すぐに自身の認識の甘さを理解した。
これは、ルールの定められた一対一のバトルではない。
「落ち着けって言っても、無理か」
首に強く腕が回ってきている。まだ状況についていけていない自分を、叱咤した。さっさと自分はこの部屋から出ていかなければならなかったのだ。トゲキッスの戦いをそばで平然と見ているなど、愚かだった。
シロナを捕まえた岡は、球体に擦り足で向かう。
「動くなや。わかるやろ? 一瞬で首をへし折ることくらいはできる」
トゲキッスは途方に暮れた瞳をシロナに向けていた。だが、彼女にもわからない。この状況から脱する方法を、何一つとして思いつかない。ずっと、翻弄されていた。自分のせいでもあるかもしれないが、最初から一度も状況をまともに理解できたことはなかった。
岡はガンツに寄る。シロナの首を掴みながら、溜息をついた。
「聞け。どっちもや。別に、この女を心から殺したいわけやない。わかるか? 別の道も残されている」
シロナを掴む手が緩まる。
「もう、信じない…」
「聞けって。ちょっとというか、かなり俺の計画からずれ始めてる。この鳥が来たのがとどめやった。場合によってはお前を生かして、協力し合う関係になってもええ。その証として、有益な情報をやる」
岡は、少し腰を前に曲げた。
トゲキッスは油断なく構えたが、次の発言で目を大きく開いた。
「もう既に死んでいる、お前の家族を戻せる可能性がある。俺に完璧に従うのなら、詳しい方法を教えてやる」
「な…」
シロナは、一気に思考がかき乱された。ルカリオと、ガブリアスが戻ってくる。その言葉だけが、ぐるぐると頭の中で動き回る。
トゲキッスもまた、予想もしていない発言にさらに戸惑っているようだ。短く鳴きながら、考えるように斜め上を向いた。
「さすがに罪悪感わくわ」
何かが射出される音。
岡は見たことのない道具を握っていた。形状は今までのものとそう変わらないが、口の部分がY字になっている。そこから光の縄のようなものが放たれて、トゲキッスの全身に巻き付いていた。
「お前ら、御しやすいにもほどがある」
「きゅきゅ!」
トゲキッスの声は、途中から聞こえなくなっていた。なぜなら、頭の部分から消え始めているからだ。
シロナは悲鳴を上げる。ぞっとする光景だった。どんどん彼の白い体が欠けてきている。彼女は膝から崩れ落ちていった。血は出てきていない。だが、どちらにせよとても悪いことが起きているのは確かだった。
「いや、トゲキッス…」
「一匹くらいなら、まあええわ」
トゲキッスは飛び立とうとしているようだったが、少し上がった直後、残っていた足の部分も消えていった。何の痕跡も残さなかった。この部屋には、二人だけが残される。
シロナは無理やり立たされた。首ごと壁に押し付けられて、目の前に刃を突き付けられる。少し暴れたが、岡の腕力で無意味にさせられる。本当に、同じ人間とは思えなかった。
いや。彼女は徐々に捻じれていく頭の中で考える。本当に彼らは、人間なのか? 身体能力以上に、その残忍さ、命に対する意識の希薄さがシロナと隔絶していた。
道具。
ポケモン。
武器。
道具。
「痛みはない」
今になっても、目の前の男に対する憎しみよりもはるかに、何かへの怒りが大きくなっていた。それはすぐに恐怖を上回り、シロナの全身に力をあふれさせた。
ふざけている。参加している人間以上に、これを、この枠組みを作った何か。
「ガンツ!」
突然叫んだ彼女に少しだけ驚いたようで、岡は刃をわずかに下げた。
シロナは今や彼に意識を向けていない。ただひたすら、横にある黒い球体へ燃えるような視線を向けていた。はっきりと何か考えがあるわけではなかった。だが、次々と湧いて出てくる激しい何かを吐き出さずにいられなかった。
「絶対に、許さない! 私を、私達を勝手に巻き込んでおいて、気まぐれに処理する。ふざけないで! 忘れないわ。忘れはしない。オカに殺されようとも、頭の中にある爆弾で殺されようとも、諦めない。私が死んでも、ポケモン達が絶対に報いを受けさせる。わかってるわ。お見通しよ。簡単には手出しできないんでしょ」
多くの証拠があるわけではない。だがそれでも、シロナはほとんど確信していた。
あの時、トゲキッスと共に飛んで逃げようとした時、電子音が鳴った。範囲制限に触れているという警告。しかし、その音は一つしか聞こえていなかった。シロナの頭の中からだけだ。トゲキッスの方は、静かだった。つまり何も埋められていないということ。反抗を防ぐための脅しができないということ。
「どれだけかかっても! うちの子達は見つけ出す。こんな…、ふざけたことを考えた奴ら全員、叩き潰す。待ってなさい。皆、優秀なんだから。逃げられはしない。全部、全部滅茶苦茶にして、自分達がどれだけ愚かな事をしていたか思い知らせてやるわ。ルカリオとガブリアスと、トゲキッスの仇を討つ。彼らが受けた痛みを何倍にもして返してやる! どうしたの? さっさと殺せばいい! 殺しなさい! 簡単でしょ? 頭の中の爆弾を操作すればいいだけ。あるいは、この男をもっとけしかければいいだけよ! やってみなさい。早く、ほら! やりなさい!」
無意識の内ではあったが、その気迫はかつて十年もの間、リーグチャンピオンを防衛していた時に見せていたもの以上だった。彼女のこれまで得てきた経験の全て、感情の全てが込められたかのような叫びだった。このような事態に陥ってから流され続けたことへの怒りが全て、激しい言葉と共に放出されていた。
岡が我に返ったように、手を動かした。
「もうええ! 黙れ」
「うるさいもじゃもじゃ! さっきからずっとだらだら話が長いのよ! やるならさっさとやりなさい。怖いの? 星人とかいう化物は簡単に殺せるのに、女の首一つ斬れないの?」
「調子に…」
「やれって言ってるでしょ! 怖くないわ。早く。やれ!」
シロナは大きく息を吸い込みながら、目をさらに開けた。死の瞬間から、逃げるつもりはなかった。岡の瞳を捉える。彼の顔を視線で刺しながら、殺されるつもりだった。少しでも、相手の精神に楔を深く打つ心積もりでいた。
だが、こぼれていく涙は止められない。それでも堂々としていた。心の中で愛しい家族たちの名前を繰り返しつぶやきながら、その瞬間を待った。
刃の角度をさらに深くし、岡は口を少し開ける。細目に力を込めて、刀の柄を動かそうとする。
妙な音が鳴った。
ジジジと球体から線が出ていく。
それが伸びていった先に、黒い靴が現れた。そこでは終わらず、足も形作られていく。どんどん上に向かっていった。所々穴の開いた丸い出っ張りがある、黒スーツの下半身が出来上がっていく。腹や胸はほとんど肌がそのままさらけ出されていた。そして最後に、呆けたような長い茶髪の男の顔が完成した。
「…ん?」
桑原は、少しの間ぼうっとした後、ほとんど密着している岡とシロナを見やった。
「俺、邪魔か?」
転送は終わらない。ぞくぞくと、外にいたはずのメンバー達が出現した。最後に目をつぶったままのジョージが形成されて、やや部屋が手狭になった。
シロナは目の端から涙をこぼしながら、殺されかけていることも忘れて放心していた。先ほどまでの勢いが一時的にごっそりと無くなっている。気が抜けていた。
大げさに、岡が息を吐き出す。
それとなく球体を見ると、残り時間が一分の所で停止していた。
ちーん。
高い鐘の音がして、あの憎い平坦な音声が流れ始めた。
『それぢわ ちいてんを
はじぬる 』
画面が切り替わった。
サングラスの短髪男が、頭を抱える。
「うっわ、ずっるう!」
少々過剰なキラキラとした効果の入っている似顔絵。それは明らかに、シロナを示していた。
その左横に、でかでかと表示される。
『シロナ姉さん
100てん
ごめんナ
これで ゆるちテや』
自分の得点が、表示されたということだけはわかった。だが、それ以上の意味を把握する前に、側にいた岡がどかりと座り込む。
「ほんま、糞みたいな運営」
他の者達も、次々と発表されていく。シロナ以外の点数の変動はないようだった。一部の騒がしいリアクション以外は何もなく、全てが終わると全員が無言で彼女を注目してくる。
「何しとるんや?」
「え?」
室谷がつまらなそうな顔で続けた。
「獲ったんやから、早くメニュー開けや。クリア特典、欲しいやろ」
「ぬわああ、追いつかれてもうた」
「いや、これは反則やろ。えこひいきされとる」
「チートやチート」
サングラス達が騒ぐ中、シロナはふわふわした感覚のまま歩いていった。促されるままに、ただ言葉を繰り返す。
「ガンツ、百点メニュー」
開かれた文字列は多くはなかったが、それでも全部読み切り、理解するのに永遠の時間がかかったような気がした。
『100点めにゅ~
1 記憶をけされて解放される
に よリ強力な武器を与えられル
Ⅲ MEMORYの中から再生でちル(じゃじゃん!)』
口を、押えた。
解放だとか、武器だとか。目につく言葉はたくさんある。それでも最初の二つはすぐにどうでもよくなってしまった。三番目の項目が、目に入った瞬間。
再生。
「良かったな」
岡がしたり顔で言ってくる。球体の端を足で押してみせた。
「多分、復活させられるで。選んでみろや」
本当は真っすぐ走って、その小生意気な口を張り倒さなければならないのだろうが、今は別のことに意識が向いていた。シロナは弾けるような己の心臓を感じながら、何とか声を出そうと試みる。
「さん、ばん」
移り変わっていく。
そして、かなりの数の写真が表示されていった。ほとんどが人間のものだ。知らない顔ばかりだったが、目線が一番下までたどり着いた時、体全体が震える心地がした。
ある。写真がある。いつ取られたのかはわからない。だがずっと共に歩んできた二つの顔が、隣合っていた。ルカリオとガブリアスは、例え画像の中だとしても、真っすぐ視線を向けてきているような気がする。
「どっちか、戻せるやん。犬の方にしてや。かめはめ波教えてもらいたいわ」
「バカ。刺々しい奴の方が強いやん絶対。合理的にな…」
呑気な外野の声とは反対に、シロナはひたすら内奥で考えていた。どちらを、最初に生き返らせるべきか。今回は多分、特例なのだろう。次に百点まで溜めるのに、どれくらいかかるのかわからない。そもそも、本当に復活するのかも曖昧だ。また、騙されているのかもしれない。信じてはいけないのかもしれない。
それでも、実際にやってみる価値はあった。もし本当に戻ってきてくれるのなら、これ以上の喜びはない。
シロナは、写真たちを眺めながら、苦しそうに顔を歪めた。周りは開いた時間に段々と怪訝そうな視線を投げてきているが、構いはしない。彼女は、ひたすら己の責任について自問自答していた。何をするべきなのか。何の罪を、犯してしまったのか。
だから、少し躊躇ってしまったことは、きっと後々まで自己嫌悪の源として残り続けるだろう。それも含めて、背負っていくと決めた。シロナは、自分のやるべきことを定めた。
名を言う。
他の者達はほとんどが驚いていた。何をしているんだと呆れられた。
あっという間にガンツによって形成されていく。
「んん」
目を開けた可愛らしい女性を見て、シロナは嗚咽を漏らしていた。感動と申し訳なさが合わさった何かによって、大きく乱されていた。本当に、再生された。確かな実感を得るべく、まだぼうっとしている杏へと抱き着く。
「わ、なに? え、姉さん?」
「ごめんなさい。嘘ついて、ごめんなさい…」
この子達が、守ってくれる。
シロナは確かに言った、言ってしまった。それが罪の始まり。結果杏はそれを信じたまま、ルカリオに殺された。たとえ彼が星人によって操られていたのだとしても、関係がない。自分には、義務があると考えていた。ここでそれを果たさない手はない。
杏はかなり混乱しながらも、シロナを抱きとめてくれていた。それに甘えながら、視線だけを球体に向ける。
待ってて、としっかり目で伝えた。宣戦布告のようなものをした手前、矛盾しているのかもしれない。だが今は、その可能性にすがるしかなかった。
自分は、囚われたのだと理解する。
ガンツに囚われた。
だが、終わりはある。
必ず助けると、愛しい二匹の顔写真に向かって口だけで伝えた。頷いてくれるだとか、笑って返してくれるだとか、そんな都合の良いことは思わない。恨まれてもいい。ただもう一度、貴方達の姿が見たい。そう、強く心に決めた。
そして、まだ重大な問題が残っていることに今更ながら気がついた。
はっとしたシロナに向かって、おずおずと杏が見上げてくる。
「どうしたん?」
◆
「きゅ?」
まだ自分が死んでいないということに気がついて、トゲキッスは全身が浮き立つような気持ちになった。みっともなく涙をこぼす。ただ自身の命がそこにあるのだという実感が、近づいてくる存在達への気づきを少し遅れさせた。
「きゅい~」
かなり崩壊が進んでいる住宅街の間を、仲間達が進んできていた。時には喧嘩し、時には切磋琢磨し合う仲だが、今はただただ会えて嬉しかった。その感情を全身で表現しながら、彼らへと抱擁しに向かう。大量の雫をこぼしていく。
そうして主人のことを一時的とはいえ完璧に忘れ、はりきって飛んできているポケモンに向かって、ロズレイドは冷たい表情を投げかけた。左の青い花を揺らし、構える。その中にある棘には、遅効性の毒が含まれていた。
つまり、じわじわと苦しめてやる、という意味らしい。